Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
愛 違路に ③
- 2013/01/01 (Tue)
- ☆日記★-日常全般-☆ |
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やっぱり、帰るんじゃなかった。
同窓会に出たことだけが、今回の帰省のメリットだね。
それも飲まなかったから、日帰りで帰ったってよかったんだ。
でも、物忘れが激しくなってきた祖母のことも心配だったし、トンボ帰りじゃ父が不憫だ・・なんて少しでも情にほだされてしまったのが今回の間違い。
同窓会に出たことだけが、今回の帰省のメリットだね。
それも飲まなかったから、日帰りで帰ったってよかったんだ。
でも、物忘れが激しくなってきた祖母のことも心配だったし、トンボ帰りじゃ父が不憫だ・・なんて少しでも情にほだされてしまったのが今回の間違い。
発端は奨学金のことだった。
学費のほとんどを奨学金に頼っていた私は、就職してからずっと月々2万数千円ずつ返済している。
私が結婚するまでに完済しなさいと祖母から圧力をかけられている母は(母の中では祖母は神様だ。99%白でも祖母が黒だと言えばそれは黒になる)
二言目には奨学金の返済について、なぜ繰り上げ返済をしないのかと迫る。
今回もボーナスの金額について父と話していたのがいけなかった。
そんなにまとまったお金が入っているのにどうして返さないのかと言う母。
奨学金を借金という言い方をするのも腹立たしい。(まぁ事実なのだが・・心理的に、ねぇ?)
・・とは言っても、ボーナスの半分近くは天引きタイプの財形貯蓄。
これはいわゆる定期預金みたいなものだから、満期になるまでは引き出せない。
その上、マーチのローンの返済にはボーナス月に上乗せして払う契約をしてある。
車検のための貯金だって必要。
さらには手元にもいくらかお金を置いておかなければ、いつ病院の世話になるとも限らないし、いつ電化製品等が壊れるとも限らない。
そういったもろもろを説明しても、母には理解してもらえない。
そもそもだ。
まともに働いたことのない者に、人の金銭の収支についてごちゃごちゃ言われたくないと思うのは勝手なのだろうか。
母は大学を中退してから、実家にパラサイトし、現代で言うところの派遣がやるような仕事しかしていない。
それも真面目にやっていれば立派だが、長く続いたことはないようだ。
自分ひとりの生活が自分の手にのしかかる、という経験が彼女にはない。
何か明確な目標なりがあって、それを追っていたのでもない。
周囲の勧めのまま見合い結婚し、 産むつもりのなかった子どもを作り、 その子どもの心をずたずたにしながら今日まで生きてきているのだ。
生活が苦しくなれば、自分が頑張ろうと思うどころかすべて周囲のせいにする。
母も一生懸命働いていて、それで父を責めるのはまだわかる。
だが、自分は上の人間が気に食わない(パートなのに)とか、仕事内容がしんどいだとか、職場まで遠いだとか・・そんなゆとり世代の離職理由のようなことを並べ立てて、すぐにやめる。
そんな母に私をどうこう言える権利がどこにあるのだろう。
私が返済を滞納していて、親に督促が来ているとかならまだ言う権利はあるだろう。
しかし、毎月きっちり決められた額を返し、育英会にも親にも迷惑はかけていない。
数か月後には人生初の大きな買い物だったまーち君のローンも完済する。
何ひとつ心配をかけるような暮らしぶりはしていないはずだ。
ここ4、5年の間に買い替えた実家の電化製品はすべて私が費用を負担している。
それに対する感謝はなし。「ありがとう」の一言もない。
ありがとうとごめんなさいが言えず、人を非難ばかりする。
人として終わっている人。 それが私の母。
今や大学進学する半分以上が奨学金を貸与しながら・・の時代である。
お金に余裕のある家庭の子どもだけが、大学に行く時代は終わった。
それを説明し、友だちも一部の裕福な子を除いてはみな借りていた・・と言い、それでもまだうるさく言うのかと言ったところ、
『それはあんたが障害者だからよ』と来た。
どうもこの人は、人に殺意を抱かせる名人らしい。
ま、抱くだけ無駄なんだけどねなぜそこまで人が自分に怒るのかわかってないんだもん。
こちらが腹を立てるだけ損なのだけど、でもそこまで達観してしまえないんだな~まだまだ煩悩のかたまりですから。笑
一瞬にして沸点に達した脳みそをどうにかこうにか宥めながら、遠回しに分厚い雑誌を投げてみる。
ごろりとトドのように寝そべるその顔の3㎝横に。 我ながらナイス・コントロールw
やっぱりあなたは、私が障がいを持っていることを未だに受け入れられないんですね。
あなたが認めなかろうが、私は一生この体で生きていくんです。
辛いことがあるたびに、その都度覚悟を決め直し、生きていく私を、あなたは知ったこっちゃないでしょう?
それだけの覚悟を、あなたは人生の中でしたことがないでしょう。
いつも生ぬるい思いで生きてきているんだから。
雑誌の襲撃に一瞬、びくりとはしたものの、彼女の口は懲りずに動く。
『だいたい、親に対してそんな口のきき方しかできない人間が教員なんてやってるんだから、この国の教育も終わりね』
えぇ、あなたがいなければ私はこんな最低な言葉吐かずに生きていけます。
そんな私を見せるのが嫌で地元で教師になるのはやめました。
『うちらのね、教わった先生にもろくなのがいなかったのよ。教員なんてろくでもないわ』
私がろくでもある教員ではないのは認めるけれど、他の全国の教師にあやまれ。みんな一生懸命やっとんねん。
『お父さん。みんなね、この子はいい仕事についたって言うけれどねぇ、ちっともそんなことないで。こんな子がねぇ、学校の先生だなんて』
『お前もしぶといな。ちょっと黙ってぇや』と父。
教採の合格発表から今まで、彼女が私が教員になることや教員で在ることを認めたことはない。
それには、彼女が教わった先生と相性が悪かったのもあるのだろう。
アスペルガーが全く認知されていなかった時代、彼女が教師から「勉強はよくできるけれど扱いにくい子」と思われていた可能性は十分あるし、それでなくても戦後のベビーブーム真っ只中の生まれだから、1クラス50人近く、1学年は10クラスを超えると言う中で、一人一人に教師の目がなかなか行き届かないという環境もあると思う。
『あんたは大阪府民やからな。大阪「負」やねん。あんたはマイナスばっかり引き連れてくるんや』
・・・もうお話にならない。
「あんな、大阪府民と京都府民に謝れ。ってか、本気で言うてんなら精神科行けって」
『頭がよすぎるとこうなるんかいな』(父)
いや、ただの脳足りんやろ。
こういう、言葉を変に綾にしてしまうところも彼女の悪い癖で、物心ついた時からもう嫌気がさしていたのだが・・・
もうそんなこんなで、つかみかかりたいほど腹が立っているところに、
『そういえばねぇ、●●のおじさん、あの人良いのよーーー』(急に話題を180度変えるのも茶飯事)
『昔あんたを撮った写真があるんだけどねぇー、いい風に撮ってくれて、あんたが障害者だって全然わからんのよーーー』
それはもう無邪気に言う。
もういい。
あんた、ばかか。
今度はその顔狙って座布団を投げてやった。
『痛っ。なによ。いい事言うてるんやないの』
どこが?
「やっぱお前何もわかってないな。私があの日なんで縁切る言うたんか、いっこもわかってへん。お前は嫌かもせんけどな、私はこれでええねん。私の生き方を理解してくれへん人なんか、親やとも思うか。」
『お父さん、今の聞いた?うちら考えとかななぁ、老後、この子にひどい目に遭わされるで』
仮にそうだとしてさ、原因作ってるの自分やん。
『お前が黙ってえよ』(父)
「明日帰る」
『待ってよ。おばあちゃんとこ行くのはどうすんのよ』
「行きたかったけど、そんなこと言われてまでいる気はせんわ。せいぜい説明しとくんやな。『私が怒らせたから帰った』ってな」
『そんなん私言わんよ』
「ほな私が言うわ」
『そんなねぇ、事してたらねぇ、罰が当たるよ』
「ふーん? それよりあんたが誰かに刺されんように気ぃつけや。 大の大人を眉間に皺が寄るまで怒らせてるんでしょ?
恨み買ってんじゃないの」
『確かに話してて、青筋立てる人おるけど、私なんにも言うてないもん』
何も言わなくて、そんなに顔が吊り上る人いないだろうが。
「とにかく明日起きたら帰るから。 お菓子、おばあちゃん家に持ってってね」
『私持っていかんよ!そんなん』
「うん、じゃいいわ。捨てるなり何なり好きにして。とにかく帰るから」
『おばあちゃん家にも行かんなんて親戚みんな人でなしやと思うよ!!』
「ふん、じゃ、●●や▲▲(従兄弟)も人でなしなんやね?今回来てないけど」
『・・・・・・』
「だいたいさ、▲▲(鉄道会社勤務)は正月も仕事やで?あんたと違うねんって。」
『正月も休めないような仕事についてるなんて親不孝よ。なんでみんなそんなに必死になって働くの。異常よ』
いや、あなたが異常です・苦笑
「正月に働いてくれてる人がいるおかげで、買い物に行けたり初詣に行けたりすんねんやんか。
それにな、食べていくって大変やねん。みんな必死になって働いてそれでやっと生活しとんねん。お前の考えるような働き方じゃ食べていくことすら満足にできひんわ!」
それに親戚みんな、私が突然帰った理由なんて説明しなくても察しがつくだろう。
現にその場で妹に電話して、
『ちょっと〇〇ちゃん!(妹)この子ねぇ、帰るって言うのよ!もう!何とか言うたってよ』と言えば妹に、
『あーんたが何か余計なこと言ったんでしょ』と一蹴される始末。
大阪の叔父だって『無理に帰らんでもええ』と言ってくれているのだ。
『なんでこんなに怒るのかわからんのよ』
それは気の毒だと思うけれど、「わからない」で済まされる年ではないだろう。
同じ地雷を何度も踏むのも利口ではないよ。
私だって、実の親には認めてもらいたいし、評価してほしい。
定職について、仕送りもして、壊れた電化製品だって揃えてるでしょ。
お礼を言ってほしいわけではないけれど、少しくらい「これでいい」と思ってくれたっていいじゃない。
なんで、それ以上をいつも求めるのよ。
何度も傷つくために帰るほど、私強くもないし、ドMでもないわ。
あなたに対して口が悪いのも態度が悪いのも、甘えられない歯がゆさと、あと、そうでもしてなきゃ自分を保てないんだってことが、なぜわからないの。
まぁ、それがわかる人なら、こんな葛藤もないんだけれどね。
お盆は友だちと会うときだけ帰って、長居はせずにいよう。
学費のほとんどを奨学金に頼っていた私は、就職してからずっと月々2万数千円ずつ返済している。
私が結婚するまでに完済しなさいと祖母から圧力をかけられている母は(母の中では祖母は神様だ。99%白でも祖母が黒だと言えばそれは黒になる)
二言目には奨学金の返済について、なぜ繰り上げ返済をしないのかと迫る。
今回もボーナスの金額について父と話していたのがいけなかった。
そんなにまとまったお金が入っているのにどうして返さないのかと言う母。
奨学金を借金という言い方をするのも腹立たしい。(まぁ事実なのだが・・心理的に、ねぇ?)
・・とは言っても、ボーナスの半分近くは天引きタイプの財形貯蓄。
これはいわゆる定期預金みたいなものだから、満期になるまでは引き出せない。
その上、マーチのローンの返済にはボーナス月に上乗せして払う契約をしてある。
車検のための貯金だって必要。
さらには手元にもいくらかお金を置いておかなければ、いつ病院の世話になるとも限らないし、いつ電化製品等が壊れるとも限らない。
そういったもろもろを説明しても、母には理解してもらえない。
そもそもだ。
まともに働いたことのない者に、人の金銭の収支についてごちゃごちゃ言われたくないと思うのは勝手なのだろうか。
母は大学を中退してから、実家にパラサイトし、現代で言うところの派遣がやるような仕事しかしていない。
それも真面目にやっていれば立派だが、長く続いたことはないようだ。
自分ひとりの生活が自分の手にのしかかる、という経験が彼女にはない。
何か明確な目標なりがあって、それを追っていたのでもない。
周囲の勧めのまま見合い結婚し、 産むつもりのなかった子どもを作り、 その子どもの心をずたずたにしながら今日まで生きてきているのだ。
生活が苦しくなれば、自分が頑張ろうと思うどころかすべて周囲のせいにする。
母も一生懸命働いていて、それで父を責めるのはまだわかる。
だが、自分は上の人間が気に食わない(パートなのに)とか、仕事内容がしんどいだとか、職場まで遠いだとか・・そんなゆとり世代の離職理由のようなことを並べ立てて、すぐにやめる。
そんな母に私をどうこう言える権利がどこにあるのだろう。
私が返済を滞納していて、親に督促が来ているとかならまだ言う権利はあるだろう。
しかし、毎月きっちり決められた額を返し、育英会にも親にも迷惑はかけていない。
数か月後には人生初の大きな買い物だったまーち君のローンも完済する。
何ひとつ心配をかけるような暮らしぶりはしていないはずだ。
ここ4、5年の間に買い替えた実家の電化製品はすべて私が費用を負担している。
それに対する感謝はなし。「ありがとう」の一言もない。
ありがとうとごめんなさいが言えず、人を非難ばかりする。
人として終わっている人。 それが私の母。
今や大学進学する半分以上が奨学金を貸与しながら・・の時代である。
お金に余裕のある家庭の子どもだけが、大学に行く時代は終わった。
それを説明し、友だちも一部の裕福な子を除いてはみな借りていた・・と言い、それでもまだうるさく言うのかと言ったところ、
『それはあんたが障害者だからよ』と来た。
どうもこの人は、人に殺意を抱かせる名人らしい。
ま、抱くだけ無駄なんだけどねなぜそこまで人が自分に怒るのかわかってないんだもん。
こちらが腹を立てるだけ損なのだけど、でもそこまで達観してしまえないんだな~まだまだ煩悩のかたまりですから。笑
一瞬にして沸点に達した脳みそをどうにかこうにか宥めながら、遠回しに分厚い雑誌を投げてみる。
ごろりとトドのように寝そべるその顔の3㎝横に。 我ながらナイス・コントロールw
やっぱりあなたは、私が障がいを持っていることを未だに受け入れられないんですね。
あなたが認めなかろうが、私は一生この体で生きていくんです。
辛いことがあるたびに、その都度覚悟を決め直し、生きていく私を、あなたは知ったこっちゃないでしょう?
それだけの覚悟を、あなたは人生の中でしたことがないでしょう。
いつも生ぬるい思いで生きてきているんだから。
雑誌の襲撃に一瞬、びくりとはしたものの、彼女の口は懲りずに動く。
『だいたい、親に対してそんな口のきき方しかできない人間が教員なんてやってるんだから、この国の教育も終わりね』
えぇ、あなたがいなければ私はこんな最低な言葉吐かずに生きていけます。
そんな私を見せるのが嫌で地元で教師になるのはやめました。
『うちらのね、教わった先生にもろくなのがいなかったのよ。教員なんてろくでもないわ』
私がろくでもある教員ではないのは認めるけれど、他の全国の教師にあやまれ。みんな一生懸命やっとんねん。
『お父さん。みんなね、この子はいい仕事についたって言うけれどねぇ、ちっともそんなことないで。こんな子がねぇ、学校の先生だなんて』
『お前もしぶといな。ちょっと黙ってぇや』と父。
教採の合格発表から今まで、彼女が私が教員になることや教員で在ることを認めたことはない。
それには、彼女が教わった先生と相性が悪かったのもあるのだろう。
アスペルガーが全く認知されていなかった時代、彼女が教師から「勉強はよくできるけれど扱いにくい子」と思われていた可能性は十分あるし、それでなくても戦後のベビーブーム真っ只中の生まれだから、1クラス50人近く、1学年は10クラスを超えると言う中で、一人一人に教師の目がなかなか行き届かないという環境もあると思う。
『あんたは大阪府民やからな。大阪「負」やねん。あんたはマイナスばっかり引き連れてくるんや』
・・・もうお話にならない。
「あんな、大阪府民と京都府民に謝れ。ってか、本気で言うてんなら精神科行けって」
『頭がよすぎるとこうなるんかいな』(父)
いや、ただの脳足りんやろ。
こういう、言葉を変に綾にしてしまうところも彼女の悪い癖で、物心ついた時からもう嫌気がさしていたのだが・・・
もうそんなこんなで、つかみかかりたいほど腹が立っているところに、
『そういえばねぇ、●●のおじさん、あの人良いのよーーー』(急に話題を180度変えるのも茶飯事)
『昔あんたを撮った写真があるんだけどねぇー、いい風に撮ってくれて、あんたが障害者だって全然わからんのよーーー』
それはもう無邪気に言う。
もういい。
あんた、ばかか。
今度はその顔狙って座布団を投げてやった。
『痛っ。なによ。いい事言うてるんやないの』
どこが?
「やっぱお前何もわかってないな。私があの日なんで縁切る言うたんか、いっこもわかってへん。お前は嫌かもせんけどな、私はこれでええねん。私の生き方を理解してくれへん人なんか、親やとも思うか。」
『お父さん、今の聞いた?うちら考えとかななぁ、老後、この子にひどい目に遭わされるで』
仮にそうだとしてさ、原因作ってるの自分やん。
『お前が黙ってえよ』(父)
「明日帰る」
『待ってよ。おばあちゃんとこ行くのはどうすんのよ』
「行きたかったけど、そんなこと言われてまでいる気はせんわ。せいぜい説明しとくんやな。『私が怒らせたから帰った』ってな」
『そんなん私言わんよ』
「ほな私が言うわ」
『そんなねぇ、事してたらねぇ、罰が当たるよ』
「ふーん? それよりあんたが誰かに刺されんように気ぃつけや。 大の大人を眉間に皺が寄るまで怒らせてるんでしょ?
恨み買ってんじゃないの」
『確かに話してて、青筋立てる人おるけど、私なんにも言うてないもん』
何も言わなくて、そんなに顔が吊り上る人いないだろうが。
「とにかく明日起きたら帰るから。 お菓子、おばあちゃん家に持ってってね」
『私持っていかんよ!そんなん』
「うん、じゃいいわ。捨てるなり何なり好きにして。とにかく帰るから」
『おばあちゃん家にも行かんなんて親戚みんな人でなしやと思うよ!!』
「ふん、じゃ、●●や▲▲(従兄弟)も人でなしなんやね?今回来てないけど」
『・・・・・・』
「だいたいさ、▲▲(鉄道会社勤務)は正月も仕事やで?あんたと違うねんって。」
『正月も休めないような仕事についてるなんて親不孝よ。なんでみんなそんなに必死になって働くの。異常よ』
いや、あなたが異常です・苦笑
「正月に働いてくれてる人がいるおかげで、買い物に行けたり初詣に行けたりすんねんやんか。
それにな、食べていくって大変やねん。みんな必死になって働いてそれでやっと生活しとんねん。お前の考えるような働き方じゃ食べていくことすら満足にできひんわ!」
それに親戚みんな、私が突然帰った理由なんて説明しなくても察しがつくだろう。
現にその場で妹に電話して、
『ちょっと〇〇ちゃん!(妹)この子ねぇ、帰るって言うのよ!もう!何とか言うたってよ』と言えば妹に、
『あーんたが何か余計なこと言ったんでしょ』と一蹴される始末。
大阪の叔父だって『無理に帰らんでもええ』と言ってくれているのだ。
『なんでこんなに怒るのかわからんのよ』
それは気の毒だと思うけれど、「わからない」で済まされる年ではないだろう。
同じ地雷を何度も踏むのも利口ではないよ。
私だって、実の親には認めてもらいたいし、評価してほしい。
定職について、仕送りもして、壊れた電化製品だって揃えてるでしょ。
お礼を言ってほしいわけではないけれど、少しくらい「これでいい」と思ってくれたっていいじゃない。
なんで、それ以上をいつも求めるのよ。
何度も傷つくために帰るほど、私強くもないし、ドMでもないわ。
あなたに対して口が悪いのも態度が悪いのも、甘えられない歯がゆさと、あと、そうでもしてなきゃ自分を保てないんだってことが、なぜわからないの。
まぁ、それがわかる人なら、こんな葛藤もないんだけれどね。
お盆は友だちと会うときだけ帰って、長居はせずにいよう。
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CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
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良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
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