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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

カテゴリー「バイト♪(終了カテゴリ)」の記事一覧

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3.3 part 2

月次報告を1枚書き忘れていて、明日塾に行くことになった。
潔く事務作業は1度で終わらせて去ったはずなのに、かっこわる~


さてさて、前回の続き

受験をサポートした中3のMくん。線の細い、眼の優しいかわいい子であったが、そういうところが気になるお年頃。。

ある日、「腹痛い・・・」というので、心配した私。以前、お腹が痛いのに我慢強いMくんは何事もない顔をして、授業を続けた。私が気づいたのは授業も終わりに差し掛かった頃で、その日はひどく反省したものだった。。


「ぃや、ただの筋肉痛やから」というMくん。「え、ナニ?鍛えてんの」と言うと、恥ずかしそうに俯き「うん」



このときは萌えました


ただ、中3といえばまだまだ成長期。それを妨げるくらいハードな筋トレはやめてほしい・・と思ったものだった。


彼は文法も順調に覚え、ゆっくりと、しかし確実に成績を伸ばしていったけれど、自分の成績より若干下の私立を専願で受け、合格した
中学を卒業すると、塾を辞めたが、今彼はどうしているだろうか。

筋トレの甲斐あってたくましい高校生になっているのか、それとも、まだあの優しい線を保っているだろうか。




Mくんと同時間に担当していた、当時中2のGさん。


とにかくよく寝る子だったな。冷めた子だったなという印象だ。以前、このブログにも書いた、燃え尽き症候群の子だ。


「お父さんはお給料のために仕事をしてんのはわかるけど、ちっとも楽しそうじゃない。家ではグチばっかり」と私に漏らしたこともある。


子どもは子どもの目で、大人を怖いほどよく見ているとはっとさせられた。



今思えば、少し厳しくしすぎたかなとも思う。成績が伸びなくて、授業中もよく寝るので焦っていた。自分が焦りすぎて良い指導ができていなかったと思う。振り返れば、いくらも私が聞いてやらねば、受け止めねばならないことがたくさんあった。

それを焦りを前にして、私は見落としていた。今の自分が過去の自分に会えたなら「お前の目は節穴か!!」と言ってやりたい。


当時私は彼女が頑なに男子を嫌うのは、年齢特有のものか、でなくても、あまり理由に踏み込むべきではないと思っていた。ブログを読んでもはっきりと書いてある。


しかし今、私は彼女と対峙すべきだったと思う。踏み込んで聞けばよかった。そうすれば、何か変わっていたかもしれない。


彼女は結局、無気力から脱しないまま、塾を去った。


苦かった。。



関西学院を目指していたSさん。最初はD判定だったのに、この子はイディオムが欠けてると気づいた私が、イディオムやターゲットの単語を週に何十個と覚えさせ始めたら、20点模試の点数が伸びた。



でも私が直接的に関与したのは、ここまでだと思う。それからの彼女は私がサポートしているのなど、小指の先でくらいしかなかったのに、ぐんっぐん伸びていき、一度目の入試で合格した。


今彼女とは、いい友人という間柄になっている。



 続く

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3.3~Old soldiers never die, Just fade away~

なぜだろう。
今頃泣けてくる。



2月末付で、3年3ヶ月勤めた塾を退社した。

契約解約届に捺印をしても、どこか他人事で・・・
生徒に「今日で最後です」と告げても現実味はちっともなく・・・


それくらいピンと来ないことだった。週に何度かココに来ることが私の中ですっかり当たり前になってしまっていた。



3月に入って、塾に行った。私物の整理をしに。


生徒のいない時間にしようと思ったのに、思いがけずいく前に寄った百貨店で色々なものに目移りしてしまい(買ったのはお菓子だけだけれど)生徒が来てからになってしまった。


未記入の報告書を書き終え、通勤費の申請用紙を提出。




そして、毎回毎回使っていた名札と講師手帳を返した。


心のどこかの何かが剥がれたような気分。でも意外と冷静だった。引き出しに入れていた私物もすべてさらった。


空っぽになった引き出しは、思っていたより大きかった。

また別の誰かが、この引き出しを使うのだ。




非常に濃い3年間。大学生活で、学校以外に非常に大きな位置を占めていた。持った生徒を振り返る。振り返りながら無我夢中でSNSの日記を書いていたら、なぜか今頃泣けてきた。


一番初めに持った、KさんとTさん。

Kさんはボーイッシュで活発な子で、単語がなかなか覚えられなくて入塾時の定期テストの点数は35点。

Tさんはおとなしめのふんわりとした、でも芯は凛としたかわいい女の子で、同じくテストは悲惨だった。



私は2人に、まず学校の内容をしっかり理解させることが大事だと感じ、教科書内容の予習を塾でさせた。そして授業中はポイントだけを書けばいいようにして先生の説明を聞く時間を増やせるようにした。
その次の時間にはそこの復習をし、単語テストを行った。そして次の時間の予習。

塾から与えられたテキストは、他の生徒ほど多くは使わなかった。本人がどうしても理解できてなくて演習が必要なときと、テスト前にだけ使用した。


その頃の私はまだ英語も深く勉強していなくて、発音だって英語が苦手な人よりはうまい程度だったし、完全に落ちこぼれていた。私より偏差値が10も15も上の人ばかりに囲まれてふてくされていたのだった。


単語テストはスペルと意味を両方習得できるようにと、私が単語を読んで、その単語を書き取り意味も書く・・・という形式のものを実施していた。


私が「もっと勉強しよう」ってかせなと思うキッカケになったのはKさんのおかげだ。


テストで私がthinkと言ったら、Kさんは紙にsinkと書き取った。


間違っていたのは私のほう。thの発音をきちんとできていなかった。まだこの頃、thの発音を習得していなかったのだ。


sinkという単語を眺め、頭に岩が落ちたかのような衝撃を受けたものだった。

・・・・・これではあかん、と。



何はともあれ、Kさんはめきめき単語を覚え、文法を覚え、中学を卒業する頃、90点近い点数を取るようになっていた。「厳しい」と言われていた第一志望の高校にも見事に合格した。


Tさんは文系科目より、理系科目の方が得意で英語にいたってはなかなかのびなかった。間違えた単語を何十回と書かせるのを宿題にして少しは単語力も改善したけれど、同僚に「あの子は追い詰めてまうから、あんまり根ばっか詰めさせるのも・・・」と指摘され、ドキリとした。
この同僚、人の奥深くをいつも怖いほどよく見ている。


それからもなかなか成績は伸びなかったが、塾での学習態度はこちらが驚くほどいつも真剣。めちゃくちゃ集中していた。怠けているわけではないのに、成績を伸ばしてやれない自分に腹が立ったし、どうしたら理解してもらえるのだろうといつも頭を悩ませていた。

Mr.Smith works hard.を現在進行形に直せ、という問題で、Mr.Smithingと書いた彼女のセンスにウケるやら感心するやら・・・したこともあった。


そんな彼女も無事第一志望の高校に合格し、巣立っていった。

まだ覚えてくれているかな?
もう一度顔を見たかったな。



1:3という若干ハードな状況で臨んだ、Yさん・Hさん・Yさん。

中2だったYさんは、大人を信じられなくて、しばしば私に当り散らした。母親が成績第一主義で、しかも母子家庭で、仕事で忙しいせいもあってあまり構ってもらえなかったのだろう。その寂しさをどう表現していいかわからない・・・加えて、意地っ張りのその性格が災いして、なかなか素直に自分を表現できなかったようだ。


暴言を吐かれるのは当たり前。わからないというので、解説を作っていくと要らないと付き返された。テキストには油性マジックで落書きするし、テキストが使えないので控えのテキストをコピーしたのを渡すと、びりびりに破られた。


今ならそんな事、あんまり気にはしないけど、その頃の私にはその子の担当がストレスで、その子を見る日は胃薬が必要だった。

でもストレスであると同時に、その子の力になりたいという思いもすごく強かった。


私は判っている。反抗期なだけ。寂しいだけ。誰かに自分を見て欲しくて仕方ないのだ。


でも判っていても私は力になれなかった。


中3のYさんとHさんは、はじめ突如やってきた私にあまり好意的な態度ではなかったが、次第によく話をしてくれるようになり、高校に受かったときは「先生のおかげ」と言ってくれ、Hさんはホワイトボードにメッセージも残してくれていた。



B大学志望のIさんの指導には若干苦戦したが(私の不得意なテキストだったのだ。教えづらいテキストだった)
B大学でとどまっておくには些かもったいない成績だった。
Iさんは無事希望のB大学に合格した。


   続く

てがみ

塾での授業もいよいよ最終週・・・。

1人1人に手紙をしたためた。1人に1通。私の思いを伝えるには収まりきらない小さな便箋に文字が埋まっていく。


中高時代は3日に1回手紙を書いていたくらい、手紙好きだった。今は忙しいのもあってあの頃よりはだいぶ書く機会は減ってしまったが、その頃に小遣いが許せば買いためていたレターセットはまだわんさかある。

今では「ちょっと子どもっぽいかな・・・」と使うのを少し躊躇うようなデザインの便箋でも、この世代の子どもらには打ってつけとは言え、男子にわんこ柄やハート柄の便箋で書くとおちょくっているみたいなので普通の無地の紙にメッセージを残そうと思うが・笑




私の受け持った生徒に限らず、子どもにはどんな子でも必ず良いところがある。どんなに手に負えない子でも良いところがないんじゃなく、その、つい目立ってしまう悪いところにいいところが隠されて見えないだけなのだと思う。

ちょうど、雨の日でどんなに空が暗くても太陽はないんじゃなく隠れているだけなのと同じように




私はそういう生徒の良いところを探すのが好きだった。どれほど厚い雲に覆われていようが、その中から一筋でも光を見つけたときは、「よっしゃ」と思う。


会話のキャッチボールがなかなか成り立たない小学生も、遅刻は絶対にせずに時間通りにやってくる。遅刻をしないというのは些細で当たり前なことだけど、その些細で当たり前なことを、私を含め大事にできていない人が多い気がする。そんな中、その子のそういうところは大事にしてほしい。


おしゃべりが始まると度々度を過ぎてしまうS&Mコンビ。某講師と揉め、年末にはお互いが喧嘩をしたあのコンビだ。
そのコンビにも1人ずつに手紙を書いた。残念ながらMさんはインフルエンザになり・・・(なんでこんな日に)今日渡せなかったけれど、Sさんに聞くと最終出勤日である金曜には塾に来るはずだから「先生が直接渡してあげて」と言う。彼女の勧めに従うことにして、渡せなかった手紙は私物入れの中に入れてある。


友達思いで、大人びた考えでしっかりしているSさん。たまに中1でそこまで考えなくていいよぉ・・・とこっちが思うくらいだ。そういうところを大いに認め、でもそうして頑張っていると無理をしすぎてしまうこともあるから、そのときは無理をしないでほしい。人間には年齢相応に振舞っていい時期が必ずある。


こちらも大人びた(というかマセた)Mさん。元彼の数は私と10歳違うというのに私の10倍くらい居そうだ。
マセたと言っても芯はしっかりしていて、ちょっと突っ張っていても絶対踏み外してはいけない一線を知っている。そういう賢い子だ。エンジンが掛かるまでにはすごく時間が掛かるし、そういう時はなだめてもすかしても「ふーん」と独特の鼻を鳴らしたような音を出すだけで何もしない。
でも一旦何かし始めたら、そこからの集中力がスゴイどうしたの?と思うくらいめっちゃ頑張る。

短期集中型。


いいところはいっぱいあるのに自己肯定感が低い。「やってもあかん」とか「できんでもいいもん」と言うのはしょっちゅう。

「どーせお前はぐちぐち言ってるばっかで」なんて挑発して、ハングリー精神で上がってくる子もいるけど、Mさんはそういうタイプじゃない。おそらく自分に対して悲観的なのは、半分本音・半分は大人を試しているのだ、きっと。
自分のいいところを大人が見ているかどうか。



そういう手紙に加えて今日はSさんに少し話をした。揉めた某講師とはSさんの方から歩み寄ってもいいのかもしれない、という話に始まった。
きっと問題を起こした先生も今は彼女らのことをそんなにしこりを持ってみているわけではないだろう。
ただ、わだかまりを残す前の状態に歩み寄るには、どんなに精神的に成熟した大人でさえしんどいものだ。何らかのキッカケが必要だと思う。そういうとき子どもの屈託のなさに救われるのであるが、その屈託のなさを出し切るには彼女らは複雑な年頃過ぎた


その話と絡めて、先生は生徒に勉強を教えるけど、生徒も先生と接する中で先生に何か与えて先生を成長させてるんだと伝えた。
私は本当に彼女らの担当をして良かったと思う。初めは「ぅっわ。ニガテなタイプ」と思った生徒たちではあったけど、接する機会が増えるにしたがって、なんだ、言動の全てが100%本音じゃない、と気づいた。

彼女らが大人に対して時々反抗的なのも、大人への甘えの一種なのかもと思う。反抗してもそっぽを向かれない(あるいは向かれても構わない)と思っていなければ反抗はなかなかできないものだし。


そのうちに「この子ら、やっぱりかわいいな」と思うまでにそう長い時間は掛からなかった。


授業はよく脱線するし、塾に喧嘩を持ち込むし、なかなかパワフルな子らだったけど、そういう彼女らと接してて私も楽しかったし、生徒指導をする経験も彼女らに貰うことができた。


年齢が私とさほど変わらない、年の離れた姉とよく話をするせいか、Sさんはそんな退屈な話もきちんと理解して聞いてくれた。




本当に今週が最後なんだなぁ。



最終週第1弾、月曜日。焦燥と共に過ぎた。

凪 ①

「これ(このメンバー)も見納めかぁ・・・」


少し先を行く仲間たちを見ながらH先生が呟いた。


それを聞いたら、改めて寂しくなった。


4回生の多い今のバイト先は、まさに「第二団塊の世代」という感じ。一斉退職は数年前にもあったが、それに次ぐ勢いである。


もちろん、皆新たな門出を迎えるのだから喜ばしいことだ。でも門出の前には別れがある。。



私を含めた2名が公立中学校の教員、その他にも、テレビ局関連の会社、ANA、IBM、IT関連の会社。


こうして書き連ねてみると、皆いいところに就職が決まったのでは・・・と思う。


でも、教員になる私ともうひとりの先生以外、首都圏での勤務。もうあとひと月余りすれば皆関西から出て行ってしまう。そうなればなかなか全員が揃うのは難しい。




私が3年以上今の職場でシゴトを続けてこれたのは、もちろんこのシゴトが好きだったからだが、他にもうひとつ理由がある。



いくら子どもが好きだ。成長発達に携わりたいと言っていても、職場の人間関係が悪ければ長くは続かない。



そういう点で私は非常にそういう人間関係に恵まれていた。だから今までやってこれたのだと実感している。




「めぐさんはどこで働くとかわかんないの?」とH先生。いつもの凄みのある()絡みではなく穏やかな表情だった。

「まだわかんないんですけど、大阪のどっかです」と答えた。



「そうか。どこへでも行っちゃえ」その言葉とは裏腹にその声には温かみがあった。



H先生を含め、関西圏で勤務している数人の先生とは休みさえ合えばいつでも会う事ができるが、それでもやはり大学生活で大学以外のもっとも大きな位置を占めたのが塾でのバイトであっただけに、言いようのない思いが募る。。



帰宅して、軽く胃に食べ物を入れてから、生徒の担当引継ぎ書に少しずつ記入をした。これから時間を掛けて完成させることになると思うが、まずは生徒の名前と担当である私の名前。


こうしてみると、随分多くの生徒を受け持ってきたなぁと思う。
残念ながら担当期間が短かった生徒などは、顔は覚えていても名前を忘れてしまった・・・という子もいるにはいるが・・・・。。



一番初めに担当したのは当時中学1年生だった、KさんとTさん。


Kさんは今も私の愛弟子である。彼女も今や高校1年生。
いつの間にか私より頭1.5個分低かった身長も私とどっちが高いか・・・くらいになり、世の中を見る目つきもしっかりしてきた。
昔はショートカット専門だった髪はロングになり、服装の趣味は昔と変わらないものの、女性らしさがところどころから余すことなく滲み出るようになった。10代の輝きに満ちている彼女を見るのは眩しい。

最近は部活と勉強の両立が難しくなってきたようだ。不覚にもこの間の試験で赤点だったらしい彼女は充分に頑張った。これは私の落ち度でしかない。

バスケ部に所属する彼女だが、バスケ部の女の子・・・にしては筋肉量が少ない。腕や足に無駄な脂肪はなく、筋肉で引き締まっているが、筋肉が鍛えられているという風には感じられない。
元からあまりそういう体質ではなく、体重も増えにくいらしい。

そんな彼女が、走り回ることの多いハードな部活を終えた頃には、疲れ果ててしまうようだ。予復習も疲れ果ててできないことが多いとのこと。




だからと言って、今の彼女に「部活をやめろ」というのは余りに酷だ。彼女にとってバスケは学校生活の大部分を占めているに違いないからだ。
万一、この先、バスケを取るか成績を取るかという判断を迫られたとき、決めるのは彼女自身。


そうならないようにサポートしてやりたいが、もう時間は少ない。



彼女は無邪気に2年からのことや3月の話をする。その度に私の胸には複雑な思いがよぎる。



ごめんね。先生はもうその頃貴女をサポートしてあげられない。



彼女には、少し早めにいつ辞めるのかを告げ、手紙を渡そうと思う。でもまだあと少し、今はまだ時期尚早。



続く
 

葛藤しながら暗中模索

この頃、色々なことを考える。とりわけ塾のことは考え事の大部分を占めている。

思えばもう、あと3回ないし、4回しかそれぞれの生徒を担当できないのだ。4回。短すぎる






1月は「行って」、2月は「逃げて」、3月は「去る」と言う。うまいこと、言ったものだな・・なんて思う。


どうか、私から2月が「逃げる」のではなく、ゆるやかに流れてほしいと思う。私は塾で子どもらと関われる時間をじっくり噛み締めたいから。。



新人の先生も多く入ってきた。3回生のO先生は、どの生徒とも関わりを持とうと担当ではない生徒にでも積極的に挨拶したり声掛けをしている姿が印象的だった。中にはまだまだだな、と思う人もいたものの、何故かそういう人はこの仕事が肌に合わないのかすぐ辞めてしまう。
久々に彼のような、意欲的な人が現場に入ったのでこちらも新たな風を吹き込まれた気分だ。彼のような新人は見ていて清々しい



そんなサワヤカな新人の現れよりも、気がかりなのは無論私の生徒たちだ。


子どもは柔軟な生き物だ。こちらがいくらさびしがっても、子どもも初めは寂しがるかもしれないが、やがては新しい先生に慣れていく。そのうち「前の先生よりもいい」なんて言ってたりするんだろう



だから気がかりは(後任と)馴染めるかどうか、では無論ない。


小4の男子児童。こちらの子にいつも手を焼いている私であるが、最近、どんどんこの子への指導を厳しくしていっている。しかし、それは私の本意ではない。


おそらく塾でバイトする学生のほとんどが、自分の担当している生徒を短いスパンでしか見ていない。1年、2年先の志望校合格であったりだとか、目先の試験での点数を上げることなどだ。


勿論、それは塾の本分だから非常に大事なことだ。でも社会に出てからの人生の方が長い。学校も、所詮は社会に出るための準備機関であるし、学校で学ぶ勉強も人間関係もいずれは社会に出てから必要な力。


だから私は長いスパンで考えたい、と思う。


小4児童に頭ごなしに叱ることは長い目で見たときに決していい方向に行くと言い切れない。仮に表面上いい方向に行ったとしても、それはその子の良さの1つも同時に失わせることになってしまう。


時間を掛けてゆっくりじっくり、その子と向き合いたい・・・が、もう時間がない。。。


上司の意向は厳しく行くことだ。上司はどの生徒に対してもそういう傾向にある。真面目にしない生徒がいれば、たとえその生徒がどのような背景を背負っていたとしても厳しく行くという考えのように思う。


小4児童は、長男で、親の教育熱もあるようだ。きっと一番手のかかる年頃の兄弟が下に居て、家ではあまり構われていないのではないかと思う。「お兄ちゃんでしょ!我慢しなさい」なんていう親があまり言ってはいけないことも、言われている可能性はある。


親思いでいい子だ。親の話を出すと、どんなに言うことを利いていなかろうが一瞬鋭く反応する。そんな優しい子なら判るはずなのだ。
きっと叱られるのをわかっていて、やんちゃな言動に走るのは大人の気を引きたいからだろう。叱られるということさえ、自分に関心を抱いている故の行動だから。

叱っているときにこちらの機嫌を取るように「先生笑ってぇ」と上目遣いにこちらを見るのも見ていていたたまれない。
お母さんは君に関心がないんじゃない。忙しいだけ。それは本人もわかっているだろう。



ならば、叱られるようなことをして気を引くんじゃなく、もっと全うな方法でそれに向かえばいいんじゃないか・・・と思うのだ。・・・が、これは私の憶測に過ぎないが、その子はもう、成績などではずば抜けられないことを認めてしまったのではないか。上には上が居る。どこまで言っても。だからいい点を取ったり真面目にするにしても、並みのレベルでは周りの大人はそれを「普通」と捉える。それなら困らせて自分に関心を持ってもらおうとするのではないか。



私の考えすぎであることを祈るばかり。


毎週毎週疲れた小さな体に不釣合いな大きなリュックを背負って塾に来ることだけでも本人には褒められるに値することだと思う。


でも周りの生徒に迷惑を掛けているのは変わりないから、そこはわかってほしい。



時間がないからこちらも焦る。でもきつく叱るしか方法はないのか。短い時間で諭すことができないのは、指導力不足でしかないのか。
その子なら判るはず。だって根はすごく賢いもん



あと4回の授業で私に何ができるのか。
私の選んだ方法がその子の将来にいい影響を残すのか。
それがわからないから、教育は面白い。
それがわからないから、教育をするのは時に心細い。


葛藤しながら暗中模索は、最後まで続きそうだ。。

叱ること、叱られること

昨日は何年かぶりくらいに「いてもうたろか」(表現汚くてすみません)と思った日だった。






前にも書いた、LDを疑ってしまう中1の女の子。彼女の口から思いがけない言葉が飛び出して私は呆気に取られてしまった。


分数の入った簡単な方程式でさえしようとしないので、「できるのにやってない」と思い、手間は掛かるがきちんとしなさい、と言った時だった。


「冬期講習の時もなー、分数の計算するの面倒くさかったからやらんかった」


とあっけらかんと言ってのけた。私が信じられなかったのは「冬期講習の時」というところだ。まさかと思い聞いてみた。

「家で宿題するときじゃなくて、先生が横におるときに?」


すると悪びれる様子もなく、あっけらかんと「うん」と答えた彼女。開いた口が塞がらないとは、このような時に使いたくなるものらしい・・・。


思わず冬期講習を受け持った先生の顔が浮かんだ。
この教室に来たばかりで「良い子だが、問題に一切手をつけない」と悩んでいた。私はそんな先生に「あの子はいつもああだから(自分のせいだと)気にしなくていい」と伝えたが、それでもやはり、複雑な表情を浮かべていた。


ひとりひとりに細かな目配りがしづらい集団授業と違い、個別中である。「作業をしない」「問題を解かない」というのは、生徒がわからない場合以外はあまりない。


真剣に授業をしている講師を相手に、「面倒くさかったからやらんかった」

純粋に腹が立った。それでその講師は真剣に悩んでいるのにその気持ちを踏みにじるような行為である。
それに、そんなようでは塾に来る意味がない。講師の解説聞き放題・質問し放題の時間に、面倒だからという理由で自ら問題をせず、見かねた講師が一緒に進めた問題だけ解いて帰るのは、時間とお金と講師の努力をドブに捨てているようなものだ。
それならば家で寝ているほうがよほど有意義な時間の過ごし方ではないか


「先生がいてる前で『面倒やからせん』っていうのは、自分が賢くなるチャンスを自分で捨ててることになるんやで
と些か語気を強めた。ほかにも塾に何しに来てるのよ、とか、彼女を叱る言葉を並べ立てた。


私も子どもは遊びたい生き物だ、というのは重々理解している。自分自身も曜日と時間をガッチリ固められた塾はあまり体質に合わず、ずっと通信教育の教材でテスト対策や日々の学習をしていた。それでも同級生の誰より遊んでいたと思う。
だから、あまり勉強しない子にがみがみ言いたくはない。

しかし、彼女の場合は基礎的なことも理解しておらず、テストでさえ手間のかかるものや手順をいくつも踏まなければ答えを出せないようなものは「面倒くさい」と言って、解答欄は真っ白。


それで1ケタを取ってくるのだから、重症である。わからなくて白紙ならまだしも、テストをすること自体面倒くさいのだ。    どうすべ、これ。。。


わからないものはゆっくり理解していけばいい。
でもわかるものはどんなに手間がかかろうが、解くクセをつけてほしい、と思う。



しかし、こんなことは序の口で私のはらわたが煮えくり返ってごうごうだったのは、ここからだ。


彼女に注意し始めた私だったが、当の彼女はわかっているのかいないのか、げらげらと爆笑し始めた。


思わず私は目をまんまるにしそうになった。叱られていてはにかんだり、罰が悪そうに笑う子はいるが、叱られているのに爆笑する子は今日まで見たことがない。


「なぁ、自分叱られてるんやで。わかってるん」と声から一切の感情を排除して言ってみた。

彼女は「わかってるよ」と言いつつ、笑い声はどんどん大きくなる。しかも私の顔と真逆の方向を向いたりする。


元々話を聞くときに人の顔を見る、ということが出来にくい子であったが、今回は私もさすがに腹が立って、


「話聞くときはどこ見るんやったっけ?」というと、「顔やろ」と爆笑しながら言う。

それでもこちらは見ようとしないので、腕を取って「わかってるやん。ほなこっち向けや」と彼女に無理やりこちらを向かせようとすると、「待って待って。目ぇ痛い~」



顔を見ると笑い過ぎて涙を流している。叱られて涙を流すほど・・・・・笑う子は彼女が初めてだ。


「学校の先生に叱られたときも、そんな態度取るんか」と詰問すると、「取らない」と言う。



私が、特に子どもからナメられるような叱り方をしている・・・というわけでもないと思う。現に、隣で数学を受けていたMさんが神妙な面持ちでこちらをずっと見ているのだ。Mさんが叱られているのではないのに・・・。


腹が立つというのも、渦巻いた感情の1つだが、それより大きかったのは「この子、大丈夫かな」という思いだった。

叱られてあんな笑い方をする、というのは、叱っている相手を馬鹿にしているか、さもなければ叱られていることが理解できないときだ。
それ以外に笑う理由があるなら、何がそんなにツボにはまるのかわからない



自分が叱られる理由が理解できるなら、それ相応の真摯な態度を見せなければ周囲からの評価はますます下がる。反省していない、とも取られかねない。そうすれば、本人にとって事態は一向によくならないのだ。



叱られ終わったら、「あ~おもしろい」と言う有様。私、噴火寸前やったんですけど?



人をナメくさんのもええ加減にしとけよ(本音)




事の一部始終を見ていた上司も「愕然とした」と言い、「もっと叱ってもいいですか?」と私が問うと「先生、机たたいてもいい。『バン』って」と実際叩く振りをする。


上司の叱っていいという許可が出たところで、来週以降化けの皮を剥ぐことにした。
怒ったときの私の本性が出る可能性も大いに出てきた。

さすがに、生徒を叱る、という教育の一環での「指導」なので、ここに書いてるみたいな汚い言葉は使いませんが、汚くなくてもキツい事はたっぷり言ってやろうと思います。怒鳴りつけるのも視野に入れて。一回、本気で叱られなければわからないようだから。


本人のためです。人の話が聞けない大人になってほしくないから。コミュニケーションは社会に調和する大事な条件。それが欠如しているようでは、良い社会生活が送れるとは思わない。


最近友達などに対し、『死ね』と言うことはほとんどなくなってきたから良い兆候だな、と思っていたのに、まだまだ課題をばらまいてくれる子です


私、もうあとひと月で塾を退社するんですけどぉ~。後任の先生を思うと、気の毒でならない。


「人を叱る」と言う行為は、慣れなければ出来るものではないから。


私も教育実習に行った当初は「何を叱るのを躊躇してるの」と指導教諭から説教された。実習で生徒に注意する機会が結構あって、大変な子を受け持ったのはその後だったから、まだ今、こうして叱ることが出来るんだろうな、と思う。


きっと19や20で、今の生徒たちを受け持っていたなら、毎日胃薬が必要だったろう。


今だから、あの頃よりうまく向き合える。それに気づいたら、私もあの頃よりは若干は成長したのかな、と思う。

大人が忘れてきたもの

習慣とはおそろしいもので、冬期講習が終わったというのに朝の6時に目が覚めてしまった


冬期講習最終日の昨日は、ちょっとしたハプニングがあった。

京都方面の電車が人身事故の影響で大幅に遅れ、教室管理をする上司が出勤時刻に間に合わないという事態が発生
仕事始めの、しかも通勤ラッシュの時間帯になんで事故なんて起こすんだよ・・・とツッコミたい。。


私もその事故の影響で10分弱遅れたのだが、教室に着くと同僚のO先生がビルの管理人から借りてきた鍵で教室を開けようと試みていた。・・・が開かない。。


もう一度管理人に別の鍵を借りてきたが、それも開かない。いつも早起きして先生の次に早く来るTくんがその様子を見ている。


三度目の正直。O先生はデカいジュラルミンケースを抱えて現れた。ビルの管理人が面倒に思ったらしく、ビル内に入っているテナントなどの鍵をすべて渡した、と言うのだ。


「どんっだけ適当やねん!!」


みんなのツッコミが飛ぶ。。笑


結局マスターキーで教室を開け、エアコンをつけた。しかしやることは山積み。PCを起動させなければ生徒の入退塾の記録が取れない。とりあえず電源を入れてみた。


パスワードを聞かれた。知るか



と、そこへ電話が。   電話応対ニガテなんだよな~。。だってウチの塾の名前噛みそうだし
しかしかかってきた電話に出ないわけにいかない。


電話に出ると、


笑   めぐさん先生?   あ、よかったー先生、全然電話応対できる


上司からだった。噛まずにいえてよかった



上司からPCを起動するパスワードを聞きだし、PCがやっと立ち上がる。授業が始まったら電話は受話器をあげておいてよいと言われたので、担当の生徒が来たら遠慮なく外線ピ あはは、居留守


その間かかってきた電話は上司を除き、2件。いずれも電車の遅れで、出勤に影響のある講師からだった。
保護者からでなくてよかった


なんとか大幅な混乱は避けられたものの、慣れないことをすると肩が凝りますね・笑



色々と書きたいことはあるのだけど、今日は塾の話でまとめようかな

・・・つづきはこちら

不透明な真実

はじめこそ眠いばかりだった朝型勤務の冬期講習にも慣れてきたw
普段担当していない生徒の特徴もようやく掴めて来た、折り返し地点の昨日。



小さな事件が起きた。





通常授業でも担当している中1の女の子2人。2人は幼馴染のようで中学も同じクラス。

容姿端麗でネコのような雰囲気を持った髪の長い子(Mさんとしよう)と、人懐っこく、笑顔で元気のいい子(Sさん)。一見対照的な2人だが、実に仲がいい。朝が弱いMさんをSさんがモーニングコールして起こして一緒に来ることもしばしば。
その仲の良さは見ていてほほえましい



欠点はほとんどないが、唯一あるとすればおしゃべりが多く、なかなか演習をこなせないこと。

そして時々おしゃべりの度が過ぎてしまうこと。講師たちも気がつけば注意をするのだが、注意をしても一旦ヒートアップしたものは下がらないこともたまにある。


そういう子もいる、という事実を私は前々から身を以って知っていたので一旦2人の性格がわかってくれば、そういうときの扱いにも慣れた。

はじめは授業中にケータイを触ったり、机の上に置くなと注意したが「△先生はいいって言ったもん」の一点張りでなかなか机上からかばんに戻そうとしなかったが、この頃は「ケータイ出てるで」というだけで、片付けるようになったし、ケータイを事あるごとに触っていたMさんも私が横からケータイを閉じると、ぶーぶー相当の文句は言いながらもポケットにしまうようになった。
本当はMさんもかばんの中にしまうように指導したいけれど、何を言っても利かなかったはじめの頃に比べればポケットに入れるようになっただけ、大きな進歩かなと大目に見ている。


たまに「若干騒音だよ」と言いたくなる話し声も、「ちょっとうるさいで。もうちょっと声落とそう」と言えば、すぐに応じる素直さも見せる。ただ、そのままほうっておくとまた声のボリュームが上がってきてしまうので、その都度言い聞かせる根気は必要だが、言うことを利かない子よりはずっと良い子たちだ。



演習量は少なくとも確実に押さえていくようにさせ、同じ間違いをするたびにそれを正す。それでも苦にはならない。最終的に自分の力にしてくれるなら、同じことを何回言ったってかまわない。




昨日の授業中、Sさんが「なぁ先生。ウチらと喧嘩したらどーする?」と聞いてきた。

私の発した第一声は「はぁ?」だった。前後の文脈からはありえない話だし、そもそも「喧嘩」という表現が引っかかった。
一応彼女らの「先生」である私が「生徒」である彼女らと「喧嘩」をすることはありえない。


喧嘩というのはお互いが対等な立場で争いをしたときの場合に用いる言葉だから。「先生」と「生徒」で万が一、「喧嘩」をしたならば、それは先生の対応が悪いのでしかない。


だが、相手はまだ中1。そこまで深く考えて言葉を選んではいないだろう。


「まぁ、喧嘩はしないと思うけど。。私に注意されたりすることを言ってんの?」


「静かにしなさい」なら何度も言ってるけどなぁ。そのことではないだろうし



「もし、もし喧嘩したら、次の週まで引きずる?」と不可解なことを聞いてくる。



「喧嘩」の原因や内容にもよるが、注意や叱るというのは悪いことをしたその場で叱らなければ意味がない。あとになってうだうだ言ったって、子どもは「悪いことをして叱られた」ではなく「過去を蒸し返していやなことを言われた」で終わるのだ。



私は話をしなければならない問題なら、次の週にも話をするかもしれないが、その場で終わることなら次からは(おこらずに)何もなかったように振舞うと答えた。


たとえ、どんなに腹がたつことを言われようがそれでいちいち不機嫌さを引きずっていては「先生」をする資格はないと私は思う。



すると、「ふうん」と2人ともが意味ありげな表情を浮かべる。自分にとって都合の悪いことを隠すのはうまいのに案外こういうところの表情は素直に出るんだな、なんて思いながら、なぜそのようなことを聞くのか尋ねた。



最初はお決まりの「別に~」を口にしていた彼女らも、「なんで、気になるやぁん」と私が突っ込むとあっさりと話し始めた。一応そうは言ったものの、本当は聞いてもらいたかったんだなというのがすぐにわかるくらい素直な話し始めだった。



「でもな、ひきずる大人がいるねんなー」とSさん。


あらゆる予測ができた。姉と喧嘩したのか。学校で教師ともめたのか。はたまた親との喧嘩か。どれもよくあることだ。




話を5分と聞かぬうちにピンときた。同じ塾の某男性講師のことだった。彼は私の前任で彼女らに英語を教えていたが、先生と彼女らが合わなかったので私が後任になったと上司から聞かされていたからだ。


合わなかったと聞いてから、なんとなくその様子が想像できた。先生のほうはと言えば、真面目と誠実、優しさが服を着て歩いているみたいな形容が似合う人だったし、その反面、彼女らはやんちゃ極まりない。真面目な人からして見れば、高い月謝を払って通っておきながら、ぴーちくぱーちくおしゃべりをして、先生をからかって勉強をそんなにせずに帰っていく彼女たちを理解できないのも、まぁわからんでもない。



しかし、「合わない」の度合いは私の想像をはるかに超えていた。      続く

・・・つづきはこちら

無力な海の底

今日はいつもより疲れた1日だった。

水炊きをしようと、椎茸やら白菜やら鶏肉やらを買っていたのに作る気力もなく、コンビニで飼ったドーナツをかじっただけで今に至る


久しぶりにシゴトでのストレスを家に持ち込んでしまった。憂鬱なこと、この上ない。



今日は何故か自分でも原因はわからないし、特別な事が起こったわけでもないのだが、なんとなくイライラしていて、懐っこい生徒の話も、生返事で聞いていたように思う。しかも、そういう自分もきちんと自分で客観的に認識できていて、心の中では「あかん。もっとちゃんと身を入れて話を聞かな」と思ってもいるのだ。


今回頭痛の種となっている生徒は、前にこのブログでも書いた勉強面だけでなく生活指導も必要な中1の子である。
若干精神的発達は私が今まで見てきたどの中1よりも遅いけれど、まぁ、これは根気で臨むしかない。なにかきっかけがなければ、人の精神的な発達なんて飛躍的には伸びはしない。徐々に徐々にだ・・・。。




それより今回頭が痛いのは、どうもその子にLDの気があるのではないかと懸念され始めたからだ。

私は少しやんちゃな子を過剰に反応してLDだ、ADHDだ、アスペルガーだと無闇にレッテルを貼りたくない。今受け持っている小学生も上司からは多動でなかなか手ごわいと聞いていたが、実際接してみれば、確かにやんちゃではあるが、多動と言ってもADHDのように病的なものではなく、その年頃にはごくありがちな様子であった。ましてや生徒が塾に興味や行くことの意義を見出していないなら尚更だ。


その子を見るたび思う。「多動って言うても全然普通やん」と。思わず「くそガキぃ」と言いたくなるような子だって、クラスにひとりふたりはいるだろうし、他人に迷惑をかけない限り、子どもと言うのはそれくらい元気な方が良いと私は思う。


故になんでもかんでも学習障害のレッテルを貼り付けてしまうのは好かない。周りが正当な病名をつける事によって安心したいだけだ、と思う。


ただ、本当に本人がLDなりADHDなりをわずらっていて、それで社会集団に溶け込めずに真剣に悩んでいる場合なんかはそれが病気なのだということを教えてあげた方がいい場合もある。
一昔前だと「親のしつけが悪いから」などと言われる時代もあったし、本人も集団に溶け込めないのは自分が悪いのだと自責の念に駆られることもある。そういう場合は、それは病気の一種だということによって親子ともども自責が軽くなる場合もあるからだ。



元々他人とコミュニケーションが取りづらい(本人は取る気満々だが、発言や言動が個性豊か過ぎるため、周囲に「何この子」と思われやすい)ところはあったものの、まぁLDに値するほどではなく、これからの周囲の働きかけで改善の余地は充分にある・・・が問題は文章理解能力。


LDをご存じない方のために説明しておこう。
LDとはLearning Disorderの略で、学習障害と訳される。

その定義は学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する
又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。



このうち、その生徒に欠落していると思われるのが「読む力」と「推論する力」


漫画も読まないほどの文章嫌いだというし、これを言えば周囲がどう感じるかとか、これをすればこうなるだろうと考える力が乏しい。

今日、だいぶ前から繰り返し繰り返し教えている簡単な方程式や代入さえ、授業中に何度も説明しても自分ひとりではできないものだから、内心イライラは募る。

宿題を増やすようにという生徒の母親からの要望で、その子には少し多いだろうと思われる量を出したのだが、母親や私の上司の前で約束したこともあってか、きちんと出された宿題はしてきてはいた。

一瞬、とても喜んだ私であったが、答え合わせを進め、解答をじっくり見ていくともう泣きたくなる。

元々文章が嫌いだから、文章題をよく読まないのはまだ理解できるのだが・・・


「yはxに比例し、x=●の時、y=▲です。x=■のときのyの値を求めなさい」

こんな短い問題文でさえ、まるで読んでいない。そこに出てきている数字を適当に組み合わせて答えにしているのだ。彼女の解答は理論によって導き出されるものでなく、創造性によってである。


この問題文をさらに噛み砕いて意味を教え、(意味とか大層なもんはこの問題文の中にないけど)y=axという公式を繰り返し繰り返し教えて、xの値とyの値を代入してaの値を出して・・・と何度も何度も一緒にやってみせる。しかし、彼女は問題を理解しようとしない。というか、「じゃ、ここでのxの値は何だった?」と問題文からそのまま抜き出せばいいものでも、まったく違うxの値が出てきたりする。彼女、x=●というものさえ読んでいない。(見えてはいるが、それを自分の中で意味づけできていない)


私自身が結果を出さなければと焦っているせいもあるのだが、イライラは募るばかり。この文章理解能力の欠如、人と話をするうえでも困るんじゃないだろうか。
しかも、彼女、付きっきりで見ていなければ、1字も書かない。誰かが横についてしなければ、ぼーっとするかきょろきょろするか、なのだ・・・


しかし、完全な個人指導ではなく、ウチの塾は基本的には先生1人に生徒が2人。彼女の時間のもうひとりの生徒は偏差値65を越える優秀な高2生。しかし、優秀だから放っておいていいわけもなく、優秀であればある分狙う大学もまぁそこそこ難しいところだし、こちらとしても教えられることは1つでも多く教えたいという気持ちがある。
でも彼女にかかりっきりになってしまう時間が自ずと増えてしまうので、順調に高2生が問題を解いているのをいいことに放置・・・にならざるを得なくなってしまう。
結局、高2生には、問題解かせる答え合わせ間違えたところの解説を機械的にこなす余裕しかない


もっと文法の奥深さにも触れてもらいたい。長文ならばただ単に意味を訳すだけで満足せずに行間を汲み取る力や出題文に関連した話もしたい・・・・でも出来ていない。



しかも、その高2生の解説や成績の大事な話をしているときでも、彼女は割り込んでくる。



「空気読めよ」と言いたくなるが・・・はぁ


彼女にたくさん宿題を出しても、やってくるからページは消化できるものの、結局間違えた箇所の解説で1コマが終わってしまう。イタチごっこだ。



彼女と接することは楽しい。しかし、高2生へのきめ細やかな指導ができないことへの葛藤は大きい。



私がいくらLDじゃないかと思っても、LDなのか、ただ勉強が苦手なのかどちらかという判断は、その道の専門家でないと判断が困難だ。これから先も推論力うあ文章理解力の人並みはずれた欠如が続いていくようであれば、一度専門機関に受診してみるのも手だと思うが・・・私にそんなことを提案する時間も期間もない。


本当にLDだった場合、専門機関で訓練することによって、だいぶ社会に適応し易い状態に向けていくことも可能だ。





久々に自分がひどく無力で小さい人間に思えた。「先生」なんて呼ばれるほど私は偉くない。

一人ひとりに私は何もできていないではないか。



そんな思いの底に沈んだ。

A LITTLE HARD FRIDAY

金曜日は、毎週毎週とある生徒を諭すことに始まり、諭すことに終わる。


内容はといえば、毎回同じようなことばかりだ。


それでも毎回言わなければならない。


そのことが嫌ではないが、もうそろそろ判ってくれないかな・・・というのが本音



私はいつも子どもに、叱られて自分が悪いのにそれを3回以上するのはダメだ・・・というポリシーを貫く。
人間は猿ではないのだから、一度言われて「はい、わかりました」といえば同じ過ちを故意にしてはならないと。

でもその子は3回どころの騒ぎでない。もう、何回言った事か。でも彼女の脳はストレスを溜めない構造になっているらしい。
一度叱られても、数時間すれば叱られたことをリセットしてしまえるらしい。羨ましい限りだなんて冗談はさておき、(でもちょっと本音・・・)それでも根気良く伝え続けるしか、今の私にできることはない。



成績は悲惨極まりなく、それでも本人が危機感を持っていない。宿題はやってこない。
精神年齢は実年齢より3~4歳は下で、発言や私や他の講師への甘え方は小学生のそれである。



成績だけではなくて、トータルで指導していかねばならないことが多すぎる。



どうも親が過保護らしい。  以前あまりの成績の悪さに、こちらも心を鬼にして宿題を多めに出したら、問題集を床に放り投げて、「嫌やあ~」



あんた、年いくつやと思わずツッコみそうになってしまった。



「泣くで」とか「おかーさんに言うもん」を武器にする。泣けば?言いつければ?


そんなことで私がビビるとでも思ってんの?どちらが悪いかは明白だ。



「嫌だ」と言えば、泣いたら、すべてまかり通ると思っている。

実は私、そういう考えの子が結構嫌いだ友人なら敬遠するタイプだろう。



でも相手は生徒。不思議と私、この仕事を始めてから、生徒の好き嫌いは一度もない。もちろん、人間だから多少相性の合う・合わないはある。けれども生徒を「好きだ」とか「嫌いだ」とかカテゴライズしている時点で、その人はこの仕事を辞めるべきだと思う。
まだ子どもで可能性もある。それをいい方向に導くのが私の仕事であり使命だ。


今まではそれでまかり通って、嫌なことを避けてきたかもしれないけれど、私にはそれは通用しないし、通用させない。


すべきことをしなくてもどうにかなると思っている。まずはそこから正そうと思い、「嫌だ」と言っても一切折れないという基本的なところから始めた。向こうがこちらをどうにか緩和させようと時折にへらっと笑ってみせるが、本当に諭さねばならないときはこちらは絶対笑わない。こちらが本気だとわかってもらうために。


今日も提出すべき作文が半分もできていなかった。本人は案の定、ぐだぐだぐだーーんと何とかしなくていいようにと、あの手この手で主張してくる。しかし、私は鉄の壁だ。倒せるもんなら倒してみろ

理屈で攻めるのには自信がある。小さい頃から周りの大人に「あぁ言えばこう言うめぐちゃん」と呼ばれていたくらいだ。笑


彼女は家で必ず書くから帰らせてくれと懇願するが、書くまで帰ったらあかんを貫いた。彼女「家でちゃんとやる」と言って、付き添ってみてくれる人がいなければ、ちゃんとしてきた試しがないのだ



出すべきものの記述を守らないのや、すべき課題をしてこないのは今だけのモンダイでは済まされない。高校に行っても大学に行っても、社会に出ても付きまとう。


紙切れ1枚を出した・出さないで自分の人生が180度変わることもまぁないことはないし、社会に出たらそれが自分の問題だけでは済まされなくて、会社や誰かの損害にもなり得る。



まだ中学生だから、そんなことまで考えなくても・・・と思うかもしれないが、将来をも見据えた長いスパンで見ていかないとその子のためにはならない。


学生でいるのは、人生のうち、長くてもほんの15年ないし、20年だ。あとの40年は社会という場で働かねばならない。そしてそうなれば、することの責任は自分がとらねばならない。
学校生活は、学力の他に、そんな責任能力を育てる場でもある。



自分が一方的に叱られることに理不尽さを隠せない様子だったので、「やってきてないのだから叱られて当然」と言うと、いくらか堪えたようだった。


また、多くのほかの子どももそうなのかもしれないけれど、叱られる=自分のことが嫌いだから叱るのだという認識をしてしまっている。
本当に嫌いなら、叱ったりすらしないという事をまだ気づくには幼いのだろうか。


伸びて欲しいと思うから、悪い面は改めて欲しいと願うから叱るのだ。



でも、それは彼らが、正しい叱られ方をしてこなかったからかもしれない。

何故怒っているのか、叱っているのか。その理由を明確にしなければ、子どもはただ怒鳴られて嫌なことを言われた・・・で終わってしまう。これこれこうこうが悪いから、だから叱っているということを的確に伝えねばいくら叱っても意味がない。

でも最近の大人は、自分の虫の居所が悪かっただけでも無意味に叱る人も多いから・・・。。


この間も後ろの補助カゴに子どもを乗せて走っているお母さんが、子どもが持って遊んでいた靴を落としたことに腹を立て、怒鳴りつけて子どもを降ろし、子どもが靴を拾いに行っている間に自転車で自分は先に走り去る・・・という光景を見た。


走り去る母親に気づいて、子どもは片手に靴を持ったまま、靴下のままで「ママーーー!!!」と泣きじゃくりながらその後を必死で追う。


みていて辛い。



もちろん、母親としては別において行く気もないだろうし、少し子どもの頭を冷やしてやるくらいのつもりなのだろうが、にしたってやり方がある。


大人にその気がなくても、子どもは自分を置いて母親が走り去ってしまったら、それは「捨てられた」に等しい。
背中を見るその瞬間の気持ちを思うとたまらない。


さらにその場所は道幅が狭いにも関わらず、ドライバーのマナーが悪い場所。そんなところに子どもをほうっておく母親の気が知れない。私でさえ、車と接触しかけたことが何度かあるのに。。まだ歩くのさえやっとの子の危険ははるかに多いのに。。。



話はそれてしまったが、今日も嫌いだから叱るのか、という問いに、好きだとか嫌いだとかそういう事で叱っているのではなく、純粋に「するべきことをしなかった」ことに対して叱っているのだと言うと、きょとんとしていた・・・うーーーむむむむ



そういう子でも、まったく伸びていないかと言えばそうではない。


成績は相変わらずだし、今日は書いた作文を読んで思わず同僚と絶句したが、姿勢は僅かながら変わりつつある。それまでは宿題を「やってきなさい」といわれても、やらなければとすら思っていなかった子が、手の空いている講師に「教えて」と言って少しやって帰るようになった。出来れば家で自分でするのが望ましいけれど、これでも大きな進歩だ。

そして、今日提出しなければいけなかった課題に関しても、「やり終わるまで帰ったらあかん」と居残りさせていたが、嫌で嫌で涙をぽろぽろこぼしながらでも、机に向かい続けた。その根性、前はなかった。


少しずつのびてはきているから、それで良しとしたいけれど、まだまだ改善したいところはたくさんで、私があそこで働けるのはもう僅かだ。
どちらかと言えば、講師にとっては「担当しづらい生徒」の上位に入るだろうから、学業成績云々のことは別にして素行・態度面まで事細かに言ってくれる人はすくないだろう。それに、塾の業務には生活指導は入っていない。
だから尚更、私が出来る範囲で最大限の事をして退職したいと思うのだ。


「お風呂に入る重要性」   みなさんならどう教えますか?笑



数学とはまったく関係ないけどな~苦笑


でももう思春期。自分の身なり(飾ることじゃなく清潔感とか)にも気を遣ってほしい。たまに体臭気になるときもあるし。学校の同年代の友達なら、そういうのに過剰に反応する年頃でもあるからいじめとかにもつながらないように、お風呂には入ろうよ・・・と思う。。爪の中もアカだらけだし・・・。女の子なのよ。。好きな子だっているんでしょ。。。。

確かに私も毎日毎日お風呂に入るのが面倒くさいときだってあるけれど、それより入浴してない状態で人前に出る嫌悪感の方が勝る。あの子にまだそういう気持ち、ないのだろうか。

それよりお母さん、「お風呂沸いたから早く入りなさい」とか言わないのだろうか。
私なんて「追い炊きするのがもったいないから、とっとと入って」なんてよく言われたけれど・笑


ネグレクトでもなさそうだから、お風呂くらい沸かしてくれるでしょう。。



万一沸かしてくれなくたって、私の実家みたいにバランス釜式のガス釜じゃなくて、ボタンひとつで「ピ」だろうから小学生でも沸かせるだろうが。。


ほんと、給湯器って便利だよね。一人暮らしするとき、ウチのマンションの契約書に「給湯:都市ガス」って書いてあって、父に「えぇ~ウチのみたいに『ボンっ』って言うん~~怖くて毎日ひとりでよう沸かさんやん」って言ったら、「アホ。今のは蛇口ひねったら湯出てくんのよ」


・・・・・・・。(一人暮らしするまで現代文明を知らなかった人。。)


大いに蛇口をひねるだけ。。。に甘えております。実家みたいなガス釜なら一人で住めません。銭湯を探す日々でしょう・・・笑


今のとこは、お湯の蛇口とお水の蛇口の混合栓で、自分の好きな加減にその両方を調節するタイプやけど、今度は願わくば、温度を設定すればその温度の水(お湯)の出る蛇口のマンションに住みたいです。。


混合栓って、水を出してからお湯を出す・・・とかお湯を止めて水を止めるが基本じゃないですか。。。

たまに混合栓を一度も触ったことない友達が泊まりに来ると、「めぐさん家、熱湯が出るーーーーーー」なんて風呂場から助けを求められるんです笑     キッチンの蛇口と使い方一緒って言うと大抵慣れてくれるけどね


話はそれたけど、課題はまだまだ。。でもなんだか、そういう子どもと接するのもなかなか楽しいんですよ

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