忍者ブログ

Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

無力な海の底

今日はいつもより疲れた1日だった。

水炊きをしようと、椎茸やら白菜やら鶏肉やらを買っていたのに作る気力もなく、コンビニで飼ったドーナツをかじっただけで今に至る


久しぶりにシゴトでのストレスを家に持ち込んでしまった。憂鬱なこと、この上ない。



今日は何故か自分でも原因はわからないし、特別な事が起こったわけでもないのだが、なんとなくイライラしていて、懐っこい生徒の話も、生返事で聞いていたように思う。しかも、そういう自分もきちんと自分で客観的に認識できていて、心の中では「あかん。もっとちゃんと身を入れて話を聞かな」と思ってもいるのだ。


今回頭痛の種となっている生徒は、前にこのブログでも書いた勉強面だけでなく生活指導も必要な中1の子である。
若干精神的発達は私が今まで見てきたどの中1よりも遅いけれど、まぁ、これは根気で臨むしかない。なにかきっかけがなければ、人の精神的な発達なんて飛躍的には伸びはしない。徐々に徐々にだ・・・。。




それより今回頭が痛いのは、どうもその子にLDの気があるのではないかと懸念され始めたからだ。

私は少しやんちゃな子を過剰に反応してLDだ、ADHDだ、アスペルガーだと無闇にレッテルを貼りたくない。今受け持っている小学生も上司からは多動でなかなか手ごわいと聞いていたが、実際接してみれば、確かにやんちゃではあるが、多動と言ってもADHDのように病的なものではなく、その年頃にはごくありがちな様子であった。ましてや生徒が塾に興味や行くことの意義を見出していないなら尚更だ。


その子を見るたび思う。「多動って言うても全然普通やん」と。思わず「くそガキぃ」と言いたくなるような子だって、クラスにひとりふたりはいるだろうし、他人に迷惑をかけない限り、子どもと言うのはそれくらい元気な方が良いと私は思う。


故になんでもかんでも学習障害のレッテルを貼り付けてしまうのは好かない。周りが正当な病名をつける事によって安心したいだけだ、と思う。


ただ、本当に本人がLDなりADHDなりをわずらっていて、それで社会集団に溶け込めずに真剣に悩んでいる場合なんかはそれが病気なのだということを教えてあげた方がいい場合もある。
一昔前だと「親のしつけが悪いから」などと言われる時代もあったし、本人も集団に溶け込めないのは自分が悪いのだと自責の念に駆られることもある。そういう場合は、それは病気の一種だということによって親子ともども自責が軽くなる場合もあるからだ。



元々他人とコミュニケーションが取りづらい(本人は取る気満々だが、発言や言動が個性豊か過ぎるため、周囲に「何この子」と思われやすい)ところはあったものの、まぁLDに値するほどではなく、これからの周囲の働きかけで改善の余地は充分にある・・・が問題は文章理解能力。


LDをご存じない方のために説明しておこう。
LDとはLearning Disorderの略で、学習障害と訳される。

その定義は学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する
又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。



このうち、その生徒に欠落していると思われるのが「読む力」と「推論する力」


漫画も読まないほどの文章嫌いだというし、これを言えば周囲がどう感じるかとか、これをすればこうなるだろうと考える力が乏しい。

今日、だいぶ前から繰り返し繰り返し教えている簡単な方程式や代入さえ、授業中に何度も説明しても自分ひとりではできないものだから、内心イライラは募る。

宿題を増やすようにという生徒の母親からの要望で、その子には少し多いだろうと思われる量を出したのだが、母親や私の上司の前で約束したこともあってか、きちんと出された宿題はしてきてはいた。

一瞬、とても喜んだ私であったが、答え合わせを進め、解答をじっくり見ていくともう泣きたくなる。

元々文章が嫌いだから、文章題をよく読まないのはまだ理解できるのだが・・・


「yはxに比例し、x=●の時、y=▲です。x=■のときのyの値を求めなさい」

こんな短い問題文でさえ、まるで読んでいない。そこに出てきている数字を適当に組み合わせて答えにしているのだ。彼女の解答は理論によって導き出されるものでなく、創造性によってである。


この問題文をさらに噛み砕いて意味を教え、(意味とか大層なもんはこの問題文の中にないけど)y=axという公式を繰り返し繰り返し教えて、xの値とyの値を代入してaの値を出して・・・と何度も何度も一緒にやってみせる。しかし、彼女は問題を理解しようとしない。というか、「じゃ、ここでのxの値は何だった?」と問題文からそのまま抜き出せばいいものでも、まったく違うxの値が出てきたりする。彼女、x=●というものさえ読んでいない。(見えてはいるが、それを自分の中で意味づけできていない)


私自身が結果を出さなければと焦っているせいもあるのだが、イライラは募るばかり。この文章理解能力の欠如、人と話をするうえでも困るんじゃないだろうか。
しかも、彼女、付きっきりで見ていなければ、1字も書かない。誰かが横についてしなければ、ぼーっとするかきょろきょろするか、なのだ・・・


しかし、完全な個人指導ではなく、ウチの塾は基本的には先生1人に生徒が2人。彼女の時間のもうひとりの生徒は偏差値65を越える優秀な高2生。しかし、優秀だから放っておいていいわけもなく、優秀であればある分狙う大学もまぁそこそこ難しいところだし、こちらとしても教えられることは1つでも多く教えたいという気持ちがある。
でも彼女にかかりっきりになってしまう時間が自ずと増えてしまうので、順調に高2生が問題を解いているのをいいことに放置・・・にならざるを得なくなってしまう。
結局、高2生には、問題解かせる答え合わせ間違えたところの解説を機械的にこなす余裕しかない


もっと文法の奥深さにも触れてもらいたい。長文ならばただ単に意味を訳すだけで満足せずに行間を汲み取る力や出題文に関連した話もしたい・・・・でも出来ていない。



しかも、その高2生の解説や成績の大事な話をしているときでも、彼女は割り込んでくる。



「空気読めよ」と言いたくなるが・・・はぁ


彼女にたくさん宿題を出しても、やってくるからページは消化できるものの、結局間違えた箇所の解説で1コマが終わってしまう。イタチごっこだ。



彼女と接することは楽しい。しかし、高2生へのきめ細やかな指導ができないことへの葛藤は大きい。



私がいくらLDじゃないかと思っても、LDなのか、ただ勉強が苦手なのかどちらかという判断は、その道の専門家でないと判断が困難だ。これから先も推論力うあ文章理解力の人並みはずれた欠如が続いていくようであれば、一度専門機関に受診してみるのも手だと思うが・・・私にそんなことを提案する時間も期間もない。


本当にLDだった場合、専門機関で訓練することによって、だいぶ社会に適応し易い状態に向けていくことも可能だ。





久々に自分がひどく無力で小さい人間に思えた。「先生」なんて呼ばれるほど私は偉くない。

一人ひとりに私は何もできていないではないか。



そんな思いの底に沈んだ。
PR

この記事へのコメント

Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
管理人のみ閲覧できます
 

この記事へのトラックバック

トラックバックURL

CALENDAR

THANKS!
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[11/03 めぐさん]
[11/01 封筒の書き方]
[08/31 めぐさん]
[08/29 荒木正文]

最新TB

プロフィール

HN:
性別:
非公開
自己紹介:
CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw

詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。

夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;

このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪ 

バーコード

ブログ内検索

アクセス解析

カウンター

Copyright ©  -- Think&Said to Myself --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by Didi01 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ