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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

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理不尽な善意

私を包む見えない空気の膜が、私を護っている見えない空気の膜が、音を立てて壊れるのがわかった。

それを壊した張本人は、私に背を向けて自宅があるのであろう方向へ歩いている。

絶えず緊張感を保ってその膜を壊さないようにしてきた私は、無重力の空間で宇宙服に穴が開いたみたいな気分だった。

とりあえず気分を鎮めるために、深呼吸を数回繰り返す。憎らしく思っていた外の冷気が今は有難い。


      

今日はA教室OBの定例会の予定だったのだが、メンバーの都合が悪いのか延期になった。

持て余した休日を埋めようと、高校の同級生にメールした。彼女は今、私の隣の市に住んでいる。

彼氏と晩御飯の約束だが、それまでなら・・・ということで、私たちは難波に集合した。


同級生の彼女は、数年前1年ほど、私が勤務する市の別の中学校で養護教諭の常勤講師だった。今は同じ市内の歯医者で歯科助手として働いている。

給料は常勤講師のときの方がよかったけれど、結果的に今の仕事の方がいいという彼女。彼氏とはしばらく同棲中だが、金銭的なこともあって、なかなか結婚に踏み切れないと言う。


最近なるべく節約を心がけている私だが、今日は奮発してカフェで1200円も使ってスイーツ3点盛りを平らげてしまった
財布の中身は減るし、脂肪は増えるし・・・という最悪コースだけれど、おいしかったから良し

モットーは『食費と教育費は惜しむな』だもんね~笑 (間食とかは惜しむべきだけどね・・)


色々な話をした。
恋バナや仕事の話が主だったけれど、ケーキはおいしかったし、近くに座っていたカップルのバースデーサプライズも見れたし、紅茶はおいしかったw




彼女も自分が職場で役に立てていないことに悩み、毎月支払われる給料が自分に見合わない、給料泥棒だと自分を責め続けて、辞めた。

それを聞いた時、まだ学生だった私は彼女を「真面目すぎる」と思った。
そんな事気にせずに「こんだけ貰えてラッキー」と思えばよいと、わざわざ条件の悪い職場へ再就職して、お金がないと嘆くなんて勿体無いと思ったものだ。


しかし、自分がいざ似た状況になってみると、自分がこう思えばいいのに・・・と思っていたようには到底思えないのだ。
自分も自分の貰っている給料が、自分の実力に見合うと思えない。

それでも自分の家の家賃を払ったり、毎日のご飯を食べたり、車のローンを払ったり、奨学金を返したり、時々着たい服を買ったり・・・時々スタバでコーヒーを飲んだり。。


そんな大事なことやくだらないことを手放せない私もいる。


大学院に進学したいという夢や、足のオペを実行するという目標や、実家の両親の暮らしを助けるといった義務も放棄できない。


そのために情けなくても惨めでも不甲斐なくても役立たずでも、少しでも昨日よりマシで在れと努力しながら必死で教諭という仕事にしがみついている私。


そしてやっぱり、子どもと関われない仕事は嫌だった。


でも今。どうしていいかわからなくなりつつあった。 続けたいという思いと辞めたほうがいいという思いが混在している。自分でもどちらなのか、わからないのだ。

でも『どんなときでも学校来てな。』という手紙をくれた子が卒業するまで、教頭が『辞めんなよ』と言った、そんな些細だが大きな理由で、どうにかこうにか踏ん張っている。


とりあえず、だからあと1年。 それまでに結論を出す。


そう決めたものの、続けていく自信も、辞表を書く勇気も、 今の私にはない。
そんな意気地なし。


だから養護教諭をアッサリと手放した彼女の決断力に脱帽していた。
普通に友達として心おきなく話をしたいと言うので誘ったけれど、話の3分の1は私のグチになっていた。


私も彼女も実家が貧困家庭で苦労をしているので、金銭的な面に於いては共感できる点が多いけれど、社会人になってする彼女の贅沢が、2~3ヶ月に1度の美容院と年に2~3回服を買うことだなんて・・・

彼女のあまりの物欲の無さに、自分がひどく俗物的で汚いもののように見えてしまう。
私なんてついこの間、セールの服買っちゃったしね 

今すぐ必要ではないものを買うという当たり前に出来るようで、実は贅沢なことは私のアコガレの象徴でもあった。
いつも金銭のやりくりに苦労していた実家では、必要でないものを買うなんてことは言語道断であった。必要なものですら買えないこともあった。
私が大学を出られたのも親戚から時折援助があったからだ。

だから必要でないものにお金を掛けられるということに少し心の余裕を感じたりしてしまう。


社会人になったばかりの頃は、それが嬉しくて様々なものを買った。
すぐに学生の頃から使っている衣装ケースは埋まった。
だから服を買う意味もない。それでも時々買ってしまうのは、ストレスのせいなのか何なのか。

幼い頃のように、モノも心も満たされない状態からは脱したけれど、今、モノに困ってはいないけれど、心は埋まらないままだった。


だから自分が傷つかないように心ごと自分を覆う膜を張る。常に一定の緊張感を保って。
でも、それは思いのほかしんどいことだった。
でもそれを張らずに生きるのは怖すぎた。


仕事を変えようか変えまいか、真剣に悩んでいるときに、もう心身ともにボロボロなときに母は無邪気に追い打ちを掛ける。

『借金(奨学金を借りていることを母はこう呼ぶ)の保証人が○○君(父方の従兄弟)になってるでしょう?だからお父さんが心配してるんよ。もし何かあって○○君に迷惑掛けたら悪いって。安い金額とちゃうし』

悪意のある姑みたいな口調で言うもんだから、すっかり「仕事が出来なさ過ぎて役立たずなのが辛くて、仕事を変えようか迷っている」なんて言える雰囲気は微塵もなくなった。


私がちゃんとしなきゃ。私ががんばって働かなきゃ。でないとみんなに迷惑が掛かる。


母の言葉で、私の心はまた1つがけっぷちに追い詰められる。


そんな話が出来るのも、彼女ならではだった。なかなかお金に困ったことのない友人にこの手の話は出来ない。


    


友達と話して、ほんの少し気分も晴れ、いつものように地下鉄を降り、地上へと向かうエレベーターに乗り込んだとき、後ろにいたおじさんに『一緒に乗ってもいいですか?』と声を掛けられた。

はいと答えたが、直感で胡散臭いと思った。

大阪でも田舎のほうだとは言え、大阪の大動脈と言われる路線の結構な利用者数を誇る駅のエレベーターで、そんなに混んでもいないのに答えの解りきっている問いを投げかける胡散臭さ。

スーツの下のシャツがワイシャツではなくて、ポロシャツなのも胡散臭さを強調している。


エレベーターが地上につき、私はいつもそうするように「開」ボタンを押したまま「どうぞ」と言った。

『ありがとう』と言って、おじさんは何事も無くエレベーターを降りた。


それで終わればよかった。


でもおじさんは一足遅くエレベーターを降りてきた私を振り返って、『がんばってねぇ』と言った。


それだけならよくあること。私も用意した笑みを貼り付けて「ありがとうございます」と言った。
世の多くの人は、普通に街を歩いているだけで素性のわからない人から「がんばって」と言われる苦痛を知らない。


『私もよく車椅子を押すことがあるんですよ』


何の脈絡も無い話。障がいを持った人をすべてひと括りにしないで欲しい、と苛立った。

足が不自由=車椅子。とか、そんな幅の狭い固定観念。

そんな苛立ちは微塵も見せず、私は心にもない笑顔で言う。

「そうなんですかー。それはお仕事か何かで?」

『いえ、助けてあげたいと思ってね』


偽善を無理に押し付けたような言い方だった。 

助けてあげたいとおもって・・・・だって?

確かに私を含め、どこかに障がいがあれば、そうでない人に比べて人の助けを多く必要とする。だが、自分でできることをろくに確認もせず、自分の自己満足の為なのが見え見えで、手を貸されることがどれほど悔しくて惨めなことか、それをしている人に一体どれだけわかるだろう。

障がい者は周りの人間に敏感だ。近寄ってくる人に悪意があるのか、ないのか、放たれた言葉が本心か否か、自分の事を思ってくれてのことか否か。

ちょっとした些細な表情や声の調子でだいたいわかる。

本当に自分の力になりたいと思ってくれている人なのかどうかはすぐにわかる。
でもそうでない人間も邪険に扱うわけにいかない。 いくら見せかけの善意だって、自分に降りかかる被害を最小限にしながら、それでも愛想笑いを振りまくのだ。

見せ掛けの善意を見せてくる者こそ、ちょっとでもその善意に背くような態度をこちらが取ると、障がい者に対する中傷を始めるのだ。そしてこう付け加える。

『私は何々してやったのに』と。

助けてもらわねばできないこともたくさんあるから、そう言う事にいくら心が打ちひしがれようが、なるべく人の癇に障らないように立ち振る舞わなければならない側面もある。


そのおじさんは偽善者と言う言葉がぴったりだった。

私の長年の経験で身に着けた第6感は、胡散臭さを逃さない。


『私も後遺症で右半身の神経がないんですよ』

いきなり自分の苦労話を切り出され、私はどう反応すべきか迷った。そして逡巡したが、

「そうなんですか。大変ですね」と言った。

自分がいちばん嫌いな言葉だった。その人の人生をほとんど何も知らないのに「大変」なんて無責任極まりない言葉だ。言う資格もない。
でも、それを口にした。 


『あなたもね、がんばってねぇ』

「・・・はい。どうもありがとう」


最大限の努力をして、笑顔を作った。

おじさんに背を向け、ひとりになった瞬間、自分を護る薄い膜が音を立てて破れた。
感情が噴出しそうになった。


頑張れって、何を頑張れというの。 私の何も知らないくせに、ただ、同じ駅にいただけの私の何を知っていて「頑張れ」と言えるの。


あまりにも無責任だ。これ以上何をどう頑張れって言うの。


おそらく悪気はないのだとはわかっている。でもその無邪気さが心に更に大きな穴を開ける。


色々ギリギリな心に更に負担を強いた、見ず知らずのオッサンの股間を蹴飛ばしてやりたいくらい、蠢く感情があった。


帰って、飲む気もなかったのに、ビールを飲んだ。 涙が一筋伝っていた。

かなしいのか、悔しいのか、それともそれ以外かわからなかった。

何がかなしいのか、何が悔しいのか、それさえうまく言えない。


ただ、ただ、 心が疲労していた。。。
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