Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
祖母が星になった日
- 2015/08/02 (Sun)
- ☆日記★-日常全般-☆ |
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祖母が旅立ちました。
95歳でした。。
達者な人で、15年前だから・・80歳の時かな、に、私と一緒に新幹線に乗ってディズニーランドに行ったほどの人。
子育てのうまくない母に代わり、よく母親がわりをしてくれた人でもあった。
家事をするときに足元をちょろちょろまとわりついていっても怒ることはなく、おかげで米のとぎ方や炊き方、できたご飯を真っ先に仏様(仏壇)にお供えすること、一人暮らしになってもめちゃくちゃ家事に困らなかったのは祖母のおかげかもしれない。
大腿骨を折ってから、すっかり気弱になってしまって、その後の入院やら何やらで認知症も発症した。
一時期はその小さく、細い体のどこからそんなでかい声が出るんだろうと不思議に思うくらい、目の届くところに誰かがいないと叫び喚き、誰かを呼んだ。
ひと月くらい前から嚥下機能が悪く、食べ物を口から摂取できないと栄養は点滴に頼っているらしかったが、本人胃腸は元気なので、誰かが面会に行くたびに『お腹が空いた』ばかり言っていたらしい。
その祖母が、母が会っている最中に容体が悪くなり救急車で運ばれた、と連絡が入ったのは夏休みに入ってすぐのことだった。
誤嚥性肺炎・・らしい。
高齢者が一番なったらヤバいやつなんちゃうん。
それにしても、なぜ口から物を食べていないのに『誤嚥性』肺炎なのだろうと思っていると、自分の唾液を飲み込むのでさえも、うまく行かずに気管や肺に行っちゃうのだそうだ。。
母や弟妹達が病院に集まった。
いよいよか、と思っていると一旦数値が安定したらしい。
やっぱり生命力の強い人だなぁ。
なんだかんだ言いながら、やっぱ100まで行くかなw とちょっと安心したのもつかの間。
数値はいったん持ち直したものの、次の薬を点滴しようとしたら、それがもう血流にのらなかったらしい。
血管から点滴液が染み出て、腕が膨らんだ、というのだ。
数日後、亡くなったという報せを受けた。
その瞬間思ったのは、死んだことへのかなしさよりも、「おばあちゃん、がんばったな」という思いだった。
えらい上から目線な言い方だけれど、ほんまに晩年はしんどかったと思うのだ。
ようやくそこから解放されたのかな。
死んだあとってどうなるんかわからないけれど、そういう苦しみとかすべてこの世に置いて行っていいよ。
早くに両親を亡くして、四人兄弟の一番上だったおばあちゃんは、下の三人の母親代わりとして娘時代を過ごしたらしい。
原爆が投下される前に、広島から自分の故郷へと引っ越してきたらしいが、結婚してからは自分の子育てやら(特に母は手が掛かっただろうし)、子どもが自立したかと思えば祖父が脳梗塞で倒れ、その後10年以上介護し続けた。
祖父は体も大きかったし、言語の麻痺と右半身の麻痺が残った。
何か言おうとしてもうまく言えないので癇癪を起こしたり、うまく動けないので癇癪を起したり。
そんな祖父が怖くて仕方なかった。
病気のことを幼くてよくわからないというのもあったけれど、何を言っているのかイマイチよくわからないし、いきなり怒り出したりする。
その意味もわからないまま、一度『おじいちゃん早く死んだらいいのに』と言ったことがある。
それが今も大きな心残りだ。
祖母は頭ごなしに叱ったりせず、『なんでそう思うん?』とかなしそうな顔をして聞いただけだった。
私だったらいくら幼稚園に行く前くらいの子どもだからって、そんなこと孫に言われたらひっぱたいているかもしれない。
そんな祖父を愚痴ひとつ言わず介護し続けていた。
自分の楽しみとかそんなんより、つねに周りの人のために自分の時間を使っていたって印象しかない。
空の向こうでは、もっと自分の為に時間を使ってね、おばあちゃん。
それとももう一度おじいちゃんとデートしてるとこでしょうかw
95歳でした。。
達者な人で、15年前だから・・80歳の時かな、に、私と一緒に新幹線に乗ってディズニーランドに行ったほどの人。
子育てのうまくない母に代わり、よく母親がわりをしてくれた人でもあった。
家事をするときに足元をちょろちょろまとわりついていっても怒ることはなく、おかげで米のとぎ方や炊き方、できたご飯を真っ先に仏様(仏壇)にお供えすること、一人暮らしになってもめちゃくちゃ家事に困らなかったのは祖母のおかげかもしれない。
大腿骨を折ってから、すっかり気弱になってしまって、その後の入院やら何やらで認知症も発症した。
一時期はその小さく、細い体のどこからそんなでかい声が出るんだろうと不思議に思うくらい、目の届くところに誰かがいないと叫び喚き、誰かを呼んだ。
ひと月くらい前から嚥下機能が悪く、食べ物を口から摂取できないと栄養は点滴に頼っているらしかったが、本人胃腸は元気なので、誰かが面会に行くたびに『お腹が空いた』ばかり言っていたらしい。
その祖母が、母が会っている最中に容体が悪くなり救急車で運ばれた、と連絡が入ったのは夏休みに入ってすぐのことだった。
誤嚥性肺炎・・らしい。
高齢者が一番なったらヤバいやつなんちゃうん。
それにしても、なぜ口から物を食べていないのに『誤嚥性』肺炎なのだろうと思っていると、自分の唾液を飲み込むのでさえも、うまく行かずに気管や肺に行っちゃうのだそうだ。。
母や弟妹達が病院に集まった。
いよいよか、と思っていると一旦数値が安定したらしい。
やっぱり生命力の強い人だなぁ。
なんだかんだ言いながら、やっぱ100まで行くかなw とちょっと安心したのもつかの間。
数値はいったん持ち直したものの、次の薬を点滴しようとしたら、それがもう血流にのらなかったらしい。
血管から点滴液が染み出て、腕が膨らんだ、というのだ。
数日後、亡くなったという報せを受けた。
その瞬間思ったのは、死んだことへのかなしさよりも、「おばあちゃん、がんばったな」という思いだった。
えらい上から目線な言い方だけれど、ほんまに晩年はしんどかったと思うのだ。
ようやくそこから解放されたのかな。
死んだあとってどうなるんかわからないけれど、そういう苦しみとかすべてこの世に置いて行っていいよ。
早くに両親を亡くして、四人兄弟の一番上だったおばあちゃんは、下の三人の母親代わりとして娘時代を過ごしたらしい。
原爆が投下される前に、広島から自分の故郷へと引っ越してきたらしいが、結婚してからは自分の子育てやら(特に母は手が掛かっただろうし)、子どもが自立したかと思えば祖父が脳梗塞で倒れ、その後10年以上介護し続けた。
祖父は体も大きかったし、言語の麻痺と右半身の麻痺が残った。
何か言おうとしてもうまく言えないので癇癪を起こしたり、うまく動けないので癇癪を起したり。
そんな祖父が怖くて仕方なかった。
病気のことを幼くてよくわからないというのもあったけれど、何を言っているのかイマイチよくわからないし、いきなり怒り出したりする。
その意味もわからないまま、一度『おじいちゃん早く死んだらいいのに』と言ったことがある。
それが今も大きな心残りだ。
祖母は頭ごなしに叱ったりせず、『なんでそう思うん?』とかなしそうな顔をして聞いただけだった。
私だったらいくら幼稚園に行く前くらいの子どもだからって、そんなこと孫に言われたらひっぱたいているかもしれない。
そんな祖父を愚痴ひとつ言わず介護し続けていた。
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☆
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非公開
自己紹介:
CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
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