Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
見慣れない顔
一時的に歩けなくなって、およそ一ヶ月。
その間に色々なことを考えた。
こんな事言いたくないけど、
なんで私やねん、とか
なんで今やねん、とか
なかなかわかってくれない人に対して
お前もなってみいや、とか
人としてあかん事も思った。
親に隠さないと行けないのも苦しかったし、追い討ちをかけるみたいに事故に遭ったりなんかして、神経すり減らした。
今も親は知らない。
これでいいんかどうかわからないけれど、でも今はまだ言うべきときではないのかな・・・っていう気がしている。
頭では、まだまだ歩く力や電車に乗る力が失われていないことを知っている。
でも時々できないのは、私が自分の能力を信じてあげられなくなっているからだ。
大勢の前で転んだらどうしようか・・
帰れなくなったらどうしようか・・
そんな思いが、足かせをはめているんだ。
歩けないって言うのは究極だけれど、スローペースでも、確実に何かが衰えているのは事実で。
この間歩けなくなったのだって、以前はなんともなかったはずの長時間の歩行が『無理』になったからだ。
つよくなりたい。
信じたい。私を。
何をやっても無気力で、仕事に行ってる間は雑念を振り払えても、帰宅をすると再びよみがえる。
私はこれからどんどんダメになってくんやろうなぁ・・・とか。
何よりそんな暗い自分に嫌気がさして、余計嫌になったりね。
休みの日が来ても、『体を休める』という意味においては嬉しいけれど、移動に少しずつ制限が出てきている今、ひとりで電車で出かける・・というのが怖くて、休みの楽しみもない。
何を目標に生きていったらいいんだろう。
何を楽しみにすればいいんだろう。
私、このまんまやったら、ほんまあかんなる。
危機感だけが先行して焦りが増幅するばかり。
怖かった。
苦しかった。
何もないみたいに振舞うのも疲れるけど、だからって、感情を全部出していいよと言われても、全部を表にするのが怖い。
そんな日々に身を置きながら。
たまたまその日洗面所でクレンジングをしていて、鏡に映った自分の顔を見たときに、はっとした。
顔が違う。(そんな奴おらんやろ~←ボケてる場合か)
いや、ほんまに。確かに私の顔やねんけども・・何かが違う。特に眼が。表情が違ったのだ。
しかも、涙を流す度に変わっていってる気がする。
何だろう。覚悟が備わってるというか。
憎らしい天命を見据えてるというか。
私、こんな何かが宿った眼、してなかったよなぁ。
明らかにここ数ヶ月のことだ。
そんな自分の見慣れない顔を見ながら考えをめぐらした。
あ、私が喪ったものの代わりに得てるもんって、コレやん。
覚悟が積もっていく顔。
揺るぎない何かが宿った顔。
こうなる以前の私にはなかったことだし、他の誰にも得られないこと。
喪失=自分をダメにする、絶望だと思っていた。
できないこと=あかんこと。
そんな先入観があったように思う。
でも逆に、歩けるっていう当たり前のことを、当たり前っていうフィルターを外して見れる人がこの世にいったい何人いる?
私はダメな少数派(マイノリティ)じゃなく、それを知ってる希少価値のある(マイノリティ)なんじゃないか?
考え方はその人の転がし方次第でどうにでもなる。
絶望を見据えて尚、生きていこうという覚悟を背負った顔も、そうそう多くないはずだ。
できないことが、何だ。
そんなことくらいで、自分を卑下するのはばかばかしいことじゃないか。
ふと、そう思った。
文学部卒のくせに文章でうまくいえないのがもどかしいけれど・・・
大多数の人が持ってるものを持ってない代わりに、その人たちが絶対持ち得ないものの見方であったり、何かを持っている。
ないものを嘆くことは楽だし、簡単に出来る。
けど、それではしんどいし、自分が本当にダメになる。
ならば、持っているものを考えて、それを誇りに思おう。
それでいいじゃないか。
大多数の人が持っていないものだから、それを誇りに思ったって理解されないかもしれない。
でも、自分がそれでブレなきゃ、いいじゃないか。
なんか、少しフっ切れた。
ダメになんてなってない。
私は大丈夫だ。
まだまだ捨てたもんじゃないよ。これからの人生。
足は言うこと利かんなっても。
私っていう人間の可能性はゼロにはならない。
生きる軸がひとつ、できた。
その間に色々なことを考えた。
こんな事言いたくないけど、
なんで私やねん、とか
なんで今やねん、とか
なかなかわかってくれない人に対して
お前もなってみいや、とか
人としてあかん事も思った。
親に隠さないと行けないのも苦しかったし、追い討ちをかけるみたいに事故に遭ったりなんかして、神経すり減らした。
今も親は知らない。
これでいいんかどうかわからないけれど、でも今はまだ言うべきときではないのかな・・・っていう気がしている。
頭では、まだまだ歩く力や電車に乗る力が失われていないことを知っている。
でも時々できないのは、私が自分の能力を信じてあげられなくなっているからだ。
大勢の前で転んだらどうしようか・・
帰れなくなったらどうしようか・・
そんな思いが、足かせをはめているんだ。
歩けないって言うのは究極だけれど、スローペースでも、確実に何かが衰えているのは事実で。
この間歩けなくなったのだって、以前はなんともなかったはずの長時間の歩行が『無理』になったからだ。
つよくなりたい。
信じたい。私を。
何をやっても無気力で、仕事に行ってる間は雑念を振り払えても、帰宅をすると再びよみがえる。
私はこれからどんどんダメになってくんやろうなぁ・・・とか。
何よりそんな暗い自分に嫌気がさして、余計嫌になったりね。
休みの日が来ても、『体を休める』という意味においては嬉しいけれど、移動に少しずつ制限が出てきている今、ひとりで電車で出かける・・というのが怖くて、休みの楽しみもない。
何を目標に生きていったらいいんだろう。
何を楽しみにすればいいんだろう。
私、このまんまやったら、ほんまあかんなる。
危機感だけが先行して焦りが増幅するばかり。
怖かった。
苦しかった。
何もないみたいに振舞うのも疲れるけど、だからって、感情を全部出していいよと言われても、全部を表にするのが怖い。
そんな日々に身を置きながら。
たまたまその日洗面所でクレンジングをしていて、鏡に映った自分の顔を見たときに、はっとした。
顔が違う。(そんな奴おらんやろ~←ボケてる場合か)
いや、ほんまに。確かに私の顔やねんけども・・何かが違う。特に眼が。表情が違ったのだ。
しかも、涙を流す度に変わっていってる気がする。
何だろう。覚悟が備わってるというか。
憎らしい天命を見据えてるというか。
私、こんな何かが宿った眼、してなかったよなぁ。
明らかにここ数ヶ月のことだ。
そんな自分の見慣れない顔を見ながら考えをめぐらした。
あ、私が喪ったものの代わりに得てるもんって、コレやん。
覚悟が積もっていく顔。
揺るぎない何かが宿った顔。
こうなる以前の私にはなかったことだし、他の誰にも得られないこと。
喪失=自分をダメにする、絶望だと思っていた。
できないこと=あかんこと。
そんな先入観があったように思う。
でも逆に、歩けるっていう当たり前のことを、当たり前っていうフィルターを外して見れる人がこの世にいったい何人いる?
私はダメな少数派(マイノリティ)じゃなく、それを知ってる希少価値のある(マイノリティ)なんじゃないか?
考え方はその人の転がし方次第でどうにでもなる。
絶望を見据えて尚、生きていこうという覚悟を背負った顔も、そうそう多くないはずだ。
できないことが、何だ。
そんなことくらいで、自分を卑下するのはばかばかしいことじゃないか。
ふと、そう思った。
文学部卒のくせに文章でうまくいえないのがもどかしいけれど・・・
大多数の人が持ってるものを持ってない代わりに、その人たちが絶対持ち得ないものの見方であったり、何かを持っている。
ないものを嘆くことは楽だし、簡単に出来る。
けど、それではしんどいし、自分が本当にダメになる。
ならば、持っているものを考えて、それを誇りに思おう。
それでいいじゃないか。
大多数の人が持っていないものだから、それを誇りに思ったって理解されないかもしれない。
でも、自分がそれでブレなきゃ、いいじゃないか。
なんか、少しフっ切れた。
ダメになんてなってない。
私は大丈夫だ。
まだまだ捨てたもんじゃないよ。これからの人生。
足は言うこと利かんなっても。
私っていう人間の可能性はゼロにはならない。
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非公開
自己紹介:
CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
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