Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
言の葉にのせて
今日はS教室のバイトの後、友達とゴハンに行ってきた
家には肉じゃがにあったかいご飯と食べるものは揃ってたんだけど、どうしても一人でご飯を食べる気にはならなかったし、友達を家に呼べるほど掃除も行き届いていなかった
街には春服が溢れていて、購買欲に拍車が掛かる。
春はものいり やうやう寒くなりゆくふところ・・・・・なんてね笑
私の今春のコンセプトは「花」花柄のものについ目が行ってしまう。あとワンピとか今までは目もくれなかったような、女の子アイテムに惹かれる。。春って不思議
この休みは激欝もいいところで・・・・・。。例によって病んでいた。年齢によってある程度二次障がいが進むのは仕方のないことやけど、お風呂掃除をしていて浴槽を自力で跨ぐことが出来なかった。
今度からは引越し先のマンションも色々考えないといけないな。。
ウチのマンションはトイレ・バスセパレートの部屋だけれど、洗面台だけお風呂に一緒にくっついてついている。おかげで、それに掴まって何とか浴槽の出入りが出来たのだが、それでも「何とか」だった。でもまだお風呂に何とか入れるだけでもありがたい
元々洗面台なんてのは顔や歯を洗ったり、身だしなみを整えるためにあるもので体重を支えるためのものではないから、長期に亘って手すり代わりに使うのは良くないだろう。
バリアフリーのマンションとか家賃高いんだろうなぁ
実家のお風呂には高校生の半ばから入ってないが(浴槽に入ってないって意味ね)夏はよくても真冬ともなるとシャワーも弱い実家では充分に温まることができなくて非常に辛い。肉体的にも精神的にも堪える。
でも引っ越してほしいなんて言おうとすれば、お金も掛かるし、第一理由を説明しなければならない。
自分の家の風呂にも満足に入れなくなった娘を彼らはどう思うだろうか。
段々制約が増えていく日常生活。かわいさよりも利便性を求めた靴を買うようになり、初めて行く場所には期待よりも不安が付き纏う様になり、風をきって走るという能力も失った。
今でも走ろうと思えば走れるけれど、靴の消耗も早くなるし、早歩きしているのとほとんど変わらない。
信号が点滅していたら、急がず待つようになった。電車の駆け込み乗車もしなくなった。
何気なくしていたこと。例えば変わりそうな信号を急いで渡ったり、閉まろうとする電車に飛び乗ったり、エスカレーターに乗ったり、どこのホームでも気にせず乗り降りしたり・・・。。
それらはこんなにも尊いものだったのだ。
気持ちでは「こうしたい」「ああしたい」というイメージが駆け巡る。しかし、それに自分の体がまったくついていかないことへの悔しさ、葛藤、苛立ち。
このままどんどんひどくなって好きな場所へ好きなときに自分ひとりで行けなくなったら・・・という不安。
ひとりでいると、こんな事ばかり考えてしまうから嫌になる。
それに加え、就活・卒論・教採と他にも難題は山積みで、パンクしそうだ。
今日も朝から微熱っぽかったので、大事を取って午前中は寝ていたんだけれど、その間に度重なる祖母からの電話。
しんどかったし、出ずにいたら、何度も何度も掛かってくる。バイトもあったからアラームかけてたし、電源切るわけにも行かず、ストレスを感じつつも我慢して寝ていた。
午後になって、かけ直してみたら「いてるんなら出なー。心配したよぉ」とまるでこの世が終わるかのような声。
最近年のせいか祖母も母に似て心配性になった。
心配してくれるのはありがたいことだと判っている。でも過剰に心配されても正直負担なのだ。
私だって、いつもしっかり出来るわけじゃない。がんばれないときだってあるんだよ。でもそれを貴女達は受け止めてはくれないでしょう?だったらそっとしておいて・・・せめて。
貴女達を心配させまいと過剰にがんばれば、元気に振舞えば、その度にまた心が窮屈になっていく。間違った情報しか周囲には行かないから、事ある事に「甘えている」と非難される。
ぬるま湯に浸かっているのはどっち?物事の本質を見えない者が多すぎて私はまた本音を隠す。
周りの大人に期待をする事はもうとうの昔にやめた。受け止める力がないならお節介はやかないで。
「包帯を巻く気のない者が、傷に触れてはならない」 マザーテレサの言葉。
ひとつの身体能力を失うたびに、自分の価値が下がっていくような気がしてならない。そしてそれが怖い。勿論頭ではそんな事ないってちゃんとわかっている。でも考えてしまう。
幼い頃の私は、希望の塊だった。昨日歩けなかったのが訓練で歩けるようになり、自転車も他人よりは遅いが補助輪ナシで乗れるようになり、マットの前転・開脚前転が出来るようになり、鉄棒で前周りができるようになり、飛べなかった縄跳びも前とび・後ろとび・あやとびができるようになり、水泳も浮けるようになり、泳げるようになり、そしてその距離が伸びていき・・・・。。そしてその度に周囲(学校の先生とか)は自分の事のように喜んでくれて、それが当時の私の生きがいでもあった。
そして、そこに自分の価値を見出していたからだと思う。だから今、それがひとつひとつ崩れていくことにたまらなく不安を感じるんだろう。この何ともいえない不安感・絶望感、解放する術が早く見出せればいいな。
しかし、この休みは悪い事ばかりでもなかった。
今までミク●イにはCPに関することとか、自分の心の闇的な部分は努めて書かないようにしていた。SNSという性質上、書くべきでないと思っていたから。最近ほとんど更新していないのだって、書くべき話題がないのだ。楽しいことばかりで埋め尽くしてはあまりにも空虚で、そうでなければ重いことしかない。何だ、私の毎日ってそしてSNSは難しい
今回思い切って書いてみた。何もなかったかのような顔をして、皆に会う自信が無かったからだ。
普段どおりに振舞えないのならさらけ出す方が良いと思った。
・・・・でも。
さらけ出すのって勇気がいるのよね。何度も何度も書いたり消したりを繰り返したりしながら遂に載せてしまった。、
そう、「載せてしまった」がホンネ突然の事故的な勢いで載せなければ、あんなド重たい日記更新できるわけないじゃん笑
でも、がむしゃらに投げたボールをしっかりと受けてくれる人もいるものだ
たったひとり、コメントを残した人物がいた。同じゼミの子だ。
同じゼミになったという偶然で、交流がスタートしたのだけれど、当然専攻も同じだから同じ授業を取ることもあれば顔だって合わすんだけど、今まで一っ言も喋ったことがないのだ。
まだゼミの顔合わせすらしていない現段階で彼との交流はネットのみ。しかし、彼の書く文章や生み出される言葉には何か深いものがあり、一般人が捉えない独自の観点から見ていたり、覗いてみるとすごく深かったりする。よく言えば天才肌なんだけど、そこに共感できない人からすれば「変わってる」と思われがちなタイプ。
まぁでも私もそんなとこは十二分にあるから、似たもの同士なのかも現に交流が浅いにも関わらず人見知りな私が深く考えずに普通に話す感覚でコメント返信してるなんて事も初めてやし。
最近思う。Aゼミのメンバー・・・つまりA先生を慕う者たちは一見ばらばらな性格の持ち主で、実際そうだけれど、なにか一点似通った点があって、それがA先生を慕う理由でもあり、似た者が引き寄せられるのではないかと・・・。Aゼミの選考から洩れた子は、明らかに持っている空気がゼミのほかのメンバーと違ったのだ。
今まで色んな事を自分の中に抱え込んでしまうタイプであることを良いことだと捉えられる事は少なかった。
「学生のうちはもっと気楽でいいってー」
「そんなに何でもかんでも自分でしようとしてると周りが窮屈」
「寂しい」
でも、そのゼミの子は、否定的に捉えることなく「素晴らしい能力だ」と言ってくれた。自分が持っている性質を肯定されることは純粋に嬉しい。これでも良いのだと思える。
何より、普段顔や姿を見るだけで、お互い顔と名前は知っていてもすれ違うことしかなかった彼がよく人を洞察していることに驚いた。
同類の者を見つけて嬉しい反面、ちょっと悔しい。だって生み出される言葉(詩とか)がめっちゃ洗練されていて、研ぎ澄まされているから。
良き理解者、そしてライバルになりそうだ。
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CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
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