Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
HITORIGOTO
この記事見る前に、先の「りふれっしゅ」読んでからにしてね~ww
最近、このブログのURLを知っている人が少し増えた。いいのか悪いのか。でもR&Bの良さは多くの人に知ってほしいし
着る服にしろ、好む音楽にしろ、大学に入りたて、10代後半の頃はテイストがまったく定まっていなかった。
服はとりあえず流行を追いかけてみたり、音楽もヒットチャートを追うことばかりしていたり。
今でも流行を追うのは好きだ。元々おしゃれには大いに関心がある。でも昔のように自分が本当に取り入れたいものがわからないから手当たり次第というのではなくなった。
流行には敏感になりつつも、自分はこういうテイストというのがはっきりしてきたのだ。それに合わないものであれば、たとえ世間がどんなに賞賛しようが、興味を持たない自分がいる。
本当の意味で自分が確立されてきたのかなと感じる。
音楽も最近ではほぼR&Bかミスチルしか聴かなくなった。勿論、塾でのバイトの関係(生徒は皆最も流行に敏感な年頃やし)や友達との会話の関係上、情報は集めるが、自分が好き好んで聞くものは決まってきた。
元々我の強い方で、一度持った信念は簡単に曲げない。そういうところを父は認め、基本私の好きにさせてくれる。英語を専攻するときも何も言わなかったし、大学を決めるときもそう。ただ、相談しに行っても、手応えのある返答と言うのはまったくしてくれず「好きにせぇよ」としか言わないので、たまに頼りないと思うこともあるが・笑
祖母も「あんたはてこでも動かん」なんていうし。だって自分の人生やん。誰かの言う通りにして間違ってたって文句は言われへん。だからって言って自分の意見ばかりを押し通すんは良くないけど。とか言いながら仕事では自分犠牲にしちゃうねんけどなあぁ矛盾。でもこう、ゆるぎないものを持っているから、それでも頑張れる。今の仕事だって自分が心底したいと思うことだからこそ多少の犠牲にも耐えられる。
ほんまでも教育は、O先生(超尊敬すべき恩師)がいなかったら、ここまでゆるぎなくはなってなかっただろう。
もしO先生に会っていなければ、教職って単位数も多いし、試験もハードやからそれなりな会社に就職でもしよう、なんてやすやすと進路転換していた可能性は大いにある。
今エントリーしている会社にしろ、何かしらこう働きたいと思うところばかり。何も浮かんでこないところ(もしくはまだ詳細がわからない)はエントリーしていない。友達がもう50社近くエントリーしているのとかを聞くと少し焦るけれど、数打ちゃ当たる的なんはなぁー。まぁ余程切羽詰ってきたらそうも言ってられないけど。でも浮かんでくる動機はやっぱり行き着くところ「人のため」・・・・・・嗚呼笑 こうなりゃとことん人のために奉仕しますわよ、もう。。あぁーやけくそやぁ・笑
よく私は「恋愛は活力だ」という。別に恋人だろうが、片想いだろうがそれは関係ない。この傾向が他の人より強いように思う。考えてみると、自分を二の次にしてしまう癖があるからこそ、誰かには大事に思われたいのかもしれない。
どんだけ堕ちていようが、笑顔が自分に向けられるだけで鼻唄を歌いながら家路につけるのだから、我ながらその単純さにあきれる・笑
ある意味で私は本能に素直な人間なのかも。よく食べるし、誰かを好きである事に正直でありたいと思う。でもいざ行動を起こす段階になると理性が働きすぎちゃうのが・・・悪い癖。。
教育相談論の授業で「傾聴」が大事だ、と習った。私がすきになる人は皆これができる人ばかり。そういえば私がほしいものはこれだ。何の他愛のない話を聞いてほしいのだ。
一人っ子やのに幼い頃の私はテレビっ子で、親と話す時間が少なかった。(母は今頃それを反省しているのだが、もう遅い)その頃見ていた「英語であそぼ」の影響で「はろー」とか「さんきゅー」などを言い出し、(多分今の私のルーツはここやと思う) それが終われば空腹を感じていなくとも決まり的に「お腹すいた」と言った。この頃の自分を振り返ると何だか恐ろしい。よくまぁ、一般的に大人になれたものだ。太宰治の「人間失格」に「私は空腹というのがどういうものか知りませんでした。ただ三度三度黙って飯を食い・・・」のような文があるが、それを読んだときには震撼した。まさに幼少期の私と似ていた。
ままごとも一人二役はしょっちゅうで、まぁそんな事は小さい子にはよくある事やねんけど、母にはこの幼児の創造性が理解できないらしく「頭がおかしい子みたいやから辞めなさい」とよく言われた。母は一人遊びをすることはなかったのだろうか。。
幼稚園に行きだして世界は広がり、そこで出逢うすべてのことは私にとって新鮮で、帰ってから色々はなそうとするのだが、母はいつも私の顔をきちんと見て話を聞いてくれたことはなく、片手間あるいは生返事ばかりだった。今でも真面目に話を聞いてくれないと、迂闊にも鼻の奥がツンとなってしまう。
それゆえ自分ときちんと向かい合ってくれる人に男女問わずすごく惹かれる。
自分の目を見て話をしたり聴いてくれたりする人。人の話を聞くって、ちゃんとしようと思えば案外難しい。
それがきちんとできる人と会話をすると、凄く安心するのだ。あぁ、きちんと自分が受け止められていると思えるから。
で、何故それを求める先が異性なのかといえば、うーん、やっぱ自分よりも体格や雰囲気的に大きいというのがあるからかもしれないと最近おもう。自分より大きい者ってなんか安心する。
とりあえず「めぐさんよりおっきい人が理想★」が口癖やし。。まぁ私より背が低い人や体重が軽い人はほぼ周りにはいないけど。
色々な面でトラウマを残している母やけど、いい所もあるのだ。
子どもとの接し方がわからなかっただけだ、愛し方を間違えただけだと今なら理解できる。
そんな母だが、欠かさずしてくれたのが寝る前の本の読み聞かせだった。自発的にし始めたのか、どこかでそれがいいと聞いたのかは知らないけど、毎晩毎晩欠かさずだった。仮に忘れた日があっても、せがむとこれだけはないがしろにされなかったのである。家にある絵本だったり、図書館から借りてきたり。読むものがなくなれば同じものを何回も繰り返した。そのおかげで、近所の子より早く字が読めるようになり、小学校のときも国語は好きだった。
これは本当によかったと思っているから、自分が親になったときもそうしたい。ちなみにこれ、父がやると勝手に創作してしまうのだ。
たとえば「ぐりとぐらは、うみぼうずにゆうかいされました」とか。。ひでぇー笑 ほんまは海坊主と仲良くなるのに。
過去・現在・将来。将来のことはまだわからんけど、結構今、昔から今までを振り返る機会が多くなった。結構私、物心着く(というか記憶が残ってるのが)早かったから、色んな事を断片的に憶えてるんよね。小さい時に意味がわからんかった言葉も、意味がわかるような年になって急に思い出して傷ついたり。子どもにはわからんって思わんと言葉には気つけなあかんなぁって実感する。
現在の私は一見関係ないようで、過去の自分と密接に関係していたりする。考え方だとか色々。その過去の黒い部分を、大学に入ってからきちんと眼を向けて対峙できるようになった。脳天気に生きてこれるに越した事はないけど、やっぱりどんな出来事も私を構成する要素になってるんやろうなぁ。
これから魅力的なオトナの女性になりたいぜ笑
関係ないけど20歳の頃には「子どもっぽい」と馬鹿にしていた、リサとガスパールやリラックマなんかのキャラに今ハマりきってます。顔はにゃ~ってなる。
癒しを求めた結果なんかなー??笑 Vitzのお餅をむいーんとしてるリラちゃん、たまりませんあんなん隣に乗せてドライブしたいよぉ(。→∀←。)
以上、支離滅裂で本人も何がいいたかったんかよくわからん独り言でした。。
ここまでお付き合いくださったそこのあなた感謝感謝です感謝の気持ちを込めて、プレゼント・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はないでーす
ではおやすみなさい★
着る服にしろ、好む音楽にしろ、大学に入りたて、10代後半の頃はテイストがまったく定まっていなかった。
服はとりあえず流行を追いかけてみたり、音楽もヒットチャートを追うことばかりしていたり。
今でも流行を追うのは好きだ。元々おしゃれには大いに関心がある。でも昔のように自分が本当に取り入れたいものがわからないから手当たり次第というのではなくなった。
流行には敏感になりつつも、自分はこういうテイストというのがはっきりしてきたのだ。それに合わないものであれば、たとえ世間がどんなに賞賛しようが、興味を持たない自分がいる。
本当の意味で自分が確立されてきたのかなと感じる。
音楽も最近ではほぼR&Bかミスチルしか聴かなくなった。勿論、塾でのバイトの関係(生徒は皆最も流行に敏感な年頃やし)や友達との会話の関係上、情報は集めるが、自分が好き好んで聞くものは決まってきた。
元々我の強い方で、一度持った信念は簡単に曲げない。そういうところを父は認め、基本私の好きにさせてくれる。英語を専攻するときも何も言わなかったし、大学を決めるときもそう。ただ、相談しに行っても、手応えのある返答と言うのはまったくしてくれず「好きにせぇよ」としか言わないので、たまに頼りないと思うこともあるが・笑
祖母も「あんたはてこでも動かん」なんていうし。だって自分の人生やん。誰かの言う通りにして間違ってたって文句は言われへん。だからって言って自分の意見ばかりを押し通すんは良くないけど。とか言いながら仕事では自分犠牲にしちゃうねんけどなあぁ矛盾。でもこう、ゆるぎないものを持っているから、それでも頑張れる。今の仕事だって自分が心底したいと思うことだからこそ多少の犠牲にも耐えられる。
ほんまでも教育は、O先生(超尊敬すべき恩師)がいなかったら、ここまでゆるぎなくはなってなかっただろう。
もしO先生に会っていなければ、教職って単位数も多いし、試験もハードやからそれなりな会社に就職でもしよう、なんてやすやすと進路転換していた可能性は大いにある。
今エントリーしている会社にしろ、何かしらこう働きたいと思うところばかり。何も浮かんでこないところ(もしくはまだ詳細がわからない)はエントリーしていない。友達がもう50社近くエントリーしているのとかを聞くと少し焦るけれど、数打ちゃ当たる的なんはなぁー。まぁ余程切羽詰ってきたらそうも言ってられないけど。でも浮かんでくる動機はやっぱり行き着くところ「人のため」・・・・・・嗚呼笑 こうなりゃとことん人のために奉仕しますわよ、もう。。あぁーやけくそやぁ・笑
よく私は「恋愛は活力だ」という。別に恋人だろうが、片想いだろうがそれは関係ない。この傾向が他の人より強いように思う。考えてみると、自分を二の次にしてしまう癖があるからこそ、誰かには大事に思われたいのかもしれない。
どんだけ堕ちていようが、笑顔が自分に向けられるだけで鼻唄を歌いながら家路につけるのだから、我ながらその単純さにあきれる・笑
ある意味で私は本能に素直な人間なのかも。よく食べるし、誰かを好きである事に正直でありたいと思う。でもいざ行動を起こす段階になると理性が働きすぎちゃうのが・・・悪い癖。。
教育相談論の授業で「傾聴」が大事だ、と習った。私がすきになる人は皆これができる人ばかり。そういえば私がほしいものはこれだ。何の他愛のない話を聞いてほしいのだ。
一人っ子やのに幼い頃の私はテレビっ子で、親と話す時間が少なかった。(母は今頃それを反省しているのだが、もう遅い)その頃見ていた「英語であそぼ」の影響で「はろー」とか「さんきゅー」などを言い出し、(多分今の私のルーツはここやと思う) それが終われば空腹を感じていなくとも決まり的に「お腹すいた」と言った。この頃の自分を振り返ると何だか恐ろしい。よくまぁ、一般的に大人になれたものだ。太宰治の「人間失格」に「私は空腹というのがどういうものか知りませんでした。ただ三度三度黙って飯を食い・・・」のような文があるが、それを読んだときには震撼した。まさに幼少期の私と似ていた。
ままごとも一人二役はしょっちゅうで、まぁそんな事は小さい子にはよくある事やねんけど、母にはこの幼児の創造性が理解できないらしく「頭がおかしい子みたいやから辞めなさい」とよく言われた。母は一人遊びをすることはなかったのだろうか。。
幼稚園に行きだして世界は広がり、そこで出逢うすべてのことは私にとって新鮮で、帰ってから色々はなそうとするのだが、母はいつも私の顔をきちんと見て話を聞いてくれたことはなく、片手間あるいは生返事ばかりだった。今でも真面目に話を聞いてくれないと、迂闊にも鼻の奥がツンとなってしまう。
それゆえ自分ときちんと向かい合ってくれる人に男女問わずすごく惹かれる。
自分の目を見て話をしたり聴いてくれたりする人。人の話を聞くって、ちゃんとしようと思えば案外難しい。
それがきちんとできる人と会話をすると、凄く安心するのだ。あぁ、きちんと自分が受け止められていると思えるから。
で、何故それを求める先が異性なのかといえば、うーん、やっぱ自分よりも体格や雰囲気的に大きいというのがあるからかもしれないと最近おもう。自分より大きい者ってなんか安心する。
とりあえず「めぐさんよりおっきい人が理想★」が口癖やし。。まぁ私より背が低い人や体重が軽い人はほぼ周りにはいないけど。
色々な面でトラウマを残している母やけど、いい所もあるのだ。
子どもとの接し方がわからなかっただけだ、愛し方を間違えただけだと今なら理解できる。
そんな母だが、欠かさずしてくれたのが寝る前の本の読み聞かせだった。自発的にし始めたのか、どこかでそれがいいと聞いたのかは知らないけど、毎晩毎晩欠かさずだった。仮に忘れた日があっても、せがむとこれだけはないがしろにされなかったのである。家にある絵本だったり、図書館から借りてきたり。読むものがなくなれば同じものを何回も繰り返した。そのおかげで、近所の子より早く字が読めるようになり、小学校のときも国語は好きだった。
これは本当によかったと思っているから、自分が親になったときもそうしたい。ちなみにこれ、父がやると勝手に創作してしまうのだ。
たとえば「ぐりとぐらは、うみぼうずにゆうかいされました」とか。。ひでぇー笑 ほんまは海坊主と仲良くなるのに。
過去・現在・将来。将来のことはまだわからんけど、結構今、昔から今までを振り返る機会が多くなった。結構私、物心着く(というか記憶が残ってるのが)早かったから、色んな事を断片的に憶えてるんよね。小さい時に意味がわからんかった言葉も、意味がわかるような年になって急に思い出して傷ついたり。子どもにはわからんって思わんと言葉には気つけなあかんなぁって実感する。
現在の私は一見関係ないようで、過去の自分と密接に関係していたりする。考え方だとか色々。その過去の黒い部分を、大学に入ってからきちんと眼を向けて対峙できるようになった。脳天気に生きてこれるに越した事はないけど、やっぱりどんな出来事も私を構成する要素になってるんやろうなぁ。
これから魅力的なオトナの女性になりたいぜ笑
関係ないけど20歳の頃には「子どもっぽい」と馬鹿にしていた、リサとガスパールやリラックマなんかのキャラに今ハマりきってます。顔はにゃ~ってなる。
癒しを求めた結果なんかなー??笑 Vitzのお餅をむいーんとしてるリラちゃん、たまりませんあんなん隣に乗せてドライブしたいよぉ(。→∀←。)
以上、支離滅裂で本人も何がいいたかったんかよくわからん独り言でした。。
ここまでお付き合いくださったそこのあなた感謝感謝です感謝の気持ちを込めて、プレゼント・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はないでーす
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CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
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