Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
教育実習ダイジェスト☆1 ~どきどきの一週間~
- 2008/06/22 (Sun)
- ☆日記★-日常全般-☆ |
- TB() |
- CM(0) |
- Edit |
- ▲Top
帰還後、初の自炊は「茄子とシーフードのカレー」
ん~夏って感じ
私はいつもカレーを作るときには、ハウスのジャワカレー(中辛)を使ってるんだけど、最近は「ジャワカレー・スパイシーブレンド」とのブレンドがマイブーム
気分やその日の状態に合わせて、どういうブレンドで食べるかを変えるのがおもしろい
今日はスパイシー:中辛を7:3くらいで クーラーの効いた部屋(勿論省エネの28℃・笑)で辛いのをひぃひぃ言いながら食べるのがイイ
でも手元が狂って塩を入れすぎてしまい、すごくしょっぱくなってしまったので23時過ぎまで地道に修正
その甲斐は少ししかなく、微妙に塩辛いカレーを食べるハメに・・・・
これがほんとの海の味・・・・あ~ぁ。。結局、少し食べた後、ミートソース(レトルト)のパスタで口直し
今度こそ、おいしいカレーを食べるぞ
そんなんはさておき、教育実習を振り返ろうと思いますww
朝は6時半起床。出勤は7:45頃。朝の職員打ち合わせは8:00~。
そこから大抵18時頃まで実習をして帰宅すれば、ご飯を食べて授業準備をして寝る。という怒涛の日々が始まった。
6月2日。出勤して、自分の机に案内される。職員室に机が持てるなんて、たとえ実習でも夢のようだ
朝の打ち合わせ。先生方の動線関係や、その日の予定、教委からの伝達事項等、うっかり聞き逃せないことが伝えられる。
それがおよそ5分~10分。それから各学年ごとに学年主任から、その学年に伝えなければならない事が言われる。それが終わると朝学活へ
最初の3日ほどは朝学活も観察だったので、それらの事項は聞き流していても問題はなかったが、4日目からは朝学活&終学活を任されたのですごく真剣に聞いた・笑
私の学級担当は1年2組。私の頃は3クラスあった学級も、過疎の影響からか1・2年生は2クラス。3年生だけがかろうじて3クラスを保っていた。
人数が少なくなってきているのが幸いしてか、英語と数学はTT(ティームティーチング)方式が採用されていた。TTは授業の風通しをよくするという面においては効果的だが、他の教師と方針が合わなければ少々やり辛いという問題点もある。担当教諭は2人で、1年生においてはクラスを2分割し、それぞれに1人ずつ先生が配置されており、2年生以降は1クラスは分けずに2人の先生がつくという形がとられていた。基礎をきちんとしておくべき1年生で、このような少人数制がとられているのはいいことだ。理解の深化に役立つ。
私が居たのと同じ教室に2組はあった。
初日は生徒の顔と名前も一致しないまま終わった。個人情報の管理にもうるさくなっている昨今、名簿などの類は実習が始まるまで見せてもらえない。
指導教諭はK先生。過去ログでも述べたが、茶髪のショートがよく似合うベテランの先生だ。
私と同い年の娘さんがいることもわかった。外大でドイツ語を専攻していて、今年の2月までドイツに留学していたらしい。私の知っている人に境遇がすごく似ている。
ところがどっこい、この指導教諭の先生のせいで(
)怒涛の3週間の幕開けとなる。
初めの1週間は「授業観察」と言い、指導教諭などの授業を見ることから始まる。
初日からこの先生に反感を抱いた。正しい音を覚えこませなければならない1年生の前で、超日本人英語!な発音をする。rとlも発音しわけず、hospitalを「ほすぴたル」と平気で言ったり、falseを「ふぉールす」なんて言ったりする。
内心やめてえぇぇ~
と思っていたが、実習生の身分など底辺にしかない。黙って授業を観察した。
ingの語尾のgの脱落もできていなかった。教育に対する情熱はものすごくお持ちなのに何故、こういうところをいい加減にしておけるのだろう・・・と授業を十数分見ただけで、不信感を感じた。
S教授(発音マニアの)ほどの発音スパルタになると行き過ぎなのではとも思うけれど、ある程度正しい発音を教えなくてはならないのは英語教師の使命なのである。それを生徒にまで強要するかどうかは別として自分はそれらを発音できなくてはならない。
先生が発音できないのではなく、できるのにしないのだ。何故?という疑問を持った。ひとつに考えられるのは、1年生が相手なので「わかりやすいように」との意図で、ジャピングリッシュにしてしまっているのではないかということ。
先生に真意を確かめたことはないので、真相はわからないがおそらくそうではないかと思う。
・・・・・でも。「わかりやすいように」 それで果たしていいのだろうか。
入門期にそのような発音に慣れてしまったら、そこから脱却するのは難しくなる。英語嫌いなら尚更だろう。
「わかりやすいように」・・・良かれと思ってしたことが、逆に教え子の首を絞めるようなことにはならないか。。
帰って、腑に落ちないという旨を食事のときに親にしてみた。母は「いいじゃない。わかりやすい方が」と、先生の方を擁護したが、父は私サイドの意見らしく、
「耳で慣れなあかんやろ~。小さい子が言葉覚える時分によ~子どもが赤ちゃん言葉を話しても親はそれを言うたらあかんのとおんなじちゃうか」
確かに。。
また、授業数の関係もあるのかもしれないが、授業で使われる基本的な英語表現を教えられていないという事も明らかになった。
例えば、
Raise your hands(手を挙げなさい)とか、Open your textbooks to page●(教科書何ページを開きなさい)とか、Go back your seat.(席に戻りなさい)などなど、どれも中1の初期に単語の習得状況に関係なく、覚えこませてしまうものなのに。。
仕方なく教壇実習では、身振り手振りを加えたりして理解を助ける等して、だんだんとその表現を覚えさせるようにした。
集中力が切れてきた生徒に英語での指示は案外効くのだ。
でも一番困ったのは、Go back your seat。
身振りなどで説明するのも難しいので、どうしても理解できなさそうな場合Sit downに置き換えたのだが、これは本当は良い策ではない。
Sit downだとその場に座れということなので、席を離れてうろうろしている生徒などの場合は、自分の席にいなくても今いる場所に座りなさい、という事になってしまうのである。
授業法以外にも、何か腑に落ちない点の残る指導教諭。
何故だろう。。。とずっと考えていたが、最近ようやくそのワケがわかった気がする。
彼女はいつも上から目線なのだ。生徒に対しても、実習生である私に対しても、同僚の教職員に対しても。
自分のやり方に自信があるのは結構なことだ。むしろそうでなければやっていけないし、生徒を前にしてリーダーシップもなければいけない。
でも彼女の場合、リーダーシップというより上から見下ろすという威圧的な感じを受ける。
勿論、上からも見なければならない。でもそれは見守るために、である。同じ目線では見えなかったことを時々上から確認する、のような。
いつもいつも上から「見下ろす」のは子どもの視点に立てない。
貴女はそんなに偉いのですか、と尋ねたくなる事も度々あった。
また、「1年生はパターンプラクティスと音で文法を教え込ませる」が先生の持論。そういう方針の先生は現にたくさんいるけれど、「音でパターンプラクティスさせる」ならば、発音しっかりしろや
と思わざるを得ない。。
理念の違い、教育方針の違い。しかも私も先生もお互い気が強いので、苦労した。特に教壇実習(実際に授業をする)が始まってからは、それは顕著だった。
指導案が一発で通った試しはなく、OKを貰おうとすれば必ずそこに彼女の意図が入るのだ。授業の展開そのものから板書の計画に至るまで細かく指示をされた。
「私はこういうやり方だから」
「私はこっちの方がいいと思う」
そういうのの連続。私は2週間(教壇実習)「貴女の代わり」に授業をしているのではない、と思ったが、笑顔を作った。詳しくは第2弾でも書くけれど、猫を被る日々が始まった。
ずっとそこで授業をしなければならないのなら、双方のやり方をじっくりと話し合ってもよかっただろう。
しかし私は所詮実習生。教育実習も成績によって単位認定されなければ、いくら休みなく通ったところで教員免許はもらえない。評価なんて指導教諭の気分とさじ加減ひとつ・・・とも言える。
下手に楯突いて、自分の身を滅ぼすことほど馬鹿なことはない。職員室では究極にさめきっていた。
相手の意図を読み取り、ここは
というところ以外はすべて「はい」で通し、心の奥底は黒々としていてもとびっきりの笑顔を浮かべた。
したたかさも教師には必要だ。
四面楚歌には慣れている。自分を本当に理解してくれる人はひとり居たならば、他が四面楚歌であっても私は生きてゆけるのだ。
でも、今は絶対四面楚歌になるわけにはいかなかった。
だから、猫を被った。。
「素直な実習生」という猫を。。。 続く
そこから大抵18時頃まで実習をして帰宅すれば、ご飯を食べて授業準備をして寝る。という怒涛の日々が始まった。
6月2日。出勤して、自分の机に案内される。職員室に机が持てるなんて、たとえ実習でも夢のようだ

朝の打ち合わせ。先生方の動線関係や、その日の予定、教委からの伝達事項等、うっかり聞き逃せないことが伝えられる。
それがおよそ5分~10分。それから各学年ごとに学年主任から、その学年に伝えなければならない事が言われる。それが終わると朝学活へ

最初の3日ほどは朝学活も観察だったので、それらの事項は聞き流していても問題はなかったが、4日目からは朝学活&終学活を任されたのですごく真剣に聞いた・笑
私の学級担当は1年2組。私の頃は3クラスあった学級も、過疎の影響からか1・2年生は2クラス。3年生だけがかろうじて3クラスを保っていた。
人数が少なくなってきているのが幸いしてか、英語と数学はTT(ティームティーチング)方式が採用されていた。TTは授業の風通しをよくするという面においては効果的だが、他の教師と方針が合わなければ少々やり辛いという問題点もある。担当教諭は2人で、1年生においてはクラスを2分割し、それぞれに1人ずつ先生が配置されており、2年生以降は1クラスは分けずに2人の先生がつくという形がとられていた。基礎をきちんとしておくべき1年生で、このような少人数制がとられているのはいいことだ。理解の深化に役立つ。
私が居たのと同じ教室に2組はあった。
初日は生徒の顔と名前も一致しないまま終わった。個人情報の管理にもうるさくなっている昨今、名簿などの類は実習が始まるまで見せてもらえない。
指導教諭はK先生。過去ログでも述べたが、茶髪のショートがよく似合うベテランの先生だ。
私と同い年の娘さんがいることもわかった。外大でドイツ語を専攻していて、今年の2月までドイツに留学していたらしい。私の知っている人に境遇がすごく似ている。
ところがどっこい、この指導教諭の先生のせいで(

初めの1週間は「授業観察」と言い、指導教諭などの授業を見ることから始まる。
初日からこの先生に反感を抱いた。正しい音を覚えこませなければならない1年生の前で、超日本人英語!な発音をする。rとlも発音しわけず、hospitalを「ほすぴたル」と平気で言ったり、falseを「ふぉールす」なんて言ったりする。
内心やめてえぇぇ~

ingの語尾のgの脱落もできていなかった。教育に対する情熱はものすごくお持ちなのに何故、こういうところをいい加減にしておけるのだろう・・・と授業を十数分見ただけで、不信感を感じた。
S教授(発音マニアの)ほどの発音スパルタになると行き過ぎなのではとも思うけれど、ある程度正しい発音を教えなくてはならないのは英語教師の使命なのである。それを生徒にまで強要するかどうかは別として自分はそれらを発音できなくてはならない。
先生が発音できないのではなく、できるのにしないのだ。何故?という疑問を持った。ひとつに考えられるのは、1年生が相手なので「わかりやすいように」との意図で、ジャピングリッシュにしてしまっているのではないかということ。
先生に真意を確かめたことはないので、真相はわからないがおそらくそうではないかと思う。
・・・・・でも。「わかりやすいように」 それで果たしていいのだろうか。
入門期にそのような発音に慣れてしまったら、そこから脱却するのは難しくなる。英語嫌いなら尚更だろう。
「わかりやすいように」・・・良かれと思ってしたことが、逆に教え子の首を絞めるようなことにはならないか。。
帰って、腑に落ちないという旨を食事のときに親にしてみた。母は「いいじゃない。わかりやすい方が」と、先生の方を擁護したが、父は私サイドの意見らしく、
「耳で慣れなあかんやろ~。小さい子が言葉覚える時分によ~子どもが赤ちゃん言葉を話しても親はそれを言うたらあかんのとおんなじちゃうか」
確かに。。
また、授業数の関係もあるのかもしれないが、授業で使われる基本的な英語表現を教えられていないという事も明らかになった。
例えば、
Raise your hands(手を挙げなさい)とか、Open your textbooks to page●(教科書何ページを開きなさい)とか、Go back your seat.(席に戻りなさい)などなど、どれも中1の初期に単語の習得状況に関係なく、覚えこませてしまうものなのに。。
仕方なく教壇実習では、身振り手振りを加えたりして理解を助ける等して、だんだんとその表現を覚えさせるようにした。
集中力が切れてきた生徒に英語での指示は案外効くのだ。
でも一番困ったのは、Go back your seat。
身振りなどで説明するのも難しいので、どうしても理解できなさそうな場合Sit downに置き換えたのだが、これは本当は良い策ではない。
Sit downだとその場に座れということなので、席を離れてうろうろしている生徒などの場合は、自分の席にいなくても今いる場所に座りなさい、という事になってしまうのである。
授業法以外にも、何か腑に落ちない点の残る指導教諭。
何故だろう。。。とずっと考えていたが、最近ようやくそのワケがわかった気がする。
彼女はいつも上から目線なのだ。生徒に対しても、実習生である私に対しても、同僚の教職員に対しても。
自分のやり方に自信があるのは結構なことだ。むしろそうでなければやっていけないし、生徒を前にしてリーダーシップもなければいけない。
でも彼女の場合、リーダーシップというより上から見下ろすという威圧的な感じを受ける。
勿論、上からも見なければならない。でもそれは見守るために、である。同じ目線では見えなかったことを時々上から確認する、のような。
いつもいつも上から「見下ろす」のは子どもの視点に立てない。
貴女はそんなに偉いのですか、と尋ねたくなる事も度々あった。
また、「1年生はパターンプラクティスと音で文法を教え込ませる」が先生の持論。そういう方針の先生は現にたくさんいるけれど、「音でパターンプラクティスさせる」ならば、発音しっかりしろや

理念の違い、教育方針の違い。しかも私も先生もお互い気が強いので、苦労した。特に教壇実習(実際に授業をする)が始まってからは、それは顕著だった。
指導案が一発で通った試しはなく、OKを貰おうとすれば必ずそこに彼女の意図が入るのだ。授業の展開そのものから板書の計画に至るまで細かく指示をされた。
「私はこういうやり方だから」
「私はこっちの方がいいと思う」
そういうのの連続。私は2週間(教壇実習)「貴女の代わり」に授業をしているのではない、と思ったが、笑顔を作った。詳しくは第2弾でも書くけれど、猫を被る日々が始まった。
ずっとそこで授業をしなければならないのなら、双方のやり方をじっくりと話し合ってもよかっただろう。
しかし私は所詮実習生。教育実習も成績によって単位認定されなければ、いくら休みなく通ったところで教員免許はもらえない。評価なんて指導教諭の気分とさじ加減ひとつ・・・とも言える。
下手に楯突いて、自分の身を滅ぼすことほど馬鹿なことはない。職員室では究極にさめきっていた。
相手の意図を読み取り、ここは

したたかさも教師には必要だ。
四面楚歌には慣れている。自分を本当に理解してくれる人はひとり居たならば、他が四面楚歌であっても私は生きてゆけるのだ。
でも、今は絶対四面楚歌になるわけにはいかなかった。
だから、猫を被った。。
「素直な実習生」という猫を。。。 続く
PR
この記事へのトラックバック
トラックバックURL
CALENDAR
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新記事
(10/12)
(06/08)
(06/03)
(05/09)
(04/10)
最新TB
プロフィール
HN:
☆
性別:
非公開
自己紹介:
CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
この記事へのコメント