Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
二次障害について
だいじょうぶ、運転なんて簡単やんw
最近自己暗示している言葉。技能教習がうまくいかないのだ。人が運転している隣にいると、簡単そうに見えるんやけどなぁー。でもって私は、注意力が散漫らしい。
テンパる癖も健在。所内交差点にて、右折しようと信号待ち中。
前方の左折しようとしてる車があって、教官が、
「優先なんはどの車?」
めぐさんひとこと、「あれ」・・・・・・「あれ」じゃどれかわからんとツッコまれたってかめちゃめちゃ頭悪そうな答え方や・笑
来年の5月までに取らなければ、30万がぱーになってしまう多分大丈夫やけどね★
叔母(この間の従兄弟の母ではなく別の)は、たとえ3分の2を私が出したとは言え、親に教習所費用を手伝ってもらうなんて甘えている、と言った。
ほとんどの学生は親が全額負担・・・という事実はさておいて、私も、お金の都合がつかなければ就職してから通ってもいいと前はおもっていた。
焦って取ろうとするのには理由がある。
それは二次障害。。
聞き慣れない言葉だと思う。私も数年前まで知らんかったし。私が精神的にプチ病みに陥るのの7割はコレが原因。
二次障害って??
厚生労働省の定義によれば、脳性マヒとは、「脳に損傷を受け、主に手足を動かすための筋肉が正常に機能しないこと」でした。したがって、損傷のそのものは進まず、したがって、障害は重くならないはずです。しかし、実際には、身体には様々な無理がかかっていますから、長く使うほどにガタが出て来ます。健常者でも、20代後半から30代にかけ、次第に筋肉量、代謝ともに落ち、体力の衰えを感じると言います。脳性マヒ者の場合、右肩上がりの体力によって支えられていた身体的諸機能が、体力の向上が止まったとたん、ぱたっと落ちてしまうことがあります。この落ち方は、それまでの身体機能の程度によって様々ですし、出てくる年齢、出方とも一定ではありません。マヒのある身体を無理して使うことにより、ガタが来るのが二次障害です。脳性マヒの場合、多かれ少なかれ緊張があり、緊張に抗して身体を動かそうとしますので、身体にかかる負担は大きくなります。 参考文献:http://stray.littlestar.jp/cp/cp05.htm
自覚し始めたのは、中学3年ごろ。それまで意識していれば、両足をぴったり地面に着けて立っていられたのが、左足が地面につきにくくなった。それにより、右足にばかり体重が掛かるので集会などで長時間立ちっぱなしはキツいと感じられるようになっていた。
それまでは好きな合唱団の発表で文化会館の大ホールで3時間立ちっぱなしで歌おうが、「少し疲れたなー」くらいやったのがそんなに長い間立っていることさえ相当な労力を要するようになり、結局合唱団はやめてしまった。先生は定演の時は椅子に座って歌ってもいいよ、と言ったが、皆と違うことは嫌だった。何より座っていれば声が遠くまで響かない。
今なら無理をせず、椅子に座ってでも好きな歌をうたおうと考えられただろう。でもかつての私は前にも書いたけれど、枠からはみ出すのが何より嫌いな子だった。
高校に入って、体育の授業が苦痛になった。いや、動くことは好きやし、バスケもバドミントンも好きだった。しかし、体力が持たない。気持ちに体力が付いていかないことがもどかしかった。自律神経失調症を発症した理由の1つはこれかもしれない。体育のあとは疲れきって、授業も左から右へ流れていった。
安定した立位を保つことが難しいので、バスケをしてもシュートが決まる率が下がっていき、バレーも思うようにトスできない。
「前はこれくらい動いても何ともなかったのに・・・」
そんな思いに苛まれることが多くなった。
内転は徐々にひどくなり、急いでいるときなどは左右の膝小僧がぶつかって打ち身ができる。
ある朝起きたら、急に何かが出来なくなっているというわけではない。それはもう本当にじわじわと進行する。
自分の二次障害が進行していることに気が付かない人さえいる。
でも終着点がない。まったく歩けなくなってしまうのか。それとも困難ではあるが歩けるのか。こういう結果になりますよ、というモデルがないのだ。先がわからないというのは、怖い。
ここ数日、膝に負担が掛かっていて少し歩いただけでも息が切れる。私はスポーツテストで「心肺持久力」が100%という結果ばかりなので、心臓や肺の問題、というよりはきっと足の方に原因があるんだろう。
疲れていると、なんでもない道で、つまづくわけでもなく転ぶ。こんなこと前はなかったのだ。人通りの少ないところでならいいが、人が行き交う街のド真ん中や駅の改札口なんかだと、恥ずかしいやら情けないやらで、泣きたくなる。
ただ一過性のものもあったりする。例えば、心理的にストレスが掛かっている場合でも、脳からの電気信号の伝達の問題なので、その心理的緊張が足に影響することがある。
たとえば、エスカレーター。エスカレーターに乗るだけの身体能力が失われたとは考えにくいが、一度踏み外して背中を強打してからは、足がすくんで乗れなくなった。どんなに長い階段だろうが、エスカレーターをスルーして階段をのぼる私を友達は怪訝な顔で見ているけど、正直自分より体重の重い人と一緒でないとエスカレーターは怖い。
そんなに長くないものなら落ちても軽症で済むけど、私が怖いのは落ちたときのケガじゃなく、人の反応なのだ。視線は容赦なく心を痛めつける。
一度駅のホームと電車との間に落ちかけたことがあり、電車に乗るのも随分慎重になった時期があった。
今はまただいぶ乗りなれて前の状態に戻っているが、一時はバイトに行くのとどうしてもの用事以外は電車に乗らず過ごした。こういうのは精神的にもだいぶ落ち込む。
通販をよく利用するようになったのはその頃。外に出なくても玄関まで商品を運んできてくれるって便利w
カタログ見てたらあれもこれもほしくなって、絞り込むのが大変やけど笑
私はまだ20代に入って、数年しか経っていない。まだ目立った二次傷害は出てきていないし、日常生活に困ることもない。でも願わくば、もう一度風をきって走ってみたいなぁと思う。昔だって人に比べれば随分遅かったけど、走ってる感があった。今は少し速度を上げれば、バランスを崩して転ぶ。
二次障害って、自分との闘いだと思う。
思うようにいかなくなる自分。あれもしたい、これもしたい、でも出来ないという葛藤。病状の悪化への恐怖。
負荷が掛かる故の体の変形。特に女の人はこのコンプレックスは大きいんじゃないかと思う。
私は物心ついたときから、こういう歩き方だったから特にこの歩き方に関してコンプレックスは持っていない。(それを誰かに何か言われたりすれば腹立つけど)
しかし、段々変わってきたものには複雑な気持ちだ。右より左の内転の方がキツいので、両脚の形が微妙に違ってきたし、足首も内転の影響でアキレス腱が埋もれ、寸胴になってきた。周囲からは「言われてみればって感じやけど、そんなにわかんないよ」と言われる。
でもやっぱり、スカートを履いたりするときは少し憂鬱になる。
リハビリの世界では、こういうメンタル面のケアがまだまだやなーっと感じる。
二次障害の恐怖にしてもそうやし、この間まで悩んでいた問題もそうやし、日常の本当に些細な事、たとえば先っぽのとんがった靴を履いてみたいだとかそういうことも、なかなか相談できる雰囲気じゃない。歩けるんやから、オシャレなんて贅沢。そんなの二の次・・・とか、そういう恐怖は抱えて生きるもの(もしくはP.T.自体、その恐怖をよく理解していない)とかいった考えが根底にあるのは否定できない。
少し何か足に不調があるだけで、その夜は怖くて怖くて仕方がない。でも親にはそういうのを吐きだせないし、友達は皆健常者。そんなことで怖いといっても、困ってしまうだけ。それに障がい者の友達であったとしてもそれは言えない。
私は別に完全に理解してもらえなくたっていいのだ。この問題だけじゃなく、人間、自分の経験したことのない事にはほんまに共感するのは難しい。でも、その人がどういう風に辛くて苦しいのか、それがなんでなんかわかってなくても、ただ自分が「辛い」とか「悲しい」んだってことだけでも知ってもらえれば、幾分気持ちは楽になる。
でもたいていの人はその奥の奥の方まで理解しようとするから、どうしていいかわからんくなって当惑する。
「わかろうとすらしない」のは無責任やけど、あえてその真髄を理解しようとしないのは必ずしも無責任じゃないなぁって思うこの頃。
女の子が泣いてたりしても、やたら「どうしたん?」って聞いておろおろする男性いるけど、それが前者に似てるんじゃないかと思う。原因なんて、この際(どの際?)どうでもいいねんって。泣けば、いえば、スッキリすることもあるし。
アテトーゼタイプのCPは、首や上肢にも負担がかかる為、代表的な二次障害として頚椎症が挙げられるそうです。不随意運動も激しいものだと負担が大きいようやし。たいていはひどくなる前に手術で外科治療というのが一般的なようです。私自身、アテトーゼの方とはあまり話したことがないので文献を見る程度の知識で申し訳ないですが。
インターネットの情報は便利やけど、誤った情報も氾濫しています。どれが正しいのかしっかり見極めることが重要。私も二次障害について調べているとき、「脳性まひの人は心臓発作で早死する」なんて記述を見てしまって、3日間過呼吸になりました後日、P.T.に「そんなん学会でも聞いた事ない」って言われるまで、脈拍ありえなかったし。。
楽天的な人の場合はまぁいいとして、私のように気に病むタイプだと、親御さんたちは、気持ちをありのまま吐き出せる親子関係を築いてほしいと思います。
うちの母親は、本当に子どものように感情的になる人で、現実を受け入れるのが難しい人。まぁたいていのお母さんたちは問題ないしっかりした人が多いんですが、私の場合「悪くなっている」というだけで不安定になって電話をガチャリと切ってしまう。これではもう何もいえないし、いまだに治ると信じているんです。そう思ってくれるのは有難いけれど、その考えにすがるんじゃなく、どうやってCPと向き合って生きていくかを考えていてくれたほうが有難かったりする。それに怖いときに「怖い」と言いたいんです、やっぱり。あと、足によく効く神さん奉ってるとこにおまいりに行こういわれたときも、正味ドン引き神仏になんかすがらないで、現実を見てよ!!と思った。子どもがこれからどう生きていくか真剣に考えているときに、こういう親の非科学的発言はストレスになります・・・・・。。結局そこにお参りには行かなかったけど。母は一人でいったのか、もう聞く気にもならなかった。
そんなだから帰省するのさえ憂鬱。単に荷物が重いってのも1つ。まぁこれは宅配便のお金をケチらなかったら済むことやけど、自分の足はどうにもならない。毎日会っていればそれ程変化は目に付かないけど、一人暮らしだとそうもいかない。帰るたびに悪化に気付かれはしないか、ひやひやしてる。自分でもあほらしいと思うけど。まぁ親のトシもトシやし、心配させたくないっていうのもあるんやけど、やっぱキツいっす
陰では泣いてもグチってもいいと思う。弱音を言ってもいいと思う。ただ子どもが本当に辛い時には「本当に強いお母さん」になる覚悟をしてほしい、というのがCPの子どものお母さんたちへの願い。
なかなか酷な事はわかってるんやけど、その現実と闘うのは子ども本人ですから。
二次障害については、何か変化があり次第、このカテゴリに記載していきます。タイプや、その人の生活の仕方によってもまったく出方は異なるから、100%誰にも当てはまるというワケじゃないけど、参考になれば幸いです。CP患者は太りやすい体質かやせすぎる体質か、極端になる傾向が多いようやけど、命に関わらないのであれば、痩せている方がいいと思います。体重が重いと、自分の体を支えるのさえ負担になるから。私は若干痩せ気味の標準体重をキープしています。あと体脂肪が多すぎるのもよくないかなー。私の体脂肪は大学周辺の坂道に鍛え上げられたおかげでえらい事になってます。。でも多分、この筋肉量があるから体力が持つんじゃないかと思う。 なんかもう最近、胸の一部も胸筋になってきて若干複雑ですが^^;笑 そこは脂肪のままでいいー笑 高校時代の下着がぶかぶかなのが、女としてかなしい。。笑 最近イソフラボン摂りまくって(大豆系。イソフラボンは女性ホルモン活性化の効果あり)頑張ってますが、一向に元に戻る気配ないし・・・嫌いな納豆も食べるべき??
ま、そんなしょうもない嘆きは置いといて、今日はこの辺で寝まーすww
CPの話は思い立った時やCPで辛いことにぶち当たったときに書くことが多いかも。
CPの記事だけを目的に閲覧してくれてる人は、いつもいつも覗きにくるたび、しょうーもない日常が綴られてたりしますが許してちょ
ほとんどの学生は親が全額負担・・・という事実はさておいて、私も、お金の都合がつかなければ就職してから通ってもいいと前はおもっていた。
焦って取ろうとするのには理由がある。
それは二次障害。。
聞き慣れない言葉だと思う。私も数年前まで知らんかったし。私が精神的にプチ病みに陥るのの7割はコレが原因。
二次障害って??
厚生労働省の定義によれば、脳性マヒとは、「脳に損傷を受け、主に手足を動かすための筋肉が正常に機能しないこと」でした。したがって、損傷のそのものは進まず、したがって、障害は重くならないはずです。しかし、実際には、身体には様々な無理がかかっていますから、長く使うほどにガタが出て来ます。健常者でも、20代後半から30代にかけ、次第に筋肉量、代謝ともに落ち、体力の衰えを感じると言います。脳性マヒ者の場合、右肩上がりの体力によって支えられていた身体的諸機能が、体力の向上が止まったとたん、ぱたっと落ちてしまうことがあります。この落ち方は、それまでの身体機能の程度によって様々ですし、出てくる年齢、出方とも一定ではありません。マヒのある身体を無理して使うことにより、ガタが来るのが二次障害です。脳性マヒの場合、多かれ少なかれ緊張があり、緊張に抗して身体を動かそうとしますので、身体にかかる負担は大きくなります。 参考文献:http://stray.littlestar.jp/cp/cp05.htm
自覚し始めたのは、中学3年ごろ。それまで意識していれば、両足をぴったり地面に着けて立っていられたのが、左足が地面につきにくくなった。それにより、右足にばかり体重が掛かるので集会などで長時間立ちっぱなしはキツいと感じられるようになっていた。
それまでは好きな合唱団の発表で文化会館の大ホールで3時間立ちっぱなしで歌おうが、「少し疲れたなー」くらいやったのがそんなに長い間立っていることさえ相当な労力を要するようになり、結局合唱団はやめてしまった。先生は定演の時は椅子に座って歌ってもいいよ、と言ったが、皆と違うことは嫌だった。何より座っていれば声が遠くまで響かない。
今なら無理をせず、椅子に座ってでも好きな歌をうたおうと考えられただろう。でもかつての私は前にも書いたけれど、枠からはみ出すのが何より嫌いな子だった。
高校に入って、体育の授業が苦痛になった。いや、動くことは好きやし、バスケもバドミントンも好きだった。しかし、体力が持たない。気持ちに体力が付いていかないことがもどかしかった。自律神経失調症を発症した理由の1つはこれかもしれない。体育のあとは疲れきって、授業も左から右へ流れていった。
安定した立位を保つことが難しいので、バスケをしてもシュートが決まる率が下がっていき、バレーも思うようにトスできない。
「前はこれくらい動いても何ともなかったのに・・・」
そんな思いに苛まれることが多くなった。
内転は徐々にひどくなり、急いでいるときなどは左右の膝小僧がぶつかって打ち身ができる。
ある朝起きたら、急に何かが出来なくなっているというわけではない。それはもう本当にじわじわと進行する。
自分の二次障害が進行していることに気が付かない人さえいる。
でも終着点がない。まったく歩けなくなってしまうのか。それとも困難ではあるが歩けるのか。こういう結果になりますよ、というモデルがないのだ。先がわからないというのは、怖い。
ここ数日、膝に負担が掛かっていて少し歩いただけでも息が切れる。私はスポーツテストで「心肺持久力」が100%という結果ばかりなので、心臓や肺の問題、というよりはきっと足の方に原因があるんだろう。
疲れていると、なんでもない道で、つまづくわけでもなく転ぶ。こんなこと前はなかったのだ。人通りの少ないところでならいいが、人が行き交う街のド真ん中や駅の改札口なんかだと、恥ずかしいやら情けないやらで、泣きたくなる。
ただ一過性のものもあったりする。例えば、心理的にストレスが掛かっている場合でも、脳からの電気信号の伝達の問題なので、その心理的緊張が足に影響することがある。
たとえば、エスカレーター。エスカレーターに乗るだけの身体能力が失われたとは考えにくいが、一度踏み外して背中を強打してからは、足がすくんで乗れなくなった。どんなに長い階段だろうが、エスカレーターをスルーして階段をのぼる私を友達は怪訝な顔で見ているけど、正直自分より体重の重い人と一緒でないとエスカレーターは怖い。
そんなに長くないものなら落ちても軽症で済むけど、私が怖いのは落ちたときのケガじゃなく、人の反応なのだ。視線は容赦なく心を痛めつける。
一度駅のホームと電車との間に落ちかけたことがあり、電車に乗るのも随分慎重になった時期があった。
今はまただいぶ乗りなれて前の状態に戻っているが、一時はバイトに行くのとどうしてもの用事以外は電車に乗らず過ごした。こういうのは精神的にもだいぶ落ち込む。
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カタログ見てたらあれもこれもほしくなって、絞り込むのが大変やけど笑
私はまだ20代に入って、数年しか経っていない。まだ目立った二次傷害は出てきていないし、日常生活に困ることもない。でも願わくば、もう一度風をきって走ってみたいなぁと思う。昔だって人に比べれば随分遅かったけど、走ってる感があった。今は少し速度を上げれば、バランスを崩して転ぶ。
二次障害って、自分との闘いだと思う。
思うようにいかなくなる自分。あれもしたい、これもしたい、でも出来ないという葛藤。病状の悪化への恐怖。
負荷が掛かる故の体の変形。特に女の人はこのコンプレックスは大きいんじゃないかと思う。
私は物心ついたときから、こういう歩き方だったから特にこの歩き方に関してコンプレックスは持っていない。(それを誰かに何か言われたりすれば腹立つけど)
しかし、段々変わってきたものには複雑な気持ちだ。右より左の内転の方がキツいので、両脚の形が微妙に違ってきたし、足首も内転の影響でアキレス腱が埋もれ、寸胴になってきた。周囲からは「言われてみればって感じやけど、そんなにわかんないよ」と言われる。
でもやっぱり、スカートを履いたりするときは少し憂鬱になる。
リハビリの世界では、こういうメンタル面のケアがまだまだやなーっと感じる。
二次障害の恐怖にしてもそうやし、この間まで悩んでいた問題もそうやし、日常の本当に些細な事、たとえば先っぽのとんがった靴を履いてみたいだとかそういうことも、なかなか相談できる雰囲気じゃない。歩けるんやから、オシャレなんて贅沢。そんなの二の次・・・とか、そういう恐怖は抱えて生きるもの(もしくはP.T.自体、その恐怖をよく理解していない)とかいった考えが根底にあるのは否定できない。
少し何か足に不調があるだけで、その夜は怖くて怖くて仕方がない。でも親にはそういうのを吐きだせないし、友達は皆健常者。そんなことで怖いといっても、困ってしまうだけ。それに障がい者の友達であったとしてもそれは言えない。
私は別に完全に理解してもらえなくたっていいのだ。この問題だけじゃなく、人間、自分の経験したことのない事にはほんまに共感するのは難しい。でも、その人がどういう風に辛くて苦しいのか、それがなんでなんかわかってなくても、ただ自分が「辛い」とか「悲しい」んだってことだけでも知ってもらえれば、幾分気持ちは楽になる。
でもたいていの人はその奥の奥の方まで理解しようとするから、どうしていいかわからんくなって当惑する。
「わかろうとすらしない」のは無責任やけど、あえてその真髄を理解しようとしないのは必ずしも無責任じゃないなぁって思うこの頃。
女の子が泣いてたりしても、やたら「どうしたん?」って聞いておろおろする男性いるけど、それが前者に似てるんじゃないかと思う。原因なんて、この際(どの際?)どうでもいいねんって。泣けば、いえば、スッキリすることもあるし。
アテトーゼタイプのCPは、首や上肢にも負担がかかる為、代表的な二次障害として頚椎症が挙げられるそうです。不随意運動も激しいものだと負担が大きいようやし。たいていはひどくなる前に手術で外科治療というのが一般的なようです。私自身、アテトーゼの方とはあまり話したことがないので文献を見る程度の知識で申し訳ないですが。
インターネットの情報は便利やけど、誤った情報も氾濫しています。どれが正しいのかしっかり見極めることが重要。私も二次障害について調べているとき、「脳性まひの人は心臓発作で早死する」なんて記述を見てしまって、3日間過呼吸になりました後日、P.T.に「そんなん学会でも聞いた事ない」って言われるまで、脈拍ありえなかったし。。
楽天的な人の場合はまぁいいとして、私のように気に病むタイプだと、親御さんたちは、気持ちをありのまま吐き出せる親子関係を築いてほしいと思います。
うちの母親は、本当に子どものように感情的になる人で、現実を受け入れるのが難しい人。まぁたいていのお母さんたちは問題ないしっかりした人が多いんですが、私の場合「悪くなっている」というだけで不安定になって電話をガチャリと切ってしまう。これではもう何もいえないし、いまだに治ると信じているんです。そう思ってくれるのは有難いけれど、その考えにすがるんじゃなく、どうやってCPと向き合って生きていくかを考えていてくれたほうが有難かったりする。それに怖いときに「怖い」と言いたいんです、やっぱり。あと、足によく効く神さん奉ってるとこにおまいりに行こういわれたときも、正味ドン引き神仏になんかすがらないで、現実を見てよ!!と思った。子どもがこれからどう生きていくか真剣に考えているときに、こういう親の非科学的発言はストレスになります・・・・・。。結局そこにお参りには行かなかったけど。母は一人でいったのか、もう聞く気にもならなかった。
そんなだから帰省するのさえ憂鬱。単に荷物が重いってのも1つ。まぁこれは宅配便のお金をケチらなかったら済むことやけど、自分の足はどうにもならない。毎日会っていればそれ程変化は目に付かないけど、一人暮らしだとそうもいかない。帰るたびに悪化に気付かれはしないか、ひやひやしてる。自分でもあほらしいと思うけど。まぁ親のトシもトシやし、心配させたくないっていうのもあるんやけど、やっぱキツいっす
陰では泣いてもグチってもいいと思う。弱音を言ってもいいと思う。ただ子どもが本当に辛い時には「本当に強いお母さん」になる覚悟をしてほしい、というのがCPの子どものお母さんたちへの願い。
なかなか酷な事はわかってるんやけど、その現実と闘うのは子ども本人ですから。
二次障害については、何か変化があり次第、このカテゴリに記載していきます。タイプや、その人の生活の仕方によってもまったく出方は異なるから、100%誰にも当てはまるというワケじゃないけど、参考になれば幸いです。CP患者は太りやすい体質かやせすぎる体質か、極端になる傾向が多いようやけど、命に関わらないのであれば、痩せている方がいいと思います。体重が重いと、自分の体を支えるのさえ負担になるから。私は若干痩せ気味の標準体重をキープしています。あと体脂肪が多すぎるのもよくないかなー。私の体脂肪は大学周辺の坂道に鍛え上げられたおかげでえらい事になってます。。でも多分、この筋肉量があるから体力が持つんじゃないかと思う。 なんかもう最近、胸の一部も胸筋になってきて若干複雑ですが^^;笑 そこは脂肪のままでいいー笑 高校時代の下着がぶかぶかなのが、女としてかなしい。。笑 最近イソフラボン摂りまくって(大豆系。イソフラボンは女性ホルモン活性化の効果あり)頑張ってますが、一向に元に戻る気配ないし・・・嫌いな納豆も食べるべき??
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CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
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