Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
complicated
自分自身の心のよわい部分を曝け出すというのは、多分に勇気がいる行為である。
規模は小さいながら、それをついこの間してみた。
普段はここにしか書かないような事を、友達がたくさん閲覧するSNSで書いてみたのだ。このブログのように主観的文体は排除しようと思ったが、なかなかうまく行かなかった。それでも曝け出すという行動そのものはうまく行ったように思う。
担当のP.T.から宣告されてしまったのだ。
『25歳を過ぎれば、日々が闘いになる』と。
初めは実感が伴わなかったが、言葉の重みを知った瞬間、叫びたくなった。
何をかはわからない。言葉にならない思い。
自分は常に残酷に変わりゆく運命を受け入れていると周りの人に思われたかった。
本当はそうではないけれど、でもその方が楽だから。
心配を掛けなくて済む。変に取り繕う必要もなくなる。
憐れみに満ちた眼でみられることもない。
でも、「本当はそうではない」けれど「そうである」ように見せるというのは、根本で取り繕っているのと同じなのだ。
自分の弱い部分を曝け出す勇気を持つ云々以前に、ただもう吐き出したくて仕方ないと言うのもあったかもしれない。。
クランケとして甘えたいだけ、と悟ったところで、私の精神状態が変わったわけではない。
顔を見たいと思うのは相変わらずだし、本当はSNSなんかにじゃなく、彼に弱さを曝け出せたらと思う。それ以上のことも・・たとえクランケとしてではあれ望んでしまう。
それが満たされれば満足するのか。
それとも更に彼を必要としてしまうのか。
私にだってまだわからない。
今日はひとり車を飛ばして、地元でお世話になったP.T.に会いに行ってきた。
リハビリセンターには私が小学生の頃、リハビリを受けていた人がまだ来ていて久々の再会となったが・・・
その人のひざから下を見て、愕然とした。
膝から下の筋肉は、歩きづらくなり運動量が減ったせいか脂肪に変わり、歩くたびにぷるぷる揺れている。
足首のくびれは内反足の影響でなくなり、更にそこも太い。
私ももうすでに足首のくびれは目立たなくなってきた。
これから私もああなっちゃうのかな・・・・。
ぼんやり考えたら、ひどく憂鬱になった。
地元のP.T.に宣告されたことを告げても、少し前の担当P.T.同様、言葉を濁す。
やっぱりみんな同じなんだ。クランケの傷つく表情は見たくない。
リハビリ施設に行くと、自分の10年後、20年後に重なる姿をよく目にするから、最近は行くのがあまり乗り気ではない。わかっていても辛いから。
どんな物事も時が過ぎるにつれ解決へ向かうことを私は知っている。
たとえ能力が低下しようが足が変形しようが、時間を経れば必ず飲み込める日が来るだろうし、自分はそうできる人間だと思えるくらいには、私は私を信じている。でも、それは結果論であって、そういう日が来るまでの過程を思ったら、耐えられるのだろうか・・・という不安も残る。
そしてそんなときは、彼の存在を渇望する。
私はクランケという立場を超えてはならない。
でも、クランケという立場に留まるには些か重すぎ、恋愛対象という範疇にいるには少し軽い。
自分でもややこしい感情を抱いたものだな、と思う。
希望を隠された夜は、子どものようにすがりついて、来るべきものへの精一杯の抵抗を叫びたい。
運命を呪いたい朝は、自分を一切取り払って、枯れるほど涙を流したい。
そして泣き疲れた夜は、確かなあたたかさの中で恐怖から護られて眠りに落ちたい。
でも、そこに居る相手が貴方であっては、いけないんですよね・・・・。
何よりも大切にすべきものをもう既に両手に抱えているから。
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プロフィール
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
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