Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
仮面家族①
自分はまだ親になっていないのでエラそうなことは言えないけれど・・
なんか最近、遠慮している親子が増えてきたと感じる。
子どもを傷つけてしまうのでは、と踏み込まなかったり、
嫌われてしまうのでは、と強く叱れなかったり。
友だち親子、なんていうのが増えてきたのも最近だし。
親子なんて、嫌でも切っても切れない関係。
死ぬほど引きちぎってやりたくたって、そうそう容易ではないし、一生ついて回るのだ。
良くも悪くもw
だから「遠慮せんと言いたいこと言うたらええねん」と言うのが持論である。
父にもよくこの自分の意見は言ったりしている。
先日主任も『お母ちゃんもお腹をいためて産んだ子やのに、何遠慮することあんねんな』みたいなことをぼそっと言っていて、考えが似ていることに驚いた。
だが、私のこの意見の中には、大きな矛盾をはらんでいる。
引きちぎってやりたくたって切れない。
だから思い切りぶつかればいい。
他人と違って修復するチャンスはいくらもあるのだから。
その思いは変わらない。
しかし私達家族は、皆が皆、どこか遠慮をし合って暮らしてきたのだった。
自我が芽生えたその日から、度々全力でぶつかっていったものの、かわされることが多いのである。
そのうち、どこか全力でぶつかっているように見せながら、それは周到に計算されたものになっていった。
話題を選んで話す癖。
必要とあらば、話題をねつ造してまで話すこと。
特に小学校の頃いじめに遭っていたときは、休み時間に誰と遊んだか、何と呼ばれているか、挨拶すら交わすことのなくなったクラスメイトたちをあだ名で呼び、いかに学校が面白いかを、笑顔で語って見せた。
もちろん、だれも傷つかないし、困らない嘘である。
幸い、暴力を伴ういじめではなかったのだが、そのことが周囲に気付きにくくさせた。
普通、それだけ話していても放課後、一人も友達が遊びに来なかったり、誰それと遊びに行くと出かけなかったりすれば少しは様子が変だと思うものだろうが、
生憎母はそういうことはてんで察せないし、父は仕事である。
その上習い事も当時は多くしていたし、団地で学年の違う子で遊び相手も多かったので自宅外で遊ばないことも不審に思わなかったらしい。
家の近所の幼馴染と連れるようになっても、『出来事ねつ造』は続いた。
嘘で塗り固めたところに少しの真実を挟む変化はあったけれど。
今同じことが起こったら絶対引きこもりになるだろう、と思うけれど、当時は発熱以外は休まなかった。
熱が出ないと休ませてもらえないことは経験からわかっていたし、休みたいと訴えたところで是が非でも家から出されるのはわかっていたから。
いじめられている、ということも言っても無駄だ、と思っていた。
小さいころから、土地柄と言うのか何なのかどうも水に合わず、気のきつい女の子たちのお仲間には入れずにいて、母は母で、今でいうママ友連中の中でひとり浮いていた。
仲間外れも珍しくなかった。
まぁ子どもなので、たまに気分で遊んでもらえることはあったけれどね。
目の前で我が子がハブにされてようが、見て把握しているのに一言も言わない。
注意はしにくいのかもしれないが、辛い目をしているのを隣で母が見ているのに一言も彼女らにも私にも何もない、ということの積み重ね。
そんなこんなで早くから親に対する信頼は0.
それでもやっぱりキツいもので、隣町に習い事に行き、何も知らない子たちの輪の中に入って何とか平常心を保っていた。
父も母も本音を言わない。
私は嘘の塗り壁。
本当のことを言ったら、ほとんどのことは彼女では対処できないし。
父は父親と言う役回りにしてはあまりにも線が細い。
どんな事情があるかわからないにせよ、金銭的にもどん底だったのもあるけれど、様々なことに置いて事なかれ主義なのである。
大ごとにならないと良い、と平穏に過ぎ去ってくれという思いが、子ども心にもよくわかった。
家族を守るために戦えない。
子どもが出来たら、優しいだけではダメなのだと痛感する。
自分の体のことにしてもそうだ。
良い時も辛い時も本音は出せない。 続く・・
なんか最近、遠慮している親子が増えてきたと感じる。
子どもを傷つけてしまうのでは、と踏み込まなかったり、
嫌われてしまうのでは、と強く叱れなかったり。
友だち親子、なんていうのが増えてきたのも最近だし。
親子なんて、嫌でも切っても切れない関係。
死ぬほど引きちぎってやりたくたって、そうそう容易ではないし、一生ついて回るのだ。
良くも悪くもw
だから「遠慮せんと言いたいこと言うたらええねん」と言うのが持論である。
父にもよくこの自分の意見は言ったりしている。
先日主任も『お母ちゃんもお腹をいためて産んだ子やのに、何遠慮することあんねんな』みたいなことをぼそっと言っていて、考えが似ていることに驚いた。
だが、私のこの意見の中には、大きな矛盾をはらんでいる。
引きちぎってやりたくたって切れない。
だから思い切りぶつかればいい。
他人と違って修復するチャンスはいくらもあるのだから。
その思いは変わらない。
しかし私達家族は、皆が皆、どこか遠慮をし合って暮らしてきたのだった。
自我が芽生えたその日から、度々全力でぶつかっていったものの、かわされることが多いのである。
そのうち、どこか全力でぶつかっているように見せながら、それは周到に計算されたものになっていった。
話題を選んで話す癖。
必要とあらば、話題をねつ造してまで話すこと。
特に小学校の頃いじめに遭っていたときは、休み時間に誰と遊んだか、何と呼ばれているか、挨拶すら交わすことのなくなったクラスメイトたちをあだ名で呼び、いかに学校が面白いかを、笑顔で語って見せた。
もちろん、だれも傷つかないし、困らない嘘である。
幸い、暴力を伴ういじめではなかったのだが、そのことが周囲に気付きにくくさせた。
普通、それだけ話していても放課後、一人も友達が遊びに来なかったり、誰それと遊びに行くと出かけなかったりすれば少しは様子が変だと思うものだろうが、
生憎母はそういうことはてんで察せないし、父は仕事である。
その上習い事も当時は多くしていたし、団地で学年の違う子で遊び相手も多かったので自宅外で遊ばないことも不審に思わなかったらしい。
家の近所の幼馴染と連れるようになっても、『出来事ねつ造』は続いた。
嘘で塗り固めたところに少しの真実を挟む変化はあったけれど。
今同じことが起こったら絶対引きこもりになるだろう、と思うけれど、当時は発熱以外は休まなかった。
熱が出ないと休ませてもらえないことは経験からわかっていたし、休みたいと訴えたところで是が非でも家から出されるのはわかっていたから。
いじめられている、ということも言っても無駄だ、と思っていた。
小さいころから、土地柄と言うのか何なのかどうも水に合わず、気のきつい女の子たちのお仲間には入れずにいて、母は母で、今でいうママ友連中の中でひとり浮いていた。
仲間外れも珍しくなかった。
まぁ子どもなので、たまに気分で遊んでもらえることはあったけれどね。
目の前で我が子がハブにされてようが、見て把握しているのに一言も言わない。
注意はしにくいのかもしれないが、辛い目をしているのを隣で母が見ているのに一言も彼女らにも私にも何もない、ということの積み重ね。
そんなこんなで早くから親に対する信頼は0.
それでもやっぱりキツいもので、隣町に習い事に行き、何も知らない子たちの輪の中に入って何とか平常心を保っていた。
父も母も本音を言わない。
私は嘘の塗り壁。
本当のことを言ったら、ほとんどのことは彼女では対処できないし。
父は父親と言う役回りにしてはあまりにも線が細い。
どんな事情があるかわからないにせよ、金銭的にもどん底だったのもあるけれど、様々なことに置いて事なかれ主義なのである。
大ごとにならないと良い、と平穏に過ぎ去ってくれという思いが、子ども心にもよくわかった。
家族を守るために戦えない。
子どもが出来たら、優しいだけではダメなのだと痛感する。
自分の体のことにしてもそうだ。
良い時も辛い時も本音は出せない。 続く・・
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CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
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