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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

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I Wanna Be Free...

昨夜、本当に久しぶりにプチ鬱の発作が起きた。

数日前から兆候はあった。

洗濯物を取り込んでも畳む気になれず、ベッドの端のほうに服の山ができていく。着るときはその山の中を発掘して、裏返したままのそれを表返してそのまま着ていく。
一時的に面倒臭くてほうっておくことはよくある。しかし、3日以上続くことは極めて稀だ。山になる前に気づいてまとめて畳んでしまうから。
「あれが食べたい、これが食べたい」と思い浮かべて、それを作るための材料を買う。しかし、家に帰ってくると調理する気力がなくなっている。結局簡単にできるものや出来合いのもので済ませてしまい、食材は冷蔵庫に放り込んだまま。気づけばカビている。

こんな無気力があらわれはじめたら放置していてはいけないんだけれど、自分では「なんかしんどい」くらいにしかそのときは思わない。昨日みたいな明らかなモノが出るまで、それがその兆候だったことに気づかないのだ

馬鹿みたいに泣ける。呼吸も浅く速くなる。過呼吸になって倒れるのはマズい。一人暮らしだと倒れても誰も助けてはくれないのだ。

こういうときの対処法は心得ている。小さな袋を口元にあて、自分の吐いた二酸化炭素の多い息を吸うのだ。過呼吸からくる神経的な発作は血液中の酸素濃度が高くなりすぎることによって起こる。ひどい場合、脈拍は200を超え、全身が硬直する。それで病院にいくのはばかばかしいというものだ。病院に行ってもビニール袋という原始的な治療しかなされないし、まぁせいぜいそこに安定剤が加わるくらいだろう。それで高い医療費をとられるのは分に合わない。

絶対に死ぬことはない。しかし、その発作の最中はいっその事死んだほうが楽だと思うくらい苦しい。吸っても吸っても、酸素が自分の中に入ってこないような苦しさ。



頭の一角はひどく冷静で、これ以上過呼吸が続くと神経発作につながるとわかる。自分で深呼吸するように心がけ、ビニール袋を手に取り鼻と口を覆う。十分もすれば、いくぶん落ち着いてくる。


はじめてなったときは四肢が突っ張り、それはそれは苦しかったが当時同居していた両親は狭い家に住んでいるのにまったく気づかない。
母親は朝になるまで踏みつけようが何をしようが起きない。もしかしたらこの人は刺されても起きないんじゃないかとさえ思う。阪神大震災のときも、揺れがほとんどようやく終わるころ「何」という具合だった。

私はいつも自分ひとりでどうにかしてこなければならなかった。
・・・してこなければならなかったと言うより、そうするのが当たり前だと思っていた。

過呼吸の対処など慣れっこである。過呼吸に限ったことではない。過敏性もお手洗いに行こうとして倒れ、ガラス戸に体ごとぶつかってひどい音をたてるまで親は気づかない。胃が不調でもお手洗い以外の場所で吐かなければ親は知らない。熱があっても言わない。自分で体温をはかり、8度5分を超えていればやたら規則正しい生活をする。21時ごろ夏なのに布団を被って早寝をする私に両親がおかしいと思うまで、熱があることにも気づかない。

でもそんな自分がかなしいと思う。


誰彼かまわず夜中だろうが叩き起こして、「しんどい」「苦しい」と言いたい日もあった。突然襲ってくる途方もない不安感や寂しさに素直に「怖い」「寂しい」と叫びたい日もあった。

でも何が怖いのか、自分でもわからない。。

それを物心ついたころから実行したことはなかった。そして、そんな苦しみに周りのものは誰一人として気がつかなかった。

幼い頃の私にとって、夜が来るのが途方もない恐怖だった。夜の何が怖いのかさえ、怖がる自分がわからなかった。

自分は今日無事に眠りにつけるかとそればかり考えた。朝が来たときの安堵感は計り知れない。そんな綱渡りのような精神状態だった。
それが物心ついてから小5くらいまで毎日毎日だ。お化けが怖いのではない。暗闇が怖いのではない。

実体のない恐怖におびえることが、もしかしたら一番の恐怖かもしれない。


思えばあのときに誰かが気づいて、専門のカウンセラーにかかっていればよかったと思う。

他の家の子どもが不思議でならなかった。なぜTVなど観て笑ってご飯を食べられるのか。遊びつかれて、皆と別れ家路に着く。子どもにとっては楽しい夕食の時間である。
でも私は「ばいばーい。明日もまた遊ぼなー」なんて言葉を交わすと、恐怖に捉われた。

あのときの自分のどうしようもない不安感を思い出すのはひどく苦痛だ。



先日からあまりよくなかった母親との関係が一気に緊張状態になった。

彼女が人間として許せぬ言葉を吐いたのである。それが私の神経をささくれ立たせているとはつゆ知らず、彼女は今日も脳天気な声で電話を掛けて来る。。
彼女の精神年齢は、第二次反抗期の頃の子どもほどだと思う。何か言われて言い返さねば気がすまない。それがたとえ道徳的に許されるものではないものでも・・・である。

加えて、彼女は反抗期を経験せずに大人になった。厳しい母親のもとで、それでも子どもは親の言うことを利くものだと反抗しなかった。だから今度は自分の子どもを自分の意のままに操らねば気がすまない。

封を開けた手紙を無防備に置いておこうものなら読む、交換日記も了解なしに中を見る。机の引き出しすべてに鍵をつけたいと思った。

だが、彼女の意図に反して私は自我の強い子どもだった。たとえ親の言うことでもしたくないことはしたくない、したいことはしたいのだ。

そうして私がまだ小さいうちはそれでも力や何やらで私を抑え込むことはできたが、今やもう彼女の精神年齢をとうに超えてしまった私に彼女は理論では勝てない。彼女の持論が世間からずれているというのもある。いつだって正論を言うのは私ばかりになってしまった。

昔のように力で押さえつけようにも、もう今や母は私の片手で突き飛ばせてしまう。今となっては彼女がプライドを維持できるのは私の「親である」という客観的な事実だけだ。
だからまるで子どもの喧嘩のような台詞を吐いてまで私をぎゃふんと言わせたがる。
が、もうそこまで私も無分別ではないので、ぎゃふんどころか彼女をますます軽蔑する。悪循環だ。


いっそのこと関わりをなくせたら、この荷がどれだけ下りるだろうか。

しかし、父に電話しても日ごろからかかわろうとしないのを気にかけてかすぐ「おかんにかわろか」と言って、かわってしまう。数秒後には、あの脳天気な声が聞こえる。私はまた母親の居る世界を憂う。

彼女の病的に言葉の「あや」を気にするところも、ここのところ私を悩ます種である。

数字の4や9を忌み嫌ったりするのは前からだが、最近ではお札の通し番号の数字の並びまで気になるようで、財布を開けじっくりとお札を眺めては、どれから使うか吟味しはる。

どうせ全部出て行ってしまうのだからそんなことしても無意味なのに


じーーーっと長い時間そうするものだから「そんな罰当たりなことすんな」と父親にしかられているのも一度や二度ではない。

スーパーに行き、重量で値段が決められているもの(ひき肉とか)も彼女にかかれば選ぶのに時間が掛かる。427円のものなど買おうものなら、大荒れだ。その解説はあまりにばかばかしいので読者の方の解釈に任せる。

大阪に出てきてからは、予定を聞かれて「心斎橋に行く」とは言えなくなった。心斎橋という単語を彼女が忌み嫌うのだ。
はじめはなぜだかわからなかったが、ある仮説が私の中で浮かんだ。彼女の中で心斎橋とは「震災」橋に聞こえるのではないか。
問うてみた。はっきりとした返事が返ってこない。図星な証拠である。


彼女の神経に波風を立てないよう、彼女が誤って受け取れそうな単語がないかに神経をつかい、あれば別の表現に言い換える。
こっちまで頭がおかしくなりそうだ

私の彼女の間で心斎橋という言葉は出ない。私はいつも「なんばの隣」とか「なんばらへん」と言う。はっきりとした地理に疎いので、これで十分だ。

心斎橋の大丸で開かれた相田みつを全貌展に、彼女を誘った。いつも家の中でばかりいてTVもろくに観ないのだ。何か刺激を与えなければ、あの偏屈な性格に磨きが掛かってしまう。家にこもって修行僧のように悟りが開けるならばいいのだが、彼女に年相応の達観を求めるのは、もうあきらめた。
せっかくこちらがチケット代から、必要とあらば交通費まで出すと言っているにも関わらず、彼女の返事はNOだった。
「なんばの近くの大丸」と行ったのだが、さすがに心斎橋駅で降りなければ無理だ。なんばから一駅歩くと言う選択肢もあったけれど、そこまでして彼女と行こうとは思わない。
心斎橋駅で降りると言ったとたん、少し乗りかけた彼女の気分は萎えた。

一月ほど前、大学の生協が主催する卒業式向けのレンタル着物&袴の展示予約会の知らせが来た。

ところが前々から「卒業式には袴を」という私にいい顔をしなかった彼女が、展示予約会という現実味を帯びたことでますます機嫌が悪くなった。
ほんまに袴なんて着るつもりかと、気違いを見たような声で言う。きちんとしたワンピースやパーティドレスで来る子もいるのだから、それで十分だと言うのだ。

最初はレンタル代がかさむからそういう反応を取るのかと思っていたが、レンタル代は自分のバイト代や何やらでまかなうといっても彼女の気分は晴れない。


そのうちある仮説が浮かんだ。

「袴」「はかま」「はか」ま「墓」ま

ばかばかしい。そこまであの人も馬鹿ではないだろう。げすの勘ぐりであってほしいと思ったが、彼女の思考回路はそうだったようだ。

しかし、はいそうですか、と今回ばかりは私も引き下がれない。大学に入学したときから、卒業式には袴を着ると決めていた。もちろん母親の言うようにワンピースやドレスで来る子もいる。でも私自身和服が好きなのだ。
別に着物だけで出席するという手もあるが、袴があった方が股がさばけるので私も歩きやすい。


袴の展示会になど行きたくないというので、市内に住むおばに行ってもらうことにした。彼女の方が母よりも服などのファッションセンスもいいし、話もしやすい。母親と服を見に行って、意見が合ったためしがないのだ。


このようなことで毎日を過ごしていたら母自身しんどいだろうと思う。絶対精神的に不安定だ。
過去何度か、適当な理由をつけて精神科医のカウンセリングも受けさせたが、その道のプロでさえさじをなげてしまうのだ

「お母さんはもう60年近くあのままで生きてこられたんでしょう?60年も染み付いたものを変えようなどというのはちょっと無理な話ですよ」らしい。

それがあんたらの仕事だろうがと何度言おうと思ったか。薬嫌いで医者からもらった薬も勝手に独断でやめてしまう。風邪薬でさえそうなのだから、安定剤を処方されたところで飲むわけがない。。


今はまだ父がいるから私は救われているけれど、この先何があるかはわからない。


こんな母親と付き合うのに、もう疲れた。
 

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