Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
Meaning of my life
人生の、この奇跡的なタイミングって、いったいどう起こるのか。そんなことを考えた。
CPの二次障がいが出始めて、それはもう本当にゆっくりではあるものの、私から1つずつ何かを奪っていく。
失ったものに気づくたびに、衰えたものに気づくたびに、自分の存在価値を問う。存在価値があるのかを問う。
歩ける。早歩きだって出来る。手すりがあれば階段の上り下りも、自転車にも乗れる。電車にだって乗れるし、人の助けがあればエスカレーターにも乗れる。
残っているものを確かめて、あぁ、まだ私はこんなにできることがあって、生活を普通に営むことができる。きちんと給料を貰って働くことだってできている、と安堵する。
でも「できる」が昔はもっともっとたくさんあったのは事実で。。
この「できる」が減っていくのが、怖かった。
このまま教師になってもいいの?
そんなアホなことを考えていた。
人生のタイミングとは本当にわからない。昔から私は目には見えない大きななにかに「生かされている」と思う気持ちがあった。
仮死状態で生まれてきて、チアノーゼ(血中の酸素濃度が著しく低下し、皮膚の色が変色すること)で紫色になってもA型だらけの親戚の中、奇跡的に叔母が私と同じ血液型で輸血ができたこと。
いつ死んでもおかしくないような状況下で生き延びたこと。その時点でもう私は神様に「生きろ」と言われたのだ。
普通の幼稚園に入れたことも、当時を考えれば奇跡的なことだったと思う。当時、隣の校区のM幼稚園に行くことをすすめられたが、私は同じアパートや近所の子と違う幼稚園になるのが嫌で、自分の校区の幼稚 園じゃなきゃ嫌だ、とごねた。普通なら我慢していきなさい!といわれてもおかしくない筈なのに私の小さな大きな要求は通って、同じ校区の幼稚園に通えることになった。
私の入園に理解を示していたM幼稚園の園長が、そのためにわざわざ私の入る幼稚園に異動した、とそれから後に聞かされた。
小学校もそのまま皆と同じ小学校に通えることになって、特に教頭先生からはよくしてもらった。夏休みのプール学習なんかは、先生は仕事としては監督しているだけでもよかったのに、自分も海パン一丁になって、顔つけやバタ足を見てくれた。伏し浮きができるようになったのは、教頭先生のおかげだ。
中学校では、その年頃なりに、ちょっとタバコくさい先生なんかを陰で「キモい」とかも言ったりしたし、大人にはそれなりに反抗するどこにでもいる普通の中学生で、でも教師ウケがよかったのは、やっぱ私も仮面を被っていたからで。
高校では、年配の先生が私を必要以上に心配して、 バスケやバレーの試合に私を出させなかったり、マラソン大会は見学しろと言われたり・・・。心配してくれるのはありがたいけれど、何でもやりたい派の私としてはただ座って見ているだけが苦痛で苦痛で仕方なかった。
そんな折、コワモテでいつも怒鳴ってばかりいる先生ともう一人女の体育の先生が、「Y先生はああいうけど、お前はどうなんよ。マラソン大会出たいんやろ」と訊いてきた。
「Y先生のいう事関係なしにお前が走りたいんかどうかや」と。
そのときハッキリと「私も走りたいです」と言ったのを覚えている。
怖いだけじゃなくって、良い先生なんだと、そのとき初めて知った・笑
高校生のときはわからなかったけど、学校現場や教師のセカイも結構年功序列的で階級社会だ。年上の先生に逆らう・・・と後で困ったことになる。結構体育会系気質な教師集団の学校もある。
ましてや、それが体育科の教師となれば尚更だろう。そんな中、体育科のドンとも言えるY先生に逆らう覚悟で先生たち2人は「お前が走るんやったら走らしたる」と断言したのだ。
そのときの先生の気持ちを思ったら、あぁ涙が出る
自分が教師になる身になって、私がどれほど恵まれていたかに気づいた。それに気づいたら、今までそれが当たり前だと思っていた自分を恥じたくなる。
受けたあたたかさの大きさを思うとき、感謝があふれ出て止まらない。
自分はこんなに大きなあたたかさを貰って生きていたのに、私は先生たちに迷惑を掛けるばかりではなかったか。
このことにもっと早く気づいていれば、あの時もっと一生懸命に勉強していい成績だって取ったし、遅刻もしないようにしたのに・・・。
今頃気づくなんて・・・。
出来ないことが増えると、それに比例して自分の価値がなくなっていくような気がすると、前にこのブログで書いた。
でも、そうでもないらしい。
存在意義を見出す契機をくれたのは、生徒だった。 続く
その頃の私はと言えば、少し筋疲労はマシになってきていたし、寒さに足も慣れ、筋肉の硬直も起こりづらくなっていたものの、やはり憂鬱な気分はどこか抜けなくて、普段なら少々体調が悪かろうが胃薬を飲んでまで出席する飲み会に、数日前に断りを入れたばかりだった。今回で最後の先生もいるから、テンションだだ下がりな姿を見せては申し訳ないと思ったからだ。
しかし、それは私の杞憂に終わり、日曜の夕方には「私も行けばよかった」と後悔することになる。
でもその後悔ができたのも、生徒のおかげ。
小学生は容赦なく言う。
「そんな歩き方、どうやったらできるん?」
「駅で人いっぱいおったけど、歩くの見て先生ってわかったで」
そのたび、私は言う。
「器用やろ。できるもんならやってみほれほれ」
「おぉ。いいやん、先生見つけやすくて」
普段なら、なんでもなく言える。でもこの間のような自分を自分が悲観しているときには顔で笑いながら、胸の奥がしん、とする。それでも私はそれを子どもに悟られてはならない。
自分の都合で、自分の気持ちをあらわにすることは仕事上できないから。そういう仕事だから。私はバイトだろうがそれでも私なりにこの仕事にプライドを持っているつもりだ。
ミーティングのあと、自習をしていた高校生が、すごーーーく聞きにくそうな顔をしてむっちゃくちゃ回りくどーーーい前置きもして(笑)先生の足はどうしたのか?と訊いてきた。
入塾したての生徒ならまだしも、私が勤務し始めた3年前からずっといる生徒だ。その間ずっと気になっていたのか。
そんなん気にせんときいてくれたらいいねんでーーーと言うと、「だって先生思い出したりかんがえたりして辛くなったら悪いなっと思って」
ものすごく申し訳なさそうな、眉毛をハの字にして捨て犬のような心細そうな泣きそうな顔をする。
思わず抱きしめたくなった。そんな思いをしながら、思い切って聞いたのだ。そしてその優しさも
それから、小一時間ほど道徳の授業になったw 化学の邪魔してごめんねでも先生はもう6.0×10の23乗個なんて聞きたくもないのさ~苦笑 だって高校のとき、その単元の入ったテスト、41点だったからあれ?それは世界史で化学はもっと悪かったっけか??あは~悲~惨っ 英語しか頑張ってなかったからな、1年とき・・・
私でなければ気づかないことには、素でびっくりしているし、私の経験した辛いことは、自分のことみたいに辛そうな顔をして聞く。
その純粋な気持ちに触れて私も心が洗われる思いだった。
話を聞きながら、「先生の話聞いてたら、普通に歩けることがすっごい幸せなことなんやなって思うわ」
「そうやで~健康はほんまにお金に換えられへん宝やで・・・でもな、私も最近までそれに気づかへんかったわ」
好意的な視線、興味本位の視線、それを見ただけで判別できるって言うと、
「私ら先生を知ってるから、街でそういう人見てもたぶんじろじろ見たりせんやろけど、先生おらんかったら見てたかもなぁ」
そうやろねぇ。私も障がいを持ってなかったらそうだったと思うよ。
生徒にも発見が多かったようだけど、話している私にも大きなきづきがあった
容赦ない視線で見られることも、案外当人は気にしていない・・。でもそれは本人が自分を肯定できている場合のみだ。
自分を悲観していたら、見られることもただ辛いだけになって、どんどん悲観していく。
生徒が言った。
「先生ほんま前向きよなー。私がもし先生みたいなら、そんな風に前向きに生きられへんわ」
わからんよ。人間て、想像以上に弱くて、想像以上に強いから
塾のいらない英語教育(というか公教育)
マイノリティへの正しい認識をマジョリティなものに
私個人の教員になったときの教育目標。
教採に受かったことを教職の先生に告げに行った時、中学生くらいの子はちょっと機嫌が悪かったりしてもあなたの足の事をからかうかもしれないが、負けたらあかんよ。そこで毅然としてな、あなたの考えを浸透させていくことはできんよ、と言われた。
毅然とするには、私が私を受け容れていなければ無理。
私が前を向いて生きることで、訊いてきた生徒のようになにか感じたり考えたりすることがあるなら、それが私の存在意義。 無価値なんかじゃない、と思える。
でもその生徒のようになにかきづきを持ってもらうには、私自身が常に前向きでいなきゃダメだ。
それに気づいた瞬間、悟った。
前向きに生きることさえも私の仕事のひとつだと。仕事だから、そうしなければいけない、と。
これから、自分がどうなっていくかわからないけれど、どんなに状況が悪かろうが生徒の前では前向きでいなければならない。たとえ、どんなに辛いことがあっても。
生徒のためだと思えば、前向きになれそうな気がする。それが私の生きがいだから。
尊敬する先生が以前、「生徒に元気を貰って、私が生かされていた」と言っていたが、私ももう既に生徒に存在価値を与えられ、生徒に生かされている。
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詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
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