Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
夜間装具
リハビリの後にバイト・・・というのにもだいぶ慣れてきたけれど、やはり帰ってくると眠気&独特の疲労感が襲う。今日も、まだまったく書けていない卒論第3章を書かなければならないのに、もう頭が働きそうにない
このブログを書いたら数時間仮眠を取って卒論執筆を頑張ろうと思う。
「夜間装具をつけてみない?」と担当のP.T.(理学療法士)が言った。
最近くるぶしの骨の出っ張りが退化しているような気がして、それをP.T.に話したのだ。前々から内転の悪化で内くるぶしの骨がいくらか筋肉に埋もれ目立たなくなって足首が前より寸胴に見えていたけれど、つい最近、外くるぶしにも同じような状態が見られることに気づいたのだった。
女として、きゅっとした足首・・・というのはなかなか諦めたくないもののひとつであるが、それがあったのは小5が最後だと思う。どちらか片一方だけなら、ファッションなどでごまかすことは出来るが、さすがに内外両方のくるぶしの骨となれば頭を抱えてしまう。
素足でスカートだって履きたい。
・・・・・ヤカンソウグ??
すぐに言葉の音と意味が頭で一致しなかった。今まで聞いた事のないものだったからだ。「夜間に装具をつける」のではなく「夜間装具」でひとつの単語らしい。。むむむーん
このブログでも紹介したことがあったかどうか思い出せないので、紹介すると装具とは、まぁ形状は障がいの種別や度合いによって多少の差はあるのだが、靴と同じように、履いて筋肉の状態を矯正したり、筋肉の硬直を防ぐ治療器具のひとつである。
足に障害がある場合、その箇所によって、普通の靴と変わらず足首までの長さのもの、膝下までのもの、太ももから足先までがっちり覆うタイプのもの・・があり、私は内転が膝から下の部位なので装具をつけるならば膝下までのものを使う。
昼間つける普通の装具は、幼少期から小学校の低学年まで使用した。金具が入っていて普通の靴とはかなり見た目も違うのでからかわれることもあったが、男子たちにはメカかなにかのように見える子もいるらしく、「それカッコいいから履かせて」なんて言ってくる子もいたっけ
何故つけなくなったかと言えば、小さい頃から服装などの見た目は気にする方だったので、装具のどうしようもないファッション性のなさ(ファッション性なんて追求していないから当然ではあるけど)と、金属がついているので単純に靴自体がめっちゃくちゃ重く、駆けずり回って遊ぶにはいささか不便だったからだ。
ヤカンソウグって何ですか?と尋ねると、文字通り寝ている間にはめて、筋肉が縮むのを防いだり、内転を緩和させたりする装具の一種なのだそうだ。
さすがにこの年齢になって、昼間外出するときに装具をしてくれと言われれば色々なことが気になって、躊躇すると思うが夜間、それも寝ている間なら検討する余地は充分にある。でも装具の特性上、重くて寝心地が悪かったら嫌だなーまぁでも、昼間の装具とは少し構造が違うみたいだけれど。。
「みんなねぇ、筋肉が柔らかくなったとか、歩き易くなったって聞くよ欠点は夏場は相当暑いみたい・・・」
そりゃぁねぇ。。裸足でも暑いのにその上からひざ下から足先までごっついので覆って寝るんだから暑いわな
夜間装具が必要かどうか、整形外科の医師の診察が必要らしい(P.T.は専門職ではあるが、医師の資格はない)ので、月に一度、整外の先生が巡回してくれているという日に私も診察をしてもらうことになった。
病院と隣接している施設なのでいつでも医師の診察が受けられそうな感じがするが、やはり理学療法や作業療法などと整形外科は分けて考えられるものらしい。
特に私のようなCPの者は、普通の整形外科に行っても100%効果的なリハビリを受けることは出来ないので、リハビリを変えるときなどは調べることからして面倒くさい。
さらに医療制度が変わり、国は6ヶ月以上リハビリをしても回復が見込まれないとする場合、その医療負担額に国の予算を入れない・・・実質6ヶ月を越えるリハビリの打ち切りを決めた。
私のように機能回復なのが目的ではなく、今ある機能を維持するためにリハビリに通う人も沢山いる中、この決定は多くのリハビリが必要な人にとって打撃であった。
幸いにも今通っているリハビリ施設は、国の打ち切りを指定したリハビリ施設からは外れていたので、こうして6ヶ月以上通うことができている。
私の場合、リハビリに行くのと行かないのとで、そのときは大した差はなくても5年後、10年後は大きな差が出てくる。
その夜間装具とやらをつければ、また昔みたいに足首のくびれも戻ってくるかも・・と期待する一方で、夜間装具の値段はおよそ15万円。(両足)
補助金によって最低半額は出るらしいが、そこから先どれだけ多く負担してもらえるかは、世帯主の収入や本人の障がいの程度によって異なるという。でも一番良い条件では、本人負担額は1割なのだそうだ。
ひょえぇぇぇぇ~と素っ頓狂(だっただろう)顔で驚く私に、P.T.が笑う。
聞けば装具はどれもそのくらいの値段がすると言う。小さい頃、十何万もする装具を足がデカくなる度に買っていたのかと思ったら、もうもう両親を拝み倒したくなってくる・笑
早急に効果を期待するにはなるべく早くつけ始めるのがいいらしいけれど、いくら何割か補助が出ると言ったってすぐにほいほい出せるお金ではないし、親に言えば親に言ったで、「装具=それほど悪い」と受け取られかねない。
買うとしても4月以降になるとP.T.には告げ、1月にはとりあえず診察だけ受けることにした。
帰り際、見知らぬおばあさんに声を掛けられた。私がいつも同じ曜日のだいたい同じ時間帯に、同じ道を通りリハビリへ向かうので、何度かすれ違うことがあると言う。私はちっともそのおばあさんに気づいていなかった。
「その足はどうなすったの?」
「・・・生まれつきで」
話せば長いし、正確には生まれつきではないが、深く理解してもらう必要のない人や説明するのが面倒なときはこれで済ませてしまう。
「あらぁ~そう。にしても頑張るわねぇ。・・・・・・・かわいそうに。大変だろうけど、頑張ってね」
内心フクザツな思いを抱えて「ありがとうございます」と笑顔で返す。それが心の底からのものではないのは言わずもがな。
私だけではなくほかの障がいを持った人もおそらく同じだと思うけれど、「かわいそう」という言葉を毛嫌いする。過剰に反応する。
だって障がい=かわいそう なことではないから。
でも世の中の多くの人はそれをわかっていない。特に年配のおばちゃま世代がよく「かわいそう」と言う。
うちの祖母でさえだ。
でも本人は「かわいそう」と言われるのは、腹立たしくて仕方ないのだ。障がいを憐れまれたくない。憐れむべきものではないから。
「私は『かわいそう』なんかじゃない」と怒りにも似た感情を言った相手にぶつけたくなる日もある。
でも今日のおばあさんは、その表情を見れば悪意がないことは見て取れたから、たとえ表面だけでも取り繕うことに決めた。表現の仕方はどうあれ、その気持ちは嬉しいものだから。
でもやはり、おばあさんが去っていってしまうと、油断をすれば溢れそうになるなにかをぐっとこらえねばならなかった。
それは怒りにも似た感情であったり、それをぶつけられない苛立ちであったり、涙であったり。
黙って電柱にこぶしを押し当てた。ひんやりとその冷たさが伝わってきた。
本人と世間(特に年が上の)との認識のズレ。もどかしいけれど、でも、そのズレに抵抗を感じなくなってしまったら、それは私が「かわいそう」なのだと認めた証拠でもある。
いちいちこの感情の塊を自分の中で処理するのは、ものすごく精神力がいるけれど、でも私は「かわいそうな人」ではないから、抵抗できる自分でありたいと思う。
出来ないこともいっぱいあるけど、みんなが知らないこともたくさん知ってるもん。それはたとえ、日常生活の中で役に立たなくても、人生を生きるうえでの心の肥やしになるのよ
このブログを読んだ人は、間違っても「かわいそう」とは言わないでくださいね
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