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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

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故郷

先日のリハビリの帰り。

いつもはT駅行きの地下鉄経由でまっすぐ帰るのだが、この日はA駅で乗り換えた。懐かしい場所を訪れるために・・・


もう千度乗っているK駅行きの電車。見慣れた車体、聞きなれたアナウンス。こういう言い方をするのはへんだけれど、そのすべてが五臓六腑に染み渡って、心がほぐれていく。


・・・やっぱほっとするなぁ


どのへんで車体が揺れやすいのか。
どこの車両に乗れば降りやすいか。


体が全部覚えている。


懐かしい大学前の駅で下車。自分より少し若い喧騒の中を歩いていく。あ、やっぱりウチの学生だなって感じがする。


今住んでいる家の最寄り駅も、某大学の最寄り駅なので学生はよくいるのだが、どうも学校が違うと学生のカラーも違うようで見ていてもほほえましさが湧いて来ない


から揚げ屋台の看板わんこと心で会話をし(笑)、なだらかな坂道を登っていく。正門が見えてくる。


ビシっと決まった制服で白い歯をカッと見せ、あったかい笑顔で迎えてくれたのは仲良く話をしていた守衛さん。


『お、久しぶりやのう』


癒されるぅ



最近はあんまり授業に出ていないのか、と問うおっちゃんに卒業して今は教員として働いていると報告。今日は遊びに来たのだと言うと、

『いつでも来ぃや~』



おっちゃぁーーーーーんやっぱ大好き(←あったかいオジサマファン)笑



そこから構内で院生の友達と合流し、ゼミの最中である研究室に突撃することに。
いよいよA先生との再会のとき。。



法学部・文学部の学舎へ続く険しい坂道。入学したての頃は、ここを半分登っただけで息が切れてたんだった。
4年間、繰り返し繰り返し通ううち、動悸はしなくなり、息もそれほど乱れなくなった。
就活のときはヒールでここを登った。


坂を登り終え、懐かしいスロープの先には教授の研究室が入る研究棟がある。
そこはまだ、改革の波には呑まれず(と言っても数年前に改築したばかりだが)あの頃のままを留めていた。

裏手の鉄扉を開けた。寒い冬の夜、ここを開けて外に出、その寒さにマフラーを忘れたことに気づいた日が、ふと蘇った。

へんに音の響く階段。2Fへと上がる。ゼミは英文科の合同研究室(通称・合研)で行われる。去年と変わらない。
A先生に事前にアポは取っていなかった。来てしまったものの、お忙しいんじゃないだろうか・・・
この期に及んでそんな事がよぎる。


先に院生の友達が「せんせーえ、おきゃくさーん」とドアを開ける。続いて「お客さん?誰だい??」と懐かしい張りのあるテノールが聞こえた。

それを合図に私が研究室の中へ足を踏み入れる。

「こんにちは。お久しぶりです

立ち上がり、私の姿を認めたA先生。その瞬間、驚いたのがありありとわかるほど表情を変えた。
先生の夏のトレードマークである、ラルフ・ローレンの黒いポロシャツとスラックスはこの日も健在。

『おぉ~めぐさんよく来たなぁさぁ座って座って!!』
と先生の真隣の椅子を引く。


「え、特等席ですね、しつれーします


学部時代、ゼミが同じで院に進んだK君とD君がそこにいて、M2のM先輩もいた。A先生を慕っていた私は院生だった人とも少し交流がある。
いきなりゼミの最中に押しかけて、私の事を知らない院生がいたらご迷惑だろう・・・と危惧していただけに知っている人しかいないのはありがたかった。

K君、D君とは半年間のブランクを感じさせないほど昨日も普通に会っていたかのように話ができる。
こういう仲間って貴重だよな


「もう、めぐさんて呼んじゃいけないなー。すっかり先生の顔や。めぐさん先生って呼ばないと」とA先生。


そんな風に言われたのは初めてだった。
いつも、A先生は現状のありのままの私を認めてくれる。それがどんなに、頼りない自分でも。。


きっと教師集団の中では、私はまだまだ『教師クサイ顔』はしていないと思う。
教師に見えない自分に嫌気が差したことも一度や二度ではない。


私が入ったことでいいのか悪いのか世間話に流れてしまい、論文はお預け。

見てみると、辞書についてのものや(ウエブスター式とジョーンズ式というのがある。その変移を追うらしい)学部時代と変わらず夏目漱石の『こころ』の英訳版についてに挑むものもあり。

こういうのを見ていると、院で自分の研究を極めたかったなという思いがまた湧きあがってくる。


仮定法についても研究したかったし、前置詞も奥が深い。あのまま現在完了を掘り下げることもできたのかも。


でもすべて、これらは「仮定法過去」
今私は英語科の教員で、これらの~したかった、~できただろう、は現在の事実に反するのだ。


羨ましい。
彼らの姿を見ていて素直に浮かんだ思い。

でも年々下がる教員採用数に、仮に院へ進んでいたら私は教採に一発合格できていなかったかもしれないのだ。
日英対照言語学、その中でも特に独自の切り口で研究を進めていた先生。そしてその伝統文法の解釈を覆すA文法にほれ込んでいたAゼミ生。

現職経験を経て、私が院生になれる日が来る頃、A先生はすっかりおじいさんだろう。
その頃に先生と同じ視点で研究をしている学者はいるだろうか。

でなければ、私が院に進みたいと思う原動力は消えてしまう。




私が座って間もなく、ジャクリーンやらバーバラやらのいつものネタに走った先生。
あ、本当にゼミの時間だ。あの日に帰ったようだ。


ただ、違うのは私の手に論文原稿がないこと。
カバンの中に入っているのが文法書や辞書ではないこと。


自分が一番輝いていた瞬間の連続を過ごした場所、時。
それが蘇った。

決定的に違うのは、あの頃のように終わりの近い永遠ではない、と言う事。
束の間の休息期間のあとの社会は私を待ってはくれない。


大学と言う場所は社会に最も近い場所でありながら、そのあわただしさや苦痛から隔離された場所であると思う。
それに守られて、安心して時に羽目をはずし、時に真剣に学問と向き合う。
本当に恵まれた場所・期間。

終わってしまえば、こんなに尊いものだと、あの頃は気づきもしない。
近く、遠い永遠。

ほんとうにじぶんは、大学が好きだった。

特に10月のキャンパス。色づいた木々の間を、セメントタイルをブーツの底で踏みしめながらそびえる煉瓦の図書館へ向かう道。


よかったな


ほっぺたが痛くなるほど笑い、お腹がよじれそうになるほど。

先生の暴走するネタにゼミ生全員で「はいはい」と軽くあしらうのも、あの頃と同じ。

1回生の頃、受講生参加型プレゼンを一緒にやったM先輩は私の事を覚えてくれていた。はじめ、お互いに、



M君??どこかで聞いた名前・・・聞き覚えのある声。。

めぐさん?はて?どっかで聞いたような・・・

という感じだったのだが、そして私の方はM先輩の漢字をフルネームで脳内に描くことさえ出来ていたのに、どこで一緒だったのか思い出すのに7分・笑


『あーーー!!I先生の授業で

すぐにわからなくて当然だった。私が1回生のとき3回生だったM先輩は当時ビン底メガネに色あせたジーパン、よれよれのTシャツ・・・とパッと見「冴えない」学生だったのだ。

ところが現在、メガネはコンタクトになり、よれよれのTシャツは品の良い淡いグレーのジャケットに、色あせたジーンズは高そうなパンツになり、すっかり知的な大学院生に変貌していた。

その耳ざわりの良い声だけは今もそのままに。


「すっかり大人っぽくなったからわからなかった」というM先輩。


少し髪を伸ばしただけで、パーマ頭も顔も変わってないけどなあとは職業柄、カジュアルすぎる格好をしなくなっただけ。


大学前のテイクアウト専門の店で、学生時代好んだものを買い合い、研究室に持ち帰って食べながら他愛無い話をする。
追想のそのすべてが癒しになっていく。

無類のから揚げ好き(というか鶏肉好き)の私が、ボリューム満点のから揚げ丼をほっぺたいっぱいに頬張っていると、A先生が、

「相変わらず馬鹿な話ばっかりしているんですよ。めぐさんは先に社会に出てよかったかもしれませんねぇ。立派に働いているんだから」


その「馬鹿な話」の合間にとてつもなく高尚な話が行われているのも事実。

もちろん、A先生の本心だろうし、院進学を金銭的な理由で諦めたことを知っている先生だから私を励ますつもりで言ったのかも知れない。


でも精神的にも体力的にもハードな仕事で、辞めようか・・・とばかげたことを考えそうになる自分と消えたくなる自分と闘って、今は首の皮1枚で繋がっていると言うと、

「我々(大学教授)と違って、中学校というのは学生の成功を間近で見れませんからねぇ。我々の場合はすぐに社会に出て活躍している姿を見ることができるけれど・・・。どれだけ熱意を持って教育していても、こちらの教育に対する思いなど、子どもは露知らずだしねぇ。しんどいでしょう」

判ってくれる人がいるというだけで、心は軽くなる。


少しばかり痩せたかと思っていたA先生だが、この夏休み、手術をしていたらしい。
てっきりいつもの夏と同様にアメリカに行き、母校のC大学の空気を吸っているもの・・と思い込んでいたら大阪の病院のベッドの上だった。

緊急性のあるオペではないものの、結構時間の掛かるオペだったようで、しかもその元になる症状は去年の6月から始まっていたらしい。

「ちょっと待ってくださいよ!去年って言えば私まだ学生でしたよ」

聞けば、学生に皮膚の腫れた姿は極力見せられまいと抗生物質をカナリ飲んで散らしていたらしい。
まったく先生の変化に気づかなかったゼミ生・・・まったく情けない。。


教授としてのプロ意識。
まぁ私も同じ立場なら先生と同じ行動に出るだろうが。
それにしてもまったく悟らせなかったのだからただただ脱帽するばかり。


中学校の教員をしていると英語力や語学力がどんどん下がっていくのが歯痒いし、嫌だという話をすると、
1冊の本を下さった。

『Frankly Speaking』という本。それをそらでいえるくらい読み込め、とのこと。院生には本当に1冊覚えさせるらしい。
また紹介しますねw


懐かしいときが流れていくのは本当に早く、17時頃に研究室に入ってから、気づけば22時過ぎ。

帰り際、『また来てくれるな?』と聞いてくれるのが嬉しかった。


院生の先輩は「3、4人しかいないときにあれだけ饒舌なのは珍しいよ。きっとめぐさんがきてくれたのが余程嬉しかったんやろうな」


何も言わずに帰っても、ただ歓迎してくれる。
やっぱり、もう私の故郷は此処だ、と確信した。


帰り道も、その日は泣きたくならずに済んだ。
満ち足りた思いが、ただ心を満たしていた。


私にこんな環境を与えてくれてありがとう。
何にかわからないけれど、感謝していた。
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