忍者ブログ

Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『すきになっても、いいですか』

聞く前から答えの解りきっている問い。


決して聞いてはならぬ問い。。





ようやく、尊敬だけを私の心に残して貴方を見られると思っていたのに。

どうしてこう、そういうときに限って、貴方は私を泣く1秒手前まで追い込むのですか。それも安堵の涙を。



癒し系男性P.T.を尊敬し始めてから、私のリハビリに少し変化が。

だだっ広い訓練室で、クランケは畳1.5畳分くらいのスペースを使う。いつも寝そべる場所が決まっているクランケもいるのだろうけど、私はその日の気分と空いている場所で選んでいる。

それまではその癒し系P.T.から一番離れている場所・・もちょくちょく使っていたが、尊敬し始めてからは、、


横隣
縦隣
ななめ向かい

などなど、できるだけP.T.の近くを陣取るようになった。

一度縦隣に陣取って、担当P.T.に「ちょっと後ろへ下がって~」と言われ、後ろを確認せずにうつ伏せに寝たまんま、にょいーんと下がったら、癒し系P.T.の背中に私の両足が突っ込み、周囲が爆笑の渦になったことも・・・あるにはあるが・・・

動機はもちろん、先生の価値観を探りたいから。

これは別に、このような心境だからと言って男性としての・・・ではなく、クランケとしてのP.T.に対する純粋な知的(?)好奇心である。

何を思って仕事をしてるんだろう。
そのプロ意識はどうして保てるんだろう。
日々前にする様々な障がいや疾病をどう見ているんだろう。

知りたいことは山ほどある。


特にCPに関してポロっと口にしたことなんかは自分にも大いにためになる情報だったりすることもある。


この日は、横隣を陣取った。


クランケの身体状況をアングルを変えて見るためなのか、隣で担当の先生が現れるのを体操座りで待っている私のすぐ近くまで癒し系(と省略します)が下がってきて止まる。


一瞬、心臓が跳ねた。ほんとに一瞬。その時点では私は今みたいにまたモヤモヤすることもなく純粋に尊敬だけを取り残していることが出来たから。

後ろに両手をついてクランケを眺める癒し系。


(ちょ、近ぇよ)なんて思ってしまった私は、中学生以下?笑


恋愛対象になる・ならないに関わらず、男性と肩が触れるくらいの距離で並んで歩くこともまぁないこともないし、ゴハンを食べたり、飲みに行ったりすれば、今よりもっと近い距離に座って話だってするというのに。


一瞬でも意識した男に、私は極端に弱い。

肘が当たるほどの距離で、ビールにほっけなんてつついている男友達でも、一旦恋愛対象に入るようなことがあれば心臓は人知れず、跳ね回るに違いないのだから。

意識していないときは、その肘がどれほど当たろうが気にもしないって言うのにね。


自身の体重を預けているその手を横目でちらりと見やった。


少し日焼けの残る手。

すらりと長い指がマットをとらえている。


たとえば彼が、食虫用のイモムシのような指の手をしていて、おでこは後退していて、顔には脂がギッシリのオジサンだったなら、私は春先からこんなにも思い煩っていなかった筈。


生き方を尊敬する・・にプラスして、外見も私のタイプだったのだ。

別にイケメンが好きなわけじゃない。自分のクラスの生徒たちが『三浦春馬がかっこいい』とか『翔君ラブ』なんて夢中になっている傍らで、担任の私はといえば、にこにこ話を聞きながら実際のところ、

(あれのどこがいいのかねぇ・・・)という心境だったりする。


別に外見で人を好きになるわけじゃないけれど、私が過去に好きになった人はすべて共通点がある。それを考えれば私にもタイプというものが存在するらしい。


面長で、どちらかと言えば細めのかっしり体型。指の長い男性。

母親には、「あら、それってお父さんじゃない」とにやにやされるが、いや、私は白髪の似合うオッサンになる人がいいのだ。父親のようにノーヘルで作業していたら、防御するものが何もない頭は・・・・

どうでもいい話だが、頭上から降ってきた部品でたまにアザを頭に作ってはる。しかも心もとないてっぺんめがけて部品が降ってくるなんて・・・石頭なおかげで大事に至らずに済んでいるけど、一歩何かを間違えば命に関わる仕事だけに気をつけてほしいものである。

父の仕事は電線に流れる電気を遮断して行う作業も多々あるが、作業を行う区間だけを遮断する場合も多々あるらしく、一度父は仕事仲間が遮断されていない電線を不注意で触り、何万ボルトの電流が駆け巡ったその仲間が電線の上から落ちていくのを目の前で見ている。

勿論、電線の上を歩きながらの作業だから命綱もつけているが、感電した仲間が綱1本で空中に宙づりなところを見てしまったらPTSDにでもなってしまいそうである。
そんな父も、仕事に使う機械の刃で推定4針は縫うケガをしたことがあるが、医者嫌いの父、自分流の止血とビニールテープで患部を縛り、医者に行かずにくっつけてしまった。。痕は残ってるけど。。。

サバイバル生活をさせたら絶対生き残るのは父だと思う。
だてに戦時中、戦後を生きてはいない。


話を戻して。。。

思えばミッキーさんもそうだった。面長のやさしい顔にすらりと長い指。細いけどひょろひょろじゃない。


それにしても物理的距離が近づけば近づくほど、何なんだ、このにじみ出る安堵感は。
だから振りまくなって言うてるやん


やがて、自分のリハビリが始まり、担当P.T.と話をしながらも癒し系の発言には耳ダンボ


クランケの女の子に堂々と『よっぽど太った』ときっぱり。
へぇ~そんなことも言っちゃうのか、と思ったけど、女の子の方はかなりのゲラ体質で、けらけらと笑っている。それを聞いて憤慨する様子もない。

まぁ、下肢や体幹に不自由がある者にとっては体重に関する話も立派に医学的見地から話をしたりする。

私も体脂肪が少し変わっても、支える力に影響したりするのだ。
とは言え、元々あまり体重が変わりにくいので普段は気にしないが・・・。

あまり痩せもしないけど、太ることも少ない。


そんな尊敬癒し系の横で私と担当の先生は・・・

「いやぁ~金曜のビールってなんであんなにおいしいんですかねぇ~?」(ヲイ)
『めぐさん金曜だけでしょー?』
「平日に飲んだら、家で片付けるべき仕事が出来ませんよぅ」


なんだ、このオッサンよりオッサンくさい会話は・・・苦笑

でも本当に社会人になってから、仕事のあとのビールがおいしい。


私はやっぱキリン派です・・・なんてところでおっさんくさい会話に終止符を打ち、友達の結婚式で履くべき靴について相談していると偶然にもお隣でも靴の話題が登っていた。


女の子の言う事の断片を繋ぎ合わせると、履きたい靴を履けば足が痛くなる。でもそれが履きたい。痛くならないやつはダサい・・・ということのようだけど。


それを聞きながら、自分もそう思う頃があったなぁ・・・って振り返って、思わず私から柔らかな笑みが零れる。


細いヒールの女性らしい靴に憧れた。それでコツコツ歩くのが小気味良かった。

多少足が痛くなっても、ファッション性のあるデザインを重視したかった頃が私にもあった。
だいたいヒールの靴なんて、足に何も問題を抱えていない女性でも快適な履物ではないのだし。


20歳も過ぎてしばらくすれば、もういいや、といい意味で諦めがつく(つけざるを得なくなる)けども。。


今はヒールに執着はないけれど、甲の浅いぺったんこパンプスやモカシンが履きたい。踵をうまく地面につけて歩けない私は、甲の浅い靴を履くと、足が靴からぱかぱか離れていくのだ。足首にベルトのある靴でないと甲の浅い靴は履けない。


癒し系としては、快適な靴のほうへ持っていきたいらしく、色々言っていたが、前置きはほとんど覚えていない。
何故なら、私の心に衝撃を与えるにはその一言で充分だったから。他が一瞬にして色あせた。


『人間て、身に着けるもん(で決まるんと)ちゃうやろ。それでどうこう言う奴が間違ってる。(中略) 我慢して履くより痛くないのんの方がええやん』


何気なく聞いた言葉が、脳内で意味を成した瞬間、私の胸のつかえがすーっと降りた。肩の力が抜けた。。

思わず、深呼吸した。


この先生が話をすれば、私が生きているうちに溜めてきた苦悩をあっさり打ち砕いてしまう。

自分にずっと言い聞かせてきた言葉。

服と靴が合わないのが何?そんなんその人を判断するんに関係ない。



でも、やっぱり客観的に誰かの口からそれを聞きたかった。
言われるかどうかわからないで待ちわびた言葉。


包み込む安堵感。うれしさ。思わず涙が出そうになった。



私の手術の話の時には、医者に「女の子なのだからボルトと金具を埋め込んだ足で、電車やバスに乗らせるのは」とあんなに食ってかかったけれど。

どうやら、機能・見た目、どちらかに重点が傾倒しているわけではなく彼の中ではケースバイケース、もしくはクランケバイクランケらしい。



貴方が私の望むときに私の望む言葉をくれるのには、最も残酷な真実がともなう。


そんな詩を少し前に書いたけれど。それは私がCP患者であり、その病院のクランケだから・・・。


彼にしてみれば、自分の職務を一生懸命全うしているだけに過ぎない。ただそれだけで好意を寄せられてしまっては甚だ迷惑と言っても過言じゃない。


でも・・・そんなに私が欲しかった言葉ばかり投げかけられたら、聞きたくなる。


「すきになっても、いいですか?」




さらに驚いたのは、彼が忙しいクランケの都合に合わせて出勤日と休みの日を設定しているとわかったときだ。



なんでそこまで一生懸命になれるんだろう。不思議。





彼の声を聞いていたら、23年間CPのためにぐっと飲み込み胸の奥に溜め込んでいたものが、あっけなく溶かされる。
悔し涙を飲んだ幼い日。あの頃に出会えていたら、もっと早く私は救われたのに。

でも今、溜め込んで塊になったものを砕かれ溶かされる度、私は小さな子どもに帰ったような気分になる。
ほっとして泣きたくなる。



いま。幼い日の追体験を教壇でしている。心無い生徒の言葉に、生徒の前では何事もないかのように振舞っていても、ふと1人になれば「子どもだからこそ」のストレートな言葉に傷つき、泣きたくなる。

子どもを呼び止めねばならないとき、周りがうるさすぎて自分の自慢の地声(??)ではかき消され、駆け出す。でも、ゆっくりゆっくり歩いているはずのその子に私の全速力は届かない。見る見るうちに見失った。

歩いている生徒に走って追いつけない悔しさ、情けなさ。

さらに一部の私を嫌がるやんちゃ君たちが、私の走る姿を見て厭らしい笑みを浮かべる。

子どものやること。
でもだからこそ、人知れず傷つく。

私が個人的に注意をしても、自分に対することだからあまり客観性がない。

そうやってからかうのは「いけないこと」という認識を与えるより先に「自分が嫌な事されてムカついたから、こいつはキレとんや」そんな認識が植わってしまう。

客観性を持たせるためにも、他の教師も積極的に注意して欲しいと思うが、わからないのか、自分たちが介入すべきものではない・・・と思っているのか、ノータッチ。

わからないのなら、わかってもらわなければと思うが、こういうケースの的確な伝え方がイマイチよくわからない。


故、孤独に闘う。
自分の限界と。
子どものなかの無邪気な悪魔と。

でもキャパはもう超えていて、こんな日は、無性に顔を見たくなる。
錯覚や妄想でしかないかもしれないが、彼なら理解できるはずと思うのだ。

その深い海のような眼差しで、こんな情けない私の存在価値を見透かしてほしい。
できないことがいっぱいあっても、それは私自身の欠陥ではないと再確認させてほしい。

そんな小難しいこと、やっぱりどうでもいい。
ただ、貴方を見れば安堵する。求めるのは、その安堵感。


しかし、このややこしい中途半端で強い感情をいったい何と呼ぼう。何と呼べばいい?
PR

この記事へのコメント

Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
管理人のみ閲覧できます
 

この記事へのトラックバック

トラックバックURL

CALENDAR

THANKS!
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[11/03 めぐさん]
[11/01 封筒の書き方]
[08/31 めぐさん]
[08/29 荒木正文]

最新TB

プロフィール

HN:
性別:
非公開
自己紹介:
CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw

詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。

夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;

このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪ 

バーコード

ブログ内検索

アクセス解析

カウンター

Copyright ©  -- Think&Said to Myself --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by Didi01 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ