忍者ブログ

Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

丸腰になる勇気

脊柱に発現した痛みが引かない

更に厄介なことに、立位時や座位で痛むのは判るが寝ていても鈍痛が引かないのだ。そんな日々がもう2日も続いている。寝返りを頻繁にうったり、伸びをしてみたり、自主リハをしてみたりするのだが、多少その時は改善しても数十分経つとまた同じ状態に戻ってしまう。

2~3時間しか眠れない日々がもう2日。たった2日だけれど、前向きな思考を奪うには充分な時間。

夜中、真っ暗闇の中で、出てくるのはため息か「ふぇ~」「うにょぅ・・・」などと言った言葉にならない感情の擬音語ばかりである。


痛みが気になりだすと、余計気になる・・・という負のループも手伝って、もう精神状態はボロボロだ。


心の内では形容しようのない獣のような感情の猛りが渦巻いている。。だが、それを表には出せない。こんな時間に(こんな時間ではなくてもだけど)そんな事をしようものなら「おかしな人がいる」とたちまち通報されてしまうだろう。


こんなとき、人のぬくもりをひたむきに求めずにいられない。

この痛みに差し伸べてくれる手があれば、それだけで私の心は幾分安らげるのだろう。



座位の左寄りも顕著である。時折、意識して正常座位まで姿勢を戻すものの、ふと気づくと元の左に偏った状態に戻っている。脊柱のねじれも自分でわかる。。。

今日は、日直だったので1日中学校におり、来校者や電話の応対などをしていたが、それでも生徒のいない1日は長い。この機会にと、指導要録の記入をしたりフラッシュカード(単語を書いた細長い紙。みなさんの頃にもあったでしょ??)の作成をしたりしていたのだが、直せども直せども数分と経たぬうちに私の体は性懲りもなく、左に捩れ、傾くのだった。


言いようのない苛立ち。 ぶつける場所のない苛立ち。
手に持っていた『マッキー(油性マジック)』を思いっきり投げようとして、理性がそれを押し留め、結果、『マッキー』は机にピシャンと無機質な音がして転がった。


なんで、なんで。。


何を問うのかわからぬ問い。


もう、限界などとっくの昔におそらく超えてしまっているのだった。自分ひとりで持つには重すぎて、誰かに支えてほしくてほしくて仕方ないのだった。

でも、誰にそれを求めよう?
求める相手が決まったところで、私は手さえ伸ばせない。


ケータイを開き、S市の病院の番号を呼び出す。しばらく眺めていたものの、結局通話ボタンは押せず、担当のN先生のケータイ番号を呼び出す。

今はおそらく仕事中だろうから、留守電にメッセージだけでも入れておこうか。

それも結局しなかった。


N先生のクランケは私1人ではないのよ・・・・。。。



いっそ心が潰れてしまった方が楽だ。何も感じずに済む。
潰れそうで潰れないギリギリのところがいちばん苦しい。



そんな最悪の気分でいるところに知らぬケータイから、伝言が残っていた。

再生してみると、地元でお世話になったP.T.である。彼女の方からかけてくるのは初めてだ。
仕事が終わってから掛けなおし、今の状況を端的に話す。さすがに気がおかしくなりそうだ・・・とは言わなかったけれど。。
彼女の元・クランケである今、彼女には遠慮なく物を言う事ができた。



長期的に見て、やはりCPの実態尚且つ私の体の状態を適格に把握していて、それでいて精神面も頼れるような人物は私の現在の精神状態に関わらず、必要不可欠だということ。(そしてそれを満たす人物はP.T.のみ)
今のP.T.との関係が出来上がっているのであれば、気を遣うことなくどんどん自分の思いを伝えていけばいいということ。
それによって、仕事上P.T.はどうすべきか悩むことはあるかもしれないが、自責の念に駆られるというのとは違うということ。

地元の先生の言葉を要約するとこうなる。




口を開けば、負の形容詞ばかりがついて出そうになる。


辛い。痛い。苦しい。怖い。そしてそのどれにも分類されない感情たち。

それらが覆っている今の心は明るい色では決してないのだった。



『言いたくなければ言わなかったらいいけど、めぐちゃんとしては言いたいんでしょ?吐き出したいと思うなら吐き出したらいい。それで重たい患者だと思う人はいないよ。学校の先生も一緒でしょ?生徒が悩みを言いに来たからって「重たいな、うっとうしいな」とは思わないやろ。それと同じこと。』


わかるような、わからないような・・・。



痛みで眠れない夜中、地元の先生の言葉を反芻し、考えをめぐらす。
そもそも一体どんな顔をして、負の感情のオンパレードを並べ立てればよいのか。それを聞いた時の担当の先生のぎこちない平静が容易に脳裏に浮かべられる。

もし、そうなれば私は吐き出したことを後悔するだろう。

そして一度言った言葉は取り消せない。「なーーんて、弱気になってたらだめですね、あっはははー」と取り繕う自信は皆無だ。


でももう、誰かに吐き出さねば、そしてスルーじゃなくしっかり受け止めてもらわねば、私は崩れる。


悪い反応ばかり今は想定しているけれど、これがもしうまく転んでしっかりと私の気持ちを受け止めてもらえたなら、私はそこで精神の穏やかさを取り戻し、闘う力も湧くのだろう。
そして、負の自分を曝け出しても、人は自分を切り捨てない、という自信にも繋がる。


臆病者。仮面を取れ。鎧を脱げ。でなければ、生身の心の温かさは味わえぬ。

前向き。真面目。頑張りや。人を悪く言わない。努力家。明るい。人が私を形容するときの陽の部分。

しかしその裏にはほとんど誰も知らない私も棲んでいる。

悲観的。絶望的。後ろ向き。弱虫。泣き虫。欝。自尊心が低い。否定的。数え上げればキリがない。

そんな自分を人に曝して、人が去るのが怖いから、ある程度人間関係が成立してくると、陽の仮面を鎧をぴっちり身にまとうのだ。


そんな風に防御を完璧にすればするほど、直接生身の私の心に触れてもらう機会は少なくなる。結果、嫌われることもまぁ少ないが、どこかぎこちない。


現に担当のP.T.にも、私が仮面を被り始めた時期から、呼び方は名前から姓にさん付になり、くだけた口調は一転、敬語に変化した。自分より10は離れている私に対してである。

でも、心に鎧や仮面をかぶせないと怖くて怖くて仕方ない、臆病者。



自分を曝さずに相手にだけ曝してほしいなんて、虫が良すぎるのもいいところ。


丸腰になる勇気を持て。
鎧などなくても、仮面などなくても、そんな弱い自分でもあたたかさを求めて、素手で戦え。
確かに怖い。打たれれば弱い。
しかし、丸腰でなければ、手にしたぬくもりの本当のあたたかさは感じられない。


末期がんの患者が担当医に「死ぬのが怖い」と言ってならない言われはない。それと似たようなものではないか。


N先生に告げてみよう。

今辛いのだと。苦しいのだと。誰かに言いようのない苦しみをぶつけたいのだと。助けて、と。

口で言えば強がってしまうのならば、私には文章という武器がある。(と早速気合を入れてLOFTで新しい便箋を買った)

次の予約は21日。
先生の前で、果たして私は鎧を、仮面を捨て去れるのか。

もし本当にそれが出来、それが受け容れられたならば、私と先生は本当の意味でようやくP.T.とクランケになれるのだろう。



【追記】 しかし、どういう書き出しで始めればよいのだろう。無数に渦巻く感情をどこから吐けばいいのだろう。それを文章化するのも難しい。 お盆の間、試行錯誤しそうだ。
PR

この記事へのコメント

Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
管理人のみ閲覧できます
 

この記事へのトラックバック

トラックバックURL

CALENDAR

THANKS!
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[11/03 めぐさん]
[11/01 封筒の書き方]
[08/31 めぐさん]
[08/29 荒木正文]

最新TB

プロフィール

HN:
性別:
非公開
自己紹介:
CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw

詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。

夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;

このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪ 

バーコード

ブログ内検索

アクセス解析

カウンター

Copyright ©  -- Think&Said to Myself --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by Didi01 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ