Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
明日へ渡すバトン
ここのところ、書きたいと思うときに、書きたいことが溢れているときにリアルタイムでブログを書けないのが密かな葛藤である。
ブログの1つも書けないほど仕事に追われているわけではない。追われた後の体は疲労しすぎていて、もはやもうPCに向かう気力・体力が帰ると底を尽いてしまっているのだ。。
ゆえに書ける時に、書きたかった日にちに合わせてアップする・・と言う事が増えた。
読者のみなさん、過去ログの中にも未読のログが眠っているかもしれません
11月5日。予定通り、体育大会挙行
インフルで学級閉鎖が相次ぐ中、どうなることかと思ったが、奇跡的に学級閉鎖になるクラスもなくこの日を迎えることができた。
この日の1年生の選抜リレーに1年生の教職員も飛び入りすることになっていた。
事前に走る距離や走る順番を決めておく段階で、先輩の先生が私に「めぐさんは何メートルいける?」と尋ねてきた。
素直に嬉しかった。大人になると変に気を遣って走るように仕向けてくれない人もいる。
だが、それは私にとってはありがた迷惑である、正直。
私は運動会のような行事も、その中でも特にリレー、徒競走は大好きなのであるw
皆が楽しんでいるのを見ているだけなんてありえない。そんな奴
50mくらいなら大丈夫と返したが、いかんせん人数が多いウチの職場。あんまり走りすぎては他の先生が走れないからと25m走って国語の先生にバトンを渡すことが決まった。
期待と不安が入り混じる当日。こんな気分を味わうのは何年ぶりだろう。
早く走りたいという思いと、少しの不安がマーブル模様をえがく。
不安の元は、ブランク。
なんせ、走ることはあってもリレーとなると10年ぶりなのだから。
私の前の走者である、英語の先生が近づいてくる。右手を後ろに差し出しながら助走をつけるが、その助走は自分の納得いくものでは到底なかった。しかし、その事実に眼を瞑る。
バトンの感触がしっかりと手に伝わる。
しっかりとそれを握った筈だった・・・・が、次の瞬間、私の手の中には何もなく、目線を移せばまだ、その先生の手の中にある。
痛恨のバトンパスミス(しかも原因は私・・・)
これはその後、しばらく生徒にいじられる恰好のネタになった
改めてバトンを受け取り、走り出す。受け取った途端に、右手からバトンを左手に持ち替えるという一連の動作を体はまだ、覚えていた。
渡す相手が右利きの場合、自分が左手に持っているほうがパスがスムーズにできる。
小学校で昔よく教えられた。
走り出した私を襲ったのは違和感。
遅い。
遅い。。
速く足を前に出そうと意識する。でも。。
遅い。
めっちゃ遅い。。
自分の走る速度が数年前に比べて圧倒的に遅いのだ。苛立ちが募る。
もっと速く走りたい
これなら歩いているのと速さは変わらないじゃないか。走るフォームを取っているだけで。
『先生がんばれーーーーーーーーーー』
口々に言う応援が聞こえる。2年生の応援席からだった。
走りながら笑顔を返す。
頑張れって言ってもらえることがすごく嬉しい
応えたいと思う声援がそこにあるのが嬉しい
無事、転ぶこともなく国語の先生にバトンパス
歩いているのとほとんど変わらなくなった私の走る速さ。
その事実に暗鬱な思いを寄せる。
でも、まだ「走れる」だけありがたい。
それに私は走ることが好き。
どんなに走るのが速くても、走ることに楽しみを見出せない人より私はまだ幸福なのだ。
それに応援してくれる人も、絶えることなくいつもそこにいる。
ずっと生徒に見せていたい。見せ付けていたい。私の走る姿を。教師として。
私は速く走れないけれど、絶対走ることに手は抜かない。負けることがわかってたって、いつだって全力で走る。どうせ負けるからとへらへら走っている奴は(尤も見る限り、そんなにひどいのはいなかったけどね)その姿を焼き付けておくがいい。
こんな事今まで考えたことなかった。走る自分を生徒に見せていたいだなんて。
いつまでも見せていたい。
見ていて欲しい。
たとえ自分の足が役立たずになったって、私は走りたい。
怖いのは、走るのが遅くなることではない。
走るという行為そのものが完全にできなくなるときが怖いのだ。
今日走って明日へ繋ぐバトン。
それを1日でも長く。
また、欲を張った。
ブログの1つも書けないほど仕事に追われているわけではない。追われた後の体は疲労しすぎていて、もはやもうPCに向かう気力・体力が帰ると底を尽いてしまっているのだ。。
ゆえに書ける時に、書きたかった日にちに合わせてアップする・・と言う事が増えた。
読者のみなさん、過去ログの中にも未読のログが眠っているかもしれません

11月5日。予定通り、体育大会挙行

インフルで学級閉鎖が相次ぐ中、どうなることかと思ったが、奇跡的に学級閉鎖になるクラスもなくこの日を迎えることができた。
この日の1年生の選抜リレーに1年生の教職員も飛び入りすることになっていた。
事前に走る距離や走る順番を決めておく段階で、先輩の先生が私に「めぐさんは何メートルいける?」と尋ねてきた。
素直に嬉しかった。大人になると変に気を遣って走るように仕向けてくれない人もいる。
だが、それは私にとってはありがた迷惑である、正直。
私は運動会のような行事も、その中でも特にリレー、徒競走は大好きなのであるw
皆が楽しんでいるのを見ているだけなんてありえない。そんな奴

50mくらいなら大丈夫と返したが、いかんせん人数が多いウチの職場。あんまり走りすぎては他の先生が走れないからと25m走って国語の先生にバトンを渡すことが決まった。
期待と不安が入り混じる当日。こんな気分を味わうのは何年ぶりだろう。
早く走りたいという思いと、少しの不安がマーブル模様をえがく。
不安の元は、ブランク。
なんせ、走ることはあってもリレーとなると10年ぶりなのだから。
私の前の走者である、英語の先生が近づいてくる。右手を後ろに差し出しながら助走をつけるが、その助走は自分の納得いくものでは到底なかった。しかし、その事実に眼を瞑る。
バトンの感触がしっかりと手に伝わる。
しっかりとそれを握った筈だった・・・・が、次の瞬間、私の手の中には何もなく、目線を移せばまだ、その先生の手の中にある。
痛恨のバトンパスミス(しかも原因は私・・・)


改めてバトンを受け取り、走り出す。受け取った途端に、右手からバトンを左手に持ち替えるという一連の動作を体はまだ、覚えていた。
渡す相手が右利きの場合、自分が左手に持っているほうがパスがスムーズにできる。
小学校で昔よく教えられた。
走り出した私を襲ったのは違和感。
遅い。
遅い。。
速く足を前に出そうと意識する。でも。。
遅い。
めっちゃ遅い。。
自分の走る速度が数年前に比べて圧倒的に遅いのだ。苛立ちが募る。
もっと速く走りたい

これなら歩いているのと速さは変わらないじゃないか。走るフォームを取っているだけで。
『先生がんばれーーーーーーーーーー』
口々に言う応援が聞こえる。2年生の応援席からだった。
走りながら笑顔を返す。
頑張れって言ってもらえることがすごく嬉しい

応えたいと思う声援がそこにあるのが嬉しい

無事、転ぶこともなく国語の先生にバトンパス

歩いているのとほとんど変わらなくなった私の走る速さ。
その事実に暗鬱な思いを寄せる。
でも、まだ「走れる」だけありがたい。
それに私は走ることが好き。
どんなに走るのが速くても、走ることに楽しみを見出せない人より私はまだ幸福なのだ。
それに応援してくれる人も、絶えることなくいつもそこにいる。
ずっと生徒に見せていたい。見せ付けていたい。私の走る姿を。教師として。
私は速く走れないけれど、絶対走ることに手は抜かない。負けることがわかってたって、いつだって全力で走る。どうせ負けるからとへらへら走っている奴は(尤も見る限り、そんなにひどいのはいなかったけどね)その姿を焼き付けておくがいい。
こんな事今まで考えたことなかった。走る自分を生徒に見せていたいだなんて。
いつまでも見せていたい。
見ていて欲しい。
たとえ自分の足が役立たずになったって、私は走りたい。
怖いのは、走るのが遅くなることではない。
走るという行為そのものが完全にできなくなるときが怖いのだ。
今日走って明日へ繋ぐバトン。
それを1日でも長く。
また、欲を張った。
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☆
性別:
非公開
自己紹介:
CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
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