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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

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桜の花粉

家庭訪問の日程を組むのに、頭を悩ませる日々である。


専業主婦というお母さんも減ってきた昨今。「いつでもいい」なんて回答は貴重な存在になりつつあり・・・
何日の何時から何時まで!というのと、兄弟関係、それから住所などの兼ね合いを考えていたら、まるでパズルだ



そんなパズルの合間に、ブログ(なんて書いてる場合でもなかったりするけれど)を書いてみる

 

 

教師生活の幕開けは、闘いの幕開けでもあった。



それは職員室の人間関係でも生徒との関係でもなく、自分自身との。。






CPとの闘い。




自分には自分が知らなかっただけで、出来ないことがたくさんある、というのに気づいたのだ。



入学式の「主任の袖がっしり事件()」以来、どこか暗鬱な気分は抜けず、子どもらの前では平然を装う・・・そんな日々が続いていた。

自分に出来ることでも、周りが親切心から過剰に手助けしてくれるのも、ありがたく嬉しい反面、情けなさも募っていた。



・・・・・これくらい、出来るのに・・・   
そんな思いにも何度も駆られながら、表では笑顔を作り、「有難うございます」を繰り返した。


そんな日々に少し疲れていたときのこと。校長の呼び出しがかかる。


先輩の先生には「呼び出して・・・悪いことしたんちゃうんやから、「お話」くらいでいいやろ」と笑われたけど・笑




宿泊学習の下見(山登り)のため、上下ジャージという何とも間抜けな格好で校長室に入った私に、校長は


「どや?疲れてないか?」と微笑む。



目の前のソファに座るように促した校長は、開口一番、

「市教委に、『洋式トイレ作る!!』って言うてきた」と切り出した。


急な話で????となっていると、わざわざ私がお手洗いの度に遠い支援学級の教室の中のトイレまで行っていることを支援学級の教諭から聞いたらしい。


校長に呼び出されたのは、それだけでなく、その翌日に話すことになっている自分の障がいについてだった。




まだまだ、自分も周りも余計な気を遣いまくっていた日々を脱却しようと、学年会議で自分の事を話す機会が欲しいと学年主任に申し出たら、いっそ職員会議で言ってという話になり・・・その話は校長にも届いていたのだった。



先に一通り、校長には詳しい話をし、そして最も危惧すべき二次障がいについても触れた。


そして、かねてから思っていたものの、誰にも言わなかったことを初めて口にした。


「私は、私の描く理想の教師像が自分の身体能力で出来なくなったときには、教師を辞めるつもりです。それが何年後なのかはわかりませんが・・・。でも、府教委の方には60まで働いて欲しいと言われ、正直揺れているのですが。。。」


「府教委の誰や?」


「Yさんです」


「Yかぁ。あいつは、俺も知っとる。あいつは俺と入れ替わりに府教委に入った人間でな。・・・そうか、あいつがそんな事を言うたか。あいつなら言いよるわ」


「理想の教師像は、たとえ立てなくなろうが変えたらあかん。変えんでいい方法がないか考えるんや。座って授業したってかまへんやないか」


「あんたが入ってきてくれたんはラッキーやったと思ってる。やっぱり、当事者の言葉には重みがあるからな。Mさん(学年主任)にもな、あんたが入ったことは『マイナスやない、むしろプラスになる』と言うた。」


保護者から何か苦情は来ていないか、と問うと、「そんなモン来てるか」と一蹴され、


「あんたが関わるのは、子どもらや。保護者が何と言おうが、んなもん放っといたらええ。今あんたの中には不安しか前面に出てないけど、絶対あんたにしか出来ん教育があると俺は思うとる。教頭にも『あの子は絶対潰したらあかん』って言うたしな。何十年も先のことを心配するな。今の1日1日を大事にせぇ。俺なんかあと700日(定年まで)しかないんや。ほんまに1日1日を噛み締めてんで。あんたはまだ、あと30数年、教師でいられるんや」


もう、涙腺は崩壊しそうだった。その後、現場でいたころに持った、CPの生徒の話をしてくれた。


「あいつが自殺という道を選んだことが、俺の人生最大の後悔や」


かつて現場で、CPの生徒のクラス担任を3年間、志願した。その子は手が不自由でノートに黒板を写すのも苦労する子だったが、努力を惜しまない子であった。

まだ、体罰がそれほど厳罰化されていなかった時代。校長は、宿題をしてこなかった生徒に対し、「愛のムチ」でお尻を叩くのが習慣だったらしい。


「あるときにな、『宿題やってないモン』って言うたら、そいつが手ぇ挙げるんや。俺、廊下に出す前にそいつにコソっと聞いたんや。『やってないん違って、手うまいこと動かんと出来んかったんちゃうんか』てよ。ほんなら、頷くんや」

「周りの生徒は興味津々や。『先生、アイツも叩くんかな』って。よう見とれと思った。俺は特別扱いは一切せん。思いっきり尻ぶったった。他の子と同じようにな。でも、そいつは嬉しそうに笑いよった。もしかしたら、アイツは、皆が叩かれるんが羨ましかったんかもしれんな・・・。皆と同じことを自分もされたんで、嬉しかったんやろな」


私は頷き、「その気持ち、少し判る気がします」と自分の思いを語った。


学生時代の恩師でゼミの教授・A先生は一番前に座る学生にプリントを配る手伝いをさせるのが習慣だった。私も1回生の頃、一度それを指示されたことはあったが、それ以来、指示されることはなく、4回の頃は、隣に座ったO君にだけ、手伝いの指示をし、私には声を掛けなかった。



勿論、先生の意図はわかる。私が配るのは大変だと思って先生なりの優しさだったのだ。それも充分わかるが、私は先生が信頼する学生ではないのかも・・・と思い悩んだこともある。


校長と話をしている間に、涙腺は決壊した堤防のようになっていた。



校長室を退室する際、「校長先生のような先生のいる学校に赴任できて、ほんまによかったと思います」と告げると、校長はニヤリと笑って、

「礼らまだ早いぞ。そのうち「こんのくそジジイ」と思うことが出てくるかもしらん



「いやいやいや・・・」とこちらもニヤリと笑みを返したが、この校長先生の下で働けるのが幸せだというのは紛れもなく本心だった。



職員室に戻る際の涙の言い訳は・・・「桜の花粉が・・・」(すぐバレる・・・)どうせならヒノキの花粉にしといたほうが信憑性はあるんやけどね・笑




今週は昭和の日がある!!休みは嬉しいと休みに焦がれる社会人の、つぶやきログでした

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CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw

詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。

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