Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
ゲノム
既婚者の同僚たちと、テスト明けにランチに繰り出し、そこで子どもの話になった。
あ、ここでは生徒のことじゃなくて、ほんまの彼らの子どもねw
『下の子、いくつなん?』
『6か月っすよ』
『えーめっちゃむちむちしててかわいい時なんちゃうん』
『そうですかね~俺むしろ、言葉しゃべりだしてからくらいがかわいいなって。でも女の人はそれくらいが一番かわいいとか言いますよね。俺上の子の方がかわいいなとか思うもん』
興味深い違いだな・・と思いつつ、ハンバーグをつつく。
私には子どもがいないからわからないけれど、何か月か前に子どもが生まれた同僚も、
『帰るなりヨメがね、ほらっ抱いてって(子どもを)突き出されるねんけど・・・正直強制されるとねぇなんかふえふえで宇宙人みたいやし・・・最近ちょっと帰るん憂鬱なんですわぁ~。明日もクラブの練習しよっ。家あんま居りたないし』
この時、私はと言えば、もちろん女性目線でこの発言を聞いているので、ただでさえ産後の女性は心身ともに不安定になりやすいのに外でこんな発言しやがってと内心憤っていたが、
父にこの話をすると、『まぁ初めはそんなもんよー。そのうちかわいらしと思うようになってくるわその先生も』
ふうん。そんなもん??
うちの父は子どもの扱いがうまかったので、あんまり男の人が自分の子どもを苦手視する・・って感覚にピンと来なかったんだけど・・友達の旦那さんにもそういう人が多くて、ちょっとびっくり&勉強になった。
そういう男性の心理をわかっているのといないのとでは同じ発言でも心のとらえ方が違ってくるもんね。
確かに女性は子どもがこの世に生まれる以前から自分と一緒に生活しているわけだけれど、男性は生まれてからしか実際に接しえないから親としての自覚っつうのか、そういうのが芽生えるのに男女で差があっても不思議じゃないわけだ。
そんな同僚に、当時お隣さんだった癒し系おっちゃん先生は、
『でもな、今きちんとやっとかへんかったら、あとからヨメに一生言われんねん。あの時何もしてくれへんかったってな』
と諭していた。
経験者、おもーいお言葉。
けど、知る限りいいお父さんでいい旦那さんなオッチャン先生。それでも奥さんに文句言われたりするのだろうかw
あ、ここでは生徒のことじゃなくて、ほんまの彼らの子どもねw
『下の子、いくつなん?』
『6か月っすよ』
『えーめっちゃむちむちしててかわいい時なんちゃうん』
『そうですかね~俺むしろ、言葉しゃべりだしてからくらいがかわいいなって。でも女の人はそれくらいが一番かわいいとか言いますよね。俺上の子の方がかわいいなとか思うもん』
興味深い違いだな・・と思いつつ、ハンバーグをつつく。
私には子どもがいないからわからないけれど、何か月か前に子どもが生まれた同僚も、
『帰るなりヨメがね、ほらっ抱いてって(子どもを)突き出されるねんけど・・・正直強制されるとねぇなんかふえふえで宇宙人みたいやし・・・最近ちょっと帰るん憂鬱なんですわぁ~。明日もクラブの練習しよっ。家あんま居りたないし』
この時、私はと言えば、もちろん女性目線でこの発言を聞いているので、ただでさえ産後の女性は心身ともに不安定になりやすいのに外でこんな発言しやがってと内心憤っていたが、
父にこの話をすると、『まぁ初めはそんなもんよー。そのうちかわいらしと思うようになってくるわその先生も』
ふうん。そんなもん??
うちの父は子どもの扱いがうまかったので、あんまり男の人が自分の子どもを苦手視する・・って感覚にピンと来なかったんだけど・・友達の旦那さんにもそういう人が多くて、ちょっとびっくり&勉強になった。
そういう男性の心理をわかっているのといないのとでは同じ発言でも心のとらえ方が違ってくるもんね。
確かに女性は子どもがこの世に生まれる以前から自分と一緒に生活しているわけだけれど、男性は生まれてからしか実際に接しえないから親としての自覚っつうのか、そういうのが芽生えるのに男女で差があっても不思議じゃないわけだ。
そんな同僚に、当時お隣さんだった癒し系おっちゃん先生は、
『でもな、今きちんとやっとかへんかったら、あとからヨメに一生言われんねん。あの時何もしてくれへんかったってな』
と諭していた。
経験者、おもーいお言葉。
けど、知る限りいいお父さんでいい旦那さんなオッチャン先生。それでも奥さんに文句言われたりするのだろうかw
まぁもう私も27の後半戦に入ろうとしているわけで。
やっぱり女として、健康に子どもを産める年齢、と言うのを考えないこともない。
やっぱり年を取れば卵子は老化するし、そうすれば受胎率も下がる。
妊娠できてもリスクも高くなるし。
それに高齢出産は珍しくない現在でも、やっぱり自分が親戚の老いを身近に感じながら、その不安をひしひしと感じながら育ったので、自分の子どもには同じ思いをさせたくない・・と言うのがある。
まだ、祖母の家の階段を一人で降りられなかったころ、自分が2階にいて、1階で祖母に何かあったら一生2階から出られないんじゃないかと思って、祖母と同じくらい早く起きなければっていう強迫観念でなかなか眠れないことも多かった。
高齢化する自分の両親や祖母に早く自分の子どもを見せてあげたいと思わないことも、ない。
特に父親は子ども好きだから、今でもしょっちゅう仕事の帰りに従兄(父方)の子ども(一番上は高校生、一番下は小学生)と遊んだりしている。
だから、孫ができたらさぞかし喜ぶんだろうな~なんて考える日が多くなった。
けれど、子孫だけ残せればいいかと言えばそうじゃないところが人間の厄介なところで
もちろん動物にだって異性の好みというものが存在するし、それでなくても自然界ではより強いものにみんなが寄っていき、弱きものはやがては淘汰される・・なんていうシビアな一面もあるしね。
私のような奴は間違いなく、動物の世界では弱きものに分類されるのだろうから、自分が何かの動物だったなら子孫を残せない可能性が高い。
人間でよかったと思う。
でもときどき、自然界の生き物が羨ましくなる。
親が生きるのに最低限のことを教えたら、子どもは巣立ちを迎えるみたいな。
人間、そうはいかないものね。
人間でよかったな、と思う瞬間は、幼いころにもあって。
昔から父の影響で動物系のドキュメンタリーをかなり見ててん。生き物地球紀行とか、ムツゴロウさんとか。
その中で色々な、動物の世界の厳しさも映像として見る中で。
たとえば母親が同時期に生まれた子どものうち強そうなのだけを選び育て、弱いと判断された子はそのまま放置されるとか。
サバンナを移動中、天敵から逃げ遅れた赤ちゃんを親が放って逃げるとか。
もちろん彼らにとっては、人間みたいに悠長なことを考える暇もなく、毎日が生きるか死ぬかの世界でそこから生まれた知恵でもあるのだけど。
そういうのを見るたびに、
(自分がこの生き物だったら、間違いなく母親に見放される立場の人間だ)ということを常に思っていて、
人間でよかったな、としみじみと思った。
昨今、人間の子どもであっても、よかったなと思えない事態もたくさんあるけれどね。
しかも生きるためじゃなく、自分のエゴのために子どもをちゃんとよう見いひん母親もいる。
一長一短だわな。動物も人間も。
身の危険を感じずにのこのこと生きられる代わりに別の面倒くさいこともろもろを人間は引き受けなさいよ、と言うことなのかもしれない。
身の危険を感じるところだって、それは人の都合で作られている危険だしな。
話はそれたけれど。
他人の子どもを無責任にかわいいと思えるのはそこに責任が生じないからだ、と最近思う。
どんな子に育とうが知ったこっちゃないから無条件に「かわいい」と思えるのだ。
逆にだから他人の子をかわいいと思えないと言う人もいるけど。
幼いころからずっと考えていた。
母は私が幼いころから『子どもを産むつもりなんてなかったし、結婚もしないと思っていた。』と事あるごとに言った。
ずっと望んで生まれてきた子どもと私と徹底的に違うのはそこで、小学校のせいかつ科で自分が生まれてくるまでのことを親にアンケートを取った時も、他のお母さんたちのコメントが生まれてくるのをどれほど楽しみにしていたか、とか愛情の感じられる文だったのに対して、自分のは事務的で寂しかったのを覚えている。
私は親に望まれた子だと言われたことがない。
そんな私だから生理が来たころから怖くて怖くて仕方がなかった。
自分はダメな母親になるのではないか、とそんな思いに取りつかれて。
塾講のバイトも教職を志したのも、もしかしたら自分に証明したかったのかもしれない。
自分はお母さんと違って子どもとうまくやっていけるのだ、ということを。
私の一番の目標はいつも「良いお母さんになりたい」だから。
自分が望んでも望んでも手に入らなかった、子どもを心底愛せるおかあさんに自分がなることで自分を癒したいのかもしれない。
それにどうやったら近づけるのか、自分の中にある不安を払拭するために、思春期の頃から繰り返し繰り返し考えた。
母は自分の人生設計になかった結婚出産が突然降って湧いたことで、いやおうなしに母親にならされたという部分もある。
それを彼女がマイナス点ととらえるのも、結婚によって祖母と引き離されたという部分が大きいのだろう。
彼女は自分でも気づいていないかもしれないが、祖母にパラサイトできれば自分が未婚のままだろうが既婚だろうがどうでもよかったのではないか、と。
自分が母親になるとき、母と違い自分が本当に愛した人の子であったなら、その子のことも何の不安もなく愛せるのかしらとか。
若干12、13でそんなことを思うように。
婚活や見合いでなく、恋愛結婚にこだわるのも、母とは違う結婚、出産をしたい、と思うからだ。
この話、なんか語り始めたら長くなってきたから、何回かに分けますね。
自分でも気持ちに軸が定まっているわけではないし、こうして文章にしている間に(そうだったのか!)と気づく部分もあり。
なかなか自分の心の弱い部分と密接にリンクしているので興味深い。
なかなかパーソナルな話なので、ご気分を害された方は閲覧遠慮してもらっても結構です。
きっとこの記事は自分のために書くと言う部分が多分にあるのだろうから。
やっぱり女として、健康に子どもを産める年齢、と言うのを考えないこともない。
やっぱり年を取れば卵子は老化するし、そうすれば受胎率も下がる。
妊娠できてもリスクも高くなるし。
それに高齢出産は珍しくない現在でも、やっぱり自分が親戚の老いを身近に感じながら、その不安をひしひしと感じながら育ったので、自分の子どもには同じ思いをさせたくない・・と言うのがある。
まだ、祖母の家の階段を一人で降りられなかったころ、自分が2階にいて、1階で祖母に何かあったら一生2階から出られないんじゃないかと思って、祖母と同じくらい早く起きなければっていう強迫観念でなかなか眠れないことも多かった。
高齢化する自分の両親や祖母に早く自分の子どもを見せてあげたいと思わないことも、ない。
特に父親は子ども好きだから、今でもしょっちゅう仕事の帰りに従兄(父方)の子ども(一番上は高校生、一番下は小学生)と遊んだりしている。
だから、孫ができたらさぞかし喜ぶんだろうな~なんて考える日が多くなった。
けれど、子孫だけ残せればいいかと言えばそうじゃないところが人間の厄介なところで
もちろん動物にだって異性の好みというものが存在するし、それでなくても自然界ではより強いものにみんなが寄っていき、弱きものはやがては淘汰される・・なんていうシビアな一面もあるしね。
私のような奴は間違いなく、動物の世界では弱きものに分類されるのだろうから、自分が何かの動物だったなら子孫を残せない可能性が高い。
人間でよかったと思う。
でもときどき、自然界の生き物が羨ましくなる。
親が生きるのに最低限のことを教えたら、子どもは巣立ちを迎えるみたいな。
人間、そうはいかないものね。
人間でよかったな、と思う瞬間は、幼いころにもあって。
昔から父の影響で動物系のドキュメンタリーをかなり見ててん。生き物地球紀行とか、ムツゴロウさんとか。
その中で色々な、動物の世界の厳しさも映像として見る中で。
たとえば母親が同時期に生まれた子どものうち強そうなのだけを選び育て、弱いと判断された子はそのまま放置されるとか。
サバンナを移動中、天敵から逃げ遅れた赤ちゃんを親が放って逃げるとか。
もちろん彼らにとっては、人間みたいに悠長なことを考える暇もなく、毎日が生きるか死ぬかの世界でそこから生まれた知恵でもあるのだけど。
そういうのを見るたびに、
(自分がこの生き物だったら、間違いなく母親に見放される立場の人間だ)ということを常に思っていて、
人間でよかったな、としみじみと思った。
昨今、人間の子どもであっても、よかったなと思えない事態もたくさんあるけれどね。
しかも生きるためじゃなく、自分のエゴのために子どもをちゃんとよう見いひん母親もいる。
一長一短だわな。動物も人間も。
身の危険を感じずにのこのこと生きられる代わりに別の面倒くさいこともろもろを人間は引き受けなさいよ、と言うことなのかもしれない。
身の危険を感じるところだって、それは人の都合で作られている危険だしな。
話はそれたけれど。
他人の子どもを無責任にかわいいと思えるのはそこに責任が生じないからだ、と最近思う。
どんな子に育とうが知ったこっちゃないから無条件に「かわいい」と思えるのだ。
逆にだから他人の子をかわいいと思えないと言う人もいるけど。
幼いころからずっと考えていた。
母は私が幼いころから『子どもを産むつもりなんてなかったし、結婚もしないと思っていた。』と事あるごとに言った。
ずっと望んで生まれてきた子どもと私と徹底的に違うのはそこで、小学校のせいかつ科で自分が生まれてくるまでのことを親にアンケートを取った時も、他のお母さんたちのコメントが生まれてくるのをどれほど楽しみにしていたか、とか愛情の感じられる文だったのに対して、自分のは事務的で寂しかったのを覚えている。
私は親に望まれた子だと言われたことがない。
そんな私だから生理が来たころから怖くて怖くて仕方がなかった。
自分はダメな母親になるのではないか、とそんな思いに取りつかれて。
塾講のバイトも教職を志したのも、もしかしたら自分に証明したかったのかもしれない。
自分はお母さんと違って子どもとうまくやっていけるのだ、ということを。
私の一番の目標はいつも「良いお母さんになりたい」だから。
自分が望んでも望んでも手に入らなかった、子どもを心底愛せるおかあさんに自分がなることで自分を癒したいのかもしれない。
それにどうやったら近づけるのか、自分の中にある不安を払拭するために、思春期の頃から繰り返し繰り返し考えた。
母は自分の人生設計になかった結婚出産が突然降って湧いたことで、いやおうなしに母親にならされたという部分もある。
それを彼女がマイナス点ととらえるのも、結婚によって祖母と引き離されたという部分が大きいのだろう。
彼女は自分でも気づいていないかもしれないが、祖母にパラサイトできれば自分が未婚のままだろうが既婚だろうがどうでもよかったのではないか、と。
自分が母親になるとき、母と違い自分が本当に愛した人の子であったなら、その子のことも何の不安もなく愛せるのかしらとか。
若干12、13でそんなことを思うように。
婚活や見合いでなく、恋愛結婚にこだわるのも、母とは違う結婚、出産をしたい、と思うからだ。
この話、なんか語り始めたら長くなってきたから、何回かに分けますね。
自分でも気持ちに軸が定まっているわけではないし、こうして文章にしている間に(そうだったのか!)と気づく部分もあり。
なかなか自分の心の弱い部分と密接にリンクしているので興味深い。
なかなかパーソナルな話なので、ご気分を害された方は閲覧遠慮してもらっても結構です。
きっとこの記事は自分のために書くと言う部分が多分にあるのだろうから。
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CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
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