Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
NO MORE
再び、モブログです(*^_^*)PCに向かう気力がなくて…(^-^;)でも書きたい!!
前回モブログって、ケータイから投稿すると絵文字は文字化けしてしまうことが判明したので今日は地味な日記を書きます。。
あ、内容は地味じゃないように努めます(笑)
☆彡☆彡☆彡☆彡
母と私が、違う人間だと自分の中ではっきりと線引きができてから、だいぶ精神的に楽になった。
これまでは母と同じ血が流れている事に嫌悪感しか感じられず、自分に自己肯定感が育まれなかったのもそのせいだと思う。
思春期の頃、彼女に「そんなに私の子なんが嫌やと言うなら体中の血を抜いて私に返せ」と言われた事がある。
その時は「私だっておまえの血ら要らんわぁ」
と言い返したものだが、実際生物学的には彼女の血も父の血も混じっていないのだ。彼等はただ、私に造血細胞を作り出す遺伝子を私の中に植え付けたに過ぎない。
母の血は確かに臍の緒を通して私の中を循環していたかもしれないが、それも10年以上生きていれば、元のものは私の中に残ってはいないだろう。細胞は日々生まれ変わりを繰り返し、新たな血液がそこから作られる。そうなればそれは私自身の血だ。
ここまでアカデミックな考え方をし始めたらシラけてしまうけれど(0_0ヽ)
思春期の頃はそう考えなければ、自分自身に虫酸が走った。
でも、母と私は本質的なところでもう既に違うのだ。それを自覚してからは、私がいずれ母のような人間になってしまうのではないかと怯える事はなくなった。
でも親を尊敬できないのは、娘として辛い。
先日久しぶりに母と対話した。
でも対話と言っても、お互いの需要を満たすものではない。
以前から、母の性質は単に世間ズレしているだけではなく病的だと感じていたが、 2回の時、教育心理学を履修し、発達障害の中のアスペルガー症候群に母の状態が当て嵌まるのではないかと思い始めた。
ただ母の場合は先天的なものと言うより環境によるところもあるだろうから、一概にアスペルガーの概念に合致するかといえば必ずしもそうではないが。
人の気持ちに共感しようとすることができない。
自分と違う意見を受け入れられず(またはあることすら知らず)周囲の人とのコミュニケーションがうまく取れない。
実年齢に比べ精神年齢がひどく幼い。考えが浅はかで思ったままをそのまま口に出す。その思いが世間の観念と違うこともあるので、よく誤解も招く。
よく言えば正直で嘘が言えないのだが、大人になれば正直だけで世間を渡れない。「嘘も方便」なんて言葉がそれを物語っている。
母は毎週パートが休みの日は父をそっちのけで祖母の家に行く。
年老いた母親を大事にするのは良いことだが、それはまず自分の家庭をきちんとしてからだと私は思う。父のご飯さえ用意せずに祖母を優先するのは何か違う。それを母に言うと、
「両方きちんとなんてできんわよ~」
…その結果、自分の家庭を犠牲にするのか。わからない、私には。
母には私の父のいる家庭は家庭という概念があるのかさえ疑問符が付き纏う。彼女にとって家庭とは祖母のいる家なのだ。
井の中の蛙で人生を生きてきた母。
今の私に決して精神的な余裕があるわけではない。むしろなさそうだ。
でもこの間は珍しく彼女に対して感情的にならなかった。
毎週実家に通う母に、旧友がお母さんが危ないのかと尋ねたらしい。
まぁ世間一般にそう思われてもおかしくはない。でもそれを母は理解できないようだ。自分のすることは当たり前だと信じて疑わない。もしかしたら世間の実際を知らないからそう思うしかないのかも。
貴女のように献身的に母親の様子を見に行く人も世の中にはいるが、実際は実家が遠かったり、姑の世話があったり、自分の生活が忙しかったりで何かない限り、長期休暇でないと帰れない人が多数だから、頻繁に行くとそう思われる可能性も十分にあるのだと言うと
「へぇ~考えた事もなかった」
その後も、自分と周りは考えが違うから話ができないという彼女。
それに対して、自分と同じ人間はいないのだから、別に自分の考えも相手の考えも否定する必要はない。
違う事を知る事で自分という人間の幅が広がる。私はこう考えて、あの人はああ考える、そんな考えもあるんや!それでいいやん。
他人の痛みを理解できない彼女に対して、誰しも同じ経験をしなければ完全に共感するのは無理だ。無理だけど、理解しようとする気持ちが大事なのではないか。そこで「私わからんから聞かない」となれば、突き放して相手を傷つける事になるし、それ以外の話題にしたってそうだ。そこで会話が終わってしまい発展しない。
他人の苦しみだって「辛い」と言う人に、私わかんないでは話にならない。理解を期待してなくても「そうか辛かったんやな」とか、その思いを受け止めることで救われることもある。
周りとは世界が違うから話をしないという彼女に、それは自分とを比較して卑屈になるからかと聞くと、それはないと言う。自分より上のものと比較して卑屈になりそうな事は私を含め、人間には往々にしてある事だから、卑屈にならないというのはすごく良いことだと認め、他人の価値観を受け入れても自分の価値観を捨ててしまわなくていい。両方自分の中にあったっていい。これはあの人の価値観と自分が判っていれば良いと言った。
私の言う事の数々を彼女は初めて耳にしたかのように聞いていた。最後に「あんたの話は難しい」と吐き捨てられたが、少しでも伝わり彼女の思考の幅が広がればいい。彼女はあまりに独りよがりだから。
親が生きているうちはまだいいが、祖母も母より先に行く。父が母より長く生きるという保証もない。その時私はもう自分の家庭なり生活があり、彼女にかまえないだろう。
一人でも生きられる素養をつける必要があるのだ。孤独にではなく、人付合いをしながら一人で生きていける力と心が。
それを今から私が身につけさせる。今のままでは彼女はいずれ独りになる。
でも一体、彼女はどこで人間らしい感情を落としたのだろう。
それを思うとき、母という人を哀しいと思う。
前回モブログって、ケータイから投稿すると絵文字は文字化けしてしまうことが判明したので今日は地味な日記を書きます。。
あ、内容は地味じゃないように努めます(笑)
☆彡☆彡☆彡☆彡
母と私が、違う人間だと自分の中ではっきりと線引きができてから、だいぶ精神的に楽になった。
これまでは母と同じ血が流れている事に嫌悪感しか感じられず、自分に自己肯定感が育まれなかったのもそのせいだと思う。
思春期の頃、彼女に「そんなに私の子なんが嫌やと言うなら体中の血を抜いて私に返せ」と言われた事がある。
その時は「私だっておまえの血ら要らんわぁ」
と言い返したものだが、実際生物学的には彼女の血も父の血も混じっていないのだ。彼等はただ、私に造血細胞を作り出す遺伝子を私の中に植え付けたに過ぎない。
母の血は確かに臍の緒を通して私の中を循環していたかもしれないが、それも10年以上生きていれば、元のものは私の中に残ってはいないだろう。細胞は日々生まれ変わりを繰り返し、新たな血液がそこから作られる。そうなればそれは私自身の血だ。
ここまでアカデミックな考え方をし始めたらシラけてしまうけれど(0_0ヽ)
思春期の頃はそう考えなければ、自分自身に虫酸が走った。
でも、母と私は本質的なところでもう既に違うのだ。それを自覚してからは、私がいずれ母のような人間になってしまうのではないかと怯える事はなくなった。
でも親を尊敬できないのは、娘として辛い。
先日久しぶりに母と対話した。
でも対話と言っても、お互いの需要を満たすものではない。
以前から、母の性質は単に世間ズレしているだけではなく病的だと感じていたが、 2回の時、教育心理学を履修し、発達障害の中のアスペルガー症候群に母の状態が当て嵌まるのではないかと思い始めた。
ただ母の場合は先天的なものと言うより環境によるところもあるだろうから、一概にアスペルガーの概念に合致するかといえば必ずしもそうではないが。
人の気持ちに共感しようとすることができない。
自分と違う意見を受け入れられず(またはあることすら知らず)周囲の人とのコミュニケーションがうまく取れない。
実年齢に比べ精神年齢がひどく幼い。考えが浅はかで思ったままをそのまま口に出す。その思いが世間の観念と違うこともあるので、よく誤解も招く。
よく言えば正直で嘘が言えないのだが、大人になれば正直だけで世間を渡れない。「嘘も方便」なんて言葉がそれを物語っている。
母は毎週パートが休みの日は父をそっちのけで祖母の家に行く。
年老いた母親を大事にするのは良いことだが、それはまず自分の家庭をきちんとしてからだと私は思う。父のご飯さえ用意せずに祖母を優先するのは何か違う。それを母に言うと、
「両方きちんとなんてできんわよ~」
…その結果、自分の家庭を犠牲にするのか。わからない、私には。
母には私の父のいる家庭は家庭という概念があるのかさえ疑問符が付き纏う。彼女にとって家庭とは祖母のいる家なのだ。
井の中の蛙で人生を生きてきた母。
今の私に決して精神的な余裕があるわけではない。むしろなさそうだ。
でもこの間は珍しく彼女に対して感情的にならなかった。
毎週実家に通う母に、旧友がお母さんが危ないのかと尋ねたらしい。
まぁ世間一般にそう思われてもおかしくはない。でもそれを母は理解できないようだ。自分のすることは当たり前だと信じて疑わない。もしかしたら世間の実際を知らないからそう思うしかないのかも。
貴女のように献身的に母親の様子を見に行く人も世の中にはいるが、実際は実家が遠かったり、姑の世話があったり、自分の生活が忙しかったりで何かない限り、長期休暇でないと帰れない人が多数だから、頻繁に行くとそう思われる可能性も十分にあるのだと言うと
「へぇ~考えた事もなかった」
その後も、自分と周りは考えが違うから話ができないという彼女。
それに対して、自分と同じ人間はいないのだから、別に自分の考えも相手の考えも否定する必要はない。
違う事を知る事で自分という人間の幅が広がる。私はこう考えて、あの人はああ考える、そんな考えもあるんや!それでいいやん。
他人の痛みを理解できない彼女に対して、誰しも同じ経験をしなければ完全に共感するのは無理だ。無理だけど、理解しようとする気持ちが大事なのではないか。そこで「私わからんから聞かない」となれば、突き放して相手を傷つける事になるし、それ以外の話題にしたってそうだ。そこで会話が終わってしまい発展しない。
他人の苦しみだって「辛い」と言う人に、私わかんないでは話にならない。理解を期待してなくても「そうか辛かったんやな」とか、その思いを受け止めることで救われることもある。
周りとは世界が違うから話をしないという彼女に、それは自分とを比較して卑屈になるからかと聞くと、それはないと言う。自分より上のものと比較して卑屈になりそうな事は私を含め、人間には往々にしてある事だから、卑屈にならないというのはすごく良いことだと認め、他人の価値観を受け入れても自分の価値観を捨ててしまわなくていい。両方自分の中にあったっていい。これはあの人の価値観と自分が判っていれば良いと言った。
私の言う事の数々を彼女は初めて耳にしたかのように聞いていた。最後に「あんたの話は難しい」と吐き捨てられたが、少しでも伝わり彼女の思考の幅が広がればいい。彼女はあまりに独りよがりだから。
親が生きているうちはまだいいが、祖母も母より先に行く。父が母より長く生きるという保証もない。その時私はもう自分の家庭なり生活があり、彼女にかまえないだろう。
一人でも生きられる素養をつける必要があるのだ。孤独にではなく、人付合いをしながら一人で生きていける力と心が。
それを今から私が身につけさせる。今のままでは彼女はいずれ独りになる。
でも一体、彼女はどこで人間らしい感情を落としたのだろう。
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CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
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