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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

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You Ain't Alone

人生、どんなに悪いときでも、必ずどこかに救いはあるものだ・・・

そう、この頃実感している。




10月にしては珍しい、半袖でも汗ばむような陽気 お気に入りのアーノルドパーマーの花柄シャツに腕を通し、いつもの茶色いバッグを手にして出かける。

今週1週間は、ヘヴィな生指に文化祭と精神的にも肉体的にもハードな日々だった。尤も生指は、私に太刀打ち出来るものではなかったので、ベテランに頼りっきりだったが、それでも胃がキリキリと痛くなってくるような状況のややこしいヘヴィなものだった。

こんなときに2週間とあかず、リハビリがあるのは有難い


今週のリハビリ中の会話のネタは、なぜか・・『英語の話し方からわかる階級について』

いい大人になっても、送り仮名を間違えていたり、「ら抜き言葉」を多様している文章を見る機会があり、言葉の使い方で相手の教養がわかる・・・みたいな話をしているときのこと。

本当に言葉の選び方、使い方で、教養・知性は丸裸になる。ごまかしはきかない。
アホな話し方をする大人を見ていると、腹が立ってくると同時に呆れる。

私の知人には、そんな人はいないけれど(母親は除外)世の中見渡せば、ゴマンといる。いい大人でも言葉を知らない人が。
まぁ、私は文学部だったから、言葉に敏感なのかもしれないけれど。。

『英語って、喋り方で階級がわかるんでしょう?』

どこでそんなことを聞いてきたのか知らないが、N先生が言う。
そういえば、N先生は大学時代何を専攻してたんだろうか。言わないだけでまさか英語だったりして・・・。

特にイギリス英語はその傾向が強い。 下町色の濃い『クックニー』に始まり、一番上はBBC放送のアナウンサーも使用する話し方(名前なんだったか忘れたけど)だ。

クックニーで有名なのは、オードリーヘップバーン主演の『マイフェアレディ』 貧しい下町の少女のクックニー訛りを、言語学者のヒギンズ教授が超スパルタで矯正していく物語だ。

実はヒギンズ教授には、実在するモデルがいることをご存知だろうか。ファーストネームこそ違うが、ヒギンズという言語学者は存在するのだ。

久しぶりにDVD観ようかなw 

こんな専門的な英語の話をしたのは随分久しぶりだった。やっぱり英語(学)の話をしているとテンション上がるw



夏休みの欝から少し回復しつつはあるものの、それでもまだ漢方を飲み忘れれば胃腸が空気だらけになる。何も食べていなくてもゲップが出そうになる有様である。

身体的にもすごくしんどいし、ただ普通に仕事をこなすだけでもしんどいのに、面倒な事は更に更に降ってくる。
人と人があんなにもたくさん触れ合う場所なのだから、トラブルがない方がおかしいけれど、それでも心身ともにすり減らしながら、文字通り身を削って仕事をしなければならない。

自分に感じるジレンマ。
痛感する能力の無さ。
加えて身体機能の衰え。

あ~ぁ、もう。

そんな中で、もうすっかりリハビリは『癒し』になってしまった。 

少し前に読んだ『二次障害ハンドブック』の中に『訓練をサボって遊びたいけど、訓練に行かないと結局遊ぶのも苦痛な体になってしまうから行かなあかん』と幼少期を振り返った体験者がいた。

私が子どもの頃は、たとえ1回抜けてもそんなに走り回ったりするのに支障はなかったから、サボりたいばかりだったからまだ恵まれていたのかもしれない。

でもその状態にまさに今、なっている。

『訓練に行くのは面倒くさいけれど、行かないと仕事がしんどいから行く』

遊びが仕事に変わっただけで何ら変わりはない。


ただ、私にはもう1つ行く理由があるけれど―――。
『担当PTと話していると、なんかほっとするから行く』

多分こちらの方が大きい。

なかなか自分の思いを理解されず、苛立ちを募らせた日もあった。でもそれはまだ私と言う人間を向こうも判っていなかったからだと今思う。

彼女のクランケになって4年。 彼女は私の最も信頼できるPTのひとりになった。


彼女に発作的に電話して、号泣しながら話したあの日以来、彼女との心理的距離はぐっと縮まった気がする。
弱音も吐きやすくなった。
自分の中にある壁を壊すのは、怖い。 でも壊してかかる相手を間違えなければ、自分にとっていい結果になる。




つい先日も、集会で整列させるとき出席番号順が原則なのに、後ろの方で入れ替わっていた。
よくあることだ。隙を見せれば、仲の良い者同士でかたまりたがる。

他の教師なら、その間に割って入って並び直させるのは朝飯前だ。
が、人と人が密集する場所を割って歩きにくい私にはそれが出来ない。

周りがざわついているときに、大声を出して注意することは出来る。その時は従うが、しばらくするとまた替わっている。
集会が始まって辺りが静かになると、大声での注意はしにくい。かといって普通の声では後ろまで届かない。

入れ替わっている子を睨みつけて、ジェスチャーも交え、戻るように指示するのだが、なかなか言われないと利かない子もいる。

先日の集会でも、副担に『先生、何黙って見てるの。先生が行って注意しないと

小さな声で、「行けないんです・・・」というしかない自分が悔しかった。今でも思い出すと、拳を握ってしまう。


遠まわしに『身の振り方を考えろ』的なことを言う人もいるにはいる。


平日は本当に闘い。自分との。周りとの。 仕事場=戦場。。

1人暮らしは、気楽に泣けるのはいいが、抱えるモノを吐き出す場がないのが欠点だ。



この日のすべてのメニューが終わってから、40分近くN先生と話をしていた。こんな事も今までなら出来なかった。

でも私も相変わらずヘタレだから、進んでいく時計の針を見ながら、他のPTたちがどんどん帰っていくのを見ながら、

(多分先生、これからカルテ書きだよな~・・・)とか、
(土曜やのに私のせいで帰るん遅なるやん)とか色々考えてまう


集会での悔しい出来事、自分の生き方がこれでいいのかどうか。。自分自身に迷う。


『もっと自分を長い目で見てあげてよ。だってまだ社会人になってたった1年半やで。そんなに何もかもこなせたら、それこそ年配の先生に嫉まれるよ・笑  ・・20代ってまだ、自分の本当の意味での限界もわかれへん時やし、年をとるに連れてわかって来ることもたくさんある。私もこの仕事を始めて10年以上経つけど、やっぱ最初のときとは違うもん。「(仕事が)うまくなった」って言うんともちょっと違うけど、なんていうのかな、考え方も変わってくる』

『我慢せんといっぱい泣いたらいいねん

『ぎりぎりのところで、そうやって(弱音を)言えるのがめぐさんの強さやと思うよ。もう限界やと思っても、誰にも言えずに潰れていっちゃう人かて、きっといっぱいいてるんやろうし。特に今はコミュニケーション力がない人も多いって言うやんか。だから言いたいけど、どう言葉にしていいのかわからへん人もいるんやろうしね』

職場の人にはなかなか言えてないねんけどね・・・しかも『それがあんたの試練でもあると思うねん』って同僚に言われたし

『n先生の奥さん(地元PT)にはちょこちょこ喋ってるって聞いたけど・・・』

なんでそんな事知ってるんだと思って、あることを思い出す。地元PTの旦那さん(n先生)と癒し系Y先生=お友だち。

もしかしたら、相談事を持ちかける度に、地元PT→その旦那さん→Y先生→N先生という相関図が出来ていたりして・・・

今まで喋ったの全部バレてんのにょーーーーーーーーーーーーーーーーー

でもその可能性、濃厚よな・・・ N先生に「重たいクランケ」だと思われるのが怖くて弱音を吐けなかったことも全部バレてんだろうか・・・・。。

よかったY先生にホレてる・・・とか、一度も口走らなくて
全部筒抜けやんけ。。


でも、それならN先生に悪いことをしたかもな・・・。今は彼女のクランケでありながら、彼女に心を開くまでは地元PTにすべて言っていたわけだから。もし私がN先生だったなら、自分の無力さを痛感するに違いないし、いい気持ちではいられないだろう。

しかも、彼女にではなく地元PTに言ってるのを知らないならまだしも、聞かされてるんだもんな・・・・


一番気が合うのは、N先生だと言う事は事実だ。
地元PTは、信頼関係を築く・築かない以前の時期からお世話になっていたから「嫌われるかも・・・」なんて余計な気を回さなくて済むだけ。それにもう、地元に帰らない限りはお世話になることもないから、「放り出されるのでは・・・」なんて心配もいらない。

PTと話をするのが楽しみだと言うような先生はN先生が初めてなのだ。

だからこそ、身構えてしまった・・・。本当にごめんね、先生。

電話をしたあの日、N先生が『ありがとう』と言った真意が今になって理解できた。あれはきっと、普通の『ありがとう』ではないのだ。それ以上の意味がこもっていたはずだ。


先生は別のクランケの話を持ち出した。

『今感じてるほどのしんどさって、ずっと続くわけじゃなくて、また持ち直すと思うよ~。私が担当してる人も、郵便局でアルバイトしてはんねんけど、30を少し過ぎた頃かな~、ガタっと来てね。バイトやから、それなら勤務時間を減らしてもらえばって提案したんやけど、「そんな勝手を言えば、バイトやから辞めさせられる」って言って仕事してね。幸い訓練の日数は増やせるって言うから、増やしてどうにかしてたんやけど、最近落ち着いたよ少し』

『奥さんの話では、何があっても仕事だけは休まへんのですって言うてはったわ』

『だから、めぐさんもしんどさが落ち着いてくるときがあると思うねんけどね』


そして、話は巡り巡って、「私は生きてるんじゃなく、生かされてるんだと思う」説(笑)に・・・w

『その人もね、その人のお母さんが、初めの子どもに障がいがあったから次の子を産むのが怖かったらしくて、次に授かった子を堕ろしてはんねんね。それから何年かして下に2人程産んでるけど。でもその話を大人になってから聞いて、その人「生きられへんかったその子の分まで、僕は幸せにならなあかんのです」って言ってた』

そこでそう考えられるのがすごいわ 私がもし同じ立場なら、自分を責めるだけで終わってたと思うし。



『サボってるわけじゃなくて、背中が痛くなっても仕事してんだから、給料は当然のように貰ったらいいねん。・・・ってオバチャンになってくると、こうやって開き直って考えられるようになってくんねんてー(笑) めぐさんみたいな事言い出したら、それこそ大阪地検の人なんか、あんな事しておきながら、私らの何倍もの給料貰ってるわけやしね~笑』

また、タイムリーな話ゃな・笑


『言っても言っても、一生わからへん人はわからへんけど、判ってくれて応援してる人も絶対いてるからね。ひとりじゃないよ』


はっきりそう言われたわけじゃないけれど、何となく直感で、これは一般論じゃなく、先生からのメッセージな気がした。
涙が出るほど嬉しかった(何回でも思い出し泣き出来る・・)



今はっきり言って、自分を取り巻いている環境は苛酷だ。
自分で必要もないのに首を絞めている部分もあるにはあるけれど。

でもそんな時でも、最悪の、どん底の一歩手前にも、何かしら救いはあるものだ。
私はしんどいけれど、でも判ってくれる先生がそこにいる。 それだけで私の人生も捨てたものではない。


特にこの数ヶ月、私は自分の担当がN先生に当たった、偶然の産物が織り成す奇跡にただただ圧倒され、感謝をしている。










 

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