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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

カテゴリー「☆日記★-日常全般-☆」の記事一覧

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新住み処☆

2月も終わりに近づき・・・とか書いてる今は、実は3月半ばだったりするのだけれど苦笑


やっぱり平日は疲れきってなかなかPCに向かえないから、こうしてログが遅れ遅れになってしまうのが何となくもやもやする。。
やっぱり何かあったときには、「伝えたい」という気持ちが新鮮なうちに形に残したいな、と思う。


それができないから、こうして休みの日にまとめて回想しながら過去の日付で書く・・・のが精一杯。
たまにリアルタイムで更新しているときがあれば『今日は余力があんねんな』と思ってください。






2月の終わりから、にわかに本格始動した新住み処探し


今は勤務先の校区の町に住んでいるので窮屈極まりないし、プライベートもプライバシーもあったもんじゃないのだ。
しかも、よく利用する駅で保護者が働いていたり、極めつけは同じアパートに生徒のお姉さんが住んでいたり・・・

だから何?と流してしまえない状況。
やっぱり休日は、教師っていう仕事のイメージから少しでも解放されたい・・・というのが凡人の考えなのである。


私が住みたかったのは、隣の市。それも開発に取り残された南部ではなく大阪市内に行くにも近い北部。
本当に今でも住みたいのは学生時代を過ごした街だけれど、勤務の都合上そうもいかない。
地下鉄も私鉄もJRも走っているし、中層や高層の建物もちょこちょこある。


少しでも都会に住みたいのだww


今のように、国道の横に普通に田んぼがあって、ビニールハウスがあって、街灯もまばら・・・閉塞感が漂う。

賑やかな場所を好むと言う事は、自分が寂しい証拠なのだけどね。事実だから仕方ない。



ここよりもずっと地価が高いこともあって、私の条件に見合う物件はぐずぐずしているとすぐに取られてしまう。
いくつかピックアップして問い合わせたときには「空室」だったのが、実際に不動産屋へ行く頃には「部屋止め」(他の人が入居の申し込みをした状態)だったりする。

4、5件ピックアップしていたけれど、残っていたのは1件だけ。それも前に申し込みをした人が入居審査をクリアできなかったとかで、かろうじて残っていた物件だった。

建物の名前は舌を噛みそうなイタリア語だったが、外観もオシャレで、広さや設備もまずまず。
駅徒歩6分にしては格安の物件だった。


しかし、中に入ってみるとどうもしっくりこない。築浅で良い物件なのに、きっとここに住んだら私は落ち着けない・・・という直感があった。
なんだかんだと理由をつけてその物件を断り、不動産屋に戻ると、営業担当のNさんは1枚の物件情報を私に見せた。


近く空き予定なので、まだ不動産情報には載っていないが、オススメとのこと。

見てみると、ハイツなのにオートロックがついており、ピッキングしにくいディンプルキーw
大手ハウスメーカー施工で質も確か。

若干理想の広さよりは狭いけれど、それでも浴室乾燥機があるのはありがたかった。
就職してからというもの、晴れている日でもしんどくて洗濯が出来ない日もある。自分の体力がある日が雨でも洗濯を干せるので、できれば浴室乾燥機はあるほうがよかった。


しかし、予算を2000円オーバーする。

たかが2000円か。
されど2000円か。


とりあえず翌日、前の住人の退去立会いが終わると言うので、まだハウスクリーニングが入る前だが見せてもらうことにしてその日は帰った。



翌日、同じ物件の中へ。偶然にもその物件は学生時代住んでいたハイツと共通点が多かった。

建物の名前も似ているし、外壁もグレーで同じ。
今の家はヨーロピアンテイストで、南仏にありそうなおうちで、はじめ私の心をめっちゃくちゃくすぶったのだが、いざ住んでみれば・・・室内が広すぎてどうも落ち着かなかった



決してオシャレな家とは言いがたい普通のハイツだが、入った瞬間、今まで見てきた物件より心がほっとするのを感じた。
玄関のすりガラス部分や、ベランダの窓のガラスは網目状の強化ガラスで防犯も良さそうだ。

1DKなのだが、DKと居室は一続きで、仕切れるように引き戸が付いている。
夏の暑い日や冬の寒い日は、戸を開けてしまえばエアコンの風を両方の部屋に通すことも可能だ


幹線道路にも車で2~3分で出れるというのに、1歩住宅地へ入っただけでものすごく静か
『閑静な住宅街』は大げさではなかった。
南向きバルコニーで日当たりも充分。


何より室内にいて落ち着くと思ったし、ベランダから周囲の景色を眺め「ここだ」と思った。

私のこういう直感はカナリ当たる



というわけで決めて帰ってきた


遂に念願のこの町を出る!!を達成できそうだ。


今の部屋は学生時代と同様、オレンジやピンク系のモノで室内を統一しているが、引っ越したらグリーン系で統一してしまいたい。
もう仕事から帰って、元気なビタミンカラーを眺めて元気が出る・・・なんて次元ではもはやもうなくてできるだけやすらぎを感じる色にしたいのだw

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マイナスからの出発

以前からカウンセリングを受けたいと思っていたが、ようやくその思いが叶った。

隣の市にあるカウンセリングセンター。個人病院の心療内科に属するもので、別に心療内科で診察を受けなくてもカウンセリングだけでも可。しかも料金は1回2000円と格安保険の効かないカウンセリングでこの値段は破格だw

はじめ、私の母校の大学の心理学科が開設しているカウンセリングルームに行こうかと考えた。
料金も大学付属の施設なら良心的だし。
しかし、今の自宅からは遠いし、カウンセリングをしている臨床心理士が、大学時代、般教でお世話になった教授だった・・。。気まずいので、却下苦笑



教師になるまでは、いい先生になれるという自信があった。

自分こそ教師にならずして何になるんだと思っていたし、生徒に好かれる教師になるという確信もあった。
それは塾講時代に培った経験からの自信だったのだろう。
ほとんどの生徒が「先生、先生」と慕ってくれたし、「講習はめぐさん先生ではないと嫌」と言ってくれる子もいた。周りのスタッフともうまくやっていけていたと思う。


でも。


そんな自信をなかったものにされるのは、いとも簡単だった。

仕事量の多さ。目が回るような慌しさ。子供同士のトラブルの処理。

余裕がなくなれば、色んなことが見えなくなる。



洞察力は鋭い方だった。些細な変化も見極める自信もあったし、察知できていたことも多かった。
しかし一気に自分が見なければならない生徒が増え、その洞察力はどこへやら・・・。それでも社会人になってからしばらくはピンと糸のように張り詰めていた緊張感のおかげで、その洞察力を少しは維持できていたけれど、最近はまるで・・・。


ガラスが割れるほどのイタズラが起こっていながら、私自身割れるまで気が付いていなかったり。



昔は、些細などうでもいいつまらない事まで細かく覚えていたのに、生徒との約束を忘れてしまう。
生徒の声をうまく聞き取れない。。


こっちの余裕のなさを知ってか知らずか、子どもたちは大人のミスを許してはくれない。

以前、一足先に小学校教諭になった友だちが『子どもらって、教師をスーパーマンか何かに思ってる。頼んだことはその日中に出来てて当然とか思ってるもん。こっちだって色々仕事あるし、忙しいのに』

その意味が今、ようやく理解できた。

小学生の場合は『先生はなんでもできる』と思っていることに起因し、私ら中学生の場合は『教師はそれくらいの仕事をして当然』と思っていることに起因するんだろう。

先輩の先生は『何年経っても、無力感に苛まれるのは一緒。教師は神様じゃない』と言う。


本当に、スーパーマンでも神様でもない。凡人だ、教師って。。本当にただの、人。




自分が自信を持っていた事がいとも簡単にできなくなっていく。
否、元々出来なかったのかもしれない、この現場では。

でも、出来ないということが自分自身に対する自信をそぎ落としていくのは容易かった。


至らぬ部分を指摘され、叱られる。 新人ではよくあることだと思う。

一度は先輩の間違いを私のものとして叱られたこともある。でも、そこで「それは私ではない」と言う事は美徳ではないし、後で却って見苦しいだけだと思い、私の間違いにしておいた。別にそれで私の評価が下がるわけでもないし、取るに足らないような注意で済んだのでよかったのだが。

自分のすることすべて、裏目裏目に出てしまい、結果がギクシャクする。
そのたびに注意を受ける。


そういうことが度重なれば、何かをする度『ミスらないように、叱られないように』が先立ってしまい、萎縮する。
自分の判断さえ、信用できない。
何を基準に判断していいのかわからない。自分の判断はすべて間違っているかもしれないのだ。


軽くパニくっていた。ここ数ヶ月。


自分が今何をしているのかさえわからなくなりそうな日も1日や2日ではなかった。


もっとしっかりしていたはずだった自分。他者からも「しっかりした人」という評価を与えられることが多かった自分。
それが今や、職場で一番頼りのない人間になっている、歯車どころか荷物になっている現実。。



その事実を客観視したら、耐えられない。


さらに、ここだけの話だがひそかに同期がストレスであったりもする。
別に悪い人ではない。よく気遣ってくれるし、いい人なのだが、自分でもよくわからない。見ていると息が詰まるのだ。
今、その同期が体調不良でしばらく休みを取っているが、もうすぐまた復帰する。

その時私は大丈夫なのかと思う。




協調性があると思っていた自分が、管理職には「協調性がない」とバッサリ。でも何でも突っ走る・・・はみ出すという意味ではなく、何でもかんでも問題を抱え込むことを意味しているらしい。


周囲の人間に頼らなければ円滑に進まない職業なのに、私はどうしても手を伸ばせない・・のだ。


先輩の先生に言われた一言が刺さる。
『うちら、そんなに頼りないかな??』


そんなわけじゃない。すべて私の中の問題。先生が頼りないんじゃない。ぜんぶ私が悪い。
でもそれを言っても理解されなさそうなので、「そんな事ないです」しか言えなかった。


全部ひとりでしなければという心理が、心の奥深くに根付いていて、それが足かせになっている。
人の手を借りることは迷惑で図々しいことだというのも深層心理のどこかにある。


でも同時に頭では、人は迷惑掛けて掛けられてナンボや、とか、頼ってもいいと言う事を理解してもいるのだ。
でも出来ない。

私だって苦しんでるんだ。もがいているんだ。でもどうにもできない。
でもこんな私のままじゃ、いい教師になれないと皆が言う。現に子どもの評価も私が最悪の教師であることを物語っている。

他のクラスの子どもたちの中には『来年は先生が担任がいい』と言ってくれる子もいるにはいる。

かつて教育実習の事前指導でお世話になった教授は『9割の生徒に嫌われたからと言って、その教師が悪い教師だとは言い切れない。』と言っていた。
その意味も、輪郭では理解できるが、本当にしっくり意味を成して自分に落ちてこない。。


私だって、しんどいときは頼りたいよ。
でもその方法がわからへんねん。
甘えられたら、気持ちも楽だとは思うよ。
でも甘えるってどうやったらええのん。

わからない・・・
わからない。。。
人間として間違ってるんかな・・・


頼っていい、甘えることも大切。頭では、理屈では理解しているけれど、そうすることを阻む何かが、深層心理の中にある。
いくら心理学に興味があって、般教で取れる心理学はすべて受講したとは言え、その知識は所詮、一般教養レベル。そういう自分の状態を客観視できても、そこからどうすればそれを改善できるのかはわからない。


そんな自分でもほじくり出せない心の奥深くにある問題をどうこうするには、やっぱプロの手を借りるしかないでしょう。
それが私が達した結論だった。


やっぱり今の私の人格形成の元になっているのは幼少期だから、その頃生じた何らかの問題を、理解して納得させて行かねばならない。
やっぱ生育歴に何かあるんだろうな~。



初回の今日は、特に込み入った話もしなかった。初回なので心理士の方の自己紹介やら、私がカウンセリングを受けるに至った経緯・・くらいで1回の時間は終わった。

心理士の方は、おそらく仕事用なのだろうが、グレイのナイロールフレームのメガネがよく似合う、いかにも臨床心理士!という感じの女性。年齢はアラサーという感じ。大学院を出てすぐのひよっこっというようには見えないので若く見えるが30前後だろう。
偶然にもウチの学年主任と同じ姓だった。 大阪市内の中学校でスクールカウンセラーとしての仕事もしており、中学校現場にも詳しいので、心強い。

初回のカウンセリング予約のとき、名前と連絡先の電話番号しか伝えていないにも関わらず、担当になった心理士が偶然にも自分の仕事にも繋がるものがあって驚いた。


『中学校の先生は大変ですよねー。何もなくたって病気になっちゃいますよ・笑』とあっけらかんと言う。

こういうサバサバした人は好きだ。


実際、私もカウンセリングを受けようと本当に決心したきっかけが、共済組合から届く会報誌の『うつのセルフチェック』というページを何気なく見ていたら、9割の項目にチェックがついたではないか
このまま本当に欝になってたまるか!というわけなのである。。


体の病気なら、病休を取った後も医師の許可さえ出れば職場復帰は容易だが、心の病気は審査も厳しいと聞く。しかも、休暇の間、給料の何パーセントかが保証されるのは最初の数ヶ月だけで、それを越えて休むとなれば生活の心配もしなければならない。

逃げ出したい。休めるものなら休みたい。毎日そう思うけれど、ここで倒れても自分にとっていい結果には絶対ならない。


心理士の方には、カナリこれからがしんどくなるだろう、と言われた。でもそれも覚悟はしていた。

『癒し』とは、本当は優しいものではない。むしろ厳しいものだ。

心が癒されるには、自分の傷を知り、認めなければならないから。
普段、あえて見ないようにしている傷を白日の下に曝すわけだから、しんどくないはずはない。

でもその時、独りなら不安だが、臨床心理士っていう心のプロがいる。
しんどくても何とかなるし、逆にそれを超えられないと、本当に自分は過去から解放されない。


今、自分を追い詰めているもうひとつの要因は、自分の味方や帰る場所がないと思うことだ。
職場では何もできない迷惑な自分だし、生徒も今私を必要としてはいない子がほとんどだ。
自分の存在価値を他者からの評価でしか認識できない。

どんなときも最後の最後まで自分が自分の味方で居てあげな。
生徒とかにはよくそう言うのだが、そういっている自分が一番そうできていない。お笑い種である。

自分の価値を他者からの評価でしか認識できないから、その評価基準である他者に一斉に非難された時、自分の価値を自分で認識できない。
誰がなんと言おうが、個人個人絶対によさはあって、それは決して容易く壊れるものではないというのに。

たとえ周りがすべて敵になっても自分を信じられる強さ。最低限の自尊心。それを身に付けたい。

それより身近に、こんな頼りない自分でも、何かしらいいところを見ていてくれる、認めてくれる人がいればいいのだけれど・・・それもなかなか難しい。。


心のサビをそぎ落とせる日はまだ近くないだろうが、でも溺れそうな中で藁を見つけた気がする。

限界

もう頑張れる気がしないけれど、月曜はまた確実にやってくる。

近いうちに、人には言えないようなグチを書くと思います。ごめんなさい。。



倒れたほうが楽だよね。
でもまだこの体はまっすぐに立っているのだ。


生きていくんって、しんどいな。。。

新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます

細々と続けているこのブログ『Think & Said to Myself』も無事年を越しました
先月は多忙&無気力だったのとで更新がまったく出来ず、申し訳ありませんでした

今年も色々なことを書き連ねていきたいと思いますので宜しくお願いします

目標は一週間に一度は更新する!!!!


・・・出来るかな

Autumn in Kyoto



連休の中日w   かつてのAゼミの女子メンバー5人で京都に行ってきた

嵐電(らんでん)こと、京福電鉄。一部は路面電車になっている。

いつもは薄黄色に深緑のお帽子・・・という色合いだが、今日向かいのホームに停まっていた嵐電はオシャレだった

ご存知、銘菓・八つ橋の会社の宣伝1色!!!夕子ちゃんもちゃんといます


Aゼミ乙女(言いすぎならスミマセン)メンバー、向かいの車両から、


「ピンクかわいいあれ、乗りたい~!!!」


ピンクはいつだって女子を味方につける色である。。



集合はJR京都駅。

大阪駅から野洲行きの快速電車に乗る。新大阪を過ぎ、電車は東淀川や吹田、千里丘を通過していく。
かつて住んでいた場所が高速で流れていく。
また、郷愁に駆られた。   ここにいたいよ・・・。

駅周辺の唯一のランドマークである高層ビルを私の目が捉えたとき、それはピークに達した。
やっぱり私の居場所は、この街なんだ・・・・・。

魂を、そこに置いてきている気がする。
私の体は南大阪にあるが、心はまだ、北大阪に置いたまま。

本当にそんな表現がピッタリ。

快速なら20分掛かるか掛からないかで行けるかつての街と違い、今住んでいる場所は1時間半は余裕で掛かってしまう。

大阪に取り残されている気がする・・・。


久しぶりに味わった郷愁。それも乗せて列車は走る。


連休と言う事もあり、ごった返す京都駅。33番ホームってどこやねん。そもそも京都駅って33番ホームまであるのか・・・。

なんて諸々考えているうちに他の4人と合流。

先月開かれたA先生の誕生日パーティに参加したメンバーを除いては、卒業してから実に7ヶ月ぶり。
みんな変わってるのかな・・・と思ったけれど、私も含め、見た目にそんなに変化はなく、服の趣味も皆あの頃のまま。

学生時代に帰った気がして、ほっとする

この日集まったメンバーは、
教師(私)
JALグランドスタッフ
ホテルスタッフ
大手メガバンク勤務
雑貨販売(営業?)

と職種もバラバラ。Aゼミの中では銀行勤務と教員が多いので、この日集まったメンバーの職が全部違うのはプチミラクル


まずはここw



おっちゃん、まぢKY・・・

その服にアウターがジャンバーって・・・

などなど、女子めんばー、後から辛口批評。笑





やっぱ、嵐山といえば渡月橋ww


その後、お昼をいただきましたw




「嵐山うどん」

どの辺が嵐山なのかは、心の眼で感じてください・笑

寒い晩秋にうどんはあったまる


次はこちら。



天龍寺

いつもうずまきの庭が見たいと思うのだけど、今回も二条城での拝観料を考え、ここはケチることに・・・

境内だけ堪能して帰りました。

そこから電車に乗って、二条城へ。



圧巻!!!






お堀です★






京阪電車がトーマス仕様だったので、思わずカシャリ

電車に乗って向かった先は、抹茶のおいしいお店




私が頼んだのは定番の抹茶パフェ


濃厚な抹茶アイスに抹茶ゼリーゃばいよゃばいよ

友だちが頼んだ抹茶ぜんざいは、まさにシアワセの味今度行ったときは私も頼んでみよう

スイーツ1品で4時間ガールズトークww 

京都を出たのは20時半をまわってました。



やっぱ学生時代の友達っていいわ心構えなくていいし。


京都、あらためていいところやなって実感した1日。
次こそはうずまきの庭を見るぞ

蒼の写真

秋は音もなくやってきて、明日からはまた寒くなるという。秋を肌で感じる暇もなくせっかちな冬が足踏みしているようだ。


出かけた帰りの地下鉄の駅を出たロータリーの前で、高校生のカップルがキスをしていた。
別段めずらしい光景というわけではないけれど。

自分たちの世界を不特定多数の人間の前に晒せるということが、そのまま若さを晒している様でもあって、自分がひどく年を取ったように思えた。

ただ、互いの唇を必死で重ねているだけのシンプルな行為だった。まるで、それしかその方法を知らないかのように。
しかし、その年齢にしかないひたむきさがそこには詰まっているような気がした。




今日はかつての塾の同僚で、今は良き友人となっている人たちと焼肉に行ってきた。
そのひとりN先生が3年間の講師経験を経て、晴れて大阪市の教員採用試験に合格したのでそのお祝いで。


最近はかつて、講習も受け持ったことのあるO君もよく参加してはソフトドリンクを飲んで帰ることも多い。

大学生にも見えなくはない彼は、別に酎ハイを頼んでもバレないだろう・・・と思うのだが、警察官になりたいという彼らしく、律儀に烏龍茶やコーラを頼む。

とは言え、自分が彼を教えていた頃は、年齢より見た目も中身も大人っぽい子だなという印象だったが、やはり残るあどけなさは「あぁ、まだ高校生なんだな」と思う。

そう思うようになったのも、自分が老けたと言う事か。。




今。親友以外で頬が痛くなるほど笑える瞬間を共有できるのは、もはや塾の元同僚だけになってしまった。


その元同僚のひとりが、『めぐさん、最初の頃よりきれいになったと思わへん?なぁ、O君』

そこには、私とその人と、O君しかいなかった。
私は一瞬たじろいで「どうしたんですか、急に」と答えた。


博識で、色んな教養がある人だが、女性を相手にするとなると少し幼さの残るその人は時折聞くほうがドギマギするような事を『今日はいい天気やね』というのと同じくらいさらっと言ってのける。
1年ほど前は、お気に入りの深い紫のチュニックの色を「きれいで良い色だ」と言った。
それもその人を喜ばせようとかそういう意図ではなくて、思いついたことを思いついたときに言うのだ。

『「最初」っていつッスか』とO君が尋ねる。O君も私とおなじくどう反応しようかという感じだ。

そりゃ、そうだろう。17歳の普通の高校生が女性を褒める美辞麗句を言いなれているわけがない。

もちろん、きれいと言われていい気がしない女性はいない。でも思う。そういう言葉はいちばん大事な女性のために取っておくべきだ、と。
得てしてそういう男性は、自分の一番大事な人にほど、そういう言葉を口にはしない。


仕事を始めてから、化粧を落とす気力もなく寝てしまう日が多く、肌の状態は悪くなるばかりだったからそういわれて少しほっとした

平日は、ファンデーションを塗って眉毛を整えるだけ。アイカラーもほとんどしないし、チークもつけない。
どんくさくてチョークの粉をよくつけてしまうから、服も傷んでも後悔しないような安い服。

だからこそ、休日は思い切りそこから離れる。

休日に出かけるときは、きちんとビューラーで睫毛をカールさせ、丁寧にマスカラを塗り、ゆっくりとまぶたに色をのせていく。

服も汚れを気にするような服とか、
たとえば今日は、職場に着ていったなら「だらしない」と一蹴されそうな長ーいトッパーカーディガンとか

出かける途中でどこかにひっかけたらしく、待ち合わせをする頃には右の袖との網目がほつれて穴になっていたのが残念だけれど。縫っとかなきゃな。。


何はともあれ、今日は久しぶりによく笑った。

名古屋からわざわざ駆けつけたSさんにも会えたし、H先生にも再会できていい1日になった。

 

8月8日 Ⅰ~いよいよ取付~

8月8日。

大阪では淀川の花火大会、兵庫では宝塚の花火と人々が沸き立つところだが、今年は別の理由で私の心は沸き立っていた。


この日は、愛車「まーち君」に手動運転装置が取り付けられる日
いよいよ助手席ではなく、運転席に乗り、自分でハンドルを握れるようになる日なのだ


取付を行う業者は豊中市にあるので、お昼ご飯を食べる時間なども考えて午前中の早い目に家を出た。往きのハンドルは父親が握る。


阪神高速に乗り、なんばや梅田のビルの中を抜けていく。今まで名神や近畿道、阪和道くらいしか通ったことがないので、こんなにもビル・ビルビルの中を車が走っていくなんてなんか不思議な感じ。


予定よりもだいぶ早く、豊中の工場周辺に到着。途中、ことごとくナビの音声案内を無視して走り続けるも、どうにか到着・笑


予定時刻は13時だったので、土曜と言う事もあってか工場のシャッターすら開いていない。業者の人が来るまで腹ごしらえと言う事で、某和食のお店に入り、『昼膳』をいただく。


ごはん・味噌汁・甘エビとホタテの刺身・天ぷら(or刺身の盛り合わせ)胡麻豆腐・漬物

これだけ付いて、780円いやぁ~余は満足じゃ・笑



お腹も満たされ、いい時間になってきたところで店を出ると、駐車場の私のまーち君の隣にはまったく同じ色のマーチ君
わぁいふたご



それから業者の工場へと再び。

大阪空港から車で10分程という位置関係なので、着陸態勢に入って低空で飛んでくる旅客機が間近で見られる。音も大きさもド迫力。大人でも思わず、おぉ~と目を奪われるのだから、小さい男の子なんか連れて来たら大興奮なんだろうね

昔住んでいたところもよく飛行機が通るものの、ただの通り道なので小さくしか見えず。。はじめてみる飛んでいるデカい飛行機にいい年こいた親子は大興奮だったけれど、地元住民はこれが普通なので別段変わった様子なく、そ知らぬ顔。

でも工場密集地帯&住宅地のこの辺にあの飛行機が1台でも不時着すれば、大惨事になること間違いなし・・・そう考えたら、怖いね。



小さい作業場しか表からは見えない業者で、しかも周りにはコンビニしか時間を潰すところがなかったので、これでクーラーの効いた部屋がなかったらどうしよう・・と思っていたが、小さいながらも事務所が奥にあり、きちんと快適な温度に設定されていた。TVも置かれている。

徒歩でいけるコンビニで、お茶と簡単なお菓子を買い、つまみながら作業している様子を遠目に見学。

父親はポルシェのカタログを見たり、高校野球に見入ったり。。


「もう外車ら見て喜ぶ年でもないけどなー」とか何とか言いつつ。・・・確かに。


作業するスペースは外にあり、外気が入ってきっぱなし。おまけに扇風機しかないので取り付けをしてくれるお兄さんは首にかけたタオルでしきりに汗を拭き拭き、時々お茶を飲み、見ているだけで暑いのが伝わってきた。


途中、近くへ行き作業する様子を見てみると、エアコンのスイッチなどがある周辺のフタなどが外されていた。
なかなかこんな中、見る機会ないし、新鮮



3~4時間掛かると言われていた改造だが、思いのほか早く2時間半弱で終了。教習所で使った手動装置と同じメーカーなので使い方も説明されなくてもわかる。そのまま乗って帰ることに。



工場の前の道で試しに運転してみたが、教習車よりも新しいということもあってかブレーキがよく効く。
教習車の感覚に慣れきっていたので、踏み込みすぎてつんのめったり・・・を繰り返す


「どの車もそうですけど、ブレーキやアクセルの効き加減て、車によって違いますからね。そのマーチの感覚を早く掴んでください」
と営業さん。


代金を支払い(私の給料一月分)前後に初心者マークをぺったん②



いよいよ乗って帰ります            次回へ続く。

Shift The Way You Move

『Think &Said to myself』をご覧のみなさん

カテゴリが1個増えたのに気が付きましたか



そう、私の「愉快な仲間たち」の仲間入りを果たしたのは・・・まーち君







中学生の頃、フルモデルチェンジされたマーチを見て「これは乗りたい」と思って以来、およそ10年・・・


ようやく手に入れることができました




教習所に通っている頃もマーチに乗りたい、とは言っていたけれど、まさか本当に買うことになるなんて思ってもいなかったし。。




当初の予定では、冬のボーナスを頭金にして買う予定だったのだけれど、親戚の方々が予想外に「就職祝い」をくれたおかげで少ない少ない社会人1年目の夏のボーナスでも頭金を捻出できたので買うことに



はじめはキレイな中古車と決めていたので、ネットで中古車を掲載しているサイトをかたっぱしから見ていく。その中でもハッチバックや軽に焦点を当てて走行距離が少ないのばかりを片っ端からあたる。


ハッチバックではマーチかヴィッツ、軽ではライフに絞り見ていくと、信じられない物件が


念願のマーチで、平成20年式、走行距離は4000kmナビ付これで70を切る安さだったので、即決w







中はこんな感じ内装色はカカオはじめはエクリュという、ベージュに近い色の方がほしかったのだが、そちらのマーチは一足先に売れてしまった、とのこと

 しかし納車してみて思うのだが、カカオの方が汚れにくいし落ち着いていておしゃれで、却ってよかったかもしれない


ブラックの内装は多くても、あまりブラウンはないもんね。




まだ手動運転装置は付いていません。来月あたまに付けてもらう予定

駐車場の敷地内でひそかに前進したりバックしたりはしているものの、道に出ると限定付き免許の私では「無免許」扱いになってしまうので、まだ実際に運転はできず



早く乗りたいな



改造したら、ビフォーアフターみたいなカタチでまたアップしますね。どんなんか気になっている人も多いだろうから


街で走っているのを見かけるよりも、近くで見れば見るほどかわいくて、それがしかも他でもない自分のものだと思ったら、顔の筋肉が自然とゆるんできてしまう・笑


眺める度、シアワセな気持ちにさせてくれます眺めてはにまーっとしているめぐさんです。

ぽーるすみす

メガネを新調した。




縞模様のクーパーのメガネ拭きらしさ全開である。


言わずもがな、アコガレのPaul Smithのメガネ
ボーナスの約3分の1をコレに費やしてしまった


元々コンタクト派ではない私はメガネにはお金を掛けるのだが、それでもこんなにメガネにお金をつぎ込んだのは初めてである。


当初、今回はそんなにお金を掛けるつもりは毛頭なくて、プライベートで本屋なんかに掛けて行ってもオシャレなメガネを安く手に入れようと考えていた。
そんなわけでセット価格が安いZoffへ行って、今のメガネと同じ度数で作ってもらおうと思ったが、念の為レンズを合わせてもらうと近視が5段階くらい進んでいて、「次回の免許更新はこのメガネでは通りませんよ」とのこと・・・

サブメガネなら安いもので十分だけれど、こんなに度数を変えるならばやっぱし日本製のフレームの方が安心・・・と熱心に接客してくれるスタッフさんの隙を見てZoffを後に・笑



次に向かったのが某全国展開のメガネ屋。オリジナルブランドから大手ブランドまで幅広い取り扱いが魅力の店舗で、実は高校の頃、地元の支店でアニエス・ベーのメガネを購入している。


前々から次のメガネはJill Stuartのものがイイと思っていたので、ジルのものを中心に探すけれど、やっぱりナイロールのフレームはおとなしくてつまらない。
今の度数でも仕事に問題はないから、当分仕事は今のピンキー&ダイアンのメガネを使うつもりだったし、どうせなら遊びゴコロあるデザインがよかった。


で、ジルのセルフレームに焦点を当て掛けてみるんだけれど、悲しいことにどれも「ザアマスおばさん」にしか見えないこれをかわいく掛けこなす女の子が羨ましい

手近にあったCOACHのフレームも掛けてみたけれど、どうも私には気取って見える・・・。


そんな時、目に留まったのがポール・スミス。

Paul Smithのブランド自体は前から好きで、母親にもポールの財布をプレゼントしていたし、自分もパスケースを愛用している(いずれもオークションでGETしたやつだけど)。

なんとなく、ポールスミスのメガネって、モード系の男子が掛けるようなイメージがあって今まであまり興味は持たなかったけれど、それが目を引いたのにはひとつの理由があった。




お分かりだろうか。表は茶色なのに裏がピンクなのだ

なかなかニクイ仕事ぶり、Paul Smith


一見シンプルなのに、こういう見えないところに小技を忍ばせているのがPaul Smithらしい。




↑こういうところとかね


さりげないコダワリに惹かれ、それに決定。当初の予算を7000円もオーバーしてしまった



車の運転がし易いよう、1.0くらいに合わせてもらった。







メガネ屋のオリジナルではなく、Paulの専用ケースが付いてきた


Paulで買い物したわけじゃないのに、Paulストライプのショップ袋に入れてくれるちょっとラッキーww笑




社会人1年目、夏のボーナスは、車のローンとメガネ、それから実家の洗濯機に消えました・・・。


COACHのバッグは買えず


まぁ、でも手術代も貯めなやし、当分そんなあってもなくてもいい物は買えないけれど

卒業

電話回線移設の手続きを先延ばしにしていたため、ネットが使えない状態が3日続いている( ┰_┰) あらゆるネット上のサイトがケータイに対応しているとは言え、どんなに忙しい日でもネットを立ち上げなかったことのない私には不便極まりない・・・

と言うわけで今日はケータイからの投稿♪
ケータイだから「いつもの行間」がわからないのは仕方ないけれど、せめてモブログ投稿も絵文字対応にしてほしいものだ。



ブログを書かずにいた間にずいぶんと色々なことがあった。


まず一番大きな出来事は、大学を卒業したこと。

念願だった着物・袴を着ることができた。


前にも言ったが、私が選んだのは白地に桃色や薄黄色の桜に桃色ののし柄、袖に行くにしたがって、地色は薄紫になっていくというデザイン( ̄▽ ̄)b
袴は着物の色調に合わせて紫色のグラデーションにした。


友達は黄色や赤、黒、深緑にピンクなどなど様々な色柄のものだったけれど、何故かうちのゼミの女子はほとんどが白地の着物。

同じ教授を慕っていると趣味思考も似るのだろうか?笑


みんなで写真を撮りまくった。卒業式のあとに行われた学位記の授与式では、専攻毎に分かれ、卒業証書と学位記を受け取った。我がゼミのイケメンズ(笑)の1人、O君が密かに私を含むゼミ生を激写していたり、証書を受け取った時に振り返れと言うので振り返ると、それもばっちり撮られていたり。面白かったのは撮っているのを知っていてか、A先生もばっちりカメラ目線だったこと(`・ω´・)+(笑)



某S大学のCMではないけれど、(私はS大生ではないがS大のCMは大好きだ)自分の軸がしっかりと出来上がった4年間を過ごせた、大好きなこの大学から、巣立てる喜びと寂しさ。

涙は流さなかったが、何ともいえず感極まるものがあった。



卒業証書や学位記の授与は、式後、専攻別に行われた。


式で文学部の総代になったのは、偶然にも私の友達だった。昔から真面目でよく出来る子だと思っていたが、その「出来る」は私の予想をはるかに越えていたらしい。確かに『良』でも優じゃなかったと相当悔しがる子だったが。

矢絣の渋い模様の着物も、彼女にはよく似合っていた。



専攻代表であるA先生から直接卒業証書を貰い、皆それぞれ拍手を受ける。
受け取った証書や卒論の原本などを入れるための紙袋をB先生から受け取ったが、その際先生が「オメデトーゴザィマス」と片言の日本語だったのが印象的だった。



ゼミの皆で写真を撮り、A先生ともツーショットで撮っていただきヽ(・∀・)ノ先に帰ってしまったKくんが戻ってきてからまたまた皆で写真を撮り☆



謝恩会の事はまた次回☆
引越し先でネットが使えるのはもうしばらく先なので、更新は当分モブログになります。ご了承ください(*^ー^)ノ♪

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