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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

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理不尽な善意

私を包む見えない空気の膜が、私を護っている見えない空気の膜が、音を立てて壊れるのがわかった。

それを壊した張本人は、私に背を向けて自宅があるのであろう方向へ歩いている。

絶えず緊張感を保ってその膜を壊さないようにしてきた私は、無重力の空間で宇宙服に穴が開いたみたいな気分だった。

とりあえず気分を鎮めるために、深呼吸を数回繰り返す。憎らしく思っていた外の冷気が今は有難い。


      

今日はA教室OBの定例会の予定だったのだが、メンバーの都合が悪いのか延期になった。

持て余した休日を埋めようと、高校の同級生にメールした。彼女は今、私の隣の市に住んでいる。

彼氏と晩御飯の約束だが、それまでなら・・・ということで、私たちは難波に集合した。


同級生の彼女は、数年前1年ほど、私が勤務する市の別の中学校で養護教諭の常勤講師だった。今は同じ市内の歯医者で歯科助手として働いている。

給料は常勤講師のときの方がよかったけれど、結果的に今の仕事の方がいいという彼女。彼氏とはしばらく同棲中だが、金銭的なこともあって、なかなか結婚に踏み切れないと言う。


最近なるべく節約を心がけている私だが、今日は奮発してカフェで1200円も使ってスイーツ3点盛りを平らげてしまった
財布の中身は減るし、脂肪は増えるし・・・という最悪コースだけれど、おいしかったから良し

モットーは『食費と教育費は惜しむな』だもんね~笑 (間食とかは惜しむべきだけどね・・)


色々な話をした。
恋バナや仕事の話が主だったけれど、ケーキはおいしかったし、近くに座っていたカップルのバースデーサプライズも見れたし、紅茶はおいしかったw




彼女も自分が職場で役に立てていないことに悩み、毎月支払われる給料が自分に見合わない、給料泥棒だと自分を責め続けて、辞めた。

それを聞いた時、まだ学生だった私は彼女を「真面目すぎる」と思った。
そんな事気にせずに「こんだけ貰えてラッキー」と思えばよいと、わざわざ条件の悪い職場へ再就職して、お金がないと嘆くなんて勿体無いと思ったものだ。


しかし、自分がいざ似た状況になってみると、自分がこう思えばいいのに・・・と思っていたようには到底思えないのだ。
自分も自分の貰っている給料が、自分の実力に見合うと思えない。

それでも自分の家の家賃を払ったり、毎日のご飯を食べたり、車のローンを払ったり、奨学金を返したり、時々着たい服を買ったり・・・時々スタバでコーヒーを飲んだり。。


そんな大事なことやくだらないことを手放せない私もいる。


大学院に進学したいという夢や、足のオペを実行するという目標や、実家の両親の暮らしを助けるといった義務も放棄できない。


そのために情けなくても惨めでも不甲斐なくても役立たずでも、少しでも昨日よりマシで在れと努力しながら必死で教諭という仕事にしがみついている私。


そしてやっぱり、子どもと関われない仕事は嫌だった。


でも今。どうしていいかわからなくなりつつあった。 続けたいという思いと辞めたほうがいいという思いが混在している。自分でもどちらなのか、わからないのだ。

でも『どんなときでも学校来てな。』という手紙をくれた子が卒業するまで、教頭が『辞めんなよ』と言った、そんな些細だが大きな理由で、どうにかこうにか踏ん張っている。


とりあえず、だからあと1年。 それまでに結論を出す。


そう決めたものの、続けていく自信も、辞表を書く勇気も、 今の私にはない。
そんな意気地なし。


だから養護教諭をアッサリと手放した彼女の決断力に脱帽していた。
普通に友達として心おきなく話をしたいと言うので誘ったけれど、話の3分の1は私のグチになっていた。


私も彼女も実家が貧困家庭で苦労をしているので、金銭的な面に於いては共感できる点が多いけれど、社会人になってする彼女の贅沢が、2~3ヶ月に1度の美容院と年に2~3回服を買うことだなんて・・・

彼女のあまりの物欲の無さに、自分がひどく俗物的で汚いもののように見えてしまう。
私なんてついこの間、セールの服買っちゃったしね 

今すぐ必要ではないものを買うという当たり前に出来るようで、実は贅沢なことは私のアコガレの象徴でもあった。
いつも金銭のやりくりに苦労していた実家では、必要でないものを買うなんてことは言語道断であった。必要なものですら買えないこともあった。
私が大学を出られたのも親戚から時折援助があったからだ。

だから必要でないものにお金を掛けられるということに少し心の余裕を感じたりしてしまう。


社会人になったばかりの頃は、それが嬉しくて様々なものを買った。
すぐに学生の頃から使っている衣装ケースは埋まった。
だから服を買う意味もない。それでも時々買ってしまうのは、ストレスのせいなのか何なのか。

幼い頃のように、モノも心も満たされない状態からは脱したけれど、今、モノに困ってはいないけれど、心は埋まらないままだった。


だから自分が傷つかないように心ごと自分を覆う膜を張る。常に一定の緊張感を保って。
でも、それは思いのほかしんどいことだった。
でもそれを張らずに生きるのは怖すぎた。


仕事を変えようか変えまいか、真剣に悩んでいるときに、もう心身ともにボロボロなときに母は無邪気に追い打ちを掛ける。

『借金(奨学金を借りていることを母はこう呼ぶ)の保証人が○○君(父方の従兄弟)になってるでしょう?だからお父さんが心配してるんよ。もし何かあって○○君に迷惑掛けたら悪いって。安い金額とちゃうし』

悪意のある姑みたいな口調で言うもんだから、すっかり「仕事が出来なさ過ぎて役立たずなのが辛くて、仕事を変えようか迷っている」なんて言える雰囲気は微塵もなくなった。


私がちゃんとしなきゃ。私ががんばって働かなきゃ。でないとみんなに迷惑が掛かる。


母の言葉で、私の心はまた1つがけっぷちに追い詰められる。


そんな話が出来るのも、彼女ならではだった。なかなかお金に困ったことのない友人にこの手の話は出来ない。


    


友達と話して、ほんの少し気分も晴れ、いつものように地下鉄を降り、地上へと向かうエレベーターに乗り込んだとき、後ろにいたおじさんに『一緒に乗ってもいいですか?』と声を掛けられた。

はいと答えたが、直感で胡散臭いと思った。

大阪でも田舎のほうだとは言え、大阪の大動脈と言われる路線の結構な利用者数を誇る駅のエレベーターで、そんなに混んでもいないのに答えの解りきっている問いを投げかける胡散臭さ。

スーツの下のシャツがワイシャツではなくて、ポロシャツなのも胡散臭さを強調している。


エレベーターが地上につき、私はいつもそうするように「開」ボタンを押したまま「どうぞ」と言った。

『ありがとう』と言って、おじさんは何事も無くエレベーターを降りた。


それで終わればよかった。


でもおじさんは一足遅くエレベーターを降りてきた私を振り返って、『がんばってねぇ』と言った。


それだけならよくあること。私も用意した笑みを貼り付けて「ありがとうございます」と言った。
世の多くの人は、普通に街を歩いているだけで素性のわからない人から「がんばって」と言われる苦痛を知らない。


『私もよく車椅子を押すことがあるんですよ』


何の脈絡も無い話。障がいを持った人をすべてひと括りにしないで欲しい、と苛立った。

足が不自由=車椅子。とか、そんな幅の狭い固定観念。

そんな苛立ちは微塵も見せず、私は心にもない笑顔で言う。

「そうなんですかー。それはお仕事か何かで?」

『いえ、助けてあげたいと思ってね』


偽善を無理に押し付けたような言い方だった。 

助けてあげたいとおもって・・・・だって?

確かに私を含め、どこかに障がいがあれば、そうでない人に比べて人の助けを多く必要とする。だが、自分でできることをろくに確認もせず、自分の自己満足の為なのが見え見えで、手を貸されることがどれほど悔しくて惨めなことか、それをしている人に一体どれだけわかるだろう。

障がい者は周りの人間に敏感だ。近寄ってくる人に悪意があるのか、ないのか、放たれた言葉が本心か否か、自分の事を思ってくれてのことか否か。

ちょっとした些細な表情や声の調子でだいたいわかる。

本当に自分の力になりたいと思ってくれている人なのかどうかはすぐにわかる。
でもそうでない人間も邪険に扱うわけにいかない。 いくら見せかけの善意だって、自分に降りかかる被害を最小限にしながら、それでも愛想笑いを振りまくのだ。

見せ掛けの善意を見せてくる者こそ、ちょっとでもその善意に背くような態度をこちらが取ると、障がい者に対する中傷を始めるのだ。そしてこう付け加える。

『私は何々してやったのに』と。

助けてもらわねばできないこともたくさんあるから、そう言う事にいくら心が打ちひしがれようが、なるべく人の癇に障らないように立ち振る舞わなければならない側面もある。


そのおじさんは偽善者と言う言葉がぴったりだった。

私の長年の経験で身に着けた第6感は、胡散臭さを逃さない。


『私も後遺症で右半身の神経がないんですよ』

いきなり自分の苦労話を切り出され、私はどう反応すべきか迷った。そして逡巡したが、

「そうなんですか。大変ですね」と言った。

自分がいちばん嫌いな言葉だった。その人の人生をほとんど何も知らないのに「大変」なんて無責任極まりない言葉だ。言う資格もない。
でも、それを口にした。 


『あなたもね、がんばってねぇ』

「・・・はい。どうもありがとう」


最大限の努力をして、笑顔を作った。

おじさんに背を向け、ひとりになった瞬間、自分を護る薄い膜が音を立てて破れた。
感情が噴出しそうになった。


頑張れって、何を頑張れというの。 私の何も知らないくせに、ただ、同じ駅にいただけの私の何を知っていて「頑張れ」と言えるの。


あまりにも無責任だ。これ以上何をどう頑張れって言うの。


おそらく悪気はないのだとはわかっている。でもその無邪気さが心に更に大きな穴を開ける。


色々ギリギリな心に更に負担を強いた、見ず知らずのオッサンの股間を蹴飛ばしてやりたいくらい、蠢く感情があった。


帰って、飲む気もなかったのに、ビールを飲んだ。 涙が一筋伝っていた。

かなしいのか、悔しいのか、それともそれ以外かわからなかった。

何がかなしいのか、何が悔しいのか、それさえうまく言えない。


ただ、ただ、 心が疲労していた。。。
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ほうじ茶の匂い

ほうじ茶の香ばしい匂いを嗅ぐと、おばあちゃんの家を思い出す。 

私の地元はほうじ茶の茶葉を入れて炊く「茶粥」が郷土料理の1つだ。大阪の人はその茶色い見た目をよく「気持ち悪い」と言うが、食べてみると優しい味でなかなかイケる。

今日は久しぶりにぐらぐらになるまで水を沸騰させてからほうじ茶のティーバッグを入れたので、部屋全体にいい匂いが漂う。


めぐ家の定番の飲み物。ほうじ茶ww 切らすことはほとんどない。 

浄水器のカートリッジを替えたばかりだから、味もおいしい。


うん、にじゅうまる◎
 

Something  BITTER

今日はウチの職場の卒業式
いつもはサティで買った綿パンにテキトーなカットソーといういでたちの私だが、今日ばかりはそうは行かない。
何しろ今日の担当仕事は受付

春うららな日和ならまだしも、寒の戻りで最高気温は1ケタ。冗談じゃない
奮発して、P&Dのブラウスをスーツのインナーにと購入したのだが、寒すぎたwww 

『おめでとうございます』と笑う筋肉も引きつりそうになるわ、式次第を差し出す手はかじかむわでしんどい1日だった。


が、それだけでは終わらせてくれない。 式の間はおとなしくしていてくれたヤンチャ連中が式後、この日のためにあつらえた晴れ着で学校にやってきた。

晴れ着とは・・・


暴走族さながらの色つき学ラン(刺繍入り)

ピンクに水色、オレンジ、緑と目立つことこの上ない。

刺繍もわりとしっかりした質のいいもの。ふと気になったことを聞いてみた。

「それ、いくらすんの?」


聞いて驚くことなかれ。 14万らしい     オーダーメイドのスーツ買えるやん

働かずして14万の服をこの日のためだけに買う中学生・・・かたやこちらは、あくせく働いて吊るしで1万のスーツである。   世の中って何なんでしょう・・・


何はともあれ、ヤンチャ連中をどうにかこうにか帰したところで、ようやく遅い昼にありつく私たち。

式場の片付けも終え、勤務時間終了まであと5分。こんな日くらい早く帰らねばということでコートを着終えた頃に・・・


『1年生の先生ー。事件ですー集合



のーーーーん 学校とは定時に上がらせてくれない場所である。


その事件もどうにかこうにかカタをつかせ、ほっと一息。あったかいお茶をすすり終え、さぁ帰ろうというときに警察から電話
ショッピングセンター内のフードコートで、さっきの七色勝負服とそのお仲間がたむろってて、迷惑しているらしい。。

てか、警察動いてるなら、警察が親に連絡取ってよね。


私がどうこうできることではないにしろ、出払った仲間を尻目に帰るわけにも行かないので職場待機。

7レンジャー(笑)を蹴散らして帰ってきた同僚。やっと帰れると思いきや、地域の方よりお電話。

『派手な格好をした中学生が校舎の屋根にのぼっている』


・・・アイツらだーーーーーーーー。 また帰れない。テンションだだ下がり。


ご丁寧にも、倉庫のドアを蹴破ってくれていた。 遊ぶならおとなしく遊べよー


「おい、ピンクレンジャー(笑)、仲間連れてさっさと帰り。暗なるし」

『先生あそぼーやーー』

「あんたらと遊んでるほど暇ちゃうねん

『ケチ』

なんだかんだ言って、寂しいんだろうな。派手な髪や服もかまってもらうための彼らなりの手段なのだろう。正当なやり方で、気を引く方法がわからないのだ、きっと。

高校に行けば、授業を抜け出してばかりだと在学すること自体が困難になるし、抜け出したからと言って、高校の教師は中学の教師のように追いかけてきてはくれない。
義務教育ではないから、自己責任なのだ。

自分を見ていてくれる人や場所から巣立っていくのが寂しくて、うだうだと教師を困らせてみるんだろう。


なんかな、哀しいな。


蹴破られたドアを男性陣が応急処置し、どうにかこうにか7レンジャーを帰したら19時になっていた。
式典そのものは昼までで終わっているのに、普通の勤務日とそう変わらない退勤時間。

嘆いてみても仕方ない。 これが私たちの仕事

残っているのは、家庭を持たない若い人たちばかり。 

疲れたーと口々に言い合っていると、一緒に残っていた教頭が、『メシ行こメシ』


ちょうど友達に約束をドタキャンされたところだったので、二つ返事でOKをして、車を出した。


そして、この偶然に感謝することになる。やっぱり起きる出来事は必然なのだ。

・・・つづきはこちら

HUMAN ERROR

殊更、注意していたはずだったのに、去年と同じミスをした。

周囲の白い視線が痛い。 

なんで・・・。しっかりと確認したはず。 私の頭はどこかおかしいのだろうか・・・

この仕事をする素質はやっぱりないんじゃなかろうか。


ひどく腑抜けた顔でトイレに駆け込んだ私の異変に栄養教諭が気がつき、

『どうしたん? 誰かになんか言われたんか?』と声を掛けてくれた。



ことの顛末を話すと、先生は、『小さい学校に変わるって手もあるしな。どうしても生徒が多いと細かいところまで目が行かんってこともあるやんか。小学校で英語教えるために変わった先生かておるしな。何も向いてるとか向いてないとか、急いで結論出すことないで』


まぁ、それはそうだけど。。。
どっちにしても、今の職場であと2年はやっていかなければならない。

長すぎる。。。


私、もう崩れる寸前かもしれない。

Morning Glory

『恋とニュースの作り方』http://www.koi-news.jp/という映画を観て来た。 
最近観たい映画が目白押しで、暇さえあれば映画館に足を運びたい今月家計火の車だけど・・・・・

『恋とニュースの作り方』をそのまま英訳すると、How to make Love and News?? でもmake loveって男女の交わりを遠まわしに意味する熟語だよな・・・ってことは、こういう英訳をすると映画の趣旨が変わってきちゃうのか・・・笑   英語って、むずかしい。。。


まぁ何はともあれ、なんでそんな英訳するところから入ったかと言うと、この『恋とニュースの作り方』、原題はMorning Gloryなのだ

直訳は『朝焼け』

映画の邦題って、何を根拠に付けるんだろう。そういうの研究対象にしても面白そうw 趣味か学部生レベルでだけどねww 院レベルで修論にするにはちと厳しいかな・・・

この『恋とニュースの作り方』がもし、『朝焼け』や『朝のひかり』とかいう邦題なら、絶対売れない映画になっていたハズ 映画のネーミングって重要。


まぁ、そんな前置きは置いといて。
コレ、女子には絶対観てほしい映画です元気が出る学生でも社会人でも・・だけど、あえてターゲットを絞るなら、駆け出しの社会人、それも仕事が忙しくて、彼氏となかなか会えない、でもって仕事は大変・・・みたいな貴女が観たら、もう共感しまくっちゃうこと間違いなし


いつもは、こんなラブコメな感じの映画はどちらかと言えば、映画館で観るよりDVDで観る方が多いんだけど、今回観にいこうと思ったのは、


『ノッティングヒルの恋人』を手がけた監督 × 『プラダを着た悪魔』の脚本家 というスペシャルタッグ

どちらも私の大好きな映画w

これはもう映画館で観るしかないじゃない


さらにさらに映画の冒頭・・

字幕   戸田奈津子  の文字。 

私の尊敬する翻訳家サンのひとりです   これでもう字幕が戸田さんとくればもう!鬼に金棒やーん


主人公ベッキーは本当は才能もあって、かわいい女の子なのだけれど、不可抗力ってこの事ね・・的な感じで、仕事ではうまく行かず、TV局内で恋が芽生えたと思ったら、ドジ踏んじゃったりで、観ているこっちがハラハラしそうだけれど、でもそういうところが観客をひきつけるんだと思う。等身大だから共感を生むっていう感じかな。

NYのマンハッタンってだけでも日本人からすれば現実からかけ離れた場所なのに、それでいて、着こなす服はハイブランド、住んでる家は広いアパートメント、仕事バリバリ、恋愛だってうまくこなしちゃいます・・な主人公なら、見てても絵空事にしか見えないもんなぁ


明日から仕事頑張ろうっていう勇気をもらえる映画ですw

エンディングのNatashaのStrip Meっていう曲も爽快でイイ

同じ月

『会いたい』と
   たった4文字
      言い出せず (byめぐさん)



仕事帰り、見上げた空に真ん丸い月 邪魔する雲も無く、心が洗われた。

『お疲れ今日は月がきれいやね』 

ためらうことなく、「送信」ボタンを押す。メールがきちんと送信されたのを確認してから、マーチのエンジンを掛けた。

こんな風に些細な事を、共有する誰かがいるということは、人生の中の数ある取るに足らないことの1つかもしれない。 でも、極めて重要なことの1つでもあると思うのだ。

俵万智も詠んでいるしね。
『「寒いね」と言えば「寒いね」と答えてくれる人のいるあたたかさ』って。

教科書に載っているのを見た頃には、この頃の本当の意味になど到底たどり着かなかった。


しばらくして返ってきたメール  彼も満月を見ていたらしい。


こうして、同じ月を見ることが出来ると言うのになぜ、私たちの距離は縮まらないんだろう

物理的にも。
心理的にも?(こればっかりは相手にしかわからないけど)



色々と正反対であべこべ

都会好きと田舎好き。
映画好きと映画嫌い。
運転ベタと運転上手。
読書好きと活字嫌い。
人ごみを苦にしないのと人ごみ嫌い。


でも気を遣わなくていい。何故か こんな風に月がきれいだという理由だけでメールできる異性は彼が初めてだ。
今まではどれほどのめりこんだ人でも、こんなメールできなかった。


後悔ばっかり。なんで、初めに会った時に、もっと愛想良くてかわいらしい人に振舞えなかったのかと。



仕事だと
    わかっていても
        また尋ね・・・(byめぐさん)

When is our 2nd date? Or, Such a day will not come?

自分の家の駐車場に車を停め、ふとカーラジオから流れてきた歌の歌詞に耳を澄ました。




絶妙な歌詞に涙が出そうになった。 
これをリクエストした高校生は、どんな恋愛をしているのだろう。


出そうになった涙を持て余しながら思った。


あぁ、私は恋をしているんだな、と。

細い糸

『先生の言うこととか、学級通信に書かれてる事は全部きれいごとなの。きれいごとばっかりやねん』

上品な口調と、上品な顔で、随分と辛辣なことを言うものだ・・・と思ったが、黙って聞いていた。

確かにきれいごとも少しは混じっているかもしれない。けれど、きれいごと「ばっかり」なんかじゃない。
私だって信念を持って伝えていることを真っ向から否定され、良き忠告だと思う一方で、少し腹が立った。

つとめて明るく、つとめて屈託無く、私は言った。

「先生が昔担任されていた頃の学級通信て、置いてはりますか?もしあれば参考にしたいので見せて下さい」


家にあると思うから、探して持ってくるわね。

そう言ってもう2週間以上が経つが、彼女はまだ私に学級通信を見せてくれない。


私には言われたことはすぐにしなさい、とか、約束したことは必ず守るように、なんて言うくせに、自分はいいのかよ・・・なーんてヒネた思いが浮かぶ。
忙しいとか、探しているけれど出てこないとか、何か理由があるなら言ってくれればいいのに。

子どもとの約束や要望には超迅速に対応するのに、私はひとりの人として見られてないのだろうか。



別にいいけど。見せてくれなくたって。。



今週はじめ、私にもどうしようもないことで叱責され、(まぁそれは他者から見なければなかなか気づかないことだから、忠告してくれるのは有難いのだけれど)、更には私がつまらない(がその結果はつまらなくない大変な)ミスをしてしまい、また叱られる羽目になり・・・。


気ぃ張って気ぃ張って、何とか何とかここまで来たけれど、もう限界かもしれない。
これ以上、常に気を張り詰めて、これから先やって行くのはしんどすぎる。


『高校の方が向いてる』と言った教育実習の指導教諭の言葉が再び胸に刺さる。


本当に私、高校の方が向いているのかもしれない。
中学生と接することは好きだけれど、私には中学校教諭の素質がないのかもしれない。
中学校教諭と高校教諭では、求められる能力も微妙に違う部分もある。


自分が叱責されることに落ち込んでいるんじゃない。
そのことをなかなか自分の中で消化して実践できない自分が悔しくて落ち込むのだ。
でも、それを言ってもおそらく周囲は理解しないだろうな。


自分の判断基準がなくなった。軸がなければ子どもらもブレる。
失敗しないかと萎縮しきってしまっている自分。
そんな自分の姿にきっと子どもらは気づいているだろう。


再び夏の『辞』というハードルが、目の前に見えた。

でも、やっぱりまだ、教師でいたいという思いは残っている。けれど、自分が「やりたい」という気持ちだけでこの仕事を続けるのは単なるワガママだ。
何らかの利益をもたらさないことには、組織にとっている意味はない。


でも辞表を書く勇気もないのだった。情けない。



久しぶりに恩師に電話した。 
いつもはすぐに掛かることは珍しく、大抵、女性の無機質なアナウンスが電源を切っていることを知らせるのだが。
切羽詰った私の思いを知っているかのように、すぐに呼び出し音が流れ、先生が出た。

『おう、久しぶりやな。どうしたんよ?』

深みのある声を聞いた途端、心の堤防が決壊しそうになる。
なんとか、震えそうになる声に喝を入れながら、自分の今の状況と、気持ちを掻い摘んで説明した。


大抵の人は「やりたいとか続けたいという気持ちだけで、能力がないのに仕事を続けるのはワガママだ」という私の思いに、『そんな事ないよー』とか何とか私を励ましてくれる。
それは嬉しいけれど、でも私は納得できないのだった。


そんな事なくはない、と。

その意見について、先生は肯定も否定もしなかった。ただ、言う事を『うん、うん』と聞いている。



『(辞める)決断をするかよぉ、周りに申し訳ないと思いながらお前が努力をし続けていくか、そのどちらかしかないと思うんやで』

『最後に決めるんはお前自身やけどな』


てっきり真っ向から『辞めるな』と言われるだろうと思っていたので、少し意外だった。


『でも今すぐにっちゅうわけやないやんか。まだあとひと月あるし、せめて年度末までは続けぇよ。せやないと子どもも「何や」ってなってしまうしなぁ』

ははいくら、切羽詰ってしんどくても先生、それくらいの責任感と覚悟は持ってるで、私・笑

「はい、それはもうもちろん。今の子らを無事に2年生にするまでは辞めませんよ」


『お前がよー、仕事ができんと周りに迷惑掛けて申し訳ないって気持ちが大きすぎて、自分を見失ってしまうんなら、今の仕事に固執することはないと僕は思うんよ。でも、辞めて後悔するなぁってちょっとでも思うんやったら、辞めへん方がええと思うわ。』

『この年齢になって思うんやけどねぇ、お前の父親か兄貴(は言いすぎちゃうか先生・・・笑)みたいな気持ちで言わしてもらうとねぇ、人生1回やで。後悔せんように生きんとよ。』


親戚は皆就職した時から『しがみついてでも辞めるな』と言う。もちろん私の生活を心配してくれているというのは痛いほどわかる。

でも、先生は「私が自分らしくいられるかどうか」という視点からアドバイスをくれたのが、嬉しかった。

いくらお金があっても心が健康じゃなかったら、意味ないし・・・。


『今年度乗り切れたら、大丈夫と思うけどなぁ』と先生は呟いた。



きっと、本気で辞めると思うなら、こんな風に誰かに相談などしないで、勝手にさっさと辞表を出すことだろう。
それなのに相談すると言う事は辞めたくなくてその為の言葉を求めているに過ぎない。


『家族とも一回、よう相談せえよ』

絶対できない。


出来たら先生に掛けたりしませんよ、と心の中で呟いた。
先生は事情を知らないから悪気はないが、少し寂しかった。


あぁ、普通は真っ先に家族に相談するんだろうな、と。


とりあえずはあとひと月。細い糸を縛りなおして、また頑張る。
それから先は、まだ今は考えたくない。
今だけで必死だから。


嗚呼、苦しい。。
 

大人の恋愛

3連休初日。

目覚ましをかけずに起きたのは9時過ぎ。やけに窓の外が静かだ。休日だからかとカーテンを思い切り引いたら、窓の外が白い。

一面真っ白だった。樹木も車も綿帽子を被っている。目の前の道路は車が通るところだけアスファルトが見えていて、端には跳ね上げられた雪が積もっている。


(ぅ・・わぁ) 


一気にテンションが上がったw 大阪にこんなに雪が積もるのは3年ぶりだ。


(雪だるま作りたい)←コドモ。


雪だるまを本気で作りたいと思ったが、客観的に見て(いや、主観的に見ても)25歳のオンナが無邪気にひとりで雪だるまを作るなんてイタすぎる。

近所の子どもが遊んでいたら、そこにまざるという手もあるのだが・・・人っ子ひとりいない。


最近の子どもは・・・雪を見てもテンションなんて上がんないのか?
家でDSに興じて終わりなのか??
はぁなんかねぇ。


と勝手に嘆く・笑


とりあえず上がったテンションを持て余したので、買い替えたばかりのケータイを手にダウンを着込み、すっぴんのままマンション内や近所の雪景色を撮影。
防水ケータイにしたので、降りしきる粉雪もへっちゃら


白帽子を被ってオシャレ(?)をした相棒・まーち君の画像を親友とB君に送った。


しばらくして、親友から返事が来た。 市内で仕事があるが夜には終わるのでゴハンでもどうか、と言う。
二つ返事でOKして、出かける仕度を始めた。



    


休日だけあって、いつもより人の多い駅。 梅田とまた一味違う。 

待ち合わせに選んだのは、私の住んでいるところの駅から15分と掛からないのに普段はなかなか行かない駅だった。 

前々から気になっていた和パスタのお店「こなな」に行ってみることにw

私は『サーモンとアスパラの味噌トマトクリーム』を注文ww

味噌とトマトクリームなんて・・・味が喧嘩しないんだろうか。。。 


お箸でいただくスタイルでいかにも和って感じ。店内の雰囲気もナチュラルな感じでほっとしながらいただける
喧嘩しないかと心配していた味だったが、驚くほど味噌とトマトがマッチ。普通のトマトクリームより味噌のおかげでコクがあって、それでいてアッサリ。
これはハマりそうwww

味噌とか、だしの効いた煮物とか、そんなおいしいものに出会ったとき、自分が日本人でよかったって思いませんか
こんな事考えるのも年取った証拠かな


ひとしきり仕事の話なんかをした後、親友がおもむろに、『あれからB君とどうなん?』と聞いて来る。

待っていたわけではないが、話したい事は山ほどあった。

「休みが合わへん・・・」   押し出すように言葉にした。



以前おばと恋バナをしていたとき、『でもやっぱり同じ仕事の人がいいってー。休みあわせやすいし』と言われ、休みったって忙しい部活を持っている人は土日なんてないに等しいから関係ないと返したのだが・・・


今そのおばの言葉をちょっと噛み締めている。


以前ゴハンに行けたのは、ほんっとーーーーーーーに偶然、土曜日に休みが取れたから休みがカブっただけで・・・そうそう暦どおりに休めやしないと言う事が判明したのである。

週1回、平日に固定休があり、他は不定で自ら申請する仕組みらしいが、土日祝日はやはりかきいれ時だから申請しても、休みが取れないことが多いらしい。
かたや、こちらは平日には絶対に休めない職業である。。世の中うまく行かない

長期休暇のときに、相手の休みに合わせて有給を使う手があるけれど、いちばん近い休みは春休み。
春休みと言えば、授業こそないものの、環境整備や新年度に向けての会議などで予定は勤務時間いっぱいに詰まっている。1日休みを取るなんて無理だ。  その次は夏休み。 気が遠くなるほど先じゃないか


そんなだから、ガンガン行くに行けない。



学生時代は案外ドライでひと月に1回会えればそれでいいよ、みたいな考えだったのだけれど、社会人になってから少し変わった。
出来るなら週1で会いたい。


お互いの仕事が終わってから・・・を考えても、いつもメールの返事が来るのが22時前。
しかも近所ではなく電車なら40分掛かるところにお住まい。


うーーーーーん


運よく付き合えても、余程頑張らないと長続きしそうにない。



『ほんまに、付き合えたとしても、近いのに遠恋みたいになるな』



大人の恋愛って、理不尽だ。
学生時代には存在しなかった壁がそこらへんにあったりする。


それでもぶつかっていきたいと思うほど、私の中でまだB君に対する思いは切羽詰っていない。


だから迷うのである。


元々付き合うなら年上がいい、と思っていたこともあって、更に更にのっぴきならない仕事という事情もあったりなんかで、このままB君を押すのか、それとも路線変更をするのか、うだうだしている。


大人の恋愛って面倒くさい。
気持ちのままに突っ走れていた、10代の私が懐かしい。



でもやっぱり、私はどこで誰といても孤独なのだ。

付き合っても会えなくて寂しいに決まっている。But....


出したメールには必ず返してくれるけれど、相手が私をどう思っているのかは定かじゃないし。
大人になると捨て身で恋愛はできないものだなぁと、しみじみ思う。

誰が自分にとってぴったりなのか、最初からわかれば苦労しないのに。



あぁもう、面倒くさい。
でもこんなうだうだな私が、いちばん面倒くさい。


それでもうだうだなことを、うだうだ言い合える親友がいる私は幸せだ。


I Still dont know the end of this Story. Damn。

I'm alone



 

寂しいときに、

誰にも「寂しい」と言えないのが、

いちばん寂しい。

追憶

私は自立心の塊だけれど、本当はとてつもなく寂しがりやだということを今更ながら自覚した。

自立心の塊なのは、あの家庭で育ったから。 
社会人として給料をきっちり貰いながらも、当然のように実家暮らしを決め込む従兄弟(28)を情けないと思いつつ、どこかで羨ましいと思う気持ちもある。

小学生じゃないけれど、帰宅したらその日あったことを全部じゃなくていいから聞いて欲しい。


それが出来る、世の中の多くの家庭が羨ましい。うらやんでばかりいたって仕方ないけどね


私が何をどれほど喋ろうが、相槌は帰ってこない。

「なぁ、聞いてんの
『うん、聞いてるよ』

電話やねんから、聞いてるなら何か返事を返さないと聞いてるってことは伝わらないんだよ。
こんな至極当然のことも、彼女には教えてやらねばわからない。

相槌を打たねばならないとわかっても、今度はどんな相槌をどういうタイミングで打っていいのかがわからないらしく、めちゃくちゃ不自然なところで『うん』と返ってきたり、話の腰を折られたりする。

「でな~、これこれこんなことがあって・・・  もうほんま腹立たへんありえへんわー」

『・・・うん』

「・・・・・・・。」


相槌を打つようにはなったけれど、相変わらず共感は出来ない。他人事には違いないが、それにしたって他人事すぎる態度。

わかっている。コミュニケーションをとるのが下手なだけ。共感する力が乏しいっていう症状なのだから仕方ない。


でも、わかっていても、やっぱり拒絶されているような、そんな気持ちになる。


25年経っても、いまだに慣れる事のできない、この虚しさ。


追憶が甦る。

何度あなたを呼んでも、あなたが私に背を向けていた日々が。
私の呼び声が所在無く漂い、その色はかなしみに満ちていた日々が。。

あなたが笑って、「なぁに?」と振り返るのは、私の空想の中でだけ。



『お母さんはどんくさいし、周りのおかあさんみたいに何でもちゃっちゃとできへんけどよぉ、堪忍したり、な』

私の思いは汲み取られること無く、常に理性的であることを求められる。否応無く。。


堪忍したりって、私はいつまで堪忍しなあかんの。

そう思ったことも忘れていたのに、また思い出した。


母の背中を思い出すのが、とてつもなく嫌だ。


昔はもっと冷たくて、威圧感があったのに。
今は別人のように小さくなって。


自分だけ勝手に弱くなりやがって。
ずるい。ずるすぎる。
あの頃のわたしのかなしみを一体誰が引き受けてくれるのか。

責任も負わずに、先に自分だけとっとと弱くなりやがって。
ずるい。

ずるいんだよ。

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