Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
- 2024.12.22
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- 2019.01.07
他人事ではなく…
- 2018.01.21
伝
- 2017.03.28
春の始まりはいつもそわそわしている
- 2017.01.29
前厄
- 2016.04.20
祈り
- 2016.01.18
21年。
- 2015.01.29
仮面家族①
- 2015.01.01
Better days 2015
- 2014.12.25
Another Voice
- 2014.12.18
弾む音 ふるえる心
他人事ではなく…
今年もよろしくお願いいたします。
なかなかPC開く時間も気力も、そして前ほどネタもないけれど
2007年に始めて、干支が一周しているのだからびっくりしますよね。
最近ではインスタやツイッターで手軽に写真や情報を共有することにシフトしつつもあり、いつもいつも一番上にPRばかりが浮かぶ状態で細々とブログをするのも、どうなのだろう、と思うこともありますが、積極的に閉じようかな、と思うまでは、細々とやっていこうかなと思っています。
もともと、長文書きなのでツイッターにはおさまらないし、インスタでも長いキャプションはウザがられるし
長々と綴るにはやっぱり、ブログも残しとかなあかんのかも。
さて、今年の正月は食っちゃ寝ばかり。
食べては寝て…
また食べては寝て…
3日などはトイレと食事以外寝ているという有様で、稀に見るグータラの極みでございました
食したものは概ね高カロリー。
消費カロリーはきっと普段の3分の1以下
今日も七草に抵抗して(何故に)、お昼はビーフカツ定食、夜は炭水化物の権化を食しました
明日からの給食で健全な食生活を取り戻すわ(≧∇≦)b←他力本願極まりない。
正月休みも終わったただの日曜日。
久々に心斎橋まで映画を観に行ってきました。
『ぼけますからよろしくおねがいします』
Mrサンデーでも特集あったし、BSフジでもドキュメンタリーになったので見た人もいるかも。
チケット買うときのやり取りがちょっとヘンな感じになりますが。
『12: 25からぼけますからよろしくおねがいします』
『12: 25からぼけますから、ですね〜』
…せやねん、けど、なんか、な。
東京でフジテレビのディレクターとして働く監督が、地方で暮らすアルツハイマーの母と、そんな母を老老介護する父をカメラで追った記録です。
父は大正1桁生まれ。母も昭和初期の生まれ。
料理も裁縫も上手くて監督の自慢だった母が、りんごを何十個と買うようになり、今しがた食べた刺身のことも覚えていない。
診断を受けても、ニコニコしている切なさ。
昔気質の父は95歳(当時)にして、料理ができなくなった母の代わりに初めて包丁を握る。
開けたことのなかった裁縫箱を開け、母の布団の襟元を繕う。
腰の曲がった体で、何度も道中休みながら、近所のスーパーに行く父をカメラで追いながら、東京での仕事を辞め、実家に帰ったほうが良いのでは…と苦悩する監督。
そんな監督の迷いをぶった切ったのはお父さん。
『わしが元気でおるんじゃけん、元気でおるうちはあんたはあんたの仕事をしんさい』
95歳、かっこええな
自分は戦争で、やりたいことができなかった。
だからお前は自分のやりたい道に行きなさい、と言うのがお父さんの教えだそう。
お父さんが、また良いんです。いい具合に飄々としてて。ええ味出してはる。人柄やね。
お母さんが情緒不安定になっていても、奥の部屋で調子外れな歌をひたすら歌っていたり。
90過ぎても英和辞典を引いて、簡単な英字新聞スラスラ読んでたり…知識欲よ。
お母さんがアルツハイマーになってから『わしがやらねば』とよりかくしゃくとされている気がする。
監督と私が、一人っ子で子どもは都会に、両親は地方に…て言うのも似ているし、私もいざって時には仕事辞めたりできないなぁって言うのもあるから(経済的に破綻するわ)、
ヘルパーさんなど介護保険を上手く使いながら、遠距離介護してはる監督は良いロールモデルになります。
切なかったけど、色々考えさせられる映画です。
単館系の映画館でしかやっていないのが玉に瑕やけど。
伝
久々にこんなに長い時間PC使ったから、PCも疲れてるんちゃうかなw
さて、私が逆立ちしても入られへん神戸大学に行ってきました
学舎がおしゃれ有形文化財なんですって!
ええなぁ、こんなところで4年間学べるなんて。
ただ、登山か!言うくらい坂がキツかったです
自分の母校もたいがい坂だらけですけど、それ以上。さすが六甲。。
目的はこれ。
情報番組の特集で、震災直後から復興の過程までをカメラにおさめた報道写真家がいると知り、しかもその展示会が神大であると言っていたので、これは是非見ておかなければと。
何気に尊敬する先生の母校やったりします。
先生は朝練に向かう途中やったらしい。
5:46に朝練に向かう大学生…ストイック過ぎる
人の力って、凄いなと思ったのが復興年表。
あの阪神高速の橋桁みたいに横倒しになっていた国道43号線が僅か10日で復旧してるなんて。
人間って、つよいですね。
九州の地震のときも新幹線の復旧早かったしなぁ。
先日先輩たちと阪神大震災について話してて、その先生は徹夜で卒論の追い込みを掛けているときに被災したらしいねんけど、
『南海トラフ来てもこの辺(職場のある辺り)は津波も心配ないし、揺れも陸が震源じゃないからそんなに、やろう。でもや、避難所になったら絶対他地区からも避難者が来るで。そのとき自分に何ができるかって考えとかなあかんよな。生徒にも言うてんねん。』
正直、自分と自分とこの生徒のことしか考えてなかったから『被害が少ないからこそ、手をさしのべる側に回る』ってことが抜け落ちてて(それもまだ起きてもない段階から)、自分が恥ずかしいなと思った。
やっぱり身を以て経験してる人は見る視点も違うな。
だからこそ知ってる人たちが伝えていかなあかんのかなと思ったり。
20代の先生とか物心ついてないもんね。
改めて、知っている私たちが伝えていかなあかんことやな・・と。
春の始まりはいつもそわそわしている
私の場合、職場であれば掃除だったり・・(自分ちは全然片づけられないくせに)
家であれば睡眠や読書や料理であったりする。
今日はカレー肉じゃが。
カレーうどんの汁に具を放り込んで煮たみたいな味になったが、、わざわざ作るまでもない。
カレーが余った2日目とかにすれば効率よかったんちゃうん、と食べた後に気づく・笑
前厄
前厄ってやつに、ちょっと前に突入してしまいましたw
前の厄年の時は、ちょっと貧血がひどかったくらいで特に何もなかったから、厄年だから何かしなあかんという感覚はなく・・・
友だちが門戸厄神さんとかにお参りに行ってる中、私は何もする予定すらないんですけど・・・
この年齢なんで、ちょいと気になっておりまする。。。
あーあ、31かぁ。
学生の頃の予定ではもうすでに結婚していて、第2子が生まれている予定だったんですが。
あくまで予定っすからね
年々、結婚願望が下がっていくので、出会いがないことよりもそっちの精神状態の方がヤバいんでねえの?な感じなんですが。
結婚願望が下がってきつつある理由も、自分ではっきりとしているのでいいんですが・・・こればっかりは一人で解決できない問題なので、一緒に考えてくれる人がいれば・・結婚するのかなぁなんてぼんやり思ってます。。
また、そんなことも暇なときに追い追いまとめられたらいいな。
祈り
地震、雷、火事、親父とはよく言うけれど、ほんま親父以外は全部怖い。
あんな雲を見て、一週間足らずで地震なので、ちょっと怖いです。
雲なんて風でどんどん流されていくもんやし、今まで地震雲なんて信じていなかったけど・・・
行方不明の方が一刻も早く見つかることを願ってやまない。
21年。
今年は日曜だけれど、何曜日であろうと毎年この日は早起き。
阪神大震災のあった時刻にNHKと一緒に黙とう、、というのが社会人になってから習慣になっている。
当時は小学生で、身をもって経験した「地震」だった。
大阪や兵庫ほどではないにしろ、戸棚からものが落ちてきたりした。
TVで繰り返し流される火災の映像、日に日に増えていく死者の数を書いた新聞のトップ記事。
それらすべて、衝撃的だった。
大学に入り、交友関係が広がる中で、あの地震で身内をなくした友達や本人も避難生活を経験した、という子もたくさんいて、今生きて、自分と出逢ってくれたことに、奇跡と感謝を感じた。
天災を前にすると、人間とは無力だけれど、あれだけ大変な状況に陥ったところがこの20年でこれほど復興していることに、人間ってすごいなぁ、と思う。
黙とうをしたあと、身支度を整え、早朝のコメダでモーニング。
コンビニで買った新聞を広げて、センター試験の問題を解く。
現役生にはもうノー勉では勝てそうにないなぁ。
大学のころ、塾講をしていたころは難関大を受験する生徒も教えていたけれど、脳みそは錆びつく一方だ。
今度久しぶりに【長文問題精講】とかやってみようかなw
仮面家族①
なんか最近、遠慮している親子が増えてきたと感じる。
子どもを傷つけてしまうのでは、と踏み込まなかったり、
嫌われてしまうのでは、と強く叱れなかったり。
友だち親子、なんていうのが増えてきたのも最近だし。
親子なんて、嫌でも切っても切れない関係。
死ぬほど引きちぎってやりたくたって、そうそう容易ではないし、一生ついて回るのだ。
良くも悪くもw
だから「遠慮せんと言いたいこと言うたらええねん」と言うのが持論である。
父にもよくこの自分の意見は言ったりしている。
先日主任も『お母ちゃんもお腹をいためて産んだ子やのに、何遠慮することあんねんな』みたいなことをぼそっと言っていて、考えが似ていることに驚いた。
だが、私のこの意見の中には、大きな矛盾をはらんでいる。
引きちぎってやりたくたって切れない。
だから思い切りぶつかればいい。
他人と違って修復するチャンスはいくらもあるのだから。
その思いは変わらない。
しかし私達家族は、皆が皆、どこか遠慮をし合って暮らしてきたのだった。
自我が芽生えたその日から、度々全力でぶつかっていったものの、かわされることが多いのである。
そのうち、どこか全力でぶつかっているように見せながら、それは周到に計算されたものになっていった。
話題を選んで話す癖。
必要とあらば、話題をねつ造してまで話すこと。
特に小学校の頃いじめに遭っていたときは、休み時間に誰と遊んだか、何と呼ばれているか、挨拶すら交わすことのなくなったクラスメイトたちをあだ名で呼び、いかに学校が面白いかを、笑顔で語って見せた。
もちろん、だれも傷つかないし、困らない嘘である。
幸い、暴力を伴ういじめではなかったのだが、そのことが周囲に気付きにくくさせた。
普通、それだけ話していても放課後、一人も友達が遊びに来なかったり、誰それと遊びに行くと出かけなかったりすれば少しは様子が変だと思うものだろうが、
生憎母はそういうことはてんで察せないし、父は仕事である。
その上習い事も当時は多くしていたし、団地で学年の違う子で遊び相手も多かったので自宅外で遊ばないことも不審に思わなかったらしい。
家の近所の幼馴染と連れるようになっても、『出来事ねつ造』は続いた。
嘘で塗り固めたところに少しの真実を挟む変化はあったけれど。
今同じことが起こったら絶対引きこもりになるだろう、と思うけれど、当時は発熱以外は休まなかった。
熱が出ないと休ませてもらえないことは経験からわかっていたし、休みたいと訴えたところで是が非でも家から出されるのはわかっていたから。
いじめられている、ということも言っても無駄だ、と思っていた。
小さいころから、土地柄と言うのか何なのかどうも水に合わず、気のきつい女の子たちのお仲間には入れずにいて、母は母で、今でいうママ友連中の中でひとり浮いていた。
仲間外れも珍しくなかった。
まぁ子どもなので、たまに気分で遊んでもらえることはあったけれどね。
目の前で我が子がハブにされてようが、見て把握しているのに一言も言わない。
注意はしにくいのかもしれないが、辛い目をしているのを隣で母が見ているのに一言も彼女らにも私にも何もない、ということの積み重ね。
そんなこんなで早くから親に対する信頼は0.
それでもやっぱりキツいもので、隣町に習い事に行き、何も知らない子たちの輪の中に入って何とか平常心を保っていた。
父も母も本音を言わない。
私は嘘の塗り壁。
本当のことを言ったら、ほとんどのことは彼女では対処できないし。
父は父親と言う役回りにしてはあまりにも線が細い。
どんな事情があるかわからないにせよ、金銭的にもどん底だったのもあるけれど、様々なことに置いて事なかれ主義なのである。
大ごとにならないと良い、と平穏に過ぎ去ってくれという思いが、子ども心にもよくわかった。
家族を守るために戦えない。
子どもが出来たら、優しいだけではダメなのだと痛感する。
自分の体のことにしてもそうだ。
良い時も辛い時も本音は出せない。 続く・・
Better days 2015
あけましておめでとうございます
このブログも8年目。早いものですねぇ。
今年も変わらず宜しくお願いしますm(_ _*)m
Another Voice
長い2学期も今日で終わるのか、と感慨深い。
今年はたくさん笑って過ごしたせいか、過ぎるのがめちゃくちゃ早い。
4月1日には、そんな1年になるなんて思いもしなかった。
嬉しい誤算
そして今日という日は、忘れられない日になった。
*続き、長文です。
弾む音 ふるえる心
今にも落としそうで危なっかしいなと思っていたら、案の定腕から1つコロコロと転がり落ち、私の足元で静止しそうになる。
普通に拾ってもいいのだけれど、かすかにまだバウンドしているそれを見て、咄嗟に手のひらで包み込み、押した。
更に力強く跳ねる、茶色の球体。
そんな風にボールに触れるのは、ものすごく久しぶりだったけれど、腕や手がきちんと覚えていて、数回私の手のひらと地面を行ったり来たりしたのち、再び顧問の手に戻った。
一連の光景を見た顧問が一言。
『うまいな』
その瞬間、体と心の底の何かが疼き、せりあがってくる欲求。
やっぱりバスケがしたい。
小気味よくボールが地面を跳ねる音や、手に伝わる感触が懐かしい。
今じゃ、これくらいのことしかできひんけどね、昔はそこそこうまかったんだよ。
シュートだってほとんど失敗しなかった。
それを今はほとんどの人が信じられないみたいだけれど。
昔のように思うように動かなくなってきた今、思うことがある。
両親が動画を残していてくれたらなぁ。。
うちの両親はそういうところはひどくドライだった。わざわざ電気屋でビデオカメラを買って運動会では少しでもいい場所から勇姿をおさめようなんて考えすらしない人たちのようで。
どうでもいい半目の写真はたくさんあるくせに、節目節目の写真やビデオは皆無だ。
過去のことばかり言っても仕方ないけど、私は最初からこうじゃなかったんだよって、今しか知らない人に伝えたい気持ちもある。
それが意味のあることかどうかは別にして。
ひょっとしたら両親はビデオに頓着しなかったんじゃなくて、敢えて撮りたくなくて買わなかったのかもしれないけど。
なんか最近そう思う。。
久しぶりに心が跳ねた。
やっぱ車いすバスケの体験、行ってみようw
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詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
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