Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
- 2025.04.18
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- 2014.06.14
物欲その1 浴衣
- 2014.05.03
おしゃれな人の足元に
- 2014.04.14
感覚
- 2014.01.29
心の眼を節穴にするな
- 2013.12.15
代償と虚しさ
- 2013.11.28
TENSHOKU
- 2013.10.25
気づかれない空虚
- 2013.10.13
puzzle
- 2013.10.10
決意
- 2013.09.29
以前の恋の後遺症
物欲その1 浴衣
買うか否かに関わらずw
浴衣はもう、お気に入りがすでに1枚あるからいいねんけど。
でも見るのは楽しい

安いのでいいから違う色も試してみたいな、とか思うけど、目が行くのは紺系ばかり・笑
マルイのHPでこんなん見つけて、心を打ち抜かれている。
元々、燕柄の浴衣は好きで。(でも1枚も持ってないけど)
鳥、とかいう文字につられてクリックしたら・・・
何これ、めっちゃかわいいやん

色のコントラストがめっちゃ好み☆
紺に赤白、帯のヤマブキww
良いっ

でも帯とセットで2万4千円。
いや、マルイだしね、それくらいするのはわかってたけども。
お値段はふてぶてしい・笑
でも着てみたいなぁこれ。
レンタルとかあればいいのに・笑
おしゃれな人の足元に
最近、おしゃれだなと思う人の足元を見ると、かなりの確率でnew balanceのスニーカー。
昔から安定した人気だったけれど、最近急にスニーカーを履かない人もスニーカーと言えばこれを持っていたりする。
私も前から欲しいなとは思うものの、あのスニーカーは私の歩き方のくせの犠牲になってしまう素材と形状で、毎日履いたら3か月もたない。
結局PORTERとコラボのジャックパーセルにしたものの、歩きやすさ動きやすさで言えばnew balanceの方がいい。
もう少し長持ちすればな。 いくら気を付けていても歩くときに地面をこすってしまうから、ランニングシューズタイプのものはもたない。
でも、今年中に1足持ちたいなw
感覚
偶然にも席も近い。ゴミ箱も共有することになった。
去年隣席だった方は自分のゴミ箱を持ってはったのでそんなことはなかったのだが、他人とゴミ箱を共有するという感覚にまだ慣れない。
教室も、私が使おうと思って行けば、前の時間の板書がそのままになっていたりする。
チョーク受けに粉が溜まっていても、黒板が白墨で白っぽく汚れていても彼は気にならないようだ。
それに対し、私は朝1はきれいな黒板ではじめたいタイプ。
まぁ、こういうのって気になる人がやればいいものだし、彼がそういうところを気にしないことについて別に異議はない。
私が兄貴と慕う、TTで組んだことのある先生は自分が使った教科専用教室を、1日の終わりには必ずきれいにする人だったから、性格が出るんだなぁ・・と思う。
放課後に粉まみれの黒板を拭きながら、ふと思った。
結婚生活の感覚って、この感覚に似ているのかもしれないなと。
こういう個人の感じ方とか、感覚のズレをこれよりもっと多く感じることの連続なのかもしれない。
そしてそれを許容できるか否か。
彼の奥さんは許容できる人間なのだろう。
私はどんな人と結婚するのだろうか。
心の眼を節穴にするな
このところ、事件続きで帰りが遅い日が続いていた。
ようやく出口が見えてきて、ふつうの時間に帰れるようになってきたものの溜まった疲労はなかなか取れない。
家の近所のショッピングモールに手ごろなうどん屋があるので、食べて帰ることにした。
最近は一人飯への抵抗よりも、コンビニ弁当の連続に対する抵抗の方が勝ってくるようになった。
目的のうどん屋まで歩いていると、汚れの染みついた作業着を着た中年の男性が歩いてきた。
どこにでもいる仕事帰りのおっちゃんと見えた。
何事もなくすれ違うはずだった。
だが、その男性は私に近づいてくると、私の手を取って『ご苦労さん。ほんまにご苦労さん』と言った。
突然のことに驚き、身が強張る。
咄嗟に、「すみません、約束があって急いでるので・・・」と常套句が出た。
おっちゃんは一瞬たじろいだ顔をし、そして言った。
『いや、そうじゃなくて、ほんまにご苦労さん』
汚れた作業着に、唐突な行動。そんな諸々で私は完全に判断してしまっていた。
そのあとも、もごもごと急いでいるのだ、と繰り返し、おっちゃんから逃れることに成功。
一連の光景を見ていた学生さんらしき男の子が気の毒そうな表情を浮かべすれ違う。
うどん屋に入って、あったかいおだしが五臓六腑に沁み渡ってからふと思う。
あのおっちゃんの言動は、完全な善意だったのではないかと。
ひと目で障がいを持っているとわかる体だ。
助けてもらったり、善意の声をいただくことも多く、そのたびに見ず知らずの人の優しさに感動したりする。
その一方で、昨秋のように悪意で近づいたり、無遠慮な視線を感じることも多い。
それを哀しいとは思っても、そういうことがあるからこそ、善意に心ふるえたりもするわけで。
でもやはり、厄介なことには巻き込まれたくないので急によくわからない声掛けをしてくる人などは警戒するし、いかに早くその場を離れられるかといった自己防衛が働いてしまう。
今回のおっちゃんの行動。
ま、いきなり手は握っちゃいかんだろうよ、とは思うけれど、その目に悪意は思い返してみればなかったし、
本当にただ単に、夜遅い時間に、仕事帰りとわかる姿でフードコートに向かっていれば、こんな時間まで仕事をして今から晩御飯を食べるのだ、というのは誰にでも想像がつく。
私にしてみれば、この仕事をしていれば何かあればこんな時間になるのも当たり前のことだし、障がいを持っていても自身のできる範囲で働くのは当然と思っている。
けれど、特におっちゃんのような世代じゃまだまだそういう意識を持っていないから、私が思う以上になんか、すっごい頑張ってるみたいに見えたのだろう。
だからほんまに仕事帰りの私をねぎらってくれただけだったのだろうな。と。
それを思うと、自分の言動がいかに浅はかだったかと思う。
せっかく、善意で声を掛けてくれたのに、不審者みたいな扱いをしてしまった。
今度もし顔を合わせる機会があれば、おっちゃんにも「お疲れ様です」と返したい。
だが、顔をよく覚えていないのだ。
悪いことをしてしまったなと後悔ばかり。
人の悪意も沢山見れど、だからと言って心の眼を閉じてしまっては優しさが見えないし。
閉じないまでもこんな風に、物事をきちんと見られない状態にしておくのは良くない。
やはり傷つくことを避けるあまり、人の優しさにまで鈍感になりたくない。
多少のやるせなさや憤り、哀しさがそこにあってもどんな小さな優しさにも気づくことができ、それに感謝できる人間で在りたい。
いつもそう思っているのにできていなかった自分が腹立たしいし、反省。
おっちゃん、ごめんな。
心の眼のレンズ、曇らさんようにちゃんと磨いとくわな。
代償と虚しさ
実家で暮らす父には、3~4日に一度、電話を掛ける。
一番の目的は生存確認・笑
祖母の介護が始まってから母は家を空けがちだ。
その間、当然父はひとりになる。
快適な家ならまだしも、隙間風は入るわ、断熱性はないわ、お風呂やトイレは凍えるようだわ、で高齢者の仲間入りをしたじいさんにとってはキツいもの。
風呂場のヒートショックやトイレでの心臓麻痺など、持病がなくとも冬は危険が多い。
ちゃんと生きていることを確認して、切る。
最近は話す量が減った。
父がちゃんと話を聞いていないからである。
本人はケータイの音量が悪いと言っているが、果たしてケータイが悪いのか、父の耳が遠くなったのかは実際会わないとわからない。
6畳2部屋に4帖半が1部屋。それに狭いキッチン。簡易水洗のトイレに風呂。
それが私の実家だ。
お世辞にも広いとは言えない。面積で比べれば昔住んでいた勤務先から徒歩7分のマンション(14帖LDK&6畳居室。田舎なのでそれでも安かった)の方が広いくらいだ。
不便だったが、普段私はそこにいないので別段不満はなかった。
しかし、この年齢になって思う。
たとえば、この先自分が結婚して子どもが生まれたその時に、孫を連れて帰れる家ではない。
引っ越してほしいと思うけれど、そんなお金も気力もないようだ。
お隣さんは夫婦2人で、同じ間取りでも小ぎれいに暮らしてはるけれど、モノを捨てられない母のせいで、年々、モノが増えその間に縮こまるようにして暮らしているようにしか見えない。
そんな現状を見ると、たまらなくなる。
そんな下から数えた方が早い住環境でも、父の年金の半分が家賃として消えていくのだ。
服や電化製品を頻繁に親に買い与える私に同僚は優しい娘だという。
だけれども、ただ私はそうすることで目を背けたいだけなのだ。
そういう老夫婦のギリギリの暮らしから。
自分の親がそんなにみすぼらしいなんて思いたくなくて。
なぜ父は、そんな状況に甘んじていたのだろうか。
あるいはそういう生活に耐えながら「こんな筈ではなかった」と思い暮らすことがあるのだろうか。
出世だけしか興味のない男はつまらないと思うが、父と言う人は、家族を守ることにかけては無頓着な人間である。
それでも、大学に行かせてくれたことは有難いと思うが。
父はどちらかと言うと姉御肌の女性が似合うんじゃないかと思う。
父の好みとしては3歩後ろからついてくるような女性だろうが、そういう人では共倒れしてしまうのだ。
少し上からお尻をひっぱたくような女性の方が、父は経済的な面でもっと自立できただろう。
こんな生活に甘んじながら、父が守っているものって何なのだろう。
それが知りたい。隠し子でもいて、そっちに金をかけてんだろうか・笑
それはまぁ現実味が薄いとしても、業績の傾きまくった会社に執着している理由。
それは何なのだろう。
ボーナスでは、COACHのネックレスを買うつもりだった。
ブランドものに特に興味はないし、身銭をはたいてまでジュエリーを買おうなんて思うことは今までになかったが、横3連のハート形のピンクゴールドになぜか惹かれた。
いつ百貨店に行こうか考えていた矢先、実家のコンロが壊れたときいた。
今は鍋用のカセットコンロで凌いでいるという。
ホームセンターで叩き売りされているようなものを買いに行こうかと言うから、思わず言っていた。
「ちょっと待ってぇな。送るから」
言ってしまってから、ちょっと考えた。
今月のカードの請求。
JOEのライブやら、出かけた時の交通費やら、この間DOORSで買ったコートやら。
もろもろが積み重なって、学生時代住んでいたアパートの家賃と同じくらいまで金額が膨れていて目が飛び出そうな思いをしたばかりだ。
それと、コンロとネックレス。
買えないわけではない。 だけれどもあるからと言って、無条件に使っていいものでもない。
ネックレスはまた今度。
オークションで探すか、また良いデザインと収入に恵まれるときまで待てばいい。
別に両親に何かをしてあげるのは嫌いじゃない。
元々人に何かを選んだり贈ったりするのは好きだ。その考えている時間が楽しい。
でも、大して喜びはしないんだろうなぁ。
あって然るべきものだからきっと淡々と使うのだろう。
まぁいいけど。
1万円台半ばでSiセンサー付きのおしゃれなのが買えた。
最近のガスコンロ、安いのになかなかやるわ。
TENSHOKU
受けていた試験の一次試験に合格した。
知っている人はおめでとうと言ってくれる。
それにしても文系の問題以外はちゃんと解けた気がしないのに、奇跡も起こるもんだな

得意な小論文問題で点を稼いだのかと思いきや、よく見ると小論文は二次試験の点に加点する、とある。
ってことはあの一般教養の試験結果のみで。
嘘やん

まぁ実力を評価していただけたのは素直にうれしい。
うれしいけども、手放しで喜べない現実。
答えの出しづらい問い。
受かったら私は教師を辞めるのか。
そう考えると何でもない日常が急にキラキラして見えるのが、切ない。
グラウンドを駆け抜ける無数の足音
まるで見せつけなければならぬように恋に浸かっている巣立つ前の雛
チャイムの音
当たり前に繰り返される「起立、礼」
給食のにおい
少し疲れた百葉箱
いつの日も汗の塊が忘れられている部室
そのすべて、そしてそこに溢れる笑顔が尊い。
辞めたらきっと後悔する。
でもこのまま続けて行く自信と体力がもうない。
そのはざまで今日も苦しんでいる。
ここまで書いてあたためていた記事だったが、先日、最終選考の通知が来て見事『不合格』となりました

悔しいやら、ちょっとほっとするやら。
自分の中の迷いは隠したまま面接に臨んだんだけど、嘘はつけない性分なので見抜かれてしまったのかもしれません。
まだ『ただの公務員』になることに迷いを持っていることを。
生活スタイルが変われば、いずれは転職することになるだろうと思う。
でもそれまでは天職であるこの仕事をしていくんだろうな。。
面接でも教職について聞かれたときにやたら生き生き語っちゃったしなw笑
PTにも結果を報告したら、『私は教師の仕事を語るあなたが好きなので、もういいやと思うまで続けてほしい』と返ってきた。
へぇ~そんなこと思ってくれてたのか

この間、生徒にも『先生は、この仕事になるべきだったんやで』と言われた。
この生徒と、先日深ーい話をしてしまったのである。
私自身も大いにその子から得るところがあった。
ほんま、教える仕事なのに教えられることの多い仕事だ。
その話はまた追い追い。
気づかれない空虚
マルチ商法にハマっていた例の子である。
遊ばない?なんていうけれど、体育祭が近くてこっちもてんやわんやだったこともあって断った。
これ見よがしに『土日も仕事なんて大変やね。休日出勤の手当とかないんやろ?』とメールの返事があった。
前はこんな子じゃなかったのにな。
マルチにハマるようになってから何でも損得で考えるっていうか、一生懸命働くことに対して、何か見下したような言い方をする。
私はそんな彼女をいつしか敬遠するようになっていた。
めっちゃ笑顔の顔文字付きで『好きでやってるからね』と返したが、きっと彼女にはわからない。
同じころ、彼女のハマっているマルチの会社が業務停止命令を受けた、と見聞きした。
数年前、私に『マルチではない』と、あんなに必死に説明していたのに、馬鹿だなぁと思う。
結局、心の柱が弱いんだろうな、こういう子。
何かにすがっていないと輝けない。
本当にすっくと立っていられる人は、自己啓発セミナーなんか度々行かないよね。
そういうものを全否定する気はないけれど、でもそれがないと生きられない人間はどうかと思う。
そういう人間の心理状態を把握したうえで開かれているものだしね。
同じ場所で数年を過ごしても、人生の道なんて無数にあるものだなと思う。
私なら自分の娘がマルチにハマったら、嘆くだろうなぁ。
結局汗水たらして得たお金しか、信用しないのが一番。(宝くじをのぞく・笑)
彼女は私をあわれだと思っているようだけど、どう思われようが結構だ。
彼女のような友人の失い方をするくらいなら、憐れまれる方がまだまし。
puzzle
ひとつひとつたくさんのピースがあって、それがまぁいわば、その時その時のeventで、違うものもあれば、空や海みたいに1つ1つの見分けがつきにくいものもあったりして。
でも、きちんとおさまるべき場所が決まっていておさまるまでは意味のないものに見えても、おさまってみたら意外となくてはならないものだった、みたいな。
絶対意味があるんだよなぁ。
こんな考えを持つようになったのも、大学に入ってからだ。
私は高校時代、病気で出席日数が足りなくて留年した。
そのころは、何もかもが嫌になったものだ。
模試で学年5番以内に入っても、そんなのみんなより多く習った内容なんだからと素直に喜べなかった。 後にも先にもあんな順位取ったのその1回きりだからもっと喜んでおけばよかったと思うけど。
周りのみんなとは色の違う体操服のまま行くと決めたのは自分だけれど、緑の中にひとりだけ紺で滑稽だったり。
高校時代の1年て結構大きい。
そのころは、すべてが意味のない悪いもののように見えていたけれど。
尊敬するO先生に教科担当してもらったのは、嫌だ嫌だと思っていた2度目の1年生の時だし、仮に無理をして留年せずにみんなと同じ3年間を過ごしていたとしても休みがちで勉強にあまりついていけなかっただろうから、私が自分を最大限に引き出したK大に入ることもできなかっただろう。
もちろん他の大学に入っていたら、他の人生があったかもしれないけれど、K大なくして今の私は語れない。
私のアイデンティティの一部って言っても過言じゃない。
難関の採用試験に合格できたのもK大あればこそだし、そこまではよかったが。
今の勤務先の市に来ることからして予想外だった。
今も勤務先の市はどうも水が合わない。
自分が今住んでいる街に関しては住めば都かなと思うが。
勤務先の土地柄も人の性質もすべて何かこう故郷と似かよる部分があって苦手だ。
辛いことの方が多かったこの5年。
それでもパズルのピースのようだという考えは変わらず、クソみたいだと思う毎日でもいつかはまるべきところが見つかって、意味があったんだと思える日が来ると信じてやってきた。
私にとって、この27、28という年齢はひとつの岐路になるかもしれない。
公務員試験を受けたのもその1つ。
今住んでいる自治体の試験は叶わなかったが、違うところを受けた。
一般的な公務員試験とは違い、論文試験をメインに課されるところで、小論や論文等は得意な私に向いている試験だと思った。
でも倍率は約50倍。結果がこわい。
試験自体は楽しかった。試験が楽しいなんて言うと変だけれど、元々文章を書くのがめっちゃ好きだし、苦にならない。
そんなに苦手な分野の出題でもなかったから、単純にまとめて書くことが楽しかった。
ただ60分の論文試験が3つ出たのだけれど、頭の中で構成を練るのにちょっと時間が掛かって時間が足りなかった。
何とか書き上げはしたけれど、本当はもうちょっとここを詳しく書きたかったのに!という箇所もいくつかあって悔しかった。
係りの人には『書きたいけど時間がないってのは良い。中にはお題見ただけで書けない人だっているんだから』と言われた。確かにそうかもしれない。
エレベーターの案内やらをしてくださった係員の方がすごく気さくな良い人で(見た目がちょっと元彼に似てるってのが複雑だけど・笑) 久しぶりに友達以外との会話で笑った気がする。
今のところで教員を続けていくのに少し限界を感じていて、それでもまだもうちょっと教員でいたいと思い模索してきたが、今回、挑むのがとても有意義だったので良いお返事がいただけたなら、違う世界に飛び込んでみようかと思い始めている。
元々、予想以上にかなりハードなこの仕事を目の当たりにして、結婚するまでしか無理だなとは思っていたしね。
同じころ、管理職からは支援学校に異動してみないか、と言われて、これまた眠れないくらい随分と悩んだ。
今まではなかった、普通高校の中にも支援学級をいくつか作ることになるのと、新しい支援学校ができるのとで、人手が欲しいのだと言う。
おそらく新任を大量に雇うことになるだろうが、経験者ももちろんたくさん欲しいから願い出れば通る確率は高いと言われた。
今年、支援学級の授業担として週4コマ入っているし、過去には原学級で、支援の子を担任したこともあったが、支援専門に担任をしたことはないし、支援教諭の免許もない。
異動にあたっては、当該校種の免許さえあれば、支援の免許がなくても働くことは可能で、みんな後から講習に行っている人も多いらしいけれど、
私に務まるのか、という不安もある。
歩けないほどの筋肉炎症を起こした体で、部署によっては今よりも体力的にハードな支援担をしていけるのかとか、
専門的な勉強を積んでいないことに対する不安。
でも、絶対に行けば私の枠は広がる。
でも英語にこだわりたい私が、もしかすると数年間英語を教えることができないかもしれない。
色んなでもを並べ立てた結果、
とりあえずやってみよう!と。
公務員にしても支援学校異動にしても、非常に心細い。
どっちにしてもやってみようって決めたのは私。
特に私は、誰かに答えを用意されるとダメなタイプ。
自分で決めたことでなければ動けない。
相談はするけれど、それは答えをもらうためじゃなくて、単にもやもやした気持ちを受け止めてほしかったり、自分の中で決まりかけている答えに後押しをしてほしいから。
人に決めてもらったことを実行してうまく行かなかったら、その時のやりきれなさを人のせいにしてしまいそうだし。
自分で選んだ結果が、一時的には失敗だったかなと思うこともあるけれど、最終的には失敗を失敗のまま終わらせないから、それでいいのだ。
目的地に一発で行くか遠回りするかのちがい。
でも、そういうタイプの人間って、相談される側からしたらなんやねんってなるのかな・・・
私をよく知ってくれている人たちは、私が電話をしたり話したりするとき『ほんまはもう決めてんねやろ?』って言わはるけど・笑
後押ししてくれる人はいないわけじゃない。むしろいる。
いるんだけれど、なんかこう、色々岐路を迎えるにあたってね、いつも全面的に後押ししてくれる存在がいればいいなぁ、と思う。
でもまだ動けないんだよな。
なんか波があって・・・兄ちゃんのことに関する。
最近またよく思い出してまう波が来てる。
こういう時は他の人のことを考える余裕がない。
波に呑まれて自分の周りにいる人の良さとかを見落とさないように、とだけはいつも心に言い聞かしているけれど。
幼馴染その③は、『まだもう少し時間が掛かるんじゃない』と言った。
『結婚前にそれだけの人と出逢ったんだから、幸せなことやよ』
『結婚した後やったら大変やけど』 とも。
確かにそうだ。
でも今、私は誰かに支えてほしいと思う。そのジレンマ。
振り返ったら、いつでも手がそこにあることを確認できるくらいの距離で今はいい。
でもそれは都合のいい話だ。
そんなジレンマと葛藤を抱えながら、今日も選択をくだしていく。
人生は小さな選択の連続だと誰が言ったんだったろうか。。。
決意
異動願い、出します。
元々、4年したら出そうと思っていたけれど、なんか情にかまけて1年延びてもたけど。
もう、いいや。次に行く。
41階から眺める大阪湾。
夕陽が射しこんでおります。
ここから眺める船のように、ゆったりとした心で過ごせないものかな、と思う。
以前の恋の後遺症
日本語見ても何のこっちゃやと思うしなぁ。
別に新しい恋が始まったとか、そんなんではないです。
むしろ後遺症について触れております、こころの。
About the previous topic, it's easier for U to understand the contents written in Eng. than in Japanese.
It's hard to understand what i wanna say in Japanese.
Don't misunderstand. I dont fall in love with anyone...
It is a topic about love sickness.
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プロフィール
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪