Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
カテゴリー「Said to myself(*´∀`艸)゚*。 」の記事一覧
- 2025.03.13
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- 2012.12.07
挑戦
- 2012.12.04
失った情熱
- 2012.11.15
Everybody Needs Somebody
- 2012.11.13
三重苦
- 2012.11.10
カッコつけんな。
- 2012.10.06
今日のつぶやき
- 2012.09.26
拝啓 A先生。
- 2012.09.24
実感
- 2012.09.14
気になるCM♪
- 2012.09.01
irony ~愛 違路に 第2章
挑戦
まだ、親にも誰にも言ってないけど・・・
来年、公務員試験を受けようと思います。
今の仕事にまったく未練がないかと言えば・・・そうとも言い切れなくて、正直少しの迷いも残るのですが。。。
体が悲鳴をあげているのは事実だし。。
また教養試験の勉強をせねばならんのか・・という憂鬱もありますが・苦笑
教員採用試験の為に1日8時間以上勉強した大学4回の、あの日々を思えば
東アカの通信教育の資料も取り寄せました。東アカに頼るかどうかはまだわからんけどw
教採も東アカには頼らんかったしな
まぁ頼らんで済んだのも別に自分が勉強できたわけじゃなく、大学のサポートがほかの大学よりかなり厚かったからやねんけどな・笑
教育学部のない大学であれだけの合格実績があるのはすごいと思う。
K大選んで間違いなかったわ。
そんなこんなで、がんばりますw
来年、公務員試験を受けようと思います。
今の仕事にまったく未練がないかと言えば・・・そうとも言い切れなくて、正直少しの迷いも残るのですが。。。
体が悲鳴をあげているのは事実だし。。
また教養試験の勉強をせねばならんのか・・という憂鬱もありますが・苦笑
教員採用試験の為に1日8時間以上勉強した大学4回の、あの日々を思えば

東アカの通信教育の資料も取り寄せました。東アカに頼るかどうかはまだわからんけどw
教採も東アカには頼らんかったしな

まぁ頼らんで済んだのも別に自分が勉強できたわけじゃなく、大学のサポートがほかの大学よりかなり厚かったからやねんけどな・笑
教育学部のない大学であれだけの合格実績があるのはすごいと思う。
K大選んで間違いなかったわ。
そんなこんなで、がんばりますw
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失った情熱
近頃、仕事に情熱が持てない。
体力的にもめちゃくちゃしんどいし・・・今まではそんな体のムリを気力で何とかしてきた節があったが、その気力がない。
頸椎の痛みは常態化してきた。
仕事をしているときも、車を運転してても、家の中での何気ない動作でも痛みを感じるようになった。
疲れているからと早く寝たら寝たで、誰かに追われる夢とか、夢の中でも仕事をしていたりとかで熟睡できない。
前はもっとこんなんもしたい、あんなんもしたい!とアイデアも浮かんだが、それを考える気力すらない。
子どもらの為にいろいろやってあげようという気力も出てこなくて、(きっと疲れているのもあるんだろうけど)
それが苦しい。
いっそ生活の糧と割り切って仕事をすれば、という意見を言う人もいる。
けれど、この仕事って生活のためって割り切ってできない。
一時期同僚から転職を勧められたときは、まだもう少ししがみつかせてと思ったが、最近はしがみつく仕事でもないなと思う。
そんな風に考える自分自身に自分が一番びっくりしてるんだけど。
今日もいつものように6時前に起きて準備をしたにも関わらず、どうにも体が動かない。
色々しなければいけないことは山積みなのに。。。
でも動けない。
涙が出てきて焦った。 自分はいったいどうしてしまったのだろうか。
色々心配事もあったけれど、思い切って休ませてもらった。
平日のお昼に寝るなんて、めっちゃ贅沢なことをしてみたけれど、それでも悪夢にうなされる。
もう何を目標に仕事をしていいのかわからなくなった。
朝が来ることが、今はただ苦痛だ。
体力的にもめちゃくちゃしんどいし・・・今まではそんな体のムリを気力で何とかしてきた節があったが、その気力がない。
頸椎の痛みは常態化してきた。
仕事をしているときも、車を運転してても、家の中での何気ない動作でも痛みを感じるようになった。
疲れているからと早く寝たら寝たで、誰かに追われる夢とか、夢の中でも仕事をしていたりとかで熟睡できない。
前はもっとこんなんもしたい、あんなんもしたい!とアイデアも浮かんだが、それを考える気力すらない。
子どもらの為にいろいろやってあげようという気力も出てこなくて、(きっと疲れているのもあるんだろうけど)
それが苦しい。
いっそ生活の糧と割り切って仕事をすれば、という意見を言う人もいる。
けれど、この仕事って生活のためって割り切ってできない。
一時期同僚から転職を勧められたときは、まだもう少ししがみつかせてと思ったが、最近はしがみつく仕事でもないなと思う。
そんな風に考える自分自身に自分が一番びっくりしてるんだけど。
今日もいつものように6時前に起きて準備をしたにも関わらず、どうにも体が動かない。
色々しなければいけないことは山積みなのに。。。
でも動けない。
涙が出てきて焦った。 自分はいったいどうしてしまったのだろうか。
色々心配事もあったけれど、思い切って休ませてもらった。
平日のお昼に寝るなんて、めっちゃ贅沢なことをしてみたけれど、それでも悪夢にうなされる。
もう何を目標に仕事をしていいのかわからなくなった。
朝が来ることが、今はただ苦痛だ。
Everybody Needs Somebody
石の上にも3年・・・という言葉がある。
入社してすぐ辞めたいという社会人に『まずは3年嫌でも石の上にいろ』と言うのはよくある話だ。
そうして3年強。石の上に必死にしがみついているものの、なかなかうまく行かない。
やっぱ向いてないよなぁ・・自分。
漠然とじゃなくて、具体的にそう思うことが増えた。
子どもはそっぽを向くし、
私だって毎日叱り飛ばしてばっかりは疲れた。
教室でしばらく本気で笑ってない。
惰性か演技で貼りつけた笑みなど、子どもはすぐに見破る。
でも、ちゃんと笑えない自分がいる。
きっと厳しい顔をしてるんだろなー。と思う。
ビデオに撮ったら、それはそれは鬼のような顔をしているのだと思う。
でもなー。
先生かって怒りたないねん。
でもきっとそう言ったなら、「じゃぁ怒らんかったらいいやん」なんてしれっと言うんやろな・笑
じゃぁ怒らせんかったらいいやん、って言いたいわ・笑
がみがみ言いたくないけれど、言わなければいけない現実。
ごっつい形相で私にメンチ切ってる子に「ここ(眉間)!しわ!イケメン台無しやで」なんて言いながら、
心の中で、
(人のこと言えるか。てめぇも寄ってるよ)と思う。
教師になったことを一番喜んでくれた人は今、もうこの世にはいないし、
私が常に自立していなければ親は共倒れ。
誰か、私を必要としてくれてるんだろうか。
少しの間、誰かに寄っかかりたくなる。
でもその術はない。
私はいったい、こんな擦り切れそうな思いをして、何のために誰のために働いているのか、と思う。
仕事でもいい。
プライベートでもいい。
誰かに必要とされていることを身を以て実感したかった。
埋まらないまま、日々は流れていく。
解放されたい、色んなことから。
もうなんか、色々重なって疲れている。
こんな時の私を見事に代弁した曲。
『蒼』 Mr.Children
入社してすぐ辞めたいという社会人に『まずは3年嫌でも石の上にいろ』と言うのはよくある話だ。
そうして3年強。石の上に必死にしがみついているものの、なかなかうまく行かない。
やっぱ向いてないよなぁ・・自分。
漠然とじゃなくて、具体的にそう思うことが増えた。
子どもはそっぽを向くし、
私だって毎日叱り飛ばしてばっかりは疲れた。
教室でしばらく本気で笑ってない。
惰性か演技で貼りつけた笑みなど、子どもはすぐに見破る。
でも、ちゃんと笑えない自分がいる。
きっと厳しい顔をしてるんだろなー。と思う。
ビデオに撮ったら、それはそれは鬼のような顔をしているのだと思う。
でもなー。
先生かって怒りたないねん。
でもきっとそう言ったなら、「じゃぁ怒らんかったらいいやん」なんてしれっと言うんやろな・笑
じゃぁ怒らせんかったらいいやん、って言いたいわ・笑
がみがみ言いたくないけれど、言わなければいけない現実。
ごっつい形相で私にメンチ切ってる子に「ここ(眉間)!しわ!イケメン台無しやで」なんて言いながら、
心の中で、
(人のこと言えるか。てめぇも寄ってるよ)と思う。
教師になったことを一番喜んでくれた人は今、もうこの世にはいないし、
私が常に自立していなければ親は共倒れ。
誰か、私を必要としてくれてるんだろうか。
少しの間、誰かに寄っかかりたくなる。
でもその術はない。
私はいったい、こんな擦り切れそうな思いをして、何のために誰のために働いているのか、と思う。
仕事でもいい。
プライベートでもいい。
誰かに必要とされていることを身を以て実感したかった。
埋まらないまま、日々は流れていく。
解放されたい、色んなことから。
もうなんか、色々重なって疲れている。
こんな時の私を見事に代弁した曲。
『蒼』 Mr.Children
三重苦
みなさん、想像してみてください。。
風邪と胃腸炎と生理が一時にくると、どうなるか・・・
魔の三重苦に、わたくし、昨日今日と見舞われておりました
気分は・・・最悪。
体も最悪。。
腹痛もね、胃腸炎のんと生理痛が一度に。もう、腸が痛いんだか子宮が痛いんだかわかりゃしない
まぁ月経期前後は腹部の血流が増加するから便通も良くなるけど・・胃腸炎の時は逆効果だよな
真っ青な顔してうんうん言いながら、点けっぱなしのTVから流れてくる特ダネ見てたら、『早発閉経』の話が出ていて。
20代や30代で閉経してしまう女性が近年多いらしい。
そういうのを聞くと、やたら眠かろうが、腰が重だるかろうが、時に吐きそうな下腹部痛に襲われようが、有難いことなのだと思わないといけないな・・と思う。
朝からお茶しか飲んでません・・固形物はすぐ出ていきます・・さよならーw
今から病院行ってきますw
P.S. ロタウイルスでしょう・・だと。あーぁ
Dr.が同じメガネだったわ。 案外庶民的なのね・笑
風邪と胃腸炎と生理が一時にくると、どうなるか・・・
魔の三重苦に、わたくし、昨日今日と見舞われておりました

気分は・・・最悪。
体も最悪。。
腹痛もね、胃腸炎のんと生理痛が一度に。もう、腸が痛いんだか子宮が痛いんだかわかりゃしない

まぁ月経期前後は腹部の血流が増加するから便通も良くなるけど・・胃腸炎の時は逆効果だよな

真っ青な顔してうんうん言いながら、点けっぱなしのTVから流れてくる特ダネ見てたら、『早発閉経』の話が出ていて。
20代や30代で閉経してしまう女性が近年多いらしい。
そういうのを聞くと、やたら眠かろうが、腰が重だるかろうが、時に吐きそうな下腹部痛に襲われようが、有難いことなのだと思わないといけないな・・と思う。
朝からお茶しか飲んでません・・固形物はすぐ出ていきます・・さよならーw
今から病院行ってきますw
P.S. ロタウイルスでしょう・・だと。あーぁ

Dr.が同じメガネだったわ。 案外庶民的なのね・笑
カッコつけんな。
『目盛り振り切ったらな、(会いに)行ったらええねん』
「もうとっくに振り切ってますよw・・・ブレーキかけてまうねんからしゃあないやないですか・・・」
『せやから、そのブレーキがきかへんようになったら行ったらええねんてー』
仲良しな隣の席の同僚とのこんな会話。
それは無理だ、と思う。
実際、私の人生において、『ブレーキが利かなかった』経験などない。
「かける」と決めたら、最後までかけきる。
ブレーキがきかなかったことがあるならば、それはかける意思が弱いからに過ぎない。
タガが外れる、ということのまずない人間。
それで損をすることも多い。が、取り返しのつかないことにもなっていない。
でも。
どれだけ次に行こうと思っても、中途半端なままでは行くに行けず、心は宙に浮いたままだ。
何より私がまだその存在を求めてやまない。
そこにいるというだけで安堵している。
ダメならダメでも、はっきり白黒つけなきゃ、前に進めないじゃないか。わかっている。
よーくわかっていても、今日も職場を出るのは21時・・・
休日にわざわざ寄る勇気もない。
珍しく18時に出られるときだって、まだそれほど減っていないのを言い訳に曲がるはずの交差点で曲がらない。
結局、逃げているのだ。私は。
心の声に耳をすませば、
今だっていつだって、顔を見たくて仕方がないし、私を見つけてまた走ってきてほしいと思う。
なんでもない話ができることの、しあわせ。
でも私が行くことで、彼が苦しむのならばそれは嫌だ。
けれど、所詮、私が行って彼が困るのが嫌なのではなく、彼を困らせている自分、になるのが嫌なのだ。
何やっとんねん。
好きやねんやろ。
無駄だって思いが頭の中を何度巡っても、それでもまだ。
だったら中途半端にくだけてないで、
いっそ砕かれてこい。
かっこつけんな。
かっこ悪いぞ。
そこまで惚れたんだったら、もう一回顔見て、笑ってこい。
「もうとっくに振り切ってますよw・・・ブレーキかけてまうねんからしゃあないやないですか・・・」
『せやから、そのブレーキがきかへんようになったら行ったらええねんてー』
仲良しな隣の席の同僚とのこんな会話。
それは無理だ、と思う。
実際、私の人生において、『ブレーキが利かなかった』経験などない。
「かける」と決めたら、最後までかけきる。
ブレーキがきかなかったことがあるならば、それはかける意思が弱いからに過ぎない。
タガが外れる、ということのまずない人間。
それで損をすることも多い。が、取り返しのつかないことにもなっていない。
でも。
どれだけ次に行こうと思っても、中途半端なままでは行くに行けず、心は宙に浮いたままだ。
何より私がまだその存在を求めてやまない。
そこにいるというだけで安堵している。
ダメならダメでも、はっきり白黒つけなきゃ、前に進めないじゃないか。わかっている。
よーくわかっていても、今日も職場を出るのは21時・・・
休日にわざわざ寄る勇気もない。
珍しく18時に出られるときだって、まだそれほど減っていないのを言い訳に曲がるはずの交差点で曲がらない。
結局、逃げているのだ。私は。
心の声に耳をすませば、
今だっていつだって、顔を見たくて仕方がないし、私を見つけてまた走ってきてほしいと思う。
なんでもない話ができることの、しあわせ。
でも私が行くことで、彼が苦しむのならばそれは嫌だ。
けれど、所詮、私が行って彼が困るのが嫌なのではなく、彼を困らせている自分、になるのが嫌なのだ。
何やっとんねん。
好きやねんやろ。
無駄だって思いが頭の中を何度巡っても、それでもまだ。
だったら中途半端にくだけてないで、
いっそ砕かれてこい。
かっこつけんな。
かっこ悪いぞ。
そこまで惚れたんだったら、もう一回顔見て、笑ってこい。
今日のつぶやき
この仕事って、
こんなに嫌われなあかんもんなんかなぁ。
目指してるところはおんなじやのに。
思いを解ってもらわれへんのは悔しい。
拝啓 A先生。
電話をすれば出てくれそうな気がする。
研究室に行ったら笑顔で出迎えてくれそうな気がする。
またひょっこり、どこかから現れそうな気がする。
この2日間、様々な出来事が、K大での4年間と共に思い出される。
信じられない訃報から一夜明け、告別式に行ってきました。
大学の4年間、本当にお世話になったという言葉だけで語れないくらいお世話になったA先生。
まだ65歳。
旅立たれるにはまだ早いよ、先生。 先生のご心配がなくなるくらい、立派になったところを見てもらおうと思っていたのに。先生がいらっしゃるうちに大学院に行きたい。そう思っていたのに。 もう叶わなくなってしまった。
悪い冗談であってほしい。
何度そう願っただろう。
ゼミの子がみんなを集めたくて・・・はたまたA先生が久しぶりにみんなに会いたくなって・・・悪い冗談を言っているのだと。
でも、どんなに嘘みたいな話でも、ほっぺたをつねればちゃんと痛いのだ。
先生の自宅からほど近い、北摂の斎場で営まれた式。
たくさんの花に囲まれ、いつものAスマイルを振りまいている先生はもう写真でしか見ることはできない。
遺影を見ても現実味は一向にわかないけれど、でも先生の掛けてくれた言葉を思い出すと目頭が熱くなる。
訃報を受けたその夜、私は急いで学生時代ゼミのことで相談に乗ってもらったりしたK君に連絡を取った。
院にこそ進まなかったけれど、昔から優秀で学部生ではA先生の右腕って感じだった。
直接話すのは彼が卒業して以来だから5年ぶり。
その間に彼は結婚していた。びっくり!そしてなんだか悔しい・笑 先越された
みたいな。(そら越されるやろ)
昨年から体調を崩されて入院していたりしたのは知っていたけれど、今年の春先には名誉教授の称号をもらって第一線を退いていたらしい。
道理で教員紹介の欄にどこにも名前がなかったわけだ。
『結婚の報告で先生に会いに行ったけど、その時もかなり痩せてた。苦手な野菜も食べてたからその時から悪かったんかな』と振り返るK君。
葬儀のはじめ、生涯を振り返るアナウンスで、名誉教授になってからも1講座担当していたことや、抗がん剤治療を続けながらご自身でも良い治療法がないか調べていたらしいことも知った。
先生らしいな。最後まであきらめてはいなかった。
でも先生のことだから、推測だけれど、体調があまりすぐれなくても無理をして病院にいかず、がんだとわかったのはだいぶ進んでからだったんじゃないのかな。
すごく我慢強い方だから。
お坊さんが読経している間にも、様々な出来事が甦る。
2回生の頃、バイトの帰りに大学の中の坂道をチャリを押しながら帰っていたときに後ろから横から声を掛けてくれた先生。
僕の授業を取っていましたね?と。
今年も取っていると答えると、『前の方に座らないとわからない。それに前の方がこの男前がよく見える』と、A先生らしい返事だった。
次からはまた是非前に座ります、と答えた私に、
『君が頑張っているのを見て知っていますから』と。
その瞬間、長年の心の鬱積がどーーーーーーっと押し流されるのをはっきりと感じた。
あの言葉がなかったらAゼミにもいないかもしれないし、今の私はいない。
それからまだ6年しか経ってないのに。もう二度と会えないなんて。
私の心を救ってくれた恩人。
就活の時も教採の時も、私の決めたことに何一つ反対せず、黙って見守っていただいた。
その力添えがあったから、私は自分の夢に向かって堂々と挑戦することができたのだ。
就職してからもうまくいかない私を、決して否定するようなことはなかった。
研究室を訪れればいつでも笑顔で迎えてくれた。
私の大学生活はA先生なしでは語れないし、私の人生もA先生なしでは語れない。
ゼミの女の子たちは最後の棺に花を手向けるときに大号泣していたけれど、そこであまり涙は流れなかった。
それはもう知っているA先生ではなくて。
元々そんなに背の高い人ではないけれど、棺の中の先生はさらに小さく見えた。
やすらかなお顔も間違いなく先生なのだけれど、それでも『先生』と呼んでも返事は帰ってこない。
むしろ、生きているときを振り返った方が涙はとめどなく出るのだ。
焼香のあと、ご遺族と言葉を交わす。
奥様やご親族の方とお目にかかるのは初めてだ。奥様はお顔は拝見したことがあるものの、言葉を交わしたことはなかった。
私の顔を見るなり、奥様は先生が話している私だとわかったらしい。
『いつも聞いていました』と私の手を握る。
そういえば、1回生の頃一番前の席に陣取っていた私にプリントを配るのを手伝うように命じた先生。
その時、私は先生に頼まれたことが嬉しかった。
けれど、先生は少し違ったらしい。
頼まれたプリントを配ろうと立ち上がった私を見て、そこで初めて先生は私の足が不自由であると気づいたらしい。
私としてはごく普通のことをしているだけなのだが、先生は大変なことをしてしまった!と思ったようなのだ。
今より若くてまだ体もトントン動いたし、それほどしんどいことではなかったんだけれど、先生には歩くの大変なのに・・・って見えたらしくて。
それでひどく落ち込んだ先生は、帰宅して奥さんにも思わず『すごく申し訳ないことをしてしまった・・・』と話したのだと、4回生の頃に聞かされた。
その時に先生には「全然気にしてないですよぉー」と否定したが、奥様にも同じ話をすればよかったと思った。
当時の私はそんなことよりも先生に『これはキャサリンさんだけに渡してください』と頼まれ、
300人は超えようという学生の中、
(キャサリンてだれーーーーーーーーーーーー
)笑
(つーかどこの席ーーーーーーーーー
)笑
とたくさんの学生の中からキャサリンを探すことの方が苦労したっていう・・・
それ以外にも先生は私のことを奥様に話されていたらしい。
その横には、先生の妹さんがいらっしゃり。
妹さんは先生の故郷でずっと教鞭をとり、校長まで勤めて定年退職したらしい。
その妹さんも、
『聞いてたよー。ずっとあなたのこと聞いてた。 頑張ってね、頑張ってね』と涙目。
もっともっと伝えたいことはたくさんあったのに、「先生には本当にお世話になって・・・」とか、「この度はご愁傷様です」とか、「言葉もないです」とか「もっともっと教えていただきたいことはたくさんあったんですけど」とか月並みなことしか言えなかった。
ご遺族と言葉を交わして、奥様だけではなくて遠くに住んでいる妹さんにまで私のことを話してくれていたんだなぁと思ったら、もう堰を切ったように涙が出てくる。
もう、K君が見ていようが院ゼミの先輩が見ていようが無理だった。
子どもみたいに肩を震わせてしゃくり上げた。
私にとってA先生はただの先生じゃない。
きっとAゼミ出身者はみんなそうだと思う。ただの教授と学生という枠組みでは括れない繋がり。
霊柩車が行ってしまってしばらくAゼミ教員メンバーは腑抜けていた。
次の車が入ってくるのでそろそろ場所を開けてくださいと係りの人に言われるまで、腑抜け切っていた。
K君が近寄ってきて『顔ヤバいって』と言っても、気の利いた返しが見つからない。実際「ヤバい」んだろうし・・・と後で鏡を見たら本当にヤバかった
先生、天国はどんなところですか。
あわただしい責務から解放されて、思う存分研究に没頭されているのでしょうか。
『いい男を見つけたらAと比較して決めなさい』ってよくおっしゃってましたね。見つける前に先生が逝っちゃダメじゃないですか。
そのうち学生がいないからつまんない、と天国での暮らしに飽きられるのではないですか。
その時は、ゼミ生の夢の中にでも遊びに来てください。
再び会えるのはまだしばらく先ですが、それまで先生のゼミ生として、恥じない生き方をしていこうと思います。
どうか見守っていてください。
いつか会えた日にはまた、伝統文法をぶった切ってください。また議論しましょう。
A文法、忘れません。 いつかA文法がスタンダードになればいいんですが
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
今まで昼夜なく研究や仕事に没頭されていらっしゃったし、今はしばらくゆっくりしてください。
研究室に行ったら笑顔で出迎えてくれそうな気がする。
またひょっこり、どこかから現れそうな気がする。
この2日間、様々な出来事が、K大での4年間と共に思い出される。
信じられない訃報から一夜明け、告別式に行ってきました。
大学の4年間、本当にお世話になったという言葉だけで語れないくらいお世話になったA先生。
まだ65歳。
旅立たれるにはまだ早いよ、先生。 先生のご心配がなくなるくらい、立派になったところを見てもらおうと思っていたのに。先生がいらっしゃるうちに大学院に行きたい。そう思っていたのに。 もう叶わなくなってしまった。
悪い冗談であってほしい。
何度そう願っただろう。
ゼミの子がみんなを集めたくて・・・はたまたA先生が久しぶりにみんなに会いたくなって・・・悪い冗談を言っているのだと。
でも、どんなに嘘みたいな話でも、ほっぺたをつねればちゃんと痛いのだ。
先生の自宅からほど近い、北摂の斎場で営まれた式。
たくさんの花に囲まれ、いつものAスマイルを振りまいている先生はもう写真でしか見ることはできない。
遺影を見ても現実味は一向にわかないけれど、でも先生の掛けてくれた言葉を思い出すと目頭が熱くなる。
訃報を受けたその夜、私は急いで学生時代ゼミのことで相談に乗ってもらったりしたK君に連絡を取った。
院にこそ進まなかったけれど、昔から優秀で学部生ではA先生の右腕って感じだった。
直接話すのは彼が卒業して以来だから5年ぶり。
その間に彼は結婚していた。びっくり!そしてなんだか悔しい・笑 先越された

昨年から体調を崩されて入院していたりしたのは知っていたけれど、今年の春先には名誉教授の称号をもらって第一線を退いていたらしい。
道理で教員紹介の欄にどこにも名前がなかったわけだ。
『結婚の報告で先生に会いに行ったけど、その時もかなり痩せてた。苦手な野菜も食べてたからその時から悪かったんかな』と振り返るK君。
葬儀のはじめ、生涯を振り返るアナウンスで、名誉教授になってからも1講座担当していたことや、抗がん剤治療を続けながらご自身でも良い治療法がないか調べていたらしいことも知った。
先生らしいな。最後まであきらめてはいなかった。
でも先生のことだから、推測だけれど、体調があまりすぐれなくても無理をして病院にいかず、がんだとわかったのはだいぶ進んでからだったんじゃないのかな。
すごく我慢強い方だから。
お坊さんが読経している間にも、様々な出来事が甦る。
2回生の頃、バイトの帰りに大学の中の坂道をチャリを押しながら帰っていたときに後ろから横から声を掛けてくれた先生。
僕の授業を取っていましたね?と。
今年も取っていると答えると、『前の方に座らないとわからない。それに前の方がこの男前がよく見える』と、A先生らしい返事だった。
次からはまた是非前に座ります、と答えた私に、
『君が頑張っているのを見て知っていますから』と。
その瞬間、長年の心の鬱積がどーーーーーーっと押し流されるのをはっきりと感じた。
あの言葉がなかったらAゼミにもいないかもしれないし、今の私はいない。
それからまだ6年しか経ってないのに。もう二度と会えないなんて。
私の心を救ってくれた恩人。
就活の時も教採の時も、私の決めたことに何一つ反対せず、黙って見守っていただいた。
その力添えがあったから、私は自分の夢に向かって堂々と挑戦することができたのだ。
就職してからもうまくいかない私を、決して否定するようなことはなかった。
研究室を訪れればいつでも笑顔で迎えてくれた。
私の大学生活はA先生なしでは語れないし、私の人生もA先生なしでは語れない。
ゼミの女の子たちは最後の棺に花を手向けるときに大号泣していたけれど、そこであまり涙は流れなかった。
それはもう知っているA先生ではなくて。
元々そんなに背の高い人ではないけれど、棺の中の先生はさらに小さく見えた。
やすらかなお顔も間違いなく先生なのだけれど、それでも『先生』と呼んでも返事は帰ってこない。
むしろ、生きているときを振り返った方が涙はとめどなく出るのだ。
焼香のあと、ご遺族と言葉を交わす。
奥様やご親族の方とお目にかかるのは初めてだ。奥様はお顔は拝見したことがあるものの、言葉を交わしたことはなかった。
私の顔を見るなり、奥様は先生が話している私だとわかったらしい。
『いつも聞いていました』と私の手を握る。
そういえば、1回生の頃一番前の席に陣取っていた私にプリントを配るのを手伝うように命じた先生。
その時、私は先生に頼まれたことが嬉しかった。
けれど、先生は少し違ったらしい。
頼まれたプリントを配ろうと立ち上がった私を見て、そこで初めて先生は私の足が不自由であると気づいたらしい。
私としてはごく普通のことをしているだけなのだが、先生は大変なことをしてしまった!と思ったようなのだ。
今より若くてまだ体もトントン動いたし、それほどしんどいことではなかったんだけれど、先生には歩くの大変なのに・・・って見えたらしくて。
それでひどく落ち込んだ先生は、帰宅して奥さんにも思わず『すごく申し訳ないことをしてしまった・・・』と話したのだと、4回生の頃に聞かされた。
その時に先生には「全然気にしてないですよぉー」と否定したが、奥様にも同じ話をすればよかったと思った。
当時の私はそんなことよりも先生に『これはキャサリンさんだけに渡してください』と頼まれ、
300人は超えようという学生の中、
(キャサリンてだれーーーーーーーーーーーー

(つーかどこの席ーーーーーーーーー

とたくさんの学生の中からキャサリンを探すことの方が苦労したっていう・・・
それ以外にも先生は私のことを奥様に話されていたらしい。
その横には、先生の妹さんがいらっしゃり。
妹さんは先生の故郷でずっと教鞭をとり、校長まで勤めて定年退職したらしい。
その妹さんも、
『聞いてたよー。ずっとあなたのこと聞いてた。 頑張ってね、頑張ってね』と涙目。
もっともっと伝えたいことはたくさんあったのに、「先生には本当にお世話になって・・・」とか、「この度はご愁傷様です」とか、「言葉もないです」とか「もっともっと教えていただきたいことはたくさんあったんですけど」とか月並みなことしか言えなかった。
ご遺族と言葉を交わして、奥様だけではなくて遠くに住んでいる妹さんにまで私のことを話してくれていたんだなぁと思ったら、もう堰を切ったように涙が出てくる。
もう、K君が見ていようが院ゼミの先輩が見ていようが無理だった。
子どもみたいに肩を震わせてしゃくり上げた。
私にとってA先生はただの先生じゃない。
きっとAゼミ出身者はみんなそうだと思う。ただの教授と学生という枠組みでは括れない繋がり。
霊柩車が行ってしまってしばらくAゼミ教員メンバーは腑抜けていた。
次の車が入ってくるのでそろそろ場所を開けてくださいと係りの人に言われるまで、腑抜け切っていた。
K君が近寄ってきて『顔ヤバいって』と言っても、気の利いた返しが見つからない。実際「ヤバい」んだろうし・・・と後で鏡を見たら本当にヤバかった

先生、天国はどんなところですか。
あわただしい責務から解放されて、思う存分研究に没頭されているのでしょうか。
『いい男を見つけたらAと比較して決めなさい』ってよくおっしゃってましたね。見つける前に先生が逝っちゃダメじゃないですか。
そのうち学生がいないからつまんない、と天国での暮らしに飽きられるのではないですか。
その時は、ゼミ生の夢の中にでも遊びに来てください。
再び会えるのはまだしばらく先ですが、それまで先生のゼミ生として、恥じない生き方をしていこうと思います。
どうか見守っていてください。
いつか会えた日にはまた、伝統文法をぶった切ってください。また議論しましょう。
A文法、忘れません。 いつかA文法がスタンダードになればいいんですが

本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
今まで昼夜なく研究や仕事に没頭されていらっしゃったし、今はしばらくゆっくりしてください。
実感
金曜日は久しぶりに病んだ。
涙で顔をぐっちゃぐちゃにしながら夜の道路を疾走していたら、車の流れが悪くなる。
飲酒検問だった。
仕方なくカバンからハンカチを出して、とりあえずぬぐってみるものの、だからと言って号泣の跡は消せるものでもない。
こういう時、誰かの前で思いっきり泣ければいいのに―。。
涙で顔をぐっちゃぐちゃにしながら夜の道路を疾走していたら、車の流れが悪くなる。
飲酒検問だった。
仕方なくカバンからハンカチを出して、とりあえずぬぐってみるものの、だからと言って号泣の跡は消せるものでもない。
こういう時、誰かの前で思いっきり泣ければいいのに―。。
気になるCM♪
たぶん、近畿圏でしか放映されていないと思うんだけど・・・
厚生年金会館跡地にできるマンション、サンクタスタワーのCM。
あれ、一般人も楽器持ち込んでオケと一緒に演奏してるんだよね?
久石譲さんの曲みたいだけど、指揮してるのは久石さん本人
あの曲とCMの雰囲気が素敵すぎて、ちょっと一瞬サンクタスタワーに住みたくなってしまうCM。
まぁ、私の給料じゃ、たぶん買えないけど
笑 よほどの高給取りと結婚せん限り。。
だって、心斎橋徒歩圏っすよ。御堂筋・長堀鶴見緑地線OKで、厚生年金会館跡なら西大橋とかも利用可能なんちゃうん。
市内で働くサラリーマンにうってつけやん。
こんな便利なところ、絶対高いに決まってるわ。
あと、高層マンションすぎて私には無理だわ・笑 せめて20階建て以下がいい。(あんたの希望なんか誰も聞いてない)
南千里の駅前にできた、某不動産会社施工の分譲マンションとかええなぁ。(南大阪への通勤はどうするんだ・・・)
そもそもこのCM見るまで、厚生年金会館がなくなったことすら知らんかった
あそこ結構コンサートやったり、映画の試写会やったりで、関西の人は訪れたことあると思うんよな。
そんな夢のあるCM載せときますw
厚生年金会館跡地にできるマンション、サンクタスタワーのCM。
あれ、一般人も楽器持ち込んでオケと一緒に演奏してるんだよね?
久石譲さんの曲みたいだけど、指揮してるのは久石さん本人

あの曲とCMの雰囲気が素敵すぎて、ちょっと一瞬サンクタスタワーに住みたくなってしまうCM。
まぁ、私の給料じゃ、たぶん買えないけど

だって、心斎橋徒歩圏っすよ。御堂筋・長堀鶴見緑地線OKで、厚生年金会館跡なら西大橋とかも利用可能なんちゃうん。
市内で働くサラリーマンにうってつけやん。
こんな便利なところ、絶対高いに決まってるわ。
あと、高層マンションすぎて私には無理だわ・笑 せめて20階建て以下がいい。(あんたの希望なんか誰も聞いてない)
南千里の駅前にできた、某不動産会社施工の分譲マンションとかええなぁ。(南大阪への通勤はどうするんだ・・・)
そもそもこのCM見るまで、厚生年金会館がなくなったことすら知らんかった

あそこ結構コンサートやったり、映画の試写会やったりで、関西の人は訪れたことあると思うんよな。
そんな夢のあるCM載せときますw
irony ~愛 違路に 第2章
やかんの麦茶から、缶のハイネケンに変わった。
別にこういうときにお酒が飲みたいわけじゃないが・・・それでも本当は今、ウイスキーが飲みたい。
そんな『気分』だ。
こんな時間だし、誰かに電話を掛けるわけにもいかない。
そもそも掛けることができたところで、誰にこんな話ができるというのだ。
(と考えて一瞬前教頭の顔が浮かんだ。・・・わかるけど、なんで・・・笑)
愛 違路に・・・なんて言葉遊び、どうして思いついたんだろう。あの時。
最初に同様のタイトルで記事を書いたのはもう5年も前だ。
別にこういうときにお酒が飲みたいわけじゃないが・・・それでも本当は今、ウイスキーが飲みたい。
そんな『気分』だ。
こんな時間だし、誰かに電話を掛けるわけにもいかない。
そもそも掛けることができたところで、誰にこんな話ができるというのだ。
(と考えて一瞬前教頭の顔が浮かんだ。・・・わかるけど、なんで・・・笑)
愛 違路に・・・なんて言葉遊び、どうして思いついたんだろう。あの時。
最初に同様のタイトルで記事を書いたのはもう5年も前だ。
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詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
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