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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

カテゴリー「Said to myself(*´∀`艸)゚*。 」の記事一覧

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そっと押し出すように

新任の教諭が辞職して、回りまわってとある仕事の穴埋めをすることになった。

慣れなければややこしいことこの上ないし、更には失敗は許されない。大雑把で要領の悪い私に務まるんだろうか・・・という仕事だ。


今日、その仕事について、ベテランお局3号(たくさんいるので番号にしようと思う。ちなみに3号は今回初登場)からレクチャーを受けていた。

私はPC処理が苦手な同僚に代わってPCでの作業を中心でやることになったのだが・・・いくらその人よりはPCが使えるって言ったって、ワードとエクセルの基本操作しかできないのである。


『でも成績処理は毎回エクセルでしてるんやろ?あれくらい使えれば、この作業も余裕よ』なんて3号は涼しい顔だけれど



悪意のない言葉の刃ほど身に刺さるものはないものだ。

レクチャーの途中、問わず語りでこんなことを言い始めた。

『私の教え子に車椅子の子がおったんよ。なんでも幼稚園のときに滑り台から落ちて脊髄を折ったらしいんやけど。それがすっごくよく出来る子やって、コンピュータの専門学校に行って今はその道で活躍してるのよー。


思わず心に「だから?」という4文字が、浮かんできたのがわかった。
隣で同じように話を聞いている2人は、何も反応を返さない。

私はと言えば、悔しいんだかかなしいんだかわからないけれど、もやもやしていた。それもすごく。



だから私もそのくらいできないと使い物にならないってことか?

なんて考えてもやもやしてるんではなくて・・・


なんて言ったらいいんだろう・・・  障がいを持ってる・持ってないってカテゴライズされて喋られたこと?


んーーうまく表現できない。 なんか別に今、足が不自由だとかを話に出す必要があるんってすっごい違和感を感じた。


なんか話の論点、そこじゃなくない・・・というべきなのか。


どう言えばなぜもやもやしているのかを的確に伝えられるのだろう。今こうして言葉にしてみてもどれもしっくりくるものがない。


なんか釈然としないまま、苛立ちを抱えて退勤した。

言った本人に悪気はきっとまったくない。 でも私は少なからず傷ついているし、苛立ってもいる。



こんな時、こんなもやもやをそっと閉まっておくには、ちょっと重い。

色んな面倒くさい仕事を抱えて、体調も万全とは言えない中で、こんな小さなチクリチクリが突如やってくるのだ。


大々的に言えなくてもいい。
そっと押し出すようにでもいいから、そっと吐き出した強張った言葉たちを、誰かにそっと受け止めてもらいたい。
たとえ受け取った後に捨ててしまってもいいような言葉だ。


あーぁ、誰に言おう。


浮かばないのだった。 


親から電話が掛かってきた。誰でもいいから、押し出したかった言葉も、絶対言えない相手だ。
特にこんな話は。

当たり障りのない会話の後、更にもやもやは重みを増す。


あぁ、もうダメ・・そこまでじゃないけれど、でも・・・。


『泣け』

自分を解き放ってやることにした。 感情のままに泣くことを、普段の私は無意識下でも制御してしまっている。
『泣いてもいい』と自分に言ってやるか、泣けそうな本やDVDを観て、その涙と一緒に他の気持ちも流すかしか、泣く方法はない。


流れ落ちる雫を確かめながら、今日の私に言ってやる。


悔しかったなぁ。 悔しかった。


やっぱりそういうカテゴライズから、私は抜け出せないのかな。


そっと押し出すように、誰かに差し出せたなら、少し軽くもなるだろうに。
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再会

仕事帰りによく寄るガソリンスタンド 少し帰路からは遠回りになってしまうのだが、2円引きの割引券を持っているのでよく通っている。


神戸への遠足の帰り、まだまだ元気いっぱいな生徒たちとは裏腹に、そんな彼らに元気を吸い取られ、さらに超巨大スズメバチに追いかけられ、逃げ惑った結果ヘロヘロだった私が、相棒の「まーち君」にご飯を与えている(給油)と・・・


人懐っこい笑顔と共に、小躍り気味にやってくる兄ちゃん1名。 明るい茶髪が目立つ。ついいつものガソリン代が安くなるカードを勧誘する兄ちゃんだと思い、やってきたのに気付かない振りをして給油を続けていると・・・


「お久しぶりです。最近見かけないので、来てくれてへんのかなーと思いましたよ」


てっきり、カード勧誘の兄ちゃんだと思っていた私、

(最近見かけへんって、ついこの間も来たやんかー。ワイパーの交換すすめたくせにぃ)と顔を上げた瞬間、目に入った名札。


あ・・・。


その人は、年末帰省をする際にオイル交換や安全点検をしてくれて、いつイカれてもおかしくないバッテリーを即座に交換してくれた整備士のMさんだった。
その時にわずかな時間ではあったが、話が盛り上がったことと、その人懐っこい笑顔が印象的だったのとで、もう一回会えたらいいなぁと思っていた人だった。
で、足繁くそのガソスタに通っていたものの、一向に姿を見かけず、季節も季節なので異動にでもなったのだろう・・・と最近はそのガソスタに行く頻度も薄れてきていた。


「えー結構来てますよ。ついこの間もオイル交換しましたもん、ここで」

『ほんまですか。僕いないときばっかりですねぇ。』

「この間は○○さんっていう優しそうなおじさんにオイル変えてもらいましたよw」

『あーだめっすよ、あんなおっさん』笑

「え、いいんですかそんなこと言って。バラしちゃいますよ・・・髪の毛の色変えはったんですね」


前は地色の黒だったからだ。それで名札を見るまで気がつかなかったと言うのもある。


『そうなんですよ。ちょっと調子のりました・笑』


嬉しそうにしているMさんに似合ってないですよ・・・とは口が割けても言えそうになさそうだ・笑


「あはは、なかなかやんちゃですね」 と 何気なく言ったのだが、

『なんか「やんちゃ」って学校の先生みたいな言い方っすねぇ』


ドキおぬし、なかなか鋭いなぁ・・・。「やんちゃ」が先生クサいかどうかは別にして、最近喋り方が教師クサいと言われるんだゎ

Mさんに教師であることを明かしていない私。別にバラしても何の事はないのだが、よく自分のことを知らない人に「教師である」と言うと、うわべのイメージだけで「すごいですね」と言われたり「カタい」という先入観を勝手に持たれるので、親しい間柄にならないと伝えないようにしている。


咄嗟に、「そうですかー?よく言われるんですよー説教じみた言い方するって~」 

咄嗟に出た割りには信じれそうな話だ。でも実際説教じみているかもしれないから、あながち嘘でもないかも知れない・笑


他愛無い話をしながら、窓拭きも終える。

『お車調子悪くないですか?今度は僕のいるときに来てくださいよー。ってか、来なきゃだめっすよー僕のお客様なんだから』

と、若干スネ気味に言われた。


(口うまいなー)なんて冷静に思いながらも、(やべぇ、母性本能をくすぐる奴ってこんな人のことを言うのかもしれない)とこれまた客観的に分析・笑

油断していると、胸のど真ん中に飛び込んできそうな人だ。きっと誰の中にでもすっと入っていけるのだろう。得な性格だろうな。 友達には困らない人間だろう。


以前は某自動車メーカーで整備士として働いていたと言う。偶然にも高校の同級生で、メル友のB君と同じ勤め先・同業種。(勿論勤務先の店舗は違うだろうが) しかも字こそ違うがファーストネームまで一緒。

何なん、コレ偶然が多すぎて気持ち悪い・苦笑  名前って運命を決定付ける要素なんだろうか。
でも性格には、多少影響するよね、名前。


事あるごとに『整備士ですから』と強調するMさん。ある考えが浮かぶ。

もしかすると、前の勤め先のメーカー(その話がほんまなら)を、何かの事情や不可抗力で自分の納得行かない形で辞めているんではなかろうか。自分が今の職場にいることを自分で100%肯定できてないのではないか。
そうだとしたら、屈託ない笑顔の下に苦悩を抱えているのだろう。

どうもその口調が、整備士の資格を持たず、それ以外の業務ばかりしている他のスタッフと自分は違うんだ、という意味にも取れる。


話をする度に、謎が深まる人物だ。


まぁいいや。どうでも。笑


たまに癒されに行こあの犬ころみたいな笑顔に。
 

ぺんぎん

最近ストレスが積み重なって、心はかぴかぴ

こんな時は無性に海の生き物が見たい。 大好きなペンギンやまんぼう、ジンベエザメはもちろん、 ふわふわ揺れるクラゲなんかもきっと癒されるだろう

本当なら海遊館あたりにその全てを見に行きたい所だけれど、そんな時間もお金もなく、その計画は夏休みまで温めておくことにして・・・

ならばせめて・・・と、職場と家のPCの壁紙をペンギンにし、更にはこのブログのテンプレもちょうど私好みのがあったのでそれに変えて、妥協している

(わぁいぺんぎんさん)と密かにテンションは上がる。


ナゼか昔からペンギンは大好きで、幼い頃滅多に物をねだったり、わがままを言わなかった私が叔母の家にいった時、その家にあったとてつもなくデカい(と当時は思った)ペンギンのぬいぐるみに一目ぼれし、どうしても離さなかったので見かねて叔母がくれた・・という伝説まである。

そのぬいぐるみ『ぺんちゃん』は今もボロボロになりながらも私の実家にある。

今でも時々『あの時、これより何倍も高いディズニーのオルゴールより「それよりぺんちゃんが欲しい!」って利かなかったもんねぇ。』なんてネタにされる・笑


でも是が非でも連れて帰ってきたかったぺんちゃんは、長らく私の実家での精神安定剤代わりになっていた。

普通のぬいぐるみよりもデカいし、ペンギンなのでお腹も出ている。横にもぼってり。
なんかおおらかなお母さんって感じがしていて、触っていると安心できたのだ。

今はその役目の何割かは「ぼーちゃん」が取って代わっているけれど、今でも実家に帰ると相変わらずそこにいてくれる。


あーぁ、早く本物のペンギン見に行きたいなぁ夏休み早く来ーーーい

The most important thing in one's life

Think about the wall of over 25 その

人生において、いちばん大事なものって何なのだろう・・・って最近よく考える。


お金?愛情?
仕事?家庭?
地位?名声?
平凡な日常?
笑顔でいること??


他に何が挙げられるだろう。


今の自分はしあわせではないな、と思う。

もちろん、究極の尺度で物を言えば、ひとりには充分な広さのアパートがあり、車があり(私には必要不可欠だし)仕事と決まった収入があれば、幸福もいいところだ。これで不幸だなんて言えばバチが当たる。


物質的にはすごく恵まれている。


でも、ぽっかりあいた心の穴は埋まらない。いつになっても。


大学の頃はもちろん今みたいなお金もなかった。同世代の恵まれた子達が、釣り合わないブランド物で身を固めて通学しているのを横目で見ながら、でもそれを羨ましいと思ったことなど一度もなかった。

逆にそんなものでしか自分を飾れないなんて可哀相だとすら、思っていたのだ。


学生時代は休みの間にしゃかりきに働いてもせいぜい10万円。

それでも収入が多かったからと言って、特別今すぐ欲しくも必要でもないものを買おうとは思わなかった。
要るものと、ごくたまの、ほんのちょっとの+αで満足していた。


高いものなどなくても、物が溢れていなくても、英語学と向き合っているだけで充分楽しかった。
友達と過ごす時間も。

悩みも尽きなかったけれど、良かったなと思う。



今はどうか。

普段は毎月の生活費だけで飛んでいってしまうけれど、それでも学生時代と同じ暮らしをしたならば、充分に貯金は増えていく筈なのである。

何かにつけて、別になくてもいいものを買うのは、やはり心のどこかが満たされていない証拠だ。

本はいくらあっても構わないと思う。本は心の栄養だと思うから。

でも服は、仕事にいる分と、休みに着る分が少しと、余所行きが少しあれば、事足りる。

買った瞬間はそれで満足するのだけれど、心の底から喉から手が出るほど欲しいものでなければ、そんなにその後も満足感って続かない。

そして、あまり着ていないものを眺めては虚しくなるのだ。

だからここ1~2ヶ月、服をほとんど買っていない。学生時代は数ヶ月買わなくても当たり前だった。
オークションやサイトで、買わなくても眺めているだけで満足したしね。

でも最近はその時間さえ満足に取れないから余計かもしれない。



もっとシンプルな暮らしがしたいな、と思う。


何もかも、たくさんはなくていい。永く付き合える質のいいものが少し、でいい。


感情を失わないように、丁寧に何かと向き合いたい。


仕事を始めてから、私、価値観が流されてしまっていた・・と今更気がついた。


物質でじゃなく、心を埋める暮らしが出来ればいい。

ねじ込んだ感情のゆくえ

『辛いときは、辛い顔をしなさい』

ハッとさせられた。


ドラマ『グッドライフ』で反町隆史演じる大地が、白血病と闘う、その息子・羽雲に言った台詞である。




その瞬間、気がついた。 私も羽雲と同じくらい年齢のとき、誰かにそういう言葉を求めていたということを。。





幼い頃のことを思い出すことが増えた。時折、過去の断片がフラッシュバックする。そのほとんどがいい思い出ではない。
そのとき感じた恐怖や理不尽さ、満たされなさを冷静に分析できる年齢になった今、当時かけてほしかった言葉を脳内で反芻し、自分の癒しに繋げることがある。

それで完全に癒えるかと言えば、到底そんなことはないけれど、それでも何もしないよりはましだろう、きっと。。



何ヶ月にも渡る入院生活。
『歩きやすくなる』と信じて我慢したゴツいギプス。
そしてそれを外すときの医療用ドリルの耳を劈くような音。
知らない顔ばかりの冷たい白衣に周りを取り囲まれ、体を押さえられ、耳を塞ぎたくなる音が響く。
終始泣きもせず処置室を出ても、母はにこりともしなかったこと。

いやな音も、いたいギプスもがまんしたよ。えらかったやろ?

それでも筋肉や関節は柔らかくならず、母は言った。『やっぱりあかんなぁ』
たくさんの声にならない思いが死んでいく。

母がその思いに応えてくれることはない。ただ、結果だけ。



振り返れば、たくさんの必要のない我慢をしてきたなぁ・・と思う。
それに今気づけただけでも救いなのかもしれない。


闘病生活の中では、我慢を強いられる。
当然、我慢はしなくてはいけないし、求められる。


でも、近しい存在の人には感情をめいっぱい吐き出すことは許されていいと思うのだ。


痛いときに「痛い」と言う事。
怖いときに「怖い」と言う事。
しんどいときに「しんどい」と言う事。
がんばったことを認めてもらうこと。
泣きたい時に泣く事。


問題なのは、これらばかりして、すべき治療をしようとしないことだけれど、そうではなくて、治療を受けるのならば、「痛い」と言いながら受けたって、何も言わずじっと気持ちを押し込めて受けたって、治療後の体の状態は同じなのである。だったら、その時感じたことを吐き出して受け止めてもらった方が、精神衛生的にはずっといい。


我慢しなさいって言うのは、本当は良くないな。

痛みは我慢しなければいけないけれど、痛いときには「痛い」って言ってもいいんだって言うべきだ。



多くの闘病生活をする子どもは、我慢強い。
あるいは我慢強くなっていく。


でも親とかにはその時感じたことを素直に表現していいのだと言う事を周りはわからせてやるべきだ。


『我慢しなさい』
『聞き分けの良い子になりなさい』
『だだをこねるんじゃないの』
『我慢しないとここ(病院)に置いていくよ』

上から抑え込んで、それでも言う事を利かなければ容赦なくぶって、私は貴女に「痛い」「怖い」というのをやめた。

貴女はそれで満足した。

いつの日も、「痛いから、やめる」とは言ったことはなかったけど、貴女はその違いはわかってなかったんだろうな。

ただ共感してくれればよかった。



でも、そんな我慢、しなくてよかったやん。ねぇ?


今の私が、記憶の中の私に言ってやれるのは「頑張った」「偉かった」という労いの言葉だけだ。
それがもどかしくてならない。


でも、今気づけてよかった。自分は、自分の子どもの前で、母の二の舞を踏まずに済む。


子どもに本音をひた隠しにされる親は、実にかなしいから。



些細なTVの中の一言にも、大きな気付きがあるものだ。。

Think About the Wall of Over 25 その1

10代の頃は、社会人なんて、すごく大人だと思っていた。

25なんて言ったら、仕事をバリバリやっていて、適当な(結婚前提の)彼氏がいて、公私共に充実していて、着る服もユナイテッドアローズとか、アーバンリサーチなんかをばんばん買っているんだろう。

でもって有名ブランドのカバンなんて持ち歩いているに違いない。


それが大学に入りたての頃の、25歳のイメージ
 

・・・実際は??

私はまだまだコドモだし、些細なことでくよくよすれば、些細な事で腹も立てている。大人になっても人知れず泣いている。

仕事は何とかこなしているという感じで、結婚前提どころか彼氏もいやしない。公私共に充実・・・してんだろうか?
着る服は、アローズもURもアウトレットでばかり、それもボーナスを貰ってやっと買おうかな・・ってレベルで、実際の値段で買うには余程気に入ったものをようやく1着・・って感じである。

最近はURよりもジャーナルスタンダードの方がすきなんだけど、どっちにしても高い。ブラウス1枚1万超えって庶民が買えないわよ
そんなわけでいまだにアウトレットORオークションでしか買っていない。よく行く店と言えば、学生時代と変わらずユニクロやアースミュージック&エコロジー、ローリーズファームなどなど。

20歳くらいの頃、「25過ぎて、ローリーズなんて着れないよね」なんて言ってた私はどこへやら・・全然イケる・笑

そんなに顔も体も『オトナの女』にはなっていないからね苦笑


ちなみに持っている有名ブランドと言えば、成人祝いに叔母から貰ったコーチのバッグだけ。


25なんて、10代からすればキラキラ輝いているような幻想を抱くのだけれど、実際はそんなカッコよくはない。

そんな絵に描いたような25歳は、ほんの一握りだ




だけれども。
そういう幻想は幻想でしかないのだけれど、ちゃっかりと25歳なりの苦さは追いかけてくるものだ。

それこそ10代の頃は思いもしなかったような。


化粧ノリが悪くなるとか・・
ちょっと不摂生な生活をすると肌に出るとか・・・
仕事の重圧とか。
人間関係へのしがらみとか。。

ね。そんな諸々ね。。

ちょっと数回に渡って、25の壁について考えたいと思います。

あー嫌だぁ。。。年取りたくねーーーーー

職業病

この仕事を始めてから、楽しめなくなったものの1つが学園モノのドラマ。

生徒に焦点を当てたものならまだしも、特に教師が主人公であるドラマは、見ていて現実とのギャップに興ざめすることが増えた。

テレビ大阪の新番組『鈴木先生』も、現場を知らない者が見れば面白いのかもしれないけれど、胡散臭いことこの上ない。


いや、別に番組を否定しているわけではないのよただ、教師が見ると苦笑いしか出てこないっていう・・・w


いかにも的なポジションで存在している『鈴木先生』の同僚『足子先生』も、おいおい、そんじょそこらにこんな中学校教師なかなかいねえよって感じで・笑

たぶんその醸し出されている胡散臭い雰囲気が、ドラマの世界観を際立たせているから、ある程度はその胡散臭さも製作者側の意図なのだろうが。


まず舞台になっている教室の掲示物を細かくチェック。時間割に学校便り。超オーソドックス。無難な組み合わせ


で、生徒がバタフライナイフ(いつ流行ったもんだよ、これ)を所持していたことについて、職員室で口頭注意で終わり・・・な対応にも、


「絶対、最低、保護者に電話連絡はすべきやろ」なんて、心でツッコむ始末だし、『鈴木先生』の受け持ちの男子生徒が友人の妹と不純異性交遊した件の指導を見るにつけ、


「おいおいおい、こんなやりかたじゃ、教委に訴えられるどころじゃ済まないって」とか、

「そもそもこんな事件なら学年どころか学校単位で大騒ぎになりそうなのに、対応してる教師が2人ってどうよ?非現実的すぎじゃね??」的な感じで・・・



学校の先生は学園ドラマを楽しめません苦笑


もう今では金八もGTOも、「そんなにすぐ生徒の心に言葉が響くなら苦労しないっつの」と思う有様で・・・


GTOを必死で見ていたあのころの私に戻りたい・笑


医療関係者は医療系のドラマをどう見てるんだろう。
刑事さんは刑事ドラマで興ざめするんだろうか・・・そういや友達のお父さん(警察官。刑事歴もあり)はあんまり見ないって言ってたな。。


TV局さん、こんなティーチャーに分析する暇を与えないくらい、アツいドラマ頼みますよ~笑

なんてね。


単に私の心が擦り切れているだけなんだけれどもね

撥ねかえる言葉

自分がむなしくなるだけだとわかっていても、言わずにいられない。

そして、また撥ね付けられて、言葉を受け取ってすら貰えなくて後悔する。


どれだけ言っても変わらないなら、いっそ何も言わないほうがいい。
いつかわかるかも・・・変わるかも・・・なんて淡い期待を抱かずに。。
そんなの幻想だって、どこかではわかってるのに。


無機質に響く本日3度目の機械音を聴いていたら、悔しいのかむなしいのかかなしいのか、それともそのどれでもないのかわからないけど、噴出すやりきれなさを押さえられなかった。


なんで、私が悪いわけじゃないのに、私が泣かないといけないのよ。。。


そのことが悔しくて、そのやりきれなさを封じ込めようとして思いとどまった。
いや、むしろ封じ込めないほうがいい。毒は出せるべきときに出しておくべきだ。

誰も見ていないのに、どうして我慢する必要があろうか。



少し前から祖母の体調がまた不安定で、いつものように泊り込んでサポートしている(のかされてるのか)母。

1週間以上帰らずに泊り込むこともザラ。 その間当たり前ながら、父親は自宅で放置されっぱなしである。
仕事から疲れて帰っても当然ご飯もない。ただいまと言う相手がいない。

もちろん祖母ももう90を目前に控えているから、泊り込むことも仕方ないと思う。


でも母は、電話1本父によこさない。 
たまに私に電話をしてきて(しかも平日疲れきって寝ているところに夜中の0時とかに)、『お父さんに明日帰るからって言うといてよ』


私はあなたの伝書バトじゃないぞと言いたい。
それくらい夫婦でしょ、自分で言いなよ。しかも歯の浮くようなセリフじゃなくて、事務連絡に等しいやん



疲れて帰ってくる父に労いの言葉1つもなければ、祖母を見ている間、家を放りっぱなしにしていることへの詫びも1言もないのが、私には信じられない。
せめて泊り込んでいる間、暇を見つけて電話して、どうして思いやりの言葉1つ掛けてやれないのか・・・ともどかしくてならない。


まぁ、自分が家を開けている間、誰がどんな気持ちでいるかなんて彼女は想像だにしないんだろうけど



なんでさぁ、ちょっと電話してお疲れ様くらい言えないわけ?長いこと放りっぱなしで何もできなくて申し訳ないってなんで1言言えないわけ?


返事は帰ってこない。


そりゃ、おかんかておばあちゃんの病院ついてったり大変やし、転んだりしいひんか神経遣うと思うけどさ。
人のしんどいところはわかってあげへんの?


人のしんどいところなんか、汲み取る力がないに等しいとわかってはいる。
でも、どうしてだろう。言ってしまう。


私だって、平日仕事から帰ってきたらくったくたで口も利けない日だってあるよ。それでも『今仕事終わった』っていうメールが来たら、必ず『お疲れ様』って返すよ。 


誰からそんなメール来るのよ?という問いは敢えてスルーすることにする。。笑

あなたの母親(私の祖母)はおじいちゃんが脳梗塞で倒れてから、後遺症が残っても寝たきりになっておむつが必要になってもずっと介護し続けたんやで。誰にもグチの1つも言わないでさぁ。
そんな親の背中を見てて、あなたは何を学んだのよ?
物心ついたころから私は、うまく喋れない、うまく歩かれへんおじいちゃんしか見てきてないから健康な頃のおじいちゃんを知らん。でも10年以上弱音の1つも吐かずにうまく動けんくて癇癪起こして、自分は何も悪ないのに叩かれても献身的に世話をし続けたんやで。 もしオヤジがそんな状態になったら、同じことできるん?あなたに。

『無理』と即答。 おい。


この人にとって、夫ってなんだろう。子どもって何なんだろう。


確かに、あなたの望むような裕福な暮らしは、父は提供できなかった。お金のことでは絶えず苦労しているのは知っている。夫としては些か不出来だったかもしれない。

でもあなたの腹に私を宿し、父親としては最高に良い人物だった。


でも、それでさえもあなたには疎ましい対象でしかないのですから。仕方ないね。『親の権利』を履き違えてる。

親にはただ『義務』しかない。その結果与えられる権利と言えば、心身ともに健康に、日々成長していく、日々一生懸命生きるわが子の姿ではないのか。
親の権利なんてそんなもんだ。 権利と称して、自分の思いのままに動かそうなんてのは権利でも何でもない。


少しは自分にしてほしいのと同じように相手にも優しくしないと、自分にも優しくしてくれんくなるよ。


そこで、一度目の遮断。 この遮断が、いかに私の心をズタボロにしているか、あなたは知らないでしょう。


キャパがないのも、適当に聞き流せないのもわかるけど、あなたのためを思って言っていることなのよ。
どんどん社会から隔離していくあなたを見ていて、見るに堪えるから。


もう1度掛けなおす。そしてやんわりと言う。

いきなり切ったりしたら余計に人との関係がこじれるもとなんやで。第一おとなげないし、信用をなくすよ。


『だってもう遅いし、寝ないと』(これまた腹が立つ言い訳。逃げ道にして)

そういうあなただって、今よりはるかに遅い時間に掛けてきて、疲れて寝てる私を起こすのに人のこと言えないでしょ。


今度は電話は切らずにいたが、『体がしんどい』『何をするのも億劫』+父に対する文句。

グチも文句もいくらでも聞いてやるけれど、何も努力せずに文句ばかり言う人の文句と言うのは聞くに堪えない。

『しんどい』とこぼすばかりで病院には行かない。
父には文句ばかりで、自分にも周りが不満を持っているかもしれないというところには考えが及ばない。


嘆く、文句を言うだけで問題が解決するのなら誰だって苦労しない。
みんな大なり小なり、何かある。それでも苦労して、がんばって、それで生じるしんどさを誰かに吐き出しているのだ。
自分は何もせず、同じことを繰り返し嘆く、もちろん自分が何もしないから事態は変わらない、また嘆く。
そんな負のループ。


私は壁にブチ当たったとき、努力する母の姿を見たことがない。
不満を言うばかりで自分からは何もしない。そんな姿ばかり。


それもアスペルガーのせいなのかもしれないけれど(症状とかは人それぞれだし)、でも、私の知ってるアスペルガーの人はみんな、生き辛いと感じながらも社会に少しでも溶け込もうと時にパニックを起こしながらも頑張っている。

それに比べ、母とくれば・・・自分を甘やかしすぎ どんどん自分を社会から切り離そうという方向で生きている。
やっぱり実の親にそうであってほしくない。 少しは世の中に関心を持ってもらいたいし、社会と関わろうとしてほしい。
だって、本当に社会から切り離されてしまったら、きっと信じられないくらい孤独。
親も旦那もいつまでも変わりなく自分の近くにいるとは限らない。私だって、誰かと結婚し、どこかの嫁になればいちいち親のことに構っていられなくなる。

今、身内だけが唯一社会との接点な彼女に、どうにかして、社会と繋がってもらいたい。


今のままの彼女では、誰からも愛想尽かされてしまう。



あのさ、少しは努力したら?
『しんどい』って言うけど、何にもしてないやん。ほんまにしんどいんやったら医者行きや。『しんどい』って口ばっかりで、何にもその状態をよくしようと思ってないやん。
病院に行って、治療もして、それでもしんどいならいくらでも聞くけど、同じこと何年も前から言ってるやん。それやのに何もしやん、たまに病院行ったと思っても医者の言う事は利かへん。そんなんで『しんどい』言うても誰も聞かへん。

しんどい状態のまんまで自分がいいと思うなら、文句も言いなや。自分がそれでいいねんから。でも嫌やと思うんならしんどくなくするために何かせんと『しんどい』言うてるだけじゃ何も変わらんで。


まるで生徒にする説教みたいなことを親に言わなければならない、言っても心底理解されるかわからない、それを言わねばならない、しんどさ。


『お父さんは何もわかってくれん』ってじゃああなたはオヤジの何をわかってるんよ? ほんまに仕事ご苦労さんって思って、言葉や態度にしたことあるん? 労いの言葉とか1回でも掛けたことある?なんでオヤジが『ただいま』って言わずに黙って家に入ってくるか、理由考えなよ。でないと自分も一生理解してもらえん・・・


ここで2度目の遮断。 むなしい気持ちは募ってく。

もう1度掛けなおす。電源を切っていないだけまだマシか



だから、そのおとなげないのやめろっての子どもに説教されるんも鬱陶しいと思うけど、社会に出たら通用しいひん事やから言うてんねんで。 もうちょっと周りに思いやり持って過ごさんとさぁ、ほんまに独りになるで?
みんなそれなりにしんどいことあるけど、それでもみんなある程度は我慢して過ごしてるねん。生きるためには我慢せなあかんこともいっぱいあるねん。
文句言うだけで変わるんなら、誰だってそうしてるよ。 壁にぶち当たったとき、文句言うだけじゃなくて、なんで『なにくそ!』と思って頑張られへんのよ?みんなあなたよりもっともっと大変な人いっぱい・・・

『もう遅いよ、寝る』

ちょっと待ちな・・・


「さい」までは言わしてもらえず、3度目の機械音。


私の自己満足に過ぎないのかもしれない。
彼女は別に孤独でも、社会と関われなくても、全然意にも介さないのかもしれない。

むしろ社会に関われない事の苦痛より私に説教されることの苦痛の方が大きいのかも。


でもまだ彼女は知らない。社会と接点をなくしたときの本当の孤独を。
私だってそれが何たるかちっとも知らない。

でもそれがなくなれば、きっと発狂するくらいでは足りないほどの孤独だろうと思う。


相手を労うとか、思いやりとか、彼女にはちょっと難しい。それも頭ではわかってるんだけれど。
大学の頃から同じことを言い続けているのに、彼女は常に真剣に聞いちゃいない。

その時は真剣に聞くのだけれど、それが彼女の中に残らない。
翌日になれば、けろっとなかったことになる。なぜか。



彼女が変化するわけでもなく、私がしんどいだけなのに、それさえ彼女にはわからない。
自分ばかりで相手のことはおかまいなし。


さすがにむなしいし、疲れるよ。

こんなんなら、何も言わなきゃいいのだけれど、何か言わないとあまりにも父が気の毒で、私にばかり理性を求めるのも癪だし。

でも、こうしてむなしさを抱えた後、さらに自分を理性的に追い込まねばならないのだから、結局余計苦しいね。



やっぱり無理かなぁ。
相手の気持ちを受け止められる人に、彼女はなれないのかなぁ。



どれほど言っても届かない。
病気のためなのか、彼女の問題なのか。


自分が痛めつけられるだけだから、もう何も言わないほうがいいのかな。


毎回消化不良。私の彼女を思って言う言葉はすべて私を苦しめる武器に変わる。


これほど感覚が違うのも、ほんとにアスペルガーだけなのかな。


おかあさん、あなたと話すとしんどいです。
ほっとするどころか、余計なストレスまで溜め込んで。
私は誰にも頼らないのに、あなたは人に甘えてばかり。
そんなのってあんまりでしょう?

あなたが気儘に生きているしわ寄せがないと思っていますか。
でもそれにあなたは死ぬまでに気がつくでしょうか。
私の思いもわかってください。



あーほんましんどい。
自分の仕事だけで精一杯なのに今。。。

ほうじ茶の匂い

ほうじ茶の香ばしい匂いを嗅ぐと、おばあちゃんの家を思い出す。 

私の地元はほうじ茶の茶葉を入れて炊く「茶粥」が郷土料理の1つだ。大阪の人はその茶色い見た目をよく「気持ち悪い」と言うが、食べてみると優しい味でなかなかイケる。

今日は久しぶりにぐらぐらになるまで水を沸騰させてからほうじ茶のティーバッグを入れたので、部屋全体にいい匂いが漂う。


めぐ家の定番の飲み物。ほうじ茶ww 切らすことはほとんどない。 

浄水器のカートリッジを替えたばかりだから、味もおいしい。


うん、にじゅうまる◎
 

細い糸

『先生の言うこととか、学級通信に書かれてる事は全部きれいごとなの。きれいごとばっかりやねん』

上品な口調と、上品な顔で、随分と辛辣なことを言うものだ・・・と思ったが、黙って聞いていた。

確かにきれいごとも少しは混じっているかもしれない。けれど、きれいごと「ばっかり」なんかじゃない。
私だって信念を持って伝えていることを真っ向から否定され、良き忠告だと思う一方で、少し腹が立った。

つとめて明るく、つとめて屈託無く、私は言った。

「先生が昔担任されていた頃の学級通信て、置いてはりますか?もしあれば参考にしたいので見せて下さい」


家にあると思うから、探して持ってくるわね。

そう言ってもう2週間以上が経つが、彼女はまだ私に学級通信を見せてくれない。


私には言われたことはすぐにしなさい、とか、約束したことは必ず守るように、なんて言うくせに、自分はいいのかよ・・・なーんてヒネた思いが浮かぶ。
忙しいとか、探しているけれど出てこないとか、何か理由があるなら言ってくれればいいのに。

子どもとの約束や要望には超迅速に対応するのに、私はひとりの人として見られてないのだろうか。



別にいいけど。見せてくれなくたって。。



今週はじめ、私にもどうしようもないことで叱責され、(まぁそれは他者から見なければなかなか気づかないことだから、忠告してくれるのは有難いのだけれど)、更には私がつまらない(がその結果はつまらなくない大変な)ミスをしてしまい、また叱られる羽目になり・・・。


気ぃ張って気ぃ張って、何とか何とかここまで来たけれど、もう限界かもしれない。
これ以上、常に気を張り詰めて、これから先やって行くのはしんどすぎる。


『高校の方が向いてる』と言った教育実習の指導教諭の言葉が再び胸に刺さる。


本当に私、高校の方が向いているのかもしれない。
中学生と接することは好きだけれど、私には中学校教諭の素質がないのかもしれない。
中学校教諭と高校教諭では、求められる能力も微妙に違う部分もある。


自分が叱責されることに落ち込んでいるんじゃない。
そのことをなかなか自分の中で消化して実践できない自分が悔しくて落ち込むのだ。
でも、それを言ってもおそらく周囲は理解しないだろうな。


自分の判断基準がなくなった。軸がなければ子どもらもブレる。
失敗しないかと萎縮しきってしまっている自分。
そんな自分の姿にきっと子どもらは気づいているだろう。


再び夏の『辞』というハードルが、目の前に見えた。

でも、やっぱりまだ、教師でいたいという思いは残っている。けれど、自分が「やりたい」という気持ちだけでこの仕事を続けるのは単なるワガママだ。
何らかの利益をもたらさないことには、組織にとっている意味はない。


でも辞表を書く勇気もないのだった。情けない。



久しぶりに恩師に電話した。 
いつもはすぐに掛かることは珍しく、大抵、女性の無機質なアナウンスが電源を切っていることを知らせるのだが。
切羽詰った私の思いを知っているかのように、すぐに呼び出し音が流れ、先生が出た。

『おう、久しぶりやな。どうしたんよ?』

深みのある声を聞いた途端、心の堤防が決壊しそうになる。
なんとか、震えそうになる声に喝を入れながら、自分の今の状況と、気持ちを掻い摘んで説明した。


大抵の人は「やりたいとか続けたいという気持ちだけで、能力がないのに仕事を続けるのはワガママだ」という私の思いに、『そんな事ないよー』とか何とか私を励ましてくれる。
それは嬉しいけれど、でも私は納得できないのだった。


そんな事なくはない、と。

その意見について、先生は肯定も否定もしなかった。ただ、言う事を『うん、うん』と聞いている。



『(辞める)決断をするかよぉ、周りに申し訳ないと思いながらお前が努力をし続けていくか、そのどちらかしかないと思うんやで』

『最後に決めるんはお前自身やけどな』


てっきり真っ向から『辞めるな』と言われるだろうと思っていたので、少し意外だった。


『でも今すぐにっちゅうわけやないやんか。まだあとひと月あるし、せめて年度末までは続けぇよ。せやないと子どもも「何や」ってなってしまうしなぁ』

ははいくら、切羽詰ってしんどくても先生、それくらいの責任感と覚悟は持ってるで、私・笑

「はい、それはもうもちろん。今の子らを無事に2年生にするまでは辞めませんよ」


『お前がよー、仕事ができんと周りに迷惑掛けて申し訳ないって気持ちが大きすぎて、自分を見失ってしまうんなら、今の仕事に固執することはないと僕は思うんよ。でも、辞めて後悔するなぁってちょっとでも思うんやったら、辞めへん方がええと思うわ。』

『この年齢になって思うんやけどねぇ、お前の父親か兄貴(は言いすぎちゃうか先生・・・笑)みたいな気持ちで言わしてもらうとねぇ、人生1回やで。後悔せんように生きんとよ。』


親戚は皆就職した時から『しがみついてでも辞めるな』と言う。もちろん私の生活を心配してくれているというのは痛いほどわかる。

でも、先生は「私が自分らしくいられるかどうか」という視点からアドバイスをくれたのが、嬉しかった。

いくらお金があっても心が健康じゃなかったら、意味ないし・・・。


『今年度乗り切れたら、大丈夫と思うけどなぁ』と先生は呟いた。



きっと、本気で辞めると思うなら、こんな風に誰かに相談などしないで、勝手にさっさと辞表を出すことだろう。
それなのに相談すると言う事は辞めたくなくてその為の言葉を求めているに過ぎない。


『家族とも一回、よう相談せえよ』

絶対できない。


出来たら先生に掛けたりしませんよ、と心の中で呟いた。
先生は事情を知らないから悪気はないが、少し寂しかった。


あぁ、普通は真っ先に家族に相談するんだろうな、と。


とりあえずはあとひと月。細い糸を縛りなおして、また頑張る。
それから先は、まだ今は考えたくない。
今だけで必死だから。


嗚呼、苦しい。。
 

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