Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
- 2025.07.21
[PR]
- 2011.01.27
追憶
- 2010.12.23
軽蔑
- 2010.12.13
Betray
- 2010.12.04
Merry Christmas??
- 2010.11.07
したたかであれ
- 2010.10.02
You Ain't Alone
- 2010.09.12
It makes me feel bitter...
- 2010.08.30
伸ばした手、受け止められた心
- 2010.08.27
『続』
- 2010.08.26
闘うのは自分にしかできない
追憶
自立心の塊なのは、あの家庭で育ったから。
社会人として給料をきっちり貰いながらも、当然のように実家暮らしを決め込む従兄弟(28)を情けないと思いつつ、どこかで羨ましいと思う気持ちもある。
小学生じゃないけれど、帰宅したらその日あったことを全部じゃなくていいから聞いて欲しい。
それが出来る、世の中の多くの家庭が羨ましい。うらやんでばかりいたって仕方ないけどね

私が何をどれほど喋ろうが、相槌は帰ってこない。
「なぁ、聞いてんの

『うん、聞いてるよ』
電話やねんから、聞いてるなら何か返事を返さないと聞いてるってことは伝わらないんだよ。
こんな至極当然のことも、彼女には教えてやらねばわからない。
相槌を打たねばならないとわかっても、今度はどんな相槌をどういうタイミングで打っていいのかがわからないらしく、めちゃくちゃ不自然なところで『うん』と返ってきたり、話の腰を折られたりする。
「でな~、これこれこんなことがあって・・・ もうほんま腹立たへん

『・・・うん』
「・・・・・・・。」
相槌を打つようにはなったけれど、相変わらず共感は出来ない。他人事には違いないが、それにしたって他人事すぎる態度。
わかっている。コミュニケーションをとるのが下手なだけ。共感する力が乏しいっていう症状なのだから仕方ない。
でも、わかっていても、やっぱり拒絶されているような、そんな気持ちになる。
25年経っても、いまだに慣れる事のできない、この虚しさ。
追憶が甦る。
何度あなたを呼んでも、あなたが私に背を向けていた日々が。
私の呼び声が所在無く漂い、その色はかなしみに満ちていた日々が。。
あなたが笑って、「なぁに?」と振り返るのは、私の空想の中でだけ。
『お母さんはどんくさいし、周りのおかあさんみたいに何でもちゃっちゃとできへんけどよぉ、堪忍したり、な』
私の思いは汲み取られること無く、常に理性的であることを求められる。否応無く。。
堪忍したりって、私はいつまで堪忍しなあかんの。
そう思ったことも忘れていたのに、また思い出した。
母の背中を思い出すのが、とてつもなく嫌だ。
昔はもっと冷たくて、威圧感があったのに。
今は別人のように小さくなって。
自分だけ勝手に弱くなりやがって。
ずるい。ずるすぎる。
あの頃のわたしのかなしみを一体誰が引き受けてくれるのか。
責任も負わずに、先に自分だけとっとと弱くなりやがって。
ずるい。
ずるいんだよ。
軽蔑
お気に入りのコーヒーマグに湯を注ぐ。甘い香りがたちまち部屋に漂う。
あ~幸せ

今は12月28日。本当は今日が仕事納めなのだけれど、休日出勤の振休を取って今日から一足早い年末年始休暇だ

久しぶりにPCをゆっくり覗いている気がする。ブログを書く時間もようやく確保できそうなので、徐々に徐々に記憶を辿りながら色々な事を綴りたいと思います。日付については、過去の日付でアップしますので悪しからず。
まずは12月23日のことから。



Betray
私の方としても、最近特に体が辛かったので色々話ができればと思って、指定された場所へと向かった。
日曜のオフィス街。平日の活気が嘘のように静まり返っている。
日曜の大学前通りと雰囲気がよく似ている。
休日だというのにブリーフケースを提げてやってきた友だち。しかし、服装はミニのワンピにブーティ。
アンバランスな持ち物と服装に違和感を覚えつつ、「仕事?」と聞くと、『会社に忘れ物を取りに行ってた』との答え。
約束の時間を少し過ぎ、指定の場所に先生は現れた。
休日なのになぜか、かっちりしたスーツ。
ここでも違和感を感じる。
普通、OTの仕事着と言えば、ジャージか白いパンツタイプの白衣。(よく男性看護師さんが着ているような)
それも職場についてから着替えるので、通勤は私服で来る人が多いのだ。
まぁ、でも転職活動中だと言うから、面接でも入っているのかも。とその時は大して気にも留めなかった。
会って15分ほどは前回同様、体の話に終始し、オペのときの助成金の話やら足にやさしい靴の話まで、私にとって有益な話ばかりだったのだが・・・。
それらが一通り終わってしまうと、話がアメリカの某会社の話に及んだ。
その会社は今までの利潤追求オンリーな会社ではなく、人にやさしい・地球にやさしいをモットーにしているのだとかで、数々のヘルスケアやヘアケア商品、サプリメントや栄養補助食品の類、スキンケア商品まで多岐に渡る商品展開をしているようだ。
今までに医者でも手の施しようがないと言われた末期がんが小さくなったとか、卵巣脳腫が治ったとか、自閉症の子の症状が改善したとか言う事例があるらしい。
OTの先生自身、アトピーがその会社の化粧品でキレイさっぱり治ったとか。
(新聞広告によくある、クロレラみたいやな)と言うのが第一印象。
『CPの弛緩型の子どもさんがね~これとこれを飲んでたら立位が保てるようになったってお母さんがすごい喜んでてー。絶対あなたにも良い効果が出ると思うねん』
弛緩型とは、私のタイプとは逆で筋肉に力が入らないタイプだ。だから軽い人はガニ股になり、重い人は座ることさえ出来ない。
支えなしで座ることができなかったその子が立てるようになったと言うのである。
すごいですね~

私の力になりたいって、これか?
確かにすごいものかもしれないが、何かが違う。
どんどん違和感は膨らむばかりだ。
『これだけ聞くと、すごく怪しい話に聞こえるでしょ。私も最初は疑ったしね。ネットワークビジネスって知ってる?』
要するにねずみ講だろ・・・と冷めた表情をしていると、その会社がねずみ講やマルチまがいとどう違うかと言う事を力説してくれる。頼んでもいないのに。
へぇーそうなんやぁ。ふーん!なんて関心を装いながら、私の第6感はますます警鐘を鳴らす。
今日の目的ってこの会社の商品を勧めることじゃない・・・私の力になりたいとか何とか言って、結局真の目的はそこなんじゃない。
ふん、笑わせるな。
用事があると、OTが先に帰った。
2人だけになっても彼女はその会社の話をやめようとしない。
その会社の話をするときの彼女は、頬は上気し、興奮しきっている。完全に陶酔してしまっているのだ。
彼女は今、正常な判断ができる状態ではない。
私がいくら、他の話題を振っても、またこの話に戻ってくる。
そして今から、その会社のスキンケア商品を使った講習会があるので、是非来て欲しいという。
その頃には私の中には疑いの二文字しかなかったので、別の人と会うので20分だけという条件で顔を出した。
そこでも懸念は疑念になる。
講師の若い女性が何か尤もらしいことを話しているが、ホワイトボードに書いている文字がことごとくデタラメ。
小学校中学年レベルの漢字も満足に書けない彼女を見ていて、私はと言えば、『けっ』という感じだった。
(この女、アホや)が率直な感想。
勉強が出来ないことにではなく、その程度の漢字も書けないで講師として平気で人前に立てる神経に「アホや」と感じずにいられなかったのだ。
こんな茶番に付き合ってられない。
私は寒々とした思いで、会場を後にした。
屈託なく隣でにこにこ笑っている友達を、軽蔑というフィルターを通してしか見ることができなくなっていた。
あんた、何年も私の友だちでいながら、私という人間のかけらもわかってないんだね。
私はこの足を治したいわけじゃないんだよ。戦友だと思うからうまく付き合っていきたいだけやねん。
でも、ひとりで闘うのは時にとてもしんどいからね、その気持ちを受け止めてくれる人が欲しかった。私が望んでるのはただそれだけ。 そういう人が1人だけなら、その人がしんどくなってしまうから、そういう人が多いほどありがたいなとは思うけど。
背中が痛いって、足がかたいって悩んでいるのを、どこまで本気でどうにかしようって思ってくれたのか知らないけど、相手を間違えたね。
良いカモになるかもって思ったんだろうけど、大間違いだよ。私はそんなに愚かじゃない。
考えても考えても、結論は1つだ。
それでも仲の良かった友だちが、そんなこと・・・と信じたくなくて、何人かに相談したけど、皆私の思いと同じ答えだった。
こういうことは初めてではない。
いかにも怪しい商品の勧誘やら、宗教の勧誘は多い。
でも、友だちから吹っかけられたのは初めてだ。
心が寒々としていくばかりだ。
いくらのマージンが入るのか知らないけど、あなたはそれと引き換えにすることもなく私の心を失ったんだよ。
法律に詳しい人に聞いたら、連絡も取らないほうが良いというので、使う意思はないことをはっきり告げた。
すると屈託なく、彼女は『今度2人で遊ぼうって前行ってたやん?あれ、今度の週末にしない?』と言ってきた。
「バカじゃないの」と言い返してやりたかったが、無理やり貸与された本を返す良い機会だと食事だけはOKした。
そこで本をきっぱり返して、思いも直接伝えてけじめをつけよう。
その期に及んでまで、その話をしようものなら、水をぶっかけて帰ってきたい。そんな心境だ。
腹立たしい反面、すごく、傷ついている。
何もわかってないやん、と。
Merry Christmas??
ちなみに彼氏いない歴そろそろ7年。好きな人いない歴そろそろ4ヶ月。
年収 同年代の女子と同じか若干多いくらい。
仕事?・・・全然ダメ。 すっとこどっこい。
社会人3年目といえば、そろそろ失敗を笑って誤魔化せない時期。そろそろ後輩にも頼られる時期・・・のはずだ。
それなのにあたしは、その3年目が3ヶ月先に待っていながら、いまだに失敗だらけだし、お局にはちくちくやられて、胃の底がねじ切られるような思いをするし(そもそもちくちくやられるような要素をあたしが持ち合わせているのも悪いのだけど・・・)
後輩には頼られるどころか頼ることもあるくらいだし、子どもにはナメられているとくる。
頭のてっぺんからつま先まで、『完璧』で出来ているような指導係に日々至らない点を思い知らされ、ポーカーフェイスで通しつつも、内心はだだヘコみだ。
ひとり暮らしには充分な30平米のアパートに、中古とは言え、お気に入りのクルマもある。
毎月の暮らしはカツカツだけれど、それでも雀の涙ほどの貯金をすることができ、これまた雀の涙ほどの仕送りを親に送ることができる。(不定期で

月給は高くはないが、ボーナスには恵まれていると思う。
そんな過不足のない暮らし。平凡だけれど、それだけで充分贅沢な暮らし。
だけど、あたしの心の真ん中はずっと何か叫んでいた。
叫んでるのは知っていた。
ただ、叫んでいるのを気づいたらいけなかった。
気づいたらあたしは。。
平凡だけれど、それだけで充分贅沢な暮らし・・・の代償はあたしにはちょいと荷が重いものらしかった。
炊きたての白いご飯を家で食べたのって、もうどのくらい前だっけ?
夜、お風呂に入ってから寝たのはいつだっけ?
思い出せない。
ご飯は休日にまとめ炊きして、1膳ずつ冷凍したものをチンするだけだし、帰宅したら倒れるように横になるのでお風呂は朝入る。
こころにもからだにもゆとりがない。
いい服を買ったって、それを着ていく場所もないし、見せたい人もいない。
自分が着飾って、それを喜んでくれる人もいやしない。
毎朝毎朝、前日の疲れが抜けきっていないのを自覚しながら目が覚め、日中は様々にあたしの心を刺していく出来事と遭遇しながら、ただ退勤の時間を待ちわびる。
周囲の人間関係を見るだけでも疲れる。
ここが特別なのか。それとも社会とは、組織とはこういうものなのか。たぶん、後者なんだろうな。
あたしがお人よしすぎるのかもしれないけれど、人の欠点や価値観の相違を排斥してしまう人間になりたくない。
自分の気持ちのやり場を誰かに求めるのはいいけれど、陰で他人に人のことを悪く言うのとは別問題だ。
色んな人間がいるのが当たり前の社会。
だけれども、そうごく自然に思えるのは実は一握りの人間だけなのだと知った。
心の真ん中がずっと叫んでる。
しんどい。疲れた。人の汚い面ばかり、これ以上見続けて流すのは。
真ん中が音を立てる。
寂しい、と。
心の芯はもうずいぶんと長い間冷えたままで、やんわりと包んでくれるあたたかい手を待っている。
最近、待っているだけではダメだ、とやっと認識したんだけれど。
あたし、この仕事向いてるのかな。
こんなにデキないまんまで、地位的に虐げられながら、年を取ってくんだろうか。
他の仕事の方が必要とされるんじゃないのかな。
やってていいのかな。。
このまま年を取るのが怖い。今のあたしのまんまで、おばさんになっていくのはイタすぎる。
あがいてるけど、あがき方を間違えてるのかな。
もうわかんない、何もかも。
でもこんなにボロボロになりそうでも確かなのは、あたしはこの仕事で生きたいし、この仕事で食べて生きたい、と言う事。
心は、叫び続ける。
いつまでかわからずに、先が見えずに。
あたしはあたし自身が情けなくて、つらいのだ。。。
したたかであれ
こんな時しか平日に予約が取れないからと、リハビリの予約を入れていた。
ところが数日前になって、その日に休日出勤をして遠足のしおりを印刷すると同僚が言った。
体の調子が良いときであれば、迷うことなく仕事を取っただろう。リハビリも即座にキャンセルした筈だ。
けれども、私もギリギリだった。
背中の痛みは、痛みの強さこそ日々違うが、付きまとい続けている。
尖足歩行もここのところ強く、靴をよく擦るし、室内を素足で歩けば摩擦で痛みが伴った。
さらに急激に寒くなったのも動きづらさに拍車をかけた。
本音を言えば、近ければ週に2回でも通いたいくらいだった。
私も遠足の運営に当たっていたから、担当者がその場にいなければいけないと言う事も重々解っていたし、同じ係に当たっている同僚に対して申し訳なさも、もちろんあった。
しかし、ここでリハビリに行かなければ私は今週持つかどうかわからない。
そりゃ勿論、どんな形でも良いならば『持つ』だろうが、そういうわけにも行かない。
非常に心苦しかったけれど、同じ担当の同僚にはどうしてもリハビリは行かねばならない旨を伝え、了承してもらって行ったのだった。
するとその翌日。ベテランに呼び出された。
たくさんの人が休日出勤をして、印刷をしたこと。
若手に役に立つことをベテランがたくさん教えたこと。
その場に自分がいなかったというのはすごく損であると言う事。
どんな用事を差し置いてでも来るべきであったということ。
などなどを言われた。
『あの子ら(新人)には次任せても、色々なことを聞いてるから任せられるわ。せやけど、聞いてないあんたはどやねん。次任されてもできへんやろ。用事があったんかも知らんけどな、あんたは今勉強しなあかん身やんか。休みの日やけどさ、来なあかんかったと思うで』
私だって、本当はこっちを優先したかったよ

心の内で出せない言葉が暴れて、私の胸を刺していく。
でも今の私は、リハビリに少しでも多く通わねば仕事をするだけの体さえ維持できない。
日々の仕事を何とか頑張るために、以前はサボる理由ばかり考えていたリハビリを1回も外さないようになったのだ。
私も必死なんやよ

仕事をするために、リハビリに行ってんねん。
私にとってはただの用事やない。体を守るための『用事』っていう言葉では片付けられんほど、大事なもんなんや。
余程言い返したかった。周りが考えるほど、軽い用事ではないと。
でも敵に回したところで、自分の居場所がどんどん狭まっていくのは目に見えているし、プライドの高い人だから、面と向かって言い返しなんかしたら10倍返しにくらいされそうだ。
どっちにしろ、得策じゃない。
言いたい言葉の数々を押さえ込み、謝罪だけを口にした。
悔しかった。
私だって、軽い気持ちで仕事を押し付けたんじゃない。苦渋の選択だったのだ。
毎日必死なことを、リハビリの重要性を判ってもらえないことが、辛かった。
黙って唇を噛むしかなかった私に気づいた同僚が近寄り、『何言われたん?』と問う。
「これの件でちょっと・・・」
言葉を濁さざるを得なかった。言葉にするのさえしんどかった。
『大丈夫。俺もこの間、自分の仕事もっとちゃんとやれって言われたから』
知っている。相手が私じゃなくても、足らずを見つけたら誰であろうとキツく言う人だと言う事は。
その人自身、『私、キツいで』と公言しているほどだし。
大事にしているものの順番が少し違うだけ。それだけのこと。
そうとわかっていても、未だに思い出したら、胃の底が焼けそうな気持ちになる。
『迷いや揺らぎはあったかもしれんけどやで、お前がそっちが大事やと思ってそうしたんやから、それでええやんか。自分の判断に自信を持て。 どこにでも色々言う人はいる。お前自身がもっとしたたかになって教員をしていくしかない』
恩師の言葉。
確かにそう。
どこの組織にも、10人いれば10人が自分の味方なんて、あれば理想だけど、ないのだ。
何か言われるたびにヘコんでいては、身が持たない。
私が今回、リハビリに行っていなければ、注意を受けることはなかったかもしれないがその代わりに仕事をするにはギリギリの状態になっているだろう。
誰が何と言おうが、リハビリはしなければいけないのだから、私が気にしていてはダメなのだ。
自分が少しでも長く、仕事ができるからだを維持するために。
自分を守るためだから、いちばん自分が外の色んな批評から、自分を守ってやらねばならない。誰かが守ってくれたら楽だけれど、いざと言うときは、自分がしなきゃ誰も自分を守ってなんてくれない。
私の味方もたくさんいるけれど、職場の私のことまで面倒が見られない。当たり前ながら。
でも、それができないのは自分に自信がなさ過ぎるからかな・・・。
それこそ、恩師の言うようにしたたかにならなければ。
誰のためでもなく、私のために。
散々迷ったが、担当のN先生に努めて明るく、今回のことを話した。
今や、N先生は単なるPTではなく、少し年の離れた姉のような感覚である。性格的に似ているところも他の友だちより多くあるので、話をしていても楽しい。
何より言葉の裏を読まなくてもいいし、「しんどい」とか「背中痛い」とか、素直に言えるのは本当にありがたい。
今のような関係になれたのも、夏休みの号泣電話事件がなければなかったことだから、本当にあのとき思い切ってよかったと思う。
具体的にアドバイスをくれなくても、聞いてくれるだけで、悔しかったということをわかってもらえるだけで少し楽になる。
「強靭な精神が欲しいぃーーーー・・・・」(←切実)
『だいじょーぶ。もうちょっとオバチャンになったら「ハイハイっ」って聞けるようになるんだから』笑
いや、でも少しは繊細さを残したオバチャンを目指してるんですが・・・(欲張り)笑
最近色んなことが重なって、ほんとに胃が痛む日々だ。
でも、今月は最終週まで先生に会えない。 あーあ。。
色んな人に遠慮しすぎるのもダメな癖なんだけれど、もっともっといっぱい誰かとしゃべりたい。
仕事の辛さについてじゃなくても、何かを話すだけで少しは気も晴れる。
今月、ちょいと買い物しすぎだけど、誰かゴハンに誘ってみようかな

Always be strong and tough...Thus. ・・・Thus だっけ、Thyだっけ。 古い表現の格、もうほとんど覚えてないゃ

You Ain't Alone
人生、どんなに悪いときでも、必ずどこかに救いはあるものだ・・・
そう、この頃実感している。
10月にしては珍しい、半袖でも汗ばむような陽気 お気に入りのアーノルドパーマーの花柄シャツに腕を通し、いつもの茶色いバッグを手にして出かける。
今週1週間は、ヘヴィな生指に文化祭と精神的にも肉体的にもハードな日々だった。尤も生指は、私に太刀打ち出来るものではなかったので、ベテランに頼りっきりだったが、それでも胃がキリキリと痛くなってくるような状況のややこしいヘヴィなものだった。
こんなときに2週間とあかず、リハビリがあるのは有難い
今週のリハビリ中の会話のネタは、なぜか・・『英語の話し方からわかる階級について』
いい大人になっても、送り仮名を間違えていたり、「ら抜き言葉」を多様している文章を見る機会があり、言葉の使い方で相手の教養がわかる・・・みたいな話をしているときのこと。
本当に言葉の選び方、使い方で、教養・知性は丸裸になる。ごまかしはきかない。
アホな話し方をする大人を見ていると、腹が立ってくると同時に呆れる。
私の知人には、そんな人はいないけれど(母親は除外)世の中見渡せば、ゴマンといる。いい大人でも言葉を知らない人が。
まぁ、私は文学部だったから、言葉に敏感なのかもしれないけれど。。
『英語って、喋り方で階級がわかるんでしょう?』
どこでそんなことを聞いてきたのか知らないが、N先生が言う。
そういえば、N先生は大学時代何を専攻してたんだろうか。言わないだけでまさか英語だったりして・・・。
特にイギリス英語はその傾向が強い。 下町色の濃い『クックニー』に始まり、一番上はBBC放送のアナウンサーも使用する話し方(名前なんだったか忘れたけど)だ。
クックニーで有名なのは、オードリーヘップバーン主演の『マイフェアレディ』 貧しい下町の少女のクックニー訛りを、言語学者のヒギンズ教授が超スパルタで矯正していく物語だ。
実はヒギンズ教授には、実在するモデルがいることをご存知だろうか。ファーストネームこそ違うが、ヒギンズという言語学者は存在するのだ。
久しぶりにDVD観ようかなw
こんな専門的な英語の話をしたのは随分久しぶりだった。やっぱり英語(学)の話をしているとテンション上がるw
夏休みの欝から少し回復しつつはあるものの、それでもまだ漢方を飲み忘れれば胃腸が空気だらけになる。何も食べていなくてもゲップが出そうになる有様である。
身体的にもすごくしんどいし、ただ普通に仕事をこなすだけでもしんどいのに、面倒な事は更に更に降ってくる。
人と人があんなにもたくさん触れ合う場所なのだから、トラブルがない方がおかしいけれど、それでも心身ともにすり減らしながら、文字通り身を削って仕事をしなければならない。
自分に感じるジレンマ。
痛感する能力の無さ。
加えて身体機能の衰え。
あ~ぁ、もう。
そんな中で、もうすっかりリハビリは『癒し』になってしまった。
少し前に読んだ『二次障害ハンドブック』の中に『訓練をサボって遊びたいけど、訓練に行かないと結局遊ぶのも苦痛な体になってしまうから行かなあかん』と幼少期を振り返った体験者がいた。
私が子どもの頃は、たとえ1回抜けてもそんなに走り回ったりするのに支障はなかったから、サボりたいばかりだったからまだ恵まれていたのかもしれない。
でもその状態にまさに今、なっている。
『訓練に行くのは面倒くさいけれど、行かないと仕事がしんどいから行く』
遊びが仕事に変わっただけで何ら変わりはない。
ただ、私にはもう1つ行く理由があるけれど―――。
『担当PTと話していると、なんかほっとするから行く』
多分こちらの方が大きい。
なかなか自分の思いを理解されず、苛立ちを募らせた日もあった。でもそれはまだ私と言う人間を向こうも判っていなかったからだと今思う。
彼女のクランケになって4年。 彼女は私の最も信頼できるPTのひとりになった。
彼女に発作的に電話して、号泣しながら話したあの日以来、彼女との心理的距離はぐっと縮まった気がする。
弱音も吐きやすくなった。
自分の中にある壁を壊すのは、怖い。 でも壊してかかる相手を間違えなければ、自分にとっていい結果になる。
つい先日も、集会で整列させるとき出席番号順が原則なのに、後ろの方で入れ替わっていた。
よくあることだ。隙を見せれば、仲の良い者同士でかたまりたがる。
他の教師なら、その間に割って入って並び直させるのは朝飯前だ。
が、人と人が密集する場所を割って歩きにくい私にはそれが出来ない。
周りがざわついているときに、大声を出して注意することは出来る。その時は従うが、しばらくするとまた替わっている。
集会が始まって辺りが静かになると、大声での注意はしにくい。かといって普通の声では後ろまで届かない。
入れ替わっている子を睨みつけて、ジェスチャーも交え、戻るように指示するのだが、なかなか言われないと利かない子もいる。
先日の集会でも、副担に『先生、何黙って見てるの。先生が行って注意しないと』
小さな声で、「行けないんです・・・」というしかない自分が悔しかった。今でも思い出すと、拳を握ってしまう。
遠まわしに『身の振り方を考えろ』的なことを言う人もいるにはいる。
平日は本当に闘い。自分との。周りとの。 仕事場=戦場。。
1人暮らしは、気楽に泣けるのはいいが、抱えるモノを吐き出す場がないのが欠点だ。
この日のすべてのメニューが終わってから、40分近くN先生と話をしていた。こんな事も今までなら出来なかった。
でも私も相変わらずヘタレだから、進んでいく時計の針を見ながら、他のPTたちがどんどん帰っていくのを見ながら、
(多分先生、これからカルテ書きだよな~・・・)とか、
(土曜やのに私のせいで帰るん遅なるやん)とか色々考えてまう
集会での悔しい出来事、自分の生き方がこれでいいのかどうか。。自分自身に迷う。
『もっと自分を長い目で見てあげてよ。だってまだ社会人になってたった1年半やで。そんなに何もかもこなせたら、それこそ年配の先生に嫉まれるよ・笑 ・・20代ってまだ、自分の本当の意味での限界もわかれへん時やし、年をとるに連れてわかって来ることもたくさんある。私もこの仕事を始めて10年以上経つけど、やっぱ最初のときとは違うもん。「(仕事が)うまくなった」って言うんともちょっと違うけど、なんていうのかな、考え方も変わってくる』
『我慢せんといっぱい泣いたらいいねん』
『ぎりぎりのところで、そうやって(弱音を)言えるのがめぐさんの強さやと思うよ。もう限界やと思っても、誰にも言えずに潰れていっちゃう人かて、きっといっぱいいてるんやろうし。特に今はコミュニケーション力がない人も多いって言うやんか。だから言いたいけど、どう言葉にしていいのかわからへん人もいるんやろうしね』
職場の人にはなかなか言えてないねんけどね・・・しかも『それがあんたの試練でもあると思うねん』って同僚に言われたし
『n先生の奥さん(地元PT)にはちょこちょこ喋ってるって聞いたけど・・・』
なんでそんな事知ってるんだと思って、あることを思い出す。地元PTの旦那さん(n先生)と癒し系Y先生=お友だち。
もしかしたら、相談事を持ちかける度に、地元PT→その旦那さん→Y先生→N先生という相関図が出来ていたりして・・・
今まで喋ったの全部バレてんのにょーーーーーーーーーーーーーーーーー
笑
でもその可能性、濃厚よな・・・ N先生に「重たいクランケ」だと思われるのが怖くて弱音を吐けなかったことも全部バレてんだろうか・・・・。。
よかったY先生にホレてる・・・とか、一度も口走らなくて
笑
全部筒抜けやんけ。。
でも、それならN先生に悪いことをしたかもな・・・。今は彼女のクランケでありながら、彼女に心を開くまでは地元PTにすべて言っていたわけだから。もし私がN先生だったなら、自分の無力さを痛感するに違いないし、いい気持ちではいられないだろう。
しかも、彼女にではなく地元PTに言ってるのを知らないならまだしも、聞かされてるんだもんな・・・・
一番気が合うのは、N先生だと言う事は事実だ。
地元PTは、信頼関係を築く・築かない以前の時期からお世話になっていたから「嫌われるかも・・・」なんて余計な気を回さなくて済むだけ。それにもう、地元に帰らない限りはお世話になることもないから、「放り出されるのでは・・・」なんて心配もいらない。
PTと話をするのが楽しみだと言うような先生はN先生が初めてなのだ。
だからこそ、身構えてしまった・・・。本当にごめんね、先生。
電話をしたあの日、N先生が『ありがとう』と言った真意が今になって理解できた。あれはきっと、普通の『ありがとう』ではないのだ。それ以上の意味がこもっていたはずだ。
先生は別のクランケの話を持ち出した。
『今感じてるほどのしんどさって、ずっと続くわけじゃなくて、また持ち直すと思うよ~。私が担当してる人も、郵便局でアルバイトしてはんねんけど、30を少し過ぎた頃かな~、ガタっと来てね。バイトやから、それなら勤務時間を減らしてもらえばって提案したんやけど、「そんな勝手を言えば、バイトやから辞めさせられる」って言って仕事してね。幸い訓練の日数は増やせるって言うから、増やしてどうにかしてたんやけど、最近落ち着いたよ少し』
『奥さんの話では、何があっても仕事だけは休まへんのですって言うてはったわ』
『だから、めぐさんもしんどさが落ち着いてくるときがあると思うねんけどね』
そして、話は巡り巡って、「私は生きてるんじゃなく、生かされてるんだと思う」説(笑)に・・・w
『その人もね、その人のお母さんが、初めの子どもに障がいがあったから次の子を産むのが怖かったらしくて、次に授かった子を堕ろしてはんねんね。それから何年かして下に2人程産んでるけど。でもその話を大人になってから聞いて、その人「生きられへんかったその子の分まで、僕は幸せにならなあかんのです」って言ってた』
そこでそう考えられるのがすごいわ 私がもし同じ立場なら、自分を責めるだけで終わってたと思うし。
『サボってるわけじゃなくて、背中が痛くなっても仕事してんだから、給料は当然のように貰ったらいいねん。・・・ってオバチャンになってくると、こうやって開き直って考えられるようになってくんねんてー(笑) めぐさんみたいな事言い出したら、それこそ大阪地検の人なんか、あんな事しておきながら、私らの何倍もの給料貰ってるわけやしね~笑』
また、タイムリーな話ゃな・笑
『言っても言っても、一生わからへん人はわからへんけど、判ってくれて応援してる人も絶対いてるからね。ひとりじゃないよ』
はっきりそう言われたわけじゃないけれど、何となく直感で、これは一般論じゃなく、先生からのメッセージな気がした。
涙が出るほど嬉しかった(何回でも思い出し泣き出来る・・)
今はっきり言って、自分を取り巻いている環境は苛酷だ。
自分で必要もないのに首を絞めている部分もあるにはあるけれど。
でもそんな時でも、最悪の、どん底の一歩手前にも、何かしら救いはあるものだ。
私はしんどいけれど、でも判ってくれる先生がそこにいる。 それだけで私の人生も捨てたものではない。
特にこの数ヶ月、私は自分の担当がN先生に当たった、偶然の産物が織り成す奇跡にただただ圧倒され、感謝をしている。
It makes me feel bitter...

文章の構成などを考えながらキーを叩く私にとって、1時間(もしくはそれ以上)の時間を掛けて書いたものが一瞬にして無になってしまうのは、何度経験してもテンションがだだ下がりだ

幸い、このブログのいいところは文章の一時保存機能がついているところ。アップしなくても、打った文章を保存しておけるのでイザというときにすごく便利だ。
こんな時間にキリン一番絞りのプルトップを開けてみる。グラスに注ぎ、飲み干す。
モノは同じはずなのに、居酒屋のビールはどうしてああもおいしいのだろう。
やっぱり泡のキメ細かさだろうか。
父親にあげた泡がよくなるビールグラスを奪取してこようか・笑
すっかり嗜好品のひとつになったコーヒー


今までビールを苦いと感じたことはなかった。それ故、同世代の友人たちの多くが『ビールは苦いから嫌い』と口にするのを聞くたび、不思議な気持ちになったものだ。
自宅では缶から直接飲むことが多いが、今日は思い立ってグラス

何気なく口に含んでみると、なるほど苦味はある。
そして思った。
コーヒーのような苦さとビールのような苦さ。どちらの苦味も人生には存在している、と。
どちらかと言えば、恋愛で生じる苦さはコーヒーの苦さに似ていて、仕事や社会的立場から生じる苦さはビールの苦さに似ている気がする。
あぁ、なんか小説が書きたくなってきた。コーヒーと酒にまつわる・・・

今、私はどちらの苦さを味わっているのだろう。
コーヒー・・・ではないな

身を焦がしつくしてしまうほど、誰かに溺れてみたくなる。・・・こんな夜は特に。
こんな気分になるのも、Trey Songzの歌のせいだ、たぶん。。
それにしても何故、Jupiter Loveというタイトルなんだろう。歌詞を見てもJupiterとリンクしてきそうにないけれど・・・
今日は長くなりそうだから、Treyの声でも聞きながら続きリンクへどうぞ

伸ばした手、受け止められた心
この夏休み、頚損で重度の後遺症を抱えた元中学校教諭の手記を読んだ。
その中に『「助けて」と言えば、助けてくれるんだということを知りました』と言うような1文があった。
今その本が近くにないので、正確な文章はわからないけれど・・・
それを今日、実感した・・・んです
明日の教材を作る(図工が苦手だと中学校教師はツラいよ・・・苦笑)のをしばし、休憩して、忘れないうちに書き留めておきたい。
数時間前、例によってCPの辛さをつらつらと吐露している日記を書いていて、ふと、どうしようもなくなった。
いよいよ、明日からの激務に耐えられる自信がなくて、不安で不安で仕方なくなった
キッカケは甦った副担の言葉。
『(生徒に)「元気ないなぁ」って言ってるけどね先生、やっぱりまずは先生自身が元気を出さないと、子どもたちもついて来ないと思うんです。私たちにもそりゃ色々あるし、私も学校へ来る道すがら車の中で大泣きしてきたこともあったけどね、やっぱり子どもの前でそれは出せないし。子どもたちには関係のないことだからね』
私だって、出来損ないとは言え、一応教師の端くれ。
そんな事は百も承知だし、しんどいながらも私も無理にテンションを上げてがんばっていたつもりだった。
でも、出来ていなかったらしい。彼女の水準が高いのかもしれないが。高いに越したことはない。
しかし今の私にはこれが精一杯だった。
そして、今以上を求められた。 出来ていないから当然かもしれない。
部下の至らぬ点を指摘するのは上司の当然の役目だから、彼女は正しいことをした。
でも、ぷつんと糸が切れた。
「はい、わかりました、頑張ります」と貼り付けた笑顔で答え、トイレへ直行した。
別に泣きたかったわけではない。ただ、そのまま彼女を見ているのが辛かった。
用を足すでもなく、ぼーっと座り込んでいた。泣く気力もその時なかった。
明日からもっともっと頑張らないと
認めてもらえるようにもっともっと頑張らないと

背中の痛みもずっとある。
胸の奥がずん、と重くなった。どうしていいかわかんないよ。。。
今回のことは体と心、両方が相関して起こっている。
副担からの期待と重圧だけなら、まだ大丈夫だった。
二次障害の悪化だけなら、まだ大丈夫だった。
両方同時に来たから堪えた。
職場に相談できる人がいれば、まだマシだったかもしれない。打ち明けようかと思った先生もいた。
しかし、打ち明けよう、聞いてもらおうと思ったその日、タイミング悪く、その先生は忌引き休暇を取った。
誰にも言えないのが、辛い状況に拍車を掛けた。
無責任だと思いながら、明日は休もうかとも考えた。(体がしんどいのは事実だし)
でも、無意識に子どもの顔が浮かぶのだ。
今までもそうだった。
死にたいと思ったときも、私が自殺などしたら子どもの心に傷が残るかもしれない、という思いがよぎった。
TVのニュースなんかでよくある『・・・教育委員会はSC(スクールカウンセラー)を派遣して、生徒たちの心のケアに全力であたるとしています』なんていうキャスターの声がリフレインする。
私は無能な教師だが、それでも担任が自殺などしたら、多感な時期の彼らにはショックが残るだろう。
子どもの心に私が傷を作ってどうするのだ・・・と思った。
もちろん死ぬのが怖いというのも大前提だが

辞めたいと思ったときも、慕ってくれていた子らの顔が浮かび、半ばで辞めたらあの子たちは『見捨てられた』と思うだろうか、という思いがよぎった。
休職したいと思ったときも・・・。。。
脳裏に無意識に、受け持ちの子らの顔が浮かぶのだ。
別の意味で辛かった。
大変でも、辛くても、こんなんじゃ行くしかないじゃないか、と。
無能でも役立たずでもろくでなしでも、やはり私は教師なのだ。
「会いたい」と思ってしまうのだ、生徒に。
こんな思いをするのは初めてだった。
でも「頑張らないと



にっちもさっちも行かなくなった。
発作的にデスクから離れ、ベッドの上のケータイに手が伸びる。
誰に掛けよう??
真っ先に浮かんだのが、担当のN先生。しかし躊躇った。
躊躇って、地元のP.T.に掛けた。
しかし今までと違うのは、担当のN先生に掛けたいと心の奥で尚も思っているということだった。
これもまた初めてのことで戸惑った。
結局、地元のP.T.は忙しいのか電話に出なかった。
結果的に、出ないでいてくれたことが今日は良い方へ転がった。
無機質な機械音を繰り返す電話を切って、再びN先生の番号を呼び出す。
液晶に映る見慣れた名前をしばし、眺める。。
このとき22時前。
小さいお子さんのいる先生にとっては、少々電話するには遅い時間かと思った。
でも今日の私は切羽詰っていた。
深呼吸を3回。
もうひとりの自分が、
(あのなぁ、男に『好きです』って電話するわけじゃないんだよ・・・

迷惑だと思われてもいい

これまた、自分の都合を最優先にした。これもなかなかあることでない。いつも人の顔色ばかり見るから。必要以上に。。
どりゃあぁぁぁぁぁ~~~



ピ。
プルルルル・・・
あぁ掛けちまった・・・後戻りできねぇ。。(だから告白するわけじゃないっつの

どこぞの怠けた企業の受付にも見習わせてやりたい、と思ったほど、N先生・・2コールで電話に出る・笑
ぎゃぽ。。。出ちゃったょ、先生。。。(出て欲しいくせに)
「すいません、夜遅くに・・・めぐさんです・・・」
どぅわーーーーーーーーーーーーーーーーー(喋りたいことの塊たち)
だぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーー(涙)
「すいません・・・・」(←泣きすぎて言葉が続かなくなった)
先生の前で泣いたのなんて、これまた初めてだ。。
やっぱりもう、糸は切れていて、限界だったらしい。
「辞めたろかって思ってねー、でも、どないして車のローン払おうかとかね、奨学金どないして返すんとか思うとね、今度は休職したろ思ったんですけどね・・・」
死にたいと思ったことは伏せた。
「でも辞めたろ思っても、休んだろ思っても、子どもの顔が浮かぶんですよー


やっぱり教師の原動力は子どもらだ・・・

自分が自分の生徒たちに愛情を持てているのかどうかわからなくて、不安になることもあった。でも自分が心底しんどいときも浮かんでくるのだ。
だからやめたくても辞められなくて、休みたくても休めなくて、でもそれは幸せな苦しみだ、きっと。体や心に棲む苦しみとはまったく異質な。
ちょっとホッとした

『辞めるのが悪いことではないけどねー、結論を急がないでほしいねん。まったく向いてないわーって思うんやったら早よ辞めたらええ思うけどね、めぐさん、子どもも教えるんも好きでしょう?話聞いててもそう思うし。子どもの顔浮かぶんやったらね、もうちょっと続けて欲しい』
『就職したら、学生のときよりも体に負荷がかかるから、結構1年過ぎたあたりでガタっと来る人が多いのよ。でもめぐさんはそれが今出てきているのかもしれない。抜くとこ抜けるようになってきたら、また変わってくるかもしれないしね。今のままの速度で悪くなり続けるとは私は思ってないんやけど・・・』
『もし1日休んで楽になるなら休むことも勇気やで


背中の痛みに関しては、



鎮痛剤って、医者にかかるってことか、と思っていると・・・
『ううん~普通の頭痛とか生理痛とかの痛み止めで効くで』
なななななんと



『私も仕事で背中痛めたときに飲んだら治った』
実証済み


なかなか職場で自分の辛さを吐き出せない状況を判ってもらえた。電話して本当によかった

で、びっくりしたのが、何かの拍子に、
『私今43やねんけどね~』
え゛

「43


『年齢、何回も言わないでよ・笑 高齢出産だったからねー』
「ぜんっぜん見えないです


じゃぁ、癒し系は何歳なのだろうという疑問が浮かぶ。先生よりは上な筈だから、40代後半から50代・・・。
最初の予想からだいぶ中年になってきた・・・

こりゃもう、2アウト満塁から3アウトだな・・・苦笑
そして、N先生は最後に、
『電話してくれてありがとう』
心がふっと軽くなった。憑き物が取れたなんていう感覚にも近いかも。
この瞬間の心の重さの変化を、適格な文章にできないのがもどかしい。
迷惑かも、迷惑かもってずっと思っていたのに、『ありがとう』って言ってくれた。
やっぱり、N先生最高

読んだ本の一節がまた甦った。
『「助けて」と言えば助けてくれるんだと・・・』
本当にそう。
勿論、世の中、伸ばした手を跳ね除ける人だっているだろう。
でも皆が皆、そういう人ばかりでない。「この人!」と思って伸ばせば、必ず握り返してくれる手はある。
先生は、きっといつだって受け止める用意は出来ていた。
でも私が伸ばさなかった。先生を信じ切れなくて。
頼るのがヘタなのも、バレてた

重たいクランケだからと見捨てる人じゃない。誰が見たって判ること。
でも私は私に自信がなくて、見捨てられるかもと思い込んだ。。
ごめんなさい、今まで信じきることができなくて。。
先生のような本当に良いP.T.を信じ切れなかったなんて私が馬鹿だ。。
電話を切ったら、また涙が溢れて溢れて止まらなかった。
しかし、それは電話を掛ける前の涙とはまったく別な涙だった。
しんどいけど、明日(もう数時間後

自分を本当に理解してくれる人がいるかいないか、たったひとりいるだけでも心の重さがまるで違う。
もう死にたいとは思わない。
きっと先生との付き合いは長くなる。
これからも宜しくお願いします

大泣きしたから、次に会うの照れくさいナ・・・笑
『続』
もう…頑張られへん、と心が叫んでいるのを無視して、私は今日もクルマのエンジンを掛け、職場へ向かった。
有給はまだ余裕を残して余っているが、さすがに2学期も差し迫った今日、しかも小学校と合同での研修がある日にしゃあしゃあと休むわけには行かない。
今日も、いつもと同じ時刻に目が覚めた。しかし、準備をする体に一向に力が入る気がしない。服を着替えるのも5分、10分。一旦座り込んでしまえば、そこからまた立ち上がるのに長い時間を要する。
いつもなら7:20には家を出られるのだが、そんなこんなでようやく私がクルマのキーを回したのは7:50だった。
夏休みだから、10分、20分くらいは誰も咎めないが、それでもいつもならこれくらいの時間に出ることがあれば、前の車を煽る勢いで道路を疾走している筈なのに、アクセルを引く手も、力があまり入らない。
本当は今日も休んでしまいたかったけれど、研修がある、と言うのと、副担任との打ち合わせを今日に延ばしてもらっているという諸々の事情から、動かない自分の体に気力を振り絞ってムチを打ち、職場へ向かった。
ふだん、清らかでエレガントな副担もさすがに2日連続「すいません休みます」となったら、にょっきにょき角が生えかねない・苦笑
階段をのぼるのも1段1段踏みしめるようにだし、「あ、先生やーおはよぅ」と声を掛けてくる生徒たちにも咄嗟に能面のような顔に貼り付けた笑顔しか出せなかった。
25日は元々休暇を取っていて、何日も前から映画を観にいく予定にしていたが、起き上がる気力が出ず、結局1日ほとんど飲まず食わずで寝ていた。トイレに起きる以外は寝てたかな
でも私の「死」への願望は、いつだってI WANNA die.であり、I SHALL die.ではないのだ。
詰まるところ、それは、その裏に『生きたい』と言う思いが強くそこにある証拠だ。
次に、私は死ねないと思い、でもとてつもなくしんどいので仕事を辞めたいと思った。これから先ずっとこの仕事を続けていったときの負担を考えるとめまいがしそうだった。
辞めた時、どうして暮らしていくかを考えた。私が生きていく道など非常に狭かった。
良い仕事に就いたと喜んだ親戚の顔が浮かぶ。
『ほんまにしっかりした娘さんをもって』と褒められたときの父の照れくさいような誇らしいような顔が浮かぶ。
辞職と言う決断が、どれだけ彼らをがっかりさせるかを想像するのは容易かった。
私と似た状況で、不登校になった生徒の顔が浮かぶ。私だから理解できることもあるかもしれない。まだ、あの子に顔さえ見せてもらえてないのに、辞めてしまったらダメだ。
お母さんが涙を流すほどの重圧を思う。私はいけなかった時、母親に行かないのを責められたのが辛かった。彼女が責めていなければ、私の学校復帰はもう少し早かったはず。
その子のお母さんの苛立ちの矛先が、その子に向かないように、お母さんの不安なんかを聞いて差し上げるのも私に出来る微々たることだ。
障がいを持つわが子の将来を心配するお母さんの話に耳を傾けるのだって、私に出来ることだ。
行きたくても行けない子の気持ちとか、障がい者を取り巻く環境とか、自分の周りにそういうことがあまりないものだから、判っているようで判っていない人も多い。
私が辞めたら、そういう人たちをも投げ出してしまうことになってしまう。
辞めるわけには行かない。でもこのまま2学期を続けていくのは、色々な面で酷だと思った。出来るものならたとえひと月でも休職したい・・・と本気で考えた。しかし、今の私に休職できるような理由があるわけもなく、万が一そこに病名がつくとするならば心因性のもので、心因性疾患で休む同僚に対し、周囲の目がいかに厳しいかは実際に見ていて思い知っている。
仮に休職できたとして、職場復帰したとき、そんな棘だらけの視線の中に平気でいる自信はない。
心因性疾患で休職する教員が増加する昨今だが、そういう同僚に対して、労わりはないに等しい。病んだら負け、みたいな風潮がまだある。
『死』から『辞』、そして『休』にハードルが下がった。詰まるところ、その次のハードルは『続』
続けること以外にない。
でも、本当に体が重くて言う事を利かない。辛いなぁ、しんどいなぁ。。
せめてこのダルさだけでも解消できれば・・・と、仕事の合間にネットで自宅と同じ市内の病院を片っ端から検索した。
2学期が始まるまでにどうにかしたいと、この土日で診てくれるところはないか、片っ端から電話を掛けた。
今日の明日で、しかも初診で診てくれるところはあまりない中、ようやく1件見つかった。
ネットの口コミでも『親身になってくれる』という声が多かった。
『続』
そのハードルを蹴飛ばしてしまわないように、私は今、助走を付ける。
闘うのは自分にしかできない
「CTくらい、ちゃっちゃと撮りに行けボケぇ

母からの電話を切った後、私は車の中で悪態をついた。溜まりに溜まった苛立ちを最後の「ボケぇ」に込めてやる。本人にぶつけてやればよかった、と思った。
帰省したときに、母の右腋の下にしこりがあり、更に血液検査の結果、腫瘍マーカーも基準値を超えており、腹部CTも撮れと言われていることを初めて知った。
少しばかりショックだった。しこりがあるとか、ガンかも知れない云々以前に、私に知らされていなかったことが。
まぁ、母の意図は判る。へなちょこな精神ながら、私に心配を掛けさせまいとしたのだろう。私はいいから、その気遣いをもう少し祖母に向けられないものかな・・・と思ってしまう。
しこりは切って病理検査に掛けるようにとDr.から言われているらしい。
私はそんなに信用がないのかしら


まぁそれはいいとして、元来医者嫌いの母は、このどちらの検査もなかなか受けに行こうとしないのだ。
親戚一同が集まったとき、皆異口同音に、『手遅れになってからでは遅いから、早く検査に行け』と言ったのだが、母は
『みんなおんなじ事言う~だいじょうぶよぉ~

プライドの高い人だから絶対に言わないが、要は怖いのである。
帰阪する当日、こうなりゃ無理やり・・・と車で連れて行こうと急かすと、幼子のように癇癪を起こし、ドアを勢いよく閉め、『自分で行くからいい

おいおい、もう62歳だろう・・・と呆れたが、どうにかこうにか宥めすかして、病院に連れて行ったはいいものの、結局検査は受けず、診察だけしてもらって帰ってきたようだ。
で、先ほどの電話で、「もう検査受けたんやろうね?」と訊くと、例によって、
『うふふふふふふ

彼女がそんな笑い方をするときはただ1つ。罰が悪いときだ。要領よく『行ったよ』なんて言う嘘はつけないのだ。
行ってないことを責め立て、さっさと行くようにと説教していると、
『でも・・・・(言い訳その1)』
『だって・・・・(言い訳その2)』
こんな調子なので、こちらが先に「もう知らん

なぜこんなにも検査に行かないことに腹立たしさを覚えるのか・・・と考えた。
私にとって彼女は、ストレスの元にこそなれ安らぎにはならない。自分にとって『百害あって一利なし』なのだ。
自分の中に母を心配する気持ちが眠っていたのだろうか。。。もちろん心配だが、そんな事だけではないような気がする。
悶々と考えていて、ようやく思い当たった。
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