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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

カテゴリー「Said to myself(*´∀`艸)゚*。 」の記事一覧

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運命の意味


ふと思い立って、貴方の名前の意味を漢和辞典で引いてみた。

漢和辞典なんて引くの、高校生以来だ。
紙辞書をめくる感覚も、久方ぶり。


知りたいけれど、知ってしまいたくないような。。

不思議な気持ちが、私の指がページをめくる間に心を支配する。



そして行き着いた。

『転じて、徳・技などをみがくこと。学問・修養・練習などによって立派にすること』




すっと心に落ちた。

あぁ、なんかぴったりだ、と思って。


醸し出される雰囲気や、オーラにとても合致していると思う。





将来、私が息子を持つようなことがあったら、この字もらいたいな


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共有

およそ2年近く前。

運転免許を取得し、就職が決まって「これでひとりで生きていけるーーー」と言った私に、担当P.T.はこう言った。




『そのうち「ひとりじゃ生きていけないっ」なんて言うのよぉ~』





その意味がようやく腑に落ちた。。





どんなに毎日が充実していようとも、楽しいときに「楽しい」と言い合えて、おいしいものを食べれば、「おいしい」と言え、つらいときには涙を流し・・・。


そのどの場面でも、それを分け合える相手がいなければ、人生はあまりに虚しい。


だから、人は共に生きる相手を探して彷徨うのだ、きっと。


だから、私も彷徨うのだ。今日も。。

ひとこと

『期待している』という言葉は、尊敬や信頼を置いている人から言われれば、この上ない励みになるが・・・

そうでない人から言われれば、それは重圧以外の何ものでもない。。

それをわかっていて、あなたはそれを口にしますか。

励ましたつもりでしょうか。

あなたのことはすごいと思う。でも知れば知るほど人間的な魅力が隠れていくのはなぜでしょう。

もはやもう私は、あなたを見えない壁の向こうに見ているのです。生きる方向が少し違う。同じ信念を持っていても。。

あなたは私を、何も知らず励ましたつもりでしょうか。

また一歩、追い込んだだけなのに。

あなたはそんなことさえ気づかずに、完璧な笑顔を見せるだけ。。

カウンセリング・マインド

久しぶりに大学時代の友人と再会した

私が引っ越してから、お互いの家をチャリで行き来できるようになったのがキッカケ



駅前に集合して、パスタでランチもち、移動手段はチャリ


友達と並んでチャリこいで遊びに行くなんて、高校生以来。大学時代は電車移動がほとんどやし。就職してからは電車か車だった。なんかすごい懐かしい。



彼女のちょこっと個性的なファッションは少し落ち着いたものの、それでも少しその面影を残していた。



パスタを注文し終えるなり、彼女が機関銃のように話し始める。

嗚呼・・・ひたすらに聞き役に徹せねばならないのはちっとも変わっていない。笑



困ったのはココからだった。

彼女は、彼女が出会った自分にとっての最悪な教師たちを順番に語り始めたのだった。
同じ職業をしている者にとっては、あんまり聞きたくない話ではある。


別に聞くことは構わないのだが・・・一番嫌なのは、相手の意図が見えないことである。


彼女が今更、そんな話をし始める意図がまるで読めない。しかも、その教師たちのことを私はまったく知らないのだ。
相手の考えや意図が読めない中でのコミュニケーションは、私が最も苦手なもののひとつだ。
だから、心の中がまるで見えない人との付き合いは疲れる。


ただ、過去の嫌な思いを聞いて欲しいだけなのか。
私にあんな教師にはなるな、と言いたいのか。


どちらか判断がつかない。しかも彼女はあまり話が得意ではないので、脈略なくつらつらと続く。
ひとつの話がいつ終わるのかもわからなければ、いきなり違う人の話が登場したりする。



男性が、女性の脈略ない話をうさんくさく思う気持ちが少しわかる気がした。
いつまで聞けばいいのかわからない会話はしんどい。


だが、彼女の話を聞くうちに、ある共通点がわかってきた。

彼女が信頼できなかった先生、と言うのは、底辺の子に合わせてばかりでいわゆる「よくできる子」には関心の度合いが薄かった教師のようなのだ。


問いかけをしてみた。


「そんなに勉強に必死になったのはさぁ、やっぱお母さんとかが勉強にうるさかったん?」


『うーん、そうでもなかった。・・・・どっちかって言うと、自分が自分を追い込んでたかな』


「そっか。なんでそんなに追い込んでしまったんやろなぁ」


自分で自分を追い込んだという事実に気が付いた・・・または再認識しただけでも意味のあることだ。



要は彼女は認めてもらいたいのだ。頑張った自分を。必死な自分を。
でも当時の教師たちは、そんな彼女の心のなかに気づいていなかった。

しかし、教師としては出来ない子のほうに目が行くのも極めて自然なこと。出来ない子の方が心配だし、気がかりな事も何かと多い。だからと言って「よくできる子」の苦悩をスルーしていいわけないけれど。


「そっかぁ。自分ひとりで頑張るんはキツかったやろなぁ。でも先生らの力を借りんと全部自分でやってきたのはめっちゃすごいやん。なかなかできることじゃないで。めっちゃえらいなと思うわ」


当時、彼女が掛けてほしかったであろう言葉を投げかける。


大学のときから思っていたが、彼女は私以上に肩肘張って生きるタイプの女の子だった。女であると言う事を極力その言動から消し去ろうとしていた。思うに『弱さ』を出したくないと思っていたのかもしれない。

1人称も『私』ではなく『俺』を使う。
服装のテイストは彼氏が出来てから少し変化したが、それまではパンツスタイルばかり。たまにスカートを履いても足元はゴツいブーツとかだった。

元々耳につく、甲高い声は、熱が入ってくると更に周囲の耳に付く。 

時折、少し空気読んでよ・・・と思うこともあるが、それも彼女なりの自己顕示欲の表れなのだろう。


彼女の話を聞いていると、充分に肯定された記憶が乏しいのだと感じる。


熱弁ふるう彼女をトーンダウンさせる方法は、ひたすら彼女を認めること以外にない。



彼女は自分自身に対しても、自分の言ったことに対しても、否定されることに非常に敏感だ。

逆説を聞いた瞬間、顔色が変わる。おそらく本人は無意識なのだろうけれど。



元々、臨床心理士を目指していた時期もあったほどなので、どんな人の話を聞くのも別段苦にはならないが、やはり知り合いとなると100%客観的には聞けない。
精神科医が自分の身内を診ることが出来ない・・・というのは何となく納得できる



私が一箇所、カチンときた台詞がある。


『めぐさんはさぁ、こう言っちゃ何だけど、「生きる教材」だと思うから、生徒に何か言われたくらいでヘコたれてたらあかんと思うよ』


おそらく、彼女なりの励ましのつもりなのだろう。
確かにその通りだと私も思っているし、励ましてくれようとする、その気持ちは嬉しい。


でも、あなたは私の受けた辛さのどこまでを知っていてそれを言っているの?と問わずにいられない。
私は彼女に直接そういう話をしたこともなければ、グチさえ直接言ったことがない。

彼女が知っていることと言えば、ミク●ィの日記のみなのだ。もちろん、そこには真実を100%記してはいない。


自分の発言にきちんと責任を持っている人の言葉なら、少々表現の仕方が歪でも、すんなり受け取れる。

でも彼女は格好の良い言葉を並べている自分が好きなだけではないのか。。言い方からそんなところが見え隠れするから、受け取った後、胸の中にざらざらとしたものが残る。


私の話を聞きもしないで、あんたに何が判るの。


ざらざらと一緒に、その言葉も呑みこんだ。




ひたすら聞き役と肯定に徹したGW最終日。
帰ると疲労しか残っていなかった



でもひとつだけ、言われて嬉しかったことがある。


『めぐさんに出会うまではさ、障がい持ってる人に対して偏見、正直持ってたけど、会って変わったもんな。あ、こんな子もいてるんやってさ。』


どんな偏見を持っていたのかは、どんな問いかけをしても頑なに言わなかったけれど。


『なんつーか、卑屈になってないやん。前向きやし』



私も、正直いつもいつも前向きなわけやないで、と舌を出したが、そういってもらえるなら、私にもまだ充分、存在価値があると思える。
私が出会う人、ひとりでも多く、そんな思い込みの壁を崩したい。


でもやっぱ、彼女と喋るのは疲れるというわけで寝ます・笑

パノプティコン

いつの間にか半月も放置していましたが、ちゃんと生きていますよーーー

引越し準備やら、引越しやら・・・その間ネットが使えなくなったりで・・・こんなにもこんなにも放りっぱなしに




さて、新居。

直感どおり、すごく落ち着く
1DKで2部屋合わせても前の部屋の半分ほどしかないけれど、それでももうちょい狭くてもいいかな・・・なんて思うほど。一人暮らしには置く家具にも寄るけれど、8畳くらいがちょうどいいんじゃないかなぁ。


だいぶ狭くなったとは言え、一人で住むには余裕の広さ。でも前までと違い、仕切りの引き戸をすべて開け放しておけば一続きの部屋にもなるので、自分の気配をそこここに残すことが出来、前みたいに自分の気配のない部屋がもうひとつ存在する・・・という落ち着かなさもなくなった。


それにやはり、校区から出たことが一番の落ち着きの原因なんじゃないかと思う。




校区を出てみて、ふと『パノプティコン』を思い出した。


昔の囚人監視システムのことだが、様々なメタファーとして今も時々使われている。


受刑者の房を円状に配置し、その真ん中に看守の見張り部屋を設け、どの部屋も見えるという状況にし、看守の見張り窓は受刑者から見えないように布で覆っておく。

実際にその部屋に看守がいなくても、受刑者からはその実情を知ることが出来ない。しかし、窓からは常に看守が見ているという観念があるので、無茶な行動は起こせない。
実際見ていなくても『見られている』と思わせる状況を作っておく・・・それがパノプティコンの本質。


校区に住むというのは、パノプティコンに似ている。

生徒や保護者がいつも見ているとは限らない。見たとしてもこちらのことは気にも留めていないかもしれない。しかし校区と言う場所柄、こちらはいつ見られているかわからないという気持ちに陥る。

結果、何をするにも「教師とはこうあるべき」という型に自分をはめて行動する結果になり、息が詰まる。



教師という仕事は好きだ。 でも、定期的に教師ということを抜きにしてただのひとりの人間に戻らなければ、この仕事を続けるのはとてもしんどい。
それをこの1年で思い知った。

パノプティコンから脱出した今、窮屈だった心が一気にほぐれているのを感じる。


引っ越してよかった。

If Only For One Night

彼を詩にしたい。


1編でも多く、彼に関する物事を詩にしてしまいたい。。




最近、そんな欲がむくむくと心の奥から湧いてくるのだが、かなしいかな・・私の想像力は最近枯渇寸前もいいところだ

尊敬する人を詩にしたいと思ったことはこれまでにもあるし、実際に良い言葉が生まれればかいた。

でも彼に関する詩は、たくさんかいたのだ。もう既に。
それでも書きつくせるだけ書き尽くしたいと思うのは、何故だろう。



はぁ


2月はこれでもか!と言うほど、癒し系の公休日と重なり、結局は1回も顔を合わさなかった。
少しがっかりする反面、ほっとしているのも事実だった。これで揺さぶられずに済む・・と。


先日、病院の自動ドアを抜けると、のっけから癒し系に遭遇。自分のクランケのものらしい大量のカルテ束を小脇に抱え、歩いているところだった。
私は例のごとく、軽く会釈だけして着替えをする部屋へと急ぐ。

よかった。今日はそんなに揺さぶられなかった。

その瞬間の本音。


いいの。
万に一つさえ可能性がなくても、
わたしはあなたの信念を
ふかくふかく心に突き立てて
それを柱にして静かに生きると決めたから。


尊敬しているんだということは、いつか伝えたい。
何度も何度も救われたっていうことも。
実はめっちゃ好きだったことがあったってのは永遠に秘密にしておこう。


なぜか私は、自分の尊敬する人物に、心を救われることがすごく多い。

高校時代の恩師。
大学時代のA教授。
そして癒し系。

そして、この日も。

担当の小学生の女の子を、叱り飛ばしていた。
彼の叱り方は、決して感情を荒げたものではない。
「諭す」に少し、熱のこもったような感じだ。
でも生半可に叱るのではないから、きっと力の要ることだろうと思う。愛情をこめて叱るのはしんどいことだから。


クランケのためならば、キツいことも平気で(かどうかは本人のみぞ知るだけど・・)言う。
そこに躊躇いは微塵もない。
どのクランケに対しても、一所懸命。全力でぶつかる。


そういう姿、やっぱかっこいいよ
めっちゃかっこいいよ



その夜、久々に会った親友を前に、ジンジャーエールの入ったグラス(運転手なので)をドンっと置き、

「ちょっともう~、先生、マジかっけぇ」(親友は事情を知っている)

『その頭の悪そうな形容やめようや』笑


感情がほとばしるとき、言葉の良し悪しなんて関係ないって。(適当な言い訳・笑)


男としてとかじゃなく、人間として惚れるって言ったほうが正解かもしれない。

本当にかっこいい生き方をする人だと思う。少なくとも仕事を通しては。



いちど、先生とじっくり語ってみたい。
己のCPについて。
先生の価値観について。

焼酎とかウィスキーとか交えつつ・・・いや、交えたらマジメに話ができないか

いやでも、いちど飲みに行きたいものだ。サシでじっくり語りたい。
その場で私はまた、良い意味で心を抉られるだろうと思う。

ま、そんな事はあるかないかわからないけれど。


癒し系を思い浮かべるとき、Luther Vandrossの『If Only For One Night』(You Tube)という曲が共に浮かぶ。

Let me hold you tight If only for one night
Let me keep you near To ease away the fear 君の恐怖をやわらげるために傍にいさせて
It would be so nice If only for one night  たとえ一晩だけでもそう出来たなら何と素敵だろう

I want tell a soul No one has to know
If you want to be totally discreet
I'll be at your side If only for one night
If only for one night

Your eyes say things I never hear from you
And my knees are shaking too
But I'm willing, willing to go through
I must be crazy Standing here this way
While I'm feeling no disgrace
For asking

Let me hold you tight If only for one night
Let me keep you near To ease away your fear
It would be so nice If only for one night
If only for one night

I tell you what I need (one night, one night)
One - what I needed one night (one night, one night)
Your love, your love, your love

I'm asking
Let me take you home to keep you safe and warm
Til the early dawn warms up to the sun
It would be so nice
If only for one night
If only for one night
If only for one night
If only for one night, one night
If only for one night

Luther Vandross - If Only for one night Music Lyrics

この歌詞自体はもっと物理的で、もっと精神的なものを指しているのだろうが、私の場合、彼の考えから発せられる言葉がまさにTo ease away my fear...なのである。



そんな私は先日、オペを早めるべきだとアドバイスを受けた。
ただ、つらつらと日々CPとうまく付き合うだけではいけない局面にきているのかもしれない。

関節の痛みは慢性化している。まだ生活に支障が出るレベルではないにしろ。
今までのようにはいかない、色々。


そうなれば尚更、私にはきっと、力が必要なのです。
何も特別なことはなくていい。
その仕事への情熱と、クランケを心底大事に思う気持ち。それだけで私は、頑張れるのです。


しずかに、しっかりと、ひそかに。
私は心の真ん中に、柱を突きたてて生きる。


貴方のような生き方を、私もいつかしてみたい。

こだま~支え続ける言葉~

『僕はねぇ、ゼミをしている中で、何が一番嬉しかったかって、めぐさんが教員採用試験に合格したときが一番嬉しかった』



この言葉を思い出すと、今でも溢れるものを堪えられない





先日のリハビリの帰り。擦り切れそうな心を庇うために、A駅で自宅とは反対方向行きの電車に乗り換えた。
私がキャンパスに向かうのは、大抵病んでいるときだ。



大学前通りを行き交う学生のほとんどは自分より年下になった。ついこの間まで自分も「20歳になった」と騒いでいたかと思ったら、そこからもう、大学生活と同じだけの年月が過ぎてしまっている。日々を重ねていくというのがたまに少し、恐ろしくなる。 時間が光よりも速いような気がして。

休日だから、周囲の学生たちとしている格好はさほど変わらない。
愛用のリーバイスにブーツ、ビジュー付きのチュニックにPコート、と言った具合。どこにでもありがちな服装。しかし、私の表情はもはや学生には見えないのだろうな、と思う。

学生たちの表情は、罪なほど無邪気だ。
目前に迫る社会に無限の可能性を持っている。私もかつてはそうだった。

しかし、一歩社会に出れば、無限だった可能性は有限であることを知るのにさほど時間は掛からない。
心理面でも、制度の上でも。


そんなことを考えているうちに、見慣れた正門が現れた。思わず深く息をする。

・・・あぁ、やっぱり落ち着く。


図書館横のベンチに腰をおろし、しばし冬枯れのキャンパスを眺める。大学はこの時期、もう春休みだからサークルがある学生や、家が近所の学生くらいで、あとは人の姿はまばらである。


大学院棟横の芝生を散歩し、坂の下に広がる工学部棟や、学食や購買部のある棟を眺める。
すべてがあの頃のままだ。
4年と言う歳月は短いが、その短い時間を過ごした場所は、私の心にもうすっかり、しっかりした根を張っていたのだ、と気づいた。


当初、キャンパス内を1周りして帰るつもりでいたが、ふと研究室棟の前を通りかかると、A先生の研究室の窓から明かりが漏れている。

いるのかもしれない。いるなら少し話をして帰りたいと思った。
メモリの一番初めに入っている番号を呼び出す。ほどなく懐かしい声が聞こえた。


大学にいるという先生に行っても良いかと尋ねると、快くOKしてくれた。

研究棟の懐かしい鉄の扉を開ける。
やけに音の響く階段も、懐かしい。


合研を暖めて、先生は待っていてくれた。

『風邪をひいたのかい?寒い日が続いてますからねぇ。もうすっかり先生の声だな』

『先生の声』というのがどんな声なのだか、私にはわからないが、私は自分で自分を教師だと、まだ思うことが出来ない。


最近、仕事に行くのが辛いこと、教師という仕事の限界を感じること・・・などを告げた。

『今年は、めぐさんという人間を知らしめるための1年ですよ。来年(度)からはきっとうまく行くはずです』

A先生の声が心に染み渡る。


今も時折思う。少しお金に苦労してでも院に進んだほうが幸せだったのではないか、と。
最近、勉強したくて、論文が書きたくてたまらない。その一方でどんどん私の英語力はほころんでいく。そのジレンマ。。。

きっと無いものねだりなのだろう。
仮に院へ進んでいたとして、お金に苦労していることは想像に難くない。そんな時、一足先に社会に出て、社会人として相応のリッチな生活をしている友達を見たら、不安と、自分も就職すればよかった、なんて考えが過ぎるのだろう。


でも、やっぱり大学院には進みたい。たとえ、その日が来るのが、中年のおばちゃんになったときだとしても。
学歴(それが高かれ低かれ)は自分を裏切らない。絶対。  記憶から学んだ一切が抜け落ちる日が来るとしても、学んだ証は、やったという事実は、誰にも消せやしないからだ。



私が教師でいていいのかわからない・・・という私にA先生が放った言葉がそれだった。

涙が出そうになるのを必死で堪えた。教採に受かったのを心底喜んでいる人間なんていないと思っていたからだ。



『僕が一番印象に残っている学生がめぐさんとHさんです。二人とも1回生の頃からずーっと僕の講義を一番前の席で受けてくれてたでしょう。』

『こういう言い方をすると「心外だ」と思われるかもしれないけど、めぐさんはずーっと特別な事情を抱えながらも一生懸命頑張ってきた。だから採用試験に受かったときは、やっとそのがんばりが報われたんだと、嬉しかったですよ』


赤の他人で、ここまで自分を見ていてくれる人が他にいるだろうか。

この先生との出会いがなければ私は、教師になるという夢半ばで挫折していたかもしれないのだ。


自分の実力よりはるかに上の大学に、どういうわけか入れたはいいが、周りとの学力の差にクサクサしていた。
授業にも無気力になっていた。英語が「好き」なだけじゃ、やっていく資格はないと思った。


そんな中、バイトの帰りに偶然A先生と出会ったとき、『いつもがんばっている姿を見て、知っていますから』と言ってくれたのだった。
その当時、真面目とは程遠い学業成績だっただけに恐縮したが、同時に(こんな私でも、頑張っているといってくれる人がいるのか)と衝撃ですらあった。自分を認めてくれる人がいるというのは大きい。

その日を境に、特別な事情無く講義をサボることはなくなり、勉強にも意欲的になった。
先生がこういう効果を意図して言ったのか、何気なく言った一言だったのかはわからないが、私は大いに救われたのである。

そして、卒業してからも、先生には救われっぱなしだ。



辞職願を書こうかと、半ば本気で考えるとき、脳内で先生の声がリフレインする。

『僕はねぇ、めぐさんが教員採用試験に合格したときが一番嬉しかった』
『僕はねぇ・・・・・・教員採用試験に合格したときが一番嬉しかった』

『・・・・・一番嬉しかった』


そう言ってくれる人をがっかりさせてはいけない。

その思いで、辞職願を書けと迫る悪魔な自分を振り払う。この言葉はこれから先もきっと、教師の私を救うだろう。


私は本当にいい恩師に出逢った。


先生の白内障の手術、うまく行きますように。

あまの寂

不意に自分がこの世に独りだと感じるときがある。
無論、そんな事は一時たりともありえないのだが。。



休みが終わる、その夜になるとわけもなく泣ける。
明日からまた闘えるのかを憂いて。。



職場のことを考えると、逃げ出したくなる。
別に仕事が嫌なわけではない。
周りも総括すれば良い人に恵まれていると思う。



でも。
自分の身をそこに置くと息苦しくてたまらないのだ。


酸素のない場所に放り込まれたみたいに。
脳みそに酸素は供給できても、心にはできない。。
そんな場所。。。



管理職と話した内容が1日と経たぬうちに同じ部署の人間に筒抜けになっていたり。
失敗談を飲み会の話のネタにされたり。
元気なときにはいずれも取るに足らないことだが、精神的に打撃を受けている今は些細なことと流してしまえない。


誰を信用し、モノを言えばいいのかわからなくなってくる。



『自分をもっと出せ』と言いながら、ほんとの私は『おもろない』と一喝。



元々私はそんなに面白い人間ではないのだ。

『自分を出せ』と言いながら、彼らはつくりあげた私を期待するではないか。矛盾している。。

結局誰もが自分の型にはまる人間でなければ好きにならないのだ。



人の心に泥のついた靴で土足で上がりこんでくるような、そんなデリカシーのなさ。
腹が立つ。
失望する。



やっぱり私はひとりなのだ、と思う。



ほんとうの心を判ってもらえる人はかんたんにはいない。



いきなり喋れと無茶ぶりされて、ネタに困っているとダメ出し

だいたい、出勤して仕事をして帰ればご飯を食べて寝るだけ。
休日はリハビリと休息と、時々スタバで息抜きで終わるのだ。

そんな毎日のどこに面白い話があるというのか。
そんな毎日のどこに変化があるというのか。

話になるような日常を送ってはいない。




子どもと相対することのしんどさに加え、大人と相対するのも疲れるんじゃ、職場はストレスの塊だ。
しばらくは誘われても理由をつけて飲み会は断ろう。



そして、そんな状況を吐き出せるのもここだけ、というのも皮肉な現状である。



とてつもなく寂しい。毎日が。
孤独を意識しない日はない、と思う。特に就職してからは尚更である。



このままいつまで持つのかわからない。ちゃんとした私が。
このままではいつか、潰れてしまう。
このままではいつか、崩れてしまう。


でも潰れられない、崩れられない。


崩れ落ちたところで、誰も「辛かったのね」なんて私の気持ちに共感してくれる人はいないから。
結局「気の毒だけど、負けてしまったんやな・・」そして淡々と忘れていく。



カウンセリングを受けに行きたいと、最近切に思う。
このままではいつか、欝になってしまう。


9年前の二の舞は踏みたくない。


あの時も常に「寂しい」と感じ、ワケもなく涙が出ることから始まった。
耳鳴り、胸痛、頭痛・・・だんだん症状が増え、無気力になった。学校に行く気力さえなくした。


もう、胸痛が復活している。まずい。


自分は誰にも必要とされていない気がするのだって、あの時と同じ。



ひとりきりでがんばることに疲れた。
寄りかかる支えが欲しい。
じゃなきゃ、倒れる、いつか。。。


だれか、助けて。

動揺 3 ~どうしようもなく揺れる心は~

うさぎ病(前ログ参照)はひどさを増すばかり。 こんなときは美しい音楽に浸るに限るというわけで、1枚のアルバムに浸っている。。

i Tunesの中に取り込んだまま、しばらく存在さえ忘れていた1枚だった。

112「Hot & Wet」

その中の「Slip Away」


イントロからピアノの旋律にメンバーの声が映える

涙を、その旋律のせいにして私は少し落ち着きを取り戻す。




でも、
だれかに
となりに
いてほしい。。。


「動揺」続編。


私は担当のP.T.に自分が知りえる限りの事実を話した。

未熟児だったことから、そこでの病院の対応、今までの経緯。。
オペの話を未だに両親にはしていないことをP.T.は不思議がっているようだった。

『そういえば、夜間装具を購入するかしないかの話になったときも親に言わないで自分で買うから就職するまで待ってって言ってはったよねぇ?話せないのはやっぱりお母さんが否定的やから?』


「それもありますけど・・・弱い人なんですよ、すごく。元々医者嫌いってのもあるし。心の成長が途中で止まってしまったような人やから。重い現実は受け止められへんのです。目の前に確かに見せ付けられても、いやいやをするような感じで、絶対認められないと思います。お父さんには心配これ以上掛けられないし、だから自分の事は自分でやるしかないんですよ。まぁ・・・否が応でも、3ヶ月以上入院しなあかんってなったらバレるんですけどね」


P.T.とはかなり打ち解けてきているので「父」や「母」のように改まった言い方をすることもあるが、「お父さん」「お母さん」という言い方をすることも増えた。さすがに家で言っている「親父っち」「おかん」という言い方はしないけれど・笑

3日に1度は用がなくても掛けてくるから・・・の一言は飲み込んだ。
それはただのグチだ。

『お父さんは(障がいを)肯定的に受け止めてはんのよね?』

「少なくとも私の前では。でもやっぱり当時の対応とか腑に落ちひんと思ってしこりを残しているとこはあると思う」


しかし、私の前では肯定的にいてくれたから、私は卑屈にならずに生きてこれたのだ。

「本人は私の知らんとこで苦悩してるんかもしれませんけどね、案外子どもの側は脳天気なんですよね。別に自分の持って生きてかなあかんものに対して何らマイナスの感情を持ってない。後天性のものなら嘆いたりもするやろうけど、物心ついたときから、これが自分やしねぇ。(一応私の場合も後天性ではあるのだけど)」

「こう言うと、意外に思う人が多いんですけどね、私別に治ってほしいとは思ってないんです。これも含めて自分やから、なんかアイデンティティの一部ってかそんな感じで。たとえば誰か、どんな願いでも叶えられる人に何かをお願いするとか、とてつもなく神の手を持つ医者がおったとしても『治して』とは言わへん・・かなぁ。なくなったら自分じゃないから。今以上に悪くならなければいい。欲を張るなら、一番状態がよかった6年生の頃のコンディションに戻れたらいいかなw」


『よくそこまで、受け容れられてるよねぇ』


そうかなぁ。癒し系P.T.の大学生クランケ(最近顔を合わせれば喋っている)もだいたい同じ事考えてんじゃないかなぁ。

ふと、私の頭の前方にいる癒し系P.T.に意識を集中した。
今の話、聞こえてたかな。別に聞こえてたら何ってもんでもないけれど。
自分の考えをちょっと知ってもらいたい・・・なんて願望もある。あわよくば共感してほしかったり。。

癒し系P.T.の治療のスタンスがどういうものか私にはまだよくわからないから何とも言えないけれど、もし、

<治せないけれど、出来るだけ完治に近い状態に持っていく>ところにあるのだとすれば、私はそんな思いをバッサリ斬り捨てるクランケなことだろう。
だって、「治らなくてもいい」って言い切ってるんだもんな・・・

私の発言が彼の士気を下げるものでない事を祈るばかり。


そして今週末。 そのP.T.は公休日だった。
もう切り離している筈なのに、落胆したのをはっきり自覚した。

呆れて自分に苦笑する。
その仕事への情熱を、クランケとして静かに心の支えにし、生きる。
そう強く思った筈なのに、自覚した感情は「落胆」ともうひとつ。




寂しさ。。

さて、これは尊敬の範疇におさまってくれるものでしょうか。

我ながらわからない。
そして厄介。               「動揺」  完。

うさぎ病

「動揺」の第3弾も忘れないうちに書きたいところだが・・・。。




先々週くらいから精神的に非常に不安定な日々が続いている。

きっかけはクラスで発生したカツアゲ事件。所謂「恐喝」というやつである。
もちろん、金品を脅し取ろうという者が悪いことは悪いのだが、加害生徒の父親に私の学級経営の不備を指摘され、それ以来、給食や掃除には学年主任を始め、手の空いている先生方がサポートに回ってくれはることになった。


もう、私の言う事になど耳を貸さなくなった子がほとんどの今の状況下で、私1人でクラスをまとめることは、非常に悔しいが、困難であるといわざるを得ない。

そんな状況下で、サポートに回ってくれることは非常にありがたい他の学校なんかだと、文句を言うだけ言って、手は貸してくれない・・・そんなのが常なところもあるようだから、本当にありがたいのだが・・・


他の先生だと180度態度を変え、素直に言う事を利く子どもたちを見ていると、
(どっちが担任なんだかわからないなぁ・・・)
という思いに駆られる。


名ばかり担任で、私は居ても居なくても一緒なんじゃないか。

子どもや学校の役に立ってるんだろうか。給料に見合うだけの仕事はできているのか。。

むしろ居ないほうが学校は、学年はスムーズに回っていくんじゃないんだろうか。




私が存在する意味があるのか。・・・ないではないか。。


そんな考えが堂々巡りするばかりで、先週は泣いてばかりいた。

家ではもちろんのこと、一旦考えが過ぎると、涙腺がゆるんでしまう。人前では泣かないものの、空き時間にはトイレに篭り、放課後の教室ではカーテンを閉め切り、「人前では泣かない」というのはかろうじてクリアしていたものの、「学校(職場)で泣かない」というのは無理だった。


自分の存在意義を自分ではどうにもこうにも見出せないのだった。

「仕事のできない自分」=「要らない自分」


この2つは必ずしもイコールではないと、頭ではわかっていても、理性は解ろうとはしないのだった、決して。


誰かに必要とされていることを、身を以って実感したかったのかもしれない。
先週の私は少しおかしかった。


5年余り連絡を取っていなかった元彼にメールをした。
ミッキーさんにも3ヶ月ぶりに連絡を取った。


別に隙在らばヨリを戻そうとか、恋の伸展を期待するとか、そんな企みがあったわけではない。
単に誰かとコミュニケーションが取りたかった。
寂しかったのだ。とてつもなく。


元彼とはいまさら元には戻れないと私自身はっきりわかっているし、未練もない。
ミッキーさんとは仮に、万一そんな展開になったところで長続きしないだろう事を本能が知っている。
彼への想いを断ち切ったのだって、それを本能が悟ったからだ。絶対的に分かり合えない部分が私と彼の中にはある。


二人とも人当たりのいい人なので、突然の連絡にも関わらず、快く返事を返してくれる。
元彼はアドレスが変わっている可能性もあったが、そんな心配をよそにすぐ返事が返ってきた。


突如送られてきたメール。それにも気分を害した風でなく、「嬉しい」の文字。

そういう些細な一言。大事だとわかってはいても言えないものだ。関係が近いときには。
私と彼は案外似たもの同士なのかもしれない。
私も素直に自分が今感じることとか、近況を伝えることができた。

肩に力を入れず、自分の思ったことを伝えられるっていい。

高校生だったあの頃、相手に嫌われたくない一心で一言一言を選んでいた頃は、きっと本当の恋愛ではなかったのだろう・・・と今になって思う。
お互い大人になったということでもあるのだろうが。



それぞれが頑張っている。それがわかって少し元気が貰えたが、私の中の「うさぎ病」は今も心を覆っている。

途方もない孤独。それに潰されそうになっている。


文字では足りない。声は届かない。。


職場で必要とされていないような無力感、非力感。教師って何なんだろう??

家に帰ってもそこはただ束の間の体を休める場所でしかなく、心まで伸ばしきって休めることはできない。

母は自分の型にはまる人格の子どもでなければ受け容れない。
父にはこれ以上心配は掛けられない。。


私の内なるこの寂しさに気づく者はいないのだ、たぶん。


最近、友だちが3人立て続けに結婚したこともあり、母は言う。

「障害者はさっさと若いうちに結婚しとかなきゃ」


裏を読むわけではないけれど、拭いようのない欠点がそこにあって、若さくらいしか武器にならないと言われているようで心が荒む。


私を本当に理解してくれる人はどこにいるんだろう。
母親でさえこんな事を口走るほど、節穴なのだ。



私の居場所はいったいどこにあるんだろう。

生きていていいんだろうか。


死にたくもないけれど、私が私としている価値もあるのか、怪しいものだ。

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