Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
- 2025.07.22
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- 2010.01.12
動揺 2 ~心に吹く風~
- 2009.08.31
この街~渋谷の若者に重ねた心情
- 2009.08.26
泣けない仔
- 2009.08.07
DEEP BLUE in my mind
- 2009.07.17
4行の近況
- 2009.07.05
最上の一瞬
- 2009.06.22
Sシック
- 2009.06.14
Greatest Teacher O
- 2009.05.06
Is there no hope?
- 2009.02.12
余
動揺 2 ~心に吹く風~
冬休み中、予想外の泊りがけの出張が決まってしまい、しかもその日が担当P.T.の貴重な出勤日とバッティング
最低月に2回は確保したいので、年明け・・まだ学校が本格始動する前に1日休暇を取りリハビリを入れてもらった。
まだ通い始めたばかりの頃は『2週間に1度で充分』と思っていたのだが、月日が経つに連れ、毎週通うようになり、大学生活の晩年は可能であれば週に2度行くこともあった。
今も可能であれば毎週通いたいし、週に2回行けるものなら行きたい。
が、平日に休めない仕事を選んでしまったし、その仕事も到底定時で上がれるものでもない。
P.T.の公休日も大切にして欲しい。特に母親に甘えたい盛りの子を持つ担当P.T,なら尚更。
それに働き始めて休日の有難みを嫌というほど私自身思い知らされている。
そんなわけでもどかしいけれど、月に2回。この2回を逃すとスケジュール的に代わりは難しい。最近はリハビリに行く日の前の体調管理にまで気を配るようになった。
良い事だけれど、それだけ私がリハビリを必要としている状況になってきた・・・ということでもある。
そしてやっぱり、癒し系P.T.の顔が見たいというのも事実なのだった。
DVDを観る私の目線と癒し系P.T.の目線が似ていることに気がついてから、彼を求めてはいけないのだという思いも尚一層強くなってはいる。
しかし厄介なことにまだ消えてはくれない。
その日も、絶対心をざわつかせてはならないと自分の心に強く言い聞かせたし、絶対そうなるもんか、という思いもあった。しかしその一方で心の奥にあったのは、『今日は平日だからどのP.T.も出勤している』ということだった。
すなわち、癒し系もいるということだ。
もう既にその時点で、心はざわついているじゃないか。
莫迦野郎。。
ざわついたものを完璧に鎮められぬまま、病院の戸をくぐった。
着替えを済ませ、部屋へと向かう。戸を開けようとしたその時、ドア近くにある電話のところへ人がやってくる気配がして、次の瞬間、聞いていたのは聞き覚えのある優しい声だった。
さわさわ、と心を撫でていく落ち着かない風。
戸を引こうとしていた手を一瞬止めた。
私はもう、声にまで揺さぶられてしまうのか。
情けなかった、そんな自分が。決めたんじゃないか。自分で。決して揺さぶられまいと・・・
引き戸を握る手にもう一度力を込めた。そのまま思い切って引く。
反射的に癒し系が私を見た。電話で会話をしながら目線をこちらに投げている。
揺さぶられたことを悟られぬよう、また、浮ついた目線にならぬよう意識して毅然とした表情を作ろうと思いすぎたのか上目に睨むような顔になってしまい、それを誤魔化そうと何か言おうとするのだが、何しろ相手は電話中。挨拶すら躊躇った。
結局中途半端に頭を下げただけで終わった。そんな自分を「道化だ」と思った。
その日はわざと癒し系から遠く離れた場所を陣取った。
そうでもしなければ、自分の気持ちに打ち勝てそうになかったからだ。
でも、今日担当のP.T.に告げることを彼にも聞いて欲しい・・・そんな思いは依然として残っていた。。
やがて、それぞれ前のクランケの時間が終わり、私の意図は無駄だったことを知る。
癒し系P.T.の次のクランケが、私の隣で待っていたのだった。当然、彼は待っているクランケの元へやってくる。
(次の患者の待ち位置まで考えてなかった・・・)←アホ
私の数インチ先に彼の気配がする。また落ち着かない風が心を撫でた。
もう、何よ。こんなオッサンにどうして・・・
担当の先生と顔を合わせ、定番の年始の挨拶に始まり、車のヘコみを直すのにボーナスが半分飛んで行ったとか、自宅で教室の雑巾を洗ったら洗濯層が黒くなって、元に戻すのに苦労した(笑)とか、そういう他愛無い話をデカい声で話し、いよいよ本題へ。
自ずと声のトーンが下がる。自分も単純なものだ。
「この間、自分の授業を録画したものを見たんですよ。自分が鏡で見る姿と違ってびっくりしました」
『そうー。どう違う?』
「K先生(いつかの怪力師匠)が言ってはったみたいに、ここが足と一緒に出てますね。普通はそうじゃないでしょー。」
「あ、私こんなんなんや。って思って」
『うん、そうよ』
癒し系P.T.が何度目かの私の琴線を震わせたあの日以来、彼女は私に対して奥歯にモノが挟まったような物言いを一切しなくなった。
でも、この日の短いこの一言は、わざと断言しているように聞こえるように言った、そんな言い方だった。
私が伝えたかったのは、自分の歩く姿を実況するようなことではない。
本当に吐き出したかったのは・・・
「自分で思うよりダサかったからちょっとショックでー」
担当のP.T.は『はは』と変な笑いを浮かべた。どういう反応をしていいかわからない、そんな笑顔だった。
かつて塾の講師をしていた頃、受験用の問題集に『日本人はどうしていいかわからないときにしばしば微笑む』という英文が載っていたのを思い出した。
言えなかった、そうとしか。
本当は、本当は・・・
自分で思っているのより、随分と違っていて、自分は障害者みたいだ、と思って落胆した。
そんな姿で歩いていると、にわかに認めたくないと感じたし、今もあれが嘘であってほしいと思う。
観た映像を自分だと思いたくないのだった。もちろん心の奥ではそれは紛れもなく自分だと判ってもいる。
そういう微妙な心理を曝け出したかった。
今の自分の姿を見てショックだったし、女として嫌だなと一度でも思ったのだ。
それを『ダサくて』と軽い言葉で置き換えた。わざと。
もしかしたら、その変な微笑みはそういう軽い言葉を莫迦だと思ったのかもしれない。
でも、きっと私の抱える心理を曝け出せば、目の前にいる彼女は困ってしまう。そう言葉に出すより先に思っていたのだった。
癒し系P.T.にこのとき私は背を向けて話していた。だから、彼が聞いているのかいないのか、その表情を見ることはできなかった。
でも、私のこの言葉の本当の意味に気づかなければきっと彼は私を戒めるだろう。
そんな事を言ったら、(同じ障がいを持つ)他の人に失礼だ。と。
どこでどう話が転がったのか、担当が『めぐさんは何故脳性麻痺になったの?』と訊いてきた。
3年の付き合いがありながら、まだそこを話していなかったのか・・・と少し意外だった。
そういえばカルテの初めのページにも、今の病院を受診する経緯しか書かれていない。
私は話し始めた。 長くなりそうなので次回へ続く。
私の他人に言えぬ心だけをつらつら書いているだけの最近なのに、なぜか閲覧者は増えています。
面白みのないブログやけど、読んでくれる人がいるのはありがたい
明日からまた怒涛のお仕事DAYなので次の更新をすぐできるかはわからないけれど、なるべく早く書きます。
この街~渋谷の若者に重ねた心情
ところが・・・新居はどうやら自分にとってそういう場所ではないようだ。 ドド田舎な実家から学生時代に来阪したときも、壁の薄い学生向きの鉄骨モルタルアパートで、夜中でも隣や周りの音が聞こえすぎ、思わず親に
「引っ越したい」と言ったことはあったけれど。。
2週間もすれば、ホームシックに掛かっている子も多い中、早々と一人暮らしに慣れ、すっかりその一室は自分の住処となった

今回は2週間や数ヶ月どころではなくて、もうすぐ半年が経とうとしているのに、慣れるどころかますますホームシックはひどくなっている。地元にではなく、学生時代過ごした街に対して。。
しんどいとき、よくぼーちゃんに独りごちていたりするのだが、4月から「S市に帰りたい」と呟く回数はもう数え切れない。
自分の家が落ち着かなくて、自分の家に帰る状況になるとその落ち着きのなさを思い返し、そんな中でずっといるのかと思ったら、自然と涙が出る。これには焦った。
仕事を終えて家路に着くとき。
晩御飯のおかずを買って、家路に着くとき。
どちらも今までなら、ほっと一息付く瞬間。
でも今は・・・・・。。
自分の半身をどこかに置いてきてしまったかのような喪失感。
自転車のスタンドを跳ね上げる度、イグニッションキーを回す度、突き上げてくる焦燥で叫びたくなる。
「私の帰りたい場所はここじゃないんだよ」と。
意識とは無関係に涙が出る。
帰りたい場所に帰れないが故の涙なのか、いつまでもココを自分のモノに出来ない情けなさゆえの涙なのか。
自分にもわからない。ただ、心が隅々までほぐれるような感覚を味わえないこの街。。
今日は休日ではあるが、しなければいけない仕事を抱えていたため、職場へ。要勤務日ではないので、車で出かけた。自分の仕事をささっとしたが、打ち合わせ&相談をしたい先生は16時まで職場にいると言ったにも関わらず、いる気配がない。部活指導かと思ったが、駐車場にはご自慢のメルセデスも停まっていない。
早く済んだから私が来るのを待てずに帰ったのかも。
自分も帰ることにした。
休日は校舎の裏側に車を停める人は少ない。出勤する人が少ないので、ほとんど皆、玄関や体育館に近い表に停めるのだ。
私はまだまだ運転しにくい正門側から入るのは勇気がいったので、裏側に停めていたが、今日は私の車しか校舎の裏にはなかった。
帰ろ。
本来なら嬉しい瞬間のはず。でも心は浮かない。ドアを開けてシートにすわり、家に帰ることを考えたとき、湧き上がってくる涙を止められない。
誰もいないのをいいことに、ひとしきり泣いた。
家に帰ることを考えただけで泣けてくるなんて、どうかしている。。
ふと思い立って、カーナビの住所検索をしてみた。
液晶に出る見慣れた街の名前、番地を押していく。
画面には、すぐ横に広がる大学のグラウンドも、毎日行っていたスーパーも、見慣れたマンションの名前もすべてがあの頃のままに。。
そのすべてを頭にはっきりと描くことが出来た。そこで見た夕陽がどれだけ綺麗だったかとか、冬の朝の一瞬刺すような空気で目がぱっちり醒めた事とか。そんな些細で大事なことも。
帰りたい、でも帰れない。その事実は私の心を何度も何度も貫いていく。わかっていること。もう帰れない。
でも、まだ私の心の半分はS市に残したまま。
少し前のように「早く慣れなければ」「この街を好きにならなければ

以前住んでいた街は、物価は少し高いし、坂道は多いし、梅田や神戸には出やすいけれど、市内にはほとんど何もない・・そんなんで文句ばかり言っていたけど、なんだかんだで、JR・阪急電鉄・地下鉄・モノレールが通っていて、市内に東急ハンズもあったし、結構便利だった。
それにきっと、居心地のいい街って、そういうことで比較できるものじゃないんだ。
今の街は自転車でいける範囲にSCがあり、スーパーがあり、美容院も徒歩でいける範囲に選ぶのに困るほどある。家電量販店もあるし、国道筋まで出れば飲食店、レンタルビデオ屋、ユニクロ、自転車と車さえあればほとんど事足りる。物価も安いし、客観的に見て住みやすい街。
でも、まだ自分は飲み込めない。それが辛くて仕方ない。
いつか克服できるものなのか。初めて味わう感情だから、先がわからない。。
今までは居心地の悪さをバネにして進んできた。
小学校のときは早く中学へ。中学のときは早く大学へ。そのためには高校へ。
高校のときは早く大学へ。
ところが、大学は初めて居心地が良いと感じた場所で、踏み台にはならなかった。それ以上のかけがえのないものにはたくさん得たけれど

今の場所は、特別なことがない限り、大きく異動になることはない。どんなに居心地の悪さをバネにしたくとも出来ない。
もう、この街での未来が約束されてしまっているから。
ぐっとぐっと耐えるだけ。
通勤可能な範囲で引っ越すことはできるけれど、私が望むS市から通うのは少しキツく毎日のことを考えると無理がある。
学生時代は休日に用がないと、何もせずただぐだぐだして時間を無駄にしていたが、幸か不幸か、居心地が良くないので、睡眠以外は何をしても・・・という感じで、結局出かけてしまう。
今日もまっすぐ家に帰るのは気が進まず、1時間半ほど市内をぶらぶらとマーチで巡っていた。
今一番自分が安らぐのは車の中かもしれない。
でも、TSUTAYAに行ってもホームセンターに行っても、心底楽しめない。
ふと渋谷などの青少年を思った。家に居場所がなく彷徨いながらそれを求める10代を。
もしかしたら彼らも同じ気持ち、またはそれに近いのかも。
遊びたくて出歩いているのかもしれないけれど、本当はゲーセンにいてもカラオケボックスにいてもそんなに楽しいと思うことはないのかもしれない。
彼らがそんな気持ちを毎日抱えているのだとしたら、なんか哀しいな・・・。。
私なんて一瞬でも耐えたくないのに・・・そんな思い。
泣けない仔

彼らが学校に戻ってくる。楽しみ半分、不安半分なんて先輩の先生には言ったけれど、本当は不安が9割。
夏休みで子どもは変わる。良い方にも、悪い方にも。
学生時代、燃え尽き症候群の生徒を受け持ったことがあるが、今度は自分が燃え尽きそうである。
自分で選んで勝ち取った仕事のはずなのに、しんどい。
体力的にしんどいのは勿論。でも仕事自体がしんどいわけではない。
しんどいのは見えないこと。
自分が必要とされているのか。
私のしていることが何かプラスに波及しているのか。
全然見えない。
そりゃぁ、教育なんて長いスパンで見るべきものだから、目先に成果を期待するほうが間違っている。
でも自分は誰かの役に立っているという実感が欲しくなる。。
「男にとって職場は戦場」
もう昔から使い古されている台詞だけれど、女性の社会進出が著しい昨今、戦場だと思うのは女も同じだ。
男女雇用機会均等・・・なんて概念、子どもたちにはない。女性である、女性教諭であると言うのは、「男の先生より怖くない」という心象を植え付けてしまう。。
それも女性差別だぞ

多数の利害関係が入り乱れる職場。その中で、自分の身をどこに置くのか。
下っ端であるという変えられようのない事実も居心地の悪さを増幅させる。
仕事がノってくる30歳目前に男性が結婚を意識しやすいのは、単に年齢のせいだけでなく、戦場から帰る先に羽を休める場所を求めるからではないか。
学生時代からそう思っていたけれど、この頃より強くそう感じる。
「あなたって、見た目によらず性格が思いっきり男性的よね」
古くからの知り合いにそう指摘された。当たっていると思う。
育ってきた環境にも多少起因しているのだろうが、夫が稼ぎ、妻は家庭を守るなんていう固定観念はさらさら初めから持っていなかったし、母はどちらかと言うと労働意欲がなく、収入が不安定な父を責めるが、そんな母に私は小学生の頃から、「文句ばっかり言ってないでお父さんの給料が少ないんなら自分も働けばいいやろ

どちらかが支えるんじゃない。共に支え合うのだ。
男の収入が少ないなら、女も働けばいい。
いつ何時、どちらに何があるとも限らないのだ。そういうスタンスだった。
私が結婚しても仕事を続けたいと思うのは、9割がた、自分の家庭が不安定で幼い頃から金銭的な心配ばかりしていたというのに起因するけれど。。
自分が男性的な性格だというのは自覚もしている。
「結婚したいというよりさぁ、『ヨメ』がほしいわ、むしろ」と言い、母親に爆笑されたこともある。
ま、理由は仕事から帰ってゴハンを作る体力も気力もないっていう単純なものだけど・笑
でも、いくら性格が男性的な女でも、女であることは隠せないのだ。
だって、根本は女性なのだから。それが厄介。
別に自分が女性であるのが嫌という意味ではない。自分は女に生まれてきてよかったと思う。
どんなに性格や思考が男性的でも弱い部分は確かに存在する。
どんなに強がっても、肩肘張っても、それだけで生きていけない。
どうしようもなく泣きたい日もあれば、力強い腕に抱きしめられたい日もある。
それが時々顔を出す。
どうしてみたって、女は女。それは悪いことではないと思う。でも、男性的な性格ゆえ、それが素直に出来ない。
だから厄介。
家でさえ泣くのをセーブする。誰に聞かれるわけでもないから、思いっきり泣けばいいのに。3割くらいしか涙を流せていない。
家も実家も職場もすべて、今の私に安らげる場所はない。
それもしんどさに拍車を掛けている。
弱い私を受け止めてほしいのに、それを見せられぬ弱さ。
見せられる人がいない人脈のなさ。
別に職場の同僚だって、仕事が出来ない新人ということで注意をしているに過ぎない。伸びてほしいために厳しいことも言うのだと頭ではわかっている。
でもどうして自分自身を否定されたような気分になるのかと考えたら、それはやっぱり職場が居場所の全てに等しいほどを占めているからだろう。
学校を取ったら、私の居るべき場所は今はない。
逃げ場もない。。
利害とか、思惑とか、そんな全てを気にしなくて接せられる、そんな人、場所を早く見つけなくてはいけない。
たまには言葉や態度にして、自分を認めてもらわないと折れそうになる。
自分のいいところなんて、自分が知っていればそれで十分なのに、どうして人間はそれだけじゃ満足しないんだろう。
この欲深さが、人間の奥深さだったりするのだけれど。。。
明日からまた、闘いだなぁ

でも大丈夫。きっと体はすぐにリズムを取り戻す!
でも問題は・・・・・
DEEP BLUE in my mind
学校の昇降口から撮った1枚


良い教師になる近道は、経験を積み、場数を踏むことだと言われる。
恋愛もそうなのかなぁ・・・と思う今日この頃。
今日は同期と終業前の30分、恋バナに徹していた。
「人肌恋しいよねぇ・・・」
今日の共通理解・笑
こんな夏の真っ盛りから人肌恋しいようでは、冬の寒さにどうやって耐えるんだと思うのだが、いかんせん事実なのだから仕方がない。
前ログで、普通の恋愛感情とは違うと自覚している・・・と書いたが、その側面が少し見えてきたような気がする。
私はきっと、苦しみが判る誰かにすがりたいだけなのかもしれない。
溺れる者が藁をもつかむのと同じくらいの自然さで、すがりたい相手が彼であったに過ぎないのかも。
よくよく考えてみれば、私が彼に求めることはすべて受け身なのだ。今のところ。
自分が崩れ落ちて行きそうな日に抱きしめられたいとは思っても、
彼を抱きしめたいとは思わない。
悔しさでこぼした滴を受けた手を握っていてほしいとは思っても、
彼と手を繋いで歩く姿は想像できない。(年齢が離れているから?)
そういうもの。。
だから、どうやら本当に彼と恋人同士になりたいとかそんなんではないらしい。
でもややこしいのは、
彼の剥き出しのプロ意識を目の当たりにした瞬間、突き上げる感情は人を好きになったときのそれと同じなのだ。
だから自分でも紛らわしいし、どう自分で対処していいのかわからない。
季候が暖かい今、冬と同じぎこちなさを感じる足。
「人肌恋しい」ではないけれど、こんなに暑いうちからこんな状態じゃ冬になったらどうなるんだ?
普段は触れぬようにしている不安。
最近は飼いならせるようにさえなってきたように思う、自分の限界が狭まることへの悔しさ。
でも時々、飼いならしたはずが暴れだす。
暴れる感情でえぐられていく心を横目で見ながら、声にならぬ叫びをあげて、そんな日は世界に私1人。
そんな時に怖いほど私を見抜くその眼差し。すがりたくもなるわな・・・
「私が私じゃなくなってくみたいで」
「怖い」
「情けない」
「悔しい」
そのどれにも当て嵌まらない感情はただの声になる。
ぶつけたところで何の救いにもならないけれど、1人きりで涙を流すのと、それを受け止めてくれる人がいるのとでは大きく違う。
でも、そこまでは、彼の仕事ではないんだろうな。
4行の近況
またも、どえらく久しぶりになってしまった日記。。
なんだかんだあった1学期も無事終わった
夏休みは定時にはあがれそうなので、もっと更新したいな。
詳しいログはまた後程。
最上の一瞬
久しぶりに日付が変わってからの帰宅となった。就職してから初めてかも知れない。
今日は急遽、昔の塾の仲間に呼び出され、飲みに行くことになった。ここのところ、仕事のことでかなり精神的に参る日々が続いていたので良い気分転換になるだろう・・と二つ返事でOKし、約束の場所へと向かった。
気心の知れたメンバーばかり良い意味で気を遣わずに話ができるので、つかの間の「ほっ」とする瞬間
今日は他のメンバーには申し訳ないけれど、同じ教員として働いているN先生とばかり話をしていた。とにかく仕事でのストレスを誰かと共有したくて仕方なかったのだ。最近、本当に余裕がない。
駅で声を掛けられるなり、私の口からは「今日はいっぱい話聞いてください」
図々しすぎる
でも、そんな風に口に出してみて気が付いた。私がいかに今の職場で打ち解けられていないか。。
良い先生だと思う先輩教師はたくさんいるけれど、学校の中にはやはり派閥がある。関係が読めるまではうっかりと下手なことはいえないし、思うことを安心しきっては話せない。
話を聞いてみると、やはりウチの職場は少々特殊な環境にあるらしい。
塾のバイトをしていた頃は、仮に職場がとてつもなく働きにくい環境にあったとしても生活の中心を占めるのはあくまで大学だったから、自分を見失わないで済んだだろう。
尤も、そんな事考える必要はないくらい働いていて居心地のいい職場だったけれど
でも今は違う。私の生活の中心は仕事であり、そこがぐらつけば私一人生活するにも困ってしまう。
逃げ場はない。
そんな状況下だから、色んなことが見えにくくなる。
きっと私は友人の目から見ても至らないところだらけだと思う。でもそこには敢えて触れないでいてくれるのが今は有難い。おそらくその「至らない点」を取り上げて日々言われっぱなしなことが容易に想像がつくのだろう。
職場でも言われ、おまけに今、自分が信頼を置く人たちからも言われれば私はきっと折れてしまう。
N先生とは同じ職場で働いていたときよりも彼が教員として働きはじめたときからの方が話をする機会が増えたのではないか・・と私は思うのだが、私がいつか喋っていたのか、それとも彼の観察眼なのか、私の頼るのが下手な性格や褒めるのが苦手なところはすべて見透かされていた。。
「気楽にやればいい」
なかなか実行が難しい一言ではあるが、心の重荷を取るには十分だった。
私が常に持ち続けている1つ。
どんなシチュエーションであれ、どんな理由があれ、「死ね」と言う言葉を吐いた生徒は許さないということ。
「その信念を持ち続けて、軸をぶらすことがなければ今辛くてもきっと大丈夫。」
教師を見ていて思う。40代、50代になったとき、教師は二極化する。
生徒から信頼され、しっかりやっている教師
はたまた、
生徒にナメられ、収拾のつかなくなってしまう教師
私が40になったら、後者になる気がする・・・と漏らしたら、笑い飛ばされた。20年も先の話・・と
そしてそう言われたのだった。
絶対ぶらしてはいけない軸。それを持ち続けていたい。
やっぱり、持つべきものは友(というか先輩だけれど)だなと実感。
お酒の入ったメンバーたちの、暴走発言もなんだか聞いていてほっとした今の職場ではお酒が入ってもこんなにざっくばらんに話をしないから。
ほっぺたの筋肉が痛くなるくらい笑ったのは久しぶりだ。
こんな瞬間を定期的に持たねばならないな、と思った。
何も考えず、ただ純粋に笑える瞬間を。
日々のストレスに打ち勝つ、最上の特効薬
そんな瞬間を与えてくれる人たちと出会えたことは私のひとつの財産だ
ありがとう
画像の写真は約束の時間まで暇つぶしに寄ったバーゲンでGETした品
パンプスみたいな見た目のスニーカーは通勤の必需品。
ロバのプリント入りTシャツは、一目ぼれして買ったもの職場には着ていけそうにないけれど、かわいいのでご満悦
ロバを見ると、昔「電波少年」に出ていた『ロシナンテ』っていうロバを思い出す。きっと今の中学生は知らないだろうなぁ・笑
ロシナンテ、結構好きでしたw
Sシック
瞼の裏にはかつて自分が過ごした道が今もありありと浮かぶ。駅からかつての自分のかつての家までも正確に思い描ける。
このところ、家に帰ればうわごとのように「Sに帰りたい・・・」を繰り返す。でも、もう帰る家はない。。
昨日友達の車に乗っていて、かつて住んでいた市と、今自分が住んでいる市の分岐点になる道が現れた。
まっすぐ行けば今住んでいる市。
左折すればかつて住んでいた市。。
当たり前のように車はまっすぐ直進する。
でも心は叫んでいた。
(左へ曲がって

思わず本当に声に出しそうになって焦った。
大学の有無に関わらず、自分にとっていちばん居心地のいい場所はS市なのだ・・・と実感した瞬間だった。
でも、私はここで働くことを命じられた。ここで生きていかなきゃならない。S市から通うのはかなりしんどい。
特に今住んでいる市は、地元に愛着を持っている人が多くて同僚の7割が珍しく市内に住んでいる。
そんな7割に「ここよりもS市の方が好きだった」と言っても共感してはもらえないし、敵意を持たれるだけだろう。
地域の子どもを預かる仕事なのに、その地域が好きになれないのは苦しい。
同じ大阪なのに、なんでこうも違うのだろう。どうもここは自分の水に合わない・・・
しんどいな。みんなこんな思いを抱えるものなんだろうか。
S市に帰りたいと焦がれる思いと、実現できない苦悩。
でも本当に帰りたい。こんな思いいつまで抱えていればいいのだろう。。苦しい。。。
Greatest Teacher O
およそひと月ぶりの日記。
以前は飽きるほど書いていたのに、ちょくちょく見に来てくれている読者の方には申し訳ない思いでいっぱいです
自分の時間が持てるのは、ほぼ土日だけ。それも休息に使うことが多いため、なかなかブログにアップするような内容の生活をしていないという少し悲しい状況苦笑
学校の事も、全体公開のブログなだけにあったことを包み隠さず書くというわけに行かないしね
学生の立場では、もうないから。。
平日は帰宅するのが平均で19時頃。早い日は18時半くらいに帰れるけれど、遅いときは21時近くになる。家ではゴハンを食べて寝るだけの毎日
自分の時間を大切に出来ないと、どれほど好きな仕事でも嫌になる。それをこの数ヶ月で思い知っている。
でもまだ、力を抜いて良いところと入れねばならないところのポイントがまだよくわからないから、変に必死で疲れる。。
特に先週一週間は、中間テストでのトラブル修正やクラスで起こった喧嘩の対応に追われていて、完全に自分を見失っていた。
転寝をしていても学校のことが出てくるし、休息の時間である睡眠でさえ、夢の中に学年主任が出てきて説教される有様だ・笑 余裕はないらしい。
主任に「この間先生が夢に出てきて、説教されちゃいましたよー」って言うと爆笑してたけど
今週末こそはゆっくり出来ると意気込んでいたのに、自分の早とちりで危うく自分の進退に関わる問題に発展するところになって、さらに莫大なストレスを抱えるハメになってしまった
それは無事解決したからよかったのだけど
踏んだりけったりとは、たぶんこういうことなのだろう。。
この1、2週間は自分でもヤバいと思うほど追い込まれていた日々だった。
高1のときにお世話になった担任には二度電話し、ガラにもなく号泣してしまったし。。
でも本当に電話したい人は他に居た。
その人は私の高校1年の時の英語の担当の先生だった。当時あまり体調のよくない日々を過ごしていたわ私は出席できない日も多かったのだが、英語のある日は「今日は先生の話を聞きたいから頑張っていかな!!」と薬を飲んで無理していく日もあった。
テキストの内容がまるで頭に入ってこなくても、先生の話を聞いているのは楽しかったし、面白おかしい話もあったけれど、それ以上に先生の人間性がよく伝わってくるお話ばかりだった
話を聞けば聞くほど、先生の人間性にどんどん引き込まれて行く自分が居た。それまでも教師にはなりたかったけれど、具体的に自分の向かっていく教師像が定まったのは、この先生に出会ったからこそだ。
この先生に出会わずして、厳しい教採に最後まで向かっていけたかどうかわからない。
そんな先生が高校生活も折り返し地点を過ぎた頃に離任されると知ったときには、ひどいショックを受けた。それから高校の間は疎遠になっていたけれど、教採の1次を通過した頃に連絡をしてから、いつでも連絡できる環境にある。
先生も現在は現場を離れ、教育委員会で忙しい日々を過ごしているらしい。
お忙しい先生に、電話をするのはいつも気が引けていた。
でもさすがに自分自身追い込まれていて、ここで先生の話を聞いておかないと「辞めたい」と言う思いが、自分に勝ってしまうのではないか・・・とさえ思った。
数回のコールで聞こえた懐かしい声にほっとした
人の好みと言うのは声にも大きく左右されるのではないか、と思う。大学時代のA先生やI先生にしろ、今回の恩師にしろ、今まで好きになった男にしろ、声の質がだいたい似通っている。聞いていて心地よい声というのは、やはり大きなウエイトを占めるらしい。。
ま、そんな事は措いといて笑
はじめ、先生は私のことを『先生』と呼んだ。
初任者に話をする機会の多い先生だから、仕事のときの癖が出たのか教師になった私だからそう呼んだのか、おそらくその両方だと思うが何だかひどく違和感を覚えた。なんかこう、一気に距離が遠ざかった気がした。
私がそんな少しの焦燥の中に居るときも話は進んでいく。
だがやがて、先生の方もかつての調子に戻り私の姓を呼び捨てで呼び始めた。それがひどくしっくりきた。
やっぱりどれだけ時が経っても、私にとって先生は「先生」に代わりはない。
同期などは恩師が同僚・・・という立場だけれど、それでも「●●さん」ではなく「●●先生」と呼び、先生の方でも同期に「先生」を付けては呼んでいない。
大所帯な学校であることを告げ、まだなかなか周りの先生たちに対して心を開けないことや、自分の抱えている問題、最近起こったこと、「辞めたい」と考えたこと。。つらつらとぶっちゃけていく。
「そんなに自分を責めんなよ」
その一言がまず固さをほぐしていく。心にも凝りがあるなら、それはきっとストレスなのだろう。。
他人から良く見られたいと思うのは私だけではなく先生もそうだと、弱さを隠すのではなく、それを曝け出す「強さ」が別の形でその人の評価に繋がるのだと・・・・背伸びはするな、と。
心の荷がすーっと軽くなる。
「でも周りになかなかしんどさを受け止めてくれる人がおらんのは辛いなぁ。お前くらいの年でそんなに言われたら辛いわ、そら」
先生が判っていてくれるだけでも救われる。。
「ええか、心を開くとか、殻を破るとか難しいことは考えんでええんよ。ありのままを話すように努力していけばいい」
40分弱話をし、最後に夏休みにゴハンでも・・・という約束をして、電話を切った。
先生の言葉がまた、明日からの糧になる。辛いときは思い出そう。
やっぱり幾つになっても、学生を終えても、先生は永遠に先生。
そんな教師に、私もなれればいい。。
Is there no hope?
子どもの日。両親が田舎から遊びに来た。
前回、どこもかしこもフローリングで、当たり前ながら畳など一切ない私の部屋を「寒い寒い」と文句ばかり言っていたので今回はてっきり来ないだろうと思っていたら、父のケータイから電話してきたのは母だった。
気分が一気に萎えてしまった。折角落ち着いた1日を過ごせると思っていたのに、期待はずれ。。
彼女といると、私の心がやすらぐことはない。
「休日に子どもを休ませたかったら家にいるべきやろ。そのへん、わきまえてると思ってたわ」
つい電話口に向かってキツい言葉を吐く。が、そのとき、もう車は阪南市を走っていた。
そのまま、呑気にやってきた母は私の気など露知らず、冷蔵庫を勝手に開け、イチゴとブルーベリーどちらのヨーグルトを食べるか悩み、結局決められなかったので両方平らげた。
私の家庭訪問について心配する母であったが、私のイライラが募り始めたのはここから。
行くのが遅れたらどうするのだと危惧する母に、「どの先生でも遅れることはある」と返した私。
おしゃべりなお母さんもいる。急な交通渋滞もなくはない。転任してきたばかりの先生なら校区にも詳しくない。別に私だから遅れる・・・と言うのではなく、可能性は皆同じだ。遅れやすい要素は他より多いにしても。
すると母は、
「でもあんたは、普通と違うのに・・・」
また出た。私がこの世で最も聞きたくない言葉のひとつ。
「その言い方、気に食わんな」
軽く流したものの、首根っこを掴んで放り出したい気持ちに駆られていた。
普通じゃない?普通と違う??じゃあ、あんたはどれだけ「普通」だと言うのだ。情緒不安定を抱え、常日頃、父親に「胃に穴が開きそう」と言わしているあんたは「普通」だと言えるのか。自分がどれだけ「普通」だと思っているのだ
近頃、母はただの情緒不安定ではなく、アスペルガー症候群なのではないか、と思っているのだが、本人が専門外来を頑なに受診しないため、こっちはいらいらさせられるばかり。精神的なパニックは薬でもだいぶ抑えることができるのに。。
それから、「障害」という言葉のあやについて延々とワケのわからない持論を展開する母。それはもう常軌を逸した発想・熱の入った語りようで、私も父も適当に相槌だけ打って聞き流すのだが、しかし耳障りなことこの上ない。
仕事に対する自信というのは、足の状態にすごく左右されるということをここ最近、思い知っている。
少し前、驚くほど足の状態が良く(というか以前の状態に少し戻っただけなのだが)、そのときは些細なミスも「次からは気をつけよう」と前向きに捉えられた。
しかし、ここ4、5日むちゃくちゃ筋肉が硬く、自転車に乗っているときなど、上半身から顎までくぅーっと固まる感じに見舞われることもしばしば。
生徒が走ってきても、スムーズにかわせなくて、窓枠を握り締めたまま生徒が通り過ぎるのを待ったりだとか、階段で手すりにしがみつくことも多かった。歩いていても鳥の足のようというか、ロボットのようというか「こっきん、こっきん」と言った感じで・・・気持ちに体がついていかないときは、ものすごくストレスが溜まる。
そんなときに仕事で何か失敗をやらかそうものなら、「向いてないんじゃないか」「私は教師として求められない人間なんじゃないか・・・」
そこまで考えてしまう。
そんな状態で、しかも多忙で、しかもそれを吐き出す術もなくいる私に母の言葉たちは私をますます追い込むだけだった。
普通、親と接するというのは、社会に出た子どもにとってやすらぎになる筈だが、私には真逆だった。
呼んだことを、後悔した。いや、私が呼んだのは父だった。水入らずで、何かおいしいものでも食べに行こうと思っていたのだった。そういえば、回転寿司を奢る、と約束したが果たしていなかった。
そこへ母が付いてきたのだ。
結局、私の手料理で終わった昼ごはんは(母と外食しに行くと何かしら店に迷惑が掛かるのだ。彼女はいまだにガストでお冷を自分で入れられない)母の持論で、消化に良くない結果になってしまった。
2人が帰ったあと、胃の不快感を覚えた。吐き気がして悪寒もする。見たいTVそっちのけで布団へ潜り込み、それから寝ようとするのだが、胸が苦しい。息がうまく吸えない感じがする。
ワケもなく泣きたくなって、声をあげて泣いた。
最近、家でひとりでいるときは涙をガマンしないと決めた。いやな気持ちは涙と一緒に流してしまった方がいい。
でも、そのどれもが精神的なものからきていると確信していたので息苦しさも「ぅわ~死ぬーーー」と心底うろたえることはなく済んだけれど
それから、いつの間にか眠りに落ち、何時間経ったろうか。今度は強烈な体の熱さで目が覚めた。唇がカサカサに渇き、口の中が渇いている。布団の中はありえない湿気だった。
寝汗をかいていたのだ。背中・脇の下・腰からお尻など、汗腺の多いところから汗が大量に噴き出して衣類は湿り、気持ちが悪い。 さらには、足をまげて寝ていたので膝の後ろまでびっしょりだった。
着替えたものの、けだるさは抜けない。どうやら、一時的に熱が出ていたらしい。でもこんな時期に風邪等の予想もしてないからスポーツ飲料のような気の利いたものもなく・・・
今も少し微熱があるらしく、おでこや首に「カッ」とする火照りが残ったままだ。寝てしまいたいが、明日は地味に学校でデスクワーク。でも今回が5連休でよかったまだ明日は昼過ぎには帰れるだろう。
母をとことん傷つけてでも、今の私は自分を護らねばならない。でなければ、ストレスでやられてしまう。今だって思い出したら吐き気がする。胃の底をじりじり炙られてるような、苛立ちを覚える。
この仕事をするためには、健康が一番大事。他の仕事より丈夫な体を維持しなければならない。
体調不良の原因が仕事ならまだしも、母親であってはシャレにならない。母ごときに私の仕事を台無しにされてたまるもんか。
普通って何よ。
「みんな違って、みんないい」んでしょ。。
私は私で何が悪いの。
そんなに健常者が欲しかったのなら、さっさと離れていけばいい。
中途半端に金魚の糞みたいにまとわりついて、私をこれ以上苦しめないで。
そのままの私を一番受容して欲しい人がなぜ。
つよさもよわさも、ぜんぶわたし。
それをなぜ撥ね付けるの。あなたの言う「普通」っていう枠組みは何なの。
もう嫌。しんどいわ。。もう何にも考えたくない。
私のままでいいんだって、誰か言って。
フィジカリィ・チャレンジドだって、教師が務まるんだって、誰か教えて。
自信なんて、元からない。そこからあなたはまだ何を奪えば気が済むの・・・。
もう寝る。。。
余
オルビスから出た新しいアイカラーを購入



いつも春先から夏にかけてはグリーン系のカラーを愛用するけれど、今年はピンクが活躍する日も増えそう

最近観たい映画が『余命』
谷村志穂原作の同名小説の映画化。
主演は松雪泰子、椎名桔平。
映画化を知る前に、この小説を偶然見かけた。今まで谷村志穂という作家を知ってはいたものの、彼女の作品には一度も目を通したことさえなかった。
ガンの再発を自分の手で発見した、現役外科医の女性。彼女の夫は医大の同級生だが、彼は医者にならずフォトグラファーになる道を選んだ。
結婚して、10年目にして授かった1つの命。しかし、抗がん剤治療は胎児には悪影響を与える可能性がある。
治療をしなければ、もう何年も生きられない。
彼女は究極の選択を迫られる。
胎児の生命か。
自分の生命か。
悩んだ末、彼女はまだ見ぬわが子を産む決意をする。医学知識のある夫が、それを知れば子どもは諦めろと言うだろう。
だから彼女は決心した。出産までガンの再発を誰にも言わないことを。
初めは通勤電車の中で徐々に徐々にゆっくりと読み進めよう・・・と考えていたのに、一晩で読んでしまった。
ゆっくり読み進めようという読者の思いを、剥ぎ取る小説であった。話にぐいぐい引き込まれて行くのが読んでいてわかる。
病の進行に対する恐怖、小さな命が日々確実に自分の中で育つのを実感する喜び。打ち明けたいという思い。知られたくないという思い。
過不足のない、締まった表現で確実にそれらの心情が描かれ、読んでいて主人公の気持ちの動きが手に取るようにわかるのだ。
この作家の実力に初めて読んだ瞬間に脱帽した

映画化になると知り、キャストを見てまたビックリ



打ち明けたいが遠ざけたい・・・その思いは私も痛いほど、共感したところである。
CPの二次障害。それを知られるくらいなら、一生親には会いたくないとも思う。
バレンタインの日。悲しいながら特に用事もない

年末。あの一番自分のこころが不安定になった時期に、叔母から連絡が入っていた。私が帰省しないというので途方に暮れているというような相談を祖母宅にしたらしい。そのとき叔父一家も祖母の家に帰省していた。
いつもの私からはかけ離れ、泣き喚いている私のことを、叔母達は母らには告げなかったようで、叔父夫婦もあからさまにその理由を尋ねたりはしなかったものの、薄々すごぉく気になっているだろうことは私にも気が付いた。
そんな折だった。話があるから飯でも食いに来い、と言われたのは。
叔父らは、私が何故あの日あんなにも取り乱していたのかを知らない。適当にごまかしてもいいのかもしれない。「男にフラれた」と言ったって信じるだろう。
でも、ちょうどいい頃なのかな、と思う。いずれ手術も受けなければいけないといわれている。しかし、親は絶対手術をすることにOKなど出さないだろう。
でも私はそれで教師が続けられるのなら、それが最善だと思っている。
私がより良い私を保つのは、いつだって人のためだ。将来、私と関わる生徒に少しでも多くのことをしてやりたいと思うし、前にも言った様に少しでも活発で居たいのだ。学校の先生は元気でアクティブな方がいいに決まっている。
それに自分だっていつかは誰かの妻になり、誰かの母になりたい。
どこかに遊びに行って、「ごめん、お母さん車椅子だから、ここは行けない」・・・とか言う事態は、なるべく遅い方がいい。
運動会の親子競技にだって出たい。(「でてやりたい」じゃなく「でたい」笑)
自分ひとりで暮らすなら、車がありさえすれば問題なく日常生活は営めるだろう。しかし誰かと生きる以上は、誰かの心を少しでも満たしたいと思う。
だから少しでも長く、「歩ける私」を保持していたい。
親に内緒で手術をするにしろ、知らせてからするにしろ、理解者がいなくてはならない。
2日に1度は必ず電話をしてくる母に、長期間の入院が隠しとおせる訳もなく・・・。手術なんて知ったらどうなるかわからない。彼女は悪化していることから目をそらし、事実を見ようともしない。
闘うにはしっかり事実を知ることが大事だ。
逃げていては闘えない事を彼女は齢60にして、まだわかっていない。
そういう彼女だから、私は何も言えずどんなにつらいときでさえ、いつもどおりに振舞わなければならない。自分ひとり分の感情からさえ自分を支えるのが精一杯なのに、そこに彼女の弱さまで圧し掛かっては、私の心は持たない。今平常心で居る私がフシギなくらいだ。ちょっとした微妙なきっかけで私の心は年末のあの日のように簡単に綻んでしまう。
そして、親に会わないと決意したところで、その日が永久に来ないかといえばそれはわからない。私から会いに来ないのなら・・・と母はもう、私の引越しの手伝いをしに来る気満々らしい。
ここより広い部屋に住む、と引越しはウキウキなのに、まだ部屋を探してもいない段階から引越しのことを考えただけでテンションが上がらない

叔父たちに話す決意をした。
彼らは、母の妹(つまり私のもう一人の叔母)が乳がんになったとき、一番先に事実を知らされた。しかし、私の母にはいうな、と口止めしたのを今でも守り続けている。
叔母が乳がんを母に隠したのも、今の私と誓い理由からだ。目の前の現実を彼女には受け止められない。私だけでなく親戚からもそう思われている母。長女なのに・・・。。。
決意はしたのに、毅然と刻々と、事実だけを話す自信がない。
途中で取り乱したらどうしよう・・・
従兄弟らは話をしている間、席(というか家)を外してくれるよう話しているが、それでも不安ではある。
自分はきちんと言えるのか。
まるで医学書を読み上げるように淡々と。どんな話も毅然と。
親でもない彼らは、私が取り乱したりなどすればきっとうっとうしいだろう。
今は心の準備をしなければ。
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