Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
カテゴリー「☆日記★-日常全般-☆」の記事一覧
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- 2011.08.20
帰省物語2011 その2
- 2011.08.20
帰省物語 2011 Summer
- 2011.08.07
空に咲く花
- 2011.08.07
待ちわびた便り
- 2011.07.13
善意と悪意のあいだで
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理不尽な善意
- 2011.03.02
HUMAN ERROR
帰省物語2011 その2
- 2011/08/20 (Sat)
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全然関係ない話だけど、ウチのマンションの角部屋のキレイなお姉さんも、実は学校の先生なのではないかと思う。
いつもは私と出る時間が同じなのに、休みに入ってからは30分近く遅い出勤だ。
もしかして、もしかするよね

私は家の中を見回し、言った。
「これ、掃除したん?」
『したよぉ。ほら、この辺とかキレイでしょう』
どこが!?といいそうになるのを必死でこらえ、「全然」と返した(おんなじや)笑
熱を持った熱い玄関扉。鉄製なので、猛暑の日には膨張してなかなか鍵が閉まらないこともある。
ざらざらした砂壁、古びた畳、主のいなくなって久しい水槽、母の嫁入り道具のタンス、使われてないデスクトップのPC、反抗期に散々私がぶち破った襖。
それらはいつもひっそりとそこにある。
確かに母の言うとおり、部屋の中央部は何もないこざっぱりとした状態が保たれているが、四方にはいるのかいらないのか判別のつかないものまで、ありとあらゆるものが置いてある。
(単に散らかってたモノを周囲によじめただけやろ
)
母曰く『どれを捨てていいのかわからない』らしい。やっぱりADHDもちょっとあるのかな~。
ってか私の眼から見れば、要る物なんて3分の1くらいで後はガラクタだけど。
でも勝手に捨てると怒るからなー
ここに来ると、私はいつも、ここでは安心して暮らせない・・・と思ってしまう。
単にあらゆるものが古いとか、家が狭いとか、そういう物理的問題でなくて・・・ね。
ひっそりと存在する数々のものが、常に私を世界の端へ追い込もうとするのだ。
今はまだ大阪に自分の城があるからいい。
けれど、過去は・・・帰る場所がここしかなかった過去の私の心細さが一体彼らにわかるだろうか。
「ここでは、この人たちでは私を守ってくれない」
というか、守れない。 本能的なレベルで、私は幼い頃からそれを理解していた。親に心を預けたことなど一度もない。
自分のことは自分で守らなければ、ダメだった。
常に心の糸を張りっぱなしの幼少時代。
今、見回せばTV、冷蔵庫、電話機、炊飯器、父の髭剃り、トースター、ノートPC、プリンタ・・・そのいずれもが、私の学生時代のバイト代であったり、給料であったりボーナスで買ったものだった。
正直、自分の生活さえ自分で完結させられない彼らが時々重荷になる。
駆け出しの社会人が援助をして、ようやく人並みのその中の底辺の暮らしが出来る両親。
私は彼らに守ってもらうことのないまま、彼らを守る立場になっていた。
言ってもはじまらない思いが、生まれては消えていく。
いつもここに来ると心細い。
お金がないのは構わないけれど、精神的に『ここにいれば大丈夫』みたいな場所を彼らに提供して欲しかったが、それは叶わなかった。
彼らといても、私の不安は募るばかり。安心して笑ったり、ご飯を食べたりできないんだよ。
冬のボーナスが出たら、洗濯機だな・・・今度こそ全自動にしてやる。
ぼんやりとそんな事を考えながら、恒例のマット類徹底洗濯をする。
1日足りとも隙間を空けず、スケジュールを入れまくった。
父はたまには家でのんびりしろよ、お前も忙しいやっちゃな。と言ったが、のんびりなんてここではできない。
そして帰ってきては、洗濯をしたり、料理の下ごしらえをしたり、溜まっていた出来事をブログにする作業が続いた。
睡眠時間はたっぷりすぎるほど取っているのに、疲れは一向に抜けない。
最終日。
私の前に出された実家最後の食事は、黒ずんだ卵焼きと、おにぎり1つ。
「この色は何?」
『お醤油入れすぎたのよ。色は悪いけど、味は食べてみなわからんし』
わかる!この色からして絶対からい
昔はお吸い物とか、味噌汁を上手に作った。
他の料理は昔からイマイチだったけど、それでも麻婆豆腐とか、トンカツとか筑前煮とか、もっと食事らしいものをだしてくれたものだ。
もう今では何もかも私が作るほうが上になってしまった・・・
やっぱりお母さんのご飯はおいしいわぁ。そんな事を言ってみたい。
何よりも、あんなに長時間買い物に出かけているのに娘の栄養になりそうな食材は一切買わず、最後の最後にあり合わせの卵焼きなんて。
大事にされてる気がしない。
『帰ってこいこい』と口では言ったって、彼女は人に何かしてあげようという気は皆無だ。
『よく帰ってきたね』
そう言って、高価じゃなくていい。その場凌ぎで作ったものではなくて、心を込められたご飯が食べたい。
それはこの夏も変わらない。
いつもは私と出る時間が同じなのに、休みに入ってからは30分近く遅い出勤だ。
もしかして、もしかするよね




私は家の中を見回し、言った。
「これ、掃除したん?」
『したよぉ。ほら、この辺とかキレイでしょう』
どこが!?といいそうになるのを必死でこらえ、「全然」と返した(おんなじや)笑
熱を持った熱い玄関扉。鉄製なので、猛暑の日には膨張してなかなか鍵が閉まらないこともある。
ざらざらした砂壁、古びた畳、主のいなくなって久しい水槽、母の嫁入り道具のタンス、使われてないデスクトップのPC、反抗期に散々私がぶち破った襖。
それらはいつもひっそりとそこにある。
確かに母の言うとおり、部屋の中央部は何もないこざっぱりとした状態が保たれているが、四方にはいるのかいらないのか判別のつかないものまで、ありとあらゆるものが置いてある。
(単に散らかってたモノを周囲によじめただけやろ

母曰く『どれを捨てていいのかわからない』らしい。やっぱりADHDもちょっとあるのかな~。
ってか私の眼から見れば、要る物なんて3分の1くらいで後はガラクタだけど。
でも勝手に捨てると怒るからなー

ここに来ると、私はいつも、ここでは安心して暮らせない・・・と思ってしまう。
単にあらゆるものが古いとか、家が狭いとか、そういう物理的問題でなくて・・・ね。
ひっそりと存在する数々のものが、常に私を世界の端へ追い込もうとするのだ。
今はまだ大阪に自分の城があるからいい。
けれど、過去は・・・帰る場所がここしかなかった過去の私の心細さが一体彼らにわかるだろうか。
「ここでは、この人たちでは私を守ってくれない」
というか、守れない。 本能的なレベルで、私は幼い頃からそれを理解していた。親に心を預けたことなど一度もない。
自分のことは自分で守らなければ、ダメだった。
常に心の糸を張りっぱなしの幼少時代。
今、見回せばTV、冷蔵庫、電話機、炊飯器、父の髭剃り、トースター、ノートPC、プリンタ・・・そのいずれもが、私の学生時代のバイト代であったり、給料であったりボーナスで買ったものだった。
正直、自分の生活さえ自分で完結させられない彼らが時々重荷になる。
駆け出しの社会人が援助をして、ようやく人並みのその中の底辺の暮らしが出来る両親。
私は彼らに守ってもらうことのないまま、彼らを守る立場になっていた。
言ってもはじまらない思いが、生まれては消えていく。
いつもここに来ると心細い。
お金がないのは構わないけれど、精神的に『ここにいれば大丈夫』みたいな場所を彼らに提供して欲しかったが、それは叶わなかった。
彼らといても、私の不安は募るばかり。安心して笑ったり、ご飯を食べたりできないんだよ。
冬のボーナスが出たら、洗濯機だな・・・今度こそ全自動にしてやる。
ぼんやりとそんな事を考えながら、恒例のマット類徹底洗濯をする。
1日足りとも隙間を空けず、スケジュールを入れまくった。
父はたまには家でのんびりしろよ、お前も忙しいやっちゃな。と言ったが、のんびりなんてここではできない。
そして帰ってきては、洗濯をしたり、料理の下ごしらえをしたり、溜まっていた出来事をブログにする作業が続いた。
睡眠時間はたっぷりすぎるほど取っているのに、疲れは一向に抜けない。
最終日。
私の前に出された実家最後の食事は、黒ずんだ卵焼きと、おにぎり1つ。
「この色は何?」
『お醤油入れすぎたのよ。色は悪いけど、味は食べてみなわからんし』
わかる!この色からして絶対からい

昔はお吸い物とか、味噌汁を上手に作った。
他の料理は昔からイマイチだったけど、それでも麻婆豆腐とか、トンカツとか筑前煮とか、もっと食事らしいものをだしてくれたものだ。
もう今では何もかも私が作るほうが上になってしまった・・・
やっぱりお母さんのご飯はおいしいわぁ。そんな事を言ってみたい。
何よりも、あんなに長時間買い物に出かけているのに娘の栄養になりそうな食材は一切買わず、最後の最後にあり合わせの卵焼きなんて。
大事にされてる気がしない。
『帰ってこいこい』と口では言ったって、彼女は人に何かしてあげようという気は皆無だ。
『よく帰ってきたね』
そう言って、高価じゃなくていい。その場凌ぎで作ったものではなくて、心を込められたご飯が食べたい。
それはこの夏も変わらない。
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帰省物語 2011 Summer
- 2011/08/20 (Sat)
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BGMはやっぱコレでしょ
(ベタすぎ
)
14~18まで、教頭曰く『秘境』に帰省しておりましたw
相棒のサボテン野郎(とか言うとしばかれるかな
)『ぼーちゃん』をペットボトルホルダーにおさめ、(ちょうど入るサイズやねん
)
今回は例のお兄さんがくれた言葉も心の拠り所にして、一路実家へ。
自分の家の近くには、阪神高速のICもNEXCOの高速道路のICもあるけれど・・・ガソスタに寄ったので、勤務先から程近いICから。
まぁこっちから行くほうが値段が少々安いねんけどなww
空港へ向かう方と故郷へ向かう方のJCTを越えたあたりで、重大なことに気付く。
あ。。
お酒持ってくるん忘れた

オヤジにしーーばーーかーーれーーるーー
るっ
何を差し置いても持ってこなければならなかった、旅行土産の近江の地酒。
やってもたーーーーーー
滋賀旅、親友と行ってきたのですよww その振り返りもまた後ほどw
実家に着くなり、「おっしゃん(父)ごめんーーーーーー地酒忘れた
」
猫なで声を出したところで、許してくれるわけがない・笑
『お前、何が何でもそれは忘れたあかならよー(あかんよ)
(私の荷物を見て)おい、ひこにゃんの饅頭とかどーでもええんよっ
』
確かに父にとっては、ひこにゃんの饅頭などどーでもいい・笑
「それおばあちゃんにあげるんーーーー
あ、ひこにゃんって実は『ひこねのよいにゃんこ』って言うらしいでぇ」
と逸らしてみるが、すっかり拗ねてしまったおっさんは、『わい(俺)の酒ーー
飲みたかったなぁ』と未練たらたらである。
「甘口らしいで。だから冷やでクっと」(オッサンか)
『持ってこん事には「冷やでクっと」もできへんやろっ
』
はい、ご尤も。。笑
「あれ?おかんは?」
『昼前に出てったきり、メシも食わんと何してるか知らんけど、まだ帰ってこんわ』とオヤジっちがため息を吐く。(このとき14時)
「おやじ、ごはん食べた?」
『食ったよ』
父のご飯仕度もせずに一体どこで何をしているんだろう。
狭い町だ。行き先の検討は着く。
町で唯一のショッピングセンターか、某スーパーか、でなければふらふらお地蔵さんにお参りにでも行っているか
しかも移動手段はチャリ。時間も掛かる。
「おかんにバイク買おうか?中古なら安くてあるでしょ」
と何度か打診しているんだけど、父は『しばらく乗ってないし危ない』と乗り気ではない。
母が唯一免許を持っているのが原付なのだ。
私が小さかった頃は一緒に母のバイクに乗って、(子どもでもダメやんね?ほんまは)近所に出かけたものだ。
あの頃の母は、もっと快活で近所のお母さんたちともよく喋っていた気がする。
「あ、でも最後に乗ったん15年以上前やから、今の交通法規とか知らんか。矢印信号とかさー。あれ?原チャは2段階右折やから関係ないっけ?」
『まぁ、理屈はそうやけど・・お前このへんに二段階右折するような交差点があるか?』
・・・・・・・。。ないゎ
頑張れド田舎ーーーーー
笑


14~18まで、教頭曰く『秘境』に帰省しておりましたw
相棒のサボテン野郎(とか言うとしばかれるかな


今回は例のお兄さんがくれた言葉も心の拠り所にして、一路実家へ。
自分の家の近くには、阪神高速のICもNEXCOの高速道路のICもあるけれど・・・ガソスタに寄ったので、勤務先から程近いICから。
まぁこっちから行くほうが値段が少々安いねんけどなww
空港へ向かう方と故郷へ向かう方のJCTを越えたあたりで、重大なことに気付く。
あ。。
お酒持ってくるん忘れた


オヤジにしーーばーーかーーれーーるーー


何を差し置いても持ってこなければならなかった、旅行土産の近江の地酒。
やってもたーーーーーー

滋賀旅、親友と行ってきたのですよww その振り返りもまた後ほどw
実家に着くなり、「おっしゃん(父)ごめんーーーーーー地酒忘れた

猫なで声を出したところで、許してくれるわけがない・笑
『お前、何が何でもそれは忘れたあかならよー(あかんよ)


確かに父にとっては、ひこにゃんの饅頭などどーでもいい・笑
「それおばあちゃんにあげるんーーーー

と逸らしてみるが、すっかり拗ねてしまったおっさんは、『わい(俺)の酒ーー

「甘口らしいで。だから冷やでクっと」(オッサンか)
『持ってこん事には「冷やでクっと」もできへんやろっ

はい、ご尤も。。笑
「あれ?おかんは?」
『昼前に出てったきり、メシも食わんと何してるか知らんけど、まだ帰ってこんわ』とオヤジっちがため息を吐く。(このとき14時)
「おやじ、ごはん食べた?」
『食ったよ』
父のご飯仕度もせずに一体どこで何をしているんだろう。
狭い町だ。行き先の検討は着く。
町で唯一のショッピングセンターか、某スーパーか、でなければふらふらお地蔵さんにお参りにでも行っているか

しかも移動手段はチャリ。時間も掛かる。
「おかんにバイク買おうか?中古なら安くてあるでしょ」
と何度か打診しているんだけど、父は『しばらく乗ってないし危ない』と乗り気ではない。
母が唯一免許を持っているのが原付なのだ。
私が小さかった頃は一緒に母のバイクに乗って、(子どもでもダメやんね?ほんまは)近所に出かけたものだ。
あの頃の母は、もっと快活で近所のお母さんたちともよく喋っていた気がする。
「あ、でも最後に乗ったん15年以上前やから、今の交通法規とか知らんか。矢印信号とかさー。あれ?原チャは2段階右折やから関係ないっけ?」
『まぁ、理屈はそうやけど・・お前このへんに二段階右折するような交差点があるか?』
・・・・・・・。。ないゎ

頑張れド田舎ーーーーー

空に咲く花
- 2011/08/07 (Sun)
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久しぶりに、大学時代の友達が大阪にやってきた。
彼女はこの春大学院を出て、今は生まれ故郷で私立高校の講師をしている。
まとまった休みが取れると大阪に出てきては買い物をしたり、こっちでしかあえない友達と会ったりと充実した生活を過ごしているらしい彼女と、約半年振りの再会。
淀川の花火を観にいくことになった

和服(というより和柄?)が大好きな私は今年もオークションで1500円という破格で紺地に朝顔と萩の花模様の浴衣をGETしていたが・・・今年は『河川敷で見よう

そこでまず連想したのが・・・
河川敷





で、浴衣は断念


混みに混んでいる梅田からはやめて、野田駅周辺から河川敷を目指す。
道中は混んでいたけど、河川敷に行って見ると、野田側からはそんなに混んでなくて人口密度も高くない。
余裕で座る場所GET

ところが、有料観覧席の近くの川原は本当に満員電車以上の人口密度で・・・
『野田、穴場やね』っていう話に。
夏ぴあ、いい仕事してくれるぜ

しかも、花火が始まってわかったことだけど、私たちが見ていた場所からほぼ真正面に花火が見れるのだ

素敵すぎ

十三大橋を通る車も、普段は慌しいのに今日はめっちゃゆっくり

「絶対あれ観ながら走ってるやんねー」なんて言いながら、店員サンは『広島焼きだ』と豪語した、しかしどこからどう見てもキャベツ焼きにしか見えない(笑)粉もんに噛り付く。
後ろには阪急電車が時折通る。 最高

私が大阪に居ていいと思う瞬間、それは阪急が淀川の橋を渡る瞬間だ。
友達は6年間も阪急電車を利用していながらあのマルーン(ってか小豆)色の車体にはオシャレさを感じないらしいが、阪急LOVEな私から言わしてもらえば、それはまったくもって違う。
大阪に阪急以上の電車はないと思う

初河川敷での鑑賞だったけど、ほんまにここから観れてよかった!!!
花火のどーーーーーん

観るだけでストレス解消になるなんて、すごいなぁ

さすが夏の風物詩

友達とはその後、広島焼きもどき(笑)で足りなかった分を、マクドで補い、夜遅くまで喋った。
恋バナがメインだったのに、いつの間にか仕事の話が半分進出してきている。
そういう年になったんだよね

花火、来年も河川敷へ行こう。意外と空いてたから、今度は朝顔の浴衣で

待ちわびた便り
- 2011/08/07 (Sun)
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恩師・A先生から、久しぶりにメールがあった。
何気なく、メールボックスを開いて、先生の名前を見た瞬間、ひどく安堵した。
およそ半年前。当時修士課程の2年生だった友達から、論文の口頭試問にA先生が来ていなかったと、詳しくは知らないが、どうも入院しているらしい、との情報を得た。
心配で色んなところを当たってみたけれど、最近の先生の様子を知るものはおらず、もう院のAゼミにも私の顔見知りはいなかった。
何週間かして、2011年度春学期のAゼミの授業がすべて体調不良でキャンセルされたとの記事を大学の英文科のHPで知った。
半年もの間講義をキャンセルするのだから、大きな病気に違いないと、ひどく心配していたのだ。
そのA先生からのメール。
お体が無事だとわかり、飛び上がるほど嬉しかった。 なんせ先生は、私の心の恩人なのだから。
『Aは入院しておりました。今は何とか大丈夫です』
その文章を見て、あまり大丈夫ではないのだろうな、と悟った。
絶対に教え子の前では弱いところを見せなかった先生が『何とか』大丈夫なんて表現をするくらいなのだ。
ゼミの子を一度集めて先生を励ましに行きたいと思ったが、自宅がR駅の近く・・ということしか知らないし、やっぱり研究室で会うのがAゼミらしい気はする。
「お仕事にはいつ頃復帰されますか? 先生には病気になんて負けないで元気でいてもらわないと困りますよ!」
なんておどけたメールを返したけれど・・本当によかったんだろうか、と悶々としている。
もし、当分仕事復帰が難しければ、治るのに時間の掛かる病気ならば、こんな底抜けに励ますようなメール、逆に苦しいよねぇ。。。
返事はまだ来ていない。
私の考えすぎであると祈りたい。
何気なく、メールボックスを開いて、先生の名前を見た瞬間、ひどく安堵した。
およそ半年前。当時修士課程の2年生だった友達から、論文の口頭試問にA先生が来ていなかったと、詳しくは知らないが、どうも入院しているらしい、との情報を得た。
心配で色んなところを当たってみたけれど、最近の先生の様子を知るものはおらず、もう院のAゼミにも私の顔見知りはいなかった。
何週間かして、2011年度春学期のAゼミの授業がすべて体調不良でキャンセルされたとの記事を大学の英文科のHPで知った。
半年もの間講義をキャンセルするのだから、大きな病気に違いないと、ひどく心配していたのだ。
そのA先生からのメール。
お体が無事だとわかり、飛び上がるほど嬉しかった。 なんせ先生は、私の心の恩人なのだから。
『Aは入院しておりました。今は何とか大丈夫です』
その文章を見て、あまり大丈夫ではないのだろうな、と悟った。
絶対に教え子の前では弱いところを見せなかった先生が『何とか』大丈夫なんて表現をするくらいなのだ。
ゼミの子を一度集めて先生を励ましに行きたいと思ったが、自宅がR駅の近く・・ということしか知らないし、やっぱり研究室で会うのがAゼミらしい気はする。
「お仕事にはいつ頃復帰されますか? 先生には病気になんて負けないで元気でいてもらわないと困りますよ!」
なんておどけたメールを返したけれど・・本当によかったんだろうか、と悶々としている。
もし、当分仕事復帰が難しければ、治るのに時間の掛かる病気ならば、こんな底抜けに励ますようなメール、逆に苦しいよねぇ。。。
返事はまだ来ていない。
私の考えすぎであると祈りたい。
善意と悪意のあいだで
- 2011/07/13 (Wed)
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ちらちらと様子を窺い、給湯室で彼が1人になったのを確認してから、何食わぬ顔で私もマグカップ片手に給湯室に入っていく。
なんでもないような顔で、自分のマグに緑茶を注ぎながら、「先生」と切り出す。
度のきつい近視のレンズの焦点が、私に合わされる。
「沖縄の下見って、やっぱキツいんですか?」
『・・・行くん?』
「いちお、行くって返事はしてるんですけど、キツいよって話聞いて、どうしようか迷ってるんです。やめるなら早く決めないとキャンセル料掛かってきてしまうし・・・」
遡ること3日前。修学旅行の下見に行くメンバーに私が入っていると知った、お局1号が私に言った。
『かなり歩かなあかんしな。だいぶしんどいからよう考えたほうがええよ。』
「もし行って足を引っ張ったり、迷惑になるようなら辞退しますが・・・やっぱり行くのは厳しいですか」
『いや、迷惑とかそんなん違うけど。体力勝負やからさ』
『まぁ、良い方向で考えて欲しいとは思ってるけどな。行ったら行ったで楽しいやろうしな』
真意をはかりかねていた。
彼女は悪い人ではない。言動はきついし、人の悪口も言うけれど、けど、悪人というわけではない。
私は好かれているのか、嫌われているのか。 おそらくそのどちらでもないのだろうが、今回の発言は、本心で気遣ってくれてのものなのか、それとも暗に来て欲しくないといっているのか・・・
判断がつきかねた。
実際に行って、自分にいけるところと行けないところ、出来る仕事と出来ない仕事、ホテルや空港に移動に支障のあるものがあるかないか、そういうところを自分の目で確かめてこようと思ったから行くと行った今回の下見だったが。
体はもう昔のようには行かない。
最後にスーツケースを持って歩いたのは高校二年の短期留学以来。 当時はエスカレーターも乗れたし、飛行機のタラップも余裕だった。少々の段差ならスーツケースを持ち上げるのも何ともなかった。
もちろん、1日数時間歩くのだって、何ともなかったのだ。
しかし、今は。
休みを挟まなければ1時間半も自信がない。
坂だらけのS市内を毎日チャリと徒歩だけで生活していた大学生時代と違い、坂のない平坦な土地に住み、更に車を使うことの多くなった今は、太腿や下腿の太さも一回り小さくなって、筋肉量も減少した。
自分のせいで誰かに迷惑は掛けたくない。
いつもいつも私の芯にまでしみこんでいる考え方。
だから今回だって、もし私を連れて行くことが迷惑になるのなら迷惑だと行って貰ってよかった。
でも大人は本心を隠す。
そこで、相談しようと考えたのが、新任の頃学年主任だった、M先生だった。
今年、同じところに修学旅行にも行っているから、状況もわかりやすいだろうと思ったのだ。
『ガマ(防空壕跡)はやめといた方がええやろうな。足場が不安定やし、暗い。』
『周りの迷惑とかより体が心配や。帰ってきたらすぐに新学期やで。俺、下見のときと本番のDVD持ってるから、それ見たらだいたいどんなところでどんな流れかわかるやろう。暑いさなかに、体に負担を掛けてまで無理することないで』
『自分はよ、その言葉(お局の)を自分を思ってと思ってるんか、それとも『来んな』的な感じなんか、どっちや思ってるん?』
「それが、正直判断しかねてるんですょー
でも善意でやって思いたいですけどね・・・」
『もしな、自分が善意でやって思われへんねんやったら、行くのはやめといた方がええ』
「まだもう少しあるんで、じっくり考えてみます。」
『おぅ、で、体の方はどうなん?』
「いやぁもう、悔しいっすよぅ
去年の今頃からサロンパスデビューしちゃってねー、帰ったら『ぺたぺたぺた、ふう
』ですわー
」
主任独特のいたずらっぽいニカニカした笑いを浮かべる。
『介の字貼り??』
「いや、介の字貼りはひとりで出来ないんで、ハの字貼りと、ひらめ貼りですねぇ。あ、あと、はさみ貼りも
」
かっかっか、と笑う声が大きくなる。
『あ
剥がし忘れ・・・』
「ぇえ嘘
・・・・ってあるわけないじゃないですか
」
『とかあったらおもろいのになぁ・・・』
かっかっかと笑い続ける主任。。
『正直、今迷ってるやろ。 俺はやっぱり(生活の)糧を得られるようにって考えてまうから、役所関係の仕事で
よ、この仕事をしてるときに受けて、スライドしてくってのがええと思うけどなぁ。 この先、車椅子とかになったときに、公立の中学校は働ける環境とは言われへん』
判ってる。判ってる。。
でも先生、せめてもう少しだけ頑張らせて。まだ私、教師を辞めたないんよ。
一生は無理でも、まだ私『学校の先生』でおりたいねん。
転職を勧める人が増えていく。主任のように純粋に体を心配してくれての人もいるけれど、中には、あんたにふさわしい仕事に変わってさっさと辞めろ、と思っている人もいるだろう。
理解してもらうのは難しい。 実際できることも限られてきているのだ。
だからいつかは、この現場を去らなければいけないだろうこともわかっている。
でもそれはまだ、今じゃない。私だって何も考えてないわけじゃないよ。
なんでもないような顔で、自分のマグに緑茶を注ぎながら、「先生」と切り出す。
度のきつい近視のレンズの焦点が、私に合わされる。
「沖縄の下見って、やっぱキツいんですか?」
『・・・行くん?』
「いちお、行くって返事はしてるんですけど、キツいよって話聞いて、どうしようか迷ってるんです。やめるなら早く決めないとキャンセル料掛かってきてしまうし・・・」
遡ること3日前。修学旅行の下見に行くメンバーに私が入っていると知った、お局1号が私に言った。
『かなり歩かなあかんしな。だいぶしんどいからよう考えたほうがええよ。』
「もし行って足を引っ張ったり、迷惑になるようなら辞退しますが・・・やっぱり行くのは厳しいですか」
『いや、迷惑とかそんなん違うけど。体力勝負やからさ』
『まぁ、良い方向で考えて欲しいとは思ってるけどな。行ったら行ったで楽しいやろうしな』
真意をはかりかねていた。
彼女は悪い人ではない。言動はきついし、人の悪口も言うけれど、けど、悪人というわけではない。
私は好かれているのか、嫌われているのか。 おそらくそのどちらでもないのだろうが、今回の発言は、本心で気遣ってくれてのものなのか、それとも暗に来て欲しくないといっているのか・・・
判断がつきかねた。
実際に行って、自分にいけるところと行けないところ、出来る仕事と出来ない仕事、ホテルや空港に移動に支障のあるものがあるかないか、そういうところを自分の目で確かめてこようと思ったから行くと行った今回の下見だったが。
体はもう昔のようには行かない。
最後にスーツケースを持って歩いたのは高校二年の短期留学以来。 当時はエスカレーターも乗れたし、飛行機のタラップも余裕だった。少々の段差ならスーツケースを持ち上げるのも何ともなかった。
もちろん、1日数時間歩くのだって、何ともなかったのだ。
しかし、今は。
休みを挟まなければ1時間半も自信がない。
坂だらけのS市内を毎日チャリと徒歩だけで生活していた大学生時代と違い、坂のない平坦な土地に住み、更に車を使うことの多くなった今は、太腿や下腿の太さも一回り小さくなって、筋肉量も減少した。
自分のせいで誰かに迷惑は掛けたくない。
いつもいつも私の芯にまでしみこんでいる考え方。
だから今回だって、もし私を連れて行くことが迷惑になるのなら迷惑だと行って貰ってよかった。
でも大人は本心を隠す。
そこで、相談しようと考えたのが、新任の頃学年主任だった、M先生だった。
今年、同じところに修学旅行にも行っているから、状況もわかりやすいだろうと思ったのだ。
『ガマ(防空壕跡)はやめといた方がええやろうな。足場が不安定やし、暗い。』
『周りの迷惑とかより体が心配や。帰ってきたらすぐに新学期やで。俺、下見のときと本番のDVD持ってるから、それ見たらだいたいどんなところでどんな流れかわかるやろう。暑いさなかに、体に負担を掛けてまで無理することないで』
『自分はよ、その言葉(お局の)を自分を思ってと思ってるんか、それとも『来んな』的な感じなんか、どっちや思ってるん?』
「それが、正直判断しかねてるんですょー

『もしな、自分が善意でやって思われへんねんやったら、行くのはやめといた方がええ』
「まだもう少しあるんで、じっくり考えてみます。」
『おぅ、で、体の方はどうなん?』
「いやぁもう、悔しいっすよぅ



主任独特のいたずらっぽいニカニカした笑いを浮かべる。
『介の字貼り??』
「いや、介の字貼りはひとりで出来ないんで、ハの字貼りと、ひらめ貼りですねぇ。あ、あと、はさみ貼りも

」
かっかっか、と笑う声が大きくなる。
『あ

「ぇえ嘘


『とかあったらおもろいのになぁ・・・』
かっかっかと笑い続ける主任。。
『正直、今迷ってるやろ。 俺はやっぱり(生活の)糧を得られるようにって考えてまうから、役所関係の仕事で
よ、この仕事をしてるときに受けて、スライドしてくってのがええと思うけどなぁ。 この先、車椅子とかになったときに、公立の中学校は働ける環境とは言われへん』
判ってる。判ってる。。
でも先生、せめてもう少しだけ頑張らせて。まだ私、教師を辞めたないんよ。
一生は無理でも、まだ私『学校の先生』でおりたいねん。
転職を勧める人が増えていく。主任のように純粋に体を心配してくれての人もいるけれど、中には、あんたにふさわしい仕事に変わってさっさと辞めろ、と思っている人もいるだろう。
理解してもらうのは難しい。 実際できることも限られてきているのだ。
だからいつかは、この現場を去らなければいけないだろうこともわかっている。
でもそれはまだ、今じゃない。私だって何も考えてないわけじゃないよ。
脆い綿菓子
- 2011/06/29 (Wed)
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以前、このブログで書いた、マルチ商法に足を突っ込んでいる友人からまた電話があった。
最近頻繁に、彼女がオフの日には遊ばないかとお誘いが来る。
数年前なら二つ返事でOKしていたのだけれど、この頃はのらりくらりとかわすようになった。どうせ会ったって、マルチの会社の話か、その会社の商品の話しかしないのだ。。
電話も極力取らないようにはしていたのだけれど、あまりにしつこいので出ることにした。
何気ない挨拶から始まって、今日の話はその会社とは関係ない、と語気を強める彼女。
いつからこんなに押し付けがましい口調で喋るようになってしまったのか

彼女の話は、彼女が尊敬する講師の先生が講演会を開くので聞きにこないかと言うものだった。
よくわからないが、どうも自己啓発セミナーの類らしい。・・・もうそれだけで胡散臭い。
そもそもさぁ、今の私が自己啓発を必要としてるかどうか、考えてから電話しろよ・・・と思ったり・苦笑
セミナー内容について、突っ込んだ質問をしてみたのだが、彼女の話はイマイチ要領を得ない。
『とにかく素晴らしい人でね


「うん、それはわかったけど、その人はどんな話をしはるん?」
『うーーん、何て言ったらええんやろな。聞いてもらうんがいちばん早いねんけど・・私じゃうまいことよう言わんわ。でもとにかく聞いて欲しい

なんやそれ・・・と言うのを、口から出掛かってやめた。
これでも彼女、生保の営業が仕事である。
でもこの話し方じゃ、『うちの商品めっちゃええねん!とにかくええねん!!え?中身??私はうまいことよう言わんけど使ったら良さわかるから!とりあえず買って!』
って言ってんのと同じやんかねぇ

自分が人にものをすすめるのに、自身がそれについてよく知らないなんて論外

あんた、ほんとに営業務まってるの

早くもブラックめぐさんが降臨しそうになっていた

私はこういう人種に対して、ことごとく冷めている。
ちょっとイジワルをしてみたくなって、もっと突っ込んだことを聞いてみた。
「さっきさぁ、○○社(マルチの方)とは違う団体だって言ってたけど、○○社の社員たちの一部で立ち上げてんやんね?」
『うん』
「ほんなら、登記上もまったく別々のものってこと?」
『え?』
「会社立ちあげたら、登記簿に載るでしょ。(私もこの辺の法律はよく知らんねんけど

『あー違う違う。会社じゃなくってね、その講師の先生の会社に賛同する○○社内のサークルって感じかな』
・・・さっきと言うてることがちゃうやんけーーーー

いつからこんなに頭の弱い子になってしまったんだろう。昔はもっと聡明な子だったのに・・・
「さっきの説明と矛盾してない?」
『あ、ごめん。私の言い方が悪かったかな・・・』
悪い。超悪い。。最悪。。。(ブラック既に降臨中

『とにかくね、私はめぐさんをその先生に是非会わせたくって


おーーーーーい・笑 ちょい待ちぃな

突っ込みどころ満載の彼女の暴走トーク。
あのね、いつ私が今の私の人生が悪いなんて、言った?笑
より良くしてほしいなんて、いつ頼んだ?
勝手に人の人生の価値を、あんたに決める権利があんのかよ(怒)
そりゃ生きてれば色々ある。
仕事は大変だし、体だって良くはない。子どももかわいいばっかしじゃない。
でも、私は今の私の人生に満足している。この仕事を選んだのだって後悔はしていない。
もしかしたら他の生き方もあったのかもしれないけれど、少なくとも他の生き方を選んでいたであろう自分を思っても、ちっとも羨望はわかないから、総括して、満足しているのだ。
順風満帆な人生は楽だが、空っぽだ。
尤もそんな人はいるのかと思うが。
やりきれない事たちや、社会の不条理を目の前にしても、それをあーだこーだと言い合える仲間も私にはたくさんいる。
人生って、そういうたくさんのやりきれない事もあってこそ、些細な幸せが光るものだと思うのだ。
そうして嘆きながらでも、明日へ向かっていく強さを、誰でも持ち合わせているのだから。
だから、私は今の私で満足だ。
それよりもいい年齢をして、『夢』だの『理想の自分になるため』だの現を抜かしている彼女は痛々しい。
地に足がついていないのは、誰から見ても明らかだ。
そりゃ、例えば『30歳までにいくら貯める


そんなんは高校生までに許される特権だ。少なくとも社会人3年目の言う事じゃない。
彼女の話では、いずれマルチの会社での仕事を軌道に乗せて、生保会社を辞める気でいるようだ。
だがそれは賢明ではないと思う。
軌道に乗っても、それは一時のこと。 あとは衰退が待っている。
長く軌道に乗っていられたとしても、その間に多くの大切なものを彼女は失うに違いない。
信用とか、友達とか、そういう簡単には築けないものを・・・・
きっと会社の幹部にマインドコントロールされてしまっているんだろう。
会社のことを話す彼女は尋常ではない興奮ぶりだし、誰が考えてもおかしいやろ・・ってなことも、100%正しいと信じて疑わない。
イタすぎて見ていられないよ。。
彼女の出鼻をくじいてやることにした。私は時々、とことん冷めてしまうと、とことん狡猾になれる生き物だと思う。
「あのさぁ、△ちゃん(友人)が言ってるのがすっごく良いんだろうなって言うのはよくわかるねんけどな、たぶん勧められる人って、私と同じようにそのセミナーなり商品なりをまったく知らん人がほとんどやんか。きっと頭ん中にいっぱい『?』があると思うねん。私もあるけど、それが今の話でな、まったく解消されへんかってんな。それでどこがええんかようわからんままやったら、やっぱし嫌やん。せやから最低限、△ちゃんが自分で中身を説明できるようになっとかなあかんちゃうかな。でないと、付いてきてくれる人は出てこーへんのちゃうかなと思う。そりゃ△ちゃんはそれについてよう知ってると思うけどな、勧める相手は無知やねんで」
穏やかな口調を意識して、でも仕事のときに生徒に言うような無言のニュアンスを口調の中に織り交ぜる。
『・・・うん、それはそうやな。そうするわ。ありがとう』
彼女の返事も穏やかだったが、言葉の調子の端々に少し弱い部分を突かれた後の独特のふらつきが見て取れた。
少し引き上げて、こちらに対する警戒心と言うか、敵意なりをほぐすことにする。
「夢のために△ちゃんはその仕事頑張ってるみたいやけど、△ちゃんの言うさぁ、夢とか理想の自分って何なん?」
再び彼女は嬉々として語りだす。得意分野とそうでないものの差が激しすぎて、すごくわかりやすい。
まぁ、そんなだからマルチの会社になんか引きずり込まれちゃうんだろうけどね

『私の「成功してる人」のイメージって、やっぱり収入をたくさん得てる人ってイメージがあるんな。』
その一言で、他の全ての言葉が褪せていく。他にも何か尤もらしいことを言ってはいたけれど・・・
結局は金儲けに目が眩んだんやね

金儲けに目が眩んで、そんな愚かな選択に走る、あるいは、正常な判断力が利かなくなって、その会社に引きずられたんだ。
これを哀れ以外の何と言おう。
私はと言えば、ますます彼女に軽蔑していた。
(もう友達なんかじゃない)
二次障害で困っているのさえ、自分のビジネスに利用しようとする人。いくらかそこに善意が混じっている筈って信じるようにはしていたけれど、結局100%金目当て。
あーあ、哀しいね。
『めぐさんの夢とか理想の自分ってどんなの?』
無邪気に聞いてくる彼女に私は言った。
「ないよ、そんなん」
え?と狼狽する彼女。
「K大に入りたいって言うのも夢なんかじゃなかったし、教師になりたいってのも『夢』って言葉では片付けられんのよな。それに全部実現してきたし。だから、もう夢とかない。ただ1日1日自分がすべきことをしていく中で、課題が見えてきて、それをクリアしていくように努力することがすなわち『理想の自分』に繋がるものやと思うし。でも、理想とか、漠然とはあるけど、それを本気で追いかけてどうこうのレベルじゃない。自分が今日出来ることをして明日につなげていくだけやん。それをしてたら、どんな状況でも、最悪にはならへんわ。
それに、私の夢とか理想とかってさ、△ちゃんが言うようなお金で解決するもんではないんよな。だから、理想の自分を実現するために、お金が必要だとは思わない。私は今の自分に満足してる。足りひんところもいっぱいあるけど、それを少なくしていくために今日をがんばってる。それでいい、私は」
『へぇ~そうなんや』 腑に落ちない様子の声。
でも今の彼女にはわからないだろう。 夢はただ甘く、弱く綿菓子のように存在するから『夢』なのだ。
そんな弱いもの、私は抱かない。
『夢だ』と言っている限り、夢のまま終わる。夢ってそういうものだ。 実現させるために抱くのはやっぱりもっと具体的なものだ。
今、綿菓子の甘さばかりを見ている彼女に、その脆さが見えているはずもない。
同じ大学を受け、共に落ちた。 私はそこは第3志望で、彼女は第1志望だった。
彼女はランクをかなり落とし、無理しなくても入れる大学に落ち着いた。まだその大学の一般入試も残っていると言うのに。
でも私は、あくまでそこは滑り止めでしかなく、第1志望に合格した。
その時点から、私たちの生き方は違っていたのかもしれない。 私は取りに行くと決めたものは、どれだけ遠回りをしても絶対取りにいく。(でもだから逆に、本気で取りに行くと思っていないものは取れない)
絶対譲れないものって、彼女にあるのかな。
まっすぐで、ひたむきで周りが見えないけれど、そういうところに芯の強さを感じない。
本当に欲しけりゃ、本気で取りに行けよ、と思う。
きっと本業の仕事もキツいのだろう。私だって職場によく来る生保のお姉さんをかなり邪険に扱っている節があるくらいだもの。もっとキツい人は、もっとキツい対応をするだろう。
だから、そんな、甘い綿菓子を求めるのか。
本業でもっと頑張ろうとは思わないのか。 尤もそれも自分がとりにいくと決めて取ったものかわからないけれど。
「でさぁ、そのセミナーっていつ?」(勿論行く気はない)
『今度の月曜日』
はぁん



「あんな、その日仕事やねんけど」
『わかってる。でも19時からだし・・・22時までやってるから、途中からでも』
「私とこ、毎週月曜会議やねんか」
『会議かぁ

しつこいな。本音はその一言に尽きる。だいたい私は火曜も仕事なのよ。
「で、どこであんの?」
『S駅から近いよ』
S駅。大きなターミナル駅だが・・・昔住んでいたS市からなら電車で数駅、10分と掛からないが、今住んでいるところ・・ましてや勤務先からなら1時間半は絶対掛かる。第一絶対しんどい。
これがデートとかなら何としても行くだろうが、そこまで行きたいものでもないし、そんなもののために翌日分の体力を消耗するのもアホらしい。
それに彼女の口からは『仕事帰りで疲れてるやろうけど・・・』とかそういう配慮の言葉がまったくない。
自分が来て欲しい、そればっかり

「あのさぁ、△ちゃんも昔この辺にいたからわかる思うけど、そこまで行くの1時間半は掛かるよ?」
『うん、でも絶対めぐさんの人生にプラスになる話やねん。だから!!』
話にならない。 プラスになるかどうかは私が決める。
でも行かないといえば、とことん食い下がってくるだろう。
「会議も今、重要な案件抱えてるし、生指(生徒指導)もちょっとややこしいの学年で抱えてるから、絶対行けるって約束はできひん。だから、期待せんと待ってて」
『会議が早く終わって、問題もなかったら来てくれる?』
彼女って誰かと付き合ったら、絶対重いって思われるよなぁ・・・なんて頭の隅で思いながら、
「だからさ、突発的に事件が起こる現場やねん、ウチらは。18時に帰ろう思った日に限って、喧嘩だとか万引きとかで帰るの21時になることだって、ままあんねんからさ。絶対って言われへんねん」
『でも何もなかったら、来てくれる?』
「だからな・・・」
この押し問答が2回

余程『ウザいよ、そういうの』と言いたくて溜まらなかった。きっと言っても、自分のどこが悪いのか今はわからなさそうだから、やめたけど・・・。
「行けそうならメールする。メールがなかったらダメだと思って」
電話の向こうで、終電を告げるメロディが流れている。続いてアナウンス。
――――××行き、最終電車でございます。
ほどなく電車が滑り込む音。
『ねぇ。私の話聞いて、興味持ってくれた??』
(興味じゃなくて、失望するばっか)
「それ終電でしょ。早く乗りぃや。そっからなら、タクシー乗ってもだいぶかかんで。それじゃ、おやすみ」
『なぁ、興味持ってくれた?』
(鬱陶しいって・・・)
「うんうん。電車乗んねんやろ。切るよ、周りの迷惑になるし。 おやすみ」
きっとしばらく、彼女と話はしないだろう。
人間て、どこで判断を誤るのだろうか。
彼女は私たちの恩師にもセミナーに来てくれと勧誘していたらしい。
『この辺であるならまだしも、100km以上はなれたところにそれだけのために行けるわけないやんかー。ちょっと普通の判断ちゃうわな』と恩師も言う。
友達が本当にひとりもいなくなる前に彼女は洗脳から抜け出せるだろうか。
草鞋を履き替えるのは・・・
- 2011/06/24 (Fri)
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試験の解答用紙を作るため、PCにかじりついているときだった。
『めぐさんはずっとこの仕事、続けるん?』と隣の席の先生が聞いてきた。
「私は続けたいと思ってるんですけど・・・」
それを周りが認めてくれるかどうか・・・
『俺はもう早よ定年迎えたいわ。毎日毎日よ、ほんましんどいで。はっきり言うて肉体労働や。動いてなんぼの仕事やしや。 保護者も子どもも変わってきてる。これからはほんまに大変な時代やで。』
『俺の息子、今大学生やねんけどな、教師にはなるなって言うてんねん。本人もならへん言うてるしな。・・・あそこの郵便局にな、足の不自由な人、窓口で働いてんで。めぐさんもあんな仕事やったらよ、ずっと座ってできるし、ええと思うけどな。採ってくれるんもやっぱ若いうちやし、仕事かえるなら今のうちやで。俺が身内なら、そない言うけどな』
そういう仕事もあるってわかっていた。
わかっていたけど、それを敢えて選ばなかったのは、私がこの仕事を掴み取ったからだ。
けれども、私はまだもう少しこの仕事を頑張るつもりだった。
しんどいけれど、しんどいって言いたいけれど、そうしたらまた同じようなことを言う人が増えるだろう。
隠れて背中をさする日々。
隠れてテーピングをする日々。。
やっぱり隠し通さなければならない。
定年まで続けるなんて、そんな傲慢は言わない。
だからもう少し、応援して欲しいって言うのは私のわがままか・・・。
I Need Ur Help But I Cant Call 4 It........

SYM48
- 2011/06/12 (Sun)
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今日は久々の終電
大阪の大動脈は、日付が変わっても眠らない。
そんな大阪の大動脈に揺られて、私も運ばれて行く。
やっぱり大学時代の仲間っていい

話が合うし、遊びも何もかも共にしている相手と言うのは、過去も共有できる。社会にいちばん近い位置にいるときの仲間だから、会社の話もしやすい。
私が毎月渇望している、A教室の定例会だ
今回は大学生になった、かつての教え子や、今は名古屋で働いている人もわざわざ来てくれるというので、楽しみはいつもの数倍だった。
電車の接続が悪すぎて遅れて私が行くと、もう既に何人かは集まっていた。
最近飲みたくても飲めなかったビール
(お金がなかったので、買えなかった
)をオーダーww
乾杯のあと、万感の思いで(大げさ
)で一口飲むw
・・・ふぁ~んまぃ
(ごめんなさいね、オッサンみたいで・・・笑)
最近やっとお酒の味に慣れてきたであろう、教え子のI君は『やっぱビールまずいっすねぇ』と何とも言えない苦い顔をしている。
最近の子って、ビール飲めへん子多いよね。。
まぁでも、あと2年もすればビールの良さがわかるのだろう。特に働き始めたらビールのおいしさは一際わかるようになる筈。
久しぶりに会う、同じ教員のN先生とは、会えない間に積もっていた授業の話やら職場の話やらが尽きない。
別の職場で働いてるというのは有難いものである。
これがもし同じ職場なら(ギョーカイ用語で『同勤する』と言います)きっと私はここまで日頃感じていることを吐き出せないだろう。
しかも世間は狭いもので、辞めていった新任がN先生の大学の後輩だとは知っていたけれど、なんと面識があるらしい
『やっぱり○○君やったんかぁ~。彼から××市に配属になったって聞いて、しかもめぐさんの、新任の先生の話聞いててもしかしてと思ってたんやけど・・・』
ほんまに辞めてもたんは残念。うちの職場、特に新人に厳しいところだから1年は耐えてみてほしかった。
まぁ本人が決めたことだから、周りがとやかく言うのもあれやけどね。
私がとことん苦手なお局2号(育ちの良い)の話をしたら、あっさりと一言、
『とことん嫌われたらええやん。自分も嫌いなんやし』
目からウロコ~
そっか、好かれなくてもいいやん
笑
今までずっとその2号に好かれようとばかり思ってきて、その考えしか持ってなかったから、これは新しい風だった。
例えば、誰か他の人に相談していたなら、『あの人(2号)はすごい先生やねんから、そんなん言うてんと謙虚になってもっと色々教えてもらうべきやで!!』とか何とか言われるに違いない。
なんか、私の側に立って、でも偏った意見じゃなく言ってくれたのがすごく嬉しかったし、心も軽くなった。
いつもそう。仕事から来る心の重みはN先生に相談すると、大概半分になる。
張り合わなくていいからかもしれない。
学生の頃から知っていて、教師ではない私の一面も知ってくれていて、私がヘタレ教師なことも、でもってヘタレだけでもないことも知ってくれているから、絶対私の人格そのものを否定しないって私もわかっているし、私もN先生の方が教師としてのキャリアは少し上で、その上、指導力もあって仕事の面で尊敬する面もたくさんあるから、無駄にしっかりしてええとこ見せな
っていうのじゃなくて、安心してヘタレな面を見せられるから、気軽に相談できるのだと思う。
「○○君にも、もうちょいがんばってほしかったなぁ。うちの職場の特性やし、厳しいの。」
『若手で飲み行ったりせえへんの?』
「最近あんまそういうのないんですよねー。寂しいことやなぁと思うけど」
『だったら、めぐさんがそういう場作ったらいい』
「あーそっかぁ。『ヘタレ会』作ろうかなぁ
」笑
さて、ヘタレ会発足なるか。乞うご期待
名古屋から駆けつけてくれたSさんとも会うのは久しぶりで、席も隣だったので、これまた話が弾む
最近彼は車が欲しいらしく、車の維持費の話やら会社のグチやらが主。
うむw 別に心配しなくても、あなたほどの収入があればきっと車1台くらい余裕でしょ
と思うのだけど、やっぱり車って金食い虫だからなぁ・・・
「もうガソリン代だけでもバカになりませんよぅー。私のご飯より高いんやから
」と膨れていたら、
『でも「まーち君」とは体重が違うから』とアッサリ言われた。
・・・うまいこと言うなーw なんか悔しい
話のオイシイとこ全部持ってかれた感ある・笑
仕事のグチも、後ろ向きに話すんじゃなく、それを吐き出して明日への糧にするために話す感じだから、言っていても聞いていても苦にはならない。
ほんま学生時代ってよかったよねー。
ほんま戻りたいねー。
そんな話が出来るのも大学時代の仲間だからこそ
今回は、nさんやOさん等、毎月毎月のレギュラーメンバーとそんなに話ができなかったのが残念だけど
久しぶりにキャラの濃さNO1のH先生も加わって、ほんまお腹がよじれるくらい笑えた。
でもすごいのが、H先生が来た瞬間、みんな各々小規模なグループで喋ってたのが、一斉にH先生の方に注目が集中して話題がひとつになる。
そのカリスマ性、私も欲しい(教師として)
笑
職場では感情を出すのさえためらいがあるから、こうやってほんまに自然にお腹がよじれるほど、ほっぺたが痛くなるほど笑える瞬間って、泣きたいほど有難い。
そしてそして、そんな感情を出せる、私をわかってくれる仲間がいること。
もうほんまみんな大好きや
かけがえなさすぎて泣きそう

私ほんまに、あそこでバイトしててよかった。
Old Good Days ばんざい
30を目前にして、色々みんな思うところがあって、そんな諸々を言い合えて、ろくでもない社会を罵って、古きよき日を共有できる。それってごっつ素敵やんね
ちなみにタイトルは、本日出た名(迷)言ww
ちなみにこんなのも・・・ 『エブリディ ○○○』
もちろんカチューシャではありませんww
それを聞いた教え子Mさんの間髪入れない『嫌やー』が最高やった
笑
また、来月を楽しみにして、週明けからの仕事がんばろう。

大阪の大動脈は、日付が変わっても眠らない。
そんな大阪の大動脈に揺られて、私も運ばれて行く。
やっぱり大学時代の仲間っていい


話が合うし、遊びも何もかも共にしている相手と言うのは、過去も共有できる。社会にいちばん近い位置にいるときの仲間だから、会社の話もしやすい。
私が毎月渇望している、A教室の定例会だ

今回は大学生になった、かつての教え子や、今は名古屋で働いている人もわざわざ来てくれるというので、楽しみはいつもの数倍だった。
電車の接続が悪すぎて遅れて私が行くと、もう既に何人かは集まっていた。
最近飲みたくても飲めなかったビール


乾杯のあと、万感の思いで(大げさ

・・・ふぁ~んまぃ

最近やっとお酒の味に慣れてきたであろう、教え子のI君は『やっぱビールまずいっすねぇ』と何とも言えない苦い顔をしている。
最近の子って、ビール飲めへん子多いよね。。
まぁでも、あと2年もすればビールの良さがわかるのだろう。特に働き始めたらビールのおいしさは一際わかるようになる筈。
久しぶりに会う、同じ教員のN先生とは、会えない間に積もっていた授業の話やら職場の話やらが尽きない。
別の職場で働いてるというのは有難いものである。
これがもし同じ職場なら(ギョーカイ用語で『同勤する』と言います)きっと私はここまで日頃感じていることを吐き出せないだろう。
しかも世間は狭いもので、辞めていった新任がN先生の大学の後輩だとは知っていたけれど、なんと面識があるらしい

『やっぱり○○君やったんかぁ~。彼から××市に配属になったって聞いて、しかもめぐさんの、新任の先生の話聞いててもしかしてと思ってたんやけど・・・』
ほんまに辞めてもたんは残念。うちの職場、特に新人に厳しいところだから1年は耐えてみてほしかった。
まぁ本人が決めたことだから、周りがとやかく言うのもあれやけどね。
私がとことん苦手なお局2号(育ちの良い)の話をしたら、あっさりと一言、
『とことん嫌われたらええやん。自分も嫌いなんやし』
目からウロコ~


今までずっとその2号に好かれようとばかり思ってきて、その考えしか持ってなかったから、これは新しい風だった。
例えば、誰か他の人に相談していたなら、『あの人(2号)はすごい先生やねんから、そんなん言うてんと謙虚になってもっと色々教えてもらうべきやで!!』とか何とか言われるに違いない。
なんか、私の側に立って、でも偏った意見じゃなく言ってくれたのがすごく嬉しかったし、心も軽くなった。
いつもそう。仕事から来る心の重みはN先生に相談すると、大概半分になる。
張り合わなくていいからかもしれない。
学生の頃から知っていて、教師ではない私の一面も知ってくれていて、私がヘタレ教師なことも、でもってヘタレだけでもないことも知ってくれているから、絶対私の人格そのものを否定しないって私もわかっているし、私もN先生の方が教師としてのキャリアは少し上で、その上、指導力もあって仕事の面で尊敬する面もたくさんあるから、無駄にしっかりしてええとこ見せな

「○○君にも、もうちょいがんばってほしかったなぁ。うちの職場の特性やし、厳しいの。」
『若手で飲み行ったりせえへんの?』
「最近あんまそういうのないんですよねー。寂しいことやなぁと思うけど」
『だったら、めぐさんがそういう場作ったらいい』
「あーそっかぁ。『ヘタレ会』作ろうかなぁ

さて、ヘタレ会発足なるか。乞うご期待

名古屋から駆けつけてくれたSさんとも会うのは久しぶりで、席も隣だったので、これまた話が弾む

最近彼は車が欲しいらしく、車の維持費の話やら会社のグチやらが主。
うむw 別に心配しなくても、あなたほどの収入があればきっと車1台くらい余裕でしょ

「もうガソリン代だけでもバカになりませんよぅー。私のご飯より高いんやから

『でも「まーち君」とは体重が違うから』とアッサリ言われた。
・・・うまいこと言うなーw なんか悔しい

仕事のグチも、後ろ向きに話すんじゃなく、それを吐き出して明日への糧にするために話す感じだから、言っていても聞いていても苦にはならない。
ほんま学生時代ってよかったよねー。
ほんま戻りたいねー。
そんな話が出来るのも大学時代の仲間だからこそ

今回は、nさんやOさん等、毎月毎月のレギュラーメンバーとそんなに話ができなかったのが残念だけど

久しぶりにキャラの濃さNO1のH先生も加わって、ほんまお腹がよじれるくらい笑えた。
でもすごいのが、H先生が来た瞬間、みんな各々小規模なグループで喋ってたのが、一斉にH先生の方に注目が集中して話題がひとつになる。
そのカリスマ性、私も欲しい(教師として)

職場では感情を出すのさえためらいがあるから、こうやってほんまに自然にお腹がよじれるほど、ほっぺたが痛くなるほど笑える瞬間って、泣きたいほど有難い。
そしてそして、そんな感情を出せる、私をわかってくれる仲間がいること。
もうほんまみんな大好きや




私ほんまに、あそこでバイトしててよかった。
Old Good Days ばんざい

30を目前にして、色々みんな思うところがあって、そんな諸々を言い合えて、ろくでもない社会を罵って、古きよき日を共有できる。それってごっつ素敵やんね

ちなみにタイトルは、本日出た名(迷)言ww
ちなみにこんなのも・・・ 『エブリディ ○○○』
もちろんカチューシャではありませんww
それを聞いた教え子Mさんの間髪入れない『嫌やー』が最高やった

また、来月を楽しみにして、週明けからの仕事がんばろう。
理不尽な善意
- 2011/03/28 (Mon)
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私を包む見えない空気の膜が、私を護っている見えない空気の膜が、音を立てて壊れるのがわかった。
それを壊した張本人は、私に背を向けて自宅があるのであろう方向へ歩いている。
絶えず緊張感を保ってその膜を壊さないようにしてきた私は、無重力の空間で宇宙服に穴が開いたみたいな気分だった。
とりあえず気分を鎮めるために、深呼吸を数回繰り返す。憎らしく思っていた外の冷気が今は有難い。
今日はA教室OBの定例会の予定だったのだが、メンバーの都合が悪いのか延期になった。
持て余した休日を埋めようと、高校の同級生にメールした。彼女は今、私の隣の市に住んでいる。
彼氏と晩御飯の約束だが、それまでなら・・・ということで、私たちは難波に集合した。
同級生の彼女は、数年前1年ほど、私が勤務する市の別の中学校で養護教諭の常勤講師だった。今は同じ市内の歯医者で歯科助手として働いている。
給料は常勤講師のときの方がよかったけれど、結果的に今の仕事の方がいいという彼女。彼氏とはしばらく同棲中だが、金銭的なこともあって、なかなか結婚に踏み切れないと言う。
最近なるべく節約を心がけている私だが、今日は奮発してカフェで1200円も使ってスイーツ3点盛りを平らげてしまった
財布の中身は減るし、脂肪は増えるし・・・という最悪コースだけれど、おいしかったから良し
笑
モットーは『食費と教育費は惜しむな
』だもんね~
笑 (間食とかは惜しむべきだけどね・・)
色々な話をした。
恋バナや仕事の話が主だったけれど、ケーキはおいしかったし、近くに座っていたカップルのバースデーサプライズも見れたし、紅茶はおいしかったw
彼女も自分が職場で役に立てていないことに悩み、毎月支払われる給料が自分に見合わない、給料泥棒だと自分を責め続けて、辞めた。
それを聞いた時、まだ学生だった私は彼女を「真面目すぎる」と思った。
そんな事気にせずに「こんだけ貰えてラッキー
」と思えばよいと、わざわざ条件の悪い職場へ再就職して、お金がないと嘆くなんて勿体無いと思ったものだ。
しかし、自分がいざ似た状況になってみると、自分がこう思えばいいのに・・・と思っていたようには到底思えないのだ。
自分も自分の貰っている給料が、自分の実力に見合うと思えない。
それでも自分の家の家賃を払ったり、毎日のご飯を食べたり、車のローンを払ったり、奨学金を返したり、時々着たい服を買ったり・・・時々スタバでコーヒーを飲んだり。。
そんな大事なことやくだらないことを手放せない私もいる。
大学院に進学したいという夢や、足のオペを実行するという目標や、実家の両親の暮らしを助けるといった義務も放棄できない。
そのために情けなくても惨めでも不甲斐なくても役立たずでも、少しでも昨日よりマシで在れと努力しながら必死で教諭という仕事にしがみついている私。
そしてやっぱり、子どもと関われない仕事は嫌だった。
でも今。どうしていいかわからなくなりつつあった。 続けたいという思いと辞めたほうがいいという思いが混在している。自分でもどちらなのか、わからないのだ。
でも『どんなときでも学校来てな。』という手紙をくれた子が卒業するまで、教頭が『辞めんなよ』と言った、そんな些細だが大きな理由で、どうにかこうにか踏ん張っている。
とりあえず、だからあと1年。 それまでに結論を出す。
そう決めたものの、続けていく自信も、辞表を書く勇気も、 今の私にはない。
そんな意気地なし。
だから養護教諭をアッサリと手放した彼女の決断力に脱帽していた。
普通に友達として心おきなく話をしたいと言うので誘ったけれど、話の3分の1は私のグチになっていた。
私も彼女も実家が貧困家庭で苦労をしているので、金銭的な面に於いては共感できる点が多いけれど、社会人になってする彼女の贅沢が、2~3ヶ月に1度の美容院と年に2~3回服を買うことだなんて・・・
彼女のあまりの物欲の無さに、自分がひどく俗物的で汚いもののように見えてしまう。
私なんてついこの間、セールの服買っちゃったしね
今すぐ必要ではないものを買うという当たり前に出来るようで、実は贅沢なことは私のアコガレの象徴でもあった。
いつも金銭のやりくりに苦労していた実家では、必要でないものを買うなんてことは言語道断であった。必要なものですら買えないこともあった。
私が大学を出られたのも親戚から時折援助があったからだ。
だから必要でないものにお金を掛けられるということに少し心の余裕を感じたりしてしまう。
社会人になったばかりの頃は、それが嬉しくて様々なものを買った。
すぐに学生の頃から使っている衣装ケースは埋まった。
だから服を買う意味もない。それでも時々買ってしまうのは、ストレスのせいなのか何なのか。
幼い頃のように、モノも心も満たされない状態からは脱したけれど、今、モノに困ってはいないけれど、心は埋まらないままだった。
だから自分が傷つかないように心ごと自分を覆う膜を張る。常に一定の緊張感を保って。
でも、それは思いのほかしんどいことだった。
でもそれを張らずに生きるのは怖すぎた。
仕事を変えようか変えまいか、真剣に悩んでいるときに、もう心身ともにボロボロなときに母は無邪気に追い打ちを掛ける。
『借金(奨学金を借りていることを母はこう呼ぶ)の保証人が○○君(父方の従兄弟)になってるでしょう?だからお父さんが心配してるんよ。もし何かあって○○君に迷惑掛けたら悪いって。安い金額とちゃうし』
悪意のある姑みたいな口調で言うもんだから、すっかり「仕事が出来なさ過ぎて役立たずなのが辛くて、仕事を変えようか迷っている」なんて言える雰囲気は微塵もなくなった。
私がちゃんとしなきゃ。私ががんばって働かなきゃ。でないとみんなに迷惑が掛かる。
母の言葉で、私の心はまた1つがけっぷちに追い詰められる。
そんな話が出来るのも、彼女ならではだった。なかなかお金に困ったことのない友人にこの手の話は出来ない。

友達と話して、ほんの少し気分も晴れ、いつものように地下鉄を降り、地上へと向かうエレベーターに乗り込んだとき、後ろにいたおじさんに『一緒に乗ってもいいですか?』と声を掛けられた。
はいと答えたが、直感で胡散臭いと思った。
大阪でも田舎のほうだとは言え、大阪の大動脈と言われる路線の結構な利用者数を誇る駅のエレベーターで、そんなに混んでもいないのに答えの解りきっている問いを投げかける胡散臭さ。
スーツの下のシャツがワイシャツではなくて、ポロシャツなのも胡散臭さを強調している。
エレベーターが地上につき、私はいつもそうするように「開」ボタンを押したまま「どうぞ」と言った。
『ありがとう』と言って、おじさんは何事も無くエレベーターを降りた。
それで終わればよかった。
でもおじさんは一足遅くエレベーターを降りてきた私を振り返って、『がんばってねぇ』と言った。
それだけならよくあること。私も用意した笑みを貼り付けて「ありがとうございます」と言った。
世の多くの人は、普通に街を歩いているだけで素性のわからない人から「がんばって」と言われる苦痛を知らない。
『私もよく車椅子を押すことがあるんですよ』
何の脈絡も無い話。障がいを持った人をすべてひと括りにしないで欲しい、と苛立った。
足が不自由=車椅子。とか、そんな幅の狭い固定観念。
そんな苛立ちは微塵も見せず、私は心にもない笑顔で言う。
「そうなんですかー。それはお仕事か何かで?」
『いえ、助けてあげたいと思ってね』
偽善を無理に押し付けたような言い方だった。
助けてあげたいとおもって・・・・だって?
確かに私を含め、どこかに障がいがあれば、そうでない人に比べて人の助けを多く必要とする。だが、自分でできることをろくに確認もせず、自分の自己満足の為なのが見え見えで、手を貸されることがどれほど悔しくて惨めなことか、それをしている人に一体どれだけわかるだろう。
障がい者は周りの人間に敏感だ。近寄ってくる人に悪意があるのか、ないのか、放たれた言葉が本心か否か、自分の事を思ってくれてのことか否か。
ちょっとした些細な表情や声の調子でだいたいわかる。
本当に自分の力になりたいと思ってくれている人なのかどうかはすぐにわかる。
でもそうでない人間も邪険に扱うわけにいかない。 いくら見せかけの善意だって、自分に降りかかる被害を最小限にしながら、それでも愛想笑いを振りまくのだ。
見せ掛けの善意を見せてくる者こそ、ちょっとでもその善意に背くような態度をこちらが取ると、障がい者に対する中傷を始めるのだ。そしてこう付け加える。
『私は何々してやったのに』と。
助けてもらわねばできないこともたくさんあるから、そう言う事にいくら心が打ちひしがれようが、なるべく人の癇に障らないように立ち振る舞わなければならない側面もある。
そのおじさんは偽善者と言う言葉がぴったりだった。
私の長年の経験で身に着けた第6感は、胡散臭さを逃さない。
『私も後遺症で右半身の神経がないんですよ』
いきなり自分の苦労話を切り出され、私はどう反応すべきか迷った。そして逡巡したが、
「そうなんですか。大変ですね」と言った。
自分がいちばん嫌いな言葉だった。その人の人生をほとんど何も知らないのに「大変」なんて無責任極まりない言葉だ。言う資格もない。
でも、それを口にした。
『あなたもね、がんばってねぇ』
「・・・はい。どうもありがとう」
最大限の努力をして、笑顔を作った。
おじさんに背を向け、ひとりになった瞬間、自分を護る薄い膜が音を立てて破れた。
感情が噴出しそうになった。
頑張れって、何を頑張れというの。 私の何も知らないくせに、ただ、同じ駅にいただけの私の何を知っていて「頑張れ」と言えるの。
あまりにも無責任だ。これ以上何をどう頑張れって言うの。
おそらく悪気はないのだとはわかっている。でもその無邪気さが心に更に大きな穴を開ける。
色々ギリギリな心に更に負担を強いた、見ず知らずのオッサンの股間を蹴飛ばしてやりたいくらい、蠢く感情があった。
帰って、飲む気もなかったのに、ビールを飲んだ。 涙が一筋伝っていた。
かなしいのか、悔しいのか、それともそれ以外かわからなかった。
何がかなしいのか、何が悔しいのか、それさえうまく言えない。
ただ、ただ、 心が疲労していた。。。
それを壊した張本人は、私に背を向けて自宅があるのであろう方向へ歩いている。
絶えず緊張感を保ってその膜を壊さないようにしてきた私は、無重力の空間で宇宙服に穴が開いたみたいな気分だった。
とりあえず気分を鎮めるために、深呼吸を数回繰り返す。憎らしく思っていた外の冷気が今は有難い。



今日はA教室OBの定例会の予定だったのだが、メンバーの都合が悪いのか延期になった。
持て余した休日を埋めようと、高校の同級生にメールした。彼女は今、私の隣の市に住んでいる。
彼氏と晩御飯の約束だが、それまでなら・・・ということで、私たちは難波に集合した。
同級生の彼女は、数年前1年ほど、私が勤務する市の別の中学校で養護教諭の常勤講師だった。今は同じ市内の歯医者で歯科助手として働いている。
給料は常勤講師のときの方がよかったけれど、結果的に今の仕事の方がいいという彼女。彼氏とはしばらく同棲中だが、金銭的なこともあって、なかなか結婚に踏み切れないと言う。
最近なるべく節約を心がけている私だが、今日は奮発してカフェで1200円も使ってスイーツ3点盛りを平らげてしまった

財布の中身は減るし、脂肪は増えるし・・・という最悪コースだけれど、おいしかったから良し

モットーは『食費と教育費は惜しむな


色々な話をした。
恋バナや仕事の話が主だったけれど、ケーキはおいしかったし、近くに座っていたカップルのバースデーサプライズも見れたし、紅茶はおいしかったw
彼女も自分が職場で役に立てていないことに悩み、毎月支払われる給料が自分に見合わない、給料泥棒だと自分を責め続けて、辞めた。
それを聞いた時、まだ学生だった私は彼女を「真面目すぎる」と思った。
そんな事気にせずに「こんだけ貰えてラッキー

しかし、自分がいざ似た状況になってみると、自分がこう思えばいいのに・・・と思っていたようには到底思えないのだ。
自分も自分の貰っている給料が、自分の実力に見合うと思えない。
それでも自分の家の家賃を払ったり、毎日のご飯を食べたり、車のローンを払ったり、奨学金を返したり、時々着たい服を買ったり・・・時々スタバでコーヒーを飲んだり。。
そんな大事なことやくだらないことを手放せない私もいる。
大学院に進学したいという夢や、足のオペを実行するという目標や、実家の両親の暮らしを助けるといった義務も放棄できない。
そのために情けなくても惨めでも不甲斐なくても役立たずでも、少しでも昨日よりマシで在れと努力しながら必死で教諭という仕事にしがみついている私。
そしてやっぱり、子どもと関われない仕事は嫌だった。
でも今。どうしていいかわからなくなりつつあった。 続けたいという思いと辞めたほうがいいという思いが混在している。自分でもどちらなのか、わからないのだ。
でも『どんなときでも学校来てな。』という手紙をくれた子が卒業するまで、教頭が『辞めんなよ』と言った、そんな些細だが大きな理由で、どうにかこうにか踏ん張っている。
とりあえず、だからあと1年。 それまでに結論を出す。
そう決めたものの、続けていく自信も、辞表を書く勇気も、 今の私にはない。
そんな意気地なし。
だから養護教諭をアッサリと手放した彼女の決断力に脱帽していた。
普通に友達として心おきなく話をしたいと言うので誘ったけれど、話の3分の1は私のグチになっていた。
私も彼女も実家が貧困家庭で苦労をしているので、金銭的な面に於いては共感できる点が多いけれど、社会人になってする彼女の贅沢が、2~3ヶ月に1度の美容院と年に2~3回服を買うことだなんて・・・
彼女のあまりの物欲の無さに、自分がひどく俗物的で汚いもののように見えてしまう。
私なんてついこの間、セールの服買っちゃったしね

今すぐ必要ではないものを買うという当たり前に出来るようで、実は贅沢なことは私のアコガレの象徴でもあった。
いつも金銭のやりくりに苦労していた実家では、必要でないものを買うなんてことは言語道断であった。必要なものですら買えないこともあった。
私が大学を出られたのも親戚から時折援助があったからだ。
だから必要でないものにお金を掛けられるということに少し心の余裕を感じたりしてしまう。
社会人になったばかりの頃は、それが嬉しくて様々なものを買った。
すぐに学生の頃から使っている衣装ケースは埋まった。
だから服を買う意味もない。それでも時々買ってしまうのは、ストレスのせいなのか何なのか。
幼い頃のように、モノも心も満たされない状態からは脱したけれど、今、モノに困ってはいないけれど、心は埋まらないままだった。
だから自分が傷つかないように心ごと自分を覆う膜を張る。常に一定の緊張感を保って。
でも、それは思いのほかしんどいことだった。
でもそれを張らずに生きるのは怖すぎた。
仕事を変えようか変えまいか、真剣に悩んでいるときに、もう心身ともにボロボロなときに母は無邪気に追い打ちを掛ける。
『借金(奨学金を借りていることを母はこう呼ぶ)の保証人が○○君(父方の従兄弟)になってるでしょう?だからお父さんが心配してるんよ。もし何かあって○○君に迷惑掛けたら悪いって。安い金額とちゃうし』
悪意のある姑みたいな口調で言うもんだから、すっかり「仕事が出来なさ過ぎて役立たずなのが辛くて、仕事を変えようか迷っている」なんて言える雰囲気は微塵もなくなった。
私がちゃんとしなきゃ。私ががんばって働かなきゃ。でないとみんなに迷惑が掛かる。
母の言葉で、私の心はまた1つがけっぷちに追い詰められる。
そんな話が出来るのも、彼女ならではだった。なかなかお金に困ったことのない友人にこの手の話は出来ない。



友達と話して、ほんの少し気分も晴れ、いつものように地下鉄を降り、地上へと向かうエレベーターに乗り込んだとき、後ろにいたおじさんに『一緒に乗ってもいいですか?』と声を掛けられた。
はいと答えたが、直感で胡散臭いと思った。
大阪でも田舎のほうだとは言え、大阪の大動脈と言われる路線の結構な利用者数を誇る駅のエレベーターで、そんなに混んでもいないのに答えの解りきっている問いを投げかける胡散臭さ。
スーツの下のシャツがワイシャツではなくて、ポロシャツなのも胡散臭さを強調している。
エレベーターが地上につき、私はいつもそうするように「開」ボタンを押したまま「どうぞ」と言った。
『ありがとう』と言って、おじさんは何事も無くエレベーターを降りた。
それで終わればよかった。
でもおじさんは一足遅くエレベーターを降りてきた私を振り返って、『がんばってねぇ』と言った。
それだけならよくあること。私も用意した笑みを貼り付けて「ありがとうございます」と言った。
世の多くの人は、普通に街を歩いているだけで素性のわからない人から「がんばって」と言われる苦痛を知らない。
『私もよく車椅子を押すことがあるんですよ』
何の脈絡も無い話。障がいを持った人をすべてひと括りにしないで欲しい、と苛立った。
足が不自由=車椅子。とか、そんな幅の狭い固定観念。
そんな苛立ちは微塵も見せず、私は心にもない笑顔で言う。
「そうなんですかー。それはお仕事か何かで?」
『いえ、助けてあげたいと思ってね』
偽善を無理に押し付けたような言い方だった。
助けてあげたいとおもって・・・・だって?
確かに私を含め、どこかに障がいがあれば、そうでない人に比べて人の助けを多く必要とする。だが、自分でできることをろくに確認もせず、自分の自己満足の為なのが見え見えで、手を貸されることがどれほど悔しくて惨めなことか、それをしている人に一体どれだけわかるだろう。
障がい者は周りの人間に敏感だ。近寄ってくる人に悪意があるのか、ないのか、放たれた言葉が本心か否か、自分の事を思ってくれてのことか否か。
ちょっとした些細な表情や声の調子でだいたいわかる。
本当に自分の力になりたいと思ってくれている人なのかどうかはすぐにわかる。
でもそうでない人間も邪険に扱うわけにいかない。 いくら見せかけの善意だって、自分に降りかかる被害を最小限にしながら、それでも愛想笑いを振りまくのだ。
見せ掛けの善意を見せてくる者こそ、ちょっとでもその善意に背くような態度をこちらが取ると、障がい者に対する中傷を始めるのだ。そしてこう付け加える。
『私は何々してやったのに』と。
助けてもらわねばできないこともたくさんあるから、そう言う事にいくら心が打ちひしがれようが、なるべく人の癇に障らないように立ち振る舞わなければならない側面もある。
そのおじさんは偽善者と言う言葉がぴったりだった。
私の長年の経験で身に着けた第6感は、胡散臭さを逃さない。
『私も後遺症で右半身の神経がないんですよ』
いきなり自分の苦労話を切り出され、私はどう反応すべきか迷った。そして逡巡したが、
「そうなんですか。大変ですね」と言った。
自分がいちばん嫌いな言葉だった。その人の人生をほとんど何も知らないのに「大変」なんて無責任極まりない言葉だ。言う資格もない。
でも、それを口にした。
『あなたもね、がんばってねぇ』
「・・・はい。どうもありがとう」
最大限の努力をして、笑顔を作った。
おじさんに背を向け、ひとりになった瞬間、自分を護る薄い膜が音を立てて破れた。
感情が噴出しそうになった。
頑張れって、何を頑張れというの。 私の何も知らないくせに、ただ、同じ駅にいただけの私の何を知っていて「頑張れ」と言えるの。
あまりにも無責任だ。これ以上何をどう頑張れって言うの。
おそらく悪気はないのだとはわかっている。でもその無邪気さが心に更に大きな穴を開ける。
色々ギリギリな心に更に負担を強いた、見ず知らずのオッサンの股間を蹴飛ばしてやりたいくらい、蠢く感情があった。
帰って、飲む気もなかったのに、ビールを飲んだ。 涙が一筋伝っていた。
かなしいのか、悔しいのか、それともそれ以外かわからなかった。
何がかなしいのか、何が悔しいのか、それさえうまく言えない。
ただ、ただ、 心が疲労していた。。。
HUMAN ERROR
- 2011/03/02 (Wed)
- ☆日記★-日常全般-☆ |
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殊更、注意していたはずだったのに、去年と同じミスをした。
周囲の白い視線が痛い。
なんで・・・。しっかりと確認したはず。 私の頭はどこかおかしいのだろうか・・・
この仕事をする素質はやっぱりないんじゃなかろうか。
ひどく腑抜けた顔でトイレに駆け込んだ私の異変に栄養教諭が気がつき、
『どうしたん? 誰かになんか言われたんか?』と声を掛けてくれた。
ことの顛末を話すと、先生は、『小さい学校に変わるって手もあるしな。どうしても生徒が多いと細かいところまで目が行かんってこともあるやんか。小学校で英語教えるために変わった先生かておるしな。何も向いてるとか向いてないとか、急いで結論出すことないで』
まぁ、それはそうだけど。。。
どっちにしても、今の職場であと2年はやっていかなければならない。
長すぎる。。。
私、もう崩れる寸前かもしれない。
周囲の白い視線が痛い。
なんで・・・。しっかりと確認したはず。 私の頭はどこかおかしいのだろうか・・・
この仕事をする素質はやっぱりないんじゃなかろうか。
ひどく腑抜けた顔でトイレに駆け込んだ私の異変に栄養教諭が気がつき、
『どうしたん? 誰かになんか言われたんか?』と声を掛けてくれた。
ことの顛末を話すと、先生は、『小さい学校に変わるって手もあるしな。どうしても生徒が多いと細かいところまで目が行かんってこともあるやんか。小学校で英語教えるために変わった先生かておるしな。何も向いてるとか向いてないとか、急いで結論出すことないで』
まぁ、それはそうだけど。。。
どっちにしても、今の職場であと2年はやっていかなければならない。
長すぎる。。。
私、もう崩れる寸前かもしれない。
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CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪
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