Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
- 2024.12.22
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- 2018.12.23
太陽みたいな娘(こ)
- 2018.04.03
4時間半
- 2017.03.25
ねがえり
- 2016.04.06
すれ違うかみ合わぬ思い
- 2015.02.01
普遍的であってほしいもの
- 2014.09.06
はらわたが煮えくり返った出来事
- 2014.06.25
今ここにいる奇跡
- 2014.03.10
暗闇と付き合うということを考える
- 2013.09.17
切なる願い
- 2013.09.14
光がみえた日
太陽みたいな娘(こ)
- 2018/12/23 (Sun)
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久々に心の故郷へ。
リハビリの日はうまいもん食べて帰る、と決めている。秒でマフィンのプレートを完食・笑
土曜日の訓練室で、私と並んで声がデカい女の子がいます・笑.
多分20代前半。
いつも朗らかで、お互い声がデカいのでPTと話している内容も丸聞こえなんですがw
彼女の声を聞いていると、心和むんよねいつも明るいから。
今日はそんな彼女と更衣の時間がカブリまして。
初めて挨拶以外の話をしました。
おぉ、まだ立って靴下履けるんやとひそかに驚いていたら、
『いつもうるさくてすいません』と恥ずかしそうに言う彼女。
いやいや、こちらこそ。としばらく謎の謝り合い
PTさんとの会話から、てっきり看護学校生かなぁと思っていたけれど、なんと彼女も理学療法士の卵だそうで。あとは国家試験に受かるだけなのだそうです。
自らも患者でありながら、PTを目指すってすごいなぁとただただ感心。
患者さんの気持ちがわかる良いPTさんになりそうやなぁ。
「筋肉の名前とか全部覚えんねやろ?すごいなぁ。私ヒラメ筋とハムストリングスしか知らんわ。美味しそうな名前やから」
『やっぱ、食べるの好きなんですねw』
嗚呼、いつも飲み食いの話しかしてへんのがこういうところで露呈する(ФωФ)
いつもあなたの声に元気もらってるんですよと伝えると、あからさまに照れ臭そうに帰って行きました。かわいすぎか(*´∀`)
国家試験、通るといいね
お互い今後もうるさく、訓練室を盛り上げましょう!痛いからって辛気くさいと心に良くないし
4時間半
- 2018/04/03 (Tue)
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所属も何も変化はなくとも―。新しい人が来たり、場合によっては担当する仕事が微妙に変わったりと気疲れと精神力をすり減らすこと、半端ない
この頃、睡眠中にきちんと寝返りが打てていないみたいだ。
だから朝起きたら、首や背中が痛くて痛くて仕方ない。
気分も重い・・・
寝返りなんて、昔は意識することもなかったのにな。
背中や首に痛みが出ない、ぎりぎりの睡眠時間は4時間半だとわかった。
4時間くらいで一度目を覚まし、体勢を変える。
気分の重い作業・・・
一過性なのか、それともこれから、こういうことが当たり前になるのか。
今はまだわからない・・・
ねがえり
- 2017/03/25 (Sat)
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寝返りが打てなくなっている。
もちろん意識すればできるのだ。
起きていて意識があって、こっちに転がりたいと思えばできる。
ただし、昔のようにごろんごろん自在に・・ではない。
腕や手で体を支えながら・・・である。
壁際にベッドを置いているので、水泳選手のターンのように壁を少し蹴って、その反動で反対を向くこともある。
時々横を向いて寝ていて起きてみるとすごく片腕がしびれていたり、肩が痛いことがある。
おそらく体の重心の分散がうまく行かなくて、そこに集中してしまっているのだろう。
そしてそんな無理が続いても無意識に寝返りを打てなくなっているのではないか。
久々に仄暗さを見た気がした。
歩きにくい・・とか、筋肉が固くなる・・・とかは想像の範囲だし、何度もぶつかって受け入れてもきたけれど・・・
こんな予想もしない変化が起っていると、内心うろたえる。
今はまだぎりぎり若いからいい。
でも年をとっていったら?
寝たきりでもないのに、一晩寝ただけで褥瘡に悩まされることになるのだろうか。
考えても仕方のないこととはわかっている。
先を案ずること、には2種類あって、
今考えてもどうにもならない(またはできない)こと、か・・
今から考えてそのために動けることか・・
今回のは前者ではないか。
頭ではわかっているけれど、久しぶりに未来がよそよそしい。。
すれ違うかみ合わぬ思い
- 2016/04/06 (Wed)
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勿論人前では泣かないけれど。
ひとつひとつのことは、泣くようなことではないのだけれど、積もり積もるとボディブローのようにじわじわと心に響いてくる。
授業が始まれば、みんなメインの仕事が授業、になるので、こんなことはない。
年度末や年度初めに、よく起こりやすい。
大好きな先輩。私生活では明るいお母さんであり、職場ではみんなの頼れるお姉さん。
色んなところへの気配りが半端ないし、私もすごく信頼している。
でもいささか心配性というか、世話焼きすぎなところがあって。
それも彼女の大きな良いところなんだけど、この時期の私には少しつらい。
年度末は環境整備などで力仕事が増える。
それはどこの職場でもそう。
私にできない仕事も増える。
そんな中で、私にできることは全力でやりたいと思うのだけど、先輩は悪気なく私にできることまで取り上げてしまうのだ。
たとえば、カーテン。
学校用のカーテンは年度末、クリーニングに出す。
防炎加工されているものがほとんどなので、結構重い。
一度にいくつも持つのは無理だが、1袋ずつくらいなら持てる。
そう思って運んでいると、
『ちょっと●●くん!(後輩)なんで先生に運ばせてんの!?もーーあんたが持ちな!
先生っ、いいよ!運ばなくて』
「いや、●●くん怒らんといてください。私が運ぶって言ったから・・」
『いいいいもう。私やるから!』
これくらい、大丈夫だよ。私も役に立たせてよ。
何とも言えない思いが心を巡っていく。
そして年度初め。
各教材会社から大量の教材見本が届く。
一通り見て、どれにするか決めたら後は処分やねんけど。
置き場まで運ぼうとしていたので、私も運ぼうとすると・・
『あ、いいよいいよ、先生。座ってて!』とぴしゃりと言い捨てて行ってしまった。
「できます」と言う隙すらなかった。
どうしてもできないことは、お願いしているし、できることまで奪わないでほしい、と思う。
私も役に立っているという実感が欲しい。
この時期はなおさら。
スピードや効率を求められる力仕事なら任せなければ仕方ないことも分かっているけれど、これらはそんなんじゃないじゃない。
何がかなしいのか、何がくやしいのか、よくわからない。
でも今、先輩の顔を見るのがつらいのだ。
相手はあくまで善意で言ってくれているから、「いいです、できます」とも言いづらい。
でもできることはやりたい。
どうしたら伝わるんだろう。どういえばいいんだろう。
きついな。。。
普遍的であってほしいもの
- 2015/02/01 (Sun)
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いつまでも古い時代に固執しているのも良くないけれど、どんなに時代が変化しても変わったらあかんもんって、あると思うねんな。
人を思いやる心とか。
他の人の痛みを想像するとか。
どんなに時代が変わっても、人間ひとりでは生きていかれへんねんもん。
友だちが0の人だって、親が生んでくれなきゃ生まれてないわけやし、何かを食べて生きている限り、その肉なり野菜なり魚なりを育てたり獲ったりする人がいるわけで。
コンビニ弁当だって、どっかの工場で誰かが作っているわけで。
直接的な人間関係に、普段私も含め、目が行ってしまいがちやけど、間接的な関与を考えるとほんま哲学的なみになるよね
前置きがながくなったけれどね、
今や高校生の8割が持っているらしいスマホ。
まぁ、私が高校生だった頃はケータイが急速に普及し始めた頃だったから、それと同じようなものなんだけど、今みたいにカメラ機能やSNSは普及していなかった。
時代が変わったなぁ、と思ったのは、単にスマホを持ってる高校生が増えたことじゃなくて。
先日出張の日に、帰りにスタバに寄ってココアを飲んでいたら、近くの席で女子高生数人が喋っていて。
私に気付いた瞬間から、嫌な目配せと嫌な笑いを浮かべていたから、嫌な予感がするなぁ、と思ってはいた。
ま、昔からこういう嫌な予感は当たるので敢えて当たってるのを見なくてもいっか、と極力女子高生たちの存在はスルーしてココアを飲み続けていたんだけど。
私の方が早く飲み終わって、席を立ち、歩いてカップを捨てに行くと、露骨に感じる視線。
まぁ、珍しいことじゃない。
彼女たちもきっと、見たことがないんだろうな、と思うようにはしていた。
単純な驚きの表情とは違い、女子特有の嫌なそれだったけどね。
カップを捨て、彼女たちに背を向ける格好で店の出入り口へと向かっていた、その時だ。
カシャ、とカメラのシャッター音がした。
さすがに振り返ると、私に向けたのであろうスマホをテーブルに戻す最中なのが見て取れる。
そして相変わらず女子特有の嫌な笑みを浮かべて笑っているのである。
気づかれても悪びれる様子はまるでない。
瞬間的に胃の底に火が付いたみたいな怒りを覚えたが、一瞬険しい目つきで彼女たちを見るにとどめておいて、店を出ようとした。
その背中に、
『あの人さぁ、あんなんじゃなかったらふつうやのになぁ』
は?
今でも十分普通ですけど、何か?苦笑
てゆーか、「普通」って何?(中二病か)
私が普通じゃないと思うのは勝手やけど、人のこと勝手に撮ってるあんたらがしてることも普通じゃないからね。
内心、スマホを取り上げて、
「今何撮ったんじゃこらあ!早よ消せボケぇ!!」
くらいは言ってやりたいところだ。
いや、それでも足りない。そのあとはしっかりそれがなぜいけないか、こんこんと言いたいわ。
が、こういう人間て、(特に集団化すると)、口裏を合わせて逆にこっちを『なんかわけわからんいちゃもんつけてきた人』に仕立て上げかねない。
怒りはそのままに店を出た。
親の顔が見てみたいとはこのことである。
でも、この仕事をしていると、非常識なことをする子の親が、同じように非常識ではないことも多いことを知っているから、一概に言えないけれどね。
(ツィッターとかで拡散されないといいけどな)
と、ぼんやり思った。
腹は立ったけどね、逆にかわいそうにも思った。
だって彼女たちは知らない。
自分たちのした行動がどれだけ人を傷つけているか。
こういうことが平気でできてしまうのだから、きっと些細なことで周りを傷つけることも多いんじゃないかな。
一人も傷つけずにおとなになる子どももいないけど、やたら多いのも考え物。
人を安易に傷つけてしまう子はまた、誰かから傷つけられる可能性も多くある。
そんなんで、幸せにはなれないよね。安っぽいそれはあってもさ。
めっちゃ気ぃ悪いけど、同時に気付いたこともあんねん。
自分とこの子らに、絶対同じことさせへんねんって。
対私はもちろんやけど、世の中色々な人がおるやん。
どんな人に対しても失礼のないように。
てか、この高校生たちがしたことって、相手が私じゃなくてもあかんことやしね。
きっと、あの子たちはそういうのを考える機会さえ与えられてこなかったのだろう。
人権教育や道徳教育はどこの学校でもやってるけれど、自分の身近な問題として捉えることって、なかなかむずかしい。
きっかけになるってだけでも大事やけどね。
実体験として伝えていくこと。
それこそ私の使命なんやって改めて。
素直に受け取られへん奴も中にはいてるやろうけど。
でも、それを恐れたら私の負けやねんよな。
例えば、何年かしてちょっとでも思い出してもらえればそれだけでも意味がある。
自分の大事な生徒が、誰かを傷つける存在にならないために、私がしなあかんこと。
改めて思い出させてもらった。
はらわたが煮えくり返った出来事
- 2014/09/06 (Sat)
- CPとつきあう |
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今日近所のショッピングセンターに買い物に出かけて、目的のものを買い終えてエレベータに向かっていたら・・・
後ろから若い女の子の尋常ではない笑い声が聞こえてくる。
なんて表現したらいいんだろう。
人生ナメきって人小ばかにしくさったというか・・・アホ丸出しっていうか。
とにかく普通じゃない笑い方。
笑っているものの対象は何なのだろうという興味より嫌な予感が、かなり勝った。
そういう嫌な予感はたいてい当たる。長年の勘とでも言うのか。
振り返るとそこには3、4人の女がいて、年は10代後半といった感じ。
髪を派手な色に染め、化粧も濃いけれど、あどけなさがにじみ出ている。
無理をして背伸びをしている高校生か、アルバイトってとこだろう。
その女の集団の中のひとり。
金髪に近い茶色のロングヘア。ネオンカラーのショーパンを履いた子が私の歩き方を真似しながらバカ高笑いをしている。そしてそれを見て、仲間も笑っているのだ。
かなり遠くまで響く大声で、である。
当然私が振り返ることも予想できそうなものだ。
見せつけたかったのか。
それともそれすら予想できないくらい、程度が低いのか。
いずれにせよ、他の人が見たら、その子たちに冷たい目線を送るに違いない。
少女たちとの距離、約30m。
何か言ってやりたいのだが、普通の声では届かず、公衆の面前でデカい声を出すのははばかられる。
閉店1時間前のショッピングセンターは客もまばらで、しかも私が歩いているのが建物の奥の方だった。しかもそのエリアには若い子向けのお店が多いので、その時間ほとんど人は歩いていなかった。
頭に血が上った。
体が怒りに震えているのがわかる。
今までも似たようなことはたくさんあった。
でも、今までのそれとは種類が違った。
真似をする子どもは珍しいことではない。
今まで見たことのない歩き方をする人が目の前を歩いているのだから、不思議に思ってやってみたり、やんちゃな子ならちょくったりもよくある。
でも大抵、私が見ていると気が付くとやめたり罰の悪そうな顔をする。
そういう子たちは憎たらしいと思わない。ただ単に知らなかっただけなのだ。
真似をされたことがムカついたんじゃなく、それをバカみたいにデカい声で笑っていたこと。
そしてその時の表情。
そっちの方が許せなかった。
その子の方を遠目に見据えた。
見ていることに、振り返ったことに気が付いていないはずはないが、やめない。
睨み据えてやる。
それでもやめない。
よほど目が悪いか、よほどバカかどちらかだ。
それから、これを書いているのは翌日だが、まだ怒りがおさまらない。
こんなに、自分の中に落としどころのない怒りは初めてだ。
親友ちゃんに聞いてもらって、少しは減ったけど。
でも彼女にも辛そうな顔させてしまった。。
『程度の低い人間もいてるんやな。なんかクスリでも入ってたんちゃうん』
そうかもなw そう思わないとやっていけない。
一発ひっぱたいてやりたかったわ、ほんまにムカついた。
せめて文句でも言ってやればよかったかもしれないし、学生なら学校を聞いてクレームを入れたってよかったのかもしれないけど。。
そういう子って大概ほんとのこと言わないし、1対多だから何か問題になった時、口裏を合されてこっちが不利になっても厄介だ。
見ていてくれる通行人もいない。
教師やってたって、見知らぬ子の前ではただの姉さんかおばさん。
力では勝てないから、相手が逆上して力に出た場合はこっちの身が危ない。
ひっぱたいてやりたいのも本音だが、それよりも、今おのれがやってる言動がどんなに人の心をえぐっているのか思い知らせてやりたかった。
お前はそれほどのことをしてるんだと。
そして二度とするなと。
複数いながら、その中に誰も「やめときなよ」と言う子がいなかったのも残念だな。
私の知らない力関係がその子らの中にあるのかもしれないし、全員が全員、そういう子だったのかもしれんけど。
もう分別、善悪、わかっていい年頃だと思うけどね?
ふつふつぐらぐら、煮えたぎる思いをなだめながら考えた。
彼女たちはきっと、そういうこと(人の心とか)をだれからも教えられなかったか、響かなかった子たちなんだろう。
いつもなら「かわいそうな人なんだ」で済ますけど、今回は、キツいな。
でもまだひとりでよかったかも。
家族や友人をその輪に巻き込まなくて済んで。
そして思った。
うちの子たちを、絶対そんな大人にはさせへんと。
どんなやんちゃでも、私と関わる生徒は絶対そんなことをする大人にはさせへんと。
それも私の仕事だ。
少なくとも、まだそんな子いないけど、ケースが変わればわからない。
足が不自由な人ばかりじゃない。ケガをしている人もいれば思うように体が動かせないお年寄りもいるし、様々な人がいての社会。
どこも悪くないから、障がいがないから偉いんじゃない。
みんな誰かの助けを借りながら生きている。
そんな当たり前のことだけど忘れてほしくないし、どんな人に対しても、その人の心を推し量れる人間になってほしい。
私ひとりじゃ、できることは微々たるもの。
でもいるから伝えられること、きっとあるはず。
ムカつく女たちは、これを考える機会を与えてくれたって思おう。
許せないけど、意味はなくはない。
今ここにいる奇跡
- 2014/06/25 (Wed)
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今回は出産とがん治療の最前線にまつわる特集。4時間。
ナビゲーターの香川照之さん、最近好きです潜入捜査とかMOZU観てからw
やっぱり私の中の一番人気は西島さんですがw
子どもに、その子が生まれてきたときのことを話してやるっていいな、と思う。
その時親がどう思ったのか、も正直に。
まだこの子にはわからないだろうとかじゃなくて。小さくても、何か感じるものはきっとあるだろうから。
このカテゴリの初めに書いたように、私の出生時の体重は1000グラムちょい。今はそのくらいあれば生きるか死ぬかなんてことになる可能性も低くなったけど、30年前の医学では生きられたのが奇跡。
正確な体重を両親ともに覚えていないのがちょっと残念だけど。それどころじゃなかったのかもしれないね。当時の二人は。
番組冒頭で900グラムに満たない赤ちゃんが出てきていて、保育器の中に入れられ、小さな体にチューブがいっぱいついていて。
私は父がよく出生時の話をしてくれた。
母は、なんていうのか、女性が得意なはずのエピソード記憶ってやつが苦手で小さいころの話もそんなにしてくれず。本気で忘れているのではないかと思う。女性の人生の1大イベントを。
感慨もへったくれもないもんな、彼女。何事に対しても。
ともかくそんな感じなんで、いつも父が話すと少し思い出すのか『そうそう、そうだったんよ』みたいな。おいしいとこ持ってこうったってそうはいかんで、おかん・笑
『お前の体、管だらけになっとったんやぞー』とかよく言ってたから、私もきっとこんなんやったんやろうな、と思いながら見ていた。
この仕事をしていると、色んな親子を見るから子育てに希望が持てなくなることも多い。
親が手塩にかけて育てても、学校辞めちゃったり、引きこもってゲームばっかりだったり。
親御さんだって一生懸命頑張っている人がほとんどなのに、親の心子知らずである。
色んな親子を目の当たりにして、(子どもなんていらないな・・)とやさぐれた気持ちになることもある・笑
でも、生命の神秘ってすごいよね。
そういうやさぐれた気持ちになっても、こういうのを見ると出産は死ぬまでに経験しておきたいと思う。
たった10か月で、地球上の生命の進化を早送りしたみたいな成長するんだもんね、胎児って。
ほんますごいわぁ。
ほんでそれを宿して育む世のお母さんたちはすごい
男性はもっと女性を尊敬すべきだ!笑
TVに出てきていた赤ちゃんもそれはそれは小さくって。
なんか勝手に同士みたいな感覚になって、画面に向かって祈ってしまう。
人間の赤ちゃんにしてはあまりにも小さくても、それでもちゃんと生きてるんだもんな。
ほんますごい。
自分も20数年前同じ状態にあったって言うのが信じられない。
黄疸がひどくて、血液を丸ごと交換するかどうかの決断を迫られた両親。
赤ちゃんには黄疸が出やすいらしいけれど、特に未熟児は黄疸を引き起こす有害物質を外に出しにくいから危険なのだとか。その物質は脳神経を攻撃し、脳性まひの原因になるらしい。
私もそれだったのかな~。
その子は結局血液総入れ替えで、山を越えたけれど、テレビだから助からないわけないって思っても、思わずがんばれ!ってなる。
変な話ですよね。生きるためにもう十分頑張ってるのに。でも思わずにいられへん。
父も『酸素が血液中にうまいこと足りんで、チアノーゼ起こしてて紫色やったんや。でも、えらいもんやな。輸血したら途端に、肌にさーっと赤みが射して行くんや。すごいなー思たわ』
自分もえげつない環境の中、サバイバったんやなぁとなんか不思議な気分になる。ってか、『サバイバる』って何やねん。
肺の機能が未熟だから『息をするのを忘れる(呼吸が頻繁に止まる)』現象もその子と同じ。
でもきっとその子は何の後遺症もなく成長するだろう。
医学が進歩して大昔みたいに命がけのものではなくなったけれど、やっぱり今でも病気じゃないとは言え、何かあれば命を落としかねない出産。
無事に産むのも、生まれてくるのも奇跡なんやなぁってほんま思うわ。
特集では色々困難を抱えた妊婦さんとその家族の出産に至るまでが追われているんだけど、またその妊婦さんたちの旦那さんがどの人もほんまに良い人で
もうこのお母ちゃんのためにこのお父ちゃんあり!みたいな。
色んな意味で号泣。
最近、色々思うことがあって結婚に対する焦りと言うかそんなもんは吹っ切れたのですが。
こういうの見てると、自分もこんな素敵な人と結婚したいなと思う
またその『色々思うこと』っていうのは、後日時間のある時に書き連ねますが。
家族っていいもんなんだな、と思った4時間。
前回の記事の後編はまた今度。
暗闇と付き合うということを考える
- 2014/03/10 (Mon)
- CPとつきあう |
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『すごく元気で、自分でも体力に自信があって、自分は大丈夫って人でも40歳を過ぎると途端にガタッと来た人もいるから。毎日の自主訓練は欠かさずしてね。今年は、大腿直筋が痛くなったり色々あったし』
とPT。
40歳かぁ。
果てしなさ過ぎて、想像もできない。
だいたい、三十路を迎えている自分でさえ今は想像できないのだ。
その時どうなっているか、わからない。
ただ年齢を重ねていくことは想像できる。でも具体に自分がどうなっているか、それがまったくわからない。
こうして時々、否応なく暗闇に引きずり込まれる。
少し昔、絶望とは、急に歩けなくなったり立てなくなったりすることだと思っていた。
でも実際は違う。
この間のように耐え難い痛みで自由な動きが制限されたり、体のかたさが半端なくなって制限されたり、そういうことが来る日も来る日も続くこと・・それこそが絶望なのだろう。
昔みたいにいつ来るか、どんな形で来るかわからない絶望を少し垣間見たところでじたばたもしなくなったし、泣き叫びわめいたりもしない。
それが正しいのかどうかはわからないが。
仕事もかなり体に負担を掛ける。
いつまで続けられるだろう。そういう不安もある。
今年の冬は特に、上半身もかたい。
動くたび感じる違和感に、苛立ちが募る。
切なる願い
- 2013/09/17 (Tue)
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このブログは、どんな検索ワードに引っかかったのか知ることができるんだけど・・
最近ね、『介護等体験 辛い』でここに来ている人がたくさんいるねん笑
まぁ、時期的にそんな季節ですけどね
私が介護等体験なんて行ったの、6年も前の話やしね・笑
6年前のブログなんてあんまり参考にならんと思うよ・笑
若者よ、辛くても頑張れ!得るもんは絶対あんねん。得られなかったならそれは得るものがなかったんじゃなくて、得ようとしなかっただけ。
病気休暇が少し延びました。
なんかやっぱりこういうのって杓子定規なんやなと思った。
『〇月〇日から一か月間・・』ってあったら、その期間すべて休まなあかんらしい。
比較的元気なときは出勤するとかダメなのね・・・
診断書を持っていった日も、他の人に振る仕事のこととか色々片づけていたら本来は休むべき日なのだから早く帰ってオーラが出ていた。
それでも居座ってするべきこと片づけてきたけどね
診断は出たものの、病状はやっぱり一進一退で、何の違和感もなく歩けるようにまでなっていたが、3連休が終わり仕事に行くとまたたくさん歩くので痛みがぶり返すの繰り返し。
治るよ、とは言われたけれど、不安はぬぐえない。
以前のように遊びに行ったり旅行に行っても、普通の筋肉痛でまた日常に戻ることができる、それが私の求めるゴール地点だ。
長い距離を歩いても痛まない足に戻したい。
『治る』とは言ってもらえたが、こうも長引くと手放しには信じられない。
非日常な秋休みをもらえたものの、近所のスーパーに行くのが精いっぱいだ。
自分の庭のようだったイオンモールも、売り場の面積が広いので歩くのが負担になるので痛みが出てから一度も行っていない。
この辺ではそこが一番近い化粧品も、ネットで買う羽目に。
スタバも行きたいが、車を降りてからスタバに行くまでが今は負担なので行かずじまい。
先日まで欠かさず観ていた『救命病棟24時』の患者の女の子のセリフに、
『みんなにはお見舞いに来なくていいって言っている』
『パジャマの自分に慣れてほしくないなぁって』
というものがあって、なんかわかるな、と思った。
私も今は杖に頼る生活をしているけれど、この間に出会った人(たとえば今来てる実習生とか)は私の印象を、杖をついて左足を引きずりながら歩いている人っていう印象しか残らないわけで。
そういう自分が記憶の大多数を占めるようにはなってほしくないのだ。
早く日常を取り戻したい。
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プロフィール
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
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