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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

カテゴリー「CPとつきあう」の記事一覧

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絶望の色

学生時代バイトしていた塾の教え子が、SNSにこんな言葉を残した。

『一番つらい時に一番頑張れる人間でありたい』と。


若干22歳にして、なかなか言える言葉じゃない。
そんな彼女をただただ尊敬の眼で見つめることしか出来ないのだった。


心揺さぶられた。衝撃ですらあった。

彼女も22歳にしては重すぎる荷物を背負い、生きている。
泣き言を言いながらも、決して後ろは向かないその姿勢を私は心底かっこいいと思う。


このところの私はと言えば、後ろを向いてばかりだからだ。

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・・・つづきはこちら

逃げ出した慟哭

初めて涙を流せた気がする。あのことがあってから。 少しほっとした。ちゃんと出せたって。


ネットショッピングで折りたたみ式の杖を注文した。


湧き上がるのは、敗北感。
何にかわからへんけど、負けた、みたいな。

でも勝ち負けはまだわからない。闘いは始まったばかりで、まだまだこれから。
今、負けたなんて判断できる段階じゃない。


でも『注文を確定しました』 っていう太字を見た瞬間、湧き上がったのは敗北感。

あぁ、私もついにこんなものに頼るのか、って。

車椅子バスケのイケメンたちが言ってたように、「杖を使わな歩かれへん」ではなくて「杖を使えば歩ける」という考えにシフトしてかなあかんねんけど。
なかなかそんな切り替え早くできひんって。

しかも折りたたみの杖ってかわいいのないねん。
キティちゃんとか、ミッキーとかはあんねんけどな、さすがにアラサー目前の女がキティちゃんの杖て、イタい子やん。生徒にも「キティちゃんはアウトやろ」言われたし・笑 いや、校内ならOKやろ。(無理やろ)

おばちゃんくさい花柄(芦屋のおばちゃんとか持ってそう)とかをスルーして、でも普通にシルバーとか黒じゃ無機質だし、木目調はファッションによっては年寄りくさくなるし・・・

結局ブラウンにした。
完全に歩けなくなったわけじゃないから、何かあったときのお守りみたいなもんだけどね。

意外と「コレがあるから、自力で無理んなってもいける!」と思ってたら、なりにくいかもしれんし。


親には見つからないようにしないと。
こういうとき一人暮らしって便利。


でも、誰かに「怖い」って吐き出したい。
自分の中におさめとくんじゃなくて、言って、気持ちをしってもらいたい。

自分がどうなるのかわからなくて怖い。
ちゃんと、人生をしっかり送れる?
明日が来るのが、未来が今になるのが、怖いのだ。そのときに私の姿はどうなっているのか。

情けなくて仕方ない。 



親も老いている。元々頼りない親だ。私がしっかり立っていなければ。
物忘れも少し目立ち始めた。
早く安心させなければ。私は大丈夫だよと。

でも実際はどうだ。
「歩く」っていう簡単ですごいことを失いつつあって、もがいている。


こんな自分が不安で不安で。
親孝行じゃない自分が嫌で。他の子はちゃんとしているのに。
きっとこんな私を見たら、また要らぬ心配をたくさん積み上げるはず。


それに親自身が、私の受け入れている部分でさえ受け入れられていないから、言えない。


いっぱいいっぱいな自分を誰かに受け止めてほしい、という気持ちと、
早くいつもの私に戻って、またなんでもない生活を送らねばという重圧とが

ないまぜになって、胸が詰まる。

歩けなくなんてなりたくない。
まだまだ自分の足だけで歩きたいねん。あと10年・・・せめて5年。待って。

怖い。怖いよ。

私がしっかりしな。
明るい顔しな。

だれか、助けて。


もう、心の淵をぶち破って、私じゅうに広がりそうだった。


そんなとき、
ラジオから流れてきたLGYのこの曲。



単純に涙を誘う歌詞と言うのもあるけれど、私はこんなん叶うのかなぁ。両親にこんな思いさしたげられるんかなぁ・・・って考えたら、いっぱいいっぱいの状況を超えた。


私の中から逃げ出した慟哭が、部屋中を覆う。

吐き出せたことへの安堵。

本当はこういうとき、手を包んでくれる誰かがほしい。
背中を撫でてくれればうれしい。

理解できなくても、なぐさめの言葉などいらないから、
ただ「辛い」という大雑把な感情を味わっていることをわかってくれたらそれでいい。


本当はいるのかもしれない。私が知らないだけで。
でも知ってても同じように哭けるのか。
わからない。




Keep On Smiling

うちの職場の人権行事に2年生を対象に、障がい者スポーツに従事している人に来ていただき、お話を聞いたり実際に体験する・・というものがある。

今年は去年に引き続き、車椅子バスケットをしている人たちだ。
何か刺激になることがあれば・・・と生徒以上に私が期待していた。


40代の人が3人に、私と同い年の方が1人。
みな、そこそこイケメン

もちろん、全員中途障害である。 

一般的に、先天性の障がいよりも不慮の事故で・・・とかのほうが受け入れるのに時間が掛かる。
元気で何でも出来ていたころの自分を知っているからね。嫌でもなくしたものの大きさのほうが目に付くもの。


今はこうして講演もしているくらいだから、自分のことを受け入れることができている人たちなのだけれど、きっと初めからこうだったわけではなくて、意識を取り戻したベッドの上で下半身の感覚がまったくないことを、自分の意のままにぴくりとも動かない足を見つめて悲観した日もあるはず。
そこから立ち上がったプロセスを知りたかった。
自分も何か参考に出来るかもしれないと。


4人とも底抜けに明るい。
その明るさが今はうらやましい。私もそう生きてきたはずなのに・・・今はそうできない私がいる。


でも彼らも自分が車椅子生活になると知ったとき、初めはできないことばかりをあげつらえたと言う。


それを聞いて、ちょっと気が楽になった。


誰でも最初から運命をまるごと受け入れられる人なんていないよね。
特にそれが悪いものであれば。


落ち込んでもいいのかもな。今は。
無理しなくても。


大事なのは、落ち込んで終わりなんじゃなく、ちゃんとそこから浮上してくること。
それが出来れば落ち込んでもいいのかも。


前向きになる準備をするための期間だと思おう。


ありがとう。
あなた方の話を聞けてよかった。


嘆かわしいことを、笑い飛ばせる、そんなしなやかさが欲しい。

生き方に迷う。

『昨日一緒に校区を歩いて、あぁ、あんたこんなに歩けるんやってびっくりしたし、元気もろたよ

リチャード(校長)の言葉。


私が事の顛末を話して、返って来た言葉の1つだ。

PTA主催の夜間巡回でのことで、1時間近く校区を歩いて回り、遊んでいる子がいれば早く帰るようにうながし、青少年の犯罪を未然に防ぐ・・という目的のものだ。


たった1時間。昔は何もなかった距離・時間。なのに帰ってからしばらく、私は息が切れっぱなしだった。

1時間くらい、人に元気を与えられる距離じゃないよ先生。
昔は4時間や5時間ヒールで歩いたって平気やったんやで。

どれも皆が知らない自分。


でも『元気をもらった』とか言われると嬉しい。


それが私の生き方の1つでもあったのだ。
私が頑張ることで、誰かが元気になってくれるなら、それはすごい存在価値の1つになると思う。


でも、無理が利かなくなってきた。
頑張れない体になってきたのだ。
今まで頑張ることが当たり前だったのに。


そうやって私が頑張ることで、何とか存在価値を認めてきたのに、頑張れなくなったら私は私でなくなってしまう。
そうして『元気を貰った』って言ってくれることが私の生きる喜びの1つだったのに。


頑張りが利かなくなってきた今、何に価値を置いて生きていけばいいのかわからない。
何を励みに頑張れば良いのかわからない。


もっともっと無理をしたい。
頑張りたい。

でももう頑張れない。

悔しくて悔しくて仕方ない。



どうすればいいの。

ロボット

同じような症状が職場で出ないとも限らない。 
朝から管理職や主任に同席してもらって土曜日に起きた事の顛末を話した。


『先生~、それは今日休んで病院に行くべきやったねぇ・・・』by主任。


ぃや・・・でも今日は山ほど仕事が。。。社会人って、休みたくても休めない日っていっぱいあるよね


赴任当初から体育祭の担当仕事はずっと同じ。自分でも好きな仕事だし、向いている担当だと思う。
特に今年は、何年も主担当をしていたお局2号から主担当を引き継いでいた。


『こんだけ人数の多い学校やねんから、ひとりで仕事を抱え込むことない。大概複数でやってるんやからな、その辺はどうにでもなるねん。こういうんは早いほうがええ。病院のことやからすぐに予約が取れるかはわからへんけども、取れたらすぐに行ってこい。病休使っていいから』 by校長。


管理職2人がこんなにも優しいのに感動したのもつかの間。
翌日に空きがあることを確認した私は、お局2号に半日だけ仕事をお願いしようと切り出した。


「先生、相談したいことがあるんですけど・・・」


この人は仕事と旅行を愛する人だ。自分にも厳しいが、他人にも厳しい。きっと好意的な返事は返ってこないだろう。 そうは思っていた。小言の1つや2つは言われて当然、と。


しかし、予想していた「小言の1つや2つ・・・」を大きくこえて、返って来た返事は私の想像を凌駕するもので、私は心底、このお局2号に失望し、私の人生初「嫌いな人リスト」(それまで苦手な人」はいても、嫌いな人は母くらいなものだった)の記念すべき、1人目になった。


・・・つづきはこちら

恐怖の足音。

帰宅したら、自分は壊れるのだろう・・と思っていた。


自分の身に起こったことが怖かったし、こんなにも自分の意思どおりに体が動かないことは初めてだったから、その情けなさ、惨めさを改めて知った。


帰宅して、部屋に座り込んでもそこにあるのは大きな空虚感で、絶望ではなかった。

よく似ているのが、熱意を持って生徒に接しても、それがまったく伝わらないときのむなしさ。
そんなん言われても教師以外は理解できひんわって思うやろうけど。。笑


涙さえ出ない。喚きすら出来ない。


もっと壊れてもいいんだよ。
泣いたっていいんだよ。

それほどのことだったのだから。


だけれども、泣きたいのに泣けない。


小さい頃、数々の感情に鈍感であるように努めて、泣かずに来た結果、私が失ったものは大きかった。
自分の負の気持ちときちんと向き合って、受け止めてやらないと後で大きなツケとなってしわ寄せがくるのはよくわかっていた。

けれど、髪の毛1本ほども、心は乱れない。



そんな自分がこわい。いつか取り返しのつかない壊れ方をしてしまうんじゃないか、と。

からっぽ

驚くほど、感情は平坦なままだ。 


一時的にとは言え、歩けなくなったと言うのに・・・

・・・つづきはこちら

キセキ

親友の迎えを待つ間、10分。 
たとえば10数年前なら、その間立って待っていなさいと言われても朝飯前だった。

ピースオブケイク。(さぁみなさん、本日のフレーズです。リピートアフターミー)・・・。。



今は支えなしでは10秒と難しい。


・・・ところが。
何ともなしに壁から手を離してしばらく。



・・・あれ、そういえば私、つかまってないよね。


自分の姿を見た。左手も右手もどこにも付いていない。

独力での立位保持時の悪い癖。左足の90度を超える内転も、かなりマシだ。

筋肉は適度な緊張感を保ち、その指はしかりと地面を掴んでいた。


(すっごい)


ほんの10年前までは、当たり前にできていたことなのに、できなくなってから不意に手にすると、にわかに信じられない。

しかも不安定な立位ではなく、安定感もだいぶある。

(今、バスケやりてーーーーバドミントンやりてーーーー)笑


やっぱり私と体を動かすことって、直結するのだ。普段はその欲を殺して、渇えているけれど。


『障がいがなかったら、体育の先生だったかもね』

知り合いは言う。 ・・・ううん。もしなかったら、断然警察官


親友のクーパー(私は「くーちゃん」と呼んでいる)が来るまで、その立位が崩れることはなかった。


きっと一過性であると思う。あると思うけど、すごく、すごく嬉しかった。

自分の足がしっかり地面を捉える感覚って、すっごく何かが満たされる感じがするのだ。
本来の自分に戻れる気がする。


些細なようで大きなキセキ。
自分の足だけで、こんなに長い間立てたのは久しぶりだ。


切り裂いた叫び

いまの私を肯定できるようになりたい。
むかしの私を知っていても尚。


人を好きになると、自分の嫌なところが殊更目に付くものだ。



風呂上り、下着姿で鏡の前に立ってみる。 
私よりグラマラスな友達は最近デコルテのハリのなさが気になると言っていたけれど、私はまだまだそれは大丈夫。(な筈。たぶん。。)


小さすぎる胸も憎たらしいし、
腹筋がうっすら割れているのも、切ない。別に陸上とかやってないのにね・・・


そして目立つ、背骨の側彎。

ため息が漏れた。 寝ても座っても立っても、これから逃れることはできない。


これ以上、進まないでよ。


必死な祈り。たぶん、神様がそれを聞き入れてくれることはない。



すっかり弱くなってしまった自分が情けなく、あの頃の自分を取り戻したいと思う。

ランドセルを放り出し、階段を駆け下りたあの頃。

バスケットボールを誰にも奪われずドリブルして、シュートはほぼ逃さない・・・そんなあの頃。

きついボールを返して、男子を泣かせた、あの頃。

クラスの男子とバドミントンのデスマッチを繰り広げ、ラケットを掠って落ちたシャトルを見つめて体育館の床にぶつけた苛立ち。




どこかに叫びたい私がいるのだ。

今の私は本当の私じゃない
昔の私はもっと。もっと・・・


なんてナンセンス。もう戻ってこないし、今の私にはできない。
多くのスポーツがこんなにも『立位保持安定』の上で行えるものだなんて、考えてもみなかった。


でも、今の私しか知らない人たちには、そういう私がいたことを叫びたくて仕方ない。

そうして何になるかわからないけれど。


今の弱いばっかりの私じゃなかったんだって、1人でも多くの人に記憶していてほしい。


悔しいな。
本当に悔しい。
どうあがいても私は何も変えられないけど。


みっともないけど、しがみついていたい自分がいるんだよ。
今を認めんとあかんって、頭ではわかってるし、肯定したほうが魅力的な人間になれることもわかってる。

でもやっぱり、
バリ悔しい。 

色んな可能性を奪っていく。
楽しみを奪っていく。


母は言った。

『あんたはその体のおかげで、甘く見られてるんだから、荒波に呑まれなくていい』と。


毛細血管が全部ショートしそうになった。


誰が「荒波に呑まれなくていい」だ?


ふざけんな。むしろ逆だ。


確かに親切にも優しさにも触れる。きっと他の人より少し多く。
でもそれは「甘く見られること」ではない。


生まれてこの方、何回唇をかんだか。
何回、流せない涙をこらえたか。

あんたは知ってるのか。知ってて言ってるのか。
知るはずもないよなぁ。

あんたには絶対見せなかった。否、見せられなかった。


こんな私と必死で闘っているときに、あんたはそんな言葉を吐くのか。



違うことはわかっている。自分がしっかり真理を掴んでいれば問題ないこと。


でも自分の中で猛る叫びと、あんたによって刺激されたこの感情、どこに吐き捨てればいいんだ。


私が甘い人生を送ってきたと本気で言うのか。ふざけんな、いい加減にしろ。


私の苦しみのかけらさえ本気で理解しないで、二度と口にするな。



私だって、知りたい世界はいっぱいあったんだ。
もっともっと自分のものにしておきたかった世界もいっぱいあるんだ。
どれほど強く掴んでも、奪われるんだからなす術がない。


泣いても喚いても仕方のないこと。そうやって自分に折り合いをつけようって努力しているのに。

そんな血のにじむ思いを、よく考えもしないで放った言葉で台無しにしないでよ。



二度と潤されることのない渇き。それを一生抱えて、生きるこっちの身にもなれ。


私はたった今だって苦しくて仕方がないんだよ。

わかってくれとは言わない。


でも必死で闘っているのに、その力さえそぐようなことはしてくれるな。。





悔しい。

変化

『自主訓(練)、ホント毎日やってねー。でないと崩れていくばっかりやと思うから』


昔みたいに、じわじわと目の前に迫ってくる変化にうろたえたりはしなくなったけれど・・・それが良いことなのか悪いことなのか自分にもよくわからない。



座位の左への崩れが、時を追うごとに顕著になっている。背骨の側彎が進み、上半身の捻れも悪化してきた。

高校や大学の始めの頃は、体のラインがハッキリわかるタイトなトップスばかり着ていたけれど、上半身の捻れが目立つのが嫌で、そういう服を着る頻度も少なくなってきた。


わかっていることだとは言え、やっぱり女。
自分の体が醜くなっていくのは憂鬱だ。

今惚れている兄ちゃんとはどうなるかわからないけれど、誰にしたって、自分の将来の彼氏であったり旦那であったりには、できるだけきれいな私を知っていてほしいと思う。

これ以上背中が歪む前に。
足にメスを入れる前に。

私を知ってほしい。


昨年感じた背中の痛みは、かろうじて慢性化するのは免れたけれど、少しでも無理をするとちょくちょくやってくる。


立位保持が難しくなってきた今、厄介なのが服の試着。

荷物を持っているとちゃんと立てないので、服を着る間両手がふさがってはどこにも掴まれない。

まぁトップスは当ててみるだけでもどうにかなるけど、ボトムはね、ちゃんと履いてみないと合うかどうか本当にわからない。

ドアやカーテンが一番下まで隙間なく・・・というようなフィッティングルームもそうそうないので、床に座って履くわけにもいかず・・・
大抵は、試着室の隅のコーナー部分を陣取り、手にジーンズなりパンツなりを持って、肘部分で壁を押さえつけるようにして、自分を支え履き換えている。

少し前にリーバイスに買い物に行ったら、たまたまベンチつきのフィッティングルームに通され、感動した

こういう便利なモノ、もっと増えればいいのにねw



その昔、ヘレン・ケラーは言った。
『障害は不便ではあるが、不幸ではない』と。

確かにそうだと思う。不幸ではないけれど、それでもよ?


めっちゃ不便よ、確かに。笑 前に『めっちゃ』って付け加えなあかんわ



こうしてまた変化していく。

喚かなくなった。

が、静かに涙を流す暇もない。。

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CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw

詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。

夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;

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