Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
- 2025.03.12
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- 2011.08.16
子を引く親の手
- 2011.07.01
スローモーション
- 2010.11.29
紅色の季節
- 2010.09.27
感情の置き場所
- 2010.09.20
余。
- 2010.09.06
つよく、なりたい。
- 2010.08.21
Little by Little...
- 2010.08.14
丸腰になる勇気
- 2010.08.11
なぁ、先生。
- 2010.08.10
レジスタンス
子を引く親の手
建物は当時のままだが、当時併設されていた眼科はもう既に閉じられていた。
リノリウムの床を踏みしめて『○○町リハビリテーションセンター』と書かれた部屋を目指す。
引き戸を開けると、事務員さんとPTがこちらを見た。
『あれ?!めぐちゃんやいしょ』
思わず噴出しそうになるのをこらえた。相変わらず事務のOさんは、その地方の方言丸出しだった。
PTは私が来ることを知っていたので、別段驚いた様子もなかった。
『いくつになったんよ~?』というOさんに、
「25ですよぉ。ヤバいっしょ


『しかもかわいらし髪型しちゃあるな~』
「えへへ


パーマ大好きなので、最近あてたばっかりのパーマがほめられると嬉しい。
この日、かつての担当だったPTは19時まで仕事が詰まっているということだったので、それまでは事務員さん2人とコーヒー片手に話し込む。
なぜか、その日リハビリに来ていた人は全員私のことを覚えていた


『昔××高校の制服着て来てた○○(姓)さんやでな~?よう帰りに時間が合うたら、お父さん迎えにきよった・・』
『よう覚えちゃあらいしょ。なんでよ?』とOさん。
『声がそのまんまやさかいにね』
・・・声は高校生のままですか

私が訪れて数十分。私が通っていた頃からいるMさんがやってきた。Mさんも、
『あれ、めぐちゃんや』
私ってそんなにインパクト強いですか・・・笑
PTが『めぐちゃん、人気者やな~

「ほんまっすね~いえーーーぃ

Mさんは、数年前私がここを訪れたときに膝から下の退化具合を見て愕然とした、あのMさんだった。(*過去ログ参照)
あれから彼女の筋肉のつき具合に、素人目からは変化がないように見える。
ところが、このMさんにまた私は憂鬱な気分にさせられるのだった。
MさんがPTと話しているのを聞けば、彼女の作業所での給料であるとか障がい者年金だとかの管理はすべてお父さんがやっていると言う。
更に、訓練が終わって、彼女を迎えに来たお父さんを見て、私は息をのんだ。
お父さんというよりも『おじいちゃん』という言葉がしっくり来る。
70は確実に超えていると思われる人で、足取りにも力がない。
そのお父さんが大きな娘の手を引いて帰っている。
表を見ると、私の父が乗っているのと同じ箱バンだった。
最近、こういうのを見ると何とも言えなくなる。
もちろんMさんとて、皆から「Mちゃん」などと呼ばれてはいるが、年齢は40代半ば。立派な中年だ。
だから、お父さんが70を過ぎた「おじいちゃん」でもおかしくはない。
なんでこんなに切ないのだろう。
やっぱり、私は生き方の違いを意識せずにいられないのだ。
なんで、親任せなの

いつまでも、親が生きているわけじゃないのよ・・・と。
知的にまで障がいはないはずの彼女が、どうして自分のお金の管理くらい自分でしないのか・・・と。
センターから自宅までくらい、歩けるんだから自分で帰ろうよ。
お父さんの気持ちを思う。
きっと自身が高齢になってきて、娘の行く末が心配に違いない。
自分の親が高齢なのに、どうして自分で出来ることを増やしていかないのだろうか。なぜ少しでも親を安心させようとしないのか。
わからないことだらけだ。
もちろん、私が知る由もない事情もそこには色々あるのだろうから、私が一概には批判できないけれど・・・・
自分の限界に線を引きすぎなんちゃうん。
私はあなたは、やればもっともっと出来る人だと思う。
他人の家庭の問題だから、私がやきもきする必要なんてさらさらないねんけど・・・
障がいを持っている人の中には、こうして限界を決めてしまっている人がたくさんいて、それを見る度に私はやりきれなくなる。。
スローモーション
左足が、上がらない。。。
違和感を感じ始めたのは、ひと月半ほど前だったろうか・・・。
立位で靴を脱ぐ際、いつも左手でどこかに掴まって、右手で片足ずつ外す。今までなら何の違和感もなく行えたことだった・・・が。
左足を宙に浮かした際に、上半身にふらつきが見られるようになったのだ。
疲れてるのだろうか。
初めはそう思っていたが、・・・否、思うようにしていたが、、
先日のふらつきは尋常ではなかった。上半身が折れるようにグラっと。。
左手で掴まっているのに、だ。
床が目の前で近くなる。
靴に伸ばしかけていた右手を、どうにかつかめる場所へ持って行き、自分の体重をそこに逃がす。さらに両手に力を入れて、バランスを崩しかけた上半身を反動で押すような形で、元の位置へと戻していく。
この間10秒と掛からない。しかし、私にはすべてがスローモーションのように感じられた。
あれほど酷いふらつきも、そんなに起こらないけれど、でも小さなふらつきは慢性化してきた。
きっとそのうち、それが『普通』になってしまうんだろう。
戦友、ちょっとあんた、酷だよ。仕打ちが。。
またひとつ、諦念が増えようとしている。。。
紅色の季節
我ながら滑稽で呆れてしまう。
いつもと同じ小径。
しばらく来ないうちにすっかり木々は鮮やかに化粧をしている。
やがて落ちていく葉。
落ちる間際がいちばん美しく染まっている。その紅が儚く健気である。
今月半ばから、部活動で結構大きなトラブルがあり、職員もバタバタ

この土曜日が休みにならなければ、たぶん私はキレていた。
ま、実際に誰かや何かに対してキレるなんてことは、小心者故できそうにないけどね

・・・というのも、この土曜日には3週間ぶりのリハビリが入っていたのだ。
これを逃すとひと月空くことになる。そんなアホな話があってたまるか

周りから見れば、転ぶ回数が増えるわけでもないし、著しく歩行が困難になるわけでもないのでなかなか気づいては貰えないが・・実は11月~3月までがしんどい時期のピークなのである。
寒くなるにつれ筋肉も固まりやすくなるし、それを庇ったり補おうとして他のところにも変に力が入る。疲労は春夏の10倍以上。
特に11月に入ってから、帰ると何もしたくない・ゴハンを食べるのさえしんどく、さっさと横になりたいという日々が続いている。
洗濯機を回したはいいが、洗いあがるまで待てなくて寝てしまい、結局干せずじまい・・・そのまま週末を迎える・・・なんて週もあったほどだ。水道代が勿体無い

はじめはナゼこんなにしんどいのだろうと不思議に思っていたけれど、去年の備忘録を見て、今回も気温が関係していると確信した。
実は去年の同時期にも『仕事から帰ると即寝症候群』(笑)になっていた。
CPの備忘録を取っておくと便利

そんなこんなで、特に秋冬はリハビリを逃すわけには行かないのだった。



その数日前、担当PT・N先生に電話をし、行けるか行けないかわからないが、予約はそのままにしておいてくれないか・・・というひじょーーーーーに自己中なお願いをしたところ、N先生快くOKをしてくれた。
『先生って大変だねー』
・・・事件が起こるとね

「背中痛いです

『寒くなってきたもんね。次、硬そー

試験の採点など、机やPCにかじりついていると、例のイヤ~な背中の痛みが出てくるのだ。
それにしてもなぜだろう。N先生の声を聞くとほっとする。懐かしい感じもする。
電話の後ろでは、舌足らずな声がひっきりなしに聞こえる。息子さんだろう

先生と電話をすると、必ず近くに息子さんの気配がする。
(良いお母さんだなぁ

小さい子どもにとって、母親の気配を常に感じられるというのは結構重要だし。安心できる。
母親の電話の相手が気になるのか、しきりに「だぁれー?」と尋ねている息子さん。そんな彼に先生がさらりと一言、
『おともだち』 と言った。
誰のことを言ったのか理解するまでに少々の時間を要した。
嬉しさがこみ上げたのは電話を切ったあとだった。
『患者さん』ではなく、『おともだち』 その言葉を選んでくれたことが嬉しかった。
彼女にとって、ただの患者という仕事上のかかわりとしてじゃなく、人対人として見られている気がして。
4歳の彼に『患者』と言う言葉が理解できないかも・・という可能性も無きにしも非ずだけれど。。
私にとっても彼女は今や、ただのPTではない。良きお姉さん的存在で且つ、しんどい体と心を支える安定剤代わりでもあったりする。



とにもかくにも、体のしんどさが頂点だったので急いで訓練室へ向かう。勢いよくドアを開けたら、ちょうど部屋を出ようとしてやってきた癒し系と危うくぶつかりそうになり、すんでのところで、私は避けることに成功した。
いっそぶつかってやればよかったかしらん

・・・冗談だけどね~

しっかし、私の頭が、癒し系の鎖骨の下付近・・・背ぇたっけ

咄嗟のことで驚いたものの、私の進歩はここからよ

僅かに口角を上げ、「こんにちは」と言う事に成功

思いの海の中にどっぷり浸かっていた頃は絶対できなかったことだ。些細なことだが、またひとつ、尊敬以外の感情を切り離せている・・・という証拠が私の中に残った。
えらいぞ、私

『今日来れたんやね~よかった』とおだやかな笑顔を向けるN先生。
余程体の調子が悪いみたいで、いつもよりも痛みが強いし、捻れた背骨や腰を正常の位置まで持っていったときに、咳が出てしまう。
そしてこの日も、話題はソフトバンク。
「私も最近おとーさんに乗り換えよかなって」
『換えなよー。今換えたら土鍋貰えるで

おとーさんの土鍋!!!勿体無くて使えないじゃーーーん

「はぁもう、おとーさんかわいい

おとーさん犬、飼い主どんな人なのでしょうね。気になるわ。。

職場の中で、痛感するリハビリへの理解の薄さ。
なぜ、片道1時間掛けて遠いところに行くのか・・・まではわかってくれなくていいけど、せめて2週間に1度でも少ないくらいだ・・しないとしんどく、翌週の仕事にも影響するのだ・・ということは心に落ちなくてもいい。せめて頭で解ってほしい、と思う。
『(対応が)週末にズレ込んだら来週末がヤバいねんな。でも私、12月は来週と25日なんやけど・・・』
ぇ。それは絶対外せねぇ


まぁ当然といえば当然なのだが、この業種は休日出勤といえば土曜日にしたがる。まぁ月曜から仕事だから無理もないけれど(当然の心理だ)今の私にとっては、日曜に出勤しなさいと言われた方が150%協力的に出勤できる、というものである。
はぁ

やだな、もう。
前にねちねち言ってきた人は、誰彼かまわず気に食わないところはねちねち言う人だとわかってきた。
この前も長引く会議中、小言を思いっきり聞こえるように言っていたし(HRで長い先生の話に文句を言ってる生徒に似たようなもんかも・・)TOPのこともぶつくさ言っていたから、ちょっと人間性を疑いたくなってしまった。
確かに仕事は右に出る人がなかなかいないほどよくできはる人だし、彼女なしでは回らないこともたくさんあるけど、だからっていいのか・・。
人のことを悪く言えば言うほど、そっくりそのままいつか自分に帰ってくる。
そりゃ、常に人間と相対する仕事だから、グチの1つも吐かねばやってられない仕事ではある。私もN先生や友達にいっぱい聞いてもらっているし。学生の頃は親にグチなど言った事がなかったが、社会人になってから3日に1回は父親にグチのオンパレードを喋り捲る。
迷惑な娘だと思うが、社会人の先輩なのだから、そこは聞いてょ・・・苦笑
でも、彼女のはただのグチとも少し違う気がする。
それが彼女なりのグチの言い方なのかもしれないけれど、聞いてる方にそう聞こえないのだ。
まぁ長所ばかりの人間もいないから、そういうもんなのかもだけど。でもちょっと残念だなと思う。
私自身、去年まったくデタラメなウワサを流されたが、その時に校長に、
『あんたは人を褒めることも少ないが、人を悪く言う事も絶対にない。せやからあんたがそんなん言うはずないってワシはっきり言うたよ』
と言われたのだ。普段から人のことを悪く言わなければイザって時に自分の身を守ることにも繋がる。



「どうしたら(リハビリが)大事ってわかってもらえるんでしょうね・・・」
口で言ってもわからないなら、実際訓練受けてるとこ見に来てもらっても構わない。でも素人目にはどれほどリハビリの前後で状態が変わるかを理解できないのだろうな。
『んーでもわからん人はわからんのちゃうかなぁ。生徒側なんかでも先生がわかってなかったりするもん。私もここに通ってる子の学校の校長先生にお願いしに行くことあるけど、なかなか継続してリハビリがいるっていうのは私(リハビリのプロ)から説明しても、なかなかピンと来てもらえない』
こんなまねはなかなかしたくないけれど、最近少しでも理解を示してくれそうな人にはしんどいときに「しんどい」と意識して言う様にしている。
理解していない人間から何か言われたとき、『ほんまにしんどそうやったし、行かしてあげて』と言ってもらうのを目的として。
今までは耐え忍ぶのが、自分の美学だったけれど、自分にとって正しいことをしていても言われっぱなしだと辛いし心が折れる。
理解してくれそうなところに、種をまいておくのも自分を守る術のひとつなのかも。
人を出し抜くためではなくて、自分を守るためにある程度ズル賢く立ち回らなければならないのかな、とも思う。
本当はそんな事思わなくても理解してくれれば、それが理想だけれど、わからない人もいるのが世の中だ。
まだまだ、職場=戦場に変わりない。でも理解してくれる人もめっちゃめちゃ少ないが、いないわけじゃない。
それにN先生は理解してくれている。それだけでも大きな力になる。
来週来れたらいいな



ジャージから私服に着替えて出てきた私と癒し系がまたも鉢合わせ。
超ナチュラルなめぐさんスマーイル発動&会釈

『お疲れ様』と癒し系。 いや、先生のスマイルで疲れも吹っ飛びました

ウイスキー片手に語りたいなぁ。『リハビリの将来像について』とか。
何はともあれ、すごいでしょ。私の進歩



感情の置き場所
ひとりじゃないと感じた直後、自分の孤独の大きさを知る。
そんな日々が始まったのは、いつからだったろう。
思えば随分幼い頃から、孤独を飼いならしてきた気がする。
『ひとりじゃない』と思える瞬間はすごく嬉しいけれど、そう感じたすぐ後で、感じたことを後悔する。その瞬間から離れればまた、私は孤独になるから。
みんな同じ思いを抱えて生きているのだろうか。問うてみたことがないからわからない。
楽しそうに無邪気に日々を過ごしている周囲の人間を見るにつけ、それは問うてはいけない問いな気がしてならないのだ。

リハビリがご褒美的存在なんて、フツーはありえないよね


今週は特にしんどく、歩いていても足がほとんど上がらなくて地面に擦り付けるようにして歩いているのがわかるほどだった。週に2日も祝日があったというのに、ちっとも楽にならず、多少しんどくても自主リハを欠かさないほど、状態は悪かった。
せめて毎週リハビリに行けたら・・・
学生の頃は思いもしなかったことだ。
カウンセラーには、『障がいがあることを隠して採用されたんじゃなく、向こうもわかってて採ったわけでしょう。リハビリに毎週行ける様に配慮して欲しいという希望は言ってみてもいいんじゃないですか』と言われた。
確かにその通りだ。
教委には初めから「リハビリをしないと悪くなる」とは言ってある。
でも、いざとなるとなかなか言えない。日本はまだまだ立ち遅れている。
今も、また8月初旬のいつかのように背中が痛む。リハビリに行ったばかりなのに、である。。
悔しくて情けなくて、行き場のない感情だけが心に音も立てずに積もっていく。
PCにずっと向かっているのさえしんどくて、たったここまで書くのに休憩を挟んだ。
幼子のように地団駄を踏みたくなる。そうして何か変わるならいくらでも踏んでやるけれど、残念ながら現実はそう単純でない。
でも、この感情を置く場所を知りたい。



いつものように、着替えづらいカップ付きのタンクトップに着替え(着替えるのに2倍の時間が掛かってしまう。めんどくさい服だ

Y先生も癒し系に変わりはないが、今やすっかり担当のN先生も癒し系だ。系統は違うけどねw
SBの『おとうさん』の話でひとしきり盛り上がりながら、リハビリをする。
この日は私の調子が良くないからなのか、それとも元々そんな予定だったのか、いつもより入念にたくさんのメニューをこなす。
しかし、N先生の様子がおかしい。
1セット終わるごとに、肩を回したり伸びをしたり、腰を叩いたり。 どうやら、彼女も今日は調子があまり良くないようなのだ。
小柄で、力も華奢な彼女だから、体の大きいクランケになったりするとかなり無理をしたりするのだろう。
いつもはそんなにしんどそうなところを見たことがないので、少し胸が痛んだ。
自分がしんどいのに、その体をおして、一生懸命やってくれるなんて

先生、私はそんな先生と釣り合うようなクランケじゃないよ?
日々ぶつかる困難に、今は弱音を吐いてばかりの情けない人間だよ。
仕事が忙しい、体がしんどいのを言い訳にして自主リハできてない落第者のクランケだよ。。
それなのに、そこまでしてくれてありがとう

土曜日は最終が15:30なので、自分の担当クランケが終わると、P.Tたちは自分の残っている仕事をこなし、室内の掃除をして帰っていく。
ひとり、またひとりと帰っても、N先生はしんどい体にムチを打ちながら、黙々と力を加える。
全部終わったのは、16:15だった。 室内にP.T.は2人しか残っていなかった。
私にはもったいないほどの先生だと思う




「現状を認めるって難しいですね」
『・・・からだの事?』
「はい。認めたらラクになるのはわかってるんやけど、なかなかできひんもんやねんなぁって」
『「認める」ことが良い事なんかどうか、わからへんけどね・・・』
「確かに認めてもたら、今以上は生まれないけど、ずっと抗い続けんのもしんどいじゃないですか」
この話がどう完結したのか、覚えていない。
先生はなんて返事したっけ・・・
先生は『25歳からは日々が闘いになる』と言った。
専門家の指摘は当たっていた、怖いほどに。。
25歳を待ちきれずに痛みが出てきてしまう結果になったのだから。
泣こうが、喚こうが、痛みは引かない。
どんなに嘆こうが現実は変わらない。
でも、思いっきり泣きたい、喚きたい。
いつも私は、理性的過ぎるのだ。きっと。。
また来週もリハビリだ。それを心の支えにして、今週もくじけそうになりながら、擦り切れそうになりながら頑張ろう。
A教授と再びぃ~出会ったーー


今日ほんまに背中痛いんで、もう寝ます


余。
どうして、人間ってこうも弱いんだろうか。
なんで自分ひとりの事を、ひとりで背負えないのか。
そんな弱い人間のひとりである私が恨めしい。。
最近、休みの日は一駅くらいの移動ならチャリを使う。ガソリン代節約と言う事もあるが、その裏には、
後悔したくない、という思いがある。
余程しんどくない日は自主リハもやっているけれど、側わんはやっぱりじわじわ進行しているし、座位の左寄りも顕著。
この間、何気なく生徒たちと一緒にラジオ体操をしていて、右側への『ねじれの運動』がスムーズにできない自分に気がついた。
小学校のときは普通にしてたのにな・・・
このまま座位の左寄りがどんどん進めば、おそらくサドルに座ってバランスを取ることが難しくなる。
それが今日、明日の問題ではない事は無論わかっているけれど、いざそうなったとき、もっと乗っておくんだった、と思わなくていいように、乗れるときに乗っておこうと思うのだ。
そして、そんな事を考えるとき、胸の底から捻り上げられるような気持ちになる。
たとえ「もう乗りたくない」と思うまで乗ったとしても、いざ乗れなくなったらそう思うんだろうけれど。。
つい先日、今まであれ程オバハンくさいと敬遠していたサロンパスに手を伸ばした。
板書で負担を掛ける頸部と、背中(尤も本当に痛いところには手が届かないので、その出来るだけ近くだが・・・)に、仕事から帰ったら貼るのが日課になった。肩の凝りがひどいときはそこにも。
寝ている間中貼っておいて、朝軽くシャワーを浴び、あの独特のニオイを消して出勤するというのが定着しつつある。
敬遠していたことをサロンパスに謝りたいくらい(笑)よく効いて、サロンパスを使いはじめた週は痛みを気にすることなく仕事が出来ていたが・・・
今日、梅田に出かける地下鉄の中で、ついうとうとしていたときだった。
アノ鈍痛で目が覚めた。
(くっそぅ・・・)
肩を動かして背中の筋肉が少しでも動くようにしてみる。体重もなるべく右に掛けてみる。
でも痛い。
悔しかった。
昨日も貼って寝たのに・・・関係なかったか。。
痛みに気を取られ、いつもなら無意識に避けられる都会の人の渦にもいちいち神経を集中させなければならない。
結局、目当てのものだけ買うとさっさと地下鉄の駅へと向かった。普段なら特に欲しいものがなくてもあちこちウインドウショッピングをしてみたり、コーヒーの1杯でも飲んで帰るところだが、歩くのが億劫だった。
幸いなことに珍しく席は空いていて、そこに座ったのだが、私の後から杖をついた老婦人が2人、乗ってきた。
もう空席はない。老婦人たちは杖のほかにも、デパートの紙袋を提げていた。
壁際に空いたスペースがあるのを確認して、私は腰を浮かせた。
「どうぞ」と言うより先に、老婦人は私を制した。
『いいんですよ、私たちはすぐ降りますから』
本当は内心、ほっとしていた。まだ背中は痛かった。でも、そのまま元のように腰を下ろす自分が嫌だった。
老婦人たちは言葉通り、隣の淀屋橋で下車していった。
私はまだ、席を譲ろうとすることができる。
でも、それも無意識のうちに壁際のスペースを探してから・・・。
昔は何も考えずに譲って、つり革1本で立っていることができたのに。
自分が崩れていく感覚。
自分が自分でなくなっていく感覚。
『どんなに悪くなっても、あなたがあなたであることに変わりはない』と地元のP.T.は言った。
でも違う。
私が私である、というのは事実でも、心の中では徹底的に何かが違い、私の知っている私ではないのだ。
既に今の自分だって。
この感覚を誰が理解してくれるだろう。
聞いた者は一様に言う。
『そんなん仕方ないんだから、座ってればいい』と。『他の元気な人が譲ればいい』と。『あなたが気に病むことではない』と・・・
確かにそれは正しい。
でも、目の前に困っている人がいて、自分が助けてあげたいと思っているのにそれが出来ないことがどれほど悔しくてつらいことか、想像してみた事、ある
解決策はたったひとつ。自分が認めることだ。
席さえ譲れなくなった自分を肯定することなのだ。そうしたらこんなに苦しまずに済む。席を譲るだけじゃない。他の失ったものすべてを、自分が認めればいいのだ。
でも肯定できない自分が、肯定してしまいたくない私がいる。
自分を追い詰める結果にしかならないのに、それでもやっぱり抗いたいのだ。
追い詰めるだけにしかならないのに、それでもやっぱり今の自分を情けないと、腑抜けだと思ってしまうのだ。
少しのことで疲れるようになった自分が情けなくて。
数年前まで出来ていたことが困難になっている自分を受け容れられなくて。
変形の進む自分の体を、醜いとしか思えない。
自分が健常者に生まれれば・・・なんて思ったことはないけれど、わかっていても呪いたい運命。
進行していくものは残酷だ。
にんげんってよわい。
なんでじぶんひとりのことを、じぶんで背負えないのか。
苦しいよ。。
つよく、なりたい。
限界をとっくに超えている自分の体に気づかない振りをして、私は今日もいつものように仕事に出る。
悲鳴をあげる背中や腰、膝。その悲鳴を聞きながら、私は耳を塞ぐ。
聞こえないよ、と。。。
そうでもしないと倒れてしまう。でも、それもいつまで持つか。
今日も授業中、一瞬目の前が白くなることが何回かあった。9月らしからぬ暑さで、天然のサウナと化した教室での授業も堪えているのかもしれないが、自分は元々、これしきの暑さでやられてしまう人間ではないはずだ。
自分のからだを一番に考えたいけれど、なかなかそうも行かず、目の前には早急にどうにかしなければいけない課題が山積している
自分をとことん犠牲にしてでも、生徒の為に奔走する、それが教師なのだ。。
判っているし、そうできる自分でありたいと思う。
しかし、度重なる立ちくらみ、頭痛・・・限界かも、と思う。。
限界だと認めたくないから、今日も私は悲鳴が聞こえぬように耳を塞ぐ。
聞こえないよ。
だから私は、まだ走る。。
N先生は『ほんまにしんどい時は休むのも勇気』だと言ったが、なかなかそれも出来ない。
教師(特に担任)は、とにかく毎日出勤する・・・というのが、基本以前の問題だったりする。
出来ないならば辞めればいい。代わりなどいくらでもいる。
だから休めない。。
子どものことになるとめっちゃくちゃ心配する同僚でさえ、身近な同僚が倒れる寸前だとは誰も思わない。
だから、貴女に「しんどい」と言って、跳ね除けられなかったとき、
心底嬉しかった

「限界かも」って感じながら、それでもずっとずっと我慢して、それを知ってもらえたことで、
ずっと楽になった。
貴女に知って欲しかった。
貴女に弱音を吐いてもいいんだってわかって、
心底ほっとした。
世の中の大多数の人が当たり前のように持っているものを持たずに生きるというのは、持っている人たちと同じように生きようとするのは、何十倍・何百倍もの努力を要する。
時に神様は残酷にも、生きることにさえ何十倍・何百倍もの努力を強いる者を創る。
しかもその努力を「努力」とも知らされずに生きる。
「しんどい」のが当たり前だから。
「努力する」のが「頑張る」のが当たり前だから。
それが普通になってしまう。
自分も周りも、「頑張っている」ことを忘れてしまう、いつしか。
そして、努力しても頑張っても到底できないことがあるという挫折にぶち当たるのだ。
私の場合、それが小学4年であり、大学3年だった。
遅かれ早かれ、多かれ少なかれ、そんな挫折にぶち当たって、それでも尚、頑張り続けた先に待っているのは「限界」という名のゴールだ。
達成感も何もありはしない。
ただ、自分の無力さ、非力さだけを痛感させられる、そんな終わり。
でもね、「しんどい」と言えない。
私が限界を超えてそんな事口にしたらね、『ほなもう無理せんと辞めり』 ・・そんなアドバイスが関の山。
だから言えない。
生徒の立場じゃなく、私の立場に立って貴女が考えてくれたことが涙が出るほど嬉しかったよ

貴女のクランケになれたことが、意地悪な神様の数少ない贈り物だったのかも

でもやっぱり私、欲張ってしまうよ。
強いからだが欲しい。たかだか、5日間を働き抜くのに必要な体力が。
神様が私から奪っていった物たちを、この手で取り返したい。
死ぬまで神様との鬼ごっこ。
追いかけられるだけじゃなくて、たまには私が追いかけて、奪ったもの全部、取り返したい。神様が私に与えずに取り込んでいたものまで取ってやりたい。
なんて幻想でしかないのだけれど

つよいこころが欲しい。
こんな浅はかなことを考えないでいいような。。
強靭な精神がほしい。
もっとつよくなりたい。神様を恨まなくてもいいように。。
つよくつよく・・・
Little by Little...
帰省物語の次も早く書きたいけれど、なかなか・・・
後ほど時間のあるときに過去の日付でアップしますので、よかったら見てみてくださいね
(←この絵文字、相棒のぼーちゃんに似てるから好き
笑)
「これ、つまらないもんですけど・・・」
お決まりのセリフで、某ショップの袋を差し出す。しかし、中身はそのショップの服では勿論ない。
『えー何ナニ??』と担当のN先生。
今まで帰省の際にこうして先生に対してお土産を買ってくるということはなかった。電車での行き帰りということもあったし、去年は私の運転が危ないからと父親がずっと隣に乗っていたしね。
今回買おうと思ったのは、日頃の感謝を少しでも表現したいと思ったからだ。
勿論、日頃の感謝はそのお土産で表しきれるような大きさではないのだが
色々名産品はあるウチの地元だが、私は超渋い選択をした。
「これねー、○○味噌なんです。お口に合うかわかんないですけど・・・よかったら」
『ああ、あのもろみ味噌みたいなやつ?』
「そうですそうですー。これあればゴハン何杯でもイケますよー」
『嬉しいー主人が好きなのよぉコレ』
よかった嫌いな人は一口も食べないから心配だったのだ。そういえばN先生の旦那さんってどんな人なんだろう?滅多に話題に出ないからナゾだ。 イケメンかな??
笑
結局N先生に手紙は書かなかった。やっぱり、怖くて書けなかった。気合を入れて選んだ金魚柄の便箋と封筒はまだ、タイガースカラーのLOFTの袋に入ったまま机の引き出しで眠っている。
でも何も進歩がなかった・・・わけでもない。
いそいそと自分のデスクにお土産を置きに行くN先生。
面白いし、かわいらしいところもあるし、幾つかわからないけれど若く見えるし、ファニー(いい意味でね)な女性だなぁと思う。私もこんなに愛嬌のある女の人になれればいいのに・・・
リハビリ開始。最近結構痛いと思う。その痛さが、N先生が腕を上げたのか、それとも私のコンディションの何かが変化したのか素人にはわからない。
リハビリ中、私は滅多に「痛い」とは言わない。それがポイントを圧迫する痛みや、作用する痛みである場合は。違和感のある痛みやどうしても我慢できない場合は言うけれど、大抵はどうにかこうにか耐えるばかりだ。
不思議と小さい頃からそうだった。泣き叫ぶ子が多い中、私が泣いた記憶はない。一度、訓練中に大泣きしたことがあるが、それも原因は「カメラのフラッシュが怖い」だった。CPの患者は音や光に通常の人よりも敏感になる場合が多い。大きな音や光に過剰に反応するのだ。
今はさすがに大泣きはしないが、フラッシュ付きで写真を撮れば9割は目を瞑っているし、運動会のピストルの音でもビクっとなってしまう。雷が異常に嫌いなのも、こんな特質と無関係ではないのかもしれない。雷っていえば、強い光と音のWパンチだもんね
小さい頃に泣かなかったのは、泣かなければ周囲が褒めたからだ。
『もっと大きい子でも痛い痛いって泣くのに、ほんまにえらいねぇあんたほど我慢強い子なかなかおらんで』などという風に。
あの頃そうと意識していたわけじゃないけれど、他人から認められたくて仕方なかった私はとにかく『えらいね』『強いね』と言う言葉を周囲の大人から引き出させるために行動していた。
本当に欲しいものはそんな言葉ではなかった・・・と気づくのはそれから15年以上経ってからだが。
勿論、大人になった今では『えらい』と言われるために痛みを訴えるのではない。痛みを訴えると、その訓練法を中止してしまうのではないか・・・という思いのためだ。
自分の体を守るためなら、多少の痛みは厭わない。
どうにもこうにも我慢できなくて、それによって著しく生活の質が落ちるなら、それはそれで問題だけれど、今のところリハビリに行くのが苦痛になるような痛みではないし、我慢できる範囲内だ。それにその痛みも異常な痛みではなくて、きちんと正しい力の入り方をしているが故の痛みだと、素人目にもわかる痛みだった。
でも体は正直なもので、やっぱり痛いと自分の意思とは逆に足があっちに動いたりこっちに動いたり、かと思えば力を入れる気もないのに突っ張ってしまったり・・・
なかなか問題児である、私の足・笑
体を側がい(横向け。変換でてこーへんどんな字かも忘れた
今度はATOKが入ってるPCがほしい
)にし、捩れている上半身を正常な位置まで持っていく。勿論、N先生の手ひとつで。
小柄な女性だから、捩れきっている私の体を正常な位置で長時間留めておくのは、かなり力のいることだろうと思う。終わった後、額の汗を拭う先生を見ていると感謝と申し訳なさの入り混じった気持ちが私の中で渦を巻く。
『これ、痛い?』
「いや、痛くはないけど・・・めっちゃ違和感はありますね・笑」
『これでまっすぐなのよ』
そのまっすぐな状態を「違和感」だと思うのだから、普段の私はそれほど歪み、捩れているのだろう。
でもまぁ、鏡を見れば想像は付く。
「なんかねー、骨盤と上半身が別々のモノみたいな気がするんですよねぇ・・・」
『へ?』
「骨盤と上半身をぶつ切りにして、骨盤の上に上半身をずらして置いてある、みたいな見た目じゃないですかー」
吹き出すP.T.
『面白い発想やね。まぁ骨盤と上半身がまっすぐではないから、そう感じるのはわかるよ』
側がいでのリハビリが終わり、仰向けのリハビリにうつる。この体勢がちょうどP.T.と顔を突き合せられるのでいちばん話がしやすい。
まぁうつ伏せだろうが横向けだろうが、声は充分届くし、相手の声も聞こえるけれど、やっぱり表情が確認できる方が円滑に話が進む。
言うか否か。
迷った。
瞬間の短い時間の中でたくさんの逡巡を繰り返した。
先生に言ったら、困らせるかも。ウザい患者だと思われるかも。
それは怖いけど、でも伝えたかった。私の感じていることを少しでも共有してほしいと思った。
覚悟を決める。
一抹の不安を残したまま、私は自分の中にある言葉のかたまりを音にした。
「最近ね、自分の生き方が間違ってるんじゃないか・・・って思うんスよ」
ここでもし、N先生がこれをシュールな自虐ネタとして笑い飛ばしてしまったならば、私はここから先を言わなかっただろう。しかし先生は、注目して私の次の言葉を待っていた。
まぁ私の表情と声でネタではないことは丸わかりだけど。。
いつもなら癒し系にも聞いて欲しいと声を心持ち大きくするけれど、今日は別に聞いていてもいなくてもいいと思った。
私はN先生に言いたい。
「私、今まで無難な生き方はしたくないって思ってきてね、何でもしてきたし、自分のしたいことはしたし、出来ないことも出来るようにしてきたけど、それが逆に自分の首を絞めてんかなぁって。いちばんなりたかった仕事に就いたけど、それが結果的に自分の体に負担を強いてる。事実、就職して機能は落ちるばっかりでしょ?」
「無難」な生き方をしないようにと、努力することで体に負担を掛け、結局は自分の体を磨耗することに繋がる。結果、二次障害の現れは早く、身体機能の維持できる期間は短くなる。
「私、こう言うと失礼かもしれませんけど、無難な生き方をしてる人に反発してたんですよ。体に負担を掛けないで生きる道を選んでる人たちと自分は違うって思いがあって。自分はそんな生き方はするかぁって思ったし。就職するまでは自分を障がい者だと思ったことはなかったんです。健常者の人と対等で同じやって。でもやっぱり、就活のときに(あぁ、私は『障がい者』なんだな)って思い知って、就職してからも変わらんくて・・・。」
本当はずっと心の奥底で『無難』な生き方(つまり一般社会と広く関わらずに障がい者のコミュニティの中に自分を多く置く)をしている人たちに、私は優越感を抱いていたのかもしれない。
私はあなたたちと違うのだ、と。 一般社会で健常者の人とまったく対等に肩を並べられるのだ、と。
ある意味で、この優越感は「差別」なのかもしれない。
鍵カッコのついてない文章は先生に直接言ったものではないけれど、いつかこれについても他の人に意見を求めてみたい。私が抱えていたこんな思いも差別に入るのか否か。
私は普通の障がい者とは違うのだ、と漠然と、しかししっかりと思っていた。あなたたちが触れようともしない可能性に手を伸ばしているのだ、と。
でも可能性を可能にするには、健常者より何倍も負担がかかるのは事実だ。
今でもギリギリ、一般社会で肩を並べているものの、本当にギリギリ。帰宅する頃には疲れきってもう物も言いたくない日もザラだ。
肩肘を張って張って張りまくって、何とか維持するのがやっと。
そんなに疲れるのだから、機能が衰えるのも無理はない。自分の機能が加速度を上げて低下していくのを見るにつけ、ある思いが浮かんだ。
無難な生き方をしている人より、私の方が優っているなんて、タダの奢りではないか。
何様のつもりだ、私は。私のどこが彼らより偉いと言えよう?
後先考えないで刹那的に生きている、タダのバカとも言えるというのに。。。
「無難な生き方はしぃひんと思ってやってきたけど、無理をしてることも多いわけで。。ほんなら、私より自分の限界をきちんと把握して、その中で負担のかからない生活をしている人の方がよっぽど賢明なんじゃないかって。無理をすればするほどADL(Activity of Daily Living.日常生活動作)の寿命は短くなる。無難でも負担を掛けへん生き方の方がADLは長持ちする。ほんまはしたいこともあるかもしれないけど、自分の能力限界を知ってその中で生きている人の方が、賢いですよねぇ・・・」
『そういう生き方を、だから「無難」って言うんよね・・・』
うーーーむ・・・まぁ・・・ね。
言いたいことはすべて的確に言葉にできなかった。
今までずっと正しいと思ってきた「あなたたちと違う」生き方は間違っているかもしれない。実は無難だと思っていたのが正しいのかもしれない。
そう悶々と考えていた。もし、私の生き方が間違っていたならば24年という歳月はいったい何だったのか。
『確かにめぐさんの状態で、この仕事を続けるのはほんまにしんどいと思う。なくすものも多いけども、その分、他の人は得られないものを得てるかもしれないし。何を重要視するかよねぇ。自分の限界なんて自分でもなかなかわからへんもんやし。でも、仕事で負担が掛かることをどうやったら軽減できるか考えてはんのはすごいと思う。』
「出来てないところを『障がい者を雇うんじゃなかった』って思われたら嫌やから、肩肘張りまくって生きなあかん・・・でもなかなか、それもしんどいなぁ・・・って」
『でも、前向きに考えてはるよねー』
「そうですね。でもこんなん所詮はハリボテですよ、ハリボテ。」
『もう折れそう?』
「うーん・・・どうかな。でもかなりキツいっすね」
胸のつかえが100あるとすれば、そのうちの7つくらいだが、それでも色々な事を気遣ってそのうちの0.5も言えなかった頃に比べれば、だいぶだと思う。
肩肘を張りまくって生きなあかん。=しんどてしゃぁない・苦笑
前向きさは自分を保つための必死のハリボテ=その後ろには弱い私がいる。
「2大吐き出したい要素」を言えただけで、この日は収穫ってものだ。
でも聞いてくれた。嫌な顔せず、しっかり。それが嬉しかった
やっぱり、この先生には言ってもいいのかもしれない、と少し思った。
衰えていく自分を客観視したら、気が狂いそうになるのだとはこの日カミングアウトできなかった。
でもいい。少し前に進んだ。少しずつ、気持ちを言葉にして行こう。
さて、そんな後で、私にN先生から「ブラジャー禁止令」(爆)が出た
詳細は続きリンクより。 あ、別にエロい話じゃないよ・笑 真面目な医学の(?)話ww
丸腰になる勇気

更に厄介なことに、立位時や座位で痛むのは判るが寝ていても鈍痛が引かないのだ。そんな日々がもう2日も続いている。寝返りを頻繁にうったり、伸びをしてみたり、自主リハをしてみたりするのだが、多少その時は改善しても数十分経つとまた同じ状態に戻ってしまう。
2~3時間しか眠れない日々がもう2日。たった2日だけれど、前向きな思考を奪うには充分な時間。
夜中、真っ暗闇の中で、出てくるのはため息か「ふぇ~」「うにょぅ・・・」などと言った言葉にならない感情の擬音語ばかりである。
痛みが気になりだすと、余計気になる・・・という負のループも手伝って、もう精神状態はボロボロだ。
心の内では形容しようのない獣のような感情の猛りが渦巻いている。。だが、それを表には出せない。こんな時間に(こんな時間ではなくてもだけど)そんな事をしようものなら「おかしな人がいる」とたちまち通報されてしまうだろう。
こんなとき、人のぬくもりをひたむきに求めずにいられない。
この痛みに差し伸べてくれる手があれば、それだけで私の心は幾分安らげるのだろう。
座位の左寄りも顕著である。時折、意識して正常座位まで姿勢を戻すものの、ふと気づくと元の左に偏った状態に戻っている。脊柱のねじれも自分でわかる。。。
今日は、日直だったので1日中学校におり、来校者や電話の応対などをしていたが、それでも生徒のいない1日は長い。この機会にと、指導要録の記入をしたりフラッシュカード(単語を書いた細長い紙。みなさんの頃にもあったでしょ??)の作成をしたりしていたのだが、直せども直せども数分と経たぬうちに私の体は性懲りもなく、左に捩れ、傾くのだった。
言いようのない苛立ち。 ぶつける場所のない苛立ち。
手に持っていた『マッキー(油性マジック)』を思いっきり投げようとして、理性がそれを押し留め、結果、『マッキー』は机にピシャンと無機質な音がして転がった。
なんで、なんで。。
何を問うのかわからぬ問い。
もう、限界などとっくの昔におそらく超えてしまっているのだった。自分ひとりで持つには重すぎて、誰かに支えてほしくてほしくて仕方ないのだった。
でも、誰にそれを求めよう?
求める相手が決まったところで、私は手さえ伸ばせない。
ケータイを開き、S市の病院の番号を呼び出す。しばらく眺めていたものの、結局通話ボタンは押せず、担当のN先生のケータイ番号を呼び出す。
今はおそらく仕事中だろうから、留守電にメッセージだけでも入れておこうか。
それも結局しなかった。
N先生のクランケは私1人ではないのよ・・・・。。。
いっそ心が潰れてしまった方が楽だ。何も感じずに済む。
潰れそうで潰れないギリギリのところがいちばん苦しい。
そんな最悪の気分でいるところに知らぬケータイから、伝言が残っていた。
再生してみると、地元でお世話になったP.T.である。彼女の方からかけてくるのは初めてだ。
仕事が終わってから掛けなおし、今の状況を端的に話す。さすがに気がおかしくなりそうだ・・・とは言わなかったけれど。。
彼女の元・クランケである今、彼女には遠慮なく物を言う事ができた。
長期的に見て、やはりCPの実態尚且つ私の体の状態を適格に把握していて、それでいて精神面も頼れるような人物は私の現在の精神状態に関わらず、必要不可欠だということ。(そしてそれを満たす人物はP.T.のみ)
今のP.T.との関係が出来上がっているのであれば、気を遣うことなくどんどん自分の思いを伝えていけばいいということ。
それによって、仕事上P.T.はどうすべきか悩むことはあるかもしれないが、自責の念に駆られるというのとは違うということ。
地元の先生の言葉を要約するとこうなる。
口を開けば、負の形容詞ばかりがついて出そうになる。
辛い。痛い。苦しい。怖い。そしてそのどれにも分類されない感情たち。
それらが覆っている今の心は明るい色では決してないのだった。
『言いたくなければ言わなかったらいいけど、めぐちゃんとしては言いたいんでしょ?吐き出したいと思うなら吐き出したらいい。それで重たい患者だと思う人はいないよ。学校の先生も一緒でしょ?生徒が悩みを言いに来たからって「重たいな、うっとうしいな」とは思わないやろ。それと同じこと。』
わかるような、わからないような・・・。
痛みで眠れない夜中、地元の先生の言葉を反芻し、考えをめぐらす。
そもそも一体どんな顔をして、負の感情のオンパレードを並べ立てればよいのか。それを聞いた時の担当の先生のぎこちない平静が容易に脳裏に浮かべられる。
もし、そうなれば私は吐き出したことを後悔するだろう。
そして一度言った言葉は取り消せない。「なーーんて、弱気になってたらだめですね、あっはははー

でももう、誰かに吐き出さねば、そしてスルーじゃなくしっかり受け止めてもらわねば、私は崩れる。
悪い反応ばかり今は想定しているけれど、これがもしうまく転んでしっかりと私の気持ちを受け止めてもらえたなら、私はそこで精神の穏やかさを取り戻し、闘う力も湧くのだろう。
そして、負の自分を曝け出しても、人は自分を切り捨てない、という自信にも繋がる。
臆病者。仮面を取れ。鎧を脱げ。でなければ、生身の心の温かさは味わえぬ。
前向き。真面目。頑張りや。人を悪く言わない。努力家。明るい。人が私を形容するときの陽の部分。
しかしその裏にはほとんど誰も知らない私も棲んでいる。
悲観的。絶望的。後ろ向き。弱虫。泣き虫。欝。自尊心が低い。否定的。数え上げればキリがない。
そんな自分を人に曝して、人が去るのが怖いから、ある程度人間関係が成立してくると、陽の仮面を鎧をぴっちり身にまとうのだ。
そんな風に防御を完璧にすればするほど、直接生身の私の心に触れてもらう機会は少なくなる。結果、嫌われることもまぁ少ないが、どこかぎこちない。
現に担当のP.T.にも、私が仮面を被り始めた時期から、呼び方は名前から姓にさん付になり、くだけた口調は一転、敬語に変化した。自分より10は離れている私に対してである。
でも、心に鎧や仮面をかぶせないと怖くて怖くて仕方ない、臆病者。
自分を曝さずに相手にだけ曝してほしいなんて、虫が良すぎるのもいいところ。
丸腰になる勇気を持て。
鎧などなくても、仮面などなくても、そんな弱い自分でもあたたかさを求めて、素手で戦え。
確かに怖い。打たれれば弱い。
しかし、丸腰でなければ、手にしたぬくもりの本当のあたたかさは感じられない。
末期がんの患者が担当医に「死ぬのが怖い」と言ってならない言われはない。それと似たようなものではないか。
N先生に告げてみよう。
今辛いのだと。苦しいのだと。誰かに言いようのない苦しみをぶつけたいのだと。助けて、と。
口で言えば強がってしまうのならば、私には文章という武器がある。(と早速気合を入れてLOFTで新しい便箋を買った)
次の予約は21日。
先生の前で、果たして私は鎧を、仮面を捨て去れるのか。
もし本当にそれが出来、それが受け容れられたならば、私と先生は本当の意味でようやくP.T.とクランケになれるのだろう。
【追記】 しかし、どういう書き出しで始めればよいのだろう。無数に渦巻く感情をどこから吐けばいいのだろう。それを文章化するのも難しい。

なぁ、先生。
振休を取って、行ってきたリハビリ。
脊柱の、段々と慢性化しつつある痛みを抱えながら、病院へと向かう。
先生に会える

癒し系にも会える

今の私にはリハビリも、大きな心の拠り所。
電車の降車はといえば、自主リハや超無理やりな『降りられる②』のセルフコントロールのお陰なのか、今日はどの駅でもすんなりと乗り降りできた。どうやら、この前は特に調子が良くなかったらしい。
降りる能力を失ったわけではないことがわかって、ちょっとほっとする

私の毎日は小さな不安や小さな安堵の波打ち際。
毎日些細なことで身体能力の衰えではないかと心配し、それが一過性や思い過ごしであることがわかってほっとする。思い過ごしでなければ、その瞬間絶望し、やがて、その絶望すらもどうにか折り合いを付けて飼いならしていくのだ。
ただ、その過程はいくら腹を割って話せる親友とは言え、曝け出せるものではない。曝け出された側が、その重さに耐えられるかどうかわからないから。
私の親友は芯の強い子だけれど、その芯の強さを私のためばかりに裂いてもらう訳には行かない。
でも最近は私自身でさえ、その絶望を飼いならすまでの作業をしんどいと感じる。
誰かに、たとえ100分の1でも共有してほしいなって思うのだ。そんなの利己的だとは思うのだけどね。
でも、しんどい。
この心の中にしまうには大きすぎ、重すぎる。
今までもそう思うことは何度もあったけど、自分を騙し騙し、ここまできた。でもそれもいつまで持つか。
「電車を降りるのはもう全然大丈夫になりましたぁ

まずは明るいニュースから

で、言いたくないけど、言おうじゃないの。。本題。。
「脊柱(背骨)の右側、右肩甲骨と脊柱の間くらいなんですけど、長時間同じ姿勢でいると痛くって。引き攣れるみたいな、痺れるみたいな、引っ張られるみたいな・・・んーなんて表現したらいいんかわからんのですけど・・・ちょっとこの前無理したから、肩こりがひどくなったのかな~とか」
少し嘘をついた。私はちっともこの症状が肩こりがひどくなったものだと思っていない。脊柱のゆがみによるものだと確信している。だが、二次障害の訪れをP.T.に告げる数が多くなれば多くなるほど、P.T.が私から遠ざかっていくようで怖かった。
いつか、『もう私の手に負えないから、他のところに行って』と言われる日が来るんじゃないか・・・と怯えている。
だから、本当は二次障害の文献を読み漁っていることをひた隠し、まったく知識のない『ド素人クランケ』を演じきる。
本当にタダの肩こりがひどくなったものだと、懸念しているように見せかけて。
・・・・・・伸ばそうとした手を、また、自分から引っ込めた。
先生、背中が痛いねん。痛いからしんどいねん。
また背骨曲がってんちゃうのん。怖いねん。歌も思うように歌われへんくなって悔しいねん。
なんで私から、大事なもんなくなってくのん?
仕事の負担が少ない今でさえこんな状況なんやから、2学期からどうなるか不安でしゃーないねん。
ねぇ先生、聞いて。
周りに判ってくれる人おらへんのよ。他の人の半分も動けてへんのに「しんどい」言うたら、『甘えてる』『怠けてる』って思われんや。
私だってもっと動きたい。もっと最前線で働けるようになりたい。まだまだ下っ端やねんから、体動かして、動いてナンボやって判ってるんよ。
でも、でも。教師になるまでの私がおもっていたほどに、私の体は良くない。
そんなんで、他の同年齢の人とおんなし給料貰ってんの、申し訳ないと思う。
しかもその出所は国民や府民の税金や。先生が納めてる税金も入っとんのかもしらん。
でも、その情けなさ、申し訳なさに無理やり目ぇ瞑って、それでも働かんと私、食べて行かれへん。親にも仕送りできひん。
自分の100%はしてるつもりやけど、周りから見たらそれは半分にも満たってない。
それが辛くて仕方ない。
先生に『頑張って』なんて言わんよ。もう今でも充分私の為に頑張ってくれてるもん。先生が汗拭いてるのを背中越しに見ながら、いつも『有難う』って思ってるんよ。『有難う』なんてありふれた言葉じゃ足らんほどやで。
なぁ、先生。CPの実態って、まだなかなか浸透してないから、皆は動きにくいだけやとか、足だけが悪いんやとか思う人が多い。
でも頸や背中が痛くてしんどいのん、先生には判ってほしい。
健常者の中で同じように働こ思ったら、肩肘張って張って張りまくって生きてかなあかん。
学生の時、バイトの仕事はしんどいなりに人並みにこなせてたから、わかれへんかった。
でもな、肩肘張って張って張りまくるのんって、思いのほかごっつうしんどかった。
今もごっつうしんどい。
足の筋もぴんぴんやけど、心の筋もぴんぴんやねん。
もういつ切れてまうかわからへんねん。
なぁ、先生。助けて。
何もしんでいい。ただ、今の私でもええよって言うてほしい。
ぎりぎりやねん。
先生助けて。。
そのすべてのうち、ひとつも口には出せなかった。
『やっぱり背骨が曲がってるから痛むんやと思う。今日は(歪んだのを)まっすぐにしきれんかったから、また次、時間掛けてやるねー』
私が嘘を吐いても、これしき専門家は見破ってしまうもの。
だったら最初から曝け出せればよかった。私も脊柱の歪みが原因と思うって。
『お疲れ様』 「ありがとうございました」
いつもの挨拶を経て、訓練室を出たら、急に心細くなって、、更衣室で涙が止まらなかった。
それほどまでに張り詰めてるのに、なんで私は手を伸ばせないのだろうか。。。
引っ込めた手を無理やり掴んで握って欲しい、、、
そういうのは我儘か。。。。
レジスタンス
こんな夜中にチョコアイスをかじりながらブログを書ける幸せ
ようやく私の夏休みが到来しました宿泊学習の超過勤務分の振休やら何やらが溜まっているのでそれを消化し、あとの数日は年休(民間企業で言うところの有給)を消化し、来週いっぱいは夏季特休を取りました
大阪府の場合、お盆休みは固定されていなくて、自身の都合に合わせて5日間休みの間に取得することが出来るんですw お盆の間に試合・・・なんてなかなかないと思うのだけれど、それでも人と休みをずらせると遊びに行くとき混んでないのが良い
でも結局は友だちと予定が合わなくて、ちゃんとしたお盆休みは所謂お盆の間に取ってしまうのだけどね
『整理が付けられるようになった』とか、『距離を置けるようになった』とか、『吹っ切れた』とか、何度となく書いているけれど、所詮そんなのは大嘘だ、と痛感させられる。
自分に言い聞かせているだけ。本当にそう思えるように。
実際はちっとも距離を置けてなんかいない。
先週1週間なんて、彼のことを考えない日がなかったくらいなのだから。
自ずと彼のことを考えるというのは、それだけ自分の足のコンディションが悪いということでもある。・・・いや、正確には、「足の」ではなく「からだの」と言うべきか。
座位の左寄りが顕著なのは、大学の晩年の頃から感じていたことだが、最近は脊柱の歪みをまともに意識するようになってきた。
と言うのも、立っていようが座っていようが、同一の姿勢を長時間続けていると右脊柱の横あたりに痺れるような痛みが走るようになってしまった。それでも我慢してその姿勢を保ち続けていると、やがて顔をしかめたくなる痛みに変わる。
気がついたのは一週間前の3日。職場で試験問題を作成していた私は、絶対その日中に終わらせてしまいたかったので、かなりの時間PCデスクにかじりついていた。
途中から痛みが出てきたな・・・と気づいてはいたけれど、あともう少しで終わるし・・・とそのまま無理を続け、結果顔をしかめて伸びをしたり、ストレッチをしたり・・・という事態に。
この無理が祟ったのかどうかわからないが、以後、同一姿勢を長時間とると同じ症状が出る。
原因は十中八九、側弯だろう。
側弯が進行しているという仮説に確信を抱くのが、肺活量の低下、それに声量の減少。
以前はホイットニーヒューストンとかゴスペルの歌なんかも、近所迷惑も顧みず結構な声量で歌っていたのだが、最近素人並(と言っても私も素人だけどね。ここでの素人は合唱や歌唱未経験の人という意味で)の声量しか出ない。
こんなヘボい歌声じゃなかったのに・・・
鏡の前で歌ってみた。口蓋の奥の方に注目する。
うまくお腹から声が出せ、それが一直線にあがってくると軟口蓋(所謂「喉ちんこ」)が上に上がり、声の通り道が出来る。この現象をよく『喉がひらく』と言う。
しかし、喉を開かなければならないポイントでことごとく軟口蓋が上がらない。
・・・悔しい。
『二次障害ハンドブック(改訂版)』肢体障害者二次障害検討会 編 文理閣(2007)
こんな本を読んでみた。主に脳性麻痺の二次障害について書かれている本で、二次障害と向き合う本人の話からそれを支えるP.T.の話まで内容は多岐に渡る。
ここにも大きな声を出しづらい・・・と言った症例が挙げられていた。ひどくなると、拘束性換気障害というのに発展する恐れもあるらしい。
なんかもう、大層な病気の名前ばっかり見聞きするの、嫌になっちゃうな

この本では脳性麻痺者へのアンケートで、『二次障害への関心・不安』について、「とても関心・常に不安」が27.2%、「関心あり・ときどき不安」が50%であると出ている。
合わせて7割を超えるCP患者が、二次障害に関心を持ち、不安に思っていることに少しほっとした

私だけじゃないんだなって。みんな怖いんだって。
側弯の進行を少しでも遅らせたい&P.T.に頑張ってるところを見せたい(まぁ、自分の中のあの懸念を払拭するためがいちばん大きい)ので、最近また自主リハを頑張っている。
夏休みで仕事疲れがほとんどないというのも、自主リハを促進していると思う。
スタンドミラーでリハ前・リハ後の自分の姿勢を確認すると、やっぱり違う。それが自主リハ意欲に拍車をかける。
1セット、2セットあたりはまだ、間違った方向に偏っている筋肉が引っ張られるのか特有の痛み・ダルさが付きまとうが、3セットを超える頃には少し楽になってくる。
精一杯の抵抗は、ほくそ笑んでいる神様に通じるのだろうか。
次回は心理面について語ります。
明日はリハビリ。癒し系にごっつ会いたいけど、でも会いたくない。
どうしてくれよう、この気持ち。
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プロフィール
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
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このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪