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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

カテゴリー「CPとつきあう」の記事一覧

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光と闇②

今日は本来ならば、『出勤』に丸をしていたのだけれど、どうにもベッドから起き上がれず、年休を消化した。


せっかく水曜日に休みを取ったのだから、映画(1000円で見れる)を観にいくとか、部屋の掃除をするとか、もっと有意義な過ごし方はいくらでもあった筈なのに、1日ほとんど寝ていた。コアラ並みの睡眠時間であったと思う

ゴハンも食べる気がしない。お茶を飲むだけで朝から晩まで食わずで過ごした。
夏バテもあるかもしれないけれど、胃がむかむかして食べ物を欲しない。

起き上がっても頭重感と、肩の凝りに悩まされ、結局また横になる・・・の繰り返し


おそらく夏バテが大きいと思うのだが、この独特のダルさと立ち上がる気さえ起こらない、この感じ。
以前にも感じたことがある。
過敏性腸炎がひどかった頃に、抗欝剤を処方されていた頃だ。


欝の再来だったら、ヤバい。
もっとも、さなかにいるときは、「なんかめっちゃしんどい」と思うだけで、後になって振り返ったら「あ、あれは欝っぽくなってたな・・・」って気づくものなのだけれど。。



オペを受けると決めたものの、オペの詳細をまったく知らない私はネットでそのオペについて調べてみた。

Dr.から語られたときはリスクの少ない魔法のオペのような気がしたが、それなりにリスクもあるようだ。


神経・筋・血管などの損傷
手術の際にメスやクーパー等の医療器具で・・・なんて可能性もあるけれど、それは医師の腕前に頼むしかないわけで・・・このオペの場合、器具を入れるのでその器具のワイヤーやピンが損傷に繋がるおそれがあると言う。
私の場合、大きな動脈が通るような箇所へのオペではないので、血管を傷つけてもそれがすぐに大事に至るわけではないけれど、神経や筋の損傷は大いに心配だ。たった1つの神経を傷つけただけで歩けなくなるおそれもある。

皮膚・筋肉・骨・関節の感染
このオペでは、術中術後の感染はきわめて稀らしいが・・・器具を入れっぱなしにしている分、器具に付着した細菌から感染症を起こすことはありえるようだ。抗生物質等の服用で実際発症するのを防ぐらしいが、実際感染症を併発してしまうと、患部の矯正はできなくなるので入院期間が延びるらしい・・・

筋肉のヘルニア、筋肉の拘縮(伸びないこと)
筋肉を覆う膜、筋膜を切開することで、オペによって伸びた筋肉が稀に縫合した筋膜を突き破って出てくる・・・とか・・・ああ、なんかマトリックスみたいな世界じゃないか・・・考えただけでキモい術中の筋肉の損傷によって、筋肉の拘縮が起こることもあるらしいが、これはほとんど筋肉を切らないから大丈夫やろう、多分。

これを見て、地元のDr.の術式がハイリスクハイリターンで「失敗したら歩けなくなる」というのに納得。地元のDr.は筋肉を大きく切開して行うものなので、筋肉の損傷に対するリスクも大きく、結果拘縮が起こりやすいのだろう、多分。。

血腫、深部静脈血栓、肺塞栓
術中に出血した血液が固まって、血栓や血腫を起こすおそれがあるらしい。エコノミー症候群の重い版??

ピンやワイヤーの破損
刺入した器具のピンやワイヤーが何らかの原因で破損してしまうこともあるらしい。折れたピンが骨内に残ってしまった症例もあるとか・・・怖

コンパートメント症候群(意味不明)、浮腫

変形治癒、骨癒合遅延、偽関節、早期骨癒合

その他にも関節拘縮、関節の亜脱臼、脱臼、関節症、新生骨などの骨折などなど、調べていったら両手の数で足りない。。




どんなオペにも必ずリスクはある。
それは避けられないことだ。何事もなくオペを終え、元の生活(あるいは元以上の生活)に戻れるのは奇跡に等しい。たとえそれが虫垂炎のオペでも。。。
この世の平穏な生活を手にしたクランケは最高にラッキーなのだ、ということも理解している。


でも、いざそれが自分の身に降りかかると、どうか。

理解はしていても、やっぱりどこかで・・・・・




怖いよーーーーーーーーーーーーーーー


何もしなくても、このまま徐々に拘縮は進むだろう。側湾(ってこんな字でいいんだっけ?つーかこのPC、医療用語の変換に弱すぎる)もひどくなっているし、最近はめっきりなくなったけれど、冬場股関節の痛みに悩まされたこともなくはない。


オペの成功に賭けて、やるしかないのだ。



でも不安で不安で、すべてに無気力になってしまいそうになる。



N先生、いつもの明るさでこの恐怖を笑い飛ばしてください。

癒し系、ただ、そこにいてください。


オペの話になったとき、あれほど癒し系が必死に話をしてくれた理由が今わかった。


リスクがそこにあるからだ。


ありがとう、先生。   病気や患者と真剣に向き合う先生は、とっても素敵です




こんな精神状態、もうしばらく続いたら、ほんまに私が持たへん

今週土曜はライブ!!!だけれど、今週こそ、ライブではなくてリハビリに行きたい苦笑


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The Bomb in My Heart

仕事から帰って、何気なく靴を脱いで一瞬かたまった。



通勤用のVANSのスニーカー。無論、意図的にこう置いたわけではなく、普通に脱いだらこうなっていた。

画像右側のシュークローゼットの取っ手に掴まって、(つまりからだの正面が画像右側を向いている状態)靴を脱いだ結果がこうだ。

思わず写メってしまったけれど、こういうカタチで自分の内転具合を知ると、ため息が漏れる。



足が思うように前に出ない。歩幅は随分減少した。

ここ1週間ほどは電車の降車時に恐怖を感じる。それも、そんなにホームとの隙間がない駅でさえも・・・。

気がついたのは、先日職場の同僚と関空の近くのビアガーデンに行ったときのことである。
事前にその周辺の駅をよく知る友達に、ホームとの隙間が開いていないかどうか確認までした。


実際、そんなに・・・というかほとんどあいていなかった。


しかし降りるときになって、私が感じたのは「怖い」だった。その気持ちを自分で信じることができなかった。
だって、ほとんどあいてないのよ


そして、不安を抱えながら、土曜日。リハビリの日。

リハビリの最寄り駅は、少し隙間があるものの、恐怖を感じるほどではなく、距離間をしっかり掴んでおけば、すんなり降りられる駅だ。

しかし・・・。


いつものようにすぐに足が出ない。

・・・え?


踏み出した足が所在なげに中に浮いている。


パニックになりそうな頭を心がとりなした。


落ち着いて。落ち着いて。ゆっくり焦らずに。降りられない場所じゃない。特急の通過待ちだから、焦らなくても閉まらない(ドアが)。

N先生(担当)に会うんでしょ。新しく買ったリハビリ用のTシャツも見せるんでしょw
リアクション、楽しみにしてんじゃないの?

大丈夫大丈夫。降りられる。

幸い、車内は空いていたので、私はドアの左右の手すりを両方持ってホームに降り立つことに成功した。

が、心臓はありえないほど早鐘を打っている。


いつもより3分遅れての到着。いつもと変わらない笑顔が私を出迎えた
先日からの疑念が晴れないせいで、私はここ最近起きているこの最高に暗い事実を言うのを躊躇った。

しかし、事実は言わねばならない。些細なことでも言うか言わないかで治療方針が変わることもある。


「ここ1週間くらいなんですけどねー、電車が降り辛いんですよ」


つとめてさらりと。それはもうさらっと。「今日も暑いっすねー」てみたいなさらさら具合で。重さを感じさせないように。。


『あらら』

P.T.の方もさらっと返してきたものの、その声と表情が一気に強ばったのがすぐにわかった。

・・言わなきゃよかったかな。



『ちょっと骨押さえるから、ガマンできひんかったら言うてね』

そう言うなり、脚と足の付け根の骨を上から押された。骨の真ん中のほうに鋭い痛みが走る。奥歯を食いしばった。今まで受けたことのない方法だった。


『これね、T先生(いつかのひょうひょうおじいちゃん整形外科医)に教えてもらってんオペするまでのね、つなぎとして少しは楽になるやろうって』


T先生といえば、リハビリのほうにはひと月に1度しか顔を見せない筈だ。
そのT先生に教えてもらったと言う事は、わざわざT先生に私の事を相談してくれたということか。


じーーーーーーーーん
こんな私のために、なんでそこまでしてくれるんだろう・・・
ありがとう、先生。


やっぱ先生最高
こんな良い人が見捨てるわけ、ないよね。。



それなのに、ごめんね、こんなクランケで・・・・・



再び口を開いたら、弱音の大洪水になりそうだったから、何も喋れなかった。
普段は至極つまらない事を必要以上にデカイ声でべらべらと喋っているというのに・・・


そんな無口な私を気遣ってか、この日はN先生の方が口数が多く、面白い話ばかり喋って笑わせてくれた。

その気遣いにまたじーーーーーーーーん油断すると泣きそうだった。


ちなみにTシャツも、こちらが何も言わなくても食いついてきたww
また今度載せますねwww絶対読者のみなさんもウケるよ


一生懸命リハビリをしてくれているP.T.を見ながら、心の中で繰り返す言葉。


ありがとう。   ・・・ごめんなさい。  ありがとう。  ごめんなさい。。


ポイントを押す先生の手が温かかった。いつもは少し冷えているのに、夏だからだろうか。
人間の体温って、こんなに心地のいいものだっただろうか。
その温かさにまた、泣きそうになる。。




貴女が担当でよかった。



『あんまり自律しすぎないでね』とP.T.



あなたに、弱音吐いてもいい?
それでも今までと同じに接してくれる??

衰えていく自分、衰えた自分を冷静に見たら、発狂しそうだ・・なんて言っても引かない?
誰かにすがりたくて仕方ないと、貴女に手を伸ばしたら跳ね除けないでいてくれる??



人間て、何のために生きてるんだろうと最近真剣に考える。



最近は人の助けを借りることがぐんと増えた。それは必ずしも悪いことではないけれど、でも人の手を煩わせてばかりで・・・あなたたちの心も煩わせて・・・


人に迷惑を掛けるばかりで、私は誰かの役に立ててる?(The answer is ' No.')


誰かに必要とされなければ、それを実感しなければ、人生はあまりにも果てしなくて味気ない。



でも、それでも生きなければ。
辛くても苦しくても、ただひたすらに生きて生きて生き抜かなければ。


命を無駄遣いする権利など私たちにはない。
与えられた時間を生きるのが義務だ。

自分で寿命を決められるほど、人間は偉くない。(あ、これ詩になりそうw)



でも、ただ生きることがこんなにも辛くしんどいなんて知らんかった。



限界、近いよー。
休み中なのをいいことに、部活を見たら、時間休を出して帰る今日この頃。
体調が悪いのもあるんだけれど、やっぱ人間、精神的に追い込まれると、睡眠という逃避に走りたくなるようにできているらしい。
というわけで最近、昼寝ばかりしている。


帰る頃にはむくんでパンパンになる足をさすりながら、部屋着に着替え、N先生や癒し系を思い浮かべて眠りにつく。(そんなことしてるから夢にも出てくるんよな・・)


こういう今だからこそ、癒し系。貴方の顔も見たかったのに、・・・お休みかい


You are the special one for me in the several sences.
I want you to get rid of the bomb in my heart.

Please defend me from this fear.
The thing I'm afraid of the most is I'm not what I am.


何度、自分の心に問いかけても、やっぱり未だにわからない。きっと当分、付き合っていかなければいけないんだろうな。
この強い尊敬と、この中途半端な名も知らぬ想い。


Everytime I think of U, my heart is always nearly broken.

Daaaaaamn!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

光と闇

今日(月曜)が祝日でよかった 
今日が仕事だったなら、私はまともに仕事をこなせていないに違いない。。

・・・とは言っても、そこは社会人なのだからまともにこなさねばならないけれど



約半年振りに地元でお世話になったP.T.に電話した。

最近オペを真剣に検討しているのだが、障害者医療受給証があるとオペの費用や入院費、リハビリを含めて最高でも10万円/月。
ところが、受給証がないと費用は80万円にまで跳ね上がる。しかもそれを数ヶ月~半年続けるのだ。

ペーペーのいち地方公務員にはとても払える金額ではない。年収のほとんどが出て行く
入院期間が長ければ、年収をゆうに超えてしまう。。


受給証はあるにはあるのだが、出身県のもので大阪府のものではない。

大阪府のものでない場合、先に負担額の全額を支払い、あとで差額分が還付されるのを待たねばならないのだが・・・全額先払いできないから困ってんじゃないかというわけでその相談も兼ねて。


が、そういうことはたとえP.T.と言えど、詳しくないらしい。

『市役所の福祉課で聞いてみて』

あっさり。。




まぁ、そんなのはそう言われるだろうことは予想がついていた。それでも聞いたのは、もし知ってたらもうけっ(笑)っていうのと、電話をする尤もらしい口実のためだった。

本当に相談したいことは他にある。
それを最優先だと思われないように、医療受給を切り出したに過ぎない。


・・・つづきはこちら

クランケ ②

言葉はいきものだと、以前このブログで述べたと思うが、最近それを色んな意味でまた、痛感している。

言語学的な意味においても然りだが・・・、最近は感情面でそれを痛感することが多くなった。



ほんとに一筋縄には行かない。するするとかたちを変え、相手にとってこちらの意図とは違う意味を成したりだとか、気合を入れて伝えたつもりでも空回りしたりだとか




仕事中にはテーピング、休日も長く歩くとわかっているときにはテーピング。
加えて、両足の支持(支えること)が弱くて、よくふらつく。きちんと立っていられない。

まぁ茶飯事といえば、茶飯事なのだけど、それも程度による。
ひどいときには弱音のひとつもはきたくなる。

しかも、ここ最近しんどすぎて自主リハができていない。そのことを敢えてP.T.には伝えないものの、状態を見ればしているかしていないかくらい、プロの目から見れば一目瞭然なのだろう。



こちらは寝そべって、やってくる張り付け感や少々の痛みに耐えるだけだけど、P.T.の方はそれなりに力も体力も使うようで冷房の効いた室内でも玉のような汗をかいている。


いくら仕事とは言え、通常ならば40分のコースをいつもいつも60分にしてくれるのは有難いと思う。
それで医療点数だって上がるのだけど、当のP.T.はと言えば、そんなこと意識していないはずだ。



最近、体幹のねじれが気になることを言ってみた。

案外上半身のことは、足の障がいとは関係ないと思われることが多いので、私の場合とて何も知らない人にはただの姿勢の悪い人にしか見えないのだろう。

最近は教頭が私の机の後ろを通るたびに、左へ傾いた肩をぐっと押し戻していく始末だ。



『私もね頑張るけど、月に2回じゃ限界があるし、おうちでも自主トレ続けてみて?ねじれを改善する効果もあるし、ストレッチも兼ねてるから』

と言って複雑そうな表情を浮かべる。




もしかして、責めていると受け取られただろうか。
維持どころか、悪化しているから。


でももちろん、私は先生を責めるつもりは毛頭ない。むしろ感謝しているのだ。

悪化しているのは事実だが、ある程度は避けられないことだとわかってもいる。
土曜日など早く帰りたいだろうに、わざわざ60分入れてくれるのだ。しかも実質の時間は60分を超えている。
たとえもしそれが医療点数のためだとしたって、40分と60分では数百円しか違わないから、大して大きな利益の差になるとは思えない。
それでもやってくれているのだ。私の為に。大粒の汗を流して。

それのどこを責められよう?
感謝しかできないのに・・・。。


私は自分に起きている事象を伝えて、先生にだから治せとか、もっと頑張ってなんて言うつもりもない。

ただ、起きていることを聞いて欲しいだけ。
受け止めて欲しいだけ。
言わずに自分の中だけにしまっておくにはしんどいから、ただはけ口を求めているだけ。
聞いてくれるだけで有難いし、それで満足なのだ。


でも、先生はいい人だから、ただ聞き流すとかそんな自分に都合の良いことはできないようだ。



そういう先生に対して、私の態度は先生を追い込んでいるのではないだろうか。

毎回毎回60分してくれるのだって、先生の自発的な好意もあるだろうけれど、私が弱音ばかり吐いているせいではないのか。
しんどいのに無理をさせてしまっているんじゃないのか。

私は先生を追い込むなど、これっぽっちもしたくないのに・・・・。



考えすぎなのはわかっている。
でも考えずにいられない。

重たいクランケだと思われたくはない。
先生の重荷にはなりたくない。


そうして突き放されれば、私は他に行き場がないのだ。
だから。



当分、弱音を吐くのはやめよう。
少し胸の奥がくっとするけれど、元々P.T.に吐き出すのだってただの甘えに過ぎない。




癒し系P.T.のことはようやく本当に乗り越えられた気がする。

姿を見ても「かっこいいおっちゃん」という域を出なくなったし、先日も部下に真剣に技術指導する姿を見ても尊敬以上の感覚は湧かなかった。

それでいい。
それがいい。
それが健全なありのままの感情だ、きっと。

ドアを開けた瞬間、そこにいればほっとするのは昔も今も同じだ。
でも、それは当然のことだ。クランケとして。今いちばん私をわかっている2人のうちの1人なのだから。


早く、次の恋がしたい。
心、溶かすような。。

Just you are there...☆

ただ、いてくれるだけでいい。
そこに変わらず、いつの日も。



それ以上のことは、もう、望まない。
ただ、いつも変わらず、そこにいてくれればいい。



そこにいてほしい。



そんな風に思う人は、初めてだ。





およそ3週間ぶりの再会。

ここのところ、両足にはテーピングを巻いて自分で矯正しつつ仕事をしていた。でないと痛みが走る。
体幹のねじれも顕著。左に偏り、しかもねじれていることに自覚するたび、どうしようもない憂鬱さが襲う。

自分で意識して、体重を右半身に乗せ、ねじれている体をまっすぐにしようと試みる。
昔は意識すれば、正常な位置まで完璧に戻すことが出来たのに、今はどんなに努力しようとも完璧にはならない。

体幹がねじれているせいで、最近私のくびれは左右非対称になってきている。

高校生のころは『スタイルがいいね』と言われていたのに、今は、ただ細いだけのバランスの悪い体になりつつある。

女でなければ、こんなことで苦悩することもないのに・・・。



そんな深いため息を抱えながら、ドアを開けたら、静かな闘志はそこにいた。



一言も声を交わしていない。普段はそんな日の方が多い。

でも、なんだろう。
その内側から醸し出されるオーラに私はいつも包み込まれてしまう。
どうしようもなく無抵抗に。
どうしようもなく無防備に。


深く息を吸い込んで、泣きたくなることに気づく。
ほっとして。



そして渇望する。
いつも、いつの日も、ここにいて。
私がかなしみに取り込まれそうになったときも、ここに来ればいつも変わらずにそこにいて。


ただ、いてくれるだけでいい。
言葉を交わすことがなくても。
そこにいてくれればいい。



一緒に闘ってくれなくてもいい。



ただ、あなたがそこにいるだけで、
私の心はいつも沈まずに済む。



だから、いつの日もそこにいて。



 

動揺 1 ~絶望の囁き~

2学期末。
今年中に府教委に提出するように言われていた自分の授業の動画。
DVDに撮ってもらい、無事提出できたのだが・・・。


1枚のDVDを指導教諭に差し出された。
どうやら提出したもののコピーらしい。


『自分の授業を自分で見るのも勉強になるから』とのこと。




早速家に持ち帰り、PCを立ち上げ、DVDドライブにセットする。

チャイムの音と共に始まった映像。
挨拶が済み、次の瞬間から私の意識は授業から完全に離れていた。


釘付けになったのは、自分の歩き方だった。

そこには、おおよそ自分で想像していない自分がいた。



これが私なのか・・・・・。。



勿論、普段からガラスや鏡越しに自分の立ち姿や歩く姿は自分でも見慣れている。だから自分がどういう姿で立ち、どういう姿で歩いているのか知っているつもりではあった。


「つもり」だった。。

でもそれは、大きな間違いであることを知る。


普段、自分で見る姿というのはせいぜい前からか横からで、他者の眼からのように立体的に360度捉えることはできない。
だからその自分で認識できる2次元を自分の「すべて」であると思い込んでいたのだ。


なめらかではない歩行。骨盤やお尻と一緒に足が動いているのがわかる。
足を上げているつもりなのに地面に擦るようにして歩いている。

立位時の姿勢がおかしい。。


まっさきに浮かんだのが、「私は他の人から見ると、こんなしんどそうな歩き方をしているのか・・・」
道理でここ数年、よく電車で席を譲られるわけだ・・・。

歩行速度も以前に比べ、かなり落ちていた。

最後に自分の歩行状態を見たのは小学6年のとき。所属する合唱団の定期演奏会の舞台の模様で、踊りながら歌うミュージカルのような楽曲もあったので、自分の踊る姿を見て、これまたリハーサル室の鏡に映っていた私と随分違うことにショックを受けたが、一番状態のよかった小6のころと比べてもまだ悪かったのだから、複雑な思いは隠せない。


正直、愕然とした。
これが私なのか。。

、 、 、 、 、 、 、 、、、 、 、 、 、 
まるで障害者のような歩き方だ。 と思った。

へんな話だが。。



一瞬、自分に絶望した。すぐにそんなことは無意味だと気づきはしたが、その絶望は今も私の心に座ったままだ。


自分が崩れていくような感覚に、また襲われた。



授業の中身は上の空。目線を一点に集め、食い入るように私は自分自身が映った映像を見つめた。


ふと、そんな自分を客観視したとき、ひとつの考えが浮かんだ。

自分の今の鋭い視線は、癒し系P.T.のそれと酷似しているのではないか。

見透かすような。
射抜くような。。

自分自身の映像だからかもしれないが、食い入るように見ていたのは私自身ではない。

見ていたのは私の歩き方だ。それ以外の何の視点もそこにはない。
癒し系P.T.もきっとそうなのではないか。


別の絶望が顔を覗かせた。

絶望が私に語りかける。「もう、わかっているだろう?」



尊敬だけを残して彼を見ようと必死に心に言い聞かせ、それができるはずだった。
クランケとP.T.。そんな関係からの話しかでてこないから、それ以外の関係を築くところなんて想像できない。
だからまだ抑えていられた感情だった。


でも最近、他のクランケや同僚と話すその所々から零れてくる彼のプライベート。


(結構おもろい人やん・・・)

それでいて、仕事にアツい。

好感度上げるばっかり。ズルい。ズル過ぎる。。




でも、  と、その映像を見つめながら思った。

私が彼と同じ職業、立場だったなら、クランケをクランケ以外の目で見ることを意図的に避けるだろう。
そうしたが最後、冷静に見られなくなる。

男性であるとか、女性であるとか、その人の性格とか、子どもか大人かとか、そういうのを全部取っ払って目の前の現象だけを見なければ、自分の満足いく仕事はできない。

詩にもしたが、

崩したいと
願えば最後
叶えば破滅
崩れていく
なにもかも

真実だけでなく
あなたの核までも


そう、核を失うことになるのだ。私情を挟めば。。

彼が私を見るとき、それは私という人間ではなく、私の上に起きている現象を見ている。職業人としてのプライドを高く持って。


また絶望が囁く。「そうだよ、認めてしまえ。」 「あいつがおまえを女としてみることはありえない。見たが最後、あいつが崩れるからな」


わかっている。
わかっている。。
わかってるよ、そんなこと。。


でもすべて事実だから、私は絶望の囁きには言い返せない。


さらに絶望は畳み掛ける。

「おまえにできることはたったひとつ。身を引くことだ。」
「自分の仕事にものすごいプライドを持ってやっているのに、ふらふら恋愛感情なんて挟まれちゃ、あいつも迷惑なんだよ」


それもわかっている。。

彼は日々、私やそれ以外のクランケに起きている現象に対しどうすべきかを考えている。
いちいちその人に入れ込んでいては、彼は潰れてしまう。

彼を尊敬するなら、これからも尊敬し続けるのだから、そんな彼に敬意は払えども、恋愛感情は抹殺しなければいけない。
それが真に彼を思うということだ。


とんだとばっちりだと思うが、少し彼が恨めしい。

なんで、あの時、無茶苦茶に話を進める医者から私を庇って食って掛かったりしたのか。
そして、どうしていつもそんなに真剣な眼をするのか、優しい眼をするのか。。

こいつは俺の担当じゃないから知らん、そういう態度をなぜ取ってくれなかったのか。


でも、一番恨むべきは、そういう数々の態度に琴線を震わしてしまった、私の心なのだ。
                                                 次回に続く。

嘘で出来た壁

訓練室に入った瞬間、無意識のうちに癒し系P.T.を探して視線が宙を泳ぐ。
そんな自分にP.T.を見つけた頃に気がついて、嫌気が差す。

そんな土曜日に変わりはない。。。

今日はP.T.の射抜くような視線は向かってこなかった。それで少しほっとする
あの視線に射抜かれたら、私の心の壁は崩れてしまうから。あっけなく。私はきっとどこまでも子どもになってしまう。
それが怖いから。







今週からリハビリ開始時間より少し早く来て、家でするようにといわれている自主リハをP.T.の前にもやってほしいとのことで、開始時間より少し早めに行くと、いつもなら前のクランケの訓練をしている担当P.T.が山のようなカルテの乗った机に向かっていた。

私の姿を認めると、挨拶もそこそこにケータイを取り出し、それも用意していたようでカバンの中から・・・とかではなくサッと出てくる。

「さ、自主訓練してくれますか」

とケータイのアラーム機能を使い、時間を計り始めた。


たまたま今日、前の時間帯にクランケの予約がなくて溜まったカルテ記入をしていただけなのか。
それとも自主訓練があるから、わざと前の時間を空けていたのだろうか。


自主訓練の体勢を取っていて、ふとあることを思いつく。そのまま口にしてみた。

「よく、刑事ドラマなんかでこんな格好で死んでる場面ないですかー??よく白いチョーク跡とかこんな形になってるシーンあるでしょ」
と私が軽口を飛ばすと、「めぐさん、サスペンスの見すぎ」笑

だって刑事物好きやねんもん・笑

それと言うのも、うつ伏せに寝そべり、片手片足を曲げ広げた姿勢なのだ。これがリハビリでなければ、寝相が悪いとしか言いようがない。


はははははーwなんて笑い飛ばしながら、私は心の奥底で、違うことを考えていた。

わざわざリハビリをする日に、する直前に自主リハをしろなんて、今までなかったことだった。もはやリハビリだけでは追いつかないのではないか。

夕立の前の空のように心に黒雲が広がっていく気がした。

それを払拭したくて、違うところへ意識を向けようと意識した。右手からは据え置きのラジオから流れる平井堅の新曲。DJの声は聞き覚えがあった。どうやら局は、FM802らしい。
平日は子どもとP.T.の声以外何も聞こえないが、土曜日はなぜかラジオが流れっぱなしだ。

左手からは、癒し系P.T.の声。もう付き合いが長いらしい、20歳くらいの男性クランケの訓練だった。
この2人が会話をしていると、本当におもしろい。

「ちょっと太ったんちゃうん?この間までダイエットしてたのに」(また体重ネタ・笑)
『一時痩せてんけどなぁ。来週までに体重は無理でもウエスト減らすわ』
「体重減らさんと、どやってウエスト減らすねん」

癒し系P.T.があまりにも淡々と、しかも間髪いれずにツッコむので吹き出しそうになってしまった。

「今80kgくらいあるんちゃうんか。せめて10kg落とせや。風呂とか跨ぎにくないかー」
『そうなったら真剣に減量するわ』
「そうなってからやったら遅い!!」
『わかったわかった!来週までにウエスト減らすって』
「だからどないして減らすねんウエストだけ」


ボケとツッコみが自然と成り立っている。さすが双方大阪人・笑

クランケと漫才を繰り広げながらも、最後は身体の問題に帰結する。彼はいつもそうだ。


癒し系のほうへ研ぎ澄ましていた意識を担当のP.T.へと向けると、何やら小難しい表情。どうやら力がうまく入らないらしい。


いつもと違う訓練方法に切り替えられた。


気温が低下してきてからというもの、内反足がひどく、自分の足なのにあまりの曲がりように内心「気持ち悪っ」と思ってしまう。


「この間、リハビリの後で研修やったじゃないですか。そん時にねー、F駅で降りれんくって。結局2駅先まで行ってしもたんですよ」

『なんでー?』

「ホームと幅が空いてて」

『あーなるほどね。』

「そこから引き返したけど、それでも無理で。結局高校生に手ぇ貸してもらってやっと降りたんです」

『前から降りにくい駅やったの?』

・・・・・・・。。

「いえ、4月に辞令を貰いに行ったときには自分で・・・(降りられました)」

『そうか』

「結局研修は『本日のまとめ』しか聞けなくて。・・・あーあ、そんなんならいっその事、リハビリやから休みますってサボればよかったなぁー」

『こらっ』とP.T.は笑うw

もちろん、「サボればよかった」なんて本心ではない。笑い飛ばしてしまうことが苦しいけれど、楽なのだ。


ここ何日か、膝が伸びづらいこと、左足の内反足が強まっていることは口にしなかった。
内反足が強まると、自ずとそちらの足の尖足(爪先立ち)が目立ってくる。最近の私の左足はもはやもう指先の第一関節より先の部分しか地面に付いていない。

そうなってくると、より立位保持が困難になる。

アキレス腱の伸展、屈曲もスムーズではない。冬がくれば気温の関係でどうしてもかたくなりやすいが・・・。


思うように膝が伸びないとき、つかまり立ちでも尖足が抑えられない時。

怖いのか、何なのかわからないけれど、切羽詰る思いに潰されそうになる。

でも口に出来なかった。この人になら言ってもいいはずなのに。



『そういえばTさんもね、幅が空いてると乗り降りしづらいって言ってはったわ』
『あとね、「席を譲られても困る」って。真ん中のほうの席を譲られても、降りられないって。掴まるところがなくて立ちづらいし、立ててもドアのところに行くまでに発車してしまうんだって。だからドア近くの壁際を譲ってくれるのが一番ありがたいんやって。』

それ、私もそうです!と思わず言っていた。

今私の最寄り駅は終着駅だから、終点まで乗っていていいのでそんなに焦らなくなったが、以前はそうではなかったのでゆっくり降りる時間を取れない。
電車が混んでいて人がいっぱいいると真ん中の方の席からドア付近に行くのに時間が掛かり、降りられるかを考えるとすごーくストレスを感じるのだ。かといって、電車が動いているうちに移動することはできないし。

「立ちにくいのは椅子の背もたれ部分に手を置いて少し腰を浮かせて、後は反対の手でつり革につかまって、それでよいしょって自分を持ち上げれば、スムーズに立てるんです。今度Tさんに教えてあげてください」

『へぇぇー』

掴まらないと立てなくなってから編み出した知恵だった。尤も人によって微妙に出来る・出来ないに差があるのでその方法がTさんにも有効かどうかはやってみなければわからないが。

「私は、人に席を譲れないのがいちばん悔しいかなぁ」

『え?』

「もうつり革だけで立てないから。目の前に困ってそうな人がいても、譲れない。それが一番悔しいんですよ。前は少し席が空いてても元気なときはわざと座らずにいたし。お年寄りとか妊婦さんにはじゃんじゃん席どうぞ
って感じやったし。今は、譲りたいのに見て見ぬ振りしなあかん。そんな自分がいたたまれへんから寝た振りです。卑怯ですよねー。   まだ学生やったときに、環状線で臨月らしい妊婦さんが立っててね、『どうぞ』って言ったけど、その後自分がふっらふらで。見かねたその妊婦さんに逆に譲られ返されてもて・・・。
なっさけねー!かっこわるっ!!って感じですよねぇ、あはは

実際、今でも思い出すと『あはは』な気分ではいられない。なっさけねー!かっこわるっ!!と笑い飛ばしてしまえないのだ、まだ。
なのに、なんで私は、ここまで虚で固めるのか。


本当は譲られ返された後、そんな自分が不甲斐なくてその場から消えてしまいたいと思った。隣のおばあさんがすっごく良い人で、「いいのいいの。あなたのその優しい気持ちだけで充分よ。きっとあの方もわかってはるわ」と言ってくれたのだ。
それでだいぶ救われた。


だいぶ、担当P.T.のN先生とも信頼関係ができてきて、色んな話をするようになった。N先生の方も、

『私も妊婦だったときにね、妊婦さんに「私の方が(お腹)小さいから」って席譲られたことあるよー。いやいや貴方も妊婦だから!笑   でもねー、ピンピンしてるオッサンは絶対譲ってくれないんよねぇ。やっぱ女の気持ちはわからへんのかなー・笑』

なんてざっくばらんに喋ってもくれる。

でも、私の中で、ある変化が出てきていた。信頼関係ができればできるほど。


本音を隠す。悪い本音を。


自主リハを始めて、少し持ち直して筋肉を軟らかく、体幹の歪みも多少マシに維持できていたときのあのN先生の良い笑顔。
それが忘れられないから。

そして、少し硬くなってきたときの、先生の表情の翳りも瞼に焼き付いてるから。

もちろん、私が先生でもきっと同じ反応をする。


通常は40分と決まっているのに、最近おそらく意図的に一番遅い時間に予約を入れてくれて1時間半してくれたり。

そんな先生を見ていたら、先生が気が付かない限り、最近調子が悪いなんて言えない。
まぁ向こうもプロだから、それくらいとっくに気が付いているだろうけど。


なんでも「トシですかねぇーもう」とか「情けないわー」と笑い飛ばして、私は大丈夫と見せ付ける。あたかも大丈夫であるかのように。
でも本当は独りになったとき、気が狂いそうだなんて、誰が言えよう?

一番理解して欲しいのはそこだと言うのに。


自分が崩壊しそうで怖いんだと、どこまで(機能が)堕ちていくのかを思ったら喚きたくて泣きたくて、でもそれさえ満足にできなくて。


でも、それを押し隠し、「あっははは」ですべて済ませる。私は全然ヘコんでないよとアピる。



空虚感に包まれて、病院を出た。

一番理解して欲しい人にまた、強がりを言った。

また、本当の私と違う印象を積み上げた。

心配させたくなくて。
失望されたくなくて。
頑張ってる先生が先生自身を責めることがあるかもしれないのが嫌で。

クランケに気ぃ遣われるのも、迷惑かもしれないけれど。


知り合いのCPの患者の話をし、「どう過ごすかで人生変わると思うんですよね」

もちろんこれも本音。だから、気が狂いそうになるなんて言ってもいられないけれど、でもやっぱり思うようになる、その範囲が狭まると、私がどんどんダメな人間になっていきそうな気がする。

理屈ではちゃんと違うってわかってるのに。

苦しいよと
  いえるのはP.T.
      だけなのに
        強がり積み上げ
            我が首絞める


皮肉な短歌。お粗末サマでしたw


私はいったいだれに助けを求めればいいんだろう。

これ以上失いたくない。

明日へ渡すバトン

ここのところ、書きたいと思うときに、書きたいことが溢れているときにリアルタイムでブログを書けないのが密かな葛藤である。

ブログの1つも書けないほど仕事に追われているわけではない。追われた後の体は疲労しすぎていて、もはやもうPCに向かう気力・体力が帰ると底を尽いてしまっているのだ。。

ゆえに書ける時に、書きたかった日にちに合わせてアップする・・と言う事が増えた。
読者のみなさん、過去ログの中にも未読のログが眠っているかもしれません





11月5日。予定通り、体育大会挙行

インフルで学級閉鎖が相次ぐ中、どうなることかと思ったが、奇跡的に学級閉鎖になるクラスもなくこの日を迎えることができた。

この日の1年生の選抜リレーに1年生の教職員も飛び入りすることになっていた。


事前に走る距離や走る順番を決めておく段階で、先輩の先生が私に「めぐさんは何メートルいける?」と尋ねてきた。

素直に嬉しかった。大人になると変に気を遣って走るように仕向けてくれない人もいる。
だが、それは私にとってはありがた迷惑である、正直。
私は運動会のような行事も、その中でも特にリレー、徒競走は大好きなのであるw
皆が楽しんでいるのを見ているだけなんてありえない。そんな奴

50mくらいなら大丈夫と返したが、いかんせん人数が多いウチの職場。あんまり走りすぎては他の先生が走れないからと25m走って国語の先生にバトンを渡すことが決まった。


期待と不安が入り混じる当日。こんな気分を味わうのは何年ぶりだろう。

早く走りたいという思いと、少しの不安がマーブル模様をえがく。


不安の元は、ブランク。
なんせ、走ることはあってもリレーとなると10年ぶりなのだから。


私の前の走者である、英語の先生が近づいてくる。右手を後ろに差し出しながら助走をつけるが、その助走は自分の納得いくものでは到底なかった。しかし、その事実に眼を瞑る。


バトンの感触がしっかりと手に伝わる。
しっかりとそれを握った筈だった・・・・が、次の瞬間、私の手の中には何もなく、目線を移せばまだ、その先生の手の中にある。


痛恨のバトンパスミス(しかも原因は私・・・)これはその後、しばらく生徒にいじられる恰好のネタになった


改めてバトンを受け取り、走り出す。受け取った途端に、右手からバトンを左手に持ち替えるという一連の動作を体はまだ、覚えていた。
渡す相手が右利きの場合、自分が左手に持っているほうがパスがスムーズにできる。
小学校で昔よく教えられた。


走り出した私を襲ったのは違和感。



遅い。
遅い。。

速く足を前に出そうと意識する。でも。。

遅い。
めっちゃ遅い。。



自分の走る速度が数年前に比べて圧倒的に遅いのだ。苛立ちが募る。



もっと速く走りたい



これなら歩いているのと速さは変わらないじゃないか。走るフォームを取っているだけで。



『先生がんばれーーーーーーーーーー』


口々に言う応援が聞こえる。2年生の応援席からだった。
走りながら笑顔を返す。


頑張れって言ってもらえることがすごく嬉しい


応えたいと思う声援がそこにあるのが嬉しい


無事、転ぶこともなく国語の先生にバトンパス




歩いているのとほとんど変わらなくなった私の走る速さ。


その事実に暗鬱な思いを寄せる。


でも、まだ「走れる」だけありがたい。

それに私は走ることが好き。

どんなに走るのが速くても、走ることに楽しみを見出せない人より私はまだ幸福なのだ。


それに応援してくれる人も、絶えることなくいつもそこにいる。


ずっと生徒に見せていたい。見せ付けていたい。私の走る姿を。教師として。

私は速く走れないけれど、絶対走ることに手は抜かない。負けることがわかってたって、いつだって全力で走る。どうせ負けるからとへらへら走っている奴は(尤も見る限り、そんなにひどいのはいなかったけどね)その姿を焼き付けておくがいい。

こんな事今まで考えたことなかった。走る自分を生徒に見せていたいだなんて。

いつまでも見せていたい。
見ていて欲しい。

たとえ自分の足が役立たずになったって、私は走りたい。



怖いのは、走るのが遅くなることではない。


走るという行為そのものが完全にできなくなるときが怖いのだ。


今日走って明日へ繋ぐバトン。
それを1日でも長く。


また、欲を張った。

嵐が丘

こぼれてく。こぼれてく。。

両手から。

指と指の隙間をぎゅっと埋めても、埋まりきらないその隙間から、

こぼれてく。

嘲笑うかのように。

必死で必死でかき集めても、

その量はこぼれる量に到底追いつかない。




今週月曜日。

体育大会予行練習(土曜)の振替休日だったため、リハビリを入れてもらった。しかし、その日は夕方市教委での研修も予定されていて、あわただしい1日。

どうしても10分は遅れてしまうため、リハビリのほうを休むかどうか迷った。でも、その振休を利用しなければ次まで3週間もあいてしまう。ますます寒くなるこの時期、できるだけ行ける時に行っておきたかったので校長に相談すると、教委には連絡しておくので行ってこい、とのこと。

お言葉に甘えて、リハビリに行ってから研修に行くことにした。

研修会場は勤務先の市の市役所の一室。私の家も勤務先の駅も私鉄が近いので、普段あまりJRは利用しない。
が、市役所はJRから徒歩7分。断然近い。

リハビリをしながら、私の心にはある不安がちらついていた。
その不安をP.T.に告げようか否か逡巡しているうちにリハビリは終わり、担当は次のクランケの元へと急ぐ。


忙しい彼女に、ついにそれを口に出来ぬまま帰路につく。

心をぶちのめされるきっかけというのは、案外どこにでも転がっているものだ。
まず、天王寺駅で乗り換えが必要だったが、7分というタイムラグにすっかり安心しきっていると、快速を逃した。

先ほどまで表示されていた電光掲示板の時刻が、たった今ないことに戸惑いながら時計を見るとちょうど発車時刻。

7分もあるのに・・・。

同期の言葉がちらつく。

『めぐさん、春に比べて歩くの遅くなってない?疲れてんちゃーん』


まさかね。



気を取り直して、次の快速に乗った。予定では16:20頃には会場に着いているはずで、1時間ちょいは話が聞ける筈だった。


目的の駅が近づき、私は必死で脳内にまとわりついて離れない不安を払拭しようとあらゆる気休めを心の中で言う。


しかし、扉が開き、私を待っていたのは、闇だった。


ぽっかりと口を広げる闇。

そこに勝とうと懸命に足を伸ばす。が、出ない。出しかけた足を引っ込め、その闇を睨み付けた。

間の抜けたメロディの後に電車のドアは閉まり、徐々に速度をあげていく。



降りられなかった。

前々から、少しホームと電車との隙間があるなとは感じていたが、4月に辞令を受け取った日には1人で乗り降りできた駅である。

たかがこれしきの幅。それを越えられなかった。
その事実は、心をなぶっていく。

次の停車駅でも同じだった。降りられると何度も自分に言い聞かせたが、だめだった。


結局2つ先の駅まで行ってしまった。

とにかく教育委員会に電話しなければと思ったが、生憎府の教育委員会の番号しかメモリには入っておらず、市のそれはなかった。
学校に電話をしたが、休日の夕方。当たり前のように誰もいない。

校長の携帯に電話を掛けた。見慣れた重厚感ある声が私の耳に届く。
私が尋常ではない声で、教委の番号を尋ねるのを不思議に思ったのか、理由を尋ねる校長。

答えるには容易いことだった。・・・が。

それを言葉に出してしまうのは、それを言葉にして自分に再認識させるのは、とてもつらいことだった。

「●●の駅で、電車を・・・ひとりで」

先が言えない。
でも言わねばならない。苦しい。。

「ひとりで・・・降りられなくて」

嗚呼。これが事実。
自分の声が震えているのを、恥ずかしいと思った。情けないと思った。。

「今K駅にいるんです。これから引き返します。すいません」


同じことが前にもあった気がする。学生時代、応援に通っていた教室の最寄り駅が乗り降りしづらく、いつもひとつ先のM駅まで乗って1駅引き返すという通勤を繰り返していた。


様々な感情がごちゃごちゃになったまま、電車は私を乗せる。

引き返したはいいが、やはり降りられない。
向かいのホームにいる車掌にひたすら目力を送ったが、気づいてくれない。

2つ先の停車駅まで向かえば私鉄と連結している。それで勤務校の最寄まで行き、バスで行くことも考えたがその方法では確実に研修が終わってしまう。
なんとしても降りなければ。


目の前に女子高生が乗ってきた。様々にめぐる別な思いをすべて打ち消して言葉にした。

「すいません、手を貸してもらってもいいですか」


何のためらいもせず、笑顔で「あ、はい。いいですよ」と腕を貸してくれた女の子。

自分ひとりではあれほど怖かった闇を、難なく越えることができた。

その女の子にお礼を言い、会場へと急いだが結局受けられたのは15分間のみ


指導主事には嫌味を言われ、受付の女性には「めぐさん先生、どうしたんですか、なんかエラい顔してますよ」と言われる。。


だんだんよわくなっていく私。
見ているしかできないじぶん。

悔しい。
情けない。
怖い。。

そして、そのどれにも分類されない感情が憤怒するように湧く。

数時間前に顔を見たばかりの担当や癒し系P.T.の顔が浮かぶ。会ったばかりなのに、もう顔を見たいと思う。
安心したかった。させてほしかった。。何をかわからないけれど、大丈夫だと。。


木枯らし1番が身にしみた。


情けなくて、消えてしまいたいと思った。     続く


 

メゾ・ピアノ

水曜日。
一晩で仕上げろと言われた書類が未完成だったことで、先輩の先生にこっぴどく注意され、「この仕事( を続けるの)はキツいと思うわ」と言い放たれた。


もちろん、明日の朝イチでと言われていたものを仕上げていなかったのは私の側のミスだから責められるのは当然のことだ。それはわかっているからどんな言葉でも受ける。


しかし、私とて「しなくていい」と思っていたわけではないし、怠けていたというわけでもない。




ここ1、2週間、睡眠も満足に取れない。3、4時間のこともあるし、5、6時間寝た日も眠りは浅いのか、よく夢を見る。
朝起きても、疲れは体に溜まったままで重だるい体を無理やり叩き起こすという感じだ。


朝晩するように・・・といわれている自主リハビリも、あまりにしんどい日は出来ない。持続性はあまりないけれど、背骨の捩れと、内股が若干緩和されるので体の重心も安定しやすいが、リハビリをしていない日はそれがないので余計にしんどさが溜まっていく。


座っていて立ち上がり、立ちくらみとまでは行かなくても一瞬目の前が白くなる・・・そういうことが増えてきた。


こんなに疲れる日がいつまで続くのだろう。
そんな思いに駆られる日が多くなった。

・・・・このままではいつか倒れてしまう。


そして、そういうときにこそ、自分がしなければならない仕事は多い。



先輩の言う言葉を、くっと飲み込んだ。その先に痛みが走る。。


自分が一番したい仕事だからこそ『する資格がない』と言い放たれたのはキツかった。


自分のデスクに戻り、気づかれぬよう小さいため息を吐いた。


主任がやってきて、隣の椅子にどっかと腰をかける。
こういうときは大抵、『あんた、(ミスも)ええ加減にしとけよ』とか『だから言うたやろ』と言われるのが常だ。



しかし、この日は違った。



『最近、しんどいんか?』


一瞬驚いた。てっきり叱責されるものと思っていたから。


「・・・・・・・。」


『なぁ、そうなんか』


「・・・・・・・・・。」


やめてくれ。今さっきぐっと飲み込んでしまったものが溢れそうになるから。いたわるような言葉など掛けないで、いっそのこと、心が腐るほど叱ってくれればいい。


言葉を発せなかった。一言でも何か口にすれば、さっき飲み込んだものがあふれ出すのは自分が一番良くわかっていた。


そんな私を知ってか知らずか主任が畳み掛ける。


『昨日も帰ったら疲れて何もでけへんかったんとちゃうんか』


黙っているのも限界だった。
それは別の限界をも意味した。。


自分の顔が歪んでいくのがわかった。

でもまだ意地は残っていた。


嫌だ、職員室で泣きたくない


先ほど自分を叱責した先輩の先生は、昨年送り出した卒業生が遊びに来ているとかで席を外していた。


内なる嗚咽を掻い潜り、押し出した声は潰れていた。

「すいません」


それしか言えなかった。



『ティッシュの大量配布でございま~す』


主任がおどけてボックスティッシュを差し出す。

「ぁ、ティッシュあります・・・」

『どこに??』


My desk is dominated with Chaos////笑 てか、支配するって、dominateでよかったのか。

最近本当に英語力が落ちている。。。





『同じことをして人より体力を多く消耗してしまうのは仕方のないことやし、そこをどうこうでけへん。だったら、どうしたら短時間でできるんか、どうしたら負担なくできるんかを考えらなあかん』




とぼとぼとチャリをこぎ、家路に着く。

鍵を開け、部屋に入り、電気という電気をつけて回る。

場違いな明るさの中で、自分のものとは思えない情けない声が溢れてはこぼれ、溢れてはこぼれていく。



いつも心にブレないであるのは、『それでも教師で在りたい』ということ。

でも、私は教師でいていいのだろうか。
そんな思いに捉われる。


自分が情けなくて涙が出る。
涙を流している自分が情けなくて、また・・・・。


自信のかけらもなくなった。

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詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。

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このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪ 

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