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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

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紅色の季節

さっき会ったばかりなのに、もう次を待ちわびる。
我ながら滑稽で呆れてしまう。

いつもと同じ小径。
しばらく来ないうちにすっかり木々は鮮やかに化粧をしている。
やがて落ちていく葉。
落ちる間際がいちばん美しく染まっている。その紅が儚く健気である。


今月半ばから、部活動で結構大きなトラブルがあり、職員もバタバタ土日も返上かも・・・という日々が続いている。
この土曜日が休みにならなければ、たぶん私はキレていた。

ま、実際に誰かや何かに対してキレるなんてことは、小心者故できそうにないけどね

・・・というのも、この土曜日には3週間ぶりのリハビリが入っていたのだ。
これを逃すとひと月空くことになる。そんなアホな話があってたまるかというわけだ。

周りから見れば、転ぶ回数が増えるわけでもないし、著しく歩行が困難になるわけでもないのでなかなか気づいては貰えないが・・実は11月~3月までがしんどい時期のピークなのである。

寒くなるにつれ筋肉も固まりやすくなるし、それを庇ったり補おうとして他のところにも変に力が入る。疲労は春夏の10倍以上。
特に11月に入ってから、帰ると何もしたくない・ゴハンを食べるのさえしんどく、さっさと横になりたいという日々が続いている。
洗濯機を回したはいいが、洗いあがるまで待てなくて寝てしまい、結局干せずじまい・・・そのまま週末を迎える・・・なんて週もあったほどだ。水道代が勿体無い

はじめはナゼこんなにしんどいのだろうと不思議に思っていたけれど、去年の備忘録を見て、今回も気温が関係していると確信した。
実は去年の同時期にも『仕事から帰ると即寝症候群』(笑)になっていた。
CPの備忘録を取っておくと便利 今回も備忘録がなければ、また急激に体力が落ちたと思い込み、落ち込んでいただろう。


そんなこんなで、特に秋冬はリハビリを逃すわけには行かないのだった。


  

その数日前、担当PT・N先生に電話をし、行けるか行けないかわからないが、予約はそのままにしておいてくれないか・・・というひじょーーーーーに自己中なお願いをしたところ、N先生快くOKをしてくれた。

『先生って大変だねー』

・・・事件が起こるとね

「背中痛いです
『寒くなってきたもんね。次、硬そー

試験の採点など、机やPCにかじりついていると、例のイヤ~な背中の痛みが出てくるのだ。



それにしてもなぜだろう。N先生の声を聞くとほっとする。懐かしい感じもする。


電話の後ろでは、舌足らずな声がひっきりなしに聞こえる。息子さんだろう
先生と電話をすると、必ず近くに息子さんの気配がする。

(良いお母さんだなぁ)と思う。

小さい子どもにとって、母親の気配を常に感じられるというのは結構重要だし。安心できる。


母親の電話の相手が気になるのか、しきりに「だぁれー?」と尋ねている息子さん。そんな彼に先生がさらりと一言、

『おともだち』 と言った。


誰のことを言ったのか理解するまでに少々の時間を要した。
嬉しさがこみ上げたのは電話を切ったあとだった。


『患者さん』ではなく、『おともだち』 その言葉を選んでくれたことが嬉しかった。

彼女にとって、ただの患者という仕事上のかかわりとしてじゃなく、人対人として見られている気がして。

4歳の彼に『患者』と言う言葉が理解できないかも・・という可能性も無きにしも非ずだけれど。。
私にとっても彼女は今や、ただのPTではない。良きお姉さん的存在で且つ、しんどい体と心を支える安定剤代わりでもあったりする。


    

とにもかくにも、体のしんどさが頂点だったので急いで訓練室へ向かう。勢いよくドアを開けたら、ちょうど部屋を出ようとしてやってきた癒し系と危うくぶつかりそうになり、すんでのところで、私は避けることに成功した。

いっそぶつかってやればよかったかしらん
・・・冗談だけどね~
しっかし、私の頭が、癒し系の鎖骨の下付近・・・背ぇたっけ

咄嗟のことで驚いたものの、私の進歩はここからよ

僅かに口角を上げ、「こんにちは」と言う事に成功

思いの海の中にどっぷり浸かっていた頃は絶対できなかったことだ。些細なことだが、またひとつ、尊敬以外の感情を切り離せている・・・という証拠が私の中に残った。

えらいぞ、私(とりあえず誰も褒めてくれないので自画自賛・笑)


『今日来れたんやね~よかった』とおだやかな笑顔を向けるN先生。

余程体の調子が悪いみたいで、いつもよりも痛みが強いし、捻れた背骨や腰を正常の位置まで持っていったときに、咳が出てしまう。
そしてこの日も、話題はソフトバンク。

「私も最近おとーさんに乗り換えよかなって」
『換えなよー。今換えたら土鍋貰えるで』(笑)

おとーさんの土鍋!!!勿体無くて使えないじゃーーーん(なんでや)


「はぁもう、おとーさんかわいい」(結局ここに帰結する)


おとーさん犬、飼い主どんな人なのでしょうね。気になるわ。。




職場の中で、痛感するリハビリへの理解の薄さ。
なぜ、片道1時間掛けて遠いところに行くのか・・・まではわかってくれなくていいけど、せめて2週間に1度でも少ないくらいだ・・しないとしんどく、翌週の仕事にも影響するのだ・・ということは心に落ちなくてもいい。せめて頭で解ってほしい、と思う。

『(対応が)週末にズレ込んだら来週末がヤバいねんな。でも私、12月は来週と25日なんやけど・・・』

ぇ。それは絶対外せねぇ
まぁ当然といえば当然なのだが、この業種は休日出勤といえば土曜日にしたがる。まぁ月曜から仕事だから無理もないけれど(当然の心理だ)今の私にとっては、日曜に出勤しなさいと言われた方が150%協力的に出勤できる、というものである。

はぁ私ひとりの都合に合わせてはもらえないのはわかるけれど、任意の出勤でさえ、あんなにねちねちやられるのだから、今回のような事態のときにリハビリを優先すれば今度こそねちねちでは済まない。

やだな、もう。

前にねちねち言ってきた人は、誰彼かまわず気に食わないところはねちねち言う人だとわかってきた。

この前も長引く会議中、小言を思いっきり聞こえるように言っていたし(HRで長い先生の話に文句を言ってる生徒に似たようなもんかも・・)TOPのこともぶつくさ言っていたから、ちょっと人間性を疑いたくなってしまった。

確かに仕事は右に出る人がなかなかいないほどよくできはる人だし、彼女なしでは回らないこともたくさんあるけど、だからっていいのか・・。

人のことを悪く言えば言うほど、そっくりそのままいつか自分に帰ってくる。

そりゃ、常に人間と相対する仕事だから、グチの1つも吐かねばやってられない仕事ではある。私もN先生や友達にいっぱい聞いてもらっているし。学生の頃は親にグチなど言った事がなかったが、社会人になってから3日に1回は父親にグチのオンパレードを喋り捲る。

迷惑な娘だと思うが、社会人の先輩なのだから、そこは聞いてょ・・・苦笑


でも、彼女のはただのグチとも少し違う気がする。
それが彼女なりのグチの言い方なのかもしれないけれど、聞いてる方にそう聞こえないのだ。

まぁ長所ばかりの人間もいないから、そういうもんなのかもだけど。でもちょっと残念だなと思う。

私自身、去年まったくデタラメなウワサを流されたが、その時に校長に、

『あんたは人を褒めることも少ないが、人を悪く言う事も絶対にない。せやからあんたがそんなん言うはずないってワシはっきり言うたよ』

と言われたのだ。普段から人のことを悪く言わなければイザって時に自分の身を守ることにも繋がる。

  

「どうしたら(リハビリが)大事ってわかってもらえるんでしょうね・・・」

口で言ってもわからないなら、実際訓練受けてるとこ見に来てもらっても構わない。でも素人目にはどれほどリハビリの前後で状態が変わるかを理解できないのだろうな。

『んーでもわからん人はわからんのちゃうかなぁ。生徒側なんかでも先生がわかってなかったりするもん。私もここに通ってる子の学校の校長先生にお願いしに行くことあるけど、なかなか継続してリハビリがいるっていうのは私(リハビリのプロ)から説明しても、なかなかピンと来てもらえない』

こんなまねはなかなかしたくないけれど、最近少しでも理解を示してくれそうな人にはしんどいときに「しんどい」と意識して言う様にしている。
理解していない人間から何か言われたとき、『ほんまにしんどそうやったし、行かしてあげて』と言ってもらうのを目的として。

今までは耐え忍ぶのが、自分の美学だったけれど、自分にとって正しいことをしていても言われっぱなしだと辛いし心が折れる。
理解してくれそうなところに、種をまいておくのも自分を守る術のひとつなのかも。

人を出し抜くためではなくて、自分を守るためにある程度ズル賢く立ち回らなければならないのかな、とも思う。
本当はそんな事思わなくても理解してくれれば、それが理想だけれど、わからない人もいるのが世の中だ。


まだまだ、職場=戦場に変わりない。でも理解してくれる人もめっちゃめちゃ少ないが、いないわけじゃない。

それにN先生は理解してくれている。それだけでも大きな力になる。


来週来れたらいいな金曜までに事態が収束して欲しい。。(超切実)


おまけ

ジャージから私服に着替えて出てきた私と癒し系がまたも鉢合わせ。

超ナチュラルなめぐさんスマーイル発動&会釈 ・・・おとなになったじゃん、自分・笑

『お疲れ様』と癒し系。 いや、先生のスマイルで疲れも吹っ飛びました


ウイスキー片手に語りたいなぁ。『リハビリの将来像について』とか。 
何はともあれ、すごいでしょ。私の進歩                   おしまい
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休日だと言うのに、目覚ましなしで6時半に目覚める。
いつもよりは少し遅い起床だが、習慣というのは恐ろしい・笑


今日は楽しみにしていたリハビリの先生と会う日。ドアを勢いよく開けると、思いのほか冷たい空気が私を貫いて、思わずコートを握り締めた。


阪急の某駅直結の小さなショッピングモール前で待ち合わせ。

やはり阪急沿線はどこも街の雰囲気が似通っている。一見全然似ていないようでもどこか一点がかならず。
ああ、やっぱり落ち着く
この街も住むにはいいかもしれない。

そんな事をふと考える。。やっぱり私の半分はまだ北大阪にいる。


3年ぶりに会う旧友。社会人になって劇的に変化して気がつかなかったらどうしよう・・・なんて考えたけれど、その心配は無用だった。
焦げ茶色のジョッキーブーツを鳴らして歩いてきたのは、変わらぬ彼女だった。


あの頃のままの、いや、あの頃より静かな自信に満ちた柔和な笑顔を私に向ける彼女。
そしてその隣にショートカットの長身の女性。今日紹介してもらうK先生だ。

黒髪のショートカットにネコ科の動物を連想させる細い眼。その輪郭は濃いグレーのアイラインで強調されていた。
後々、中身は超アツい人だと判明するのだけれど、外見はとってもクール。とてもとても、リハビリの先生には見えない。外見で誤解されやすいタイプかもしれない。
KATEのCMに出演できそうなモノトーンがよく似合う女性だった。


ショッピングモールの中の喫茶店に入り、各々ドリンクを注文する。

ウエイトレスが注文を取って去っていってしまうと、K先生が名刺を差し出す。
私と会うからかもしれないが、オフの日でも名刺を持ち歩いているということにびっくり。そういうもんなのかもしれないが、名刺と縁遠い職業に就いているとさっぱりわからない


お互い私の友達からほんの少しの情報を貰っただけだったので、ほんとに何も知らない。
まずは自己紹介から始まる。

K先生はOT(作業療法士)だった。
私は普段理学療法をしているので、あまりOTのことはよくわからない。そもそもOTがどういう理論でアプローチするのかとか、どういう病気の人に施すのかということも知らない。

私がCPだということは見てわかったらしい。

通っているリハビリ施設名、過去にボバース法を受けていて、今はボイタ法を受けていることなどなど、まずはCPに関することを話していく。

『ボバースはね、する方(セラピスト側)もしんどいんよねぇ』

そうなんか


ボバースに傾倒する整形外科医が多いが私の体にはボイタの方が合っていると思うことや、仕事で大変なこと、小児へのリハビリは光がよく当たるのに、18歳以上になると途端に手厚さがなくなることへの不満などなど、やはり専門的な話についてきてくれるので、めっちゃくちゃ話が弾んで、気がつくと旧友を置き去りに・苦笑


『ボバースとかボイタとか何のこっちゃって感じで聞いてるよ、この子』

『でも!こうやって意気投合してんのみるだけで嬉しい


以前から感じてたことだけど、この旧友、本当に天使みたいな子なのだ。
『人の役に立ちたい』というのが口癖。 誰かの役に立てればそれで本当に幸せだと言い切る彼女。

出ているオーラが白すぎて、私もそんなに黒い人間ではないはずなのに自分の愚かさを露呈させられた気になり反省させられる。


『本に出てる以外の二次障害も出てきて当然だと思うで。だってほとんど前例がないもん。めぐちゃんのような仕事をしている人は。事務仕事をしててこんな姿勢を取ったり(板書)することもないしね。他の患者さんが使わない筋肉を使ってるわけやから、本の通りにはならない』


なるほどね~。


『側わんで出てきてる痛みなんかは、PTで筋緊張を和らげる以外のアプローチも考えたほうがいいよ。その方が仕事ももっと楽にできるようになるし』


今はまだ、独身で自分ひとりだからどうにかなっているものの、この先結婚するとかになると、仕事を続ける自信がない・・・という話をすると、

『いかにラクに体に負担を掛けずに家事をするかとかはOTの専門分野やから任せて私の患者さんで、下肢両麻痺で片手のない人がいるんだけど、それでも自由の利く腕1本だけで、子ども3人を育ててるし、毎日お弁当も作ってる。顔面麻痺も少しあるから、よだれもでてきてしまうんだけど、それでもいかにカッコよく見せて授業参観に出席するかとか、そんなことを一緒に考えるのも私の仕事なのよ』


スゴいなぁ上を見ればスゴイ人がまだまだたくさんいる。


たくさんのアドバイスを貰えました。


何より、人見知りの私が初対面の人とその日にこんなに意気投合することは珍しい。一部、生育歴にも似たところがあって「良いお姉さん」的な存在になれそうですw
ただ、彼女の場合、イメージ的に「お姉さん」よりか「アネキ」って感じだけど・笑


まだ30手前でお若いのに、現状に満足せず、色々な可能性を模索して、情熱を燃やしている素晴らしい人でした。
クールな外見とは180度違って、心ん中は炎が燃え滾ってるしねw


コーヒー1杯で3時間半語りつくした。有意義でした


『大丈夫。私と出逢ったから、良くなっていくよ』

一見、自信過剰とも思えないではないけれど、それが真実になりそうだと確信させる何かが彼女にはあった。



このタイミングで出会えたのが数奇である。きっとこれにも何か意味があるのだろうな。

人間は、すべてのことを自分で掴み取っているようでいて、実は神様の掌の上で踊っているだけな気もするのだ。

こうして人と人が織り成す綾でさえも。



K先生に出会わせてくれた友達に感謝、である。

期待

半月ほど前に遡る。

深夜1時。半分眠りの世界に入りかけていた私に旧友からメール。
『今から電話していい?』

無理やり自分の意識を眠りの世界から引き戻し、『いいよ』と返した。


電話の用件は、『紹介したい人がいてるんやけど・・・』


保険会社の営業をしている彼女が、仕事の上で、リハビリに携わる人と知り合いになったらしい。

『私、いっつもめぐさんの話を聞きながら、何もしてあげれてへんし、何か力になれればと思って』



彼女と最後に会ったのは、もう3年以上前。
その頃は私が今彼女が住んでいるところの近くに住み、彼女は私の今の勤務先に程近い大学に通っていた。

不思議だよねぇ。まさか彼女がいた街で私が働くことになるとは思わなかった。


しばらく話らしい話もしていないけれど、ブログやSNSの記事を見ながら気にかけていてくれたらしい。

『何もしてあげれてへん』と言うけれど、そんな事はない。友だちでいてくれている。話を聞いてもくれる。


アラサーで、リハビリ従事者。あわよくば公私共々宜しくお願いあそばせって感じだったのだが、ヨコシマな事を考えていてはそうは問屋が卸さない。


女性らしい・笑


少々ガッカリしたのは否定しないでおこう・笑


少々逸脱した期待(笑)は外れたが、リハビリ関係者の知り合いが増えるのは喜ばしいことだ。リハビリと行っても多岐に渡るから、彼女がCPに関して詳しい知識を持っているかどうかはわからないが、少なくとも私の心情を理解してくれやすいだろうことは期待できる。


待ち合わせは阪急宝塚線の某駅。
阪急はよく利用するが、京都線と千里線ばかりだから宝塚線に乗るのは初めてだ。

ちょっと楽しみ


少し年上の女性とお会いする・・・なんて機会自体が初めてなものだから、どんな服を着ていこうかと言う事さえ、迷う。
ジーンズでいいの?やっぱ、清楚系?
・・・わからん。向こうの服のテイストもさっぱりわからんし・・・。


待ち合わせが午前中だから、まぁ、そんないいところに食べに行くわけでもなさそうだし、ジーンズにスニーカーで行っても大丈夫やとは思うんだけどね。


先日、某駅直結のファッションビルの特設会場でアーバンリサーチのアウトレットをやっていた。
アーバンリサーチは私の好きなショップのひとつである。就職してしばらくはいかにもOLが買いそうな服!って感じの(ナチュラルビューティーベーシックとかね)ショップの服ばかり買っていたけれど、途中でやっぱり自分らしくないな・・と思ったのである。オンならまだしも、オフに着たいテイストじゃないなって。

シンプルで飾らない・・それでいて、シンプルなだけじゃなくて、ひねり感のある。
行き着いたのはそんなとこ。 学生のうちはアウトレットと言えども手が出なかったが、最近はアウトレットなら手を出すことができる。

元々近いうちに服を見に行こうと思っていたけれど・・買うつもりでもあったけれど・・やっぱり買ってしまった。

財布のヒモをもっと硬くせねば、オペ代はなかなか貯まらない


もう今年は買わない。今年は買わない。今年は・・・(呪文?)

だいたい職場に着て行かない服が何着もあっても仕方ないのにね。土日の分くらいなら充分足りるだけ持っている。
休日用の服を買うくらいなら、何枚あっても足りないくらいの仕事用の服を買った方が余程合理的なのだけれど、なぜか仕事用の服を買っても気分はあがらない。

汚れてもいいようなモノで、ある程度ダサくなくて、洗濯に耐えられ、安いもの。

それらの多くは、私が心の底から欲しいと思って買うものというよりも、必要に迫られて買うからかもしれない。

今の仕事服の半分ほどは、学生時代にはオシャレ着だったものが毛玉が目立ってきたり、少し汚れたりして「仕事用」に降格されたものだ。
だから、今買った服も傷めば仕事着になるのだろうが・・・・。



上のボレロみたいなんが、アウトレットで買った品半額

インナーのしましまタートルは後日、別のお店で買ったんだけれど・・・この生成り+黒のしましまにするか、グレー+黒のしましまにするかで、めっちゃ悩む。

最初、グレーにしようかと思ったんだけれど、いくらそんなに高くないタートルと言えど失敗はしたくない。
近寄ってきたスタッフさんにすかさず相談。
上の現物を持参してなかったから「小麦色のボレロみたいな服。ほんまに小麦粉みたいな色」という何ともアバウトなめぐさん感丸出し(笑)の説明でも何とかわかってくれはった・笑

『明るい色には白+黒のボーダーがいいと思いますけどね。なんにでも合わせやすいですしこっちの方がよく売れてますよ』

というアドバイスに半ばは納得してなかったものの、なんにでも合わせやすいのは事実だ、と素直にそっちの色を買って帰って合わせてみたら、グレーよりか合う
さすがショップスタッフ!服のプロ すごいなぁ。


というわけで、しましま&小麦粉色で、会いに行ってきます。

・・・どうしよう、相手がさらりと清楚なスカートを着てきたりなんかしたら、と若干不安ですが、きっと自分の話も多くしなければならなくなるだろうから、その場凌ぎで着飾って行っても仕方ない。
自然体でいるべきだろう。外も中も。そういう相手には。


いいお姉さん的な存在になれるような人ならいいんだけどな。


会ったらまた、ここに書くと思います。

でもって、そのうち、今抱えている胸の内も。。

したたかであれ

体育祭の代休であった、今週月曜日。
こんな時しか平日に予約が取れないからと、リハビリの予約を入れていた。

ところが数日前になって、その日に休日出勤をして遠足のしおりを印刷すると同僚が言った。

体の調子が良いときであれば、迷うことなく仕事を取っただろう。リハビリも即座にキャンセルした筈だ。
けれども、私もギリギリだった。

背中の痛みは、痛みの強さこそ日々違うが、付きまとい続けている。
尖足歩行もここのところ強く、靴をよく擦るし、室内を素足で歩けば摩擦で痛みが伴った。
さらに急激に寒くなったのも動きづらさに拍車をかけた。

本音を言えば、近ければ週に2回でも通いたいくらいだった。


私も遠足の運営に当たっていたから、担当者がその場にいなければいけないと言う事も重々解っていたし、同じ係に当たっている同僚に対して申し訳なさも、もちろんあった。


しかし、ここでリハビリに行かなければ私は今週持つかどうかわからない。
そりゃ勿論、どんな形でも良いならば『持つ』だろうが、そういうわけにも行かない。


非常に心苦しかったけれど、同じ担当の同僚にはどうしてもリハビリは行かねばならない旨を伝え、了承してもらって行ったのだった。


するとその翌日。ベテランに呼び出された。

たくさんの人が休日出勤をして、印刷をしたこと。
若手に役に立つことをベテランがたくさん教えたこと。

その場に自分がいなかったというのはすごく損であると言う事。
どんな用事を差し置いてでも来るべきであったということ。

などなどを言われた。


『あの子ら(新人)には次任せても、色々なことを聞いてるから任せられるわ。せやけど、聞いてないあんたはどやねん。次任されてもできへんやろ。用事があったんかも知らんけどな、あんたは今勉強しなあかん身やんか。休みの日やけどさ、来なあかんかったと思うで』


私だって、本当はこっちを優先したかったよ

心の内で出せない言葉が暴れて、私の胸を刺していく。


でも今の私は、リハビリに少しでも多く通わねば仕事をするだけの体さえ維持できない。
日々の仕事を何とか頑張るために、以前はサボる理由ばかり考えていたリハビリを1回も外さないようになったのだ。


私も必死なんやよ
仕事をするために、リハビリに行ってんねん。

私にとってはただの用事やない。体を守るための『用事』っていう言葉では片付けられんほど、大事なもんなんや。


余程言い返したかった。周りが考えるほど、軽い用事ではないと。


でも敵に回したところで、自分の居場所がどんどん狭まっていくのは目に見えているし、プライドの高い人だから、面と向かって言い返しなんかしたら10倍返しにくらいされそうだ。
どっちにしろ、得策じゃない。

言いたい言葉の数々を押さえ込み、謝罪だけを口にした。


悔しかった。


私だって、軽い気持ちで仕事を押し付けたんじゃない。苦渋の選択だったのだ。


毎日必死なことを、リハビリの重要性を判ってもらえないことが、辛かった。


黙って唇を噛むしかなかった私に気づいた同僚が近寄り、『何言われたん?』と問う。


「これの件でちょっと・・・」

言葉を濁さざるを得なかった。言葉にするのさえしんどかった。

『大丈夫。俺もこの間、自分の仕事もっとちゃんとやれって言われたから』


知っている。相手が私じゃなくても、足らずを見つけたら誰であろうとキツく言う人だと言う事は。
その人自身、『私、キツいで』と公言しているほどだし。


大事にしているものの順番が少し違うだけ。それだけのこと。
そうとわかっていても、未だに思い出したら、胃の底が焼けそうな気持ちになる。


『迷いや揺らぎはあったかもしれんけどやで、お前がそっちが大事やと思ってそうしたんやから、それでええやんか。自分の判断に自信を持て。  どこにでも色々言う人はいる。お前自身がもっとしたたかになって教員をしていくしかない』

恩師の言葉。 

確かにそう。
どこの組織にも、10人いれば10人が自分の味方なんて、あれば理想だけど、ないのだ。

何か言われるたびにヘコんでいては、身が持たない。

私が今回、リハビリに行っていなければ、注意を受けることはなかったかもしれないがその代わりに仕事をするにはギリギリの状態になっているだろう。

誰が何と言おうが、リハビリはしなければいけないのだから、私が気にしていてはダメなのだ。
自分が少しでも長く、仕事ができるからだを維持するために。
自分を守るためだから、いちばん自分が外の色んな批評から、自分を守ってやらねばならない。誰かが守ってくれたら楽だけれど、いざと言うときは、自分がしなきゃ誰も自分を守ってなんてくれない。

私の味方もたくさんいるけれど、職場の私のことまで面倒が見られない。当たり前ながら。


でも、それができないのは自分に自信がなさ過ぎるからかな・・・。


それこそ、恩師の言うようにしたたかにならなければ。
誰のためでもなく、私のために。



散々迷ったが、担当のN先生に努めて明るく、今回のことを話した。

今や、N先生は単なるPTではなく、少し年の離れた姉のような感覚である。性格的に似ているところも他の友だちより多くあるので、話をしていても楽しい。

何より言葉の裏を読まなくてもいいし、「しんどい」とか「背中痛い」とか、素直に言えるのは本当にありがたい。

今のような関係になれたのも、夏休みの号泣電話事件がなければなかったことだから、本当にあのとき思い切ってよかったと思う。


具体的にアドバイスをくれなくても、聞いてくれるだけで、悔しかったということをわかってもらえるだけで少し楽になる。


「強靭な精神が欲しいぃーーーー・・・・」(←切実)

『だいじょーぶ。もうちょっとオバチャンになったら「ハイハイっ」って聞けるようになるんだから』笑


いや、でも少しは繊細さを残したオバチャンを目指してるんですが・・・(欲張り)笑


最近色んなことが重なって、ほんとに胃が痛む日々だ。

でも、今月は最終週まで先生に会えない。 あーあ。。


色んな人に遠慮しすぎるのもダメな癖なんだけれど、もっともっといっぱい誰かとしゃべりたい。


仕事の辛さについてじゃなくても、何かを話すだけで少しは気も晴れる。


今月、ちょいと買い物しすぎだけど、誰かゴハンに誘ってみようかな


Always be strong and tough...Thus.  ・・・Thus だっけ、Thyだっけ。 古い表現の格、もうほとんど覚えてないゃ

すまいるわにさん~上履き革命~

革命・・・と言っても、大げさなものじゃない。

職場で履く上履きを変えた。正確には、まだ届いていないから、『頼んだ』の段階だけどね

生徒の上履きは、学校指定のasicsの紐付きバレーシューズだが、当たり前ながら教師に上履きの指定はないので、皆様々なものを履いている。
健康サンダルだったり、スニーカーだったり、スリッパだったり、オシャレなパンプス風スニーカーだったり、ドライビングシューズだったり・・・etc.

私はと言えば、NIKEのACE83をずっと愛用していて、まだ状態はいいのだが・・・このところ、内反足がひどくて、何度履きなおしても靴が脱げてしまい、常にかかとを踏んだ状態になるのである
そのため、階段では足が上がりづらく蹴躓きそうになるし、イザと言うときに走れないしで、非常に不便な思いをここひと月ほどしていた。


さすがにいい加減、どうにかしなければと上履きのハイカット化に向けて重い腰を上げた。


最近、スポーツブランドと言えば、adidasというくらいadidasばかり履いたり着たりしていたけれど、adidasやNIKEやVANSは生徒とよくカブる。現に今履いている上履きも同じのを履いている子が何人もいるし、色違いまで含めるとカナリの数になる。  メジャーなモデルだから仕方ないけどね
カブるのが嫌とかじゃないけれど、あまりにも同じのが多いと没個性化してしまう気がして、テンションも下がる。

先日フラリと何となく立ち寄ったABCマートで、ラコステのスニーカーを見つけた。
今までラコステといえば、アパレルのイメージが強かったので(靴もあるん)とびっくり

ゴルフ好きなお父さんが着そう・・・というブランドイメージは未だに強かったが、この夏、再会した恩師の女性教諭がラコステの服なんかをスポーティに着こなしていて、少し『お父さんのためのブランド』というイメージは薄れていた。

ラコステのスニーカーなんか履いてる中学生もそうそういないからカブらないしイイかも


と近くに寄ってみると、トレードマークのワニがどことなく笑っているように見える。
イラストなんかで表現されているのは、単にワニが舌を出しているだけに見えるのだが、靴に刺繍されたものは、口を開けて笑っているワニに見えた。

(このわにさん、かわいいやん)

すまいるわにさん、めぐさんのハートのつかみはOK


ただし、そこそこのブランドの1つなので、お値段もそこそこ良い。

上履きにこんだけ払うのってどうよ ・・・無理よなぁ。
普段外に履いていく分に買うには出せないこともないけど、室内履きとなると少々贅沢すぎる。


でも、わにさんかわいい


めぐさんの奥の手w
おうちに戻ってLet's オークション


探してみると、あった!4000円という破格で

・・・しかし、配色が水色&ピンク。派手・・・だし、小学生が着ている服の色の組み合わせみたいだ

いくら安くても、これはなぁ・・・


途中、あきらめてadidasにしようかとも思ったけど、どうにかなるもんですw

yahooのショッピングサイトを見てみたら、60%OFFで取り扱っている店舗を発見。
色もまずまず

カートに入れる、をポチ

これですwww  欲を言えば、足首部分がもっとシンプルな色のがよかったけど、60%OFFで買えるねんからそんなことこの際言えません。


上履きにするには、洒落すぎな気もするけれど、これを履いて校内を疾走する日も近い

最近のハマりもの♪



最近、自宅でも手軽にカフェメニューが楽しめる商品が増えている

スタバに足繁く通っている私だが、そんなに経済的に余裕があるわけではないので、1杯350~400円のものをそうそう飲めるわけもなく、平均週に1~2回が限度である。

肌寒くなってきて、おうちでもおいしいものが飲みたいとスーパーで見つけて思わずカゴに放り込んだんだけど・・・・

これがまたおいしいねん


どうせインスタントだし・・・とあまり期待はしてなかったのだが、ごめんなさいネスカフェさん・・・バリうまいっす・笑

お湯を注いだ瞬間のメープルの甘い香りがたまらない
メープルというより『焦がしメープル』って感じで香ばし甘い感じw

休日の朝とか仕事終わりに飲んだら、至福


平日の朝にも飲みたいけれど、そんな時間ないのよねぇ15分早く起きれば済む話なんだけど、それが難しい・・・


疲れたときに、ご賞味あれ。

Something new around me

最近、布団カバーを新調した

今の家に引っ越してくるときに購入していたけれど、いざ替えるのが面倒で、そのままクローゼットの奥にしまわれていたものをようやく引っ張り出してきたw
私は普段、柔軟剤を使って洗濯するので、布団カバーもふんわりだけれど、こうして新品のものはパリっと糊が効いていて、気持ちも引き締まる。

もう季節は晩秋だけれど、思いっきり春色のこのカバー

 


シロツメクサ(クローバー)とテントウムシ柄がかわいい
ちゃんとシロツメクサの花も咲いてるんだよ

どんどん学生時代のオレンジ調の部屋から、さわやかグリーンに移行していってるMy room。
癒しを求めてるってことかなぁ・・・




その無印良品のメルトンダッフルコート(通勤用)

寒さに負けて、オークションや値下げを待たずにGET。。この質やつくりでこの値段はお得なのかもしれないが、私の懐にはすきま風が苦笑

ダッフルなんて買うの中学生以来。懐かしさとかわいさに惹かれて買ってしまった。

良いコートなら、友人の結婚式に着ていったアンゴラのロングコートから、私の冬の定番とも言うべきチャコールグレーのPコートなど、ないことはないのだが・・・職場が職場故に、良いコートとか、お気に入りの定番とかを汚してしまいたくなかったしw

お店のトルソーにはベージュの方が着せられていて、最初そっちに惹かれたのだけど、カフェオレ色のパンツなんかと合わせるとカブって変なので、紺にした。ブラックウオッチのパンツなんかと合わせてもブリティッシュでいい感じだし。
紺のコートは、プライベート用にはまず買わない。(ジーンズの色とカブるから)
でも職場では長期休暇以外はジーンズは履かないし、紺色のパンツやスカートなんかもあまり履かないのでこれにした
なんか紺のコートって新鮮。パッと見、ボーイッシュな色だけど、トグルボタンがマーブル模様になってたりしてかわいいねんw




その manicsのショートパンツw

定価15750円をヤフオクにて、1980円新品タグ付きやでほぼ90%OFF多分、今年一番の良い買い物



最後はどーでもいい一品・笑 からし色のタイツ。ちょっと冒険しましたw
前から履いてみたかったけれど、キャラじゃないかなって敬遠してましたが・・・若いうちにしか履けない!!というわけで・・・似合うかな・・・
似合わなかったら、母の防寒対策としてプレゼントしようw笑


なんだかんだで、冬の入り口ってお金飛んでくね
まぁどれも消耗品ではないから(タイツを除き)今買っとけばしばらく持つでしょwww


来月は節約に励むぞ!!!!!

I Just Wanna Say THANK YOU☆

思ぉい出はぁ~いつの日もぅ~雨っ

どうも、めぐさんデス 昨日は久しぶり(ほぼ1年ぶり)に京都に行ってきましたw
A教室のかつての同僚と、秋の遠足ということで

なぜか私が京都に行く日って、いいお天気だった試しがないのよね・・・・。。いつも良くて曇りだし、昨日なんかザーザー降りもいいとこだし・・・PTのN先生にも『めぐさんって、雨女やね~』と言われる始末。でもそうかも。。


今回は陰と陽の混じった日記になると思います。あしからず。




1日に5回転ぶ。こんな事は初めてだ。 うち2回は滑りやすい道だった・・・という言い訳をしても、3回何もないのに転ぶなんて、どうかしている。

たくさん歩くのを想定して、ブーツを履かずに低反発の中敷入りのadidasを履いて家を出た。
その日着ていた服には合わない色の靴だったけれど、結果的に機能を優先して正解だった。

朝から、地下鉄の入り口の段差で躓いて転んだ。思えば、良くないはじまりの兆候はここかもしれない。
段差に気づかなかったわけではなく、段を意識して足をあげたつもりだったが、けつまづいたのだ。自分が意識するよりも上がらなかったのである。

疲れてるのだろうか。

その時は別段、気にもしなかった。珍しいことではない。




京都についてからも、バスを降りたときに1度、寺の中で1度転んだ。まぁこれは路面の状態もあるから理由はつくけれど、河原町駅付近で1度、転んだ。

なぜこけたのか、自分でわからないのだ。 その場にいた友人には咄嗟に「ぶつかった」と答えたが、実はぶつかってはいない。 
歩いていていきなりバランスが崩れた。
心配をかけまいと積み重ねる、罪にもならないほどの小さな嘘。年を重ねるごとにうまくなっていくのが哀しい。
 

最後の1度は、地下鉄を降りて家に帰る道すがら。これも急にバランスが崩れた。


5回の転倒を振り返って、分析してみる。 5回中、3回が左後方への転倒。


本来、私は右足の支持(支え)が弱いので、転ぶときは右側へ転ぶことが多い。ところがこの日はほとんど左後方へ向いて転んでいる。頼っていた左足の支持が弱まっている・・・ということか。


一過性であってほしい。切実に。


1度はなかなかな水溜りの中へダイブしてしまったので、受け身を取った左腕を水の中にもろに浸けてしまった
お尻からはまってしまうと、さすがにまずい・・・風邪を引くし、動きにくいことこの上なくなる。と咄嗟に判断したのだろう。腕1本でかろうじてズボっと行くのを阻止した。 普段から腕力に頼る部分が大きいので、自分の体重もどうにか支えることが出来る。

夏のボーナスで買ったばかりの時計の無事の方が気にかかったけれど(笑) さすがは5気圧防水少々の水溜りではびくともせず、今も普通に時を刻んでいる。
カバンの中にも携帯やらデジカメやらウォークマンやら精密機械が山ほど入っていたけれど、どれも無事だった。
着ていたワンピースも少し濡れただけで済んだ。我ながらミラクルである


ずっと前から行きたかった龍安寺に、古典の教科書でもおなじみの仁和寺。

普段はあまり意識しないけれど、当たり前ながらこんな歴史的に有名な寺は、バリアフリーなんて言葉と無縁の建築物なので・・・ たくさん助けてもらう羽目になってしまった

悔しいのは・・・数年前なら自分ひとりで歩けたであろう場所でさえ手を借りなければ歩けないこと。


これくらいの階段なら・・・これくらいの凹凸なら。。  ・・・すべてダメだった。


弱った自分に対する情けなさと、情けなさの中、貸してくれる手がいっそうあたたかく感じて、顔が歪みそうになるのを必死でこらえた。


私、来てよかったのかな・・・あなたたちの迷惑になるばかりではありませんでしたか。


本当なら「ありがとう」と言うべきなのに、私の口から出た言葉は「すみません」ばっかり
これからの私の課題でもあるのかもしれない。

手を貸してもらうことを、誰かに求めた助けを、申し訳ないと考えていてはいけないのかもしれない。申し訳なさを超えて感謝で溢れる(のは今もそうだけれど)、感謝の言葉で埋め尽くさねばいけないのだ。


手を貸してもらわねばならない、助けを必要とする頻度が高まっているのだから尚更。
手を貸した方だって、「ごめんなさい」と言われるよりは「ありがとう」と言われる方が、気持ちはいいはず。


わかってるんだけどね。なかなか、気持ちがついていかない。

あの時も、申し訳ないって気持ちもあったけれど、それよりも感謝していたし、私の脳は「ありがとう」と言えって必死で自分の心に呼びかけていたのに、口から出たのは「すみません」だった。


しゃあないやん。できひんねんから。 頼って頼られて、それで社会は成り立ってる。
だからできひんことを助けてもらうんは、恥ずかしいことじゃないやん。
そりゃ人よりできひんことが多いけど、その分他の人より、周囲の優しさには敏感でいられる、それは今の私でないと持ち得ない感覚やん。


こんな事もできひんくなるなんて情けない。こんな事でさえ助けてもらわねばできひん自分が、ひたすら無価値に見える。


どっちも同じ自分の中にある本音なのです。
まだ、少し後者が勝ってる感じ。

まだまだ人生は長いし、なるべく早く前者の考えで自分の中を満たして、助けてくれた人には「ありがとう」ばかり言える自分になりたい。

素直に笑って「ありがとう」と言えないのは、きっとまだ今の私を私が認められないからだよね、きっと。

早く認めてあげなさいよ、私。そうすれば、もっともっと肩の力が抜ける。楽になる。
それが見えてきただけでも、少しは進歩してるのかな。


情けなくたっていいじゃない。
その分、得てるもん絶対あるで。
今の自分自身、好きになったってや、めぐさん。

情けななってもええとこが減っていくわけやないやろ。ただ少し不便になるだけや。心は変わらへん。考え方が変化しても、本質はおんなじや。
今より過去のがええとは、限らへんで。な。 それが腑に落ちるように思考を変えてかなあかん。でないと自分がしんどいで、めぐさん


今度は、「すみません」じゃなくて「ありがとう」って言いたい。
迷いなく、「ありがとう」の方を選べるようになったときは、自分の弱さに打ち勝ったときである気がする。




肝心の京都観光自体は、有意義だった。枯山水が見れただけで満足度200%やからね

もう数年越しの夢が叶ったわ


ただ、Oさんになんで龍安寺に行きたかったのかと尋ねられ、枯山水と言う言葉が咄嗟に出てこず、「うずまきの庭が見たかった」と答えた私。。

・・・・・アホ過ぎる笑   「うずまき」って・・・

まぁ、めぐさん語(笑)なんてこんなもんだけどね 


ただ、どっから見ても自分と目が合うという龍の絵は、見れず。いつでも見られるのに私が見落として帰ってきたのか、普段は公開してないのか・・どっちだろう。




京都を出、大好きな阪急に乗って一路大阪へ戻る。部活指導のため、京都に参加できなかったN先生と合流して食事

この日はサプライズゲストが1人。 私が塾講時代に教えた子で、私が『息子にしたい生徒No1』と豪語しているI君。
あどけなかった彼も、大学生になり、顔つきもしっかりしてきていた。言う事も随分大人びた。
あの頃からの素直さや、少し気の弱いところはそのままに。

お母さんがどんな風に育てはったら、こんな素直な子になるんでしょーか。将来息子を持つことがあったら是非、参考にしたいわ・笑  ほんまにかわいいのよ、素直で

4回生の頃、高校生だった彼に『先生は将来何になるん?』と訊かれ、「先生は先生になるねん」(考えたらへんな日本語やんね・・)

「でも、なるの難しいからなぁ」とつぶやいた私に、彼は『そんなら俺の学校来たらええやん』と純粋な眼で言ってくれたのが今も忘れられない。

あれは嬉しかった、と伝えると、本人は『俺、そんな事言ったっけ』なんて言っていたけれど。


しかも柴田恭兵の良さがわかるときたっ こんなに話のわかる奴なら、昔からめぐさんチルドレンにしとくんだったわ

昔、私になついていた生徒を『小泉チルドレン』をもじって、他の講師からそう呼ばれていたのであるw

行く末の気になる子はたくさんいる。I高校のS君は今もう1回生だろうか。大阪市大か関大を目指すと言っていた彼は結局どの大学へ進んだのだろう。
今年受験生のKさんも気になるし。。

本当に黄金時代だったな、と振り返って思う。 


I君の登場で昔の話にも花が咲き、 全員お腹がよじれるほど笑いまくった

去ってから1年半。尚もかつての仲間とは交流があるし、かつての教え子の中には一緒にお酒を酌み交わせる年齢になっている子も少なくない。
だんだん自律していくかつての教え子を見るのは眩しい。

ほんまに私、ええとこで働いていたなと思う 4年間で、バイトといえばそれしかしてなかったのに、幸運やよな

今も尚、私の人生の肥やしになっているし、こうして、皆と会うと、くたばりそうな仕事へと向かう活力を養える。


ありがとう

You Ain't Alone

人生、どんなに悪いときでも、必ずどこかに救いはあるものだ・・・

そう、この頃実感している。




10月にしては珍しい、半袖でも汗ばむような陽気 お気に入りのアーノルドパーマーの花柄シャツに腕を通し、いつもの茶色いバッグを手にして出かける。

今週1週間は、ヘヴィな生指に文化祭と精神的にも肉体的にもハードな日々だった。尤も生指は、私に太刀打ち出来るものではなかったので、ベテランに頼りっきりだったが、それでも胃がキリキリと痛くなってくるような状況のややこしいヘヴィなものだった。

こんなときに2週間とあかず、リハビリがあるのは有難い


今週のリハビリ中の会話のネタは、なぜか・・『英語の話し方からわかる階級について』

いい大人になっても、送り仮名を間違えていたり、「ら抜き言葉」を多様している文章を見る機会があり、言葉の使い方で相手の教養がわかる・・・みたいな話をしているときのこと。

本当に言葉の選び方、使い方で、教養・知性は丸裸になる。ごまかしはきかない。
アホな話し方をする大人を見ていると、腹が立ってくると同時に呆れる。

私の知人には、そんな人はいないけれど(母親は除外)世の中見渡せば、ゴマンといる。いい大人でも言葉を知らない人が。
まぁ、私は文学部だったから、言葉に敏感なのかもしれないけれど。。

『英語って、喋り方で階級がわかるんでしょう?』

どこでそんなことを聞いてきたのか知らないが、N先生が言う。
そういえば、N先生は大学時代何を専攻してたんだろうか。言わないだけでまさか英語だったりして・・・。

特にイギリス英語はその傾向が強い。 下町色の濃い『クックニー』に始まり、一番上はBBC放送のアナウンサーも使用する話し方(名前なんだったか忘れたけど)だ。

クックニーで有名なのは、オードリーヘップバーン主演の『マイフェアレディ』 貧しい下町の少女のクックニー訛りを、言語学者のヒギンズ教授が超スパルタで矯正していく物語だ。

実はヒギンズ教授には、実在するモデルがいることをご存知だろうか。ファーストネームこそ違うが、ヒギンズという言語学者は存在するのだ。

久しぶりにDVD観ようかなw 

こんな専門的な英語の話をしたのは随分久しぶりだった。やっぱり英語(学)の話をしているとテンション上がるw



夏休みの欝から少し回復しつつはあるものの、それでもまだ漢方を飲み忘れれば胃腸が空気だらけになる。何も食べていなくてもゲップが出そうになる有様である。

身体的にもすごくしんどいし、ただ普通に仕事をこなすだけでもしんどいのに、面倒な事は更に更に降ってくる。
人と人があんなにもたくさん触れ合う場所なのだから、トラブルがない方がおかしいけれど、それでも心身ともにすり減らしながら、文字通り身を削って仕事をしなければならない。

自分に感じるジレンマ。
痛感する能力の無さ。
加えて身体機能の衰え。

あ~ぁ、もう。

そんな中で、もうすっかりリハビリは『癒し』になってしまった。 

少し前に読んだ『二次障害ハンドブック』の中に『訓練をサボって遊びたいけど、訓練に行かないと結局遊ぶのも苦痛な体になってしまうから行かなあかん』と幼少期を振り返った体験者がいた。

私が子どもの頃は、たとえ1回抜けてもそんなに走り回ったりするのに支障はなかったから、サボりたいばかりだったからまだ恵まれていたのかもしれない。

でもその状態にまさに今、なっている。

『訓練に行くのは面倒くさいけれど、行かないと仕事がしんどいから行く』

遊びが仕事に変わっただけで何ら変わりはない。


ただ、私にはもう1つ行く理由があるけれど―――。
『担当PTと話していると、なんかほっとするから行く』

多分こちらの方が大きい。

なかなか自分の思いを理解されず、苛立ちを募らせた日もあった。でもそれはまだ私と言う人間を向こうも判っていなかったからだと今思う。

彼女のクランケになって4年。 彼女は私の最も信頼できるPTのひとりになった。


彼女に発作的に電話して、号泣しながら話したあの日以来、彼女との心理的距離はぐっと縮まった気がする。
弱音も吐きやすくなった。
自分の中にある壁を壊すのは、怖い。 でも壊してかかる相手を間違えなければ、自分にとっていい結果になる。




つい先日も、集会で整列させるとき出席番号順が原則なのに、後ろの方で入れ替わっていた。
よくあることだ。隙を見せれば、仲の良い者同士でかたまりたがる。

他の教師なら、その間に割って入って並び直させるのは朝飯前だ。
が、人と人が密集する場所を割って歩きにくい私にはそれが出来ない。

周りがざわついているときに、大声を出して注意することは出来る。その時は従うが、しばらくするとまた替わっている。
集会が始まって辺りが静かになると、大声での注意はしにくい。かといって普通の声では後ろまで届かない。

入れ替わっている子を睨みつけて、ジェスチャーも交え、戻るように指示するのだが、なかなか言われないと利かない子もいる。

先日の集会でも、副担に『先生、何黙って見てるの。先生が行って注意しないと

小さな声で、「行けないんです・・・」というしかない自分が悔しかった。今でも思い出すと、拳を握ってしまう。


遠まわしに『身の振り方を考えろ』的なことを言う人もいるにはいる。


平日は本当に闘い。自分との。周りとの。 仕事場=戦場。。

1人暮らしは、気楽に泣けるのはいいが、抱えるモノを吐き出す場がないのが欠点だ。



この日のすべてのメニューが終わってから、40分近くN先生と話をしていた。こんな事も今までなら出来なかった。

でも私も相変わらずヘタレだから、進んでいく時計の針を見ながら、他のPTたちがどんどん帰っていくのを見ながら、

(多分先生、これからカルテ書きだよな~・・・)とか、
(土曜やのに私のせいで帰るん遅なるやん)とか色々考えてまう


集会での悔しい出来事、自分の生き方がこれでいいのかどうか。。自分自身に迷う。


『もっと自分を長い目で見てあげてよ。だってまだ社会人になってたった1年半やで。そんなに何もかもこなせたら、それこそ年配の先生に嫉まれるよ・笑  ・・20代ってまだ、自分の本当の意味での限界もわかれへん時やし、年をとるに連れてわかって来ることもたくさんある。私もこの仕事を始めて10年以上経つけど、やっぱ最初のときとは違うもん。「(仕事が)うまくなった」って言うんともちょっと違うけど、なんていうのかな、考え方も変わってくる』

『我慢せんといっぱい泣いたらいいねん

『ぎりぎりのところで、そうやって(弱音を)言えるのがめぐさんの強さやと思うよ。もう限界やと思っても、誰にも言えずに潰れていっちゃう人かて、きっといっぱいいてるんやろうし。特に今はコミュニケーション力がない人も多いって言うやんか。だから言いたいけど、どう言葉にしていいのかわからへん人もいるんやろうしね』

職場の人にはなかなか言えてないねんけどね・・・しかも『それがあんたの試練でもあると思うねん』って同僚に言われたし

『n先生の奥さん(地元PT)にはちょこちょこ喋ってるって聞いたけど・・・』

なんでそんな事知ってるんだと思って、あることを思い出す。地元PTの旦那さん(n先生)と癒し系Y先生=お友だち。

もしかしたら、相談事を持ちかける度に、地元PT→その旦那さん→Y先生→N先生という相関図が出来ていたりして・・・

今まで喋ったの全部バレてんのにょーーーーーーーーーーーーーーーーー

でもその可能性、濃厚よな・・・ N先生に「重たいクランケ」だと思われるのが怖くて弱音を吐けなかったことも全部バレてんだろうか・・・・。。

よかったY先生にホレてる・・・とか、一度も口走らなくて
全部筒抜けやんけ。。


でも、それならN先生に悪いことをしたかもな・・・。今は彼女のクランケでありながら、彼女に心を開くまでは地元PTにすべて言っていたわけだから。もし私がN先生だったなら、自分の無力さを痛感するに違いないし、いい気持ちではいられないだろう。

しかも、彼女にではなく地元PTに言ってるのを知らないならまだしも、聞かされてるんだもんな・・・・


一番気が合うのは、N先生だと言う事は事実だ。
地元PTは、信頼関係を築く・築かない以前の時期からお世話になっていたから「嫌われるかも・・・」なんて余計な気を回さなくて済むだけ。それにもう、地元に帰らない限りはお世話になることもないから、「放り出されるのでは・・・」なんて心配もいらない。

PTと話をするのが楽しみだと言うような先生はN先生が初めてなのだ。

だからこそ、身構えてしまった・・・。本当にごめんね、先生。

電話をしたあの日、N先生が『ありがとう』と言った真意が今になって理解できた。あれはきっと、普通の『ありがとう』ではないのだ。それ以上の意味がこもっていたはずだ。


先生は別のクランケの話を持ち出した。

『今感じてるほどのしんどさって、ずっと続くわけじゃなくて、また持ち直すと思うよ~。私が担当してる人も、郵便局でアルバイトしてはんねんけど、30を少し過ぎた頃かな~、ガタっと来てね。バイトやから、それなら勤務時間を減らしてもらえばって提案したんやけど、「そんな勝手を言えば、バイトやから辞めさせられる」って言って仕事してね。幸い訓練の日数は増やせるって言うから、増やしてどうにかしてたんやけど、最近落ち着いたよ少し』

『奥さんの話では、何があっても仕事だけは休まへんのですって言うてはったわ』

『だから、めぐさんもしんどさが落ち着いてくるときがあると思うねんけどね』


そして、話は巡り巡って、「私は生きてるんじゃなく、生かされてるんだと思う」説(笑)に・・・w

『その人もね、その人のお母さんが、初めの子どもに障がいがあったから次の子を産むのが怖かったらしくて、次に授かった子を堕ろしてはんねんね。それから何年かして下に2人程産んでるけど。でもその話を大人になってから聞いて、その人「生きられへんかったその子の分まで、僕は幸せにならなあかんのです」って言ってた』

そこでそう考えられるのがすごいわ 私がもし同じ立場なら、自分を責めるだけで終わってたと思うし。



『サボってるわけじゃなくて、背中が痛くなっても仕事してんだから、給料は当然のように貰ったらいいねん。・・・ってオバチャンになってくると、こうやって開き直って考えられるようになってくんねんてー(笑) めぐさんみたいな事言い出したら、それこそ大阪地検の人なんか、あんな事しておきながら、私らの何倍もの給料貰ってるわけやしね~笑』

また、タイムリーな話ゃな・笑


『言っても言っても、一生わからへん人はわからへんけど、判ってくれて応援してる人も絶対いてるからね。ひとりじゃないよ』


はっきりそう言われたわけじゃないけれど、何となく直感で、これは一般論じゃなく、先生からのメッセージな気がした。
涙が出るほど嬉しかった(何回でも思い出し泣き出来る・・)



今はっきり言って、自分を取り巻いている環境は苛酷だ。
自分で必要もないのに首を絞めている部分もあるにはあるけれど。

でもそんな時でも、最悪の、どん底の一歩手前にも、何かしら救いはあるものだ。
私はしんどいけれど、でも判ってくれる先生がそこにいる。 それだけで私の人生も捨てたものではない。


特にこの数ヶ月、私は自分の担当がN先生に当たった、偶然の産物が織り成す奇跡にただただ圧倒され、感謝をしている。










 

感情の置き場所

ひとりじゃないと感じた直後、自分の孤独の大きさを知る。
そんな日々が始まったのは、いつからだったろう。

思えば随分幼い頃から、孤独を飼いならしてきた気がする。
『ひとりじゃない』と思える瞬間はすごく嬉しいけれど、そう感じたすぐ後で、感じたことを後悔する。その瞬間から離れればまた、私は孤独になるから。

みんな同じ思いを抱えて生きているのだろうか。問うてみたことがないからわからない。
楽しそうに無邪気に日々を過ごしている周囲の人間を見るにつけ、それは問うてはいけない問いな気がしてならないのだ。

切々とリハビリの日を待ちわびる。そんな毎日に変わりはない。予約が入っている週になると、今週頑張ればリハビリにいけるんだからを心の支えにして、仕事を頑張る。

リハビリがご褒美的存在なんて、フツーはありえないよね


今週は特にしんどく、歩いていても足がほとんど上がらなくて地面に擦り付けるようにして歩いているのがわかるほどだった。週に2日も祝日があったというのに、ちっとも楽にならず、多少しんどくても自主リハを欠かさないほど、状態は悪かった。


せめて毎週リハビリに行けたら・・・

学生の頃は思いもしなかったことだ。


カウンセラーには、『障がいがあることを隠して採用されたんじゃなく、向こうもわかってて採ったわけでしょう。リハビリに毎週行ける様に配慮して欲しいという希望は言ってみてもいいんじゃないですか』と言われた。


確かにその通りだ。
教委には初めから「リハビリをしないと悪くなる」とは言ってある。

でも、いざとなるとなかなか言えない。日本はまだまだ立ち遅れている。


今も、また8月初旬のいつかのように背中が痛む。リハビリに行ったばかりなのに、である。。
悔しくて情けなくて、行き場のない感情だけが心に音も立てずに積もっていく。

PCにずっと向かっているのさえしんどくて、たったここまで書くのに休憩を挟んだ。


幼子のように地団駄を踏みたくなる。そうして何か変わるならいくらでも踏んでやるけれど、残念ながら現実はそう単純でない。

でも、この感情を置く場所を知りたい。



いつものように、着替えづらいカップ付きのタンクトップに着替え(着替えるのに2倍の時間が掛かってしまう。めんどくさい服だ)小走りで訓練室へと向かう。

Y先生も癒し系に変わりはないが、今やすっかり担当のN先生も癒し系だ。系統は違うけどねw


SBの『おとうさん』の話でひとしきり盛り上がりながら、リハビリをする。

この日は私の調子が良くないからなのか、それとも元々そんな予定だったのか、いつもより入念にたくさんのメニューをこなす。

しかし、N先生の様子がおかしい。

1セット終わるごとに、肩を回したり伸びをしたり、腰を叩いたり。 どうやら、彼女も今日は調子があまり良くないようなのだ。

小柄で、力も華奢な彼女だから、体の大きいクランケになったりするとかなり無理をしたりするのだろう。

いつもはそんなにしんどそうなところを見たことがないので、少し胸が痛んだ。

自分がしんどいのに、その体をおして、一生懸命やってくれるなんて



先生、私はそんな先生と釣り合うようなクランケじゃないよ?
日々ぶつかる困難に、今は弱音を吐いてばかりの情けない人間だよ。
仕事が忙しい、体がしんどいのを言い訳にして自主リハできてない落第者のクランケだよ。。

それなのに、そこまでしてくれてありがとう

土曜日は最終が15:30なので、自分の担当クランケが終わると、P.Tたちは自分の残っている仕事をこなし、室内の掃除をして帰っていく。

ひとり、またひとりと帰っても、N先生はしんどい体にムチを打ちながら、黙々と力を加える。

全部終わったのは、16:15だった。 室内にP.T.は2人しか残っていなかった。


私にはもったいないほどの先生だと思う



「現状を認めるって難しいですね」

『・・・からだの事?』

「はい。認めたらラクになるのはわかってるんやけど、なかなかできひんもんやねんなぁって」

『「認める」ことが良い事なんかどうか、わからへんけどね・・・』

「確かに認めてもたら、今以上は生まれないけど、ずっと抗い続けんのもしんどいじゃないですか」


この話がどう完結したのか、覚えていない。
先生はなんて返事したっけ・・・

先生は『25歳からは日々が闘いになる』と言った。
専門家の指摘は当たっていた、怖いほどに。。


25歳を待ちきれずに痛みが出てきてしまう結果になったのだから。

泣こうが、喚こうが、痛みは引かない。
どんなに嘆こうが現実は変わらない。


でも、思いっきり泣きたい、喚きたい。

いつも私は、理性的過ぎるのだ。きっと。。


また来週もリハビリだ。それを心の支えにして、今週もくじけそうになりながら、擦り切れそうになりながら頑張ろう。


A教授と再びぃ~出会ったーー(ウルルン風に読むのよっ笑)話はまた次回w

今日ほんまに背中痛いんで、もう寝ます

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CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw

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このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪ 

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