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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

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マスターに会いに

私の通う大学の、大学前通りには数々の学生向けの飲食店が立ち並ぶ。

その中で多いのがインドカレー専門のお店。ざっと駅までの道を通ってみても3件はある。



そしてもう一件。他の3件のあるその通りからは少し外れたところに隠れた名店がある


カウンターの席がわずかしかない小さな店内。ひとりのマスターが店を切り盛りしている。

メニューは僅かなドリンクと、チキンカレーのみ。


メニューは、

小盛
普通盛
中盛
大盛
特大盛


だけ。注文は量を言うだけでよいメインメニューがひとつだけなので大勢で行ったりするのには向かないが、ひとりで・・・や数人で・・・まったりするには最適だ


看板メニューがひとつだけ。小さな店内。マスターひとりで切り盛り。この辺から、味へのコダワリが窺える。
客は常連客や口コミを聞いた者がほとんどで、リピーターも多い。


 




これがそのチキンカレー。黄色いサフランライスが本格的だてっぺんに乗っているチキンは、スプーンを軽く入れるだけですーっと身がほぐれる。


そして肝心のカレーが、驚くほどおいしい


スパイスの具合が秘伝なのだそうで。グルメの間では有名なのか、マスターと店が紹介された新聞記事の切抜きなどが店に貼ってある。


ちなみにこれは「中盛」で¥800.


大学前の他の飲食店の物価に比べれば若干高いが、それくらいの価値はある。隠れ家的な名店だ。


隣の友達の「小盛」に比べれば2倍近くデカいけど、めぐさんはこれくらい食べなくっちゃ



卒業しても、時々無性に訪れたくなるような、そんな味・そんな店。
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3.3 part 2

月次報告を1枚書き忘れていて、明日塾に行くことになった。
潔く事務作業は1度で終わらせて去ったはずなのに、かっこわる~


さてさて、前回の続き

受験をサポートした中3のMくん。線の細い、眼の優しいかわいい子であったが、そういうところが気になるお年頃。。

ある日、「腹痛い・・・」というので、心配した私。以前、お腹が痛いのに我慢強いMくんは何事もない顔をして、授業を続けた。私が気づいたのは授業も終わりに差し掛かった頃で、その日はひどく反省したものだった。。


「ぃや、ただの筋肉痛やから」というMくん。「え、ナニ?鍛えてんの」と言うと、恥ずかしそうに俯き「うん」



このときは萌えました


ただ、中3といえばまだまだ成長期。それを妨げるくらいハードな筋トレはやめてほしい・・と思ったものだった。


彼は文法も順調に覚え、ゆっくりと、しかし確実に成績を伸ばしていったけれど、自分の成績より若干下の私立を専願で受け、合格した
中学を卒業すると、塾を辞めたが、今彼はどうしているだろうか。

筋トレの甲斐あってたくましい高校生になっているのか、それとも、まだあの優しい線を保っているだろうか。




Mくんと同時間に担当していた、当時中2のGさん。


とにかくよく寝る子だったな。冷めた子だったなという印象だ。以前、このブログにも書いた、燃え尽き症候群の子だ。


「お父さんはお給料のために仕事をしてんのはわかるけど、ちっとも楽しそうじゃない。家ではグチばっかり」と私に漏らしたこともある。


子どもは子どもの目で、大人を怖いほどよく見ているとはっとさせられた。



今思えば、少し厳しくしすぎたかなとも思う。成績が伸びなくて、授業中もよく寝るので焦っていた。自分が焦りすぎて良い指導ができていなかったと思う。振り返れば、いくらも私が聞いてやらねば、受け止めねばならないことがたくさんあった。

それを焦りを前にして、私は見落としていた。今の自分が過去の自分に会えたなら「お前の目は節穴か!!」と言ってやりたい。


当時私は彼女が頑なに男子を嫌うのは、年齢特有のものか、でなくても、あまり理由に踏み込むべきではないと思っていた。ブログを読んでもはっきりと書いてある。


しかし今、私は彼女と対峙すべきだったと思う。踏み込んで聞けばよかった。そうすれば、何か変わっていたかもしれない。


彼女は結局、無気力から脱しないまま、塾を去った。


苦かった。。



関西学院を目指していたSさん。最初はD判定だったのに、この子はイディオムが欠けてると気づいた私が、イディオムやターゲットの単語を週に何十個と覚えさせ始めたら、20点模試の点数が伸びた。



でも私が直接的に関与したのは、ここまでだと思う。それからの彼女は私がサポートしているのなど、小指の先でくらいしかなかったのに、ぐんっぐん伸びていき、一度目の入試で合格した。


今彼女とは、いい友人という間柄になっている。



 続く

3.3~Old soldiers never die, Just fade away~

なぜだろう。
今頃泣けてくる。



2月末付で、3年3ヶ月勤めた塾を退社した。

契約解約届に捺印をしても、どこか他人事で・・・
生徒に「今日で最後です」と告げても現実味はちっともなく・・・


それくらいピンと来ないことだった。週に何度かココに来ることが私の中ですっかり当たり前になってしまっていた。



3月に入って、塾に行った。私物の整理をしに。


生徒のいない時間にしようと思ったのに、思いがけずいく前に寄った百貨店で色々なものに目移りしてしまい(買ったのはお菓子だけだけれど)生徒が来てからになってしまった。


未記入の報告書を書き終え、通勤費の申請用紙を提出。




そして、毎回毎回使っていた名札と講師手帳を返した。


心のどこかの何かが剥がれたような気分。でも意外と冷静だった。引き出しに入れていた私物もすべてさらった。


空っぽになった引き出しは、思っていたより大きかった。

また別の誰かが、この引き出しを使うのだ。




非常に濃い3年間。大学生活で、学校以外に非常に大きな位置を占めていた。持った生徒を振り返る。振り返りながら無我夢中でSNSの日記を書いていたら、なぜか今頃泣けてきた。


一番初めに持った、KさんとTさん。

Kさんはボーイッシュで活発な子で、単語がなかなか覚えられなくて入塾時の定期テストの点数は35点。

Tさんはおとなしめのふんわりとした、でも芯は凛としたかわいい女の子で、同じくテストは悲惨だった。



私は2人に、まず学校の内容をしっかり理解させることが大事だと感じ、教科書内容の予習を塾でさせた。そして授業中はポイントだけを書けばいいようにして先生の説明を聞く時間を増やせるようにした。
その次の時間にはそこの復習をし、単語テストを行った。そして次の時間の予習。

塾から与えられたテキストは、他の生徒ほど多くは使わなかった。本人がどうしても理解できてなくて演習が必要なときと、テスト前にだけ使用した。


その頃の私はまだ英語も深く勉強していなくて、発音だって英語が苦手な人よりはうまい程度だったし、完全に落ちこぼれていた。私より偏差値が10も15も上の人ばかりに囲まれてふてくされていたのだった。


単語テストはスペルと意味を両方習得できるようにと、私が単語を読んで、その単語を書き取り意味も書く・・・という形式のものを実施していた。


私が「もっと勉強しよう」ってかせなと思うキッカケになったのはKさんのおかげだ。


テストで私がthinkと言ったら、Kさんは紙にsinkと書き取った。


間違っていたのは私のほう。thの発音をきちんとできていなかった。まだこの頃、thの発音を習得していなかったのだ。


sinkという単語を眺め、頭に岩が落ちたかのような衝撃を受けたものだった。

・・・・・これではあかん、と。



何はともあれ、Kさんはめきめき単語を覚え、文法を覚え、中学を卒業する頃、90点近い点数を取るようになっていた。「厳しい」と言われていた第一志望の高校にも見事に合格した。


Tさんは文系科目より、理系科目の方が得意で英語にいたってはなかなかのびなかった。間違えた単語を何十回と書かせるのを宿題にして少しは単語力も改善したけれど、同僚に「あの子は追い詰めてまうから、あんまり根ばっか詰めさせるのも・・・」と指摘され、ドキリとした。
この同僚、人の奥深くをいつも怖いほどよく見ている。


それからもなかなか成績は伸びなかったが、塾での学習態度はこちらが驚くほどいつも真剣。めちゃくちゃ集中していた。怠けているわけではないのに、成績を伸ばしてやれない自分に腹が立ったし、どうしたら理解してもらえるのだろうといつも頭を悩ませていた。

Mr.Smith works hard.を現在進行形に直せ、という問題で、Mr.Smithingと書いた彼女のセンスにウケるやら感心するやら・・・したこともあった。


そんな彼女も無事第一志望の高校に合格し、巣立っていった。

まだ覚えてくれているかな?
もう一度顔を見たかったな。



1:3という若干ハードな状況で臨んだ、Yさん・Hさん・Yさん。

中2だったYさんは、大人を信じられなくて、しばしば私に当り散らした。母親が成績第一主義で、しかも母子家庭で、仕事で忙しいせいもあってあまり構ってもらえなかったのだろう。その寂しさをどう表現していいかわからない・・・加えて、意地っ張りのその性格が災いして、なかなか素直に自分を表現できなかったようだ。


暴言を吐かれるのは当たり前。わからないというので、解説を作っていくと要らないと付き返された。テキストには油性マジックで落書きするし、テキストが使えないので控えのテキストをコピーしたのを渡すと、びりびりに破られた。


今ならそんな事、あんまり気にはしないけど、その頃の私にはその子の担当がストレスで、その子を見る日は胃薬が必要だった。

でもストレスであると同時に、その子の力になりたいという思いもすごく強かった。


私は判っている。反抗期なだけ。寂しいだけ。誰かに自分を見て欲しくて仕方ないのだ。


でも判っていても私は力になれなかった。


中3のYさんとHさんは、はじめ突如やってきた私にあまり好意的な態度ではなかったが、次第によく話をしてくれるようになり、高校に受かったときは「先生のおかげ」と言ってくれ、Hさんはホワイトボードにメッセージも残してくれていた。



B大学志望のIさんの指導には若干苦戦したが(私の不得意なテキストだったのだ。教えづらいテキストだった)
B大学でとどまっておくには些かもったいない成績だった。
Iさんは無事希望のB大学に合格した。


   続く

久しぶりの・・・★

この週末は、叔父夫婦と一緒に祖母の家に行ってきた

行動範囲が狭くなってしまった私に、祖母の様子を見に行くから一緒に行こうと行ってくれたのだ。
いつも一般道でしかいかないから知らなかったが、高速を使えば2時間で行けてしまった。


高速道路って素敵



久しぶりに行くと、祖母は笑顔で出迎えてくれた。


「もぅ~、あんた、ちょっとも来んもんよぉ~



祖母が文句を言うのも当たり前。何しろ1年半ぶり。



私の予想に反し、祖母の足腰はしゃんとしていた。歩く速度は昔よりゆっくりになったけれど、その足取りは年齢の割にはものすごくしっかりしている。
電話をする度に「最近足元ふらふらで、もう~かなわん」と悲愴な声で言うので、どんなに大変なのだろうと思っていたら、全然元気で安心した
「1分前のことも忘れる」というのは些か本当だったが、米寿ともなればありえることだろう。でも本人が「忘れる」という内容は取るに足らないものばかりで、就寝前の火の始末は絶対に忘れないし、自分の身の回りの世話はすべて自分でする。近所のスーパーや通院している病院にも道を間違えることなくきちんと行く。


みんな、「しっかりしている」と思うのだが、本人はつい「周りの同年代」より「昔の自分」と今の自分を比べてしまうのだ。
気持ちはわからんでもないけど・・・充分ピンピンしてるよ


叔父は「毎日が新鮮でいいじゃない」と励まし、「それ前に聞いたよ」とか「さっき言うたやん」という言葉は口に出さないようにしている。

出かけても、周りの人に「おばあちゃん・・・」と言われて手伝われることが、本人は歯がゆいらしい。家事を手伝ってくれるヘルパーさんも一度家に来たが、断ってしまったらしい。

そんな、せっかくの人の好意を・・・と言いたくもなるが、まだ断るだけ元気があると言うことでもあるのだろう。




笑顔で出迎えてくれた祖母だが、久しぶりの私の顔に見慣れたところで、小言と説教が始まった


「あんた、こんな履きにくそうな長い靴(ブーツ)履いて
「そんな薄っぺらい服着てたら体冷えるよ
「もっと食べてもっと肥えなあかんで


ここまではおばあちゃん特有の小言でもあるのだが・・・。


「あんたも学校の先生になるんやからな、そんな遊びに行くようなチャラチャラした格好で行ったらあかんねんで」


そら、学校行くときにこんな格好せんって。今日はおばあちゃん家に「遊びに」来てんやから・笑


そして電話するたび、会うたびに言う、


「無駄遣いせんと、はよ借金(奨学金)返しや


またか・・とうんざりする。祖母は「もう、わかったって」と怒鳴りつけたくなる程、この話をしつこくする。それは言った事を忘れているんじゃなく、確信的にだ。



数々の耳の痛いことは言われつつも、顔を見せることで祖母は喜んでくれるのだから、私の重みは軽くなる。
祖母の家になかなか行かない理由を祖母に言えるわけないから。



晩御飯はかにしゃぶ。年を取ると、良い物を少しだけ食べたいというおばあちゃん。特にカニは祖母の大好物

カニを食べるのは2年ぶりくらいで、私もテンションが上がる


カニだけでなく、豚肉、鶏肉も入っている。


野菜はすべて地場産だから、すごく新鮮だ。田舎のいいところは、朝採れた野菜がすぐにスーパーに並んでいるのに値段がすごく安いこと。
春キャベツ1玉100円とかザラだ


「カニさんん~いただきまぁ~す


満面の笑みで小鉢片手に鍋をつつく私に、叔母が「今日のカニ、冷凍よー」



何でもいい冷凍だろうが生だろうが、カニさんはカニさんだ



カニや豚や鶏のダシがいい感じに出たスープを雑炊にする。少しポン酢を落としたらコレがまた美味
遠慮なく食べまくりました




祖母や叔父夫婦と、春からの話を色々して、その夜は自分の実家へ急行一泊して今朝帰ってきた。





そうしたら夕方、祖母から電話があり、いきなり

「奨学金は毎月決められた額だけ返していれば、後は(繰上げ返済)余裕のあるときでいい」という趣旨のことを言い出した。これまでとは180度変わった言い方にフシギに思っていると、


「●●さん(私の叔母)にな、『あんまりそんなん言うてプレッシャー掛けたらあかん』って言われてよ。一言言っとこうと思って」



前々から『母親の鑑』だ、と思っていた叔母の好感度がまた一気にアップ


祖母とウチの母親の考えは似通っていて、それでその上偏っている。それを押し通されてばかりでは子どもはどんどん潰れてしまう。


従兄弟もアトピーを持っているのだが、それを祖母が「コーラとか炭酸飲料ばっかり飲むから」とか「お菓子ばっかり食べるから」とこぼすが、それを叔母は「本人には言うな」とサラっと祖母を制止している。


子どもが間違ったことをしているなら話は別だが、何か言われているときに子どもの肩を持つ・・・というのはいい母親だなぁと思う。従兄弟のアトピーだって決して食べ物のせいではない。

ウチの母親は祖母が世界の中心だから、祖母が何か批判し始めると一緒になって批判をし出す。



母より叔母が近くに住んでいてよかった、と思う。



何はともあれ、念願だった祖母を訪れるを達成することができた

新住みか探し♪

配属先が決まった




今住んでいるところから1時間余り(快速を利用しても)掛かる。。何となく想像はしていたけれど、「まさか」と思っていたところだった。今までよりぐんと実家に近くなったけれど、実家に近いと言うのは私にはあまりポイントではなかったりする。



今住んでいるところは、どこに行くにしても出やすい立地だったし、乗りなれた阪急電車にも愛着があったので阪急沿線から外れてしまうのは少し寂しい
でもリハビリは阪急が最寄り駅だから、春からも定期的に利用するんだけどね



まだ住むところは決めていないが、春からの勤務や研修先への利便性、加えて遊びに行くにも買い物に行くにも便利なのはJRなので、JR沿線とは考えているが、まだ引越し先も決めていないのでなんとも言えない。




初めはあまり配属先の市に乗り気ではなかった私だが、単純な私のそんな思いを払拭させたのは「物価の安さ」だった。
今住んでいるところは、富裕層と学生が混在するある種特殊な地域。学生のお財布事情に配慮してくれているのは大学近くの飲食店くらいのもので、ティッシュや洗剤といったものはよその地域より若干高い


地価も高く、6畳の1R、トイレ・バス別で6万近く、そこにオートロックなどつけば6万を軽く超える。




しかし、物件を探し始めてまず思ったのが地価が安い



6万出せば充実の設備に、部屋は最低9畳はあるしかも私好みのかわいい外観のマンションがたくさん




というわけですっかり引っ越す気満々になってしまった


浴室乾燥機能・・・大阪ガスで言うところの「カ●ック」は梅雨時期には大変重宝する




いくつか気になる物件はあるものの、その中で特に気になる物件が一件あり、実際に内覧して契約するまで他の人が押さえないのを祈るばかり



築浅で、外観はレンガ調のタイル張り。玄関のドアもここよりおしゃれだし、TVドアホンが付いていて、来訪者の顔などがわかるから知らぬ土地での1人暮らしも安心だ。


キッチンは小さいけれどシステムキッチンでカウンタータイプ。3畳あり、収納の多さがすごい。
ビルトインのガスコンロにはグリルも備え付けだ。この4年間焼き魚をフライパンで焼いていた者としてはグリル付きの部屋は念願

床やドアの色も、私好みのホワイトに近いナチュラルブラウン。部屋が明るく見えるのでこういう色合いが好きだ。私の好きなオレンジやピンクともよく合う
今の家はダークブラウンの色目なので、この差は嬉しい


一応間取りの上では他に部屋がないので1Rとなっているのだが、キッチンと一続きでLDKのような11畳の個室がある。クローゼットと物入れが両方ある。トイレもキレイだし、何よりお風呂場におまけのようについている洗面台ではなく、洗面化粧台が独立しているのは本当に嬉しい



本当に設備もインテリアも好みの物件。なんとしてでも住んでやる



そういう明日はその物件の最寄り駅まで偵察に行ってきます



一番の目的は新規採用オリテの会場を下見するためなのだが、一番住みたい地域が同じ最寄り駅なのでいろいろと住環境を見て来ようという狙い
最寄り駅はバリアフリーのための工事が現在進行形らしいので近い将来便利になるのはわかりきっているが、私が住み始めるのは3月の半ばから。そのときどういう状況か知らねばならない。


電車を乗り降りするのに恐怖を感じるほどの段差・隙間がないかどうか。
駅の改札周辺に移動を妨げる段差等はないか。

本当ならモノレールの駅のように段差や隙間がほとんどなく、電車の発着以外のときはアクリル板的なもので柵がされていて絶対線路に落ちない仕組みになっている電車(駅)が一番私は利用しやすい。でも、そんな駅は全体の1割あるかないかだろう。


この駅も含め、周辺の数駅も見ておきたいので普通電車でとことこ行く予定だ。
幸い晴れるらしいのでのんびり遊びに行くとでも思おう。



新天地の街はどんなところだろう。

てがみ

塾での授業もいよいよ最終週・・・。

1人1人に手紙をしたためた。1人に1通。私の思いを伝えるには収まりきらない小さな便箋に文字が埋まっていく。


中高時代は3日に1回手紙を書いていたくらい、手紙好きだった。今は忙しいのもあってあの頃よりはだいぶ書く機会は減ってしまったが、その頃に小遣いが許せば買いためていたレターセットはまだわんさかある。

今では「ちょっと子どもっぽいかな・・・」と使うのを少し躊躇うようなデザインの便箋でも、この世代の子どもらには打ってつけとは言え、男子にわんこ柄やハート柄の便箋で書くとおちょくっているみたいなので普通の無地の紙にメッセージを残そうと思うが・笑




私の受け持った生徒に限らず、子どもにはどんな子でも必ず良いところがある。どんなに手に負えない子でも良いところがないんじゃなく、その、つい目立ってしまう悪いところにいいところが隠されて見えないだけなのだと思う。

ちょうど、雨の日でどんなに空が暗くても太陽はないんじゃなく隠れているだけなのと同じように




私はそういう生徒の良いところを探すのが好きだった。どれほど厚い雲に覆われていようが、その中から一筋でも光を見つけたときは、「よっしゃ」と思う。


会話のキャッチボールがなかなか成り立たない小学生も、遅刻は絶対にせずに時間通りにやってくる。遅刻をしないというのは些細で当たり前なことだけど、その些細で当たり前なことを、私を含め大事にできていない人が多い気がする。そんな中、その子のそういうところは大事にしてほしい。


おしゃべりが始まると度々度を過ぎてしまうS&Mコンビ。某講師と揉め、年末にはお互いが喧嘩をしたあのコンビだ。
そのコンビにも1人ずつに手紙を書いた。残念ながらMさんはインフルエンザになり・・・(なんでこんな日に)今日渡せなかったけれど、Sさんに聞くと最終出勤日である金曜には塾に来るはずだから「先生が直接渡してあげて」と言う。彼女の勧めに従うことにして、渡せなかった手紙は私物入れの中に入れてある。


友達思いで、大人びた考えでしっかりしているSさん。たまに中1でそこまで考えなくていいよぉ・・・とこっちが思うくらいだ。そういうところを大いに認め、でもそうして頑張っていると無理をしすぎてしまうこともあるから、そのときは無理をしないでほしい。人間には年齢相応に振舞っていい時期が必ずある。


こちらも大人びた(というかマセた)Mさん。元彼の数は私と10歳違うというのに私の10倍くらい居そうだ。
マセたと言っても芯はしっかりしていて、ちょっと突っ張っていても絶対踏み外してはいけない一線を知っている。そういう賢い子だ。エンジンが掛かるまでにはすごく時間が掛かるし、そういう時はなだめてもすかしても「ふーん」と独特の鼻を鳴らしたような音を出すだけで何もしない。
でも一旦何かし始めたら、そこからの集中力がスゴイどうしたの?と思うくらいめっちゃ頑張る。

短期集中型。


いいところはいっぱいあるのに自己肯定感が低い。「やってもあかん」とか「できんでもいいもん」と言うのはしょっちゅう。

「どーせお前はぐちぐち言ってるばっかで」なんて挑発して、ハングリー精神で上がってくる子もいるけど、Mさんはそういうタイプじゃない。おそらく自分に対して悲観的なのは、半分本音・半分は大人を試しているのだ、きっと。
自分のいいところを大人が見ているかどうか。



そういう手紙に加えて今日はSさんに少し話をした。揉めた某講師とはSさんの方から歩み寄ってもいいのかもしれない、という話に始まった。
きっと問題を起こした先生も今は彼女らのことをそんなにしこりを持ってみているわけではないだろう。
ただ、わだかまりを残す前の状態に歩み寄るには、どんなに精神的に成熟した大人でさえしんどいものだ。何らかのキッカケが必要だと思う。そういうとき子どもの屈託のなさに救われるのであるが、その屈託のなさを出し切るには彼女らは複雑な年頃過ぎた


その話と絡めて、先生は生徒に勉強を教えるけど、生徒も先生と接する中で先生に何か与えて先生を成長させてるんだと伝えた。
私は本当に彼女らの担当をして良かったと思う。初めは「ぅっわ。ニガテなタイプ」と思った生徒たちではあったけど、接する機会が増えるにしたがって、なんだ、言動の全てが100%本音じゃない、と気づいた。

彼女らが大人に対して時々反抗的なのも、大人への甘えの一種なのかもと思う。反抗してもそっぽを向かれない(あるいは向かれても構わない)と思っていなければ反抗はなかなかできないものだし。


そのうちに「この子ら、やっぱりかわいいな」と思うまでにそう長い時間は掛からなかった。


授業はよく脱線するし、塾に喧嘩を持ち込むし、なかなかパワフルな子らだったけど、そういう彼女らと接してて私も楽しかったし、生徒指導をする経験も彼女らに貰うことができた。


年齢が私とさほど変わらない、年の離れた姉とよく話をするせいか、Sさんはそんな退屈な話もきちんと理解して聞いてくれた。




本当に今週が最後なんだなぁ。



最終週第1弾、月曜日。焦燥と共に過ぎた。

ラスト・イグザミネイション

去る17日。卒業論文の口頭試問があった。 
ウチの大学では卒論を提出した上で、この試問を受けなければ単位にはならない。おそらく代筆や盗作を防止するためだろう。


駅へ行くまでに学校の中をすり抜けるから、学校自体はほとんど毎日と言っていいほど目にしているが、学舎の中へ入るのはだいぶ久しぶり



控え室は語学科目を中心に行う棟で、試問自体は各教授の個研(個人研究室)でおこなわれる。



控え室に向かうと扉に『英語英文学専修 口頭試問 学生控え室』とPCで打ち出された張り紙が張ってある。
それだけで見慣れた教室が途端に装いを変えるから驚きだ。


しかし入ってみるとそこには猫の子ひとりおらずガラーン


にょ??


黒板にさらに二枚の紙が張ってあるのに気づいた。


主査:A、副主査:I   ●● △△(学生名)・・・・・・・・・・・・めぐさん

(尚、主査Aの口頭試問もIの研究室で行う)



とある。副主査がめぐさんの好きな教授NO2のI先生だったことでちょっとほっ


というのもこの日、ネイティヴのM先生が副主査で恐怖の15分間になる・・・・という悪夢で目が覚めたのだ
正夢にならずに済んで本当によかった予想していた展開でもある。A先生とI先生は研究分野も比較的似ていて、公私ともに本当に仲がいいらしい。

本来ならば、自分のゼミの教授の個研で試問なのだが、ここも予想通りの展開。それというのもA先生の個研は相当のカオスに支配されているらしい。ゼミ生でさえ、毎年1人、2人しかそのカオスを見ることはない。見せてはくれないのだ。先生に質問があって研究室を訪れても、院棟へ招かれたり、合研に招かれたりする。


研究棟の中に入り、I先生の研究室に向かう長い廊下を歩く。I先生の前には何人かのゼミ生が順番を待っていた。どうやら多少押しているようだった。
当たり前だが、口頭試問などを受けるのは皆これが初めて。院に進むのなら修論で口頭試問があるだろうけど、就職組はこれが最初で最後の口頭試問になる。2人ともよく知っている先生とは言えど、やはり緊張は隠せない
研究室前の廊下にはご丁寧に椅子と小さなストーブが置かれていた


研究室の中からは、しん、となったり時折笑い声が聞こえてきたり。和やからしいことはわかるけれど、何聞かれるんだろう・・・と皆気が気ではない。


大手メガバンクに就職が決まった子が数人。銀行の制服の話で盛り上がっていた。M銀行は制服があり、R銀行はかっちりしたものなら私服OKらしい銀行勤務、多いんだなぁ。他のゼミでも銀行に就職というのはよく聞く。
女子には銀行が人気らしい。定年まで続けられる仕事・・・というわけではないが、結婚や出産までにお金に関する知識も身につくし、給与面もまぁまぁなところが多い。



私の前に試問を受けた子が研究室から出てきて、私も椅子から立ち上がっていたら、先生自らドアを開けて迎えてくれた。そこに試問が終わった子らがまだ残っているのに先生が驚いている様子。どうしたと尋ねる先生に、

「廊下で1人だと心細いやろから話してたんです」というみんな。


Aゼミ優しすぎるじょ


中に入ると副主査のI先生と目が合った。優しい眼でにこーっと笑う

今日もマイナスイオン出まくりやわ、先生笑 にゃー

廊下にいるゼミ友達に「めぐさんをこれからいじめるから泣きながら出てきたら慰めてやってくれー」と飛ばしているA先生・笑




A先生が着席して、ニヤっと笑い、「さーぁ、いじめるぞハンカチはあるか?」とA先生らしい切り出し。


I先生が「ティッシュもあそこにあるからー」とティッシュの在り処を指差す。仲のよさが本当によくわかる。A先生のギャグに絶妙の返しをしている。


「この子ねぇ~『大学の近くに住んでます』っていうのにどのアパートか言わないんだぜ~」とお決まりのセリフをI先生に言う。「熱心に一番最後まで研究室にいたのになぁ・・・」

するとI先生が静かに「それ(アパートを言わない)が賢明だよ」と言い放ち、A先生は高笑い。



初めの7、8分、試問らしい真面目な雰囲気で内容についての質疑応答があった。

I先生の答えにくい質問&忠告、見解も飛びつつも、圧迫にはならずに終わり、後は世間話で終わった。


「リサーチも文献を綿密に調べられているしね、非常に良い論文になったと思いますよ」とA先生。
「こういうこと(論文内容)を現場で語れる同僚に会えればいいねぇ」と九州訛りの残る関西弁で話すI先生。

A先生が張りのあるテノールなら、I先生の声は地面に染み入る慈雨のようだ



口頭試問が無事に終わって、副主査がI先生だったので思い切って切り出した。


「先生、私の入試のときに面接官でいらっしゃいましたよね?」


きょとんとするI先生。


「AO入試の二次試験のときに」

「・・・・4年前かぁ。もうひとりはI子先生だったよな?」

「はい」

「じゃぁ間違いないわ」

「合格させて下さってありがとうございました本当に感謝してます。●●大来て人生変わったと思ってるんで」

「あの面接ではかなりいじめたんだけどなぁ~」と飄々と言うI先生。


うん、帰り道は落ちたかと思って泣きそうになったよ・笑


「もっう、英語(での面接もあった)もほんまにしどろもどろやったのに・・・・ほんまにありがとうございます




そのやりとりをじっと横で聞いてたA先生が、

「なんだ、俺に憧れて入ってきたんじゃないのか・笑   それは初耳だな~。別に心に秘めた男(笑)が居たワケやな」

「そうそう僕」・・・とそのジョークに飄々と応じるI先生。やっぱり仲がいい


「でもすっかりこっち(A先生)に洗脳されてしまったな」とI先生。


「いやでも入り口が肝心ですからー」とフォローするA先生


「入り口こっち(自分)で出口こっち(A先生)やなぁ、ははは」とI先生。


お互いを理解しあっているお二人のやりとりは聞いていて安心感があるし、見ていて微笑ましい。
そんなお二人の学生を見る眼差しは穏やかでやさしさに満ちている。時折厳しさも混じる。


そんな眼差しに4年間見守られていたのだった。


もう友達やA先生、I先生とも卒業式でしか会えないんだなぁ。謝恩会でA先生には会えるけれど、I先生に会うのは本当に卒業式だけだ。


寂しいなぁ


でもこのお二人の教授がこの大学に居なければ、今の私はない。


本当にA先生とI先生に出会えてよかったと思う。

ひだまりのなかを

春が来たかと思うほど、うららかな週末の午後

いとこの家に行って来た




玄関に入るなり、小走りな足音がしてやってきたのは、柴犬の「ムク」たん誰もいない家に家族が帰宅して嬉しいのか、はたまた私との久しぶりの再会が嬉しいのか、玄関ではしゃぎ回っている。


嬉しいときや興奮したときの彼女の癖(?)で立ち耳がぺたーんと寝てしまっている。


「むくたぁ~ん・・・・・とりあえず上がらして?笑」


玄関いっぱいに飛び跳ねているので入れなかったのだ・笑




改めて玄関から入ると、ムクは一歩先にリビングへ走っていく。私がリビングに入ると、もうおなかを見せて「かまって」のポーズ。



かわいいなぁ、もう



犬がおなかを見せるのは親愛や服従の意味を伴うと言うけど、彼女もそうなのかな。。


なんか貫禄が出てきたので年(9歳=人間で還暦くらい)のせいかと思いきや、なんかころころになっている。


「ムクたん、太りました?」と叔母に聞くと、案の定太ったらしい。原因は叔父がおやつを若干与えすぎるせいらしい。


カーペットの上にぺたーんとして、なんとも気持ちよさそうだ。猫だけじゃなくて犬もあったかいとこが好きなのねぇ
その隣に私も座った。なんかこう、隣に動物の気配があるっていい。座ってるだけで何か和む



叔母さんが紅茶とケーキを淹れてくれたので、わんこの隣を離れてダイニングに行くと、食べ物の気配を感じたのかついて来る・笑


テーブルの下で何か落ちてこないかと座って待っている



「何もあげへんもーーーーん」というと、こちらの言うことがわかるのか、鼻を鳴らして拗ねた・笑


一挙一動がかわいいやっぱいいなーわんこ(犬大好き)





それから叔父が帰るまで叔母さんと世間話ケーキ超うます誕生日にケーキを食べなかったので23になって初めてのケーキだ。


この日、従兄弟は1人は休日出勤で、もうひとりはバイト。



叔父も帰ってきて、話の本題に入ることに。これを言わなきゃ今日は帰れない。図々しくおやつと晩御飯を頂きにだけきたわけではない・笑



30歳までに手術をしろといわれたこと。足は徐々に悪化していること。
実家のお風呂に入れないこと。実家には母親に悪化を知られたくなくて帰りたくないこと。。。

自分でも驚くくらい、淡々と話ができたと思う。



「手術は(親に)言わんとするっちゅーのは無理やろぉ」と叔父。


・・・・やっぱしぃ??




「まぁ、少し距離を置いて付き合うしかないわな。なんかあいつ(私の母親)年を取るごとに考えが偏っていきよるからな・・・マトモに相手してたら、しんどいわ、そら」

「昔は頭も良くって数学もできて、ものすっごう論理的なこと得意やってんで。どこで間違ったんやか・・・」



普段、あまり顔を合わせることのない叔父でさえ、母の偏屈ぶりがわかっているのだからどれだけ偏屈なんだ・・・と思う。本当に価値観が一般から離れすぎている。



祖母の家にも電車の関係でしばらく行けてない・・・と言うと、


「俺らもそろそろまた様子見に行かな思とったから、お前も一緒に行こうや」と言ってくれ、来月叔父の車で一緒に祖母の家に行くことになった



晩御飯はすき焼きひとりでは絶対に買わない上等のお肉



「いっただきまぁーす・・・・・・・あんた(犬)にはあげへんんーーーーー笑」


叔母がお米屋にパートに行っているので、お米も良いものらしく、私のような味がよくわかってない奴が食べても「良い米だ」とわかる。
丼茶碗に入っていたにも関わらず、おかわり叔父は私の食べっぷりに呆れていた


従兄弟が帰ってきてから食べる分があるのかと若干心配しつつも、臨月の妊婦並みになるまでたらふく食べた私は満足満足



おなかもほっこり。事実を話せたことで幾分心も軽くなった



叔母は『話がある』というのはてっきり『教師になんかほんまはなりたくない』的なことだと思っていたようで、そうではないことにすごく安堵していた・笑



何年も前から是が非でもなりたかった教師になるんだもん。「嫌や」なんていうはずないやん



ほっこりもつかの間。明日は卒論の口頭試問きっといつものギャグ連発A先生・・・ではなくて、眼力鋭い英語学のA先生に豹変するだろう事はわかっているので、今からビビっている


副主査がネイティブのB先生である可能性も濃くなったので、にわかに緊張が色濃くなってきた
最近、英語を聴く機会は若干持っているものの、話す機会など皆無に等しいのだ・・・英語で何か問われてちゃんと・・しかも日常的な会話じゃなく専門用語飛び交う卒論を英語で言えるのか・・・怖ーい



がむばります!!!



口頭試問が終わったら、のんびり『余命』でも観にいこうかなと計画中





オルビスから出た新しいアイカラーを購入普段ピンク系のものは、グラデーションの色合いがなかなか好みでないものも多く、単色のものをいくつか買うことが多かったけれど、これは情報誌で一目見て「買おう」と思い立ち、リハビリに行ったついでにショップへ行ってGETしてきた

いつも春先から夏にかけてはグリーン系のカラーを愛用するけれど、今年はピンクが活躍する日も増えそう





最近観たい映画が『余命』



谷村志穂原作の同名小説の映画化。


主演は松雪泰子、椎名桔平。



映画化を知る前に、この小説を偶然見かけた。今まで谷村志穂という作家を知ってはいたものの、彼女の作品には一度も目を通したことさえなかった。


ガンの再発を自分の手で発見した、現役外科医の女性。彼女の夫は医大の同級生だが、彼は医者にならずフォトグラファーになる道を選んだ。
結婚して、10年目にして授かった1つの命。しかし、抗がん剤治療は胎児には悪影響を与える可能性がある。
治療をしなければ、もう何年も生きられない。


彼女は究極の選択を迫られる。


胎児の生命か。
自分の生命か。



悩んだ末、彼女はまだ見ぬわが子を産む決意をする。医学知識のある夫が、それを知れば子どもは諦めろと言うだろう。


だから彼女は決心した。出産までガンの再発を誰にも言わないことを。






初めは通勤電車の中で徐々に徐々にゆっくりと読み進めよう・・・と考えていたのに、一晩で読んでしまった。


ゆっくり読み進めようという読者の思いを、剥ぎ取る小説であった。話にぐいぐい引き込まれて行くのが読んでいてわかる。



病の進行に対する恐怖、小さな命が日々確実に自分の中で育つのを実感する喜び。打ち明けたいという思い。知られたくないという思い。


過不足のない、締まった表現で確実にそれらの心情が描かれ、読んでいて主人公の気持ちの動きが手に取るようにわかるのだ。


この作家の実力に初めて読んだ瞬間に脱帽した是非他の作品も読んでみたい。


映画化になると知り、キャストを見てまたビックリめっちゃ豪華な俳優陣特に椎名桔平は昔から好きな俳優のひとりだ。彼のような凛とした雰囲気の俳優さんが、優しさが底なしで、ちょっぴり情けない主人公の夫を、どのように表現するのか、観るのが楽しみだ






打ち明けたいが遠ざけたい・・・その思いは私も痛いほど、共感したところである。


CPの二次障害。それを知られるくらいなら、一生親には会いたくないとも思う。




バレンタインの日。悲しいながら特に用事もないので、叔父の家に行くことにした。


年末。あの一番自分のこころが不安定になった時期に、叔母から連絡が入っていた。私が帰省しないというので途方に暮れているというような相談を祖母宅にしたらしい。そのとき叔父一家も祖母の家に帰省していた。



いつもの私からはかけ離れ、泣き喚いている私のことを、叔母達は母らには告げなかったようで、叔父夫婦もあからさまにその理由を尋ねたりはしなかったものの、薄々すごぉく気になっているだろうことは私にも気が付いた。
そんな折だった。話があるから飯でも食いに来い、と言われたのは。

叔父らは、私が何故あの日あんなにも取り乱していたのかを知らない。適当にごまかしてもいいのかもしれない。「男にフラれた」と言ったって信じるだろう。



でも、ちょうどいい頃なのかな、と思う。いずれ手術も受けなければいけないといわれている。しかし、親は絶対手術をすることにOKなど出さないだろう。
でも私はそれで教師が続けられるのなら、それが最善だと思っている。

私がより良い私を保つのは、いつだって人のためだ。将来、私と関わる生徒に少しでも多くのことをしてやりたいと思うし、前にも言った様に少しでも活発で居たいのだ。学校の先生は元気でアクティブな方がいいに決まっている。


それに自分だっていつかは誰かの妻になり、誰かの母になりたい。


どこかに遊びに行って、「ごめん、お母さん車椅子だから、ここは行けない」・・・とか言う事態は、なるべく遅い方がいい。
運動会の親子競技にだって出たい。(「でてやりたい」じゃなく「でたい」笑)


自分ひとりで暮らすなら、車がありさえすれば問題なく日常生活は営めるだろう。しかし誰かと生きる以上は、誰かの心を少しでも満たしたいと思う。
だから少しでも長く、「歩ける私」を保持していたい。



親に内緒で手術をするにしろ、知らせてからするにしろ、理解者がいなくてはならない。


2日に1度は必ず電話をしてくる母に、長期間の入院が隠しとおせる訳もなく・・・。手術なんて知ったらどうなるかわからない。彼女は悪化していることから目をそらし、事実を見ようともしない。


闘うにはしっかり事実を知ることが大事だ。


逃げていては闘えない事を彼女は齢60にして、まだわかっていない。


そういう彼女だから、私は何も言えずどんなにつらいときでさえ、いつもどおりに振舞わなければならない。自分ひとり分の感情からさえ自分を支えるのが精一杯なのに、そこに彼女の弱さまで圧し掛かっては、私の心は持たない。今平常心で居る私がフシギなくらいだ。ちょっとした微妙なきっかけで私の心は年末のあの日のように簡単に綻んでしまう。

そして、親に会わないと決意したところで、その日が永久に来ないかといえばそれはわからない。私から会いに来ないのなら・・・と母はもう、私の引越しの手伝いをしに来る気満々らしい。
ここより広い部屋に住む、と引越しはウキウキなのに、まだ部屋を探してもいない段階から引越しのことを考えただけでテンションが上がらない



叔父たちに話す決意をした。


彼らは、母の妹(つまり私のもう一人の叔母)が乳がんになったとき、一番先に事実を知らされた。しかし、私の母にはいうな、と口止めしたのを今でも守り続けている。

叔母が乳がんを母に隠したのも、今の私と誓い理由からだ。目の前の現実を彼女には受け止められない。私だけでなく親戚からもそう思われている母。長女なのに・・・。。。



決意はしたのに、毅然と刻々と、事実だけを話す自信がない。


途中で取り乱したらどうしよう・・・


従兄弟らは話をしている間、席(というか家)を外してくれるよう話しているが、それでも不安ではある。
自分はきちんと言えるのか。




まるで医学書を読み上げるように淡々と。どんな話も毅然と。
親でもない彼らは、私が取り乱したりなどすればきっとうっとうしいだろう。



今は心の準備をしなければ。

凪 ①

「これ(このメンバー)も見納めかぁ・・・」


少し先を行く仲間たちを見ながらH先生が呟いた。


それを聞いたら、改めて寂しくなった。


4回生の多い今のバイト先は、まさに「第二団塊の世代」という感じ。一斉退職は数年前にもあったが、それに次ぐ勢いである。


もちろん、皆新たな門出を迎えるのだから喜ばしいことだ。でも門出の前には別れがある。。



私を含めた2名が公立中学校の教員、その他にも、テレビ局関連の会社、ANA、IBM、IT関連の会社。


こうして書き連ねてみると、皆いいところに就職が決まったのでは・・・と思う。


でも、教員になる私ともうひとりの先生以外、首都圏での勤務。もうあとひと月余りすれば皆関西から出て行ってしまう。そうなればなかなか全員が揃うのは難しい。




私が3年以上今の職場でシゴトを続けてこれたのは、もちろんこのシゴトが好きだったからだが、他にもうひとつ理由がある。



いくら子どもが好きだ。成長発達に携わりたいと言っていても、職場の人間関係が悪ければ長くは続かない。



そういう点で私は非常にそういう人間関係に恵まれていた。だから今までやってこれたのだと実感している。




「めぐさんはどこで働くとかわかんないの?」とH先生。いつもの凄みのある()絡みではなく穏やかな表情だった。

「まだわかんないんですけど、大阪のどっかです」と答えた。



「そうか。どこへでも行っちゃえ」その言葉とは裏腹にその声には温かみがあった。



H先生を含め、関西圏で勤務している数人の先生とは休みさえ合えばいつでも会う事ができるが、それでもやはり大学生活で大学以外のもっとも大きな位置を占めたのが塾でのバイトであっただけに、言いようのない思いが募る。。



帰宅して、軽く胃に食べ物を入れてから、生徒の担当引継ぎ書に少しずつ記入をした。これから時間を掛けて完成させることになると思うが、まずは生徒の名前と担当である私の名前。


こうしてみると、随分多くの生徒を受け持ってきたなぁと思う。
残念ながら担当期間が短かった生徒などは、顔は覚えていても名前を忘れてしまった・・・という子もいるにはいるが・・・・。。



一番初めに担当したのは当時中学1年生だった、KさんとTさん。


Kさんは今も私の愛弟子である。彼女も今や高校1年生。
いつの間にか私より頭1.5個分低かった身長も私とどっちが高いか・・・くらいになり、世の中を見る目つきもしっかりしてきた。
昔はショートカット専門だった髪はロングになり、服装の趣味は昔と変わらないものの、女性らしさがところどころから余すことなく滲み出るようになった。10代の輝きに満ちている彼女を見るのは眩しい。

最近は部活と勉強の両立が難しくなってきたようだ。不覚にもこの間の試験で赤点だったらしい彼女は充分に頑張った。これは私の落ち度でしかない。

バスケ部に所属する彼女だが、バスケ部の女の子・・・にしては筋肉量が少ない。腕や足に無駄な脂肪はなく、筋肉で引き締まっているが、筋肉が鍛えられているという風には感じられない。
元からあまりそういう体質ではなく、体重も増えにくいらしい。

そんな彼女が、走り回ることの多いハードな部活を終えた頃には、疲れ果ててしまうようだ。予復習も疲れ果ててできないことが多いとのこと。




だからと言って、今の彼女に「部活をやめろ」というのは余りに酷だ。彼女にとってバスケは学校生活の大部分を占めているに違いないからだ。
万一、この先、バスケを取るか成績を取るかという判断を迫られたとき、決めるのは彼女自身。


そうならないようにサポートしてやりたいが、もう時間は少ない。



彼女は無邪気に2年からのことや3月の話をする。その度に私の胸には複雑な思いがよぎる。



ごめんね。先生はもうその頃貴女をサポートしてあげられない。



彼女には、少し早めにいつ辞めるのかを告げ、手紙を渡そうと思う。でもまだあと少し、今はまだ時期尚早。



続く
 

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