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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

カテゴリー「Said to myself(*´∀`艸)゚*。 」の記事一覧

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号泣のあと・・・


いや、号泣ってほどでもないねんけど


久々に泣いた気がする。。


第一次すらんぷ。。勉強のはかどらなさより、精神面でのダメージが大きい。。



中学校カウンセラーとの電話。インスタントな包容力と傾聴。電話を切ると同時に忘れていた現実が舞い戻ってくる。結局話を聞いてもらっても、その分倍になった空虚感と寂しさ。。なんでなんだろう。。


結局、私は根底のところで誰とも分かり合えないのかもしれない。


支えてくれる人はたくさんいるのに、何故私はこんなに孤独なのだろう?



心配してはいるが、私を気遣い、何も言わない父。

心配しているが故、私の意思に反する事ばかり言う母。

心配しているから、口うるさく言いたい事を言って終わる祖母。



そのすべてが重い。   一体私はどうしてほしいんだ、彼らに。。それさえわからなくなっている。



前にインスタントな愛情は本物ではない、と言ったけど、インスタントの包容力もまた、本物ではない。


ある種この2つの「インスタントもの」はよく似ているのかもしれない。


夢から醒めて、こんなに寂しいのなら、私はこのどちらも要らないなと思った。



周りの人の存在が、迷惑にしかなってないなんて、なんて奴なんだろう私。。



教職の友達。自分たちが教職の道に迷いなく向かっていけるということは、こんなにも幸せなことだと、どこまで判っているだろう。
私も就活を辞めて、教職1本に絞ったときまで、本当のありがたさに気付かなかったけど。。




夢を追えるのは、贅沢なことだ。
勿論そこには苦労も伴うんだけど。


でも事情があって夢を諦めることから生まれる苦労より、夢を追うことで得る苦労の方がずっと幸せで贅沢だ。


その「贅沢」を享受できたのだから、そこに掛かる苦労はしてやろうじゃないか。


・・・この文章はこの後、詩になりましたww詳しくは詩ブログ参照





ミッキーさんと晴れて教育実習事前・事後指導の講義が同じクラスわけになりました。自分の苗字にこれほど感謝したことは人生で初めてかもその姿(そしてあの前髪ww)を発見したときには、心の中でがっつぽーず



っっっっっっしゃぁぁぁぁぁぁぁあぁっっ


彼がおそらく教育法規をほとんど覚えきっているだろうことは今日の講義で明らかになったけど、、で、焦るけど、、でも自分は今自分が夢を追ってることが幸せだと気付いたから、それがたとえ人より遅くても、必要以上に卑屈にならない。


もうこれで、何のわだかまりもなく向き合える(ほとんど私の中の問題やけど)


待ってろ、ミッキーさん。今に貴方に「こいつはすごい奴や」と思わせてみせる。


そして今日も優しい笑顔をありがとう。今日はうまく笑えなかったけど、次は貴方に最高の笑顔を向けてみせる。



お互い頑張ろう。・・・・・って本人にいえたらなぁ(ちきん。。・・・こけこけこけ・・。。こけこ。。)←しかもまともに鳴けすらしないチキン。。笑


こけここ。。ちきんはちきんなりに頑張るじょ!!とりあえず今度は今日より近く(できればナナメ後ろくらい)に座って、話そう。


ネタはあるじゃん、戦友なんだから。


今日私はしょぼいけど、決して壊れない武器を手に入れた。
それで最後まで闘う。。君も一緒に勝利を掴もう。
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Suddenly I See

昨日は大学の卒業式だった泪雨になってしまったのが残念。。


私も1年後には、袴を着る(ささやかなユメ)


私もここに居られるのは、あと1年かぁ。時の流れは速い。4年なんて、たぶんあっと言う間だ。


今年度の履修登録を開始した。


画面に出る「来学期卒業見込」の文字と「取得予定資格:中高1種免・英語」の文字。純粋に嬉しいけど、人生の目標を2つ、叶えてしまうという僅かなさみしさもある。


このまま行けば週休5日制(笑)になりそうなので、授業のない日は教採の勉強に専念する。学校が始まったら始まったで色々忙しいやろけど、でも学校がある方がいい。図書館が22時まで開いてるし。どうも自宅では雑念が入ってしまって、なかなか集中できないし
あとはもう履修してしまったA先生の講義に潜り込んだりもしようかななかなか何回聞いても奥深いし2回のときは忙しすぎて、授業中一番前の席で堂々とうとうとしてたからなぁ・・・それでもよくA先生に見捨てられなかったもんやゎ・笑 でも今年はゼミ以外にも去年取れなかったA先生の英語学研究Ⅰも取るから、なかなか濃い時間割ゃ。。。笑   


あとはずっと受けたかったT先生の英語科教育法ⅢとⅣを履修することにしたⅠとⅡは免許取得に必修なのでクラスは指定されるけど、ⅢとⅣは好きなクラスが選べる。


が、問題が1つ。応援のS教室の授業に、時間的に間に合わない。


他の時間or曜日にできないかチーフに相談しよう。T先生の授業は譲れない高いお金を払って通うんだから、取りたい授業は全部取っておきたい


般教をあと1科目取らなければ、いくら単位を取っても卒業できないので、保険として3科目履修しておいた。前期で単位が取れてしまえば、後期の履修変更で消してしまえばいいし。


うまく行けば4年間で141単位。卒業所要単位は124単位やから、取りすぎ??





教採1本で行くと決めてから、人のあたたかさ、支えてくれる人の多さに気付く。私にはこんなにも理解者が居たことに今まで本当の意味で気付いていなかった・・・なんてもったいない


進むべき道を決めた清々しさと、影のような焦りが同居している。


でも根拠のない自信がある。「私なら大丈夫だ」と


勿論試験は狭き門だし、受かるという保証はない。私も「絶対合格できる」と断言はできない。でも結果がどうあれ、自分に恥じないくらい精一杯頑張れると確信している。そういう意味での大丈夫


そうしてその頑張りは、また違う自信へと繋がっていくのだろう。今私は信じられないくらい前向きだ。



最近特に思う。人間は自分で人生を選び取ったつもりでも、常に見えない大きな力に導かれて生きているのではないかと。すべての出来事に無駄がないのだ。


高校の時、留年が決まった時はこの世のどん底を見たと思った。年下の子に囲まれて学校に居ることが苦痛で仕方なかった。でもすぐ、1歳くらいの差なんてたいしたことないと思うようになった。大学に入れば特にそうだ。2浪している人だってざらにいる。
きっと留年していなければ、欠席によって生まれる勉強の穴を埋められないまま、どこか偏差値の低い大学に進学していただろう。勿論、そうだったらそうだったで、そこでのかけがえのない出会いがあったかもしれない。

でも、今の大学はかけがえのないものをくれた。学校が楽しいところだということを教えてくれ、恩師と言えるべき教授に出逢い、良い友達・ゼミ仲間に恵まれた。


到底受かる筈がないといわれていた大学に、どうしようもない私が拾われ、そこで人生を開花させ始めた。そして、定員オーバーしていたゼミに、落っことされることなく拾われた。笑 

そのおかげで今、めちゃくちゃ素晴らしいときを刻んでいる。それは奇跡と呼ぶに値する。


先生のゼミに入ることがなければ、顔も名前も知る事なく過ぎた仲間に、もう5人も出逢った。


すべての岐路はやがて良い方向へと向かう。そのことをはっきりと確信した。だから教採だけを見て頑張るという、今回の決断もいつかやがて、花となる。それがどのような形でか今はわからないけれど、だからこそ人生は楽しい
結果に保証がなくとも、すべての物事はやがて光の射す方向へ向かっていく。そのことを知ったから私は絶対頑張れる


今までは二次障がいのことも苦にするしかなかった。今でも失っていくものに対する不安や恐怖、苛立ちは消えない。でも、そんな私だから、教壇に立てば、真の人権教育ができるという自負もあるのは事実。


逆境はネタに変える。困難は武器にする。どんな負の物事にもそれを最大の光にできる可能性がある。


I'm physically challenged,but which is my weapon。


文法あってるかな


卒論と教採の両立は大変やろうけど、教採が終わっても3ヶ月あるし、何より先生は「必ず書ける」とおっしゃった。気休めは決して言わない先生だから、それを糧にして頑張ろう。


今また一回り、壁を超えたと確信できる。


大丈夫。私なら大丈夫。待ってろ、光を掴みに行く



I'm sure that everything is gonna be alright



そんな今日のBGM:Suddenly I See  byKT Tunstall 
ご存知、映画「プラダを着た悪魔」の主題歌です。めぐさんのカラオケの定番ソングでもあります



Suddenly I see  
This is what I wanna be


突然わかったの。これが私のなりたいものだって。


まさにその心境。

言の葉にのせて



今日はS教室のバイトの後、友達とゴハンに行ってきた


家には肉じゃがにあったかいご飯と食べるものは揃ってたんだけど、どうしても一人でご飯を食べる気にはならなかったし、友達を家に呼べるほど掃除も行き届いていなかった


街には春服が溢れていて、購買欲に拍車が掛かる。  



春はものいり やうやう寒くなりゆくふところ・・・・・なんてね



私の今春のコンセプトは「花」花柄のものについ目が行ってしまう。あとワンピとか今までは目もくれなかったような、女の子アイテムに惹かれる。。春って不思議




この休みは激欝もいいところで・・・・・。。例によって病んでいた。年齢によってある程度二次障がいが進むのは仕方のないことやけど、お風呂掃除をしていて浴槽を自力で跨ぐことが出来なかった。



今度からは引越し先のマンションも色々考えないといけないな。。



ウチのマンションはトイレ・バスセパレートの部屋だけれど、洗面台だけお風呂に一緒にくっついてついている。おかげで、それに掴まって何とか浴槽の出入りが出来たのだが、それでも「何とか」だった。でもまだお風呂に何とか入れるだけでもありがたい



元々洗面台なんてのは顔や歯を洗ったり、身だしなみを整えるためにあるもので体重を支えるためのものではないから、長期に亘って手すり代わりに使うのは良くないだろう。


バリアフリーのマンションとか家賃高いんだろうなぁ


実家のお風呂には高校生の半ばから入ってないが(浴槽に入ってないって意味ね)夏はよくても真冬ともなるとシャワーも弱い実家では充分に温まることができなくて非常に辛い。肉体的にも精神的にも堪える。


でも引っ越してほしいなんて言おうとすれば、お金も掛かるし、第一理由を説明しなければならない。

自分の家の風呂にも満足に入れなくなった娘を彼らはどう思うだろうか。




段々制約が増えていく日常生活。かわいさよりも利便性を求めた靴を買うようになり、初めて行く場所には期待よりも不安が付き纏う様になり、風をきって走るという能力も失った。

今でも走ろうと思えば走れるけれど、靴の消耗も早くなるし、早歩きしているのとほとんど変わらない。


信号が点滅していたら、急がず待つようになった。電車の駆け込み乗車もしなくなった。




何気なくしていたこと。例えば変わりそうな信号を急いで渡ったり、閉まろうとする電車に飛び乗ったり、エスカレーターに乗ったり、どこのホームでも気にせず乗り降りしたり・・・。。



それらはこんなにも尊いものだったのだ。



気持ちでは「こうしたい」「ああしたい」というイメージが駆け巡る。しかし、それに自分の体がまったくついていかないことへの悔しさ、葛藤、苛立ち。


このままどんどんひどくなって好きな場所へ好きなときに自分ひとりで行けなくなったら・・・という不安。


ひとりでいると、こんな事ばかり考えてしまうから嫌になる。



それに加え、就活・卒論・教採と他にも難題は山積みで、パンクしそうだ。



今日も朝から微熱っぽかったので、大事を取って午前中は寝ていたんだけれど、その間に度重なる祖母からの電話。

しんどかったし、出ずにいたら、何度も何度も掛かってくる。バイトもあったからアラームかけてたし、電源切るわけにも行かず、ストレスを感じつつも我慢して寝ていた。


午後になって、かけ直してみたら「いてるんなら出なー。心配したよぉ」とまるでこの世が終わるかのような声。


最近年のせいか祖母も母に似て心配性になった。


心配してくれるのはありがたいことだと判っている。でも過剰に心配されても正直負担なのだ。


私だって、いつもしっかり出来るわけじゃない。がんばれないときだってあるんだよ。でもそれを貴女達は受け止めてはくれないでしょう?だったらそっとしておいて・・・せめて。


貴女達を心配させまいと過剰にがんばれば、元気に振舞えば、その度にまた心が窮屈になっていく。間違った情報しか周囲には行かないから、事ある事に「甘えている」と非難される。



ぬるま湯に浸かっているのはどっち?物事の本質を見えない者が多すぎて私はまた本音を隠す。



周りの大人に期待をする事はもうとうの昔にやめた。受け止める力がないならお節介はやかないで。


「包帯を巻く気のない者が、傷に触れてはならない」   マザーテレサの言葉。


ひとつの身体能力を失うたびに、自分の価値が下がっていくような気がしてならない。そしてそれが怖い。勿論頭ではそんな事ないってちゃんとわかっている。でも考えてしまう。


幼い頃の私は、希望の塊だった。昨日歩けなかったのが訓練で歩けるようになり、自転車も他人よりは遅いが補助輪ナシで乗れるようになり、マットの前転・開脚前転が出来るようになり、鉄棒で前周りができるようになり、飛べなかった縄跳びも前とび・後ろとび・あやとびができるようになり、水泳も浮けるようになり、泳げるようになり、そしてその距離が伸びていき・・・・。。そしてその度に周囲(学校の先生とか)は自分の事のように喜んでくれて、それが当時の私の生きがいでもあった。


そして、そこに自分の価値を見出していたからだと思う。だから今、それがひとつひとつ崩れていくことにたまらなく不安を感じるんだろう。この何ともいえない不安感・絶望感、解放する術が早く見出せればいいな。


しかし、この休みは悪い事ばかりでもなかった。


今までミク●イにはCPに関することとか、自分の心の闇的な部分は努めて書かないようにしていた。SNSという性質上、書くべきでないと思っていたから。最近ほとんど更新していないのだって、書くべき話題がないのだ。楽しいことばかりで埋め尽くしてはあまりにも空虚で、そうでなければ重いことしかない。何だ、私の毎日ってそしてSNSは難しい



今回思い切って書いてみた。何もなかったかのような顔をして、皆に会う自信が無かったからだ。
普段どおりに振舞えないのならさらけ出す方が良いと思った。



・・・・でも。



さらけ出すのって勇気がいるのよね。何度も何度も書いたり消したりを繰り返したりしながら遂に載せてしまった。、


そう、「載せてしまった」がホンネ突然の事故的な勢いで載せなければ、あんなド重たい日記更新できるわけないじゃん



でも、がむしゃらに投げたボールをしっかりと受けてくれる人もいるものだ



たったひとり、コメントを残した人物がいた。同じゼミの子だ。


同じゼミになったという偶然で、交流がスタートしたのだけれど、当然専攻も同じだから同じ授業を取ることもあれば顔だって合わすんだけど、今まで一っ言も喋ったことがないのだ。



まだゼミの顔合わせすらしていない現段階で彼との交流はネットのみ。しかし、彼の書く文章や生み出される言葉には何か深いものがあり、一般人が捉えない独自の観点から見ていたり、覗いてみるとすごく深かったりする。よく言えば天才肌なんだけど、そこに共感できない人からすれば「変わってる」と思われがちなタイプ。
まぁでも私もそんなとこは十二分にあるから、似たもの同士なのかも現に交流が浅いにも関わらず人見知りな私が深く考えずに普通に話す感覚でコメント返信してるなんて事も初めてやし。


最近思う。Aゼミのメンバー・・・つまりA先生を慕う者たちは一見ばらばらな性格の持ち主で、実際そうだけれど、なにか一点似通った点があって、それがA先生を慕う理由でもあり、似た者が引き寄せられるのではないかと・・・。Aゼミの選考から洩れた子は、明らかに持っている空気がゼミのほかのメンバーと違ったのだ。



今まで色んな事を自分の中に抱え込んでしまうタイプであることを良いことだと捉えられる事は少なかった。

「学生のうちはもっと気楽でいいってー」
「そんなに何でもかんでも自分でしようとしてると周りが窮屈」
「寂しい」


でも、そのゼミの子は、否定的に捉えることなく「素晴らしい能力だ」と言ってくれた。自分が持っている性質を肯定されることは純粋に嬉しい。これでも良いのだと思える。



何より、普段顔や姿を見るだけで、お互い顔と名前は知っていてもすれ違うことしかなかった彼がよく人を洞察していることに驚いた。

同類の者を見つけて嬉しい反面、ちょっと悔しい。だって生み出される言葉(詩とか)がめっちゃ洗練されていて、研ぎ澄まされているから。


良き理解者、そしてライバルになりそうだ。




うたかた

久々にオールしましためっちゃ楽しかった


うっかり飲みにいくと口をすべらせてしまった私は、母に散々「遅くならんようにしいや」と言われ、適当に流しつつ、「オールはしないから」なんて言ってたんでありますが、見事に嘘になりましたでも一人暮らしやしバレなぁーぃうししし(悪っ)ま、当の母はきっと「オール」の意味さえよくわかってないと思うけど。。


さてさて、しばらく更新をさぼりんこしていましたが、まぁまぁネタがなかったのと病みです。。


今日も出がけに、母に「JRの事務(多分みどりの窓口の人)は障害のある人も働いてたから受けてみなさいよー」なんて電話が掛かってきて、ヒステリックに反抗するのも適当に流すのも、どちらも面倒で何も言わずに切ってやった。卑怯だとは思うけど、母の方が数倍同じ事をしているのだ。文句は言えまい。


からだのどこかに障がいがあると、男性であるとか女性であるとか、背が高い・低いとか、太っている・痩せているとか、そんな諸々のカテゴリはすべて抜きにして、「障がいがある」というカテゴリに入れられる。

でもある程度は仕方のない事だろうと割り切ってもいる。私もそこまで世の人に高望みはしない。昔に比べ差別が少なくなっただけ住みやすい世の中になったのだろうなとも思うし。


・・・・でも。。


それが自分の母親だと何故かやりきれない。中学のとき、友達が「おばちゃんは口ではめぐさんの足のことを気にするなって言ってるけど、おばちゃんが一番気にしてる気がする」と言った。


認めたくはないが、そうだと言わざるをえない。


「英語が好き」とか「教えることに情熱を感じる」とかいう、私の様々な個性を無視して、「障がい者だから、障がい者のいる職場を受けろ」的な意見は私をたいへん傷つける。


前例がなければ、働いてはいけないのか?前例がないなら、私が最初の例になればいい。



外大に通う先生が院に行こうかなっていう話をしていて、「いいな」と思ってしまった自分に自己嫌悪私は働いて行くの。そう決めているんだから羨んだり、卑屈になっていては先が思いやられる。
それくらい跳ね返せるくらいでないと。


英語を勉強しようと思えば、結構お金が掛かる。留学とかもしたほうがいい事はいいし。


でもお金のない者は、豊かな者よりも何倍の地道な努力が必要。それをする気合いや根性、意思がなければ勉強をする資格なんか与えられないんだろう。頑張らないとな。


その外大の先生は、留学費用の半分を自分のバイトで貯めたらしく頭が下がる。






最初はぜんっぜん何を言ってるかわからなかったCNNニュースも最近はだいぶ内容を把握できるようになった完訳をしろと言われればまだまだ難しいけど、どんなニュースなのか、事件の概要はほとんど摑める。これも成長の証かなBBCニュースは聞き取りにくくてあまり聞かないけど、また聴いてみよイギリス英語、ほんまに解りづらいでも英語の変種(Variety)にも興味があるから、色々聴きたいNZの英語とかも興味深いな。



久々の飲み会はすごい人数で、なかなか濃くてコアな会になった

二次会で、とある女性講師の服装について「あれはどうなん?」的な話になって、同じ気持ちを皆が抱いていたことに少しホッとした。別にその先生の服装云々を責めるわけではない。個人の嗜好の問題だし。しかし、働く場が塾となると事態はちょっぴりややこしくなる。 教育に携わる仕事をたとえバイトであってもしているということ、相手は大人に憧れやすい年頃の子達である事も考えるとやっぱりそれなり以上の自覚は必要だろうなと思う。
確かに着替えるのは面倒くさいし、自分の好きな服のテイストがかけ離れていたら服飾費にも余計に掛かっちゃうっていうのもあるけど、私は逆にそれを楽しむ
私の服装も彼女の趣味とはかけ離れているものの、塾にそのまま行くには不向きででも、きれい目の恰好するとやっぱ気分も変わるし「仕事や」って気合も入る。その分休みやオフの日にどんな恰好しようかなって考えるのも楽しい彼女もそういう楽しさに気付けばいいのに指導力も申し分ないし、生徒の心もうまくつかめているから「塾講師」っていうプロ意識をもっと今より高めればもっともっと素晴らしい先生になるはず



なんかもう久々に書き出したら止まらんからまた後で書きますとりあえず夕方から仕事やし、寝る

Sense of Value


生徒たちのがんばりに触発されて、TOEICを申し込んだ受験料約6700円と参考書2冊で5500円自己投資とはいえ、ちょいイタぃ。おまけにケータイの電池パックがもうバッテリー切れでモードをすれば30秒でピピピピ、通話も1分でピピピピ今はもう家にいる時はほぼ充電器に差しっ放しで、ケータイなのに携帯できないっていうヒサンな状態早く買い替えなきゃ、電池パックが膨張し始めた思い切って機種変するか電池だけを買い足すか、迷いどころ。。とりあえずオークションで安く手に入りそうなら、GETして無理そうなら電池だけ替えよう

機種変するにしても、今の905iシリーズ高すぎ前は高くても3万以内であったのに、最近替えた友達は分割払いらしい。。



今日はバイト後に同僚とちょこっと飲みに


身体はアルコールの影響を程よく残しているのに、頭は醒め切っている。

今回はよく話す数人の同僚とだけだったので、水入らずww   でもH先生の隣に座ったら、裸眼びーむが飛んできて、もろに攻撃くらいました飲んでたジントニックむせたし


ほんまに今の教室に配属にならなければ、この仲間たちとも会うことがなかったんだなぁって思うと、人と人との出逢いって、ひとつひとつがスゴク尊くて、素晴らしいと実感する。


ほんの1時間ほどの宴だったけれど、笑ったなぁ「メタファー(隠喩のこと)」なんてコアな単語も飛び交ってるし

H先生が皆がその単語を知っていて笑えるってすごいことだよね、っていってたけど、確かにそうかも私も自分の専攻の関係上、習ったことがあったから知ってたんであって、もし自分が英語学なんてやってなかったら知らんかったやろし。


でも居酒屋がJTの冷食を使っているので、枝豆とか一部のメニューが出せないらしくこれには驚いた。身近なところにも影響が。。中国ギョウザ恐るべし


今日は私の荷物を見たH先生が持とうかと言ってくれたんやけど、断った。そんなに重い物でもなかったっていうのもあるんやけど帰り際、「『持とうか』って言って『いいよ』って言われると、結構寂しいから覚えといてね」って言われて、その言葉が突き刺さった。


かつて同じようなことをしたことがあった。しかも今日の先生のような仲間や同僚の類じゃなく、そのとき一番大事な人だった。前にも書いたメールの人なんやけどね


そのときの荷物は今日の比ではなく、オープンキャンパスの帰りだったから大学の資料やら無料でもらった赤本やら願書やらでカバンははちきれそうで、そのとき私は度重なる彼の申し出を「大丈夫」と断り続けた。
そのことをありありと思い出し、「あの時彼も寂しかったんだろうか」と考えずにいられなかった。


私の中では、自分で出来ることはすべて自分でしなければという思いが常にあり、できるのに人に頼っていては社会に出て何かを乗り切れないという考えが随分前から根付いていた。幼い頃から困っていても誰も助けてくれない事がよくあったからかもしれない。幼稚園の頃は保育士さんに叱られるくらい泣き虫だったのに小学校に入ってしばらくしたら何かあっても泣かなくなった。


何でも自分で解決することが美徳だと思っていた。「しっかりしてて偉いね」が私の支えだった。今は前よりがんばらないことを覚えたから、必ずしもほしい言葉ではなくなったけれど。

最近親からも、「ちっとも頼られないのは親として寂しい」と言われた。。うーーん私って周りの人間に寂しい思いをさせてしまってるんだろうか。。


私も抜けているところは多々あるんだけどな~
でもH先生みたいに忠告してくれる人間がいるというのは有難い事である


今日の教訓: 男性に荷物を持つと言われたら断るべからず・笑



話は変わって、最近腹回りがヤバぃカロリーの高い食品をつい求めてしまう。就活がやっぱりストレスになってしまってるんかなあ・・・でも皆そうやけどね
摂生しなければリアルにウエストが


今日は待ちに待った「鍋フェス08」  でも07はなかったのよついでに泊まりデス語り明かそう~学内セミナーに出た後に一旦帰って着替えていかなければならないので、なかなか過密スケジュール

教職仲間にも久々に飲みに声を掛け、この春休みはなかなか予定で詰まったものになりそうですミッキーさんとも遊びにいきたいなぁ脳内デートならいつでもできるんだけどな・笑  現実にしなきゃ意味ないし


今日のBGM2曲


宇多田ヒカル        「Stay Gold」

                

               「Heart Station」

しあわせはいつもじぶんのこころがきめる


いわずと知れた相田みつをさんの書(詩)のひとつ


http://www.mitsuo.co.jp/museum/profile/collection.htmlより。




最近この言葉を噛み締めることが多くなった。



何が幸せかなんて、人によって違うのに人はよく一律にしたがる。



友達に、自分が充実していることをひけらかしては、「充実している」と再認識する。往々にして皆にある事だけれど、最近私も多くなったのではないかと感じる。愚かなことだ。


様々な面で恵まれている友達を見ては羨望が過ぎるけれど、大抵それは経済的な豊かさが中心で、私はそんな彼らとは違う面で、恵まれていると言いたくてたまらなくなる。そうしてまた、聞いた人が羨望を感じるかもしれなくてもだ・・・。


自分が充実していること、しあわせだと思うこと、すべて自分が判っていればいいだけなのにね。

まだまだ小さい人間だと思います。

・・・つづきはこちら

杞憂

「自分の好きな事をしようとすると、親を捨てる覚悟でないとあかん」

 

以前、友達が言っていたことば。
そのとき、私はこの言葉に共感できなかった。別にそこまで大袈裟じゃなくても・・・と思っていた。


「私は私の人生なのだから、他人に迷惑を掛けない限り自分の好きな事をする」


これが私の持論で、穏やかでぽわぽわしているように見えて、結構奥深くのところで持ってる意見なんかは譲らなかったりする。案外頑固な奴だ、私って。
「英語学なんて就職に直結するものでもない(確かにそうだ)からあんまり勧められない」と言った母に、「大学で英語をしなければ私がこれまで頑張ってきた意味がない」と自分の意見を押し通した。


この間叔母に「大学に来て、学校の本当の楽しさが判った」と言うと、「高校は楽しくなかったん?」と訊かれた。無難に、それなりに楽しかったけど・・・とは言ったものの、実際のところ、私にとって高校は大学への通過点でしかなかった。
「大学で英語を勉強して教師になる」その目標だけが、何度も辞めたくなった自分を支えた。





でも、こう言った友達に少し共感とは違うけれど「何となくわかるな」って、ここ2日しみじみしている。


キッカケは前の記事にも書いたA先生のメールだった。


先日はさら~と内容を確認するくらいでしかなかったものの、後々改めて読んでみるとなかなか深いのだ。


時に英文は日本語で書かれた文よりも書き手の気持ちを表すことがある。さらに今回、英文を英文として読み流すのではなく、自分の頭の中で再度日本語に置き換えたものを反芻してみると初めに読んだのとは違った印象を与える。

前回のメールはfriendsと複数形だったのに対し、今回は単数形。つまりゼミ生全員に同じものを送信したのではなく、個々人に違う内容を送ったと推測される。そんな中、私へのメールの内容が就活のこと一色だったのは・・・と考えると、私の就職をかなり心配してはるらしい。。


進行形を使わずに現在完了形だったりと・・・リアルに先生の心情が判ってしまうから英語の文ってすごいぞ・・・


確かに就職の事に関しては、ゼミ生の中でいちばん私が不安材料なのは想像に難くない。障がい者と健常者で学力や能力が同等ならば、健常者の方を取りたいという企業側の本音もわかる。
でも私だって「はい、そうですか」というわけにいかない。私も自活していかなければならないし、やるからには自分に向いていてやり甲斐を感じられる職がいい。自分の仕事とは40年近く付き合わなければならないものだし。


なんてこんな事を書いているのは、先日も祖母に「落とされたのは足が原因なんじゃないか」とか言うようなことを言われてしまったからだ。まぁ筆記で数学がほとんど解けなかったからきっとそれが原因なんだけど、身内から言われるとヘコむわ


親は私の心配をするというより、心配している自分に耐えられないからあーだこーだと口うるさかった。それに母は何より世間体を気にする人間だ。思春期のときは、それが反発する大きな原因にもなった。進学校であるH高へ行けなければ、近所を歩けないなんてことを毎日言われていた。それも自分本位の心配であり、私の大学進学への道が狭まるとか言ったような、そんな心配から出た言葉ではない。


父も誰よりも私を心配しているのだろうが、口や態度にそれを出さない。だから日頃父の真意は測りかねる。それゆえ好き勝手なことをある程度できるというのもあるけれど、本当のところ何を考えているんだか、全く持ってわからない。。



先の話に戻るけれど、私の観点から心配をしている人というのがA先生が初めてで、それがA先生のゼミに入る大きな要因になったのだけれど、本気で自分の事を心配してくれる人と向き合うのは精神力がいる、と改めて思った。自分の為だけに自分の人生に責任を持つというわけにいかないからだ。なんかそれが友達の言った言葉に似ていると思った。

あぁ~先生みたいな物事を適当にしない人のゼミに、私なんかの厄介者が入ってよかったんだろうか。笑
先生の心配材料が増えるだけなんじゃないのか。。。
「私のゼミは適当にします」って宣言している教授もいたのだから、私のような面倒のかかる奴はそっちに行った方がよかったんじゃないかなんて思う。

まぁ定員を超えていて選考の段階で私を取るって決めたのは先生なのだから、私が危惧することではないんだけど、、いかんせん、先生が良い人過ぎるものだから気の毒になってしまう。K君が人間性で選んだっていうのにも納得だゎ


さらにさらに、私が「こんな性格になれたら・・・」と羨んでいる友達が、「まだ一社も落ちていない」と言うのを聞いて焦りは深まるばかり・・・。。


私は大丈夫なんだろうか・・・。。就活って必要以上に不安になりがちやけど、一旦悪い方向に考え出すと、どこも雇ってくれないのではないかと過剰に心配してしまう。


だめだ。。長期の休みって、遊ぶ約束をしないと誰にも会わないから軽く欝になるやっぱり私は人の居るとこにおらんとテンション保てへんゎ


今日は生徒と約束してるのでいつもより90分早い出勤テンションあげっぞ

ってかもう6時半。。深夜にやってた「ニューシネマパラダイス」観て(で、めぐさん号泣)、洗濯干してコレかいてたら・・・((((;゚Д゚)))眠・・・・

今日は梅田で用事もあるのにというわけで寝ます。。おやふみ・・・・


寝たら少しは気も晴れるかなー。。











The most 2☆

今日「あいのり」で「親指の恋愛」なんて考えさせられる言葉が言われていたけれど・・・ほんまに現代社会って昔に比べて希薄になったんじゃないかなぁって思う。


今は小学生でもケータイを持つ時代になってしまったけど、私らのときなんて高校の入学祝にやっとこさ買ってもらうって感じで。少し親が理解ある(?)子は中3くらいから持ってたけど。


中三のときなんかは好きな人の家に電話を掛けるのも、ケータイではなく家電で相手のお母さんやらおばあちゃんやらが出る度に、手のひらを汗でぐちゃぐちゃにして、何度も噛みそうになりながら、

「私めぐさんと申しますが○○くんいらっしゃいますか?」なんてたった一言言うだけやのに、やったら緊張していた覚えが。そんなんも今の中学生にはないのよねぇ。


私の恋愛のモットーは「告る時は自分で言う」


電話でも直接でも、とにかく自分の口で言うというのが基本です。友達を通して・・・とかメールとか、気持ちはわからんくもないけど、「言った」っていう達成感が薄いんじゃないかと思う。


直接だと、伝えるほうもぶっちゃけ必死やし、受け止めるほうもそれなりに重みがあるじゃないですかあの独特の重み、良いと思う。メールとかで言ってしまうと、その重みは人から人へ伝わるんじゃなくて、機械が媒介するやん。重さ薄れると思うねんなぁ。文字にすると皆一緒やもんね。人の言葉だと、同じ言葉でも、いう時のテンポとかさ、緊張の度合いとかさ、色々で個性出るものだし。




こうして書いているブログも今や中学生とかも普通に綴っていて驚くんやけど、バーチャルな世界でしか自分を築けないっていう人、かわいそうだと思いますね。私の友達にもいるねん、そんな子。


引っ込み思案で、現実の世界に親しい男友達はゼロ。それやのにネット上だと何十人って居て、この間も急にミスドに呼びつけられたと思ったら、

告白された、とのこと。てっきり同じ大学とかバイト先の人だとかリア友だと思ってた私、その思い込みで話を進め、30分後・・・・・


「え、メッセンジャーでやりとりしてる人で顔さえ見たことないよ」



マヂかつーか顔さえ見たことない人に告られてそこまで手放しに喜べる貴女はある意味すごい・笑



彼女のブログやSNSでの記述は嘘でまみれている。というかベースになっている話は真実だけど、そこにこう脚色を加えまくっているのだ。


オレンジジュースで言えば、果汁(真実)1%くらいあとの99%は彼女の理想。私を含め、現実を知る友達も多数閲覧しているのに恥ずかしくないのだろうか。そこまで誇張して。


しかもそれを閲覧しているネットの中の男達はそれに騙されきっている。まぁ、別にいいんだけど、それは。


でも彼女がかわいそうだ。ネットは所詮仮想現実なのだから、そこを人間関係のベースにしてしまってはいけない。そりゃ、現実には近くに居ない同じ趣味なんかを持った人と交流できるっていう長所もある。でもそれってきちんと現実世界に基盤を置いているからこそ、健全に利用できるものではないだろうか。


飾り立てた真実を今日も誰かに見せびらかし、ちやほやされたり同情されたり。でも書いていることが真実ではないのだから、そのちやほやや同情もまた真実ではないのだ。それで彼女は満足なのだろうか。いや、満足していない筈で、そのことに気付かないまま、彼女は今日も真実を飾って見せる。哀れ。


人間の日常って、もっとつまんないものの筈だ。平凡で何の変哲もなくて。人に見せられるようなものもない。けれどもそんな中で時折輝くものが降ってくるから、転がってくるから、きっと人生って楽しいんだ。


毎日がキラキラしたものの連続なら、それはキラキラしていないのと同じ。すぐ飽きてしまう。たまに降ってくるダイヤの原石のようなものを求めて、人間は平凡な日常を今日も生きて、その平凡さが実はたまらなく尊くて愛おしいものの筈だ。



自分は努力をしないで仮想の世界で着飾って生きる彼女を、半ばウザいと思いながら心配してしまう我ら教職3人組・・・笑    別に赤の他人で、気にかけたところで何かが返ってくるわけではないのに、彼女の凡人には理解できない些細な行動に首をかしげつつも、それでも心配せずにいられない。こんな私達も彼女とは違う面でどうしようもないのかもしれないけど。


またそろそろ二人に飲みの召集でもかけてみようかアルコールをお供に、ガールズトークに花が咲きそうだ。でもつまるところ「あの子、大丈夫かな?」笑


女って、時々たまらなくややこしい。そんな時男子が羨ましくなる。いくら私がさばさばしていようが、私もやっぱり女なのだ。


でもまた、最高に素晴らしい瞬間もある。スカートが履けることじゃない。化粧ができることでもない。ぐだぐだと紙一重の女同士の会話の中にも宝物が詰まっているのだ。



そしてそれは男には到底理解できないものなのだろう。そしてそういうところを取り立てて「女は馬鹿だ」と思う男性もいるかもしれない。



ややこしいけど、素晴らしい。そんな厄介な生きものの、自分も一員である。



そんな今日のBGM     Joe   [World Of Girls]





歌詞の内容は今日のブログの内容とはあんまり関係ないけどねタイトルがしっくり。

夢までの距離

風邪は喉から鼻にきて、(いつものパターン)今日はゴミ箱をティッシュでいっぱいにしながら伏せってました


鼻が詰まると思考力から何から低下するんで、やですねーでも明日(水曜)は課題のためにLL教室に篭り、その後塾で2コマ。正直しんどい・・・でも喉の調子が悪いより鼻の調子が悪い方が、しんどいけれど授業はし易いねんやっぱし喉を使うしねぇ。。



誕生日から約1週間。未だに22という数字に慣れない


自分へのプレゼント注文しちゃいました



ビルケンのアリューシャww ⇒こちら          



カラーはイングリッシュガーデンホワイト

2007年夏のモデルなんやけど、アウトレットで半額になってたのだ定価で買うには(9975円)勇気と思い切りが必要やけど、半額とあれば自分に色々理由をつけて・・・笑
まだお家に届いてないけど、でもって履くのはもうちょい先になるけど、めっちゃ楽しみ


ビルケンシュトックは、ドイツの整形外科工学(??)に基づいて作られているだけあって、すごく履きやすいサンダルの癖に1足1万もするなんて勿体ないとかおばあちゃんには言われるけど、そのくらい価値のある履物だと確信してる

アリューシャは2代目です1代目はギゼ(トングタイプ)カラーは同じイングリッシュガーデンホワイトイングリッシュガーデンのシリーズ好き普段、歩き癖でどうしても靴はワンシーズン持てば良い方なんやけど、これはもう3シーズンはいてるでもって、まだ当分履けそう今年はパンツのときはギゼ、スカートの時はアリューシャにしようかな憧れの履き分け

CPの人で比較的自力で歩ける人にはオススメのサンダル夏も装具じゃ暑いもんね~
小さい子のいるお母さんにも人気なのだとか。すっと履けて脱げないのがイイ


なんかビルケンのサンダルの宣伝みたいになっちゃってるけど、ほんまオススメよぉ~

このサンダルに出会うまでは、夏がほんまに憂鬱やったんです。。ブーツは比較的自分の足に合うものも沢山あるけれど、サンダルとなると、細身のデザインが多くて、インソールもつるつるした素材が多くて歩く度に足が固定されなくて歩きにくかったり合わないものを履いて、帰る頃には足が血まみれになってることもあり・・・ヒールの高いものも多かったりして、でも夏も靴下にスニーカーは暑いし、スカートやワンピを着るときにもスニーカーって・・・て感じで。ビルケンもきちんと系の恰好にはマッチしないけど、私の普段着は「ナチュラル」がモットーなのでww無問題

ビルケン買ってからスカートを買う機会が増えたww



最近雑誌や店頭で並んでいるかわいい華奢な靴の数々を見て「かわいい。履いてみたい」とは思っても、「少し無理をすれば履けるかも」と買ってみることがなくなった。ピンヒールで先っぽのとんがったパンプスも何足か持っているものの、最近は箱に入ってシューズボックスの中に眠ったままだ。

こういう気持ちの変化も、足の変化と連動している気がする。特に女性は、身に着けるものによってテンションも変わりやすい生き物だし。


次は春色(すんごいアバウト)コンバースGETするじょバイト代カモーン



春になると結構物入りなのは、いつの年もそうやけど、購買意欲が掻き立てられるのってやっぱ春じゃないかなぁ例えば冬とかって、「コート買いたい!!」と言うより「コート買わな」みたいな感じの方が強い気がする。必要に迫られてというか。。まぁ冬服は一般に春や夏物の倍近い値段がする・・・っていうのも理由のひとつかも



なんかつらつらとファッションのことばっかり書いてるけどねぇ。。。今日はほんまはこれをメインに書きたいわけじゃないのだ。というわけで、続く



・・・つづきはこちら

一期一会

今日は大学の友達と映画を観てきました
いっつも梅田やから、たまには難波でwwという意見が一致して、難波マルイの上のTOHOシネマズで、ジョニーデップ主演の「スウィーニートッド」を観賞(友達の意向により、ミスタービーン却下)


映画のレビューは、また改めて書くとして、今日はまぁ色々書き連ねたいと思います。



最近、ブログの更新が数日おきになっているのは忙しい4割、あとの6割はなんか・・・キーを叩いて文章を打つっていう一連の作業がどうも億劫で、しまいにはPC立ち上げるのも億劫で、ここ数日は友人のブログや果てはメールチェックまで、ケータイでしてました自分の考えている事をこうしてアウトプットするだけでも、なかなか気力がいるものですね。。




ブログを始めてから、よく文章を書くようになったので自分のPCでなら手元を見ずにブラインドタッチが出来るようになって最近ちょっと嬉しい
デスクトップ型の凹凸の多いキーボードはなんか打ちにくくて、学校のPCは打つんめっちゃ遅いけど・・・




先週の木曜日に足の調子がめっちゃめちゃ良くなくて、軽く病んでいたのもブログを書かなかった一因。

少し病んでるくらいならブログで吐き出してスッキリするんだけど、そこから更に堕ちるとブログさえ書きたくなくなる。



でも、少し前のようにパニックに近い恐怖は感じない。もう。。この先もっともっと病状が進んだときには自分の精神がどこまで持つのか、は未知数やけど、少しの変化に大きな恐怖を感じる自分は居なくて、冷静に変化を
見ているもうひとりの自分が居る。これもまたひとつ壁を越えたということなのか。
でも、この冷静さが怖い気もする。



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CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw

詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。

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このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪ 

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