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Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

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余。

どうして、人間ってこうも弱いんだろうか。

なんで自分ひとりの事を、ひとりで背負えないのか。

そんな弱い人間のひとりである私が恨めしい。。



最近、休みの日は一駅くらいの移動ならチャリを使う。ガソリン代節約と言う事もあるが、その裏には、

後悔したくない、という思いがある。


余程しんどくない日は自主リハもやっているけれど、側わんはやっぱりじわじわ進行しているし、座位の左寄りも顕著。

この間、何気なく生徒たちと一緒にラジオ体操をしていて、右側への『ねじれの運動』がスムーズにできない自分に気がついた。
小学校のときは普通にしてたのにな・・・


このまま座位の左寄りがどんどん進めば、おそらくサドルに座ってバランスを取ることが難しくなる。

それが今日、明日の問題ではない事は無論わかっているけれど、いざそうなったとき、もっと乗っておくんだった、と思わなくていいように、乗れるときに乗っておこうと思うのだ。

そして、そんな事を考えるとき、胸の底から捻り上げられるような気持ちになる。

たとえ「もう乗りたくない」と思うまで乗ったとしても、いざ乗れなくなったらそう思うんだろうけれど。。




つい先日、今まであれ程オバハンくさいと敬遠していたサロンパスに手を伸ばした。

板書で負担を掛ける頸部と、背中(尤も本当に痛いところには手が届かないので、その出来るだけ近くだが・・・)に、仕事から帰ったら貼るのが日課になった。肩の凝りがひどいときはそこにも。

寝ている間中貼っておいて、朝軽くシャワーを浴び、あの独特のニオイを消して出勤するというのが定着しつつある。

敬遠していたことをサロンパスに謝りたいくらい(笑)よく効いて、サロンパスを使いはじめた週は痛みを気にすることなく仕事が出来ていたが・・・


今日、梅田に出かける地下鉄の中で、ついうとうとしていたときだった。
アノ鈍痛で目が覚めた。


(くっそぅ・・・)


肩を動かして背中の筋肉が少しでも動くようにしてみる。体重もなるべく右に掛けてみる。
でも痛い。

悔しかった。
昨日も貼って寝たのに・・・関係なかったか。。


痛みに気を取られ、いつもなら無意識に避けられる都会の人の渦にもいちいち神経を集中させなければならない。


結局、目当てのものだけ買うとさっさと地下鉄の駅へと向かった。普段なら特に欲しいものがなくてもあちこちウインドウショッピングをしてみたり、コーヒーの1杯でも飲んで帰るところだが、歩くのが億劫だった。


幸いなことに珍しく席は空いていて、そこに座ったのだが、私の後から杖をついた老婦人が2人、乗ってきた。
もう空席はない。老婦人たちは杖のほかにも、デパートの紙袋を提げていた。

壁際に空いたスペースがあるのを確認して、私は腰を浮かせた。

「どうぞ」と言うより先に、老婦人は私を制した。

『いいんですよ、私たちはすぐ降りますから』


本当は内心、ほっとしていた。まだ背中は痛かった。でも、そのまま元のように腰を下ろす自分が嫌だった。

老婦人たちは言葉通り、隣の淀屋橋で下車していった。



私はまだ、席を譲ろうとすることができる。

でも、それも無意識のうちに壁際のスペースを探してから・・・。
昔は何も考えずに譲って、つり革1本で立っていることができたのに。


自分が崩れていく感覚。
自分が自分でなくなっていく感覚。


『どんなに悪くなっても、あなたがあなたであることに変わりはない』と地元のP.T.は言った。


でも違う。
私が私である、というのは事実でも、心の中では徹底的に何かが違い、私の知っている私ではないのだ。

既に今の自分だって。


この感覚を誰が理解してくれるだろう。 


聞いた者は一様に言う。
『そんなん仕方ないんだから、座ってればいい』と。『他の元気な人が譲ればいい』と。『あなたが気に病むことではない』と・・・

確かにそれは正しい。


でも、目の前に困っている人がいて、自分が助けてあげたいと思っているのにそれが出来ないことがどれほど悔しくてつらいことか、想像してみた事、ある


解決策はたったひとつ。自分が認めることだ。

席さえ譲れなくなった自分を肯定することなのだ。そうしたらこんなに苦しまずに済む。席を譲るだけじゃない。他の失ったものすべてを、自分が認めればいいのだ。


でも肯定できない自分が、肯定してしまいたくない私がいる。


自分を追い詰める結果にしかならないのに、それでもやっぱり抗いたいのだ。
追い詰めるだけにしかならないのに、それでもやっぱり今の自分を情けないと、腑抜けだと思ってしまうのだ。


少しのことで疲れるようになった自分が情けなくて。
数年前まで出来ていたことが困難になっている自分を受け容れられなくて。
変形の進む自分の体を、醜いとしか思えない。


自分が健常者に生まれれば・・・なんて思ったことはないけれど、わかっていても呪いたい運命。
進行していくものは残酷だ。


にんげんってよわい。

なんでじぶんひとりのことを、じぶんで背負えないのか。


苦しいよ。。

 

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月に1度の・・・ Part 2


リハビリを終えて、病院を出るのがだいたい16時半ごろ。

その日の定例会は19時からだったので、だいぶ時間はある。梅田に立ち寄り、ブックファーストと紀伊國屋をハシゴして、ヴィドでカフェラテを頼み、空いた席に腰を下ろす。
本当はサンマルクのキャラメルラテがよかったが、土日のサンマルクで空席を探すのは至難の業だ

梅田のカフェは好き行き交う人のヒューマンウォッチングもなかなか楽しい

隣のテーブルに着いた名も知らぬおばさんが、私と同じブランドの財布を持っていた。少し親近感が湧く

私が使っている財布は、HIRAMEKI.という大阪発の革小物のブランドで、それほど有名ではないが質はいいし、その質の割りにコストパフォーマンスも高い。
目を引くデザインはデザイナー書き下ろしであったり、古い絵画の一部分であったりする。

人と同じモノを持ちたくない、と言う人にピッタリかもしれない。

実店舗は梅田、なんば、鶴見、新大阪にあり、ネットショップも展開しているので全国どこでも買うことが出来る。
 
 


思いのほか苦いカフェラテを飲みながら、小一時間ほど時間を潰し、待ち合わせ場所に向かうため御堂筋線に乗る。

言われた駅の出口を出、きょろきょろと見慣れた顔たちを探す。
後ろから肩を叩かれ、振り向くと見慣れた2人の顔があった。

Nさんが道に迷ってしまうというハプニングがあったものの、無事4人がそろう。

私も御堂筋線で来たからまっすぐに出れたものの、別の線で来ていたなら同じように迷っていたかもしれない。
ずっと梅田がテリトリーだった私は、未だになんばだって駅周辺しかわからないし、心斎橋も心斎橋筋しかひとりで行けない。
堀江とか船場とか、ひとりで行けるようになりたいんだけどな


4人の中で紅一点。最初は何か慣れなかったけれど、今では気にならなくなった。

最近ふと考える。もし私に彼氏ができて、その人が余程無頓着ではなければ、こんな風に定例会にも参加できなくなるのだろうか、と。。
その頃には今受験で参加を控えているMさんも来るだろうから、紅一点でなくなるのを期待してはいるんだけどねw


なんだかんだ言って、月1のこの集まりを密かに楽しみにしている私がいる。


行き当たりばったりの定例会だが、いつもなんだかんだでキセキが起こってしまう。


今回は焼肉を食べることになり、一軒の焼肉屋に入った。

漢方でどうにかこうにか、体調を宥めすかしていた私だったけれど、なぜか誰かと一緒だとどーーんと胃に来る牛肉でさえペロリと平らげてしまえるから不思議だ。


同じく中学校教諭をしているNさんと学校の話で盛り上がる。
相談も出来るし、状況も理解されやすい。話は合うが、やっぱり学校の話しかしない。

ミッキーさんと同じ。私はNさんに恋愛感情を持ってはいないけれど、やっぱり私は教師は無理だ、と思う。
私自身も教師やのにね


最近、ミ○シィにも赤裸々な日記を書いたが、反教師の持論を持つ知り合いにその日記を叩かれはしないかと心配してくれていたことを知った。

素直に嬉しかった。私が知らないだけで、自分の事を気にかけてくれている人は案外身近にもいるものなのだとわかって

もっと殻、破らないとな。。。色んな人に。わかってはいるんだけどね。

怖いんだよ。

臆病者。。。


それを証拠にその知り合いには日記も見れないようにしてあるのだから(赤裸々な時限定でね)。

彼なら、絶対に『甘ったれるな』というような事を辛辣な言葉で書き込むに違いない。他人が何を言おうが構わないが、私がそれを受け止められるだけのキャパがないことを私がよくわかっている。


だからって見せないなんて、子どもみたいだよね。


でもあんな、心底暗い日記を最後まで読んでくれて、その上心配までしてくれてる友人を持ったことがものすごく有難い


定例会が続く限り、私はやっぱり出るんだろうな

It makes me feel bitter...

最近、長い文章を書いていると決まってPCがフリーズする

文章の構成などを考えながらキーを叩く私にとって、1時間(もしくはそれ以上)の時間を掛けて書いたものが一瞬にして無になってしまうのは、何度経験してもテンションがだだ下がりだ

幸い、このブログのいいところは文章の一時保存機能がついているところ。アップしなくても、打った文章を保存しておけるのでイザというときにすごく便利だ。


こんな時間にキリン一番絞りのプルトップを開けてみる。グラスに注ぎ、飲み干す。
モノは同じはずなのに、居酒屋のビールはどうしてああもおいしいのだろう。

やっぱり泡のキメ細かさだろうか。
父親にあげた泡がよくなるビールグラスを奪取してこようか・笑


すっかり嗜好品のひとつになったコーヒーとビール
今までビールを苦いと感じたことはなかった。それ故、同世代の友人たちの多くが『ビールは苦いから嫌い』と口にするのを聞くたび、不思議な気持ちになったものだ。

自宅では缶から直接飲むことが多いが、今日は思い立ってグラス
何気なく口に含んでみると、なるほど苦味はある。


そして思った。
コーヒーのような苦さとビールのような苦さ。どちらの苦味も人生には存在している、と。

どちらかと言えば、恋愛で生じる苦さはコーヒーの苦さに似ていて、仕事や社会的立場から生じる苦さはビールの苦さに似ている気がする。

あぁ、なんか小説が書きたくなってきた。コーヒーと酒にまつわる・・・



今、私はどちらの苦さを味わっているのだろう。
コーヒー・・・ではないな


身を焦がしつくしてしまうほど、誰かに溺れてみたくなる。・・・こんな夜は特に。

こんな気分になるのも、Trey Songzの歌のせいだ、たぶん。。





それにしても何故、Jupiter Loveというタイトルなんだろう。歌詞を見てもJupiterとリンクしてきそうにないけれど・・・

今日は長くなりそうだから、Treyの声でも聞きながら続きリンクへどうぞ

・・・つづきはこちら

つよく、なりたい。

限界をとっくに超えている自分の体に気づかない振りをして、私は今日もいつものように仕事に出る。

悲鳴をあげる背中や腰、膝。その悲鳴を聞きながら、私は耳を塞ぐ。



聞こえないよ、と。。。




そうでもしないと倒れてしまう。でも、それもいつまで持つか。

今日も授業中、一瞬目の前が白くなることが何回かあった。9月らしからぬ暑さで、天然のサウナと化した教室での授業も堪えているのかもしれないが、自分は元々、これしきの暑さでやられてしまう人間ではないはずだ。



自分のからだを一番に考えたいけれど、なかなかそうも行かず、目の前には早急にどうにかしなければいけない課題が山積している
自分をとことん犠牲にしてでも、生徒の為に奔走する、それが教師なのだ。。


判っているし、そうできる自分でありたいと思う。
しかし、度重なる立ちくらみ、頭痛・・・限界かも、と思う。。


限界だと認めたくないから、今日も私は悲鳴が聞こえぬように耳を塞ぐ。


聞こえないよ。
だから私は、まだ走る。。


N先生は『ほんまにしんどい時は休むのも勇気』だと言ったが、なかなかそれも出来ない。

教師(特に担任)は、とにかく毎日出勤する・・・というのが、基本以前の問題だったりする。


出来ないならば辞めればいい。代わりなどいくらでもいる。
だから休めない。。


子どものことになるとめっちゃくちゃ心配する同僚でさえ、身近な同僚が倒れる寸前だとは誰も思わない。
 

「しんどい」と言うのは許されない。。。。


だから、貴女に「しんどい」と言って、跳ね除けられなかったとき、
心底嬉しかった
「限界かも」って感じながら、それでもずっとずっと我慢して、それを知ってもらえたことで、
ずっと楽になった。
貴女に知って欲しかった。
貴女に弱音を吐いてもいいんだってわかって、
心底ほっとした。




世の中の大多数の人が当たり前のように持っているものを持たずに生きるというのは、持っている人たちと同じように生きようとするのは、何十倍・何百倍もの努力を要する。
時に神様は残酷にも、生きることにさえ何十倍・何百倍もの努力を強いる者を創る。

しかもその努力を「努力」とも知らされずに生きる。
「しんどい」のが当たり前だから。
「努力する」のが「頑張る」のが当たり前だから。

それが普通になってしまう。

自分も周りも、「頑張っている」ことを忘れてしまう、いつしか。


そして、努力しても頑張っても到底できないことがあるという挫折にぶち当たるのだ。

私の場合、それが小学4年であり、大学3年だった。


遅かれ早かれ、多かれ少なかれ、そんな挫折にぶち当たって、それでも尚、頑張り続けた先に待っているのは「限界」という名のゴールだ。
達成感も何もありはしない。
ただ、自分の無力さ、非力さだけを痛感させられる、そんな終わり。


でもね、「しんどい」と言えない。
私が限界を超えてそんな事口にしたらね、『ほなもう無理せんと辞めり』 ・・そんなアドバイスが関の山。
だから言えない。


生徒の立場じゃなく、私の立場に立って貴女が考えてくれたことが涙が出るほど嬉しかったよ
貴女のクランケになれたことが、意地悪な神様の数少ない贈り物だったのかも




でもやっぱり私、欲張ってしまうよ。
強いからだが欲しい。たかだか、5日間を働き抜くのに必要な体力が。

神様が私から奪っていった物たちを、この手で取り返したい。



死ぬまで神様との鬼ごっこ。
追いかけられるだけじゃなくて、たまには私が追いかけて、奪ったもの全部、取り返したい。神様が私に与えずに取り込んでいたものまで取ってやりたい。


なんて幻想でしかないのだけれど


つよいこころが欲しい。
こんな浅はかなことを考えないでいいような。。

強靭な精神がほしい。



もっとつよくなりたい。神様を恨まなくてもいいように。。
つよくつよく・・・

伸ばした手、受け止められた心

この夏休み、頚損で重度の後遺症を抱えた元中学校教諭の手記を読んだ。
その中に『「助けて」と言えば、助けてくれるんだということを知りました』と言うような1文があった。
今その本が近くにないので、正確な文章はわからないけれど・・・

それを今日、実感した・・・んです
明日の教材を作る(図工が苦手だと中学校教師はツラいよ・・・苦笑)のをしばし、休憩して、忘れないうちに書き留めておきたい。





数時間前、例によってCPの辛さをつらつらと吐露している日記を書いていて、ふと、どうしようもなくなった。
いよいよ、明日からの激務に耐えられる自信がなくて、不安で不安で仕方なくなった

キッカケは甦った副担の言葉。

『(生徒に)「元気ないなぁ」って言ってるけどね先生、やっぱりまずは先生自身が元気を出さないと、子どもたちもついて来ないと思うんです。私たちにもそりゃ色々あるし、私も学校へ来る道すがら車の中で大泣きしてきたこともあったけどね、やっぱり子どもの前でそれは出せないし。子どもたちには関係のないことだからね』


私だって、出来損ないとは言え、一応教師の端くれ。
そんな事は百も承知だし、しんどいながらも私も無理にテンションを上げてがんばっていたつもりだった。

でも、出来ていなかったらしい。彼女の水準が高いのかもしれないが。高いに越したことはない。


しかし今の私にはこれが精一杯だった。
そして、今以上を求められた。   出来ていないから当然かもしれない。
部下の至らぬ点を指摘するのは上司の当然の役目だから、彼女は正しいことをした。


でも、ぷつんと糸が切れた。

「はい、わかりました、頑張ります」と貼り付けた笑顔で答え、トイレへ直行した。 

別に泣きたかったわけではない。ただ、そのまま彼女を見ているのが辛かった。
用を足すでもなく、ぼーっと座り込んでいた。泣く気力もその時なかった。


明日からもっともっと頑張らないと
認めてもらえるようにもっともっと頑張らないと

でも糸の切れた心と体が、そういう「頑張らないと」について行けない事は、私がよくわかっていた。
背中の痛みもずっとある。


胸の奥がずん、と重くなった。どうしていいかわかんないよ。。。



今回のことは体と心、両方が相関して起こっている。

副担からの期待と重圧だけなら、まだ大丈夫だった。
二次障害の悪化だけなら、まだ大丈夫だった。

両方同時に来たから堪えた。

職場に相談できる人がいれば、まだマシだったかもしれない。打ち明けようかと思った先生もいた。
しかし、打ち明けよう、聞いてもらおうと思ったその日、タイミング悪く、その先生は忌引き休暇を取った。


誰にも言えないのが、辛い状況に拍車を掛けた。


無責任だと思いながら、明日は休もうかとも考えた。(体がしんどいのは事実だし)


でも、無意識に子どもの顔が浮かぶのだ。


今までもそうだった。

死にたいと思ったときも、私が自殺などしたら子どもの心に傷が残るかもしれない、という思いがよぎった。
TVのニュースなんかでよくある『・・・教育委員会はSC(スクールカウンセラー)を派遣して、生徒たちの心のケアに全力であたるとしています』なんていうキャスターの声がリフレインする。

私は無能な教師だが、それでも担任が自殺などしたら、多感な時期の彼らにはショックが残るだろう。
子どもの心に私が傷を作ってどうするのだ・・・と思った。

もちろん死ぬのが怖いというのも大前提だが


辞めたいと思ったときも、慕ってくれていた子らの顔が浮かび、半ばで辞めたらあの子たちは『見捨てられた』と思うだろうか、という思いがよぎった。


休職したいと思ったときも・・・。。。


脳裏に無意識に、受け持ちの子らの顔が浮かぶのだ。

別の意味で辛かった。

大変でも、辛くても、こんなんじゃ行くしかないじゃないか、と。


無能でも役立たずでもろくでなしでも、やはり私は教師なのだ。
「会いたい」と思ってしまうのだ、生徒に。


こんな思いをするのは初めてだった。



でも「頑張らないと」と「頑張れないよ」が私の中で喧嘩している。でもって、「頑張れないよ」が勝ちそうだ・・・。
にっちもさっちも行かなくなった。


発作的にデスクから離れ、ベッドの上のケータイに手が伸びる。

誰に掛けよう??


真っ先に浮かんだのが、担当のN先生。しかし躊躇った。

躊躇って、地元のP.T.に掛けた。
しかし今までと違うのは、担当のN先生に掛けたいと心の奥で尚も思っているということだった。
これもまた初めてのことで戸惑った。

結局、地元のP.T.は忙しいのか電話に出なかった。
結果的に、出ないでいてくれたことが今日は良い方へ転がった。


無機質な機械音を繰り返す電話を切って、再びN先生の番号を呼び出す。
液晶に映る見慣れた名前をしばし、眺める。。


このとき22時前。
小さいお子さんのいる先生にとっては、少々電話するには遅い時間かと思った。

でも今日の私は切羽詰っていた。

深呼吸を3回。

もうひとりの自分が、
(あのなぁ、男に『好きです』って電話するわけじゃないんだよ・・・)と自分にツッコむ・笑


迷惑だと思われてもいい
これまた、自分の都合を最優先にした。これもなかなかあることでない。いつも人の顔色ばかり見るから。必要以上に。。


どりゃあぁぁぁぁぁ~~~キヨミズから飛び降りるゼっ(大げさ)


ピ。

プルルルル・・・


あぁ掛けちまった・・・後戻りできねぇ。。(だから告白するわけじゃないっつの笑)


どこぞの怠けた企業の受付にも見習わせてやりたい、と思ったほど、N先生・・2コールで電話に出る・笑

ぎゃぽ。。。出ちゃったょ、先生。。。(出て欲しいくせに)



「すいません、夜遅くに・・・めぐさんです・・・」


どぅわーーーーーーーーーーーーーーーーー(喋りたいことの塊たち)
だぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーー(涙)


「すいません・・・・」(←泣きすぎて言葉が続かなくなった)

先生の前で泣いたのなんて、これまた初めてだ。。


やっぱりもう、糸は切れていて、限界だったらしい。


「辞めたろかって思ってねー、でも、どないして車のローン払おうかとかね、奨学金どないして返すんとか思うとね、今度は休職したろ思ったんですけどね・・・」

死にたいと思ったことは伏せた。


「でも辞めたろ思っても、休んだろ思っても、子どもの顔が浮かぶんですよー私どうしたらいいんですかー

やっぱり教師の原動力は子どもらだ・・・
自分が自分の生徒たちに愛情を持てているのかどうかわからなくて、不安になることもあった。でも自分が心底しんどいときも浮かんでくるのだ。
だからやめたくても辞められなくて、休みたくても休めなくて、でもそれは幸せな苦しみだ、きっと。体や心に棲む苦しみとはまったく異質な。

ちょっとホッとしたよかった、私も教師なのだ、と。


『辞めるのが悪いことではないけどねー、結論を急がないでほしいねん。まったく向いてないわーって思うんやったら早よ辞めたらええ思うけどね、めぐさん、子どもも教えるんも好きでしょう?話聞いててもそう思うし。子どもの顔浮かぶんやったらね、もうちょっと続けて欲しい』


『就職したら、学生のときよりも体に負荷がかかるから、結構1年過ぎたあたりでガタっと来る人が多いのよ。でもめぐさんはそれが今出てきているのかもしれない。抜くとこ抜けるようになってきたら、また変わってくるかもしれないしね。今のままの速度で悪くなり続けるとは私は思ってないんやけど・・・』


『もし1日休んで楽になるなら休むことも勇気やでそれで何か言う人は言うかもしれんけど、裏で舌出しといたらええねん(笑)わかってくれはる人も絶対いてると思うからね。良い意味で「サボら」な続けられへん。私も子どもいてたら急に熱出すこともあるし、自分も体力あるほうじゃないから、迷惑掛けるときはいっぱいあるよー』


背中の痛みに関しては、
自主リハを真面目にやる。
マッサージ等に行く。
鎮痛剤を飲む。


鎮痛剤って、医者にかかるってことか、と思っていると・・・

『ううん~普通の頭痛とか生理痛とかの痛み止めで効くで』


なななななんと頭痛薬で背中の痛みが取れるんスか

『私も仕事で背中痛めたときに飲んだら治った』

実証済み



なかなか職場で自分の辛さを吐き出せない状況を判ってもらえた。電話して本当によかった

で、びっくりしたのが、何かの拍子に、
『私今43やねんけどね~』

え゛

「43先生43歳なんですかっ
『年齢、何回も言わないでよ・笑  高齢出産だったからねー』
「ぜんっぜん見えないです35、6歳やと思ってました」(ほんまに。)

じゃぁ、癒し系は何歳なのだろうという疑問が浮かぶ。先生よりは上な筈だから、40代後半から50代・・・。
最初の予想からだいぶ中年になってきた・・・
こりゃもう、2アウト満塁から3アウトだな・・・苦笑




そして、N先生は最後に、

『電話してくれてありがとう』


心がふっと軽くなった。憑き物が取れたなんていう感覚にも近いかも。
この瞬間の心の重さの変化を、適格な文章にできないのがもどかしい。

迷惑かも、迷惑かもってずっと思っていたのに、『ありがとう』って言ってくれた。


やっぱり、N先生最高

読んだ本の一節がまた甦った。
『「助けて」と言えば助けてくれるんだと・・・』

本当にそう。
勿論、世の中、伸ばした手を跳ね除ける人だっているだろう。
でも皆が皆、そういう人ばかりでない。「この人!」と思って伸ばせば、必ず握り返してくれる手はある。


先生は、きっといつだって受け止める用意は出来ていた。
でも私が伸ばさなかった。先生を信じ切れなくて。
頼るのがヘタなのも、バレてた人生の先輩をナメちゃイカンな・笑


重たいクランケだからと見捨てる人じゃない。誰が見たって判ること。
でも私は私に自信がなくて、見捨てられるかもと思い込んだ。。

ごめんなさい、今まで信じきることができなくて。。
先生のような本当に良いP.T.を信じ切れなかったなんて私が馬鹿だ。。



電話を切ったら、また涙が溢れて溢れて止まらなかった。
しかし、それは電話を掛ける前の涙とはまったく別な涙だった。

しんどいけど、明日(もう数時間後)からまたもう少し頑張ろう。
自分を本当に理解してくれる人がいるかいないか、たったひとりいるだけでも心の重さがまるで違う。

もう死にたいとは思わない。


きっと先生との付き合いは長くなる。
これからも宜しくお願いします


大泣きしたから、次に会うの照れくさいナ・・・笑


『続』

もう…頑張られへん、と心が叫んでいるのを無視して、私は今日もクルマのエンジンを掛け、職場へ向かった。

有給はまだ余裕を残して余っているが、さすがに2学期も差し迫った今日、しかも小学校と合同での研修がある日にしゃあしゃあと休むわけには行かない。

今日も、いつもと同じ時刻に目が覚めた。しかし、準備をする体に一向に力が入る気がしない。服を着替えるのも5分、10分。一旦座り込んでしまえば、そこからまた立ち上がるのに長い時間を要する。

いつもなら7:20には家を出られるのだが、そんなこんなでようやく私がクルマのキーを回したのは7:50だった。
夏休みだから、10分、20分くらいは誰も咎めないが、それでもいつもならこれくらいの時間に出ることがあれば、前の車を煽る勢いで道路を疾走している筈なのに、アクセルを引く手も、力があまり入らない。


本当は今日も休んでしまいたかったけれど、研修がある、と言うのと、副担任との打ち合わせを今日に延ばしてもらっているという諸々の事情から、動かない自分の体に気力を振り絞ってムチを打ち、職場へ向かった。
ふだん、清らかでエレガントな副担もさすがに2日連続「すいません休みます」となったら、にょっきにょき角が生えかねない・苦笑


階段をのぼるのも1段1段踏みしめるようにだし、「あ、先生やーおはよぅ」と声を掛けてくる生徒たちにも咄嗟に能面のような顔に貼り付けた笑顔しか出せなかった。


25日は元々休暇を取っていて、何日も前から映画を観にいく予定にしていたが、起き上がる気力が出ず、結局1日ほとんど飲まず食わずで寝ていた。トイレに起きる以外は寝てたかな

死にたいと思った。
でも私の「死」への願望は、いつだってI WANNA die.であり、I SHALL die.ではないのだ。
詰まるところ、それは、その裏に『生きたい』と言う思いが強くそこにある証拠だ。


次に、私は死ねないと思い、でもとてつもなくしんどいので仕事を辞めたいと思った。これから先ずっとこの仕事を続けていったときの負担を考えるとめまいがしそうだった。
辞めた時、どうして暮らしていくかを考えた。私が生きていく道など非常に狭かった。

良い仕事に就いたと喜んだ親戚の顔が浮かぶ。
『ほんまにしっかりした娘さんをもって』と褒められたときの父の照れくさいような誇らしいような顔が浮かぶ。

辞職と言う決断が、どれだけ彼らをがっかりさせるかを想像するのは容易かった。

私と似た状況で、不登校になった生徒の顔が浮かぶ。私だから理解できることもあるかもしれない。まだ、あの子に顔さえ見せてもらえてないのに、辞めてしまったらダメだ。
お母さんが涙を流すほどの重圧を思う。私はいけなかった時、母親に行かないのを責められたのが辛かった。彼女が責めていなければ、私の学校復帰はもう少し早かったはず。
その子のお母さんの苛立ちの矛先が、その子に向かないように、お母さんの不安なんかを聞いて差し上げるのも私に出来る微々たることだ。

障がいを持つわが子の将来を心配するお母さんの話に耳を傾けるのだって、私に出来ることだ。

行きたくても行けない子の気持ちとか、障がい者を取り巻く環境とか、自分の周りにそういうことがあまりないものだから、判っているようで判っていない人も多い。

私が辞めたら、そういう人たちをも投げ出してしまうことになってしまう。



辞めるわけには行かない。でもこのまま2学期を続けていくのは、色々な面で酷だと思った。出来るものならたとえひと月でも休職したい・・・と本気で考えた。しかし、今の私に休職できるような理由があるわけもなく、万が一そこに病名がつくとするならば心因性のもので、心因性疾患で休む同僚に対し、周囲の目がいかに厳しいかは実際に見ていて思い知っている。
仮に休職できたとして、職場復帰したとき、そんな棘だらけの視線の中に平気でいる自信はない。

心因性疾患で休職する教員が増加する昨今だが、そういう同僚に対して、労わりはないに等しい。病んだら負け、みたいな風潮がまだある。



『死』から『辞』、そして『休』にハードルが下がった。詰まるところ、その次のハードルは『続』


続けること以外にない。


でも、本当に体が重くて言う事を利かない。辛いなぁ、しんどいなぁ。。

せめてこのダルさだけでも解消できれば・・・と、仕事の合間にネットで自宅と同じ市内の病院を片っ端から検索した。
2学期が始まるまでにどうにかしたいと、この土日で診てくれるところはないか、片っ端から電話を掛けた。

今日の明日で、しかも初診で診てくれるところはあまりない中、ようやく1件見つかった。
ネットの口コミでも『親身になってくれる』という声が多かった。



『続』

そのハードルを蹴飛ばしてしまわないように、私は今、助走を付ける。


闘うのは自分にしかできない


「CTくらい、ちゃっちゃと撮りに行けボケぇ

母からの電話を切った後、私は車の中で悪態をついた。溜まりに溜まった苛立ちを最後の「ボケぇ」に込めてやる。本人にぶつけてやればよかった、と思った。


帰省したときに、母の右腋の下にしこりがあり、更に血液検査の結果、腫瘍マーカーも基準値を超えており、腹部CTも撮れと言われていることを初めて知った。

少しばかりショックだった。しこりがあるとか、ガンかも知れない云々以前に、私に知らされていなかったことが。
まぁ、母の意図は判る。へなちょこな精神ながら、私に心配を掛けさせまいとしたのだろう。私はいいから、その気遣いをもう少し祖母に向けられないものかな・・・と思ってしまう。


しこりは切って病理検査に掛けるようにとDr.から言われているらしい。


私はそんなに信用がないのかしら90手前の祖母にあけすけと言わないで、私に言ってくればいいのに


まぁそれはいいとして、元来医者嫌いの母は、このどちらの検査もなかなか受けに行こうとしないのだ。

親戚一同が集まったとき、皆異口同音に、『手遅れになってからでは遅いから、早く検査に行け』と言ったのだが、母は
『みんなおんなじ事言う~だいじょうぶよぉ~』と根拠のない『だいじょうぶ』を繰り返した。

プライドの高い人だから絶対に言わないが、要は怖いのである。

帰阪する当日、こうなりゃ無理やり・・・と車で連れて行こうと急かすと、幼子のように癇癪を起こし、ドアを勢いよく閉め、『自分で行くからいい』と座り込んだ。。

おいおい、もう62歳だろう・・・と呆れたが、どうにかこうにか宥めすかして、病院に連れて行ったはいいものの、結局検査は受けず、診察だけしてもらって帰ってきたようだ。


で、先ほどの電話で、「もう検査受けたんやろうね?」と訊くと、例によって、

『うふふふふふふ』と大山ノブ代もびっくりな笑いが返って来た。
彼女がそんな笑い方をするときはただ1つ。罰が悪いときだ。要領よく『行ったよ』なんて言う嘘はつけないのだ。

行ってないことを責め立て、さっさと行くようにと説教していると、

『でも・・・・(言い訳その1)』
『だって・・・・(言い訳その2)』


こんな調子なので、こちらが先に「もう知らん」となったわけである。。


なぜこんなにも検査に行かないことに腹立たしさを覚えるのか・・・と考えた。
私にとって彼女は、ストレスの元にこそなれ安らぎにはならない。自分にとって『百害あって一利なし』なのだ。

自分の中に母を心配する気持ちが眠っていたのだろうか。。。もちろん心配だが、そんな事だけではないような気がする。


悶々と考えていて、ようやく思い当たった。

・・・つづきはこちら

疑問と苦悶

毎日毎日、誰かにとって尊い命が



こうもたくさん失われていくのに



何故私はまだ
ここにいるんだろう



あなたの期待に答えられず
何の役にも立てていない



そんな私は何故まだ
生かされているのだろう



苦しくて仕方がない



でも私は
まだこの命を捨てられない


それもまた
苦しい

Little by Little...

帰省物語の次も早く書きたいけれど、なかなか・・・ 
後ほど時間のあるときに過去の日付でアップしますので、よかったら見てみてくださいね


(←この絵文字、相棒のぼーちゃんに似てるから好き笑)


「これ、つまらないもんですけど・・・」

お決まりのセリフで、某ショップの袋を差し出す。しかし、中身はそのショップの服では勿論ない。

『えー何ナニ??』と担当のN先生。

今まで帰省の際にこうして先生に対してお土産を買ってくるということはなかった。電車での行き帰りということもあったし、去年は私の運転が危ないからと父親がずっと隣に乗っていたしね。

今回買おうと思ったのは、日頃の感謝を少しでも表現したいと思ったからだ。
勿論、日頃の感謝はそのお土産で表しきれるような大きさではないのだが


色々名産品はあるウチの地元だが、私は超渋い選択をした。

「これねー、○○味噌なんです。お口に合うかわかんないですけど・・・よかったら」

『ああ、あのもろみ味噌みたいなやつ?』

「そうですそうですー。これあればゴハン何杯でもイケますよー

『嬉しいー主人が好きなのよぉコレ』


よかった嫌いな人は一口も食べないから心配だったのだ。そういえばN先生の旦那さんってどんな人なんだろう?滅多に話題に出ないからナゾだ。 イケメンかな??



結局N先生に手紙は書かなかった。やっぱり、怖くて書けなかった。気合を入れて選んだ金魚柄の便箋と封筒はまだ、タイガースカラーのLOFTの袋に入ったまま机の引き出しで眠っている。

でも何も進歩がなかった・・・わけでもない。


いそいそと自分のデスクにお土産を置きに行くN先生。
面白いし、かわいらしいところもあるし、幾つかわからないけれど若く見えるし、ファニー(いい意味でね)な女性だなぁと思う。私もこんなに愛嬌のある女の人になれればいいのに・・・


リハビリ開始。最近結構痛いと思う。その痛さが、N先生が腕を上げたのか、それとも私のコンディションの何かが変化したのか素人にはわからない。
リハビリ中、私は滅多に「痛い」とは言わない。それがポイントを圧迫する痛みや、作用する痛みである場合は。違和感のある痛みやどうしても我慢できない場合は言うけれど、大抵はどうにかこうにか耐えるばかりだ。

不思議と小さい頃からそうだった。泣き叫ぶ子が多い中、私が泣いた記憶はない。一度、訓練中に大泣きしたことがあるが、それも原因は「カメラのフラッシュが怖い」だった。CPの患者は音や光に通常の人よりも敏感になる場合が多い。大きな音や光に過剰に反応するのだ。
今はさすがに大泣きはしないが、フラッシュ付きで写真を撮れば9割は目を瞑っているし、運動会のピストルの音でもビクっとなってしまう。雷が異常に嫌いなのも、こんな特質と無関係ではないのかもしれない。雷っていえば、強い光と音のWパンチだもんね


小さい頃に泣かなかったのは、泣かなければ周囲が褒めたからだ。

『もっと大きい子でも痛い痛いって泣くのに、ほんまにえらいねぇあんたほど我慢強い子なかなかおらんで』などという風に。

あの頃そうと意識していたわけじゃないけれど、他人から認められたくて仕方なかった私はとにかく『えらいね』『強いね』と言う言葉を周囲の大人から引き出させるために行動していた。

本当に欲しいものはそんな言葉ではなかった・・・と気づくのはそれから15年以上経ってからだが。


勿論、大人になった今では『えらい』と言われるために痛みを訴えるのではない。痛みを訴えると、その訓練法を中止してしまうのではないか・・・という思いのためだ。

自分の体を守るためなら、多少の痛みは厭わない。
どうにもこうにも我慢できなくて、それによって著しく生活の質が落ちるなら、それはそれで問題だけれど、今のところリハビリに行くのが苦痛になるような痛みではないし、我慢できる範囲内だ。それにその痛みも異常な痛みではなくて、きちんと正しい力の入り方をしているが故の痛みだと、素人目にもわかる痛みだった。

でも体は正直なもので、やっぱり痛いと自分の意思とは逆に足があっちに動いたりこっちに動いたり、かと思えば力を入れる気もないのに突っ張ってしまったり・・・

なかなか問題児である、私の足・笑

体を側がい(横向け。変換でてこーへんどんな字かも忘れた今度はATOKが入ってるPCがほしい)にし、捩れている上半身を正常な位置まで持っていく。勿論、N先生の手ひとつで。

小柄な女性だから、捩れきっている私の体を正常な位置で長時間留めておくのは、かなり力のいることだろうと思う。終わった後、額の汗を拭う先生を見ていると感謝と申し訳なさの入り混じった気持ちが私の中で渦を巻く。

『これ、痛い?』
「いや、痛くはないけど・・・めっちゃ違和感はありますね・笑」
『これでまっすぐなのよ』


そのまっすぐな状態を「違和感」だと思うのだから、普段の私はそれほど歪み、捩れているのだろう。
でもまぁ、鏡を見れば想像は付く。

「なんかねー、骨盤と上半身が別々のモノみたいな気がするんですよねぇ・・・」
『へ?』
「骨盤と上半身をぶつ切りにして、骨盤の上に上半身をずらして置いてある、みたいな見た目じゃないですかー」
吹き出すP.T.
『面白い発想やね。まぁ骨盤と上半身がまっすぐではないから、そう感じるのはわかるよ』


側がいでのリハビリが終わり、仰向けのリハビリにうつる。この体勢がちょうどP.T.と顔を突き合せられるのでいちばん話がしやすい。

まぁうつ伏せだろうが横向けだろうが、声は充分届くし、相手の声も聞こえるけれど、やっぱり表情が確認できる方が円滑に話が進む。


言うか否か。
迷った。
瞬間の短い時間の中でたくさんの逡巡を繰り返した。

先生に言ったら、困らせるかも。ウザい患者だと思われるかも。
それは怖いけど、でも伝えたかった。私の感じていることを少しでも共有してほしいと思った。


覚悟を決める。
一抹の不安を残したまま、私は自分の中にある言葉のかたまりを音にした。

「最近ね、自分の生き方が間違ってるんじゃないか・・・って思うんスよ」

ここでもし、N先生がこれをシュールな自虐ネタとして笑い飛ばしてしまったならば、私はここから先を言わなかっただろう。しかし先生は、注目して私の次の言葉を待っていた。

まぁ私の表情と声でネタではないことは丸わかりだけど。。

いつもなら癒し系にも聞いて欲しいと声を心持ち大きくするけれど、今日は別に聞いていてもいなくてもいいと思った。

私はN先生に言いたい。


「私、今まで無難な生き方はしたくないって思ってきてね、何でもしてきたし、自分のしたいことはしたし、出来ないことも出来るようにしてきたけど、それが逆に自分の首を絞めてんかなぁって。いちばんなりたかった仕事に就いたけど、それが結果的に自分の体に負担を強いてる。事実、就職して機能は落ちるばっかりでしょ?」


「無難」な生き方をしないようにと、努力することで体に負担を掛け、結局は自分の体を磨耗することに繋がる。結果、二次障害の現れは早く、身体機能の維持できる期間は短くなる。

「私、こう言うと失礼かもしれませんけど、無難な生き方をしてる人に反発してたんですよ。体に負担を掛けないで生きる道を選んでる人たちと自分は違うって思いがあって。自分はそんな生き方はするかぁって思ったし。就職するまでは自分を障がい者だと思ったことはなかったんです。健常者の人と対等で同じやって。でもやっぱり、就活のときに(あぁ、私は『障がい者』なんだな)って思い知って、就職してからも変わらんくて・・・。」


本当はずっと心の奥底で『無難』な生き方(つまり一般社会と広く関わらずに障がい者のコミュニティの中に自分を多く置く)をしている人たちに、私は優越感を抱いていたのかもしれない。

私はあなたたちと違うのだ、と。 一般社会で健常者の人とまったく対等に肩を並べられるのだ、と。


ある意味で、この優越感は「差別」なのかもしれない。

鍵カッコのついてない文章は先生に直接言ったものではないけれど、いつかこれについても他の人に意見を求めてみたい。私が抱えていたこんな思いも差別に入るのか否か。


私は普通の障がい者とは違うのだ、と漠然と、しかししっかりと思っていた。あなたたちが触れようともしない可能性に手を伸ばしているのだ、と。

でも可能性を可能にするには、健常者より何倍も負担がかかるのは事実だ。

今でもギリギリ、一般社会で肩を並べているものの、本当にギリギリ。帰宅する頃には疲れきってもう物も言いたくない日もザラだ。
肩肘を張って張って張りまくって、何とか維持するのがやっと。

そんなに疲れるのだから、機能が衰えるのも無理はない。自分の機能が加速度を上げて低下していくのを見るにつけ、ある思いが浮かんだ。

無難な生き方をしている人より、私の方が優っているなんて、タダの奢りではないか。
何様のつもりだ、私は。私のどこが彼らより偉いと言えよう?
後先考えないで刹那的に生きている、タダのバカとも言えるというのに。。。


「無難な生き方はしぃひんと思ってやってきたけど、無理をしてることも多いわけで。。ほんなら、私より自分の限界をきちんと把握して、その中で負担のかからない生活をしている人の方がよっぽど賢明なんじゃないかって。無理をすればするほどADL(Activity of Daily Living.日常生活動作)の寿命は短くなる。無難でも負担を掛けへん生き方の方がADLは長持ちする。ほんまはしたいこともあるかもしれないけど、自分の能力限界を知ってその中で生きている人の方が、賢いですよねぇ・・・」


『そういう生き方を、だから「無難」って言うんよね・・・』


うーーーむ・・・まぁ・・・ね。

言いたいことはすべて的確に言葉にできなかった。

今までずっと正しいと思ってきた「あなたたちと違う」生き方は間違っているかもしれない。実は無難だと思っていたのが正しいのかもしれない。
そう悶々と考えていた。もし、私の生き方が間違っていたならば24年という歳月はいったい何だったのか。


『確かにめぐさんの状態で、この仕事を続けるのはほんまにしんどいと思う。なくすものも多いけども、その分、他の人は得られないものを得てるかもしれないし。何を重要視するかよねぇ。自分の限界なんて自分でもなかなかわからへんもんやし。でも、仕事で負担が掛かることをどうやったら軽減できるか考えてはんのはすごいと思う。』

「出来てないところを『障がい者を雇うんじゃなかった』って思われたら嫌やから、肩肘張りまくって生きなあかん・・・でもなかなか、それもしんどいなぁ・・・って」

『でも、前向きに考えてはるよねー』

「そうですね。でもこんなん所詮はハリボテですよ、ハリボテ。」

『もう折れそう?』

「うーん・・・どうかな。でもかなりキツいっすね」


胸のつかえが100あるとすれば、そのうちの7つくらいだが、それでも色々な事を気遣ってそのうちの0.5も言えなかった頃に比べれば、だいぶだと思う。

肩肘を張りまくって生きなあかん。=しんどてしゃぁない・苦笑
前向きさは自分を保つための必死のハリボテ=その後ろには弱い私がいる。

「2大吐き出したい要素」を言えただけで、この日は収穫ってものだ。


でも聞いてくれた。嫌な顔せず、しっかり。それが嬉しかった
やっぱり、この先生には言ってもいいのかもしれない、と少し思った。

衰えていく自分を客観視したら、気が狂いそうになるのだとはこの日カミングアウトできなかった。

でもいい。少し前に進んだ。少しずつ、気持ちを言葉にして行こう。


さて、そんな後で、私にN先生から「ブラジャー禁止令」(爆)が出た
詳細は続きリンクより。 あ、別にエロい話じゃないよ・笑   真面目な医学の(?)話ww
 

・・・つづきはこちら

帰省物語 ①

帰省して数日。 
最初は1週間なんて乗り切れるのか・・・と思ったけれど、うまい具合に予定がどの日にも詰まっていて、家にこもることなく済みそうだ

この間言っていた、ライブのレポや花火のレポもしたいところだが、タイミングを見計らっているうちにまた書きたいことが積もっていく。追いつかないよーーー

14日。愛用のピンクのボストンバッグと紙袋を積み込み、自宅を出発
途中、ショッピングモールに併設されている百貨店に寄って、帰省土産を探す。学生時分は手ぶらで親戚の家を訪れても何も言われなかったが、社会人になってからは容赦なく『あんた、仏さんにお供えするもんないん?』と来る。
別に姑の家に行くわけじゃあるまいしと思うが、そこんとこ甘やかしてはくれないウチの親戚。。

『年寄りになると、良いものを少しだけ食べたい』が口癖の、祖母の家にはモロゾフのフィナンシェの箱詰めを、おじのところには、岸和田銘菓の『だんぢり』を買って帰った。

『あんた、岸和田市民でもないのに』と突っ込まれたけれど、ふと、小さい頃に父親が大阪に出張に行くと決まってこのお菓子をお土産に買ってきたことを思い出し、急に懐かしくなって手にとってしまった。


今回は一人きりではじめての高速道路の運転。
私の故郷へ向かう高速道路は、県内で途中から片側1車線になり、中央分離帯は赤いポールのみ・・・というツワモノである。
去年の夏、車を買ったばかりで帰省する際には70kmで走るのにも騒ぎまくり、右側のポールに当たりはしないかと左よりの運転をしていて、助手席の父に『もっと右もっと右』とひやひやさせていた。

しかし、慣れとはすごいもので、今回2車線の道は110km、1車線になってからも80kmはキープ。それでも怖いとは思わず、自分の実家の近くのICまで喚くことなく運転してきた。
自分の車の車幅と、道路の幅を的確に見られるようになってきたのと、速い速度で運転することに慣れたせいもあるのかなw

ところが、だんだんだんだん市街から実家へ向かって行くと、広がるのは一面山と田んぼ。もちろん道はどんどん狭くなる。
大阪などの都会で運転しなれていると、車線の多い道路や、交通量の多い場所での進路変更なんかは容易に出来ても、こんな田舎の細くてぐねぐねと曲がりくねった道は運転しにくいのだ。。

ブレーキを必要以上に踏んでいる私の前方を、1台のVOXYが器用に細い曲がり角を曲がっていく。もし脱輪すれば田んぼに突っ込み、稲をなぎ倒してしまうところだが、そんな心配をかけらも感じさせない。

「あんなデカイ車、よう落ちへんな。なぁ?ぼーちゃん」

助手席に転がしている緑色の「相棒」を見やる。独特の愛嬌のある顔と、そのふにふにした触り心地は心を緩めるのにちょうどいい。普段から良い癒し役だけれど、帰省となると軽い精神安定剤代わりにもなる。


実家の古アパートが見えてくる。車1台しか通れない道を慎重に運転しながら敷地内に入ると、サルと目が合った

・・・・と思ったら母親だった。。。笑

顔を見るたび、驚く。どんどんどんどん、その表情から知性が消えていくのだ。その表情は幼い子どもか、賢すぎるチンパンジーのようだった。
昔はもう少し、理知的だったのに・・・と落胆する。いったい何が彼女から知性を奪っていくのだろう。認知症でもないのに、ここまで子どものようになる原因がちょっとわからない。

しゃがみこんで何をしているのかと思えば、服をびしょびしょにしながら何かをゴシゴシと洗っていた。

今見ているのが、自分の母親だとにわかに認めたくなかった。     次回に続く。

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