Think&Said to Myself
日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw
『すきになっても、いいですか』
決して聞いてはならぬ問い。。
ようやく、尊敬だけを私の心に残して貴方を見られると思っていたのに。
どうしてこう、そういうときに限って、貴方は私を泣く1秒手前まで追い込むのですか。それも安堵の涙を。
癒し系男性P.T.を尊敬し始めてから、私のリハビリに少し変化が。
だだっ広い訓練室で、クランケは畳1.5畳分くらいのスペースを使う。いつも寝そべる場所が決まっているクランケもいるのだろうけど、私はその日の気分と空いている場所で選んでいる。
それまではその癒し系P.T.から一番離れている場所・・もちょくちょく使っていたが、尊敬し始めてからは、、
横隣
縦隣
ななめ向かいなどなど、できるだけP.T.の近くを陣取るようになった。
一度縦隣に陣取って、担当P.T.に「ちょっと後ろへ下がって~」と言われ、後ろを確認せずにうつ伏せに寝たまんま、にょいーんと下がったら、癒し系P.T.の背中に私の両足が突っ込み、周囲が爆笑の渦になったことも・・・あるにはあるが・・・
笑動機はもちろん、先生の価値観を探りたいから。
これは別に、このような心境だからと言って男性としての・・・ではなく、クランケとしてのP.T.に対する純粋な知的(?)好奇心である。
何を思って仕事をしてるんだろう。
そのプロ意識はどうして保てるんだろう。
日々前にする様々な障がいや疾病をどう見ているんだろう。
知りたいことは山ほどある。
特にCPに関してポロっと口にしたことなんかは自分にも大いにためになる情報だったりすることもある。
この日は、横隣を陣取った。
クランケの身体状況をアングルを変えて見るためなのか、隣で担当の先生が現れるのを体操座りで待っている私のすぐ近くまで癒し系(と省略します)が下がってきて止まる。
一瞬、心臓が跳ねた。ほんとに一瞬。その時点では私は今みたいにまたモヤモヤすることもなく純粋に尊敬だけを取り残していることが出来たから。
後ろに両手をついてクランケを眺める癒し系。
(ちょ、近ぇよ
)なんて思ってしまった私は、中学生以下?笑恋愛対象になる・ならないに関わらず、男性と肩が触れるくらいの距離で並んで歩くこともまぁないこともないし、ゴハンを食べたり、飲みに行ったりすれば、今よりもっと近い距離に座って話だってするというのに。
一瞬でも意識した男に、私は極端に弱い。
肘が当たるほどの距離で、ビールにほっけなんてつついている男友達でも、一旦恋愛対象に入るようなことがあれば心臓は人知れず、跳ね回るに違いないのだから。
意識していないときは、その肘がどれほど当たろうが気にもしないって言うのにね。
自身の体重を預けているその手を横目でちらりと見やった。
少し日焼けの残る手。
すらりと長い指がマットをとらえている。
たとえば彼が、食虫用のイモムシのような指の手をしていて、おでこは後退していて、顔には脂がギッシリのオジサンだったなら、私は春先からこんなにも思い煩っていなかった筈。
生き方を尊敬する・・にプラスして、外見も私のタイプだったのだ。
別にイケメンが好きなわけじゃない。自分のクラスの生徒たちが『三浦春馬がかっこいい』とか『翔君ラブ』なんて夢中になっている傍らで、担任の私はといえば、にこにこ話を聞きながら実際のところ、
(あれのどこがいいのかねぇ・・・)という心境だったりする。
別に外見で人を好きになるわけじゃないけれど、私が過去に好きになった人はすべて共通点がある。それを考えれば私にもタイプというものが存在するらしい。
面長で、どちらかと言えば細めのかっしり体型。指の長い男性。
母親には、「あら、それってお父さんじゃない
」とにやにやされるが、いや、私は白髪の似合うオッサンになる人がいいのだ。父親のようにノーヘルで作業していたら、防御するものが何もない頭は・・・・
笑どうでもいい話だが、頭上から降ってきた部品でたまにアザを頭に作ってはる。しかも心もとないてっぺんめがけて部品が降ってくるなんて・・・石頭なおかげで大事に至らずに済んでいるけど、一歩何かを間違えば命に関わる仕事だけに気をつけてほしいものである。
父の仕事は電線に流れる電気を遮断して行う作業も多々あるが、作業を行う区間だけを遮断する場合も多々あるらしく、一度父は仕事仲間が遮断されていない電線を不注意で触り、何万ボルトの電流が駆け巡ったその仲間が電線の上から落ちていくのを目の前で見ている。
勿論、電線の上を歩きながらの作業だから命綱もつけているが、感電した仲間が綱1本で空中に宙づりなところを見てしまったらPTSDにでもなってしまいそうである。
そんな父も、仕事に使う機械の刃で推定4針は縫うケガをしたことがあるが、医者嫌いの父、自分流の止血とビニールテープで患部を縛り、医者に行かずにくっつけてしまった。。痕は残ってるけど。。。
サバイバル生活をさせたら絶対生き残るのは父だと思う。
だてに戦時中、戦後を生きてはいない。
話を戻して。。。
思えばミッキーさんもそうだった。面長のやさしい顔にすらりと長い指。細いけどひょろひょろじゃない。
それにしても物理的距離が近づけば近づくほど、何なんだ、このにじみ出る安堵感は。
だから振りまくなって言うてるやん
笑やがて、自分のリハビリが始まり、担当P.T.と話をしながらも癒し系の発言には耳ダンボ

クランケの女の子に堂々と『よっぽど太った』ときっぱり。
へぇ~そんなことも言っちゃうのか、と思ったけど、女の子の方はかなりのゲラ体質で、けらけらと笑っている。それを聞いて憤慨する様子もない。
まぁ、下肢や体幹に不自由がある者にとっては体重に関する話も立派に医学的見地から話をしたりする。
私も体脂肪が少し変わっても、支える力に影響したりするのだ。
とは言え、元々あまり体重が変わりにくいので普段は気にしないが・・・。
あまり痩せもしないけど、太ることも少ない。
そんな尊敬癒し系の横で私と担当の先生は・・・
「いやぁ~金曜のビールってなんであんなにおいしいんですかねぇ~?」(ヲイ)
『めぐさん金曜だけでしょー?』
「平日に飲んだら、家で片付けるべき仕事が出来ませんよぅ」
なんだ、このオッサンよりオッサンくさい会話は・・・苦笑
でも本当に社会人になってから、仕事のあとのビールがおいしい。
私はやっぱキリン派です・・・なんてところでおっさんくさい会話に終止符を打ち、友達の結婚式で履くべき靴について相談していると偶然にもお隣でも靴の話題が登っていた。
女の子の言う事の断片を繋ぎ合わせると、履きたい靴を履けば足が痛くなる。でもそれが履きたい。痛くならないやつはダサい・・・ということのようだけど。
それを聞きながら、自分もそう思う頃があったなぁ・・・って振り返って、思わず私から柔らかな笑みが零れる。
細いヒールの女性らしい靴に憧れた。それでコツコツ歩くのが小気味良かった。
多少足が痛くなっても、ファッション性のあるデザインを重視したかった頃が私にもあった。
だいたいヒールの靴なんて、足に何も問題を抱えていない女性でも快適な履物ではないのだし。
20歳も過ぎてしばらくすれば、もういいや、といい意味で諦めがつく(つけざるを得なくなる)けども。。
今はヒールに執着はないけれど、甲の浅いぺったんこパンプスやモカシンが履きたい。踵をうまく地面につけて歩けない私は、甲の浅い靴を履くと、足が靴からぱかぱか離れていくのだ。足首にベルトのある靴でないと甲の浅い靴は履けない。
癒し系としては、快適な靴のほうへ持っていきたいらしく、色々言っていたが、前置きはほとんど覚えていない。
何故なら、私の心に衝撃を与えるにはその一言で充分だったから。他が一瞬にして色あせた。
『人間て、身に着けるもん(で決まるんと)ちゃうやろ。それでどうこう言う奴が間違ってる。(中略) 我慢して履くより痛くないのんの方がええやん』
何気なく聞いた言葉が、脳内で意味を成した瞬間、私の胸のつかえがすーっと降りた。肩の力が抜けた。。
思わず、深呼吸した。
この先生が話をすれば、私が生きているうちに溜めてきた苦悩をあっさり打ち砕いてしまう。
自分にずっと言い聞かせてきた言葉。
服と靴が合わないのが何?そんなんその人を判断するんに関係ない。
でも、やっぱり客観的に誰かの口からそれを聞きたかった。
言われるかどうかわからないで待ちわびた言葉。
包み込む安堵感。うれしさ。思わず涙が出そうになった。
私の手術の話の時には、医者に「女の子なのだからボルトと金具を埋め込んだ足で、電車やバスに乗らせるのは」とあんなに食ってかかったけれど。
どうやら、機能・見た目、どちらかに重点が傾倒しているわけではなく彼の中ではケースバイケース、もしくはクランケバイクランケらしい。
貴方が私の望むときに私の望む言葉をくれるのには、最も残酷な真実がともなう。
そんな詩を少し前に書いたけれど。それは私がCP患者であり、その病院のクランケだから・・・。
彼にしてみれば、自分の職務を一生懸命全うしているだけに過ぎない。ただそれだけで好意を寄せられてしまっては甚だ迷惑と言っても過言じゃない。
でも・・・そんなに私が欲しかった言葉ばかり投げかけられたら、聞きたくなる。
「すきになっても、いいですか?」
さらに驚いたのは、彼が忙しいクランケの都合に合わせて出勤日と休みの日を設定しているとわかったときだ。
なんでそこまで一生懸命になれるんだろう。不思議。
彼の声を聞いていたら、23年間CPのためにぐっと飲み込み胸の奥に溜め込んでいたものが、あっけなく溶かされる。
悔し涙を飲んだ幼い日。あの頃に出会えていたら、もっと早く私は救われたのに。
でも今、溜め込んで塊になったものを砕かれ溶かされる度、私は小さな子どもに帰ったような気分になる。
ほっとして泣きたくなる。
いま。幼い日の追体験を教壇でしている。心無い生徒の言葉に、生徒の前では何事もないかのように振舞っていても、ふと1人になれば「子どもだからこそ」のストレートな言葉に傷つき、泣きたくなる。
子どもを呼び止めねばならないとき、周りがうるさすぎて自分の自慢の地声(??)ではかき消され、駆け出す。でも、ゆっくりゆっくり歩いているはずのその子に私の全速力は届かない。見る見るうちに見失った。
歩いている生徒に走って追いつけない悔しさ、情けなさ。
さらに一部の私を嫌がるやんちゃ君たちが、私の走る姿を見て厭らしい笑みを浮かべる。
子どものやること。
でもだからこそ、人知れず傷つく。
私が個人的に注意をしても、自分に対することだからあまり客観性がない。
そうやってからかうのは「いけないこと」という認識を与えるより先に「自分が嫌な事されてムカついたから、こいつはキレとんや」そんな認識が植わってしまう。
客観性を持たせるためにも、他の教師も積極的に注意して欲しいと思うが、わからないのか、自分たちが介入すべきものではない・・・と思っているのか、ノータッチ。
わからないのなら、わかってもらわなければと思うが、こういうケースの的確な伝え方がイマイチよくわからない。
故、孤独に闘う。
自分の限界と。
子どものなかの無邪気な悪魔と。
でもキャパはもう超えていて、こんな日は、無性に顔を見たくなる。
錯覚や妄想でしかないかもしれないが、彼なら理解できるはずと思うのだ。
その深い海のような眼差しで、こんな情けない私の存在価値を見透かしてほしい。
できないことがいっぱいあっても、それは私自身の欠陥ではないと再確認させてほしい。
そんな小難しいこと、やっぱりどうでもいい。
ただ、貴方を見れば安堵する。求めるのは、その安堵感。
しかし、このややこしい中途半端で強い感情をいったい何と呼ぼう。何と呼べばいい?
メゾ・ピアノ
水曜日。
一晩で仕上げろと言われた書類が未完成だったことで、先輩の先生にこっぴどく注意され、「この仕事( を続けるの)はキツいと思うわ」と言い放たれた。
もちろん、明日の朝イチでと言われていたものを仕上げていなかったのは私の側のミスだから責められるのは当然のことだ。それはわかっているからどんな言葉でも受ける。
しかし、私とて「しなくていい」と思っていたわけではないし、怠けていたというわけでもない。
ここ1、2週間、睡眠も満足に取れない。3、4時間のこともあるし、5、6時間寝た日も眠りは浅いのか、よく夢を見る。
朝起きても、疲れは体に溜まったままで重だるい体を無理やり叩き起こすという感じだ。
朝晩するように・・・といわれている自主リハビリも、あまりにしんどい日は出来ない。持続性はあまりないけれど、背骨の捩れと、内股が若干緩和されるので体の重心も安定しやすいが、リハビリをしていない日はそれがないので余計にしんどさが溜まっていく。
座っていて立ち上がり、立ちくらみとまでは行かなくても一瞬目の前が白くなる・・・そういうことが増えてきた。
こんなに疲れる日がいつまで続くのだろう。
そんな思いに駆られる日が多くなった。
・・・・このままではいつか倒れてしまう。
そして、そういうときにこそ、自分がしなければならない仕事は多い。
先輩の言う言葉を、くっと飲み込んだ。その先に痛みが走る。。
自分が一番したい仕事だからこそ『する資格がない』と言い放たれたのはキツかった。
自分のデスクに戻り、気づかれぬよう小さいため息を吐いた。
主任がやってきて、隣の椅子にどっかと腰をかける。
こういうときは大抵、『あんた、(ミスも)ええ加減にしとけよ』とか『だから言うたやろ』と言われるのが常だ。
しかし、この日は違った。
『最近、しんどいんか?』
一瞬驚いた。てっきり叱責されるものと思っていたから。
「・・・・・・・。」
『なぁ、そうなんか』
「・・・・・・・・・。」
やめてくれ。今さっきぐっと飲み込んでしまったものが溢れそうになるから。いたわるような言葉など掛けないで、いっそのこと、心が腐るほど叱ってくれればいい。
言葉を発せなかった。一言でも何か口にすれば、さっき飲み込んだものがあふれ出すのは自分が一番良くわかっていた。
そんな私を知ってか知らずか主任が畳み掛ける。
『昨日も帰ったら疲れて何もでけへんかったんとちゃうんか』
黙っているのも限界だった。
それは別の限界をも意味した。。
自分の顔が歪んでいくのがわかった。
でもまだ意地は残っていた。
嫌だ、職員室で泣きたくない
先ほど自分を叱責した先輩の先生は、昨年送り出した卒業生が遊びに来ているとかで席を外していた。
内なる嗚咽を掻い潜り、押し出した声は潰れていた。
「すいません」
それしか言えなかった。
『ティッシュの大量配布でございま~す』
主任がおどけてボックスティッシュを差し出す。
「ぁ、ティッシュあります・・・」
『どこに??』
My desk is dominated with Chaos////
笑 てか、支配するって、dominateでよかったのか。
最近本当に英語力が落ちている。。。
『同じことをして人より体力を多く消耗してしまうのは仕方のないことやし、そこをどうこうでけへん。だったら、どうしたら短時間でできるんか、どうしたら負担なくできるんかを考えらなあかん』
とぼとぼとチャリをこぎ、家路に着く。
鍵を開け、部屋に入り、電気という電気をつけて回る。
場違いな明るさの中で、自分のものとは思えない情けない声が溢れてはこぼれ、溢れてはこぼれていく。
いつも心にブレないであるのは、『それでも教師で在りたい』ということ。
でも、私は教師でいていいのだろうか。
そんな思いに捉われる。
自分が情けなくて涙が出る。
涙を流している自分が情けなくて、また・・・・。
自信のかけらもなくなった。
再生へのスタートライン
数年前の私なら想像もしなかったこと。もう初めて今の病院のドアを跨いでから、3年が過ぎようとしている。ちょうど産休明けで担当してくれたN先生の子どもも3歳。なんだか一緒に成長しているようで勝手に親近感が湧く
笑今。N先生ともすっかり信頼関係が出来上がり、お互い色々な話をするようになった。
今日はお互い、子どものグチ。
私は聞き分けがなくなってきた生徒たちの。
先生のほうは、そろそろ第一次反抗期に入ろうかというお子様の。
「もう、ほんまに今週はしんどっくてねー、月曜から金曜の夜を待ちわびてたんですよ
」爆笑するP.T.

「昨日は『もう我慢できひん』と思ってビールかっ食らいました
仕事帰りのビールがおいしいなんて、オッサンですね、やばいなー私。」『めぐさん飲めるんやねー』
「でも最近疲れてるからなんですかね・・・まわるのが早くって。頭はしっかりしてるのにね、足元はふらふらになっちゃうんですよ
」本性もたまに垣間見せるようになり・笑
『25過ぎたら弱くなるよー
』まだ25じゃないですーなんて話もしながら、時折超まぢめにCPの話もする。
今日は最近思い悩んでいることを言ってみた。
「生徒がね、私に対して何か言ってきたときにどこまで私が注意していいものなんか・・・っていうのんで、最近ずっと思ってて・・・あんまがみがみ言っても客観的にあかんというより、私が言われて腹立ってるだけって感じに見えるじゃないですか」
生徒も子どもなりによく理解していて、たとえどんなに私に腹を立てようが、わざとぶつかるような姑息なまねはしない。でも、ここのところ言葉によるものが目立っていた。
それほど目くじらを立てるほどの暴言でもないけれど、そういうのには慣れているといえど、それでもやはり傷つくものだった。
「この間もリレーの選抜メンバーが決まらなくて、生徒とモメたんですよ。そん時にある子がね『どうせ先生らリレーとか出たことないからウチらの気持ちがわからへんねん』って言われて、思わず『(リレーに出たこと)あるわ!!』ってムキになってしまって・・・器ちっさいなぁ
と思って自己嫌悪ですわ」本当はリレーも運動会や体育祭も毎年出てたと言うと、その子が「どうやって出るねん」みたいな人を馬鹿にした厭らしい顔で笑ったことで、私の心はさらにえぐられたのだが、相手は子ども。そんな内心を悟られないようにした。
誰もいなくなった教室に私の悲しみが場違いにぷかぷかと浮いていた。
掃除が終わったばかりのきれいな黒板を力を入れて消した。それも飽きるとチョーク受けの白墨を馬鹿みたいにきっちり拭いた。そうでもしなければ気が紛れそうになかった。そうでもしても気は紛れなかったが。
『教師と生徒じゃなくて、ひとりの人間と人間って考えたら、別にムキになっても怒ってもいいんじゃないかなぁ。こんなん言われたら傷つくねんって教えてあげた方がいいと思うのよー。きっとわからへんのやろうし』
ふむむ

『私も子どもに怒ってばっかりになっちゃっててね~、保育士さんに言ったら、『人間だから怒ってる姿を見せたっていいのよ、そうやって親子関係を築いていくんだから四六時中良いお母さんじゃなくていい』て言われて楽になったわー。めぐさんも良い教師であろうとしなくていいんじゃないかな』
ふむふむ


「リレーの件だって、私からしてみれば『お前ら走れるのに贅沢な
』って思っちゃうんですけど」『言ってやりゃいいやん』
「そんなん、私の都合じゃないっすか。でも、ほんま良いもの持ってるのに、それを活かそうとせえへんのはもったいないですよね」
自分が当たり前に持っている健康の尊さを伝えられない、歯痒さ。
「なんかね、当たり前にできるような簡単な人の気持ちや痛みを察することができなくなってる子が多いと思うんです。私の話も全然入ってかないし。『なんか言ってはるわ』みたいな感じで」
『それ子どもの担任の先生も言ってたわ。3歳や4歳からでも人の気持ちを推し量る力がない子が多いって。だからね、『毎日1度は抱きしめて大好きって言ってあげてください』って言われるんやけど、(そんなケツの痒いことできるか!!)ってなかなかね・・・』
先生もたまに本性覗かしはる
笑どうやらなんだか似ているらしい。このP.T.とクランケ。笑
「ビリになるのが嫌やって抜かすからね、『ビリの特権は全員の背中が見えることやねん!そんなんビリだけや』言うたら『だから?』って流されましたよ。」
『めぐさんおもろいなぁ』
「全員の頑張ってる背中を見れるのはビリだけやのにねぇ。考えようですよ。自分の背中は絶対見れへん。でも頑張ってる姿を誰かが絶対見てるし。そういうの判ってもらえないんでしょーかね・・・」
もどかしさは募るばっかし。ほんま無力。。
さて、この日も癒し系P.T.はといえばプロ意識200%で親御さんに丁寧に自宅で出来るリハビリを、いつもののほほんとした口調ではなく、働きマンモードに入ったピリっ、パシっ
な矢のような口調で仕込んでいた。私はといえば、勿論その表情や話し方に癒されはするものの、少し自分の想いに距離を置けるようになってきた。
当たり前の話だが、真剣に今起きていること、今後のことを一緒に悩んでくれるのはどのクランケに対しても一律に平等なのだ。
彼の私を見る目はひとりの人間として以前にひとりのクランケ。
私のリハビリ後の歩き方を観察する眼なんか、まさにそうだ。
期待してもだめというわかりきった事実が具体性を伴って心にすとんと落ちていく。
まだ少しフクザツだけれど、前みたいに焦がれるようにそのやさしさを求める焦燥感はだいぶ減ってなくなりそうである。
もしまた、製外の医師に会ったときみたいに自分のために真剣に意見されたら、どうせまた心はぐちゃぐちゃになるのだろうけど。。
その前に、誰か別の人にぐちゃぐちゃにかき回してもらえば問題ないかな・笑
少し前のログで悪化の一途を辿るだけなのにどうしてそんなにプロ意識を保てるのか。その原動力は何なのかと書いたと思うが、最近問うたわけではないけれど、少しその原動力がわかった気がする。
少し前までの私は、来るべき悪化に備えているという感じだった。
いかに心静かにその時を迎えるかということに全焦点が当たっていたのだ。
けれど。ここ数週間で確実に自分の中で何かが変わった。再び闘う気になったのだ。
それはP.T.の師匠であるK先生に教わった自主リハが効いているという事実にも後押しされているが、どのクランケにも言える事がひとつある。
病気や障がいの程度がどうであれ、それが悪くなるものであれ、その事実は変えられなくても、今日を、明日を生きる姿勢というのはその人次第でかえられる。
嘆いて自分は不幸だと思いながら、涙に咽び生きるのか。
それとも微かな日常の喜びを掴み取る努力をしながら、笑顔を絶やさずに生きるのか。
もちろん、前者をまったく知らないのもなかなかないこと。
きっと想像だにしない苦しみに直面したとき、それを即座に受け容れられる人間もそういない。
でも、前向きに生きようとしない人間にチャンスや運は巡ってこない。
嘆いている人がそういうものを掴むときだって、このままじゃいけないと思ってからだと思うのだ。
待っている運命がどれほど酷でも、前向きに生きるということは誰の上にも平等にありえるもので、唯一その身体能力の差に左右されず手にすることが出来るもの。
ならば、少しでも前向きに生きられるようサポートするのもP.T.の大事な役目

昨日まで嘆いていた人が、今日しっかりと明日を見据えられるようになったなら。
たとえ体は動けなくなろうとも、P.T.は無力じゃない。
だからどんなクランケにもあれだけ真正面から向き合えるのだろうな。
勿論P.T.たちから直接聞いたわけではないから私の推測でしかないけれど、でもきっとそうだと思うのだ。
私も昔はどれだけ自主リハを勧められても面倒くささが先行して、なかなか実行しなかった。
でも今回、効果が証明されたのも手伝って三日坊主にならずに済んでいる。
私が維持しようと頑張れば、きっとP.T.の心にも何か変化がもたらされるだろうと信じている。
それで相互にプラスになれば、それはスゴイ事だ

最近担当P.T.はにわかに気合いが入っていて、今回も予定の時間をオーバーしてクランケが私だけになってもリハビリをしてくれた。
その期待に私も応えなきゃ。
同じ悪くなるという結果が、たとえ変わらなくても後々振り返ったとき指をくわえてみているだけだったという結果は避けたい。
いつも癒し系P.T.が私には「お疲れ様」と言わず「こちらこそありがとうございました」と言うのは・・・そしてこれからもそう言ってもらえるのかは私の姿勢に掛かっている。
私もただクランケとしてされるがままになるだけでなく、周りに何かプラスの影響を残せる人で在りたい。
故郷
いつもはT駅行きの地下鉄経由でまっすぐ帰るのだが、この日はA駅で乗り換えた。懐かしい場所を訪れるために・・・

もう千度乗っているK駅行きの電車。見慣れた車体、聞きなれたアナウンス。こういう言い方をするのはへんだけれど、そのすべてが五臓六腑に染み渡って、心がほぐれていく。
・・・やっぱほっとするなぁ

どのへんで車体が揺れやすいのか。
どこの車両に乗れば降りやすいか。
体が全部覚えている。
懐かしい大学前の駅で下車。自分より少し若い喧騒の中を歩いていく。あ、やっぱりウチの学生だなって感じがする。
今住んでいる家の最寄り駅も、某大学の最寄り駅なので学生はよくいるのだが、どうも学校が違うと学生のカラーも違うようで見ていてもほほえましさが湧いて来ない

から揚げ屋台の看板わんこと心で会話をし(笑)、なだらかな坂道を登っていく。正門が見えてくる。
ビシっと決まった制服で白い歯をカッと見せ、あったかい笑顔で迎えてくれたのは仲良く話をしていた守衛さん。
『お、久しぶりやのう』
癒されるぅ

最近はあんまり授業に出ていないのか、と問うおっちゃんに卒業して今は教員として働いていると報告。今日は遊びに来たのだと言うと、
『いつでも来ぃや~』
おっちゃぁーーーーーん

やっぱ大好き
(←あったかいオジサマファン)笑そこから構内で院生の友達と合流し、ゼミの最中である研究室に突撃することに。
いよいよA先生との再会のとき。。
法学部・文学部の学舎へ続く険しい坂道。入学したての頃は、ここを半分登っただけで息が切れてたんだった。
4年間、繰り返し繰り返し通ううち、動悸はしなくなり、息もそれほど乱れなくなった。
就活のときはヒールでここを登った。
坂を登り終え、懐かしいスロープの先には教授の研究室が入る研究棟がある。
そこはまだ、改革の波には呑まれず(と言っても数年前に改築したばかりだが)あの頃のままを留めていた。
裏手の鉄扉を開けた。寒い冬の夜、ここを開けて外に出、その寒さにマフラーを忘れたことに気づいた日が、ふと蘇った。
へんに音の響く階段。2Fへと上がる。ゼミは英文科の合同研究室(通称・合研)で行われる。去年と変わらない。
A先生に事前にアポは取っていなかった。来てしまったものの、お忙しいんじゃないだろうか・・・
この期に及んでそんな事がよぎる。
先に院生の友達が「せんせーえ、おきゃくさーん」とドアを開ける。続いて「お客さん?誰だい??」と懐かしい張りのあるテノールが聞こえた。
それを合図に私が研究室の中へ足を踏み入れる。
「こんにちは。お久しぶりです
」立ち上がり、私の姿を認めたA先生。その瞬間、驚いたのがありありとわかるほど表情を変えた。
先生の夏のトレードマークである、ラルフ・ローレンの黒いポロシャツとスラックスはこの日も健在。
『おぉ~めぐさん
よく来たなぁ
さぁ座って座って!!』と先生の真隣の椅子を引く。
「え、特等席ですね、しつれーします
」学部時代、ゼミが同じで院に進んだK君とD君がそこにいて、M2のM先輩もいた。A先生を慕っていた私は院生だった人とも少し交流がある。
いきなりゼミの最中に押しかけて、私の事を知らない院生がいたらご迷惑だろう・・・と危惧していただけに知っている人しかいないのはありがたかった。
K君、D君とは半年間のブランクを感じさせないほど昨日も普通に会っていたかのように話ができる。
こういう仲間って貴重だよな

「もう、めぐさんて呼んじゃいけないなー。すっかり先生の顔や。めぐさん先生って呼ばないと」とA先生。
そんな風に言われたのは初めてだった。
いつも、A先生は現状のありのままの私を認めてくれる。それがどんなに、頼りない自分でも。。
きっと教師集団の中では、私はまだまだ『教師クサイ顔』はしていないと思う。
教師に見えない自分に嫌気が差したことも一度や二度ではない。
私が入ったことでいいのか悪いのか世間話に流れてしまい、論文はお預け。
見てみると、辞書についてのものや(ウエブスター式とジョーンズ式というのがある。その変移を追うらしい)学部時代と変わらず夏目漱石の『こころ』の英訳版についてに挑むものもあり。
こういうのを見ていると、院で自分の研究を極めたかったなという思いがまた湧きあがってくる。
仮定法についても研究したかったし、前置詞も奥が深い。あのまま現在完了を掘り下げることもできたのかも。
でもすべて、これらは「仮定法過去」
今私は英語科の教員で、これらの~したかった、~できただろう、は現在の事実に反するのだ。
羨ましい。
彼らの姿を見ていて素直に浮かんだ思い。
でも年々下がる教員採用数に、仮に院へ進んでいたら私は教採に一発合格できていなかったかもしれないのだ。
日英対照言語学、その中でも特に独自の切り口で研究を進めていた先生。そしてその伝統文法の解釈を覆すA文法にほれ込んでいたAゼミ生。
現職経験を経て、私が院生になれる日が来る頃、A先生はすっかりおじいさんだろう。
その頃に先生と同じ視点で研究をしている学者はいるだろうか。
でなければ、私が院に進みたいと思う原動力は消えてしまう。
私が座って間もなく、ジャクリーンやらバーバラやらのいつものネタに走った先生。
あ、本当にゼミの時間だ。あの日に帰ったようだ。
ただ、違うのは私の手に論文原稿がないこと。
カバンの中に入っているのが文法書や辞書ではないこと。
自分が一番輝いていた瞬間の連続を過ごした場所、時。
それが蘇った。
決定的に違うのは、あの頃のように終わりの近い永遠ではない、と言う事。
束の間の休息期間のあとの社会は私を待ってはくれない。
大学と言う場所は社会に最も近い場所でありながら、そのあわただしさや苦痛から隔離された場所であると思う。
それに守られて、安心して時に羽目をはずし、時に真剣に学問と向き合う。
本当に恵まれた場所・期間。
終わってしまえば、こんなに尊いものだと、あの頃は気づきもしない。
近く、遠い永遠。
ほんとうにじぶんは、大学が好きだった。
特に10月のキャンパス。色づいた木々の間を、セメントタイルをブーツの底で踏みしめながらそびえる煉瓦の図書館へ向かう道。
よかったな

ほっぺたが痛くなるほど笑い、お腹がよじれそうになるほど。
先生の暴走するネタにゼミ生全員で「はいはい
」と軽くあしらうのも、あの頃と同じ。1回生の頃、受講生参加型プレゼンを一緒にやったM先輩は私の事を覚えてくれていた。はじめ、お互いに、
M君??どこかで聞いた名前・・・聞き覚えのある声。。
めぐさん?はて?どっかで聞いたような・・・
という感じだったのだが、そして私の方はM先輩の漢字をフルネームで脳内に描くことさえ出来ていたのに、どこで一緒だったのか思い出すのに7分・笑
『あーーー!!I先生の授業で
」すぐにわからなくて当然だった。私が1回生のとき3回生だったM先輩は当時ビン底メガネに色あせたジーパン、よれよれのTシャツ・・・とパッと見「冴えない」学生だったのだ。
ところが現在、メガネはコンタクトになり、よれよれのTシャツは品の良い淡いグレーのジャケットに、色あせたジーンズは高そうなパンツになり、すっかり知的な大学院生に変貌していた。
その耳ざわりの良い声だけは今もそのままに。
「すっかり大人っぽくなったからわからなかった」というM先輩。
少し髪を伸ばしただけで、パーマ頭も顔も変わってないけどな
あとは職業柄、カジュアルすぎる格好をしなくなっただけ。大学前のテイクアウト専門の店で、学生時代好んだものを買い合い、研究室に持ち帰って食べながら他愛無い話をする。
追想のそのすべてが癒しになっていく。
無類のから揚げ好き(というか鶏肉好き)の私が、ボリューム満点のから揚げ丼をほっぺたいっぱいに頬張っていると、A先生が、
「相変わらず馬鹿な話ばっかりしているんですよ。めぐさんは先に社会に出てよかったかもしれませんねぇ。立派に働いているんだから」
その「馬鹿な話」の合間にとてつもなく高尚な話が行われているのも事実。
もちろん、A先生の本心だろうし、院進学を金銭的な理由で諦めたことを知っている先生だから私を励ますつもりで言ったのかも知れない。
でも精神的にも体力的にもハードな仕事で、辞めようか・・・とばかげたことを考えそうになる自分と消えたくなる自分と闘って、今は首の皮1枚で繋がっていると言うと、
「我々(大学教授)と違って、中学校というのは学生の成功を間近で見れませんからねぇ。我々の場合はすぐに社会に出て活躍している姿を見ることができるけれど・・・。どれだけ熱意を持って教育していても、こちらの教育に対する思いなど、子どもは露知らずだしねぇ。しんどいでしょう」
判ってくれる人がいるというだけで、心は軽くなる。
少しばかり痩せたかと思っていたA先生だが、この夏休み、手術をしていたらしい。
てっきりいつもの夏と同様にアメリカに行き、母校のC大学の空気を吸っているもの・・と思い込んでいたら大阪の病院のベッドの上だった。
緊急性のあるオペではないものの、結構時間の掛かるオペだったようで、しかもその元になる症状は去年の6月から始まっていたらしい。
「ちょっと待ってくださいよ!去年って言えば私まだ学生でしたよ」
聞けば、学生に皮膚の腫れた姿は極力見せられまいと抗生物質をカナリ飲んで散らしていたらしい。
まったく先生の変化に気づかなかったゼミ生・・・まったく情けない。。
教授としてのプロ意識。
まぁ私も同じ立場なら先生と同じ行動に出るだろうが。
それにしてもまったく悟らせなかったのだからただただ脱帽するばかり。
中学校の教員をしていると英語力や語学力がどんどん下がっていくのが歯痒いし、嫌だという話をすると、
1冊の本を下さった。
『Frankly Speaking』という本。それをそらでいえるくらい読み込め、とのこと。院生には本当に1冊覚えさせるらしい。
また紹介しますねw
懐かしいときが流れていくのは本当に早く、17時頃に研究室に入ってから、気づけば22時過ぎ。
帰り際、『また来てくれるな?』と聞いてくれるのが嬉しかった。
院生の先輩は「3、4人しかいないときにあれだけ饒舌なのは珍しいよ。きっとめぐさんがきてくれたのが余程嬉しかったんやろうな」
何も言わずに帰っても、ただ歓迎してくれる。
やっぱり、もう私の故郷は此処だ、と確信した。
帰り道も、その日は泣きたくならずに済んだ。
満ち足りた思いが、ただ心を満たしていた。
私にこんな環境を与えてくれてありがとう。
何にかわからないけれど、感謝していた。
微かに見えた光

先週の怪力師匠(笑)によるリハビリの後、言われた自主リハをほぼ毎日続けた。
まず、座って待っていた私に担当のN先生が「座ったときの姿勢の歪みがいつもより少ない」と言った。
自主リハの効果なのだろうか。
いつものように関節可動域を見る。N先生が目を丸くした。
「すごぉ~い
いつもより軟らかいよ
」これには私も驚いた。
先生が言う。
「私もあれがあんなに効くとは思ってなくて今まですすめてなかったんですけどね、K先生(師匠)に言われてやってもらったら、たった数分で足がゆるんでいきはるからね、びっくりして
『なんでもっと早くさせないの!!』って叱られちゃいました
笑」「今までは筋肉がすごくかたくて、それをほぐすのだけで訓練が終わってたんですけど、家での訓練である程度筋肉がゆるんでる状態をキープできたら、それに費やす時間を減らして他の訓練をすることもできるから、是非続けてみて」
自分でやると、どうしても自分の体に負荷をかけにくいから効いているのかどうか不安だったが、ちょっとでも確実に効果は出てきているらしい。
専門家が驚くのだから、間違いないのだろう。
いつまで教師ができるのか。今までそればかりに捉われていたけれど少し先が見据えられそうな気がした。
「あのリハビリの後ね~このへんが次の日になっても痛くってー。連休明けのHRで思わずネタにしましたよ
『いやうにてんてんのついたような声が出るねんーーー』って」P.T.爆笑w
「確かに、「う」って言ってるーっと思ったけど、アレって痛いの??」
・・・え?自分らのやってることが痛いことなんやって知らないの?
思わず心がぽかんと口を開けた。わからないんだ・・・。
すぐ気を取り直し、笑顔を作る。
「めーーーっちゃ痛いですよ
ちょうど、お腹を鷲掴みにして捻りあげられたみたいな痛さです」へぇぇーーーっと感心するP.T.

わかっていると思っていたけど。。。
少し心の風穴が音をたてた。
P.T.同士で患者役になり合ったりもして練習することもあるようだから、てっきりどんな感覚がするのか知っているものと思っていた。勿論、師匠の力の入れ方がものすごかったというのもあるが、あの表情を見れば痛みがする、くらいのことはわかるだろう。
それとも皆、師匠の手元や私の変化を追うのに夢中で、私の表情になど気を配る余裕はなかったのだろうか。
ふと、思った。
癒し系P.T.ならどうだろう。わかっていただろうか。目で室内を追うが姿はない。今週は欠勤日のようだった。
内心、私の心が肩を落とすのに気がついて、また嫌悪感が走る。
恋愛感情ではないと知っているでしょう。
そんな思いをいだいてもダメとわかっているでしょう。
先生には『理解者』でいてほしいだけ。それ以上ではない。
わかっているのに、何故こんなに落胆するのよ。
姿がないというだけで。。
私は常日頃、医療従事者はもっとクランケの痛みを汲み取るべきなんじゃないかと思う。
もちろん自身が健康であれば、なかなか病気や障がいに苦しむ人の気持ちに共感しにくいだろう。
でも最大限、その気持ちを想像する、想像しようとする・・そういう姿勢は持ち続けて欲しいと思うのだ。
どんな時に不安を感じ、どんな時に絶望し、どんな時に痛みを感じ、どんな思いがするのか。
どんな瞬間に喜びや嬉しさを感じるのか。
そういうことに敏感であってほしいのだ。
いちいち一人ひとりのクランケに入れ込んでいては自身が潰れてしまう・・・そんな側面もあるだろうからどこで折り合いを付けるのかが難しいけれど・・・

今までそんなに大勢のP.T.と出会ってきたわけではないから、そういうことに自分自身も鈍感だったけれど、それを考えるようになったのは大学2回生のときだ。
はじめ、地元で受けていたのと同じボバース法というリハビリが受けられる施設ということで、I市にあるリハビリセンターを紹介されていた。
言われるがまま、そこの戸を叩いたのだが、そこで応対をしてくれた若いP.T.は、
「ここまで電車で来たのぉ~
すごぉい!偉いね」とまるで小学生に話すように私に話しかけたのだ。初対面の瞬間に、一気に気分が害された。当時、私は自分のCPに対する知識も、リハビリ(理学療法)にはボイターとボバースという二種類があることさえ知らなかった。
出てきた院長に、
「地元でどっちのリハビリをしてたかさえ知らんの?話にならんな
・・・大学も行ってる、アルバイトもすることができてる。これ以上どうしたいの?あとは自分でメンテ(体の)してもらうしかないよ。メンテの仕方の指導だけ入れといたら。・・・ウチね、法律の改正で、6ヶ月しか保険効かなくなってん。なんでか知ってる?6ヶ月以上P.T.しても効果の表れへん人はやっても無駄ってこと。ひどい話でしょう(ほんまにそう思ってんか??)だからね、今住んでるとこからも近いこの病院、紹介しますよ。今から電話だけ入れるから。アポとかは自分でして」土地勘のない中、雨もしとしと降る中、わざわざ乗りなれない路線とタクシーを乗り継いで来た結果がこれだった。。
見捨てられるのだ、と思った。冬の寒さが心細さに拍車をかけた。
帰りのタクシーが来るまでの間、その病院に電話をかけてもらい、ある程度の経緯を説明する。
おそらく声の感じから事務の人だったと思うが、声の質が似ているので事務か癒し系P.T.かは今となっては判断がつかない。
『大丈夫ですよ
ちょうど産休を取っていた先生がもうすぐ復帰するので、その先生に担当してもらいましょう。実際にP.T.を受ける前に診察を受けてもらわないといけないんやけど、大学とかバイトとかあるだろうけど、この日はどうですか??』すごく親身になって聞いてくれたのだ。それが今の病院との出会い。すごく安心したのを覚えている。
まさに捨てる神あれば拾う神ありだ。
そしてボイター法との出会いでもあった。
「自分の受けてきたリハビリの説明さえ出来ない。話にならない」といわれたのには余程カチンと来て悔しくて、その日から、紹介された今の病院に行くまでの間、地元のP.T.に色々尋ねたり、ネットで検索したり、紀伊國屋書店に赴いては、素人がかじれる限りの医学書を読み漁った(立ち読み
)。私がブログで紹介しているようなことが書けるようになったのもこれがキッカケ。
それでもまだまだわからない事が多い私が、相手からしてみればしょうもない質問をしても快く答えてくれる。
そういう病院だった。
ついこの間、Y先生に「はじめは●●(病院名)を紹介されていたが、保険の関係で断られた」と概要をはしょりにはしょりまくって話したら、
「え?あそこって、そんなんあったっけ??聞いたことないで。ここと同じ民間やから、負担率もそない変わらんし。。・・・・なんでやろな?おかしいなー・・・」
絶対保険を言い訳にしたたらいまわしだ、と確証したけど、結果的に、I市の病院からたらい回されてよかったかな、と思う

きっとそこにいたなら、将来への不安も口にできなかったろうし、相談をすることさえなかっただろう。
私が就職と共に家から近いところにリハビリ先を変えなかったのも、表向きの理由は「近いところに受け入れる空きがない」だが、本当は「理解してくれるP.T.がいる」のと「S市が好きだから」である

たとえ家から5分のところでも、自分を理解してくれないP.T.のいるような場所なら、行きたくない。
それが本音。
技術ももちろん大事だけれど、クランケの心に寄り添える医療従事者であることはもっと大事。
ブチ当たった壁に、一緒にどうしたらいいのか考えてくれる。
クランケの立場になってものを考えてくれる。
日々立ちはだかる様々な辛さに時に一緒に悲しみ、時に笑い飛ばして何でもないことにしてくれる。
そういう信頼できるP,T,がいる。交通費が掛かろうが遠かろうが、それが最優先

私のように何十年もリハビリを継続しないといけない者ならなおさら。
1年半ぶりに浴槽をまたげるようになったのも、報告したらすごく喜んでくれたし

自分の力で悪化を少しでも抑えることが出来、それを喜んでくれるP.T.がいる。
私の先に少し光が見えた。
If I Was Your Child...
最近、少しずつ自己開示ができるようになってきてミク●イでも多少赤裸々な心情も吐露できるようになってきた。
でも、このブログのテーマは『モア赤裸々ザンミク●イ』でなのだ。そうでなければ意味がない
というわけで、今日もセキララに行きます





日曜日。P.T.たちの研修会に担当N先生のクランケ代表として借り出されためぐさん。
いつものように最寄り駅を降りて、病院への近道である遊歩道を歩く。
大阪市がすぐ近くにあるというのに、遊歩道に一歩入ると自然がたくさん。自転車より大きな乗り物は進入禁止になっているので、とても静かだ。
さしずめS市のセントラルパークと言ったところか。
尤もS市最大のセントラルパークは我が母校の大学のキャンパスだと思うけれど
構内にリスとか放し飼いにすれば楽しいのになw 車に轢かれちゃうかな・・・
遊歩道を抜けて、少し広い道に出ると目の前に病院がある。P.T.室の窓は道路に面しているが、レースカーテンでもほとんど中が見えることはない。
前を通りかかり、エントランスへと向かうとき、中から凄まじい赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
いつも誰かしら子どもが泣いているものの、外に漏れるほどの大声で泣く子はほとんどいない。
時間的に私の前のクランケらしいが、余程のようである。
エントランスに一歩足を踏み入れ、靴を脱ぎ、フロア内に入ると更に激しくなる赤ちゃんの泣き声
尋常じゃない泣き方・・・一体何が起こってるんだろう??
23歳、身構える
着替えを済ませ、P.T.室に行くに連れ、激しさを増す泣き声。私が室内に入ったとき赤ちゃんはまだ泣いていた。
が、もう訓練が終わってしまったあとのようだ。なのに、まだ泣いている。
(何?そんなにしんどかったの??)
赤ちゃんに無言で問いかける。。
癒し系Y先生はこの日もマイナスイオンなんだか心の赤外線だかを全身から放出させまくっていた。
・・・あぁ、
なんでこんなにほっとするんだろう

心の芯をじわっとあっためるみたいな・・・。ハロゲンヒーターみたいな人だな
笑
そんな癒し系赤外線オーラからは想像できない真剣で鋭い眼差しで、インストラクターの先生に熱心に意見を求めたり、やり方を聞いたりしている。
・・・あ、誰に対してもそうなんだよな。。当たり前だけど。。。
顔を見て、数秒もしないうちに心臓の内側を細くきゅっとつねられたような思いが走る。
でも、それでいいのだ。クランケによって対応を変えるP.T.なんて最悪だから。
そうこうしているうちに私の時間が来た。
担当のN先生が私の氏名や年齢、職業、現在に至るまでの経過、P.T.をする上で困っていることとかを説明していく。
『あらぁ~中学校なんて一番大変じゃない。ハードだし、生意気だし』とインストラクターのK先生・笑
ハードも生意気も当たってるんだけれど、個人的に一番大変なのは小学校の先生だと思う。
私からも説明を求められ、困っていることを話す。
「仕事柄、板書をするんですが首と腰が痛くって。整列して座っている生徒の間を縫って歩くこともできないから、私語をしてるのがわかってても注意しにいけないのがもう
悔しくって仕方ないんですよ」
P.T.の間から和やかな笑いが漏れる。
「色々負担も多いし、できないこともあるし、これからのことを考えるとね・・・。中間管理職なんかは『来年から担任を外そうか』って言ってきたり、『教諭という職にこだわらんでも、府の職員として生きる道は他にもある』とか言わはるし・・・」
そこまで言うと、P.T.の間から「えぇー・・」と言う声や苦笑が漏れる。。
『そんなの聞かなくていいよ』とK先生(インストラクター)『聞いちゃダメ聞いちゃダメ』
「身体的な理由で担任を外されたら、きっと一生担任をもてないじゃないですか」
『そうね』
「そんなん絶対に嫌や
と思って。」
『絶対嫌や言うたり』
「日頃はしんどいことばっかりで、『結婚したら辞めよう』とか『子ども産んだら辞めよう』とか考えますけどね、でも自分は結局辞めないと思います。大変やけど、担任っておもしろいですよ。教師で在るなら担任持ちたい
」
自分で言った言葉に自分が驚いた。私、こんな事考えてたんだ・・・・自分さえまだ知らないところにあった思考だった。
そう、日頃担任でなければどんなに楽かと思うけれど、でも楽しいのだ。きっと副担より数千倍は
一通りの説明が終わって、まず関節の可動域を測る。この日は特に悪かった。
次に仰向けに寝て、股関節や骨盤、脊柱のゆがみを見る(見られる)。
総勢9名に自分の体をまじまじ見られるのは居心地のいいものではない
次に歩行状態。
で、『さぁ、止まって。』
よたよたよた。
『止まんなさい』
よたよた。。
「無理です・・」
『止まるの
』
「止まれません」
このやりとりがおかしいのか、数人のP.T.がくすくす笑っている
『この人、立位保持できないじゃない』
そうだよん。。
さらに胸骨やお腹をぐりんごりんと触り、『うわぁ硬っ
』
『これでずっと半年、教職のお仕事してたの
これじゃぁ、めっちゃくちゃしんどいわ。はよ何とかしたげんと
ちょっと!!!(と、担当の方を見、)なんでどうにかしてあげないのよ??これじゃあの人しんどいじゃない』
「頑張ってるんですけど・・・」と苦笑する担当のN先生。
『きちんと職にも就いてて、1人暮らし。これじゃもう自主訓練してもらうしかない
やりなさい
』
まるで肝っ玉母ちゃん。。オカンキャラ。。まぁ、還暦手前の先生だから私生活でも誰かのオカンなのだろうけど。
で、まず自主訓練の仕方を教わったんだけれど、一人でやってるとアホらしいのだ、コレが。。
「なんだかアホみたいじゃないですか、客観的に見ると」
『客観的に見なきゃいいじゃない』と一蹴された
笑
でも。
『さ、立って歩いてみて』
すたすた。。
『どう?』
「歩きやすいです
」
『ねっ
』
さっきと姿勢変わってるはずよ、とP.T.たちに確認させるK先生。自分では何の変化も感じなかったのだが、P.T.の間から『おぉ』とか『あぁー・・・』とか感嘆の声が一斉に漏れた。
キツネにつままれた気分って、きっとこういう気分なのだ。
何か知らないけれど、効果はあるらしい
アホらしいけど、やってみるか
客観的に見ずに
笑
次にいよいよ担当のP.T.がいつものように訓練を始めるのだが、いちいち師匠の顔色を窺っているのが可笑しかった。
誰にでも怖いお師匠の1人2人いるものだな
しかも始めて間もなくストップが掛かる。
ダメだしの嵐
相手の人権を配慮するとかそんな気は毛頭ないらしい。
ぼろくそに言う。遠慮なし。。ずっけずけのけちょんけちょん。
私がP.T.の立場なら終わったら思いっきり悪態吐くか泣いてるに違いない・笑
そして師匠に交替。
が、ここからが。。。大変だった。。
『いい?よーく見とくのよ』と周りのP.T.に告げるや否や、渾身の力を私の中に込めたのである。
「ぅ゛・・・」
「ぃ゛」
「っく・・・
」
「げっほげほ」(殴られた直後みたいな感じ)
「ん゛ー」
構えていて、これだけの唸り声。何も予想だにしていないところに同じだけの力を加えられたら、きっと悲鳴をあげていた。
このリハビリって、こんな痛いものだったっけ??
若い女性のP.T.の間からは「かわいそー」と言う声が聞こえ、他は苦笑を漏らす。きっと痛みを感じる本人以上の痛みを周りが想像してしまうからだろう。
でも「かわいそー」は何か違うと思う。。
(このオバハン、どっからこんな怪力出んねん・・・)笑
とても還暦前とは思えない。効果のある治療とは徹底的に我が身をいじめぬかなければならないものらしい。
他のP.T.も同じようにやったけれど、若い女性の先生は皆一様に「ごめんなごめんな
」と言う。
なんで謝るの??
あなたたちは、私をよくするためにやってくれているんでしょう。だったらあなたも痛みを負わせることに耐えねばならないし、謝る必要もない。
「ごめんな」は気休めでしかない。誰も好きで痛みを与えるわけではないと、こっちも判っているから謝る必要などないのである。「ごめんな」は自分自身への慰め。
こんな冷めたクランケ、いらんだろうな
苦笑
『ちょっとY君
あんたもやんなさいよ』(完璧オカンモード・・・)
今までY先生にはうつ伏せの姿勢でしか、リハビリをしてもらったことがなく自分が仰向けのパターンは初めてだった。
先生の顔を至近距離で見、短く伸ばした髭に白いものが混じっているのに気づく。
今まで38歳くらいかと思っていたけれど、実際はもう4、5歳上のようだ。それかそうでなければ苦労している38歳なのだろう・笑
(おっちゃんやん・・・)
今まで、俳優などでは40代、50代のオジサマが好みだったけれど、遂に現実にもおじさんに惚れようとは・・・
私もバカだ・・・いや、38だったとしても十分おじさんだが
たとえこの人が未婚だったとしても、ダメじゃん
『めぐさんごめんな。ちょっとこの辺押さえんで』
押さえる場所が胸のすぐ下の胸骨だったから、先生が断りを入れる。 この先生、そういうとこをしっかりわきまえている。
男性P.T.の中には、思春期の女の子にでも「子どもだし」とか、「リハビリなんだから当然」とへんな履き違えをして、何の断りもなくわき腹や腰を触る奴もいる。そりゃもう付き合いが長くて、次にどんなリハビリをするのかわかっている間柄ならそれでもいいかもしれないが、そうでなければちょっとデリカシーがなさすぎるか職権乱用だろう。
「はい」と返事するや否や、その声はうめき声に変わった。例のごとく、眉間には皺がより、唇を噛む。。
耐えようとぎゅっと瞑った目を少し開けたとき、Y先生の顔を見た。表情ひとつ変えていない。他の人のように申し訳なさそうな顔もしないし、謝りもしない。
やっぱ、プロだ
そのプロ根性を目の当たりにし、鳥肌が立ちそうになった。
やっぱりこの人、めっちゃ尊敬する

痛みから少しでも逃れようと、私の頸が動く。
『押さえて!!』と肝っ玉母ちゃん(笑)の声が飛ぶ。
Y先生の胸骨を押さえるのと反対の手が私の顎に伸び、あっという間に私の顔と頸は難なく固定されてしまった。
痛みが増す。
「ぐ・・・ぅ・・」
ちっちゃくキレた小熊みたいな声が漏れてしまう。その力に、普段はのほほんとした佇まいの先生が男性であるということをハッキリ認識させられる。
めっちゃくちゃ苦痛を味わわされているのに、安心するのはナゼだろう。
胸骨の上に置かれた手からも、顎に置かれた手からもじんわりと体温が伝わる。
そういえば、担当P.T.の手はいつも冷たい。。
乾いていて、温かい手。たっぷり陽を浴びた干草のようだ、と思った。
1分が1時間にも感じられる苦痛の連続。終わったとき、いつも「はぁーーー」と深い声にならない息が漏れる。
しかし。。
「あー、俺もしんどいわ、これ」 とY先生。確かにしんどそう。
じゃぁ、同じことをして、しれっとしているあの師匠はいったい・・・男性でさえしんどいというリハビリをして、あっけらかんとしている師匠は・・・やっぱり怪力
笑
多分力の使い方が違うのかな・・・(と言う事にしておこう)
その後も師匠にいじめていじめていじめぬかれ、こんなにうめき声をあげたのは初めてだと思う。
2、3分が1タームで、一度力を抜かれるのだが、はぁと息をついて、顔を上げると、一番近くにY先生が居て、その顔には穏やかな表情が宿っている。
その瞬間の安堵感と言ったら、言葉で表せない。
コンパスを失くした山道で、人家の明かりを見つけたときの感覚に似ているのかも。
・・・なんで。
涙が出てきそう。
そんな安心感、安堵感、その辺にばらまいてくれるな。受け取ってしまう。欲しくなる。
痛みから解放され、顔を上げきるその前に目線を少しあげると、そこには少し日焼けの残る手が見える。
なんでなんでなんで。。
私の心はこんなにも安心するのだ。。。
もうもはや、髪の毛が乱れていないかとか化粧が崩れていないかといったことにまで(痛すぎて)頭が回らない。
それでも顔を上げてしまう。その瞬間の最上級の『ほっ』が欲しくて。
すぐ傍で見ていてくれたのだと思ったら、安堵感がもう洪水状態である。
頭のほうで見ていないで、足元で様子を見ているときもある。
そんな時、顔をあげてもすぐに見つからないと、ダンボールの中の子犬のような気分が襲う。
・・・・・・。。
先生のバカ。
否。
他でもない私がバカなのだ。。
先生は私がごっつい尊敬する人。
それだけでなければいけない。
それ以上であってはいけない。
絶対。。
判っている。
一番近くに居るのは、
私がクランケだから。
そうでなければ、
近くには居ない。
当たり前。仕事だから。
仕事に自分を賭ける人だから。
安堵感の次には決まって切なさが込み上げる。
なんて気持ちを、いだいてしまったんだろう。もう嫌。
2時間師匠に苛め抜かれた甲斐あって、その後は体が超軽い
足もすいっすい
すげー!!!
いきなり立ち上がった拍子によろける。
『大丈夫か?いつもと伸び具合が違うから気ぃつけてよ』
「ゃ、起立性低血圧なんです・・・」
爆笑された・笑 起立性低血圧なのは本当なんだけど。。
女性のP.T.に「めぐさん、よれよれやねー帰れる?」
そりゃ、怪力おばさんにここまで苛め抜かれりゃ、よれよれにもなるわさ。顔が・笑
定年まで教師を続けられるのかと言う私の問いに、自主訓練に今後の教師人生が掛かってる、と言われた。
『脳性まひは悪くなって当然。仕方ないって考えがP.T.や患者の間に刷り込まれてるからいけないの。確かに悪くなっていくかもしれない。でも自主訓練するだけであれだけ変わるのよ。1日でも長くいい状態を保つことは出来るんだから。たとえ悪くなるとしても、それを続けていれば悪くなり方が違う。悪くなって当然なんて思ったらダメ』
今までずっと思ってきた、考えてきた。
失うものを飲み込んで受け容れれば、ないものねだりの苦しみは減る。
でも、今以上は絶対に生まれない。
失うことに抗えば、低い確率で失うものが減るかもしれない。
でもそれでも失うものを前にして、心、くるしすぎる。。
その狭間を彷徨っていた思考はひとつの答えを見つけた。
自分が精一杯やった結果、失うものは受け容れろ。
でもそれまでは常に抗え。。
これからの闘いのスタンス。Turn Out!!
『周りが色々言ってくるのには耳を貸さない、聞かない。他人の心がわからないろくでもない奴もいるし、自分が若かった頃を忘れる人間もたくさんいる。そういう奴らの言う事は毅然として撥ね付けなさい。誰の前でもとは言わない。そういう奴の前でだけは何があっても撥ね付けられる、そんな強さは持ちなさい』
決して優しいことを言われているわけじゃない。
でも、何故だろう。満たされる。
優しい言葉の中に救いがあるわけでも、救いの言葉自体があるわけでもない。
言葉の中に自分が救いを見出すか否かだ。
それに気がついた。
師匠の言葉を聴きながら、やっぱりY先生の視線は穏やかだった。
きっと子どもを見る眼も、こんな眼なんだろう。。
I think that if I was your child, I could receive all of your tenderly glance.
Damn.
What a foolish I am!!!
That's no way.
Absolutely.....
純粋に尊敬だけを残せるのは、いつの日か。。
らせん
リハビリ用のバッグを新調

ブラックかダークブラウンで悩んで、結局ダークブラウンにw
パープルでもよかったけれど、裏地がもっとヴィヴィッドなカラーやったら・・・と言うところ。。
ポッケも3室あるし、マチ幅もデカいからリハビリにいるものすべて入れても余裕がありそう

今まではオニツカタイガーのデカボストンを使ってたのだが、型がしっかりしすぎていてちょっとしか物を入れなくても場所を取る。横に長いので電車に乗っていても自分の両膝からはみ出るので混んでいるときなどは恐縮していた。
何よりバッグそのものの重量も重たくて、それも行き帰りの負担になっていたから良い物が見つかったら買い換えようと思いつつ・・・3年。
送られてきたひいきの某通販会社のカタログ。
その中の1ページで私の目と手が止まった。
これ、いい

縦横の長さも理想的だし、何より大きなポケット3室。いつもリハビリ用のタオルやらジャージやらに混じって、その中のパスケースやら財布やらをイザというときにごそごそやっている私にピッタリ
笑しかもサイドにはペットボトルを立てて収納できるスペースが付いている
みらくる
まさに私のリハビリ用バッグ

オニツカのバッグはスポーティさを前面に押し出してる感あるけど(もちろんスポーツブランドなのだから当たり前だけれど)これは持ち手のところなんかにリボンもついていてかわいい

よくリハビリの帰りに誰かとゴハンとか飲みとかいうこともあるけれど、その時に1人デカデカとゴツいカバンを持っていくのが密かにあまりスキじゃなかったので、これからはそんなことがあっても堂々と持っていけそう

私がかわいいと思うものは他の人も同感なのか、人気のようで在庫は「入荷待ち」

次回のリハビリに間に合うかな??ww
出勤前の渇!!

Dreams come true feat. fuzzy control 『その先へ』
フジテレビ系列の『救命病棟24時』の今シリーズの主題歌でもある。この曲も、このドラマを通じて知った。
このドラマは必ずドリカムの曲がタイアップされる。そしてどのシリーズに起用される曲もいいものばかりだ。
最近の平日の楽しみといえば、火曜の21時にテレビにかじりついて『救命病棟24時』を観る。
それだけの味気ない日常。。
そんな日常に少し風を吹き散らすこの曲

非常にメッセージ性の強い1曲だと思う。
「眠れない夜をもう何度もやり過ごしたはずだろう
悲しみの海を溺れながらここまで来たはずだろう
泣いて泣いて泣いた日もなんとか持ちこたえたはずだろう」
だから大丈夫

「だからこそその先へ」
さ、明日も頑張ろっ。
この街~渋谷の若者に重ねた心情
ところが・・・新居はどうやら自分にとってそういう場所ではないようだ。 ドド田舎な実家から学生時代に来阪したときも、壁の薄い学生向きの鉄骨モルタルアパートで、夜中でも隣や周りの音が聞こえすぎ、思わず親に
「引っ越したい」と言ったことはあったけれど。。
2週間もすれば、ホームシックに掛かっている子も多い中、早々と一人暮らしに慣れ、すっかりその一室は自分の住処となった

今回は2週間や数ヶ月どころではなくて、もうすぐ半年が経とうとしているのに、慣れるどころかますますホームシックはひどくなっている。地元にではなく、学生時代過ごした街に対して。。
しんどいとき、よくぼーちゃんに独りごちていたりするのだが、4月から「S市に帰りたい」と呟く回数はもう数え切れない。
自分の家が落ち着かなくて、自分の家に帰る状況になるとその落ち着きのなさを思い返し、そんな中でずっといるのかと思ったら、自然と涙が出る。これには焦った。
仕事を終えて家路に着くとき。
晩御飯のおかずを買って、家路に着くとき。
どちらも今までなら、ほっと一息付く瞬間。
でも今は・・・・・。。
自分の半身をどこかに置いてきてしまったかのような喪失感。
自転車のスタンドを跳ね上げる度、イグニッションキーを回す度、突き上げてくる焦燥で叫びたくなる。
「私の帰りたい場所はここじゃないんだよ」と。
意識とは無関係に涙が出る。
帰りたい場所に帰れないが故の涙なのか、いつまでもココを自分のモノに出来ない情けなさゆえの涙なのか。
自分にもわからない。ただ、心が隅々までほぐれるような感覚を味わえないこの街。。
今日は休日ではあるが、しなければいけない仕事を抱えていたため、職場へ。要勤務日ではないので、車で出かけた。自分の仕事をささっとしたが、打ち合わせ&相談をしたい先生は16時まで職場にいると言ったにも関わらず、いる気配がない。部活指導かと思ったが、駐車場にはご自慢のメルセデスも停まっていない。
早く済んだから私が来るのを待てずに帰ったのかも。
自分も帰ることにした。
休日は校舎の裏側に車を停める人は少ない。出勤する人が少ないので、ほとんど皆、玄関や体育館に近い表に停めるのだ。
私はまだまだ運転しにくい正門側から入るのは勇気がいったので、裏側に停めていたが、今日は私の車しか校舎の裏にはなかった。
帰ろ。
本来なら嬉しい瞬間のはず。でも心は浮かない。ドアを開けてシートにすわり、家に帰ることを考えたとき、湧き上がってくる涙を止められない。
誰もいないのをいいことに、ひとしきり泣いた。
家に帰ることを考えただけで泣けてくるなんて、どうかしている。。
ふと思い立って、カーナビの住所検索をしてみた。
液晶に出る見慣れた街の名前、番地を押していく。
画面には、すぐ横に広がる大学のグラウンドも、毎日行っていたスーパーも、見慣れたマンションの名前もすべてがあの頃のままに。。
そのすべてを頭にはっきりと描くことが出来た。そこで見た夕陽がどれだけ綺麗だったかとか、冬の朝の一瞬刺すような空気で目がぱっちり醒めた事とか。そんな些細で大事なことも。
帰りたい、でも帰れない。その事実は私の心を何度も何度も貫いていく。わかっていること。もう帰れない。
でも、まだ私の心の半分はS市に残したまま。
少し前のように「早く慣れなければ」「この街を好きにならなければ
」と自分の心がまだ順応できないうちから無理に急かすのはやめたから、その点では少し楽になったけど、今度のはまた違う辛さがあった。以前住んでいた街は、物価は少し高いし、坂道は多いし、梅田や神戸には出やすいけれど、市内にはほとんど何もない・・そんなんで文句ばかり言っていたけど、なんだかんだで、JR・阪急電鉄・地下鉄・モノレールが通っていて、市内に東急ハンズもあったし、結構便利だった。
それにきっと、居心地のいい街って、そういうことで比較できるものじゃないんだ。
今の街は自転車でいける範囲にSCがあり、スーパーがあり、美容院も徒歩でいける範囲に選ぶのに困るほどある。家電量販店もあるし、国道筋まで出れば飲食店、レンタルビデオ屋、ユニクロ、自転車と車さえあればほとんど事足りる。物価も安いし、客観的に見て住みやすい街。
でも、まだ自分は飲み込めない。それが辛くて仕方ない。
いつか克服できるものなのか。初めて味わう感情だから、先がわからない。。
今までは居心地の悪さをバネにして進んできた。
小学校のときは早く中学へ。中学のときは早く大学へ。そのためには高校へ。
高校のときは早く大学へ。
ところが、大学は初めて居心地が良いと感じた場所で、踏み台にはならなかった。それ以上のかけがえのないものにはたくさん得たけれど

今の場所は、特別なことがない限り、大きく異動になることはない。どんなに居心地の悪さをバネにしたくとも出来ない。
もう、この街での未来が約束されてしまっているから。
ぐっとぐっと耐えるだけ。
通勤可能な範囲で引っ越すことはできるけれど、私が望むS市から通うのは少しキツく毎日のことを考えると無理がある。
学生時代は休日に用がないと、何もせずただぐだぐだして時間を無駄にしていたが、幸か不幸か、居心地が良くないので、睡眠以外は何をしても・・・という感じで、結局出かけてしまう。
今日もまっすぐ家に帰るのは気が進まず、1時間半ほど市内をぶらぶらとマーチで巡っていた。
今一番自分が安らぐのは車の中かもしれない。
でも、TSUTAYAに行ってもホームセンターに行っても、心底楽しめない。
ふと渋谷などの青少年を思った。家に居場所がなく彷徨いながらそれを求める10代を。
もしかしたら彼らも同じ気持ち、またはそれに近いのかも。
遊びたくて出歩いているのかもしれないけれど、本当はゲーセンにいてもカラオケボックスにいてもそんなに楽しいと思うことはないのかもしれない。
彼らがそんな気持ちを毎日抱えているのだとしたら、なんか哀しいな・・・。。
私なんて一瞬でも耐えたくないのに・・・そんな思い。
泣けない仔

彼らが学校に戻ってくる。楽しみ半分、不安半分なんて先輩の先生には言ったけれど、本当は不安が9割。
夏休みで子どもは変わる。良い方にも、悪い方にも。
学生時代、燃え尽き症候群の生徒を受け持ったことがあるが、今度は自分が燃え尽きそうである。
自分で選んで勝ち取った仕事のはずなのに、しんどい。
体力的にしんどいのは勿論。でも仕事自体がしんどいわけではない。
しんどいのは見えないこと。
自分が必要とされているのか。
私のしていることが何かプラスに波及しているのか。
全然見えない。
そりゃぁ、教育なんて長いスパンで見るべきものだから、目先に成果を期待するほうが間違っている。
でも自分は誰かの役に立っているという実感が欲しくなる。。
「男にとって職場は戦場」
もう昔から使い古されている台詞だけれど、女性の社会進出が著しい昨今、戦場だと思うのは女も同じだ。
男女雇用機会均等・・・なんて概念、子どもたちにはない。女性である、女性教諭であると言うのは、「男の先生より怖くない」という心象を植え付けてしまう。。
それも女性差別だぞ
って言いたい・笑多数の利害関係が入り乱れる職場。その中で、自分の身をどこに置くのか。
下っ端であるという変えられようのない事実も居心地の悪さを増幅させる。
仕事がノってくる30歳目前に男性が結婚を意識しやすいのは、単に年齢のせいだけでなく、戦場から帰る先に羽を休める場所を求めるからではないか。
学生時代からそう思っていたけれど、この頃より強くそう感じる。
「あなたって、見た目によらず性格が思いっきり男性的よね」
古くからの知り合いにそう指摘された。当たっていると思う。
育ってきた環境にも多少起因しているのだろうが、夫が稼ぎ、妻は家庭を守るなんていう固定観念はさらさら初めから持っていなかったし、母はどちらかと言うと労働意欲がなく、収入が不安定な父を責めるが、そんな母に私は小学生の頃から、「文句ばっかり言ってないでお父さんの給料が少ないんなら自分も働けばいいやろ
」と言っていた。どちらかが支えるんじゃない。共に支え合うのだ。
男の収入が少ないなら、女も働けばいい。
いつ何時、どちらに何があるとも限らないのだ。そういうスタンスだった。
私が結婚しても仕事を続けたいと思うのは、9割がた、自分の家庭が不安定で幼い頃から金銭的な心配ばかりしていたというのに起因するけれど。。
自分が男性的な性格だというのは自覚もしている。
「結婚したいというよりさぁ、『ヨメ』がほしいわ、むしろ」と言い、母親に爆笑されたこともある。
ま、理由は仕事から帰ってゴハンを作る体力も気力もないっていう単純なものだけど・笑
でも、いくら性格が男性的な女でも、女であることは隠せないのだ。
だって、根本は女性なのだから。それが厄介。
別に自分が女性であるのが嫌という意味ではない。自分は女に生まれてきてよかったと思う。
どんなに性格や思考が男性的でも弱い部分は確かに存在する。
どんなに強がっても、肩肘張っても、それだけで生きていけない。
どうしようもなく泣きたい日もあれば、力強い腕に抱きしめられたい日もある。
それが時々顔を出す。
どうしてみたって、女は女。それは悪いことではないと思う。でも、男性的な性格ゆえ、それが素直に出来ない。
だから厄介。
家でさえ泣くのをセーブする。誰に聞かれるわけでもないから、思いっきり泣けばいいのに。3割くらいしか涙を流せていない。
家も実家も職場もすべて、今の私に安らげる場所はない。
それもしんどさに拍車を掛けている。
弱い私を受け止めてほしいのに、それを見せられぬ弱さ。
見せられる人がいない人脈のなさ。
別に職場の同僚だって、仕事が出来ない新人ということで注意をしているに過ぎない。伸びてほしいために厳しいことも言うのだと頭ではわかっている。
でもどうして自分自身を否定されたような気分になるのかと考えたら、それはやっぱり職場が居場所の全てに等しいほどを占めているからだろう。
学校を取ったら、私の居るべき場所は今はない。
逃げ場もない。。
利害とか、思惑とか、そんな全てを気にしなくて接せられる、そんな人、場所を早く見つけなくてはいけない。
たまには言葉や態度にして、自分を認めてもらわないと折れそうになる。
自分のいいところなんて、自分が知っていればそれで十分なのに、どうして人間はそれだけじゃ満足しないんだろう。
この欲深さが、人間の奥深さだったりするのだけれど。。。
明日からまた、闘いだなぁ

でも大丈夫。きっと体はすぐにリズムを取り戻す!
でも問題は・・・・・
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プロフィール
詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。
夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;
このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪