忍者ブログ

Think&Said to Myself

日々の日記と思いをミク●ィより赤裸々に(笑)綴りますw

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

運命のサイコロ

ミッキーさんに映画に誘われた。。しかし、これにはただし書きがつく。。










学内で開かれる、労働雇用問題を考える映画の上映および討論会らしい




うむ。。まぁ行くことにした。私の無学さがバレなきゃいいけど






なぜしかし、このタイミングで、と思う。彼をもう心の中から追放しかけていた矢先である。
良い出会いないかなーなんて軽口を飛ばしている、そんなとき、彼の方から連絡が来るなんて・・・なんか不思議だ。



彼には詩ブログのほうのURLを教えている。時折覗きにきてくれてはいるらしい。
そこの詩に登場する「君」が彼だとは、一言も言ってはいないが、なにか感づいたのであろうか。




このままばっさりと、自分と彼とを切り離してしまうには会わないことが一番だから、今日の誘いも断ってよかったのかもしれない。でも私は「行く」と返事をしていた。この返事がどう転ぶだろうか。





驚いたのは、その会が始まる1時間前に私を呼び出したことだった。私と話がしたいという。これまでも社交辞令か否か、判断のつかないそのような申し出はあったものの、はっきりとした日時も決まらず、私もそう期待はしなかった。


しかし今回、具体的に日時まで決めてきた。これはいったい何を意味するのだろうか。私の脳が途端にあらゆる穿鑿を開始する。どれも推論にしか過ぎないけれど。



いいではないか。話をして、もっと人間を知ろう。酒の席ではわからなかったことがわかるかもしれない。




これですりーあみーごと共に現れたら、本当にそのときはTHE END


まぁさすがにそれはないだろうけど。。。。







少し浮き足立っている自分に気づき、そんな自分が腹立たしい




PR

Night has come

この間、久しぶりに地元のP.T.に電話をすると、嬉しいしらせを聞いた。


かつてブログでも書いたことがあったと思うが、同じ障がいを持つ年齢もそう違わない人が、無事出産したらしい

自然分娩ではなく、帝王切開だったらしい。私も股関節の開き具合によっては、将来帝王切開でなければ出産できないかもしれない・・とはP.T.から聞かされている。

しかし彼女の場合、股関節がどうの・・という問題で帝王切開になったのではなく、私もそれまで知らなかったのだが、1型糖尿病という持病を患っており、その影響で自然分娩だと危険かもしれないということで・・らしかった。


久しぶりに聞いたいいニュース。股関節が弱いと、子どもの体重が増えるに連れて抱っこして歩く・・とかいうのが難しくなる。子育てでも数々の困難が伴うだろう。自分で頭を絞ってどうすればいいのかと工夫しなければならないことが山ほどあるのは想像に難くない。


良い先輩ができた、と思う。彼女なら、どんな困難でもぶつかって乗り越えて切り開いていくだろう。


私も人の親になったときは、彼女から学べることが多くあるはずだ





・・・つづきはこちら

無力な海の底

今日はいつもより疲れた1日だった。

水炊きをしようと、椎茸やら白菜やら鶏肉やらを買っていたのに作る気力もなく、コンビニで飼ったドーナツをかじっただけで今に至る


久しぶりにシゴトでのストレスを家に持ち込んでしまった。憂鬱なこと、この上ない。



今日は何故か自分でも原因はわからないし、特別な事が起こったわけでもないのだが、なんとなくイライラしていて、懐っこい生徒の話も、生返事で聞いていたように思う。しかも、そういう自分もきちんと自分で客観的に認識できていて、心の中では「あかん。もっとちゃんと身を入れて話を聞かな」と思ってもいるのだ。


今回頭痛の種となっている生徒は、前にこのブログでも書いた勉強面だけでなく生活指導も必要な中1の子である。
若干精神的発達は私が今まで見てきたどの中1よりも遅いけれど、まぁ、これは根気で臨むしかない。なにかきっかけがなければ、人の精神的な発達なんて飛躍的には伸びはしない。徐々に徐々にだ・・・。。




それより今回頭が痛いのは、どうもその子にLDの気があるのではないかと懸念され始めたからだ。

私は少しやんちゃな子を過剰に反応してLDだ、ADHDだ、アスペルガーだと無闇にレッテルを貼りたくない。今受け持っている小学生も上司からは多動でなかなか手ごわいと聞いていたが、実際接してみれば、確かにやんちゃではあるが、多動と言ってもADHDのように病的なものではなく、その年頃にはごくありがちな様子であった。ましてや生徒が塾に興味や行くことの意義を見出していないなら尚更だ。


その子を見るたび思う。「多動って言うても全然普通やん」と。思わず「くそガキぃ」と言いたくなるような子だって、クラスにひとりふたりはいるだろうし、他人に迷惑をかけない限り、子どもと言うのはそれくらい元気な方が良いと私は思う。


故になんでもかんでも学習障害のレッテルを貼り付けてしまうのは好かない。周りが正当な病名をつける事によって安心したいだけだ、と思う。


ただ、本当に本人がLDなりADHDなりをわずらっていて、それで社会集団に溶け込めずに真剣に悩んでいる場合なんかはそれが病気なのだということを教えてあげた方がいい場合もある。
一昔前だと「親のしつけが悪いから」などと言われる時代もあったし、本人も集団に溶け込めないのは自分が悪いのだと自責の念に駆られることもある。そういう場合は、それは病気の一種だということによって親子ともども自責が軽くなる場合もあるからだ。



元々他人とコミュニケーションが取りづらい(本人は取る気満々だが、発言や言動が個性豊か過ぎるため、周囲に「何この子」と思われやすい)ところはあったものの、まぁLDに値するほどではなく、これからの周囲の働きかけで改善の余地は充分にある・・・が問題は文章理解能力。


LDをご存じない方のために説明しておこう。
LDとはLearning Disorderの略で、学習障害と訳される。

その定義は学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する
又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。



このうち、その生徒に欠落していると思われるのが「読む力」と「推論する力」


漫画も読まないほどの文章嫌いだというし、これを言えば周囲がどう感じるかとか、これをすればこうなるだろうと考える力が乏しい。

今日、だいぶ前から繰り返し繰り返し教えている簡単な方程式や代入さえ、授業中に何度も説明しても自分ひとりではできないものだから、内心イライラは募る。

宿題を増やすようにという生徒の母親からの要望で、その子には少し多いだろうと思われる量を出したのだが、母親や私の上司の前で約束したこともあってか、きちんと出された宿題はしてきてはいた。

一瞬、とても喜んだ私であったが、答え合わせを進め、解答をじっくり見ていくともう泣きたくなる。

元々文章が嫌いだから、文章題をよく読まないのはまだ理解できるのだが・・・


「yはxに比例し、x=●の時、y=▲です。x=■のときのyの値を求めなさい」

こんな短い問題文でさえ、まるで読んでいない。そこに出てきている数字を適当に組み合わせて答えにしているのだ。彼女の解答は理論によって導き出されるものでなく、創造性によってである。


この問題文をさらに噛み砕いて意味を教え、(意味とか大層なもんはこの問題文の中にないけど)y=axという公式を繰り返し繰り返し教えて、xの値とyの値を代入してaの値を出して・・・と何度も何度も一緒にやってみせる。しかし、彼女は問題を理解しようとしない。というか、「じゃ、ここでのxの値は何だった?」と問題文からそのまま抜き出せばいいものでも、まったく違うxの値が出てきたりする。彼女、x=●というものさえ読んでいない。(見えてはいるが、それを自分の中で意味づけできていない)


私自身が結果を出さなければと焦っているせいもあるのだが、イライラは募るばかり。この文章理解能力の欠如、人と話をするうえでも困るんじゃないだろうか。
しかも、彼女、付きっきりで見ていなければ、1字も書かない。誰かが横についてしなければ、ぼーっとするかきょろきょろするか、なのだ・・・


しかし、完全な個人指導ではなく、ウチの塾は基本的には先生1人に生徒が2人。彼女の時間のもうひとりの生徒は偏差値65を越える優秀な高2生。しかし、優秀だから放っておいていいわけもなく、優秀であればある分狙う大学もまぁそこそこ難しいところだし、こちらとしても教えられることは1つでも多く教えたいという気持ちがある。
でも彼女にかかりっきりになってしまう時間が自ずと増えてしまうので、順調に高2生が問題を解いているのをいいことに放置・・・にならざるを得なくなってしまう。
結局、高2生には、問題解かせる答え合わせ間違えたところの解説を機械的にこなす余裕しかない


もっと文法の奥深さにも触れてもらいたい。長文ならばただ単に意味を訳すだけで満足せずに行間を汲み取る力や出題文に関連した話もしたい・・・・でも出来ていない。



しかも、その高2生の解説や成績の大事な話をしているときでも、彼女は割り込んでくる。



「空気読めよ」と言いたくなるが・・・はぁ


彼女にたくさん宿題を出しても、やってくるからページは消化できるものの、結局間違えた箇所の解説で1コマが終わってしまう。イタチごっこだ。



彼女と接することは楽しい。しかし、高2生へのきめ細やかな指導ができないことへの葛藤は大きい。



私がいくらLDじゃないかと思っても、LDなのか、ただ勉強が苦手なのかどちらかという判断は、その道の専門家でないと判断が困難だ。これから先も推論力うあ文章理解力の人並みはずれた欠如が続いていくようであれば、一度専門機関に受診してみるのも手だと思うが・・・私にそんなことを提案する時間も期間もない。


本当にLDだった場合、専門機関で訓練することによって、だいぶ社会に適応し易い状態に向けていくことも可能だ。





久々に自分がひどく無力で小さい人間に思えた。「先生」なんて呼ばれるほど私は偉くない。

一人ひとりに私は何もできていないではないか。



そんな思いの底に沈んだ。

ことばはいきもの

「めぐさーん。元気でやってるかぁー?」


背後から張りのあるよく通るテノール振り返らずとも声の正体はわかる。A先生だ。


木曜の3限目。確かA先生は「英語学基礎研究」という2回生配当の授業の筈だ。A先生が学舎内にいるということは、もうチャイムが鳴ってから15分は過ぎているだろうと、「今日は急ぐからー」と言いながらも悠々と去っていく先生の背中を見届け、自分の講義の教室までダッシュ


エレベーターがなかなかこないので、仕方なく6階まで駆け上がった。。4回ともなれば学部内では高齢者だ10代の子らは階段使えよ・・・と思う。年寄り・・もとい先輩優先だろうが


めっちゃくちゃ急いだにも関わらず教室に着いたのはチャイムから10分も過ぎていなかった。A先生、今日は(いつもより)早かったようだ。
どうも学年が上の授業になるにつれ、遅刻の分数も比例する気がするのは私だけだろうか。おそらく上位年次生になれば「もう俺の癖知ってるだろ」的なものがあるような気がしてならない。1回生とかなら、先生が遅れるなんて・・って言う子もいるからね。。




苦し紛れで進めた第3章の初めの1000字は一蹴されてしまった。


書くことは同じなのだが、それを書いていく過程でどの理論を前面に押し出すのかは後々結論を出すときにも重要になってくる。
はじめOEDの細かい文字と睨めっこをして、どこを抜き出すかいちいち頭をひねっていた私だったが、

「そこは語義や意味で以て立証するんじゃなく、歴史的観点からアプローチするほうが良い」と言われた。


ひねり出した1000字ではあったものの、先生が出してくれた方向性の方が私のやり方よりもすごく書き進め易い方法だったので、躊躇なく第3章を振り出しに戻した。


一応の提出期限は12月18日。ちょうど一週間後。

しかし今年はなかなか込み入ったことをしている学生が多いので、最終は25~27の間ということになっている。その間に修正が必要な学生は個別に研究室に呼び出される。



本格的に冬期講習が始まるのが25日から。それまでに卒論にはカタをつけたい。




先週預けておいた第2章の原稿は、「めぐさんの論文ねぇ、見たんだけども、どこへ行ったのやら・・・」



今日、文章校正したものを持ってきてくれている筈という淡い期待は、やはり裏切られたしかし、この程度で腹を立てていては先生のゼミ生など務まらない。


先生の研究室は一度足を踏み入れたら出られない樹海だという噂もあるし、とりあえず本や学術書その他もろもろのもので迷路のようになっているであろうA先生の部屋で、なにかをどこに置いたかわからないとなれば、探し出すのは余程の気合を入れて臨まねば無理だ。


大事なものをあずける際には、必ず控えを取る、それが無理なものならば先生の個研に預けるのではなく、合同研究室か院生の友達のロッカーの片隅を借りる・・・がAゼミの暗黙のルールである。



「えーーー先生なくしたんですか」と文句を言いつつ、内心は予想済み。想定内の出来事なのだ。文献から引用した箇所の邦訳が完璧であるという保証もないので、また来週同じ原稿を持っていって改めてチェックしてもらおう。



Aゼミにいると、英語がコミュニケーションツールとしての言語なのだ、と改めて実感させられる。

英語学や英文学を専攻している子の中にも、「英語ってパズルみたいじゃん」と言う子もいるし、予備校等で、「英語も数学と同じだ!公式(構文や文法事項)を覚えて、それを暗記し、使えばいい」と教える講師も多々いる。


私も高校2年までは、そんなものかなぁ・・と思っていた。


でも、オーストラリアに行って、実際に「言語」として使われている英語を聞いて、衝撃を受けた。

教科書で習った英語は、ほんの一部分で、日本に流行語や若者言葉があるように英語にもそれらがあり、言語だから当然方言もある。
私たちが「これが英語のすべてです」みたいな感じで教えられてきた英語は、氷山の一角の、そのまたひとかけらでしかない。
それまで漠然と、「大学では英語を専攻して、英語が話せるようになって教員免許も取る」と思っていたけど、そのときはっきり「自分は英語学をする」と決めた出来事でもあった。

たった20日の語学研修とは言っても、結構な費用が掛かる。あの時祖母が「おばあちゃんが出してあげるから行っておいで」と言ってくれなかったら、そもそも今の大学を選んでいなかったし(平凡に教育学部とかに行ってただろう)数ある英語の分野の中でも、特に英語学を専攻したりもしなかっただろう。Aゼミを選ぶことも。。


保守的な祖母だが、叔母が英語を専攻していてアメリカの大学への留学経験もあることから、母親より海外で勉強させることへの抵抗がない。それも幸いした。
当初、母親は20日といっても許しはしなかった。



今、私は現在完了形について論じている。日本での教育の特性上、agoは現在完了と共に用いられないとあるけれど、最近の話し言葉では、現在完了とago を一緒に使う例も増えている。でも、それでも非文ではないのだ。それが何故かは、論文の核心になるのでまだ言わない。。


言葉と言うのは生きていると改めてひしひしと思う。

SWEET NOVEMBER

「先週末に観た映画のレビュー」を書く・・・といいながら、違うことを書いたり更新をサボったり・・・だったので「先々週末に観た・・・」になってしまうけれど、映画レビュー、第二弾行きマス




観たのは、「スウィート・ノヴェンバー」

もうノヴェンバー終わって今年もわずかやけど・・・そこは「そんなの関係ねぇ」(古)で。。




サンフランシスコの一流広告会社に勤める仕事人間のネルソン(キアヌ・リーヴス)は、ある日、自動車免許の更新場で出会った風変わりな女性サラ(シャーリーズ・セロン)から、この11月の間、1ヵ月だけの恋人になることを唐突に提案される。彼女の強引な態度、加え一緒に住むこと、仕事を一切してはいけないことという一方的な条件に困惑するネルソンだが、まもなく承諾。そして彼は次第に彼女に惹かれ、恋におちていく。やがてプロポーズ。だがサラは、実は末期ガンであった。それを知ったネルソンは看病を申し出るが、サラは彼への愛ゆえに拒否。マフラーだけを残し、そのまま彼の前から姿を消してしまうのであった。

・・・つづきはこちら

夜間装具

リハビリの後にバイト・・・というのにもだいぶ慣れてきたけれど、やはり帰ってくると眠気&独特の疲労感が襲う。今日も、まだまったく書けていない卒論第3章を書かなければならないのに、もう頭が働きそうにない

このブログを書いたら数時間仮眠を取って卒論執筆を頑張ろうと思う。





「夜間装具をつけてみない?」と担当のP.T.(理学療法士)が言った。


最近くるぶしの骨の出っ張りが退化しているような気がして、それをP.T.に話したのだ。前々から内転の悪化で内くるぶしの骨がいくらか筋肉に埋もれ目立たなくなって足首が前より寸胴に見えていたけれど、つい最近、外くるぶしにも同じような状態が見られることに気づいたのだった。

女として、きゅっとした足首・・・というのはなかなか諦めたくないもののひとつであるが、それがあったのは小5が最後だと思う。どちらか片一方だけなら、ファッションなどでごまかすことは出来るが、さすがに内外両方のくるぶしの骨となれば頭を抱えてしまう。
素足でスカートだって履きたい。


・・・・・ヤカンソウグ??


すぐに言葉の音と意味が頭で一致しなかった。今まで聞いた事のないものだったからだ。「夜間に装具をつける」のではなく「夜間装具」でひとつの単語らしい。。むむむーん


このブログでも紹介したことがあったかどうか思い出せないので、紹介すると装具とは、まぁ形状は障がいの種別や度合いによって多少の差はあるのだが、靴と同じように、履いて筋肉の状態を矯正したり、筋肉の硬直を防ぐ治療器具のひとつである。


足に障害がある場合、その箇所によって、普通の靴と変わらず足首までの長さのもの、膝下までのもの、太ももから足先までがっちり覆うタイプのもの・・があり、私は内転が膝から下の部位なので装具をつけるならば膝下までのものを使う。


昼間つける普通の装具は、幼少期から小学校の低学年まで使用した。金具が入っていて普通の靴とはかなり見た目も違うのでからかわれることもあったが、男子たちにはメカかなにかのように見える子もいるらしく、「それカッコいいから履かせて」なんて言ってくる子もいたっけ


何故つけなくなったかと言えば、小さい頃から服装などの見た目は気にする方だったので、装具のどうしようもないファッション性のなさ(ファッション性なんて追求していないから当然ではあるけど)と、金属がついているので単純に靴自体がめっちゃくちゃ重く、駆けずり回って遊ぶにはいささか不便だったからだ。


ヤカンソウグって何ですか?と尋ねると、文字通り寝ている間にはめて、筋肉が縮むのを防いだり、内転を緩和させたりする装具の一種なのだそうだ。

さすがにこの年齢になって、昼間外出するときに装具をしてくれと言われれば色々なことが気になって、躊躇すると思うが夜間、それも寝ている間なら検討する余地は充分にある。でも装具の特性上、重くて寝心地が悪かったら嫌だなーまぁでも、昼間の装具とは少し構造が違うみたいだけれど。。


「みんなねぇ、筋肉が柔らかくなったとか、歩き易くなったって聞くよ欠点は夏場は相当暑いみたい・・・


そりゃぁねぇ。。裸足でも暑いのにその上からひざ下から足先までごっついので覆って寝るんだから暑いわな


夜間装具が必要かどうか、整形外科の医師の診察が必要らしい(P.T.は専門職ではあるが、医師の資格はない)ので、月に一度、整外の先生が巡回してくれているという日に私も診察をしてもらうことになった。
病院と隣接している施設なのでいつでも医師の診察が受けられそうな感じがするが、やはり理学療法や作業療法などと整形外科は分けて考えられるものらしい。

特に私のようなCPの者は、普通の整形外科に行っても100%効果的なリハビリを受けることは出来ないので、リハビリを変えるときなどは調べることからして面倒くさい。
さらに医療制度が変わり、国は6ヶ月以上リハビリをしても回復が見込まれないとする場合、その医療負担額に国の予算を入れない・・・実質6ヶ月を越えるリハビリの打ち切りを決めた。


私のように機能回復なのが目的ではなく、今ある機能を維持するためにリハビリに通う人も沢山いる中、この決定は多くのリハビリが必要な人にとって打撃であった。


幸いにも今通っているリハビリ施設は、国の打ち切りを指定したリハビリ施設からは外れていたので、こうして6ヶ月以上通うことができている。

私の場合、リハビリに行くのと行かないのとで、そのときは大した差はなくても5年後、10年後は大きな差が出てくる。


その夜間装具とやらをつければ、また昔みたいに足首のくびれも戻ってくるかも・・と期待する一方で、夜間装具の値段はおよそ15万円。(両足)
補助金によって最低半額は出るらしいが、そこから先どれだけ多く負担してもらえるかは、世帯主の収入や本人の障がいの程度によって異なるという。でも一番良い条件では、本人負担額は1割なのだそうだ。

ひょえぇぇぇぇ~と素っ頓狂(だっただろう)顔で驚く私に、P.T.が笑う。

聞けば装具はどれもそのくらいの値段がすると言う。小さい頃、十何万もする装具を足がデカくなる度に買っていたのかと思ったら、もうもう両親を拝み倒したくなってくる・笑


早急に効果を期待するにはなるべく早くつけ始めるのがいいらしいけれど、いくら何割か補助が出ると言ったってすぐにほいほい出せるお金ではないし、親に言えば親に言ったで、「装具=それほど悪い」と受け取られかねない。
買うとしても4月以降になるとP.T.には告げ、1月にはとりあえず診察だけ受けることにした。







帰り際、見知らぬおばあさんに声を掛けられた。私がいつも同じ曜日のだいたい同じ時間帯に、同じ道を通りリハビリへ向かうので、何度かすれ違うことがあると言う。私はちっともそのおばあさんに気づいていなかった。


「その足はどうなすったの?」

「・・・生まれつきで」


話せば長いし、正確には生まれつきではないが、深く理解してもらう必要のない人や説明するのが面倒なときはこれで済ませてしまう。


「あらぁ~そう。にしても頑張るわねぇ。・・・・・・・かわいそうに。大変だろうけど、頑張ってね」


内心フクザツな思いを抱えて「ありがとうございます」と笑顔で返す。それが心の底からのものではないのは言わずもがな。

私だけではなくほかの障がいを持った人もおそらく同じだと思うけれど、「かわいそう」という言葉を毛嫌いする。過剰に反応する。


だって障がい=かわいそう なことではないから。
でも世の中の多くの人はそれをわかっていない。特に年配のおばちゃま世代がよく「かわいそう」と言う。


うちの祖母でさえだ。


でも本人は「かわいそう」と言われるのは、腹立たしくて仕方ないのだ。障がいを憐れまれたくない。憐れむべきものではないから。


「私は『かわいそう』なんかじゃない」と怒りにも似た感情を言った相手にぶつけたくなる日もある。


でも今日のおばあさんは、その表情を見れば悪意がないことは見て取れたから、たとえ表面だけでも取り繕うことに決めた。表現の仕方はどうあれ、その気持ちは嬉しいものだから。


でもやはり、おばあさんが去っていってしまうと、油断をすれば溢れそうになるなにかをぐっとこらえねばならなかった。
それは怒りにも似た感情であったり、それをぶつけられない苛立ちであったり、涙であったり。



黙って電柱にこぶしを押し当てた。ひんやりとその冷たさが伝わってきた。


本人と世間(特に年が上の)との認識のズレ。もどかしいけれど、でも、そのズレに抵抗を感じなくなってしまったら、それは私が「かわいそう」なのだと認めた証拠でもある。
いちいちこの感情の塊を自分の中で処理するのは、ものすごく精神力がいるけれど、でも私は「かわいそうな人」ではないから、抵抗できる自分でありたいと思う。


出来ないこともいっぱいあるけど、みんなが知らないこともたくさん知ってるもん。それはたとえ、日常生活の中で役に立たなくても、人生を生きるうえでの心の肥やしになるのよ


このブログを読んだ人は、間違っても「かわいそう」とは言わないでくださいね

Meaning of my life

人生の、この奇跡的なタイミングって、いったいどう起こるのか。そんなことを考えた。



CPの二次障がいが出始めて、それはもう本当にゆっくりではあるものの、私から1つずつ何かを奪っていく。



失ったものに気づくたびに、衰えたものに気づくたびに、自分の存在価値を問う。存在価値があるのかを問う。



歩ける。早歩きだって出来る。手すりがあれば階段の上り下りも、自転車にも乗れる。電車にだって乗れるし、人の助けがあればエスカレーターにも乗れる。



残っているものを確かめて、あぁ、まだ私はこんなにできることがあって、生活を普通に営むことができる。きちんと給料を貰って働くことだってできている、と安堵する。



でも「できる」が昔はもっともっとたくさんあったのは事実で。。



この「できる」が減っていくのが、怖かった。



このまま教師になってもいいの?



そんなアホなことを考えていた。






人生のタイミングとは本当にわからない。昔から私は目には見えない大きななにかに「生かされている」と思う気持ちがあった。
仮死状態で生まれてきて、チアノーゼ(血中の酸素濃度が著しく低下し、皮膚の色が変色すること)で紫色になってもA型だらけの親戚の中、奇跡的に叔母が私と同じ血液型で輸血ができたこと。
いつ死んでもおかしくないような状況下で生き延びたこと。その時点でもう私は神様に「生きろ」と言われたのだ。



普通の幼稚園に入れたことも、当時を考えれば奇跡的なことだったと思う。当時、隣の校区のM幼稚園に行くことをすすめられたが、私は同じアパートや近所の子と違う幼稚園になるのが嫌で、自分の校区の幼稚      園じゃなきゃ嫌だ、とごねた。普通なら我慢していきなさい!といわれてもおかしくない筈なのに私の小さな大きな要求は通って、同じ校区の幼稚園に通えることになった。


私の入園に理解を示していたM幼稚園の園長が、そのためにわざわざ私の入る幼稚園に異動した、とそれから後に聞かされた。



小学校もそのまま皆と同じ小学校に通えることになって、特に教頭先生からはよくしてもらった。夏休みのプール学習なんかは、先生は仕事としては監督しているだけでもよかったのに、自分も海パン一丁になって、顔つけやバタ足を見てくれた。伏し浮きができるようになったのは、教頭先生のおかげだ。



中学校では、その年頃なりに、ちょっとタバコくさい先生なんかを陰で「キモい」とかも言ったりしたし、大人にはそれなりに反抗するどこにでもいる普通の中学生で、でも教師ウケがよかったのは、やっぱ私も仮面を被っていたからで。



高校では、年配の先生が私を必要以上に心配して、 バスケやバレーの試合に私を出させなかったり、マラソン大会は見学しろと言われたり・・・。心配してくれるのはありがたいけれど、何でもやりたい派の私としてはただ座って見ているだけが苦痛で苦痛で仕方なかった。
そんな折、コワモテでいつも怒鳴ってばかりいる先生ともう一人女の体育の先生が、「Y先生はああいうけど、お前はどうなんよ。マラソン大会出たいんやろ」と訊いてきた。


「Y先生のいう事関係なしにお前が走りたいんかどうかや」と。 



そのときハッキリと「私も走りたいです」と言ったのを覚えている。



怖いだけじゃなくって、良い先生なんだと、そのとき初めて知った・笑



高校生のときはわからなかったけど、学校現場や教師のセカイも結構年功序列的で階級社会だ。年上の先生に逆らう・・・と後で困ったことになる。結構体育会系気質な教師集団の学校もある。
ましてや、それが体育科の教師となれば尚更だろう。そんな中、体育科のドンとも言えるY先生に逆らう覚悟で先生たち2人は「お前が走るんやったら走らしたる」と断言したのだ。


そのときの先生の気持ちを思ったら、あぁ涙が出る



自分が教師になる身になって、私がどれほど恵まれていたかに気づいた。それに気づいたら、今までそれが当たり前だと思っていた自分を恥じたくなる。
受けたあたたかさの大きさを思うとき、感謝があふれ出て止まらない。


自分はこんなに大きなあたたかさを貰って生きていたのに、私は先生たちに迷惑を掛けるばかりではなかったか。
このことにもっと早く気づいていれば、あの時もっと一生懸命に勉強していい成績だって取ったし、遅刻もしないようにしたのに・・・。


今頃気づくなんて・・・。








出来ないことが増えると、それに比例して自分の価値がなくなっていくような気がすると、前にこのブログで書いた。
でも、そうでもないらしい。



存在意義を見出す契機をくれたのは、生徒だった。                 続く                                                       

・・・つづきはこちら

折り返し地点

こんな時間にブログ更新(現在11時半)でもって最近、ブログの更新率いいよね(自分で言うなって)


金曜は授業がないので、用事が無ければ正午過ぎまで寝ているというのが定番。でも今日に限ってなんでこんな時間にブログ更新なのかと言うと、単純明快寝てないだけ。


昨日あまりにもしんどいのでゼミを欠席その時点ではブログに書いていた通り、卒論は第一章を書き終わった5000字弱で止まっていて・・・先生に欠席の連絡を入れると、先週も用事で行けなかった私に先生が、

「しばらく見てない(論文)から、明日のゼミのアルバム写真撮影のときに書けた分だけ持ってこい


のぉぉぉぉぉぉぉぉ~実は私、先々週に見せたところから、この期に及んで1字も書いてなかったのである

ハイわかりましたーーーと元気良く返事だけはしたものの、内心、、



やべぇよやべぇよやべぇよーーーーーーーーーーーー



体力温存のため、そっから23時までガン寝して、起床。


しかぁし、PCに向かえばインターネットという誘惑が待っている・・・けけけけけけ



ご飯食べたりネットサーフィンしてたら、めざましTVが始まって・・・我ながら何やってんだ・・・と心の中でツッコみを入れ、ようやく本腰を入れて始めたものの、なかなか取っ掛かりが得られない。。



第2章は引用が主で、あとはそれに補足やコメントをつけるだけの予定だから、そんなに作業自体は難しくないのだが、自分が読み込んだ文献のどれのどこから何を抜き出せば持論を展開しやすくなるかを考えるのが面倒くさい
ここを抜き出すと決めたら決めたで、それを邦訳するのがこれまた大変。すらすらと訳せるのもあるけれど、たまには曲者もいらっしゃるし。。笑 否定の構文と部分否定がひとつの文の中に一緒くたになってたりとかね ひとりブツブツと、「全体的に~でもないが、こうというわけでもなく・・・である。。」

・・・・・ややこしい。


それでも一度やる気になったらパワーがすごいのがO型めぐさんのいいところ(単にコツコツできないだけ)笑


3時間で第2章を丸々書き上げたページ数にして8ぺージ。字数およそ6千字3時間でこんなに書けるならもっと早くから書いとけよって感じよな



何はともあれ、半分越えあと13日で、あと約1万字。もう結論出てるから書くだけ・・・やけど頑張る



さてさてダメ出し貰いに行ってきますー笑   突発的にブログ更新したけど、今日バイトもあるし、寝てないからバイトかなり心配だわ。うとうとしちゃったらどうしよう


まぁ、でも今日はうとうとさせてくれるような生徒ぢゃないんだけどね・・・・生徒の前で寝ないように今日は頑張ります!!


突発的に更新した内容薄い日記でごめんなさい今度はまた先週末に観たもう1個の映画のレビューでもww

チョコレート

先週末は自宅でゆっくりといくつかの映画を観た今日はそのレビューw

ぇ、お前は卒論があるだろって??えへへ書いてるよ、とろとろと・・・
ほんまでも急がなヤバいゎだって提出は18日苦笑
第一章しか書いてないってどうこれ・・・。。



観たのは「チョコレート」という映画。これは邦題で、原題は「The Monster's Ball」(化け物の夜会)
映画を観ての感想だけど、この映画には原題よりも邦題の「チョコレート」の方が似合うと思う。原題も「Chocolate」でよかったのになぁ





早速レビュー行きます。続きへGO

・・・つづきはこちら

父へのプレゼント

*はじめに*PCより閲覧される方へのお知らせ*

ないのなら 作ってしまえ テンプレート

というわけであまりにもステキな写真を見つけてしまったので、自分でクリスマステンプレ作りました神戸のデートスポット、モザイクの有名なブルーツリーです
・・・いかん、こんな綺麗な夜景見てたら、やさぐれてきそう・笑   いい出会いないかなぁ・・・

そんなことはおいといて!!

画像が重いので、ネット環境によっては表示まで時間が掛かることがあります。気長にお願いしますm(_ _) m




街中の店がクリスマス商戦に躍起になるこの季節。コンビニの店頭にも小さなツリーやリースが飾られる時期。

そんな中、私も今年初のクリスマスプレゼント(人への)を買った。しかし、なんで一番初めに買ったプレゼントが父宛なんだ・・・ 
いつも交換している友達に何を送ろうか決まっていないから・・・なのだが、初めに買う相手がお父さんって・・微妙苦笑   母にはUNIQLOのヒートテックインナーにでもしようかなと思う




さてさて父へのプレゼントは、少し前から決めていた。

メンズシェーバー


だいぶ前に電器屋の特価で売られていたものを買ってずっと使っていた父だが、少し前にとうとう壊れてしまった。
それから「見てみぃ。ブラウンのやで~」と自慢げに押入れの奥から出してきたそれを見て思わず、


それ、いつのよと言ってしまった。シェーバーと言うより、「電気剃刀」って感じ・笑
ざっと30年前のものらしい。。

なんかコードとか、電話機の親機みたいにうねうねしている。イマドキそんなん見たこともない。。



で、それも元々壊れかけだったものだから、ご臨終最近は毎朝普通のT字剃刀で剃っているようだ。



私は女なので、男性の髭剃りの面倒くささというものは本当の意味で理解は出来ないが、女もムダ毛の処理とか夏場(まぁ冬もだけど)は相当面倒だし・・・男性なんて季節関係なく毎朝毎朝髭を剃らなければならないわけだから、面倒&大変なのは想像できる。


そんなわけで、今日はリハビリとバイトの間の1時間ほどの暇を利用して梅田の大型電気量販店に行ってきたw

当たり前だが、シェーバーなんて買ったこともない。何がいいのか、どれくらいの値段がするのかすら知らない


大手国内メーカーやブラウンくらいなら有名だから知っているけど・・・フィリップス?


Where are you from?笑    絶対あの社名、初代社長の名前とかに違いない


目に付いた陳列棚をぐるーーとまわってみたものの・・・・・


4万1800円
2万9800円





シェーバーってこんなにするんっスか  めぐさんのバイト代すっからかんになるじゃんかダメだ・・・買えない



・・・しかし、神は救いの手を用意しているものです(誰)


ふと見ると、その棚は「新製品コーナー」だった。そりゃ高い筈よ



周りをよく見ると、ケータイやi podのコーナーのように差別化された一角があって、そこにも色々商品が並んでいる。
客は当たり前だが、男性か女性でもカップルばかりだったので若干気まずかったが、クリスマス前である。そこは平然と「プレゼント買いにきました」顔で商品を物色


いっぱいあるある4ケタの商品笑    そうこなくっちゃ


しかしいくら4ケタと言ったって、出来れば安くあげたい。彼氏ならば別だが、贈る相手は父親なのだ。。

娘とは冷たい生き物である・笑


2980円を発見した


しかし聞いたこともないメーカーだ。いくらなんでも、すぐに壊れたとか言われたら贈り甲斐がない。


迷った末、HITACHIの3980円と4980円の商品に絞込み、吟味開始。


どちらも充電・交流電源両方で使えるらしい。これは便利だ。しかも水洗いOK


でもって、どちらも3枚刃。この千円の差は何なんだ・・・と機能一覧表をガン見していると、キャリングポーチがついているかいないかの差らしい。別にポーチとか100均の袋でいいだろ・・・と思ったが、まぁ奮発してやるかというわけで4980円の方を買った。ポーチだけで1000円というのも腑に落ちないから、もしかしたら私にはわからない機能の差とかがあるかもしれないし。


会計を済ませていると店員さんが、

「贈り物でしたら、ただいま5階で無料ギフトラッピングを行っておりますので是非ご利用くださいませ」とのこと。


おぅ、ラッピングか。と思ったけど、5階・・・しんどいなぁ。。(理容家電の売り場は1階)

いいや。


娘とは冷たい生き物である(二度目)


買ったのがコチラ



同じビルにUNIQLOも入っているので、ついでに母へのプレゼントを買っていこうかとも思ったが、リハビリの荷物が入った重いボストンバッグが邪魔をして、これもまた日を改めていこう・・・ってことになり、そのままバイトへと向かうと、この日担当の小学生が、


「先生、今日白のカバン持ってたやろ。左手に黒い袋(電器屋の)も持って」


なんで知ってんの


「駅で見つけて、尾けた」


怖っっ


そう、この子、よく気配を消すのだ。私は結構気配を読み取る力もあると思う。不意に来る自転車や走ってくる人にいち早く気づいて避けるために。しかし、この子が後ろにいても気づかないことがよくある。


「すごっ刑事にでもなったら?」と言うと、いつものいたずらっぽい顔でニカっと笑う。


この子はまだ学習に対する姿勢が出来ていないので、いつも授業に入るまでにも時間が掛かる。


私のポリシーとして、ケータイは絶対にカバンの中にしまっておかせる・・というのがある。小学生であれ高校生であれ、それは徹底している。


サイレントにするか、あるいは電気を切ってカバンの中にしまわす。たとえ電源を切っていても机の上には置かせない。

ケータイは集中力を削ぐ元だ。   バイブなんてなろうものなら、誰からか気になるのはよくある心理だし、サイレントでもLEDが光っていれば集中力は低下する。


今日は小学生の子もケータイを持ってきていて、ちゃんと私の前で電源を切らせた・・もののなかなかそれをカバンにしまわない。

だんだん語気を荒げて「カバンの中にケータイをしまいなさい」と言っていたのだが、何回も繰り返し言っていると・・・こんなことも。。


ケータイの中カバンなおし(しまい)なさい



・・・・・無理。。笑    チーフ、爆笑



今日は代講があって1日3コマで、なかなかしんどかったのだが、その代講の高校生の英語の授業がなかなかしていて楽しく、しかも生徒の将来の事も絡めて余談も含め、話をしていたら、

「ありがとー先生。参考になったわ


こちらも嬉しい



おかげで今日は、帰宅しても体の疲労はあるものの気分は軽かった。数日前は玄関で靴を脱いで振り返って、靴箱の上のぬいぐるみたちに、


「あれ?『ただいま』言ったっけな?」と思わず訊く・・・。。一瞬前に自分が言ったかも記憶にないことに、ヤバイな私と思った。


この仕事、しんどいときはしんどいけれど、私にとってやっぱり生徒と話すことはストレス解消にも繋がるんだな、って実感した日だった

CALENDAR

THANKS!
03 2026/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

フリーエリア

最新CM

[11/03 めぐさん]
[11/01 封筒の書き方]
[08/31 めぐさん]
[08/29 荒木正文]

最新TB

プロフィール

HN:
性別:
非公開
自己紹介:
CPと闘いながら、やさぐれた社会人やってますw

詩を創るのが趣味。でも最近は忙しくてなかなか創作できません。

夕暮れの空が大好きですww
良い空があれば撮り貯めてますが、キレイに撮れないのがなやみ;

このブログでは日常や好きな音楽、本のレビューを綴ります☆徒然なる独り言にお付き合い下さい♪ 

バーコード

ブログ内検索

アクセス解析

カウンター

Copyright ©  -- Think&Said to Myself --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by Didi01 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ